1-7


 再び魔術が使えるようになった翌日、俺は悩んでいた。



 そもそも、命気プラーナとは一体なんなのか?


 あえて別の言葉で表現するのなら、生命エネルギーだとか、魂の爆発だとか、常時発動している火事場の馬鹿力だとかになるのだろうが、実を言えば、まだ詳しくは分かっていないというのが、実状だったりする。


 その理由としては、命気の多様性が挙げられるだろう。


 単純に身体能力を強化することもできれば、自己治癒能力を高めて、重傷でも一瞬で治せたりするし、極めた者なら命気そのものを具現化して、武器や防具のように扱うことすら可能という、驚くべき万能ぶりだ。


 要するに、なんでもアリすぎて、研究しようにも、どこから手を付けていいのか分からないというか、命気のなにがどのように作用して、どんな効果を発揮するのか、全体像を掴めない……、らしい。全部、マリーさんから聞いた話だけど。


 そしてもちろん、使い手の少なさも、研究が進まない理由の一つだ。本来なら生きとし生ける者全てが持っているはずの命気も、自在に扱える者となれば、その数は世界規模で考えても、数えるほどしかいないだろう。


 さて、そんな使える者も少ない上に、原理も不明な命気だが、その有用性は疑うべくもない。使えれば、まさに無双の力となることを、俺は知っている。


 なぜなら命気とは、少し前までは、俺自身が使えていた力なのだから。


 そう、、だ。今は使えない。悪魔マモンとの決戦において瀕死の重傷を負い、その死の淵から蘇って以来、俺は自分自身の命気を、どうにも上手く引き出せなくなってしまった。


 これは正直、かなりまずい事態だ。

 今後も悪の総統として戦うためには、この問題は絶対に、避けては通れない。


 ならば、どうするか? 当然、答えは決まっている。


「たのもー!」


 さあ、特訓の時間だ!


 俺は覚悟を決めて、この世界に数えるほどしかない命気の達人……、獅子ヶ谷ししがや千尋ちひろの教えを乞うべく、彼女が待つ訓練場への扉を開く。


 まあ、訓練場と言っても、場所は俺たちが通っていた学校の、体育館なんだけど。


 命気について相談したいと、千尋さんに頼んでみたら、ある程度スペースがあって動きやすく、人がいない場所があるといいと言われたので、俺から提案したのだ。


 悪魔マモンが暴れた被害は、主にヴァイスインペリアルの本部が地下に存在した、ビジネス街を中心としたものなので、学校がある住宅街の方までは、そこまで致命的な破壊は起きていない。この体育館も、多少は壁にひびが入っていたり、ガラスが割れていたりするが、廃墟というわけではなく、避難所として使うのは不安だったので人払いはしてあるが、運動スペースとしては、まだ十分に使えるはずだ。


 そして、休校中というか、復旧工事待ちの学校には、もうお昼過ぎだというのに、俺たち以外の人の気配は存在しない。職員の方々も、それぞれの家庭が大変な上に、指示を出すべき上役である役所の人間が全員逃げ出してしまったので、あまり自主的に見回りをしたりする余裕は、ないのだろう。


 だから、この体育館はまさに、命気の特訓にうってつけの場所なのだが……。


「おー、統斗すみとー! よく来たなー!」

「はい、来ましたよー! ……って、なにしてるんですか、千尋さん」


 意気揚々と特訓しようと、勢いよく扉を開けた俺の目の前には、割と予想外の光景が広がっていた。


 いつもの安いジャージ姿で、快活に笑っている千尋さんは想像通りだったのだが、それ以外にも人がいるということ自体が、もう驚きである。


 しかもそれが、俺の知り合いだというのだから、尚更だ。


「はあ……! はあ……! はあ……! はあ……!」

「というか、なにしてるんだ、火凜かりん


 がらんと広い体育館の中央で、床に両手をつきながら、荒い息を吐いているのは、学校指定のジャージを着た赤峰あかみね火凜だった。そんな見るからにへろへろな彼女の目の前では、元気満々な千尋さんが、謎のシャドーボクシングをしている。謎だ。


「えーっと、状況の説明をお願いできるかな、あおいさん?」

「はい。お任せください、マイダーリン」


 そんな二人を見守るように、壁際で体育座りをしていた水月みつき葵さんは、こちらも火凜と同じくジャージ姿なのだが、とりあえず、そんなに真顔でダーリンと呼ぶのは、やめてください。


