1-8


「おじゃましま~す……」


 再び魔術と命気プラーナが使えるようになってから数日後のこと、俺はある人物に呼び出され、この前の作戦で占拠に成功した正義の味方の秘密基地……、この街にある本庁舎にやってきていた。


 外観はかなりモダンで、歴史を感じさせる建物なのだが、その地下には最新設備を揃えに揃えた基地施設が存在するという、男の子なら憧れること間違いなしの造りになっているのだが、最近の俺は、そんな金を地下にかけるなら、オンボロすぎる地上の職場も、なんとかした方がよかったのではないかとか、考えてしまう。


 悪戦苦闘しながら、自分たちが働きやすいようにと四苦八苦している、うちの構成員たちの姿を見てしまうと、特に。


 ともあれ、正義の味方が使っていた施設を、俺たち悪の組織が安全に利用できるようにするための改修は、順調に進んでいることだし、職場環境の改善は、今後に期待することにしよう。


 俺は頑張って作業してくれている構成員たちにねぎらいの挨拶をしながら、本日の目的地である秘密の地下基地へと向かい、その奥に存在する妙に厳重な扉を開ける。


 そこは、正義の味方や国家こっか守護庁しゅごちょうの職員のために、武器や防具などの兵装を開発するためのラボラトリーらしいのだが、なんだか非常に近未来的な印象の、かなり広めな施設だった。


 そして、まるでこの場所の主のように、部屋の中央で悠然とたたずむ女が一人……。


「いらっしゃ~い。待ってたわよ~」


 才円さいえんマリー。我らが悪の組織、ヴァイスインペリアルの開発部主任にして、最高幹部でもある才女……、そして、今回俺のことを呼び出した張本人である。


「こんにちは、マリーさん。それで、急に呼び出したりして、どうしたんです?」

「うふふ~、まあまあ~、そんなに話を急がなくても~、いいじゃない~」


 様々な実験器具が並ぶ、いかにもな研究施設には、マリーさんの真っ白な白衣姿がよく馴染んでいた。少しずれていたメガネをかけ直しながら、笑顔で手招きしている彼女に誘われるように、俺は科学者のテリトリーへと、足を踏み入れる。


「聞いたわよ~。けいちゃんと千尋ちひろちゃんに~、色々シゴかれたんですって~?」

「ちょ、ちょっと、やめてくださいよ!」


 すぐ側まで近づいた俺に、いきなり抱きついてきたマリーさんを、咄嗟に受け止めたのはいいけれど、意地悪な笑顔を浮かべつつ、こちらの微妙な部分に伸びてくる彼女の魔手を避けるのは、体勢的にも難しいが、不可能ではない。


「それに~、マジカル……、じゃなくて~、エビルセイヴァーの子たちも~、その楽しい集まりに~、参加してたって~、聞いたわよ~」


 俺の弱点を握ることは諦めたのか、今度はしっかりと、こちらの背中に両手を回して密着してきたマリーさんが、熱い吐息と共に、囁いた。


「もう~、統斗すみとちゃんったら~、ドスケベなんだから~」

「ドスケベって……」


 いや、それを否定することは、できないかもしれないけども! 


 それでも、魔術も命気も再び使えるようになったことだし、その後の特訓は真面目に頑張っているので、どうか許して欲しいのですが……。


「もう~、そんなにえっちなことして欲しいなら~、いつでもワタシに言ってくれればいいのに~」


 やめてください、マリーさん。そんな艶っぽく身体を押し付けながら、俺の耳を舐めないでください。命気が溢れてしまいます。


「って、話が脇道にれすぎてませんか!」

「あん! 統斗ちゃんのいけず~」


 流石にこれ以上は不味いと、強引に引き剥がしたマリーさんが、唇を尖らせて拗ねて見せるが、目は笑っている。どうやら、冗談だったようだ。


「まあ~、お楽しみは後にとっておくとして~、先にお仕事ね~」

「お、お願いします……」


 なんだかいきなり疲れてしまった俺は、近くの椅子に腰を下ろして、マリーさんからの報告を聞くことにする。ふう、やれやれ……。


「この基地の改修は~、順調に進んでるわ~。進捗しんちょく状況は~、全体の八割が完了ってところね~。国家守護庁も撤退するときに~、重要な機密や施設を破壊する程度の知恵はあったみたいだけど~、詰めが甘かったわね~。それでも基本的な機能を復旧するだけなら~、簡単だったわ~」


