2-5


「うむ、統斗すみと。おぬし、あの八咫竜やたりゅうのお嬢さんと、婚約しろ」


 それはまったく、予想通りの提案だった。



 執務室に入った途端、部屋の中央で偉そうにふんぞり返っている祖父ロボから告げられた申し出に、俺は驚くこともない。


 理由は簡単。今の俺たちに、八咫竜と組んで損をすることなど、何一つとして存在しないからだ。


 いや、悪の組織同士が手を組もうというのだから、本来だったらもっとギスギスとした、ギリギリの話し合いを繰り返した上で、互いに少しでも相手を出し抜こうと、考えるのもおぞましい足の引っ張り合いが起こってしかるべきなのだが、今回は違う。


 向こうから提示されたのは、無条件で八咫竜に関する全ての指揮権を、この俺に引き渡すという破格の……、というか、異常な話だった。もしこれが本当だというのならば、断る理由なんて、あるわけがない。組織規模を大幅に縮小してしまったヴァイスインペリアルが、この国最大の悪の組織である八咫竜を丸々頂けるなんて、これほど都合のいいことも、そうそうないだろう。


 ……そう、今回の件は、こちらにだけ、都合が良すぎる。


 だから俺たちは、先日その場での解答を避け、冷静に状況を確認してから、こうして皆で集まって、意見を出し合うことになっていた。



「まあ、そうなるよな……」


 そして、冷静に考えた結果、残念なことに、俺も祖父ロボと同意見だ。


 この美味しすぎる同盟話に、裏がないと思えという方が無茶だろうが、それを確かめるためには、情報が足りないのだ。相手のトップがこちらに来ている以上、それを飛び越して、直接八咫竜の本拠地に話を聞くというわけにもいかないし、そもそも、そんな便利なパイプを、ヴァイスインペリアルは持っていない。


 そうなるとやはり、相手の提案を受けいれつつ、こちらが罠にはまらないように、細心の注意を払いながら、事の真偽を確かめるしかないだろう。


 しかし、それこそがまさに、俺を憂鬱にする原因だった。


 組織のために、自らの結婚まで利用することが……、ではない。俺の倫理観も大分マヒしてきたようで、そのこと自体には、特に思うところはない。結婚というものがどんなものか、リアルにイメージできていないだけ、なのかもしれないけど。


 俺が本当に憂鬱なのは、そういった思惑によって、まるで八咫竜のおさを、竜姫たつきさんを騙す様な格好になることの方だ。


 なんというか、いきなり俺に嫁入りするなんて、無茶苦茶なことを言ってきたのは彼女の方なのだが、それでも、短い間ではあったけど、これまで竜姫さんが見せてくれた笑顔を思い浮かべれば、それを裏切ることになるかもしれないなんて、考えただけで胸が苦しい……。


 ああ、いっそのこと、竜姫さんがとんでもない悪女とかだったらいいのに……。


「あら、随分と浮かない顔ね? 大丈夫よ、みんなには、ちゃんと説明すれば」


 祖父ロボと共に、この部屋で俺のことを待っていた母さんは、なんだか楽しそうに微笑んでいる。


 そ、そうなんだよなぁ……、それもまた、大きな問題というか、俺の憂鬱が膨らんでいる原因の一つなんだよなぁ……。


 それは単純に、けいさんを、千尋ちひろさんを、マリーさんを、桃花ももかを、火凜かりんを、あおいさんを、樹里じゅり先輩を、ひかりを、みんなを裏切ってしまうことになるのではないかという不安が、あるのは……、事実、なんだけど……。


 それ以上に、とんでもない騒ぎというか、血で血を洗う暴動が、巻き起こるのではないかという予感が、俺の背筋を凍らせている感は、否めなかったりする。


 とはいえ、俺も悪の総統の端くれとして、いつまでも情に流されてばかりいるわけにもいかない。生き残るためには、なんだってしないと。


「……まあ、みんなに折を見て、俺から話すよ」

「ほう……、意外と覚悟は決まってるようだな」


 母さんと並んで、そして祖父ロボからは距離を取るようにして、なにやら感心したようなことを言ってくれたのは、俺の親父だ。


 なんというか、悪の組織の秘密会議というよりは、ただの家族会議みたいになってしまっているが、これが俺の家族なのだから、仕方ない。


「それじゃ、次はどうする?」

「お前がオーケーなら、さっさと話を進めた方がええの。さっそく八咫竜の二人に連絡を入れて、これから会談を行うぞ」


 俺の了承を受けて、祖父ロボが素早く次の段取りに移る。そう、やるべきことが決まったのなら、行動は早いがいい。


 兵は神速をたっとぶというが、相手の思惑がどうであろうと、臨機応変に対応するためには、まずこちらから動くことが肝要だ。


 まず、もしも相手がこちらを騙そうとしているのなら、向こうに付け入る隙を与えるべきではない。ちゃぶ台を返すなら、ギリギリまで敵の思惑に乗って、最後の最後にいきなりというのが、ベターだろう。