「火凜と一緒に食後のランニングをしていたら、偶然この辺りで獅子ヶ谷さんとお会いしまして、丁度いい機会だからとかなんとか、火凜の方から喧嘩を売った結果が、ごらんの有様です」

「ご、ごらんの有様とか……、言うなあ……」


 簡潔というか、簡素なくらいあっさりと事情を話した葵さんに対して、へたり込んだ火凜が抗議の声を上げるのが、なんとも残念な感じだが、大体事情は飲み込めた。


 まあ、火凜は以前、マジカルセイヴァーだった頃に、千尋さんこと破壊はかい王獣おうじゅうレオリアに完敗してから、そのことを強く意識してたみたいだし、そこら辺も関係しているのだろう。お互いに、近接戦闘を得意とする者同士だし。


 まあ、その実力差は、悲しいくらいに明確なんだけど。


「ん? これって喧嘩だったのか? てっきり稽古つけて欲しいのかと思ったぜ!」

「言われてますよ、火凜」

「ぐぬぬぬぬ……!」


 これは別に、千尋さんが嫌味を言ったわけではない。あの人は完全に天然で、ただ普通にそう思っているだけなのだろうが、それがなによりも如実に、彼女の圧倒的な強さを表している。


 火凜だって、ただの女の子ではない。かつては正義の味方として、数多の悪の組織を相手に大立ち回りを繰り広げた、歴戦の勇士なのだが、そんな相手を余裕でやり込めてしまえるのが、千尋さんの……、そして命気の力いうわけだ。


「よし! それじゃ。選手交代ってことで!」

「うう~、無念なり~」


 とりあえず俺は、ここに来た本来の目的を果たすため、両手で身体を支えることすらやめて、体育館の床に寝転がってしまった火凜をズルズルと引きずり、葵さんの隣まで運ぶことにする。というか、見たところ小さな怪我すらしてないみたいだし、自分で立って歩いてくれよ、火凜さん。


「安心しろ、お前の仇は取れないけれど、せめて安らかに眠れるように祈ってやる」

「勝手に殺すなー! 仇は取ってよー! 取って取ってー!」

「死んでないなら、起きてください。重いし、うるさいです、火凜」


 ごろごろと寝転がったままの火凜が、座っている葵さんにちょっかいをかけて遊んでいる。ちくしょう、楽しそうだな。俺も混ざりたいところだが、ここはぐっと我慢の子である。


「それじゃ、行きますか!」

「お気をつけて、統斗さん。帰ってきたら結婚しましょう」


 葵さん、多分本気で言ってるだけなんでしょうけど、それ微妙に死亡フラグです。


「おっ! 次は統斗か! よーし、特訓しちゃうぜー!」

「はい! お願いします!」


 さあ、本番だ! 俺の戦いは、ここから始まる!


「ぐえー!」


 そして、俺の悲鳴と共に、一瞬で終わってしまう。


 いや、もう、強すぎる! 大人と子供なんてレベルじゃない。蟻と巨象どころか、ミジンコと恐竜くらいの、圧倒的な格差である。ここまで完膚かんぷなきまでに歯が立たないと、逆に気持ちが良いくらいだ。


 あっ、ごめんなさい、嘘です。超痛いです。痛いのは気持ち良くないです!


「うーん、なるほどなー」

「千尋さん! ギブ! ギブギブ! ギブアップですって!」


 あっという間に俺を組み伏せ、流れるように複雑な関節技に移行し、こちらの全身を締め上げている千尋さんが、なにやら納得の声を出しているが、正直、それどころではない。このままでは、全身の骨が粉々に砕け散ってしまう!