 まずは朗報が聞けて、俺はほっと胸を撫で下ろす。


 どうやら、正義の味方側からしても、今回のマジカルセイヴァーの裏切りは想定外だったようで、基地の撤収も中途半端だったようだ。


 こちらとしては、本当にありがたい話である。


「流石に~、ここから国家守護庁の主要な別施設や~。情報にアクセスとかはできないけど~、それ以外の機能なら~、問題なく使えるわ~。トラップも結構設置されてたけど~、物理的にも電子的にも~、全部解除したし~」


 つまり、この基地を利用して、国家守護庁の内情や動向を探るようなことはできないが、普通に使う分には問題ないということか。


 だったら十分だ。少なくとも、あの瓦礫の山に埋もれているプレハブ小屋よりは、上等すぎるほどに上等だろう。


「というわけで~、早速~、動かせるところから動かして~、基地機能の移転と~、装備の開発と供給を進めてるから~、もう少ししたら~、色々楽になると思うわ~」

「おお……! そいつはよかった!」


 どうやら、どん詰まりに思えた状況にも、徐々に光明が見えてきたようだ。思わず喜びの声を上げてしまった俺に、マリーさんが微笑みかける。


「うふふ~、統斗ちゃんに喜んでもらおうと思って~、頑張ったのよ~?」

「ありがとうございます! 本当に、マリーさんは最高ですよ!」


 この基地を正義の味方から奪取して、まだ数日しか経っていないというのに、もう再利用の目途めどが立ったのは、ひとえにマリーさんの手腕によるところが大きい、一見ボーっとして見えるが、この人の仕事は早く、正確なのだ。


「えへへ~、どういたしまして~」


 多少暴走するクセはあるけれど、こうして俺の心からの称賛に、素直に照れている彼女は、非常に可愛らしく、魅力的だった。


「それじゃ~、業務連絡はこれでおしま~い! それでそれで~! ここからが~、今日の本題ね~!」


 喜びに満ちたマリーさんが、さらにテンションを上げながら、張り切っている。


 これまでの経験から、なんだか微妙に嫌な予感はするが、ここまで来たら彼女の労をねぎらう意味でも、付き合ってあげるのが道理だろう。


「ではでは~、本日のゲストさんの登場で~す!」

「ゲ、ゲスト……?」


 ある程度の覚悟はしていたはずなのに、かなり予想外の展開に動揺してしまった俺の目の前で、まるでテレビ番組の司会者のように、マリーさんが指差したのは、このラボの奥にある扉だった。


「ど、どうも~……、え、えっと、ゲストの桜田さくらだ桃花ももかで~す……」

黄村きむらひかりちゃん登場! ほら統斗! 泣いて喜びなさい!」


 音もなくスライドし、実にタイミング良く開いたその扉から出てきたのは、どちらも俺のよく知る女の子だった。


 ただ、二人共その格好は予想外というか、まだ俺のよく知らない姿だったけど。


「え、えーっと、どうして二人共、エビルセイヴァーの戦闘コスチュームを?」


 そう、なんだかモジモジと恥ずかしそうにしている桃花は。エビルピンク。

 そして、なぜだか堂々と仁王立ちしているひかりは、エビルイエロー。


 二人はなぜか、この俺こと悪の総統、シュバルカイザー親衛隊として用意された、戦うための新たな姿となっていた。


 うーん……、ゲストとか呼んでる時点で、割と展開が読めないんだけど、これから戦闘訓練でもするのだろうか?


