2-8


 状況の変化は、いつだって突然だ。


「うちから緊急通信なんて、なにかあったんでしょうか?」


 乱れた着物を整えて、シンプルだが美しい道中着どうちゅうぎを、上品に羽織った竜姫たつきさんが、静々と歩きながら、不思議そうに小首をかしげている。


「きっと、姫様がいないので、向こうも大変なのでしょう! まったく、あいつらも情けないったらありません!」


 言葉は厳しいが、朱天しゅてんさんは喜びを隠そうともせず、満面の笑顔を浮かべている。どうやら、自らの主の危機的状況が回避されたことが嬉しいらしく、今はぴったりと竜姫さんの横に並んで、俺を近づけないように警戒している様子だ。


 まあ、それはいいのだが……。


「はあ、この後どうしよう……」


 俺の口から小さく漏れてしまった不安は、実際、かなり切実な問題だった。後ろをついて歩く二人には、どうやら聞かれなかったことだけは、幸いだけど。


 とはいえ、それは別に、八咫竜やたりゅうからの緊急通信が気になって、今後が不安になったとか、そういう問題ではない。というか、今は正直、そんなことはどうでもいい。


 俺が気に病んでいるのは、祖父ロボに呼ばれたからと、うのていで逃げ出し、あの仮眠室に置き去りにしてきた、みんなのことである。


 ああ、絶対に怒ってる……、どうやって説明すればいいんだ……。


 なんて、嘆いてみたところで、現実が変わるわけでもない。そもそも、全ての原因は俺にあるのだから、結局は不誠実な対応が招いた、自業自得でしかないのだ。


 ここはやはり、覚悟を決めて、みんなには正直に話すしかない。いや、ちゃんと向き合って話をすれば、分かってもらえるとは思うのだが、問題は、その後だ……。


 俺、生きて帰れるのかな……?


「あっ、ここです」


 脳内で色々と、これから自分が払うべき代償について考えていると、あっという間に目的地に到着してしまった。俺は後ろの二人を引き連れて、このヴァイスインペリアル地下前線基地の通信室へと、足を踏み入れる。


「おう、待っとったぞ、統斗。八咫竜のお二人さんもな」


 俺たちを出迎えてくれたのは、巨大なモニター前にたたずむ祖父ロボだった。この通信室は、かなり広めのスペースを取ってあるのだが、他に人の気配はない。いつもは常時、誰かしら通信担当がいるはずなので、どうやら、人払いでもしたようだ。


 つまり、それだけ内密で、重要な案件である、ということか。


「それじゃ、相手を待たせてるでな、さっさと保留を解除するから、詳しい話は、そっちとしとくれ」


 挨拶もそこそこに、祖父ロボは、竜姫さんと朱天さんをモニターの前に立つようにうながすと、自分は下がってしまう。


 その様子を見ながら、俺もとりあえず、二人からは一歩引いて、その場で待機することにした。なんというか、八咫竜の内部事情とか、全然知らないから、下手に口出しもできないし。


 などと、俺が消極的なことを考えてるうちに、どうやら通信が繋がったようだ。


『……ようやくか、随分と、待たせてくれたな』


 待機状態だったモニターに映し出されたのは、黒い和風の装束を、几帳面に着込んだ男だった。年齢は、おおよそ三十代のどこかといったくらいか、顔の造形は整っているが、精悍せいかんというよりは、陰気な印象が強い、そんな男だ。


「……黒縄こくじょう、なにかありましたか?」

『これは姫様、お元気そうで、なによりです……』


 自分たちのおさであるはずの、竜姫さんに対する態度から見ても、あの黒縄と呼ばれた男は、かなりの地位にいる人間……、おそらく幹部であろうと推測できる。


 推測できるのだが……、なんだろうか、微妙に不穏ふおんというか、不遜ふそんな空気を感じてしまう。簡単に言ってしまうと、キナ臭い。


『いえ、特に大きな問題が起きたわけでは、ないのですがね……』


 夜中に緊急通信までして、上司に報告を行っているというのに、薄い笑みを浮かべている黒縄の態度は、無礼であるとすら言ってもいいだろう。俺と同じような印象を抱いたのか、朱天さんの機嫌が、みるみる悪くなっていくのが分かる。