「……ん? あっ! ごめんごめん! ちょっと夢中になっちゃってさ!」

「あ、ありがとうございます……」


 懇願が届いたのか、千尋さんは力を緩めると颯爽と立ち上がり、俺のために手を貸してくれる。いやあ、格好良いなぁ。


「よし! 大体分かったぜ!」

「えっ、本当ですか? まだ一回組み手しただけですけど……」


 今回の特訓は、俺が再び命気を使えるようになるのが目的であることから、やっとの思いで再び使えるようになった魔術も封印し、今日はもう夜まで、千尋さんと二人で厳しい訓練を繰り広げるものだと覚悟していたのだけれど、開始してから僅か数分の間に、どうやら大きな進展があったらしい。


 命気については、千尋さんが専門家だ。なにも知らない俺は、彼女を信じて、全て任せることにしている。それがもっとも安心で、確実だからだ。


 というわけで……。


「やったー! 流石は千尋さんだ!」

「あはははっ、そんなに褒めるなよ~!」


 俺が手放しで褒めると、千尋さんが頬を赤くして照れてしまう。彼女の方が年上なんだけど、やっぱり可愛いなあ……。


「いやいや、褒めますよ。千尋さんにはいつだって、感謝してますから……」

「そんな……、オレだって統斗には感謝してるし、一緒にいれて、嬉しいよ……」


 なんだか盛り上がってしまった俺と千尋さんは、繋いだ手と手を絡め合い、互いを引き寄せ合うように密着し、超至近距離で見つめ合う。


 そして、気持ちが高ぶった二人は、そのまま……。


「はい、そこまで。私たちもいるのに、二人だけの世界を作らないでください」

「そうだそうだー! 葵の言う通りだぞー!」


 なんて甘い空気は、ようやく立ち上がり、真顔でスタスタとこちらにやってきた葵さんと、頬を膨らませて怒っている火凜の乱入で吹き飛んだ。まあ、最初からこうなるとは思っていたんだけど、少し悪ノリが過ぎたかもしれない。


「おっ、統斗ってばモテモテだな! よし、続きは後でいいか! 話を戻すぜ!」


 葵さんと火凜の二人から睨まれても、まったく余裕の表情を崩さない千尋さんは、それでも名残惜しそうに俺から離れて、ニヤリと笑った。


「こうして直接触って、オレの命気を送ったりして探った結果、色々分かったことがあるから、まずはそこからだな!」


 千尋さんが明後日の方向を指差しながら、ビシッとポーズを決める。意図は分からないが、なんだか格好良い。


「まず、統斗の命気は、無くなったわけじゃない。まあ、これは統斗が生きてるんだから、当たり前だけど」


 これは、まあ正直、分かっていた事実ではある。命気とは、命の源といえる力なのだから、それが無くなるということは、死と同義だ。俺がこうして、一応元気に生きている以上、命気を持っていないなんて、ありえない。


 ならば、俺が命気を使えなくなった理由は、別にあるということだ。


「だからといって、命気の量が少なくなってるってわけでもない。その感じだと前と同じどころか、むしろ増えてるはずだぜ!」


 命気が、増えている……? 正直、当人としては実感がまったくないのだが、専門家である千尋さんが言うのなら、まず間違いはないのだろう。


 しかし、そうなってしまうと……。


「命気は増えてるのに、使えない……」

「つまり、残念だけど、やっぱりあんたはポンコツになったってことね……」

「安心して下さい。ポンコツになっても、私の統斗さんへの愛は変わりませんから」


 思わずぽつりと呟いてしまった俺の肩に、火凜はポンと手を置くと、露骨なくらいあわれみの視線を向けてくるし、葵さんは葵さんで、俺の手を取って、恐ろしく真摯しんしな瞳で見つめてくる。


 いや、自分でも思ったけども、そんなハッキリ言わないでくださいよ……。


「いや、ポンコツとはちょっと違うぞ! 別になにかが壊れたわけじゃないし。ただちょっとだけ、自分の力の使い方に、迷ってるだけさ!」


 まるで俺をなぐさめるように……、と思ったが、随分とあっけらかんとした様子で、千尋さんはビジッと親指を立てながら、満面の笑顔を見せてくれる。どうやら、なにか考えがあるようだ。


「いやでも、迷ってると言われても、俺は全然、そんなつもりは……」

「うんうん! そういうのは、自分じゃ分からないもんだからな! これからオレが教えるから、安心してくれ、統斗!」


 自信満々の千尋さんが、その形の良い胸を叩きながら、まるで太陽みたいな、満面の笑顔を見せてくれる。


 それだけで、もうなんでもやれるって気になれるから、俺も現金なものだ。


「まず簡単に言っちゃうと、統斗は大きくなりすぎた自分の力の使い方が、まだ分からないだけなんだよ!」


 しかし、自信に溢れた千尋さんから飛び出したのは、俺には予想外の答えだった。もちろん、疑うわけではないが、実感はまったくない。


「力が大きくなりすぎた……?」

「ああ! この前、悪魔との戦いで、統斗は他人の命気を、それはもうありったけ、自分の中に取り込んだだろ?」


 確かに千尋さんの言う通り、俺は圧倒的に強かった悪魔マモンを倒すため、考えつく策はなんでもこうじ、持てる手段は惜しみなく使ったのだが、その時に、この街に存在した全ての生物から、命気を徴収したことは事実だ。