「あ~、それは~、ワタシが頼んだの~」


 そんな俺の疑問に答えてくれたマリーさんは、なんだかひどく楽しそうだった。


「エビルセイヴァーのコスチュームは~、マジカルセイヴァーの装備を元にしてあるから~、ここの施設を使って~、再調整してたんだけど~、色々と手伝ってもらおうと思って~、そのまま来てもらったの~」


 なるほど……、と一瞬納得しかけたが、まず手伝いって、一体なにをさせるつもりなのか分からないし、そもそもエビルセイヴァーのコスチュームは、一瞬で元の服装に戻ることが可能だったはずだ。わざわざそのままというのは、微妙に解せない。


 マリーさんのニコニコ笑顔とあいまって、なんだかキナ臭くなってきたような……。


「あ、あの~、ちょっといいですか、才円さん?」

「う~ん? な~に~、桃花ちゃん?」


 意気揚々としてるひかりとは違い、トボトボと俺たちの側までやってきた桃花が、おずおずと切り出すも、マリーさんは平気な顔で笑っている。こわい。


「そ、その……、この恰好、やっぱりちょっと恥ずかしいんですけど……」

「え~、なんで~? とっても似合ってるわよ~?」


 いや、確かにマリーさんの言う通り、似合ってはいるけども、桃花の気持ちも痛いほど分かる。


 なぜなら、エビルセイヴァーの戦闘用コスチュームは、マジカルセイヴァーの時と比べると、全体的に色んな部分の丈が、色んな意味で短くなっていたり、少し足りなくなっていたりするからだ。


 とはいえ、それも一応は常識の範囲内というか、そこまで過激すぎるというわけではない。桃花ことエビルピンクは、おへそとか見えてるけれど、それでもデザインという枠の中には、ちゃんと納まってはいる。


 いるのだが、普段は大人しめな服装を好む桃花からすれば、十分大冒険の部類に入るくらい、肌を露出してしまっているのも、また事実だった。


「全体的に~、マジカルセイヴァーの時より~、性能は上がってるんだから~、そんな好き嫌いは言っちゃだめよ~。ちゃんと~、この季節でも寒くない様に~、防寒機能まで組み込んでるんだから~」


 しかし、マリーさんはそんな恥じらう桃花を、まるで我儘わがままを言ってる子供のようにたしなめてしまう。もしかしたら、マリーさん自身が普段からもっと過激な格好をしているので、そういう感覚がマヒしているのかもしれない……。


「まったく、これもどうせ統斗の趣味なんでしょ! 本当にスケベなんだから!」

「おい、言いがかりはよしてくれ。俺は関係ないぞ」


 桃花とは違い、ひかりはあまり抵抗を感じていないのか、むしろその格好を俺に見せつけるようにしながら、ニヤニヤと笑っているが、残念ながら言ってることは、的外れもいいところだ。いや、俺がスケベなのは、否定しないけれども。


 残念ながら、そのコスチュームを考えたのは、俺ではない。


「あの、マリーさん。どうしてエビルセイヴァーの格好は、その……、みんなあんな感じなんですか?」


 そう、全てはヴァイスインペリアル開発部主任である、彼女の仕業なのだった。


「え~、だって~、正義の味方が悪墜ちしたら~、これが正解でしょ~?」

「さいですか……」


 しかも、どうやらあれは、丸ごと全部、マリーさんの趣味によるものらしい。

 本当に、恐ろしい人だ……。


「まあ~、そんなことはどうでもよくて~、さっさと本題に入りま~す!」

「そ、そんなこと……」


 自分の話をあっさりと打ち切られ、桃花が打ちひしがれているが、俺は声もかけられない。そう、彼女もそのうち、知ることになるだろう……。


 基本的に、我が道を走り出したマリーさんを止める手立ては、ないということを。


「実は~、今日は~、統斗ちゃんに~、画期的な提案があるのでした~!」

「マリーさんの、画期的……」


 なんだろう……、なんだか緊張してしまう響きだ……。


「あのね~、色々設備も整ってきて~、全体的な戦力の底上げは~、着々と進行してるんだけど~、統斗ちゃん専用の装備については~、まだ手付かずなの~」


 俺専用の装備……、ということは、やはりカイザースーツ絡みの話だろうか?


