2-9


 夜は明ける前が、もっとも暗い。


 街の灯りも消え失せて、巨大なひつぎの森と化したビルの隙間を隠れるように、頼りない星光に照らされながら、二つの人影が、慎重に歩みを進める。


 なにかを警戒するように、細心の注意を払って、闇よりも暗い影から影へ、哀しきその姿は、まるで悲痛な逃亡者のようだった。


 本当に、残念だ。


 あの二人に、こんな姿は似合わないというのに。


「急ぎましょう、朱天しゅてん!」

「はい、姫様!」


 あまりに辛い現実から、お互いを守り、励まし合うように、仲間たちに裏切られた竜姫たつきさんと、それでも主君を守ると決めた朱天さんは、寄り添いながら、重苦しい夜から抜けだそうとしている。


 誰にも、見つからないように。

 誰にも、気づかれないように。

 誰にも、迷惑をかけないように。


 それは一体、誰に対する気遣きづかいなのか。なにに対する負い目なのか。夜に溶け込む彼女たちの真意は、推し量ることしかできないが、望みは分かる。


 このまま二人で、二人だけで、この街を出ていくつもりなのだろう。


 だけど、残念ながら、その願いが叶うことはない。


 なぜならが、身体を小さく、気配を殺して、必死にその身を隠そうとしている彼女たちを、もうすでに捕捉している者がいるからだ……。


「やあ、お二人さん。今夜は月が綺麗ですね」

「……っ、統斗すみとさま!」


 まあ、それはもちろん、俺のことなわけだけど。


「ど、どうして……?」

「いやいや、それはこっちの台詞でしょう」


 工事現場に組まれた鉄筋の足場から、しっかりと自分たちを見下ろす俺に対して、動揺した様子の竜姫さんが、驚いたように目を見開き、声を震わせた。


八咫竜やたりゅうとの通信が終わった途端、今日は疲れたので、宿に戻ります……、なんて言いながら、うちの案内係も振り切って、全然違う方向に進んでますけど、一体どうしましたか? もしかして、道にでも迷いました?」


 しばらく腰を据えていた足場から飛び降りて、道路へと降り立ち、竜姫さんたちと向き合いながら、俺はようやく身体を伸ばして、次に備える。


 さてさて、ここからが本番だ。


「くっ、貴様……! なぜこちらが見えている!」


 望まぬ来訪者である俺から、困惑している竜姫さんを守るように、警戒感をあらわにした朱天さんが、自らのあるじの盾になるように、立ち塞がった。


「ああ、龍脈りゅうみゃくの力でしたっけ? 確かに、あれを使われると、お二人のことを認識することすら難しくなっちゃいますけど、この前の戦いで、種は聞きましたから」


 じりじりと、こちらの隙を探る朱天さんの視線をやり過ごしながら、俺はあらかじめ展開しておいた、この辺りの区域を覆うほどの巨大な魔方陣を、誰の目からでも見えるように、可視化する。


「要するに、自然と一体化してしまうから、見えないのであって、その自然の方を、不自然にしておけばいいんじゃないかなと、思いついたのでやってみたら、たまたま上手くいっただけですよ」


 魔方陣の大きさから、なんだか大掛かりに見えてしまうかもしれないが、原理自体は単純で、ただ範囲内の魔素エーテルを、適当にかき乱しているだけだ。


 竜姫さんの操る龍脈という概念に、一体どれだけの範囲の自然とやらが含まれるのかは想像するしかないが、魔素がどれほど特殊な物質であっても、この世界を構成する因子の一つである以上、それほど分の悪い賭けではないと踏んでいたのだが、どうやら上手くいったようで、一安心である。


 追い込まれた竜姫さんたちなら、おそらく最短距離で街を出ようとすると予測し、網を張っていた格好だが、こちらの予測も当たったのは大きい。一応の保険として、超感覚の方も限界まで張り巡らせていたのだが、どうやら、そこまでは必要なかったようで、俺は密かに、ほっと胸を撫で下ろす。