 しかし、そのことが、今回の件の引き金になったというのだろうか?


「普通だと、許容量をオーバーした命気が流れ込んできた場合、自分の命を守るために強制的に意識が飛ぶか、最悪は死に至るんだけど、なんと統斗は全部受け止めて、使いこなしてしまったわけだ! これは凄いぞ!」


 いや、千尋さんは無邪気に褒めてくれたが、俺自身は肝が冷えてしまう。最悪は死に至るって……、あの時は無我夢中で、そんなリスクは考えもしなかったが、どうやら自分でも気が付かないうちに、かなり危険な橋を、ギリギリで渡っていたらしい。


 しかし、あの時はそうしないと、そもそも悪魔マモンに殺されていただろうから、別に後悔するとかでは、ないのだけれども。


「そして、その結果! 統斗自身が扱える命気の総量が、劇的に上昇したんだ! かなり強引だったけど、結果的に器が広がったって感じだな! 大体だけど、バケツがダムになったくらいの変化だぜ!」


 器が広がったというのは、あくまで概念的なたとえ話であって、実際に命気を貯めておくための、そういう器官があるとかいう話ではないのだが、それにしてもバケツからダムは、いささか変わりすぎではないだろうか? もう共通点って、互いに水を貯めるくらいしかないような……。


 とは思っても、実際自分ではなにも分からないので、千尋さんの言うことは、全て鵜呑みにする所存しょぞんな俺である。


 なるほど……、そうだったのか!


「だけど、その急激な変化に、感覚の方が置いてかれてしまったというか、これまでバケツからコップで水をすくっていたのに、それがダムになったもんだから、コップじゃ対応できなくなった……、って感じかな!」


 つまり、今の俺は必死にダムの端っこから、小さなコップを使って腕を伸ばして、水をもうとしてるってわけか。


 そりゃ、無茶だ。というより、無理だ。


「この問題を解決する手段は一つ……、意識の改革だ!」

「おー……!」


 明後日の方向に腕を振りかざしながら、ドーンと結論を出した千尋さんの雄姿ゆうしに、なんて頼りになるんだと感動し、思わずパチパチと拍手してしまう俺である。


 凄いや、千尋さん!


「まず大切なのは、もうこれまでと同じじゃダメだと、強く意識すること! 慣れればまた普通に使えるようになるだろうけど、最初の一回は、気合を入れろ!」


 つまり、先入観を取り払い、新しい感覚を掴めということだろう。


 なるほど、そういう意味なら、この前の魔術の時と同じで、思い込みでもなんでもいいから、自分の中のなにかを、変える必要があるわけだ。


「感覚としては、ぐぐぐっと限界まで溜めてから、ドーンと思いっきり大爆発させるイメージだ! 命を燃やして、噴火させろ!」


 非常に抽象的な例えだったが、千尋さんの言いたいことは分かる。


 というか、そもそも命気という力が感覚的なものなので、変に例えられるよりは、よほど分かりやすいとも言えるだろう


「なるほど……、つまり我慢に我慢を重ねて、もう駄目ええええええ! となってから出した方が、とっても気持ち良いというわけですね?」

「いや、なに言ってるのよ、葵……」

「いや、なに言ってるですか、葵さん……」


 いきなり変な例えをしだした葵さんに、俺と火凜はまったく同じようなことを言いながら、思わずドン引きしてしまう。


 ……いや、本当に、いきなりどうしたんです?