 そして、その逆……、竜姫さんが言っていたことが全て真実だった場合も、相手を無駄に焦らすべきではない。本当に俺という存在が、八咫竜にとって遥か遥か昔から待ち望んだものだったとしたら、下手に断ったりすれば、なにか強行的な手段に出られてしまう可能性もある。


 どちらにせよ、少なくとも今は、相手の提案に乗っておくのが、得策なのだ。


「よーし、やりますか!」 


 さて、いつまでも憂鬱だ、憂鬱だ、なんて言ってられない。俺は悪の総統で、この組織のトップに立つ者なのだから、


 こうなったら、全力で頑張らないとな!




「まあ! 本当ですか! とっても嬉しいです!」


 そして、俺が特に頑張る必要もなく、前回と同じ会議室にて、そちらの提案を受け入れますよと話しただけで、前回と同じ場所で、同じように座っていた竜姫さんは、喜びを隠すことなく、最高の笑顔を浮かべてくれた。


 ……いやあ、これが全部、俺たちを騙すための演技ですなんて言われたら、女性が恐いを通り越して、人間不信になってしまいそうだ……。


「……っ!」


 本当に、竜姫さんの後ろで、直立不動を貫いている朱天しゅてんさんのように、まさに鬼のような形相で睨まれた方が、まだ気が楽な気分である。


 ……まあ、それもそれで問題なんだけど。いや本当に、どうしてそちらからの提案を受けいれただけで、そんなゴミ虫でも見るような目をするんですか?


「え、えーっとですね、なんでしたら、結婚とか、婚約とか抜きにしても、そちらの申し出を受け入れてもよろしいのですが……」

「そんな、お願いします! どうか私と一緒になってください! 新たな王と契りを結び、二度と途切れない血縁となるのは、我らの悲願なのですから!」


 なるべく穏便に話を進めようとしてみたのだが、竜姫さんの様子を見るに、どうやら難しそうだ。そもそも婚姻関係を結ぶという話は、八咫竜側から持ち出されたものなのだが、そこには俺たちの信頼を得ようとする意図以上のものを感じる。


 それは少なくとも、竜姫さんからは、という意味でだが。


「わ、分かりました……。それでは、その、よろしくお願いします、竜姫さん」

「はい、こちらこそ、よろしくお願い致します」


 嬉しそうに微笑みながら、深々と頭を下げる彼女の姿を見てしまうと、どうしても良心が痛むというか、胸が苦しい。やっぱり俺は、悪人なのだ……。


「そうだ! 統斗さまは、和装と洋装、どちらがお好きですか?」

「えっ? あの、それは、もしかして、花嫁衣裳的な意味でしょうか?」

「はい。ふふっ、これから一緒に、色んなことを決めていきましょうね?」


 ああ、なんて眩しい笑顔……!


 そ、そうだな……、ウエディングドレスは捨てがたいけど、竜姫さんは着物が良く似合ってるし、白無垢がいいんじゃないかな。というか、最高なんじゃないかな。


 うーん、なんだかさっきとは別の意味で胸が苦しいというか、ドキドキしてきた!


「…………チッ!」


 ……はっ! いかんいかん! 俺が浮かれてどうするんだ! 朱天さんの舌打ちのおかげで、正気に戻れたぜ!


「それではまず、式の日取りは、いかがいたしましょうか?」

「まあまあ、そんなに話を急ぐのは、よくないと思うわよ?」


 俺なんかよりも確実に冷静である母さんが、ズルズルと進んでしまいそうだった話に待ったをかけてくれた。


 危ない、危ない、いきなり相手に主導権を握られて、どうするんだ。


「……そうだな。今はまだ婚約までで、実際に婚姻関係を結ぶのは、もう少し確実な協力関係を築けてからの方がいいだろう」


 いつもはなにを考えてるんだか分からない親父の不愛想さも、こういう時にはなんだか頼もしく見えるのだから、不思議である。


 一応、息子の結婚話ということで、俺の両親にも同席してもらったのだが、やはり正解だったようだ。


「あっ、そ、そうですよね……。すいません、はしゃいでしまって……」

「いやいや、なんといっても、めでたい話じゃからの。そちらさんが興奮する気持ちも分かるわい。それでは、そのめでたき日を迎えるためにも、次はみんなで、なにをしましょうかの?」


 こちらは好々爺を気取った祖父ロボが、しゅんとしてしまった竜姫さんをフォローしながら、相手に探りを入れている。うーん、老獪ろうかいだ。俺も見習わなくては。


「そうですね……、まずは統斗様に、私たちの本部である龍剣山りゅうけんざんまでお越しいただきまして、皆の前で、天叢雲剣あまのむらくものつるぎを抜いていただければと……」