「流石ですね、統斗さま……」

「いえいえ、そんな大したことは」


 正直、俺としては、かなり危ない橋を渡った感はあるのだが、竜姫さんは感心してくれているようだし、このまま余裕の表情を崩さないでおこう。


 女の子には、格好良く見られたいのが、男の子だしな。


「それじゃあ、もう一度聞いてみますけど、これから一体、二人はどこに行くつもりなんですか?」


 さて、相手がこちらのペースに乗ってくれている内に、さくさくと本題を進めてしまおう。目的を果たすためにも、この機を逃す手はない。


「……私と朱天は、龍剣山りゅうけんざんに戻らねばなりません」


 悲壮感すら漂わせた竜姫さんからの解答は、まったく俺の想像通りのものだった。


 とはいえ、このくらいのことは、つい先ほどの緊急通信で、黒縄こくじょうから裏切りを聞かされた後の、あの二人の様子を見れば、誰だって分かることだろう。


 分かるからこそ、俺は自分のやりたいことを、やるべきことを見つけ、こうして、ここに立っている。


「それでいいんですか? このタイミングで、わざわざ自分から、裏切りを告白してきた上に、文句があるなら帰って来いなんて、どう考えても、ろくでもない罠の匂いしかしませんけど」


 俺はまだ、あの黒縄とかいう男のことは、なにも知らないわけだが、相手が余程の考えなしか、ただの間抜けでもなければ、その言葉の裏を考え、最大限の警戒はするべきだろう。


 少なくとも、竜姫さんと朱天さんの二人が、慌てて戻ったとしても、それをせてしまえるだけの算段はつけているのだろうし、むしろあの様子だと、二人を呼び戻すことこそが、目的のようにも思える。


 なんにせよ、このまま竜姫さんたちが、無計画に帰ろうものなら、彼女たちに無残な結末が訪れるだろうことは、想像にかたくない。


「それでも、行くんですか?」

「ええ、行きます」


 だがしかし、俺と同じようなことは、当然考え付いているだろう竜姫さんの瞳は、揺らぎもしない。


 それは、例え部下に裏切られたといえど、これまで組織のおさを務めてきたという責任感なのか、はたまた、八咫竜という長い歴史を背負っているという覚悟なのか。


 どちらにしても、悲しい決意だった。


「……なにがあろうと、姫様は私が守ってみせる」


 いつもは気丈な朱天さんも、今回ばかりは不安を隠しきることができないようで、口に出した言葉も、俺に向けてというよりは、自らに言い聞かせているようだ。


 まあ、部外者の俺から見ても、たった二人で巨大すぎる八咫竜を相手にするかもしれないと考えたら、それだけでゾッとしない話なのは、十分すぎるほどに理解できているつもりである。


 だが、だからこそ、せない。納得できない。


 ここまで明らかな死地に、主と共に身を投げるのが、果たして忠義と呼べるのか。


「こちらからお話を持ち掛けておいて、こんなことになってしまい、本当に、申し訳ありません……」


 心の底から辛そうに、にじんだ涙を拭おうともせず、竜姫さんは深々と、恥じることもなく、俺なんかに頭を下げる。


 その姿がなによりも、彼女の本心を……、裏表のない真実を、教えてくれていた。


 だから、俺は、ここにいる。


「ですが、八咫竜の問題は、八咫竜である私たちが、必ず解決してみせます」


 それは、竜姫さんにとっての、そして彼女に従う朱天さんにとっての決意だ。

 心に決めた、覚悟の言葉だ。


 それは、ある意味では美しく、崇高な思いなのかもしれない。


 ただし、あの二人にとっては、だろうけど。


「だからどうか、今は私たちのことを忘れて、道を開けてはいただけませんか?」


 懇願にも聞こえるが、その実は脅迫に等しい、揺るぎない信念を持って、竜姫さんは真っ直ぐに、俺のことを見つめている。


 だから俺は、俺の言葉で、俺の思いを、勝手な言葉を、彼女に伝えよう。


「いやだね」


 これが、俺の答え。俺の決意で、俺の覚悟だ。


 俺は、俺の信念を持って、竜姫さんの、朱天さんの、二人の信念を踏みにじる。


 そう、決めた。

 俺はただ、自分勝手に、そう決めたのだ。


「ここを通りたかったら、俺を倒してからにしてください」

「そう、ですか……」


 俺は、本気だ。

 竜姫さんも、本気だ。


 意見を違えた本気の二人が、真っ向から対峙したら、どうなるのか。


 それが悪の組織の人間同士ならば、答えなんて決まっている。


 さあ、ここからは、意地の張り合いだ。

 