「お気に召しませんでしたか? こういう言い方をした方が、殿方は喜ぶと、勉強のために読んだ物の本に書いてあったので、試してみたのですが」

「それ、絶対に読む本を間違えてると思います……」


 というか、そんなおかしなことが書いている本は、焼き捨ててください……。


 なんだろ、なんだかどっと疲れてしまった……。


「はははっ、まあ、感覚的には似てるかもな! だから統斗は、この前オレと一緒にベッドでした時みたいに……」

「ストップ、千尋さん! もう大体分かりましたので大丈夫ですからストップ!」


 しまった! 気を抜いた瞬間に、思わぬ方向から攻撃が!


 ああ……、火凜さんに葵さん、そんな冷たい目でこちらを見ながら、なにやらひそひそと内緒話をするのは、やめてください……。


「おっ、そうか! 分かったか! じゃあ、もう一つ大事なのは、生み出す命気の量が問題だな! せっかく沢山ため込めるようになったんだし、これまでと同じだと、使うのにも全然足りないし、なにより勿体ない!」


 幸いなことに、深い話にはならず、あっさりと話題を切り替えてくれた千尋さんが言うには、どうやら、そもそもの供給源を強化することも必要なようだ。


 まあ、バケツに水を入れる速度で、ダムに水を注いでも、いつになったら満タンになるのか分からない、という話だろう。


「でも、生み出す命気の量を増やすなんて、そんなこと可能なんですか?」


 確かに、それ自体は有用だと思うし、必要だとも感じるが、その方法が分からない俺は、素直に教えをうしかない。


 決して、少しでも早く話題を逸らしたかったわけではありません。


「できる! 命気っていうのは、命の根源から湧き出る力だからな! だから、その根源を刺激してやれば、必然的に量は増える!」


 千尋さんがそこまで言い切るのだから、そこに疑う余地はないのだが、少し話が抽象的すぎるような気もしてしまう。


「命の根源……?」

「ぶっちゃけて言えば、本能だな! 命が命として生きるための欲求だ!」


 本能……、欲求……。


「例えば、自分が死にそうになったら、それを回避するために、規格外の力が出たりするだろ? あれの応用だ! 意識的に本能を刺激し続けることで、常に大量の命気を生み出せるって寸法さ!」


 命気とは即ち、生命そのものであると、少なくとも俺は思っている。その力の上下には、そもそも生き物としての根本的な感覚が関係してると考えるのは、それほど不自然なことではないだろう。


 だとすれば、後はなにが必要か、という話になるのだが……。


「うーん……、つまり、ずっと命の危機を感じるような状況にいる感じで?」

「いや、それはあまりオススメできないかな。人間は慣れる生き物だから、常に危険を感じ続けてると、その危険にすら慣れて、超感覚が鈍化どんかしかねない。そうなると、元の木阿弥だしさ!」


 そっか、超感覚が鈍ったりするのは、確かにまずいな。あれこそが命気の生命線というか、あの人知を超えた感覚がなければ、命気でどれだけ人間離れしたレベルにまで身体能力を強化しても、上手く動けなくなってしまう。


 というか、そもそもそんな日常的に、しかも自発的に、リアルに命の危機を感じる状況を維持し続けるというのが、まったく現実的じゃないか。


「それじゃ、それ以外に刺激する本能となると……」

「食欲とかは? 人間の三大欲求だし、常に腹を空かせてれば、ハングリー精神的なのも鍛えられるんじゃない?」

「睡眠を我慢してもいいかもしれませんね。長時間起きていると、感覚が研ぎ澄まされると聞きますし」


 火凜と葵さんから、それぞれ別案が提示されたが、なんだか微妙に俺に厳しい条件な気がする。火凜の食欲は我慢しすぎたら死んでしまうし、葵さんの睡眠だって、寝なさすぎると命に関わると聞いたことがあるような……。


「ぶっぶー! 発想は悪くないけど、そのどっちも、我慢し続けるのは単純に生物として不可能だし、無理をすると肉体的なパフォーマンスの方が落ちちゃうから、オススメはできないんだなー! 仕方ないなー!」


 そんな二人の案を、この場で誰よりも命気について詳しい千尋さんが否定してくれたのはありがたいが、どうにも雲行きが怪しい。


 なんだか、千尋さんのテンションが、先ほどから妙に上がっている気がするし、仕方ないなんていいながら、満面の笑みを浮かべているのも、俺の不安をあおっていた。


 なんだろう……、嫌な予感がする……。


「つまり重要なのは、それ以外の……、第三の欲求!」


 そして、まるで獲物を狙う肉食獣のように、その眼を爛々らんらんと輝かせた千尋さんが、最初からこれが目的だったとでもいうのに、大声で、叫んだ。


「そう、性欲だ!」

「……はい?」


 それは、まあ、予想できた答えではあった。

 食欲や睡眠欲に並ぶ、人間の三大欲求の一つだし。


 でも、性欲で命気を増やすって、一体どうするんだ?