 なるほど、確かに。


 それを抜いた者があるじになるという、とんでもない剣を手にしたのが、まったくの部外者である俺だなんて、言葉でいくら伝えられたところで、八咫竜の人間全てを納得させのは、難しいだろう。


 やはり、こういうことはドラマチックに、大々的に演出しなければならないのだ。王の帰還だろうと、英雄の凱旋だろうと、それを見る者がいなければ、意味はない。


 というか、肝心の俺が初めて天叢雲剣を手にした時なんて、それを直接見たのは、竜姫さんと朱天さんに、後はお付きの構成員が数名程度で、そもそも劇的に引き抜くどころか、剣の方から忠犬のように飛びつかれるという体たらくだったのだ。


 ここは一度、誰の目から見ても明らかなように、派手に決めるべきか。


「そうすると、俺はここから離れることになるな……」


 確かに、八咫竜との同盟という重要な案件のためには、それは必要なことだろう。


 しかし、うちの組織の現状を考えると、俺への随員ずいいんとして、それほど多くの人材を割くわけにもいかない。八咫竜の本拠地はこの国の西方に位置するため、うちの本部とは、かなり距離が離れてしまう。


 契さんには、組織を立て直すための事務を任せてあるし、千尋さんには、復興作業における現場指揮をしてもらっているし、マリーさんには、技術的な問題点を解決するために、頑張ってもらっている。


 桃花たちエビルセイヴァーも、貴重な戦力だ。周囲を敵に囲まれている以上、余程の理由がない限りは、防衛に力を注いでもらいたい。


 かといって、ぞろぞろと一般戦闘員たちを引き連れて歩くのは、悪い意味で目立ちすぎてしまう。大名行列じゃないのだから、情勢が不安定な今は、無駄な戦いを避けるためにも、竜姫さんと朱天さんのように、少数精鋭が理想か。


 となれば……、そうだな、怪人三人組辺りが、適任だろうか。


 ローズさんは頼りになるし、残り二名も、いざとなったら弾除けか、使い捨ての囮くらいにはなるだろう。うん、それがいい。


「よし、それじゃ……」


 なんて、俺が総統としての存在感をアピールするため、自分の意見を口にしようとした、その時だった。

 

『緊急入電! 緊急入電! 防衛ラインに侵入者! 敵性悪の組織です!』


 突然、周辺の監視と警戒を担当していた戦闘員からの報告が、この会議室に備え付けられていたスピーカーから、鳴り響く。


 どうやら、折角のめでたい席に、邪魔が入ったようだ。


「敵の数は、どんなもんじゃ?」

『超常者らしき人影が二つ、怪人が六体……、戦闘員がおよそ二十!』


 流石はロボットというべきか、我が組織のあらゆる回線と、常に繋がっている祖父ロボは、対応が早い。


 しかし、どうやら今回の相手は、それほど大したものでもなさそうだ。


「その程度だったら、すぐに終わるな。俺と……、後はさっき休憩室にいた怪人たちだけで十分だから、みんなには、自分の仕事をしててもらってくれ」


 おそらく、俺だけでも十分だとは思うが、打ち漏らしがあっても面倒だ。最低限の人数は揃えておいた方が、無難だろう。


「ちょ、ちょっと待て!」

「はい? どうかしましたか?」


 それまで一言も発しなかった朱天さんが、声を荒げて俺を制する。


 なんだろうか? なにか問題でもあっただろうか?


「ひ、姫様との会談中に、いきなり席を立とうとするとは、何事か!」


 ああ、そうか、そういうことか。


「確かに、不躾ぶしつけな態度になってしまうが、どうか許していただきたい。申し訳ないけれど、俺はヴァイスインペリアルの総統なんだ。この組織にとって、常に最善を尽くす義務がある」


 八咫竜の二人には悪いが、それが俺にとっての、最優先事項だ。


 確かに同盟は大事だが、それにばかり気を取られて、相手の機嫌を常に気にするような太鼓持ちになんて、なるつもりはない。そこだけは、譲ってはならない。


 俺たちは、誇り高き悪の組織なのだから。 


「なに、すぐに終わるから、お茶でも飲んで待ってて……」

「いえ、それには及びません」


 しかし、俺にそんな無礼な振る舞いをされたというのに、竜姫さんはなぜか、美しい微笑みを浮かべている。


 そして、本当に素晴らしい笑顔で、こう続けた。


「なぜなら、私もお供しますから」

「……えっ?」

「ひ、姫!」


 主君からの突然すぎる宣言に、護衛役である朱天さんが驚いた声を上げたが、俺もまったく同意見だ。


 いきなり、なにを言い出してるんですか? このお人は?


「えーっと……、なんで?」

「それはもちろん、夫を支えるのが、妻の役目ですから」



 どう見ても、心の底から、嬉しそうに笑っている竜姫さんの、その無邪気な瞳は、どこまでもどこまでも、本気なのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る