「それでは、そのように……、朱天!」

「御意!」


 まず初めに動いたのは、主の命を受けた忠実なる部下……、朱天さんだった。 


「――鬼炎きえん万丈ばんじょう!」


 彼女がそう叫ぶと同時に、その肌は赤く染まり、周囲の空気が、まるで炎のようにまたたいたかと思えば、大柄な武者鎧のように凝固し、装着される。


 地面から巨大な金棒を引き抜き、軽々と肩に担ぐその姿は、額に生えた立派な角と相まって、まさしく、気丈な鬼と呼ぶに、相応しい。


 そして、部下に続いて、主である竜姫さんもまた、戦うための準備を整える。


「――我龍がりょう天成てんせい!」


 その瞬間、夜の闇に沈んだ街を、まばゆい閃光が包み込み、目も眩むような刹那が終わると、竜姫さんの服装は、壮麗な巫女服へと変化し、その長髪は白銀に染まり、自然と龍の角のように整えられる。


 彼女が閉じていたまぶたを開くと、その瞳は紅く輝き、神秘的なその姿は、なるほど確かに、龍脈りゅうみゃくの巫女と呼ぶに相応しい。


 それでは、俺も……!


「――王統おうとう創造そうぞう!」


 魔素と命気プラーナを混ぜ合わせ、俺自身がイメージする最強のカイザースーツをゼロから創り出し、この身にまとう。


 さて、正念場は、ここからか。


「それじゃ、いつでもどうぞ?」

「あまり、こちらを舐めるなよ!」


 別に、今回は挑発したつもりはないのだが、どうやら俺の口調がかんに障ったらしい朱天さんが、恐ろしい勢いで突っ込んでくる。まあ、口調がどうこうというよりも、そもそも俺のことを嫌っているからかもしれないが。


「おおっ、流石に速いですね」


 なんて、考えてる間にも、あっという間に彼女はこちらに肉迫している。あんな大鎧を着込んだ上に、巨大な金棒まで担いでいるというのに、本当に、信じられない動きだと、思わず感心してしまう。


「くっ、ちょこまかと!」


 朱天さんは苦々しく吐き捨てているが、俺だって内心は必死だ。


 その金棒の軌道は、一見すると滅茶苦茶だが、実際のところは、相手の動きを確実に制限し、最終的に仕留めるために、周到に計算されている。


 というか、振り下ろした巨大な金棒が、アスファルトの地面にぶつかる直前で軌道を変えて、跳ね上がるように俺を吹き飛ばそうとしてくるのだが、一体どういう腕力してるんだよ、この人! しかも、まだ片手で振り回してるだけだぞ! 見た目は普通というか、むしろ細目なのに、どうなってるんだよ!


 一撃一撃の重さも、絶対に無視できない。超感覚がピリピリと警告を発している。この前、マインドリーダーが使っていたパワードスーツの攻撃とは、訳が違う。


 奴の打撃は、対衝撃流動機構たいしょうげきりゅうどうきこうである竜の鱗ドラゴン・スケイルシステムで簡単にいなせたが、朱天さんの金棒を喰らったならば、そんな小手先の技術ごと、クッキーのようにあっさりと粉砕されてしまうだろう。


 気を抜けば、木っ端のように吹き飛ばされて、ボロ雑巾より酷いことになるのは、火を見るよりも明らかだった。


「おっと、危ない、危ない」


 しかも、そんな朱天さんの猛攻を受けながら、竜姫さんの動向にも注意しなければいけないのだから、まったく気が抜けない。


「――いきます!」


 まさに、巫女が行う神楽かぐらのように、竜姫さんが流麗りゅうれいな舞を披露すると、俺の足元が白色に輝き、恐ろしい純粋な力の奔流ほんりゅうが、天をくように立ち昇り、俺を狙う。


 ギリギリでバックステップによる回避には成功したが、夜の闇を照らしながら輝く力の流れは、空中でくねりながら軌道を変えると、正確にこちらを追尾してきた。


 その姿は、まるで雄大な龍のようで、俺は思わず、見惚れてしまう。


「なんて余裕は、なさそうか……!」


 とりあえずの威力偵察と、魔素と命気を使って、このカイザースーツと同じ強度を持った盾を創造し、輝く龍にぶつけてみたのだが、あっさりと消滅してしまった。


 感触としては、破壊されたというよりも、喰い潰されたと言った方が近いだろう。どうやら、こちらもまともに受けるのは、危険すぎるようだ。


「さてさて……!」


 縦横無尽に飛び回る龍の光を避けなさがら、朱天さんの金棒も回避しつつ、俺は思考を巡らせる。


 どちらの攻撃も、尋常ではない。強引に防御して活路を見い出そうなんて、考えるだけ無駄というか、自殺行為だろう。


 かといって、このまま延々と回避行動を繰り返していても、結局はどん詰まりだ。時間を潰すくらいは可能だが、はっきり言って、意味がない。


 ここはやはり、勇気を持った行動が必要になる。


「よいしょっと!」


 空気を切り裂き、横薙ぎに払われた朱天さんの金棒を、俺はジャンプしてかわす。


 当然だが、足場のある地上ならまだしも、なにもない中空に飛んでしまえば、その後の動きは大幅に制限され、次の動きも読みやすくなる……、と相手は思ってくれたのだろう。


「――あっ!」


 あらかじめ足裏に仕込んでおいた小さな魔方陣を空中で展開、起動することで即席の足場として使い、踏み切ることで加速した俺は、鋭角な軌道で地面に向かいつつ、驚きの表情を浮かべた竜姫さんを確認する。