「えーっと……、つまり、禁欲生活?」

「いや、むしろ逆だぜ! 常にエロいこと考えたり、もしくは実際にしちゃったりすることで、生物として種を残したいという、根源的欲求を刺激し続ける!」


 我がなけなしの理性をした提案は、あっさりと却下である。


 うわ、千尋さん、すごいたのしそう……。


「なにより、性欲だったら食欲や睡眠欲と違って、命気があふれるほどの飢餓状態になるために、肉体を追い込む必要がない! 本人の心持ち次第で、いくらでも貪欲になることが可能って寸法だ! つまり……」


 千尋さんは、そこまで一息でまくし立てると、もう本当に、言いたくて言いたくて仕方がなかったことを、ようやく言える子供みたいに、なんとも嬉しそうに、とてもいい笑顔で、完全に目が死んでいるであろう俺に向けて、こう告げた。


「ずっと頭の中でエロいこと考えてるような、エロエロ人間になるんだ、統斗!」

「いや、普通に嫌ですよ」


 いやいや、本当に嫌ですよ。

 なんですか、エロエロ人間って。

 それもう、人間じゃないですよ。怪人のたぐいですよ。


 なんて俺の真っ当な抗議は、残念ながら口から発せらることすらなかった。


「というわけで! 早速だけど実践だ! やるぞー、統斗!」

「いやいやいや! なんでいきなり脱ぎだすんですか! って、早っ!」


 俺がなにか言う前に、あっという間にいつものジャージを脱ぎ去ってしまった千尋さんが、あられもない下着姿をさらしてしまう。上はただの黒いスポーツブラだが、汗のせいで身体に貼り付き、彼女の魅惑的なラインをくっきりと浮き立たせているし、下は下で妙に際どい面積しかないので、殆ど裸同然である。エロい。


 って、そうじゃないだろ、俺!


「ちょ、ちょっと、やめてくださいって!」

「はっはっはっー! そんなこと言いながら、身体は正直だぞ!」


 完全に腰が引けている俺に向かって、ジリジリとにじり寄ってくる千尋さんが、こちらの下半身を凝視しながら、舌なめずりをしてみせる。違うって、俺の腰が引けてる理由は、そっちじゃないって!


「ほ、ほら! ここには火凜と葵さんもいるんですよ!」

「おっ! そういえばそうだったな! よし! お前らも混ざれ! みんなでエロいことすれば、効果も倍増だ!」


 俺の真っ当な意見は、千尋さんの突拍子もない提案で、あっさりと吹き飛ばされてしまった。ひどい。


 だけど、あの発言は逆効果のはずだ! どうやら千尋さんは、そういうことに執着しないというか、俺が誰とナニをしてもかまわないようだが、火凜と葵さんはあれで元・正義の味方……、というか普通に年頃の女の子なのだから、こういう無茶苦茶な要求には、拒否反応を示すはず……! 


 流石に三人がかりなら、ここから逃げるくらいのことは……!


「ハハハッ、なにを馬鹿なことを……、って、なにしてるんですか、葵さん!」

「なにって、服を脱いでるのですが」


 だがしかし、俺が助けを求めるように向けた視線の先では、完全に予想外の事態が起きていた。いつも通りの冷静な表情で、葵さんがあっさりとジャージを脱いだかと思えば、その下の体操服にまで手をかけて、上着をめくりあげている。


 実に葵さんらしい、爽やかな水色のブラが……、ってそうじゃない!


「いや、ちょっと……! ほら、俺たちまだ、こんなことしたことないわけで!」

「大丈夫です、統斗さん。私は初めてのシチュエーションよりも、既成事実が大切だと考えていますから」


 思い切りズレた俺の異議を、完全に吹っ飛んだ葵さんの自論が蹴散らした。


 ああ、もう下まで脱いで、完全に下着姿ですよ! くっ! ちゃんと上下の色が揃っているのが、妙にドキドキしてしまう!