『ただ、今回はどうしても、姫様のお耳に入れておきたいことがありまして』


 内心の喜びを隠しきれないのか、黒縄の口角は不気味につり上がっている。あくまで俺の主観になるが、どうにも不愉快な表情だ。少なくとも、自らのあるじに対して、見せるような顔ではない。


 あれは、目の前の相手を見下し、さげすんでいる顔つきだ。


『先ほど、八岐衆やまたしゅうによる緊急会合が行われまして、ある重要な決議が採択されましたので、ご報告を……』

「……なんだと?」


 八岐衆というのは、確か……、八咫竜の最高幹部たちの役職名だったはずだ。竜姫さんの隣で、黒縄に対して訝し気な表情を浮かべている朱天さんも、その一員だったはずなのだが……、どうやら、彼女はなにも知らないらしい。


 なるほど、ね。


 そして、もはや得意満面な表情を隠そうともせず、黒縄と呼ばれた、八咫竜の中でも高い地位にいるらしい男は、暗い喜びに満ちた顔で、ようやく本題を口にする。


『我々、八咫竜は、組織の総意として、ヴァイスインペリアルの総統を、我らの新たな主として、認めない』


 偉そうにふんぞり返っている黒縄から飛び出したのは、彼らの長であるはずの竜姫さんから、これまで俺たちに提案されてきた内容とは、真逆の話だった。


 とはいえ、俺には特に驚きはない。正直、あのいけ好かない黒縄のにやけ顔を見た瞬間から、大体こうなるだろうことは、予測が付いていた。


 まあ、あそこまで露骨に、主君に対する反意をあらわにするとは、思わなかったけれども。どうやら、もう全ての根回しは済んでいる……、といったところか。


「なっ! ど、どういうことですか、黒縄!」

「おい、貴様! そのことについては、姫様が山を出るとお決めになった時に、散々話し合っただろうが!」


 狼狽ろうばいしている竜姫さんと、激昂げきこうしている朱天さんを眺めながら、モニターに映し出された黒縄は、満足気な表情を浮かべている。


 やっぱり、あんまりいい性格はしてないな、あの男。


『ああ、確かに話し合ったな、朱天。だが、確かに我らはあの時、姫様の時代錯誤な御意見に反対しなかった。しかし、賛成もしていないのだよ』


 まるで子供みたいな屁理屈を、改心の一手みたいに誇りながら、黒縄は薄気味悪く笑っている。どうやら、自分の思い通りに事が運んで、喜びを抑えきれないようだ。


 俺としては、むしろその様子に、笑ってしまいそうなのだが。


『その後、協議に協議を重ねた結果、つい先ほど、我らは姫様の主張を却下することとし、それに伴い、巫女に与えられていた八咫竜の指揮権を凍結、以降は、八岐衆を率いるいちくび……、この私が、代わって指揮を執ることで、合意した』


 なんだか専門用語が多いが、要するに、八咫竜内で謀反むほんが起きて、竜姫さんがその立場から、引きずり降ろされた、ということだろう。


「ふざけるな! 八岐衆の合意だと! そんなもの、自分は知らんぞ! 貴様ら、姫様の決意と御覚悟を、一体なんだと……!」


 どうやら、なにも知らなかったらしい朱天さんが、怒りもあらわに、余裕の黒縄に食って掛かる。なるほど、どうやら彼女は、本心から竜姫さんの味方らしい。


 それが分かれば、俺にとっては十分だった。


『お前は知らなくても、もうすでに決まったことだ』


 黒縄の余裕は、おそらく奴の後ろに控えている、六つの人影のせいだろう。向こうの照明が薄暗いために、その全容はよく見えないが、これだけ重大な話をしている現場に居合わせているのだから、ただの構成員ということもないはずだ。