 こちらの狙い通り、俺に隙が生まれたと早合点した竜姫さんが、即座に美しい舞を舞うと、光り輝く龍脈の力は、その軌道を従順に変更してみせたのだが、残念ながらそれは、空振りに終わってしまう。


 しかし、なるほど、大体分かった。


「くっ!」


 不規則な動きで、いきなり肉迫した俺に焦ったのか、朱天さんが咄嗟に金棒の柄頭つかがしらを打ちつけてくるが、遅い。


 もうすでに、こちらの拳は、彼女に触れている!


「――はっ!」


 闇夜の中でも鮮やかな、くれないの大鎧に当てた拳に、大量の命気を込めて、全力で地面に踏み込み、そのまま押し出すようにして、吹き飛ばす!


「ぐううっ!」


 苦悶の声を押し殺しながらも、踏み止まることができなかった朱天さんだが、それでもギリギリで姿勢を制御し、後ろにいた竜姫さんの目の前で、なんとか着地することには成功したようだ。


 人間の許容量を超えた命気を送り込むことで、あわよくば気絶までしてくれればと思ったのだが、どうやら考えが甘かったらしく、意外とダメージは少なそうだった。


 まあいいか、次の手だ。


「……貴様! あまり舐めるなと、言ったはずだ……!」

「――っ! 朱天! なりませ……、きゃあ!」


 俺のことを睨む朱天さんが、その右目を隠しているアイパッチに手をかけた瞬間、竜姫さんは悲鳴にも似た声を上げ、慌てて制止するが、それは客観的に見て、致命的な隙だった。


 俺が瞬時に展開した魔方陣に絡めとられ、竜姫さんはストンとその場にしりもちをついてしまい、可愛らしい悲鳴を上げる。


 その瞬間……、竜姫さんの動きが止まると同時に、まるで意思を持つ怪物のように動き回っていた純粋な力の束は、まるでかすみのように消え失せてしまった。


 やはり、俺の予想通り、彼女の舞と龍脈の力には、密接な関係があるらしい。


「姫様!」

「はい、よそ見は厳禁」


 主を襲った突然の災難に、忠実すぎる臣下である朱天さんは、美しい鬼は、一瞬、凍り付いたように動きを止めてしまう。


 当然、その隙も逃すことなく、俺は全力で飛びかかり、そのまま彼女を組み伏せてみせる。関節をめて、命気を使い、ついでに魔方陣による多重拘束まで行っているので、そうそう動くことはできないだろう。


 つまり、決着というわけだ。


「さあ、俺はまだ倒れてませんけど、どうします? まだやりますか?」


 もう勝負はついたことだし、俺は竜姫さんと朱天さんに対する全ての拘束を解き、ついでにカイザースーツも解除してしまう。


 これは別に、殺し合いでもなんでもない。そんなことは、最初から分かっている。


 そもそも、あの二人の攻撃には、こちらに対する殺気なんて、まったく込められていない。確かに強烈は強烈だったが、俺の命を奪ってでも、自らの道を進もうとするような熱量は、まったく感じなかった。


 もしも竜姫さんが本気なら、こんな街の一角など、まとめて吹き飛ばしてしまえるだろうし、朱天さんにしても、もっと強引に攻め込んで、周囲の建築物ごと塵に返すような大暴れだって、できたはずだ。


 だが、彼女たちは、それをしなかった。それどころか、むしろ俺どころか、可能な限り、この街を……、それこそアスファルトの地面に至るまで、少しも壊してしまわないように気を使っていた様子すらある。


 それがなによりも、彼女たちの本心であり、隠しきれない真実なのだ。


「……どうして」

「うん?」


 その場にへたり込んだまま、竜姫さんは目を伏せて、か細い声でなにかを言おうとしているが、あまりよく聞き取れなかったので、俺は特に警戒するでもなく、彼女の側まで歩み寄る。


「……今の私たちでは、統斗さまたちに、ご迷惑をかけるだけ……、だから、このまま無視して、忘れてください……」


 ああ、なるほど、なるほど。竜姫さんの言い分は分かった。それは、もしかしたら美しい自己犠牲であり、尊い覚悟なのかもしれない。


 だけど、俺はやっぱり自分の意思で、彼女の覚悟を笑い飛ばす。


「はっはっはっ、この程度で迷惑をかけるだなんて、あんまり俺のことを、舐めないでくださいよ?」


 そう、これくらいの問題、俺にとってはなんでもない。いや、むしろ大きな心配事がなくなって、嬉しいくらいだ。


 だって、そうだろ? 