「一応~、最高の設計図はあるんだけど~、どうしても~、材料の方が確保できないから~、かなり性能を落とした模造品なら作れるけど~、それだと~、あんまり意味がないでしょ~?」


 確かに、超絶的な性能を誇ったカイザースーツは、今やヴァイスインペリアルの象徴と言っても過言ではないし、その姿を真似ただけの劣化品でも、相手を威圧する程度の効果はあるかもしれない。


 しかし、そんなことを続けていても、いつかメッキが剥がれるだけで、なんの解決にもなっていないし、この間の正義の味方軍団との戦闘を考えれば、俺自身の戦力強化自体は、急務でもあるとも言えた。


 つまり、いま必要なのは、即効性のある解決策なのだ。のんびりと、いつ必要量が手に入るのかも分からない材料を待つというのは、正直、現実的ではない。


「カイザースーツが特別だったのは~、その主要な素材として使われていた超希少金属のオリハルコンが~、科学的なアプローチが不可能なはずの魔素と命気という二つの不可思議要素にも~、しっかり対応というか~、自動的に適応してくれていたことだったのね~」


 オリハルコンというのは、この長い人類史の中でも、いまだに極めて少量しか発見されていないという、気が遠くなるほど貴重な物質なのだが、そんな貴重さに比例するかのように、その特徴は破格の一言だった。


 あらゆる事象、環境、化学反応、そして、超常的な現象に至るまで、その全てに適応した上に、金属としての本質を損なうことなく、どれだけ非現実的な特性であっても獲得してしまうというのだから、それはもはや、奇跡の物質と呼んでも、過言ではないだろう。


 つまり、カイザースーツとは、そんな特別な金属をこれでもかと使用することで、本来なら観測すら困難である魔素や命気といった超常的な力にも対応し、その二つを同時に使う俺のことを、最大限サポートすることを可能にしていたという、特別に特別を重ねたような代物だったわけだ。


「あんた、そんな無駄にとんでもないスーツ使ってたのね……、ずるいわよ!」

「わ~、統斗くんって、凄いんだね!」

「いやいや、別に俺自身が凄いわけじゃないんだよ、桃花」


 ひかりが突然、謎の文句を言い出したが、今更そんなことを言われても困る。なぜかこちらをポカポカ殴ってくる彼女を適当にあしらいつつ、素直に感心してしまっている桃花を訂正するのは、なかなかに大変だった。


「でもでも~! そんなオリハルコンも~、もう在庫はスッカラカンだし~、そんな貴重品の代替品なんて~、そもそも存在しないし~、このままだと~、あのレベルの強化スーツをもう一度作るなんて~、不可能なのよ~!」


 まるで自分から逸れてしまった注目を取り戻すように、彼女にしては珍しく声を張り上げながら、マリーさんは大袈裟な身振りで、人差し指を突き上げる。


「そこで~、ワタシは一生懸命考えて~、とってもいいこと~、思いついたの~!」


 そして、もう目を離さずにはいられないようなハイテンションで、マリーさんは楽しそうに笑いながら、俺に問いかける。


「統斗ちゃんは~、また魔術と命気を~、使えるようになったんでしょ~?」

「え、ええ、まあ、一応……」


 一応もなにも、俺の特訓の成果などは、逐一報告を上げているし、それでなくてもマリーさんならば、契さんや千尋さんから詳しい話を聞いているだろうから、別に口ごもる必要なんてないのだが、なんとなく彼女の勢いに圧倒されてしまったのだ。


 ああ、マリーさんってば、とっても楽しそうだなぁ……。


「だったら~、話は簡単~。その魔術と命気を使って~、統斗ちゃん自身が~、自分だけのスーツを~、生み出せばいいの~!」


 そして、そんな楽しそうなマリーさんから飛び出したのは、かなり突拍子もないというか、奇想天外な提案だった。


「……はい? いや、えっ? 自分で、生み出す?」


 というか、俺の理解が全然追いつかない。

 この人は、一体なにを言ってるんです?


「そうよ~! 統斗ちゃんの頭の中に~、理想の設計図を思い浮かべて~、その通りの最強スーツを~、魔素と命気を組み合わせて~、具現化しちゃうの~」


 誰が見ても頭の上に疑問符が浮かんでいるであろう俺のためか、マリーさんが噛み砕いて説明してくれているらしいのだが、やっぱり全然、分からない。


 いや、分からないと言うよりも、自分にそんなことができるなんて、信じられないと言った方が、正しいのかもしれないけれど。


「ぐ、具現化って、そんなこと……」

「できるわよ~? っていうか~、いつも同じようなことしてるのは~、統斗ちゃんも見てるでしょ~。契ちゃんとか~、千尋ちゃんとかで~」


 契さんに、千尋さん……?