 後ろの六人に、まるでそれを従えるように偉そうにしている黒縄、それに朱天さんを加えて、合計八人……、つまりは、これが八岐衆か。


 しかし、どうやらあの様子を見るに、朱天さん以外の八咫竜における最高幹部の皆さんは、黒縄の謀反に同調しているようだ。


 これは、竜姫さんにとっては、随分と辛い状況だろう。


「……なぜですか、黒縄! 剣に選ばれし主を迎えるのは、私たちの悲願……!」

『その考えが、もう古いということですよ、姫様』


 気丈にも、裏切り者たちを真っ直ぐに見据える竜姫さんを、黒縄はまるで子供でもあしらうかのように、嘆息して制する。


 その様子は、俺からしてみれば、不快の極みだ。

 ああ、まったく気に食わない。


『長い長い時を経て、時代は移ろい、我々の在り方も変化したのです。いつまでも、古臭い思想や慣習に縛られることなく、新たな広い視点で……』

「……ぷっ、は、ははっ、はーっはっはっは、いやいや、マジで降参! もうやめてくれって! 本当に、腹がよじれて死んじゃうよ!」


 もうそろそろいいだろうと、目立つように思い切り笑いながら前に出た俺に、いい気分になっていたであろう黒縄が、片眉を上げて不機嫌そうな顔をする。


 どうやら、自分の独壇場を邪魔されて、気分を害したようだが、これだけ分かりやすいリアクションを取ってくれるなら、色々とやりやすそうだ。


『誰だ……、貴様は』

「ああ、そういえば、あんたに素顔を見せるのは、初めてか」


 確か、八岐衆の面々には、彼らの本拠地である西国さいごく龍剣山りゅうけんざんにて、チラリと顔を合わせたような気もするのだが、その時は、俺はシュバルカイザーとして、カイザースーツを装着していたんだった。


 これは、きちんと挨拶しないとな。


「このヴァイスインペリアルの総統をやってる、十文字じゅうもんじ統斗だ。まあ、せいぜい敬意を払ってくれよ、えーっと、八咫竜代表代行さん?」

『……チッ』


 俺の露骨な挑発に、黒縄は不愉快そうに顔を歪めと、まるで唾でも吐き捨てるかのように、耳障りな舌打ちをしてみせる。


 まあ、こちらの期待通りの反応といえるだろう。


『……それで、そちらの総統殿は、一体なにが可笑しいのかね?』

「いや、そりゃ笑うだろう。あんなに無様ぶざまな言い訳を、長々と聞かされたらさ」


 必死に冷静さを取り繕おうとしているが、黒縄の唇は震え、こめかみは引きつっている。どうやら、怒りを押し込めてまで、外面を保とうとしているようだ。自尊心が強いのだろうか? まったく、やりやすい。


『……言い訳だと?』

「ああ、他人事ながら、本当に情けなくって、涙が出そうだよ」


 こちらが適当に煽るだけで、黒縄の顔は紅潮し、瞳孔も揺れ始めている。

 まあ、大体こんなもんだろう。


「もっと素直に言えばいいだろ? 私は自分が天下を取りたくて、仕えるべき主君を裏切ったんです! ってさ?」


 こちらが核心をついた途端、陰気な黒縄の表情が強張り、こちらを睨むと同時に、奥歯を噛み締めている。


 あれで組織のトップに立とうというのなら、本当にお笑い草だ。


「それだけの話を、自分の意見が正しくて、そっちが間違っているのが悪い? 子供の言い訳じゃないんだからさ、やめてくれよ。恥ずかしいったらありゃしない」


 さて、それでは黒縄には、せいぜい怒っていただいて、俺のことを嫌ってもらうとしましょうか。


 今度また会ったとき、奴が冷静でいられなくなるくらいには。


『……黙れ! 貴様になにが』

「そもそもさ、我々の在り方が変化した? 新たな広い視点? そんなに思うところがあるなら、竜姫さんを送り出す前に、ちゃんと自分の意見を言えよ。何度も何度も話し合いを重ねたんだろ? なんだ? あんたは今後の組織の行く末を決める、大事な大事な会議のたびに、居眠りでもしてたのかい?」


 遂に怒りの余り、声を荒げた黒縄を遮って、俺は怒涛のように、言いたいことだけ言ってしまう。まあ、こんな簡単に図星をつかれるような、稚拙な言い訳が悪いってことである。