 自分たちが裏切られたというのに、竜姫さんは、そして彼女に従う朱天さんは、俺たちを利用するのではなく、俺たちに迷惑をかけずに消えることを選んだ。


 それはつまり、八咫竜の総意なんて知らないが、少なくとも竜姫さんたち二人は、俺たちとの関係を真剣に考え、本気で同盟を結ぼうとしていたということになる。


 だったら、それで十分だ。


 十分すぎて、思わず笑みが浮かんでしまうほどに、俺の心は晴れやかだった。


「そんな……、統斗さま……、どうして、どうして……」


 こちらの真意が分からないのか、座り込んだままの竜姫さんが、下を向いたまま、顔を上げようとしてくれない。


 だから俺は、つまづき、うつむいてしまった彼女にも伝わるように、言葉を選ぶ。


「そうだな……、表向きの理由としては、このまま二人を失うより、これからのためにも、俺たちと一緒にいてもらった方が、組織として得だと判断したから……、って感じで、どうかな?」


 言うまでもないが、俺はヴァイスインペリアルの総統だ。自分の組織のためにも、常に最善の選択をする必要がある。


 そういう意味では、強力な超常者ちょうじょうしゃである二人に、戦力として加わってもらいたいというのは、実に真っ当な、悪の組織らしい思考だろう。


 打算と謀略ぼうりゃくまみれた悪の組織同士が、互いの思惑を探りつつ、笑顔の後ろでナイフを握りながら手を組むには、相応しい理由というやつだ。


「……表向き、ですか?」

「ああ、もう一つの方は、本当に、個人的な理由だから」


 ようやく、こちらを向いた竜姫さんに、俺は自分勝手な笑顔を浮かべて、そっと手を差し伸べる。


 そう、これはあくまでも、俺の自己満足にすぎない。


「ただ、知り合いの女性が二人、自分から不幸になろうとしてるのに、それを止めずに見てるだけなんて、なんだか嫌だなって、思っただけですから」


 それだけ。俺個人の決意なんて、覚悟なんて、本当にそれだけのものだ。悪の組織の総統だということを抜きにしてしまえば、俺がここに立っている理由は、ただそれだけのものでしかない。


「……ふふっ、統斗さまって、お人好しなんですね?」

「そうですか? 自分では、やりたいようにしてるだけのつもりなんですけど」


 ようやく、こちらの手を掴んでくれた竜姫さんを引き上げながら、俺は苦笑いを返すしかない。


 本当のお人好しだったら、もっと相手の気持ちを尊重するものだろう。俺はただ、俺の勝手な意見で、彼女たちの決意を踏み潰したにすぎない。


 だからこれは、ただの悪い男でしかない、俺のエゴなのだ。


「まっ、これからはもっと、あなたの婚約者を頼ってくださいってことで」

「あっ……、はい!」


 俺の軽口で、やっと本当の笑顔を見せてくれた竜姫さんに、ほっとする。やっぱり彼女には、さっきまでの深刻そうな顔より、こういうまぶしい表情が、よく似合う。


「……それで、これから貴様は、どうするつもりだ?」


 なにかを諦めたのか、もしくは、正しく折り合いをつけたのか、なんだか憑き物が落ちたような顔をしている朱天さんが、自らの主の隣に並んでいる俺に、少しだけ優しい口調で問いかける。


 なるほど、それにはやはり、ちゃんと答えなければいけないだろう。


 俺の考えを。

 俺の決意を。

 俺の覚悟を。

 俺のエゴを。


 誰よりもまず、この二人に。


「そんなの、決まってるじゃないですか」


 長い長い夜は明け、新しい朝日が俺たちを……、俺たちの街を照らす。


 それは、なんだか感動的で、少しだけ、誰かに誇りたくなるような光景だ。


「王の帰還は、ド派手に決めないとね」


 自分勝手な野望を抱いた俺の心は、なんだか晴れ晴れと、み渡っていた。

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