「――あっ」


 そうか、そうだった。完全に、失念していた。


 契さんが魔術を使って、悪魔あくま元帥げんすいデモニカへと姿を変える時、その衣装のあちこちに様々な宝石を身につけているが、あれは周辺の魔素を濃縮し、様々な効果を持つ即席の魔術道具マジツクアイテムへと作り変えたものだ。


 そして、千尋さんが命気の力で、破壊王獣はかいおうじゅうレオリアに変身したら、その全身を金色の獣毛が覆うけど、それだって実際に、彼女の身体から獣のような剛毛が生えているわけではない。あれは千尋さんの考える最強の獣というイメージを、命気が形作っているだけなのだ。


 つまり、魔素や命気を変換して、物質的な装具を生み出すことは、本人の力量にもよるのだろうが、十分に可能ということになる。


「この方法だったら~、製造のための素材どころか~、時間すら必要ないし~、さらにさらに~、コストすら気にする必要がないから~、もう好きなだけ性能を盛ることだって可能なのよ~!」


 な、なるほど。マリーさんのテンションが上がっている理由が、なんとなくだけど分かった気がする。


 つまり、あらゆるハードルを無視して、自分のアイデアをそのまま形にできるというのだから、それは科学者として、発明家として、垂涎すいぜんの状況だろう。


「えー? そんな凄いこと、統斗に本当にでき……」

「うふふ~、ひかりちゃ~ん。ワタシ~、話の腰を折られるのって~、あんまり好きじゃないの~。だから邪魔されると~、あなたのことを~、生きたままホルマリン漬けにしたくなっちゃうから~、気を付けて~?」


 調子に乗ったひかりが、再び大声で茶々を入れようとしたところを、マリーさんが満面の笑顔で遮った。まずい、背筋に悪寒が……。


「ちょっ、ちょっと統斗! なんだかあの人、恐いんだけど! あ、あれって冗談に決まってるわよね?」

「いや、気を付けろ……。マリーさんが突拍子もないことを言い出した時は、恐ろしことに大体は本気だ……」


 流石にビビったのか、あのひかりが声を潜めて、微妙に身体も震えてしまっているようだが、さもありなん。


 そう、マリーさんは、いつだって本気だ。

 当然、今回の提案だって、本気も本気の大真面目なのだ。


 これは、俺も覚悟を決めないと……。


「というわけで~、じゃ~ん! これが新しいカイザースーツの~、設計図よ~!」

「うわ! 細か!」


 まるで子供みたいに、うきうきとしているマリーさんが、この真っ白いラボの壁に投影したのは、非常に緻密ちみつ精密せいみつ繊細せんさいで正確な……、一言で言うと、俺にとっては意味不明な、圧倒的な密度を誇る線の塊だった。


 正直、見ているだけで、目と頭が痛くなってくるんですけど……。


「こ、これを覚えるんですか? せ、正確に?」


 そう、そうなのだ。思わず俺の口から、弱音が漏れそうになってしまったが、それもある意味では、仕方がないことなのだ。


 だって、こんな宇宙の深淵みたいな設計図を、そらで覚えてみせるだなんて、それこそまさに、マリーさんみたいな、異次元の天才じゃないと不可能だって!


「そんなにおびえなくても~、大丈夫よ~。統斗ちゃんには~、超感覚があるから~、要領としては~、魔術を習得した時と同じで~、この設計図の本質を読み取って~、本能に焼き付ければいいの~」


 いやいや、確かにマリーさんの言う通り、俺はその方法を使って、半ば強引に魔術を覚えたのだけども、それにしたって、この設計図は、どんな魔術の魔方陣よりも、複雑怪奇に見えるのですが……。


「それに~。いきなりこれを覚えるんじゃなくて~、ちゃんと段階を踏むから~、安心してくれて~、いいわよ~?」

「本当ですか! わーい! 流石はマリーさんだ!」


 なんという僥倖ぎょうこう! もういきなり全力で、これを無理矢理にでも覚えなきゃいけないのかと思っていた俺は、マリーさんの提案に飛び上がらんほどに喜んだ。


 やったぜ! これが幸せか!