「駄目だ! おい、火凜! もう頼れるのはお前しか……、って!」

「み、見るな! は、恥ずかしいんだから、あんまり見ないでよ……」


 最後の希望にすがろうとした俺を、衝撃的な光景が叩き落とした。


 火凜、お前もか……! というか、他の二人とは違い、なんとも恥ずかしそうに目を伏せながら、弱々しくもゆっくりと自らの衣服に手をかける彼女から、目を離すことができない! くそ! めちゃくちゃ可愛い!


 いや、そうじゃない! これじゃ逃げ場がないじゃないか!


「よっしゃー! やるぞー! 色々とー!」


 仲間を増やした千尋さんが、喜色満面で迫ってくる。


 まずい、本気だ。


「統斗さん……、優しくしてくださいね?」


 こちらもなぜかやる気満々な葵さんが、ジリジリと距離を詰めている。


 やばい、本気だ。


「あ、あの、お願い、します……」


 恥ずかしそうに自分の身体を隠しながら、顔を真っ赤にした火凜だが、しかし位置取りとしては、俺の退路を塞ぐように、接近を図ってきている。


 どうやら、本気らしい。


「お、落ち着け! みんな、落ち着けって……、ぎゃー!」


 そして、俺の懇願もむなしく、蹂躙じゅうりんは始まった。


 だめだ……、逃げられない!


「むが……、もごっ!」


 あっという間に揉みくちゃにされてしまった俺には、もう上も下も分からない。なんだかつやめかしい熱と、生々しい柔らかさを全身に感じながら、もだえるように身をよじるのが、精一杯だ。というか、ヤバい! ヤバいって! 色んな意味で!



 今の俺は、極限まで追い込まれていると言っても、過言ではない。


 このままでは、桃色でピンクで、とてもではないが、他人様には見せられないようなことになってしまうのは、目に見えている。


 それは、いけない。

 それだけは、避けなければいけない。


 絶対に絶対に、このまま快楽に身を任せるようなことは、あってはならない。


 そう、俺自身の、信念にかけて……!


 俺は、俺は……!



 シチュエーションには、こだわる派なんだよ!



「落ち着けって……、言ってるだろがー!」

「うわー!」


 気合一発! 渾身の雄叫びと共に両手を振り上げた瞬間、俺に群がっていた三人が悲鳴を上げながら、空高く吹き飛ばされる。


 魔術ではない。未熟なことに、幸せすぎる感覚に包まれた俺では、そこまで精度の高い集中はできなかった。要反省である。


 これは、ただの強引な力技だ。明らかに人類の限界を超えた、力技。


 そう、命気の力である。


 極限まで追い込まれた俺の本能が、遂に爆発したのだ!


 ……いや、こんなことで使えるようになるなんて、正直いいのかなって感じだが、そんなこと言っていられない! 状況はまだなにも、解決していないのだ!


「ふっ! どうやらオレの理論の正しさが、証明されたようだな!」

「くっ!」


 体育館の天井近くまで跳ね上げられたというのに、そこは流石に悪の女幹部と言うべきか、空中でも余裕を見せて、千尋さんはニヤリと笑う。


 そして、元・正義の味方として活躍してきた火凜と葵さんも一緒に、見事に体勢を整えると、華麗に着地を決めてみせた。うーん、格好良い。全員下着姿だけど。


「よーし、二人共! この調子で、統斗を幸せにしてやろうぜー!」

「了解です! やりますよ、火凜!」

「うわーん! こうなったら、もうヤケだー!」


 再びこちらに飛びかかろうと、獰猛な獣のように身体を沈めた千尋さんに、覚悟を決めてしまった葵さんが続き、最後の火凜なんて半泣き状態だが、どうやら退く気はなさそうだ。


 俺は、再び目覚めた命気の力を全身に巡らせて、自らの超感覚を研ぎ澄ます。


「やられてたまるか! 絶対に、逃げ切ってみせる!」


 まだ冷たい冬の空気が満ちた 寒さ感じるはずなのに、妙な熱気で溢れてしまった体育館に、俺の尊厳を賭けた絶叫が木霊する。



 こうして、覚悟を決めた俺と、目の色変えた三人の、色々と大切なものを懸けた、決死の追いかけっこは、日が暮れても延々と続いたのだった……。


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