『ぐ、ぐううう……!』

「要するに、あんたは自分の意見に賛同しそうもない二人を追い出した後に、組織の原点であるはずの思想すらゴミみたいに捨てて、自分が利権を握ろうと、色々と小狡こずるく立ち回っただけだろ? それをまあ、まるで自分が正しいみたいに、胸まで張って偉そうにって、そりゃ笑うっての! はははっ!」


 反論できないのか、悔しそうに呻き声を上げる黒縄を、さらに追い詰めるために、俺はわざとあざけり、わらう。


 よし、どうせだから、もう少し頑張っておこう。


「ああ、勘違いするなよ? 俺は別に、あんたが……、というか、あんたたち八岐衆とやらが、従うべき竜姫さんを裏切ったことを、責めてるわけじゃない」


 わざとあおる対象を増やしてみたのだが、効果はバッチリのようだ。黒縄の後ろに並んでいる面々からも、俺に対する怒気を感じる。


 とはいえ、実はこれは、ただ相手を馬鹿にするために、適当なことを言っているわけではない。単純に、俺自身が思っていることを、そのまま口にしているだけだ。


 俺たちは、悪の組織の人間として生きている。


 それならば、自らの目的のために、どんな汚い手段でも使うべきだし、正義の味方ならともかく、同じ穴のむじなである俺たちが、それをとがめる理由もないだろう。


 無法をかかげるのならば、自らがその無法にさらされ、地の底にまで叩き落とされる覚悟もまた、持つべきなのだ。 


 だから、俺は本当に、黒縄のしたことを責める気はないし、その必要も感じない。


「ただ、自分はやりたいことをしただけだと言えばいいのに、それより先に正当性を主張するなんて、あまりに器が小さいと思ったからさ!」


 もっと単純に、まったく悪の組織らしくない、しょうもない言い訳なんてしている黒縄たちの態度が、気に入らないというだけで。


「そりゃ、そんな器の小ささじゃ、新たな王を決めるという神剣も、抜けるわけないよなって、妙に納得しちゃってさ! ……ああ、なるほど、そのコンプレックスが、

あんたたちの原動力ってわけだ。それはまた、ご苦労なことで!」


 おっと、どうやらこの煽りは、クリティカルヒットだったようだ。モニターの向こうからでも、八岐衆全員から、分かりやすい怒気が立ち上ったのが分かる。


 まったく、封印されている剣を抜いた人間が長になるなんて、古臭い考えだといいながら、どうにも本人たちは、それを気にしているらしいというのだから、なんたる自己矛盾だろうか。もしくは、分かっていて、わざと目を背けているのか。


 どちらにせよ、健全な精神状態とは、言い難いだろう。


『……どうやら、そちらの総統とやらは、礼儀を弁えていないようだな!』

「まさか、ただ敬意を払うべき相手と、そうじゃない奴の区別はつくってだけさ」


 あんなに体裁を保とうとしていたのに、今や語気まで荒げだした黒縄に、俺は笑いを堪えることができない。よしよし、成果は十分のようだな。 


『……こちらからの通信は、以上だ! 姫様、それに朱天! 我らの決定に異議があるならば、今すぐ龍剣山まで、戻ってくるがいい!』


 最後に、言いたいことだけ吐き捨てて、黒縄はさっさと通信を切ってしまった。

 あの様子だと、この後大分荒れるだろうな。向こうの人たちは、ご愁傷さまだ。


「なんじゃ、統斗。おぬし、また随分と、楽しそうじゃのう」

「そう言うじいちゃんこそ、笑顔が隠しきれてないぞ」


 面倒なやからの相手を終えて、静寂を取り戻した通信室にて、俺と祖父ロボは、おそらく似たような表情で、笑い合う。どうやら、俺たち二人の考えは、同じのようだ。


 そう、こうなればもう、やる事なんて決まっている。


「…………」

「…………」


 あちらで意気消沈している竜姫さんと、その隣で悔しそうに唇を噛んでいる朱天さんには悪いが、俺の心は、すっきりと晴れ渡っていた。


 もはや、なんの憂いも、気負いもない。


 ここからは……。


「さて、と……」


 俺は悪の総統らしく、やりたいことを、やりたいように、やるだけだ。


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