「ちょっと、桃花先輩。あれ、どう思います? 調教されすぎてると思いません?」

「う、うーん……、本人は納得してるみたいだから、いいんじゃないかな?」


 外野がなにやらコソコソと言っているようだが、なに、構うことはない。だって、実際にやらなきゃいけないのは、俺なんだからね!


「それじゃ~、まずは~、難しいことは考えないで~、適当な石でも作ろうか~」

「はい! 任せてくださいよ!」


 とりあえず、手の届く目標が提示されたことで、やる気を出した俺は、マリーさんの期待に応えるために、感覚的に答えを探す。


 漠然と拳大の石をイメージしながら、魂の奥底から命気を引き出し、眼前に展開した魔方陣へと送り込んで、魔素と混ぜ込んでから……、魔術を起動!


「わっ、統斗くん凄い! 本当にできた!」

「おー! やるじゃない、統斗!」


 そして、俺の目算通りに効果を発揮した魔方陣から、ぽろりと真っ白な石がこぼれ落ちた途端、桃花とひかりが無邪気な歓声を上げてくれた……、のだけれども……、しかし、これは……、なかなか……!


「――くっ!」

「あらら~、やっぱり~、統斗ちゃんの集中力が切れちゃうと~、出したものは消えちゃうみたいね~」


 マリーさんの言う通り、俺の集中が僅かに揺らいだ瞬間に、床に転がっていた白い石は呆気なく霧散し、塵も残さず消滅してしまった。


 どうやら、魔素や命気で作った物質を恒久的こうきゅうてきに維持するというのは、非常に難しいようだ。


 というか、無理だ。無理だよ、こんなの!


「それじゃ~、次は~、難易度を上げつつ~、集中力も鍛えましょ~」

「お、押忍……! お願いします!」


 とはいえ、ここで泣き言なんて、言っていられない。


 魔素と命気で新たなスーツを作り出せたなら、それはすなわち、俺個人としても、悪の組織としても、大きな問題の解決になるのだから。


「課題は~、これよ~! じゃじゃ~ん! 竹トンボ~! ちゃんと飛ぶように~、作ってね~?」

「りょ、了解!」


 竹トンボか……。シンプルだけど、当然ながら、ただの石ころよりは断然難しい。しかも飛ばすためには、羽根になる部分の厚みや角度に気をつけ、全体の重さなども考える必要がある。


 これはさっきよりも、繊細な感覚が求められるな……。


「桃花ちゃんとひかりちゃんは~、統斗ちゃんの集中力を鍛えるためにも~、全力で妨害するのよ~。手を抜いちゃ~、ダメよ~?」

「あっ、はい、分かりました!」

「ふふふーん! そういうことなら、ひかりちゃんに任せなさーい!」


 おお、それはまた、なかなか厳しい……、って。


「そ、それじゃ、失礼しま~す……」

「えい、えい! ほらほら、泣いて謝りなさい!」

「むむむむむむむむっ!」


 おずおずと恥ずかしそうに、俺のほっぺたをプニプニと人差し指で押している桃花はいいとして、こちらの座っている椅子を、全力で蹴りまくるひかりは、かなり厄介というか、容赦がない! く、くそ……! 負けてたまるか!


 根性見せろ、俺! 集中だ、集中!


「お~、統斗ちゃんすご~い! それじゃ~、ワタシも~」

「ぐはっ!」


 しかし、そんな俺の集中力は、マリーさんが白衣を脱いだだけで、あっさりと乱れ切ってしまう。


 だって、ほとんど裸じゃん! あんなの!


「どう~? 白衣一枚じゃ流石に寒いから開発した~、防寒ペインティング~。薄く塗るだけで~、とっても暖かいのよ~?」


 いやいやいやいや、そんなことを言われても、どう見たってその格好は、裸に絵の具で落書きしただけですよ! しかも、ペイントが大分薄いので、色々と見えちゃいけない輪郭が、くっきり見えてますから! 


