1-6


 魔術まじゅつ


 魔素エーテルと呼ばれる万能元素を操り、使う者が望むままの事象を引き起こす神秘の術であり、特別な才能を持つ者でなければ、認知すら不可能な、必殺の奇跡。


 この疑いようもなく強力な力を、俺も少し前までは、多少なりとも扱えていた。


 だがしかし、そんなことが可能だったのも、全てはかつてのカイザースーツに組み込まれていた、魔術起動用の特別製プログラムのおかげだったのだ。


 そのカイザースーツが失われた今の俺では、魔素を感知することで精一杯であり、自分の望むままに操るなんて、夢のまた夢である。


 だが、それではいけない。

 それでは、足りないのだ。


「それじゃ、けいさん! ご指導ご鞭撻べんたつのほど、よろしくお願いします!」


 というわけで、足りないものは、おぎなわなければならないし、そのために手段を選んでいる余裕もないし、そもそも最適の人材がいるのに、教えを請わない理由がない。


 大門だいもん契。


 我らがヴァイスインペリアル最高幹部の一人にして、魔術に関しては天才と呼んで差しつかえないエキスパートである。そもそも俺の使っていた魔術も、彼女から教えてもらったものだ。


 つまり、魔術という壁の前で、完全に行き詰ってしまった俺は、こうして再び師匠を頼ろうとしている……、というわけである。


 ここは、破壊されてしまったヴァイスインペリアル地下本部を片付ける際に出た瓦礫を置いてある集積場の、まだ使われていないスペースなのだが、ここならある程度の広さは確保できるし、まだ朝も早いということで、人もあまり来ない。多少派手に暴れても、誰かの迷惑になるようなことはないだろう。


「お任せください。不肖ふしょうながら、この私が必ずや、統斗様の願いを叶えて見せます」


 自分の仕事も山積みだろうに、こころよく俺のお願いを聞いてくれた契さんが、穏やかな笑みを浮かべながら、優しく頷いてくれる。その様子は、普段の秘書ぜんとしたスーツ姿もあいまって、まさに美しすぎる女教師だ。


 実際、俺はこれまで契さんに、多くの事を教えてもらっている。彼女に任せれば、確実に前へ進めるという確信にも似た信頼は、本物だ。


「それじゃ、早速……、と、その前に」


 さて、これから本格的に、契さんの特訓を受けようと思うわけなのだが、その前にどうしても、俺には確認すべきことがある。


 そう、どうしても、絶対に、こればかりは無視できない。


「なんで、桃花ももか樹里じゅり先輩も、ここにいるんです?」


 そう、そうそう、そうなのだ。そうとしか言いようがない。


 俺は今回の特訓について、てっきり契さんと二人きりで行うものだと思っていたのだが、なぜかこの場には、桜田さくらだ桃花と緑山みどりやま樹里の両名も同席している。


 当然、俺が呼んだわけではないので、若干事態が飲み込めない。


「え、えーっと……、わたしたちは、大門さんに呼ばれたんだけど……」

「酷いわ、統斗君。まるで私たちが、ここに居ちゃいけないみたいに言って」


 困ったような表情で頬をかく桃花は、非常に愛らしい。その淡いピンクのコートとマフラーもよく似合っていて、思わず抱きしめたくなってしまう。可愛い。


 少し拗ねたように唇を尖らせてみせる樹里先輩は、いつもの大人っぽい雰囲気のせいか、可愛いというよりは色っぽい。深緑のチェスターコートの着こなしも流石だ。


 いや、もちろん二人がいることには、なんの問題もないというか、むしろこの瓦礫に囲まれた空き地の空気が、なんだか華やいだ気がして嬉しいのだけれども、それとこれとは、別の問題というやつである。


「……うん、契さん?」

「はい。お二人は確かに、私がお呼びしました。その方が、色々と都合が良いので」


 都合が……? なんだかよく分からないが、この二人も一緒に特訓するとか、そういう話なのだろうか?


 などと考えている内に、契さんは俺の正面に立つ。桃花と樹里先輩は俺の隣にいるので、まさに生徒と教師に分かれたような恰好になった。


「あれ? ってことは、桃花と樹里先輩は、魔術を使えるのか?」

「あっ、うん。わたしは一応、ちょっとだけ……」

「桃花ちゃんと違って、残念だけど私はまったく使えないわ」


 思わず口から突いて出た、俺の素朴な疑問に対して、律儀に答えてくれた桃花と樹里先輩だが、そういえば、彼女たちとこういう話をするのは、初めてな気がする。


 ていうか、二人共魔術を使えるってわけじゃないのか。てっきり魔術の才能がある人材を集めて、まとめて鍛えるとか、そういう感じなのだと思ったのだが……。


「で、でも、本当にちょっとだけなんだよ? 変身しないと、ちゃんと使えないの」

「いやいや、それでも十分、凄いと思うぞ」


 実際問題、魔術を使える者の存在は、非常に貴重なのだ。


 そもそも魔術を使うための前提条件である、魔素を感知できる才能を持った人間と言うのが希少すぎるし、そこから更に技術をつけて、自在に操れる者となると、もはや会えるだけで、奇跡と言っても過言ではない。


「そうよ、そんなに謙遜しないで? 桃花ちゃんのおかげで、マジカルセイヴァーが生まれたんだから」


 少し照れてるように見える桃花に代わって、どこか誇らしげな樹里先輩から飛び出したのは、かなり驚きの情報だった。


「……樹里先輩、それって、どういう?」

「マジカルセイヴァーの変身機構は、元々国家守護庁が保有していた戦闘能力強化システムに、桃花さんの魔術を組み込む事で完成したのよ。魔術を簡易的なプログラムとして搭載することで、ある程度の汎用性はんようせいを持たせた……、なんて聞いたわ」


 いや、さらっと言われたけど、それって結構、とんでもない技術なのでは?


「は、汎用性?」

「簡単に言えば、私たちがいつも叫んでいるマジカル! が起動コードで、その後にあらかじめ登録していた技の名前を音声入力することで、魔術の才能を持たない私たちでも、様々な疑似魔術を使えるの。ただ、そのまま使っても効果はあまり高くないから、基本的には、それぞれが持ってる超常能力と組み合わせてるんだけど」


 超常能力というのは、例えば自分の意思だけで物体を自在に動かせたり、明らかに人間を超えた身体能力を発揮できたり、自然現象や物理法則を操れたりと、そのまま言葉の通り、超常現象的な能力のことを指す。


 広い意味で言えば、魔術を使えるということも、超常能力ということになり、この世界には、そういう常識を超えた能力を持って生まれる者が、ごく少数だが、確かに存在する。


 つまり、疑似的な魔術をたたき台にして、自らの超常能力を強化することで、全体的な戦力の向上を可能にした、というわけか。


 ……いや、それって十分以上に、超技術じゃん!


「へえ~、やっぱり凄いんじゃないか、桃花!」

「そ、そんな……! わたしなんて全然、全然だよ! えへへ」


 俺が贈った手放しの称賛に、顔を赤くして照れまくる桃花の様子が、なんとも愛おしいというか、なんだか心が暖かくなって、思わず抱きしめたくなってしまう。


「つまり、変身アイテムとコスチュームそのものを、魔術道具マジックアイテムにしてしまった、というわけですね」


 っと、危ない、危ない。場もわきまえず浮足立ってしまいそうになった俺の心を、契さんの冷静な解説が落ち着けてくれる。


 しっかりしろ、俺。自分で頼んだ特訓で、気を抜いてどうするんだ。


「確かに、魔術道具は有用です。物によっては確かに、魔術を行使するための媒体ばいたいとしては、十分すぎる役割を果たすでしょう」


 契さんの言う通り、例えば、かつて俺を守ってくれていたカイザースーツも、一種の魔術道具だったとも言える。


 要するに、その効果は、折り紙付きということだ。


「ですが、それほど強力な魔術道具を精製するためには、高度な技術と非常に希少な材料が必要です。技術の方は問題ありませんが、今の状況では、材料の確保は、困難だと判断します」


 そして、これも契さんの言う通り、魔術道具というのは、ただそこら辺の石ころに適当に魔術をかければ量産できるような、そんなお手軽な品物ではない。というか、そんな簡単にできるなら、とっくにしてるという話である。


 作るだけなら、魔術の天才である契さんに任せればいいのだろうが、そもそも材料がなければ、どうしようない。カイザースーツレベルともなれば、この地球の長い歴史の中で、いまだ数キログラムしか発見されてない超希少金属……、オリハルコンをふんだんに使用していたというのだから、流石にそのレベルの資源となると、今から見つけて手に入れるのは、難しいと言うか、まず不可能だろう。


 既存の魔術道具に頼る……、という手もあるが、残念ながら俺たちヴァイスインペリアルが保有していた魔術道具は全て、地下本部跡地に埋まってしまっているし、契さんがその話を持ち出さないということは、おそらく魔術を使えるようになるような便利なものは、手元になかったのかもしれない。


「というわけですので、今回は、別のアプローチを考える必要があります」


 そう言った契さんが、優しく微笑んだ次の瞬間、彼女の全身から恐ろしい勢いで、青白い炎が吹き上がる。


「わっ、わわわっ! す、すごい魔素が……!」

「あん! 恐いわ、統斗君!」


 あまりに突然の超常現象に、桃花は驚いたように俺に身を寄せ、樹里先輩は思い切り抱きついてきた。というか、なんだかわざとらしいです、先輩。


 などと、俺が冷静でいられるのは、この目の前で起きている異常な出来事に、心当たりがあるからだった。


 あれは別に、契さんに害をなすような事象ではない。むしろ、逆だ。あれこそが、彼女が手にした規格外の力の表れ……。


 悪魔の顕現けんげんだ。


「久しぶりだね、リリー」

「……! ……!」


 契さんから立ち昇った蒼炎が、意思を持って形をし、まるでおとぎ話に出てくる妖精のような姿とすと、挨拶をした俺に向かって、声なき声を上げながら、恥ずかしそうに飛び跳ねた。


 淫魔いんまリリー。

 それが、契さんが契約してる悪魔の名前だ。


「……っていうか、リリー、なんだか、また大きくなってません?」


 いや、確かに俺はリリーのことを知っているのだが、この前見た時にはバスケットボールくらいの大きさだったのに、今はなんだか、背の高さが、契さんの膝より上にある気がする。


 これは流石に見過ごせないと、契さんに尋ねてみたのだが……。


「はい、もちろんです。これも全て、統斗様からいつもいつも頂いている、お情けのおかげで……、そうそう、昨夜の熱い火照りが今も」

「あーっ! ごほん、ごほん! すいません、もう大丈夫です!」


 しまった! 無駄に突いたやぶから蛇が!


「統斗くんの?」

「お情け?」


 痛い痛い、痛いです。

 桃花も、樹里先輩も、そんな力一杯、俺の二の腕を握りしめないでください。


「あ、あの、契さん? それで、どうして悪魔を?」

「はっ! そうです! そんな危険なものを、どうするつもりですか!」


 このままでは腕が千切れてしまうと、露骨に話題を変えてしまったが、どうやら矛先をそらすことに成功したようで、桃花が契さんに食ってかかる。一見、過剰にも思えるが、本来ならば、これが正常な反応だ。


 悪魔とは、それだけ危い存在なのだから。


「……まさか、統斗君に悪魔と契約しろとか、言うんじゃないでしょうね?」

「ふふっ、そんなわけないでしょう? もう少し考えてから、口を開きなさい?」


 俺を庇うように抱きしめながら、樹里先輩が目の前の悪魔を鋭く睨むが、契さんは小ばかにしたように、余裕の笑みを浮かべている。


 なんというか、龍虎相打つというか、まるで背景に稲妻でも走ったかのようなピリピリ感というか、なんだかドキドキしてしまう。


 大丈夫かな? 死人とか、出ないかな?


「確かに、悪魔と契約すれば、すぐさま魔術を使えるようになるでしょうけど、端的に言って、リスクが高すぎます。この私が、統斗様をそんな危険にさらすとでも?」


 そもそも悪魔とは、俺たちが生きているこの世界とは別の次元……、魔素が全てを支配する世界に住む存在だ。


 そのため、悪魔はまさに息をするように魔素を扱うことが可能であり、そんな彼らと契約を結ぶことで、俺たち人間もその恩恵を受けることができるのだが、それほどまでに規格外の力には、当然のように、規格外のリスクが付きまとうことになる。


 厄介なのは、悪魔と言う存在が、基本的に、人間よりも遥かに強大だという点だ。契約とは言っても、その上下関係はハッキリと決まってしまっている。悪魔からの要求に対して、人間は逆らうことができない。


 そして、なにを求められるかは悪魔によって様々だが、最終的にたどり着く結末は決まっている。魂を奪われ、死ぬだけだ。


 だから、実際に悪魔と契約している契さんの言葉は、非常に重い。


「リリーを出したのは、その方が、分かりやすいからです」


 ちりちりと蒼い火花を散らしながら、辺りをゆっくりと飛んでいる悪魔リリーに目をやりながら、契さんは続ける。


「それでは、統斗様、まずお聞きしますが、統斗様はどうして、ご自分だけでは魔術が使えないとお考えですか?」


 とりあえず、悪魔の件は切り上げて、こちらを真っ直ぐに見つめ直した契さんからの質問に、俺は慌てて答える。その問題だったら、答えはすでに用意してあった。


「えーっと、それは……、才能と努力が足りないから?」

「いいえ、違います」


 だがしかし、俺が結構悩んで出した解答は、あっさりと否定されてしまう。そしてそのまま、契さんは真摯しんしな瞳を揺らがせもせずに、続ける。


「統斗様の才能に、疑う余地はありません。私が保証します。努力についても、問題などあるはずがないでしょう」


 確信に満ちた契さんに、異を唱えるのはそれこそ野暮というものだろうが、しかしだとすれば、俺が魔術を使えない原因は、別にあるということだろうか?


「……それじゃ、経験?」

「経験についても、同じことです。例えどんな形であれ、統斗様が魔術を使い続けてきたことは、事実なのですから」


 これも違う……。

 そうなると、もう俺にはさっぱりなんだけど……。


 だがしかし、どうやら俺自身すら見つけられないその答えを、契さんは知っているようだった。


「問題は、統斗様の認識にあります」

「……認識?」


 なんだろうか? 俺はなにか、思い違いをしているのだろうか?

 

「どうやら統斗様の中に、これまでカイザースーツに搭載された魔術用プログラムによるサポートを受け続けたことで、自分が魔術を使えるのは、全てカイザースーツのおかげであるという固定観念が、生まれてしまったようですね」


 固定観念。思い込み。先入観。


 ……つまり、俺は自分では気づかないうちに、今はもう失ってしまったカイザースーツへの依存度を高め過ぎたが故に、俺自身の力を信じられなくなっている……、ということだろうか?


「悪魔マモンとの決戦において、統斗様が使われた魔術の数々は驚異的でした。あれはもはや、カイザースーツによるサポートの域を遥かに脱しています。あれだけの大魔術を使えるならば、本来なら問題なく、いつでも魔術を使えるはずです」


 そうは言われても、あの時は必死すぎて、情けないけど、自分がそんな凄いことをしたという意識も、自覚もないのだ。今思い返しても、自分の無力さばかりを痛感してしまう。


 しかし、もしかすると、それこそが、いけないのだろうか?


「サポートはあくまでサポート……、補助は補助でしかありません。自転車に取りつけられた補助輪と同じ。例え補助輪を外しても、自転車自体が動かなくなるわけではないのです」


 なるほど……、俺自身が心のどこかで、自分一人で魔術を使うなんて、そんなことは不可能だと決めつけてしまっていることこそが、問題というわけか。


 だとすれば、これは全て、俺の心の弱さがまねいた事態なのだろう。


「つまり、必要なのはきっかけです。最初のきっかけさえ掴んでしまえば、後は自在に操れるようになるのも、自転車と同じですね」


 契さんは、そんな俺をさとすように、あるいは許すように、優しく微笑む。


「そして、これがその、きっかけです」


 次の瞬間、空気がぜた。


「――なっ!」


 前触れも、兆候もなかった。


 突然、ふよふよと空に浮かんでいるだけだった悪魔リリーがチカチカと瞬いたかと思えば、恐ろしいほどの魔素が唸りを上げて濃縮し、異常に複雑な紋様を、気が遠くなる密度で組み合わせた魔方陣を形成した刹那、ゾッとする速度で、俺と、俺に密着している桃花と樹里先輩のすぐ側を、破滅的な衝撃波がかすめたのだ。


 空気が焦げるような臭いと共に、俺たちの周囲の瓦礫が一斉に弾け飛び、轟音と共に崩れ去る。


「契さん! いきなりな……、に――!」


 なにをするんですかと、問うことすらできない。

 しかし、なにをするつもりなのかは、問わずとも分かった。


 いまだ微笑みを浮かべたままの契さんから立ち昇る、圧倒的なまでの殺意が、こちらをとらえていたからだ。


 狙いは俺……、ではない。むしろ明らかに、彼女の敵意から俺だけ外されている。

そう、突然の破壊に驚き、ひるみ、身を寄せて固まってしまった俺と、桃花と、樹里先輩の中で、明確に殺気を突き付けられているのは、二人だけだ。


 桜田桃花と、緑山樹里の、二人だけ。


「――っ!」


 契さんの真意は分からない。分からないが、続けて展開された、彼女を中心に大きく膨張し、俺たちを透過していった魔方陣の意味だけは分かる。もう、背筋が凍るほどにハッキリと、分かってしまう。


 この魔方陣が収縮し、契さんが狙った獲物へと収束した瞬間、その標的には、致命的な破壊がもたらされる。そして、それを回避する手段は、限りなく少ない。


 どうする? もう収束は始まってしまっている!


 走って逃げる? どう考えてもこの巨大な魔方陣の中央に捕らわれた時点で、逃げ切れるわけがない!


 契さんを取り押さえて、やめさせる? 確かに俺と契さんの距離は近いが、すでにそのわずかな距離の間に、悪魔リリーの手によって、魔素を使った無数の障壁が張られてしまっている。力技だけで突破するのは、不可能だ!


 変身しなければ大規模な魔術を使えないらしい桃花では、悪魔の技にす術はないだろうし、魔素を感知することができない樹里先輩では、抵抗すらできない!


 ああ、確かに、契さんの言った通り、圧倒的な力を持つ悪魔リリーによって、状況は非常に分かりやすくなってしまった……。


 つまり、俺がなんとかするしかない!


「って、――なん、でっ!」


 しかし、そんな俺の決意は、ただただ空回りしてしまう。


 いざとなったら、俺自身の身体を盾にして、桃花と樹里先輩をかばえばいいなんて、考えた時点で間違いだった。


 そもそも最初から、契さんは、その二人を狙ったわけでは、なかったのだから。


「これは……!」


 先ほどの殺意は、フェイクだ。俺の意識を二人に向けさせて、本命から目をらさせるための、ただの演技でしかない。


 ああ、俺たちを取り巻くように展開している魔方陣の紋様を、ただ冷静に読み解けば分かったはずだ……!


 契さんの狙いは、彼女自身だったということに!


「