 だから、そんなに堂々としてないで!


「ちょ、ちょっと、統斗くん! ひかりも! 見ちゃダメだよ!」

「ち、痴女よ! 痴女がいるわー!」


 慌てて俺の目を隠そうとする桃花と、悲鳴を上げるひかりは、すっかりこちらへの妨害を忘れてしまっている。


 も、もしかして、これは逆にチャンスなのでは? 俺は必死に目の前のマリーさんから目を逸らしつつ、決死の思いで自らの集中を高めて……。


「そして~、これは~、おまけ~!」

「き、きゃあああああああ!」


 ああ、それは桃花とひかり、果たしてどちらの悲鳴だったのか。どちらにしても、彼女たちの身に起きた不幸は変わらない。なんという悲劇か。


 マリーさんが軽く指を鳴らしただけで、エビルセイヴァーの衣装が弾け飛び、ボロボロになったせいで、桃花もひかりも、殆ど裸同然の格好になってしまったのだ。


「って、一体あれはなんなんですか、マリーさん!」

「統斗ちゃんが~、ああいうの好きかと思って~、仕込んでみました~!」


 おいおいおい! もしかして、今回あの二人をわざわざエビルセイヴァーの戦闘服で呼んだのは、これが目的だったのかよ!


 なんて眼福……、じゃない、酷いことをするのだ、マリーさん! ありがとう!


「だ、だめ! 見ないで、統斗くん! 見ないで……」

「こ、このダメ統斗! 変態! スケベ! 極悪人! 全部あんたのせいね! そうに決まってるわ! この! この!」

「ちょっ! 違っ! いや、やめっ! 危なっ!」


 恥ずかしそうに自分の身体を抱きしめながら、その場にへたり込んでしまった桃花からは目が離せないし、そんな光景に鼻の下を伸ばしている俺に向かって、ひかりは思い切り拳を振るってくるしで、もう、てんやわんやの大騒ぎだ。


 というか、ひかり! その格好で暴れるな! 色々と、見ちゃいけないものが見えちゃうから! 見えちゃってるから!


「うふふ~、それそれ~、統斗ちゃん、頑張れ~!」

「く、くそ! やってやる! やってやるぞ!」


 混沌とした状況の真っただ中で、淫らすぎる姿のマリーさんに絡みつかれながら、俺は決意を新たに、集中力を極限まで高める。



 こうなったら、もう是が非でも、この試練を乗り越えてみせるんだ!



「お、俺はやった……、やり遂げたんだ……!」

「は~い、お疲れさまでした~」


 ぐったりと机に倒れ込んだ俺に、マリーさんのねぎらいの言葉が染み渡る。


 あれからしばらく時は経ち、何度も何度も新たな課題を乗り越えて、悪戦苦闘の末の末に、俺はようやく、手応えらしきものを掴んでいた。


 実際、この手の中に掴んでいるのは、魔素と命気によってのみ作られた懐中時計なのだが、非常に細かく、複雑な構造をしていながらも、しっかりと消えることなく、正確な時を刻み続けている。


「ううっ、なんだかひどい目にあったよ……」

「バカ統斗! これは貸しなんだからね!」


 涙目の桃花と、プンプンと怒っているひかりには悪いが、どうやら彼女たちの犠牲のおかげで、俺は成長することができたようだ。


 いや、別に直接手を出したりはしてないけどね? 本当にね?


「よ~し! それじゃ~、いよいよ~、最後の仕上げに~……」


 この大騒ぎの原因であるマリーさんが、まったく悪びれず笑顔で拳を突き上げる。まあ、結局は彼女のおかげで、新たな可能性が開けたのだから、結果オーライと言えるのではないだろうか……、多分、おそらく……。


 なんて、俺がぬぐがたい疲労感の中で逡巡しゅんじゅんした、その時だった。



 このラボに、けたたましい電子音を響かせて、緊急通信が入電したのは。



「統斗、おるか!」


 そして、突如モニターに映し出された、なんだか楽しそうな祖父ロボが、告げる。


「おぬしに、挑戦状が届いておるぞ!」


 俺が向かうべき、次なる戦いの到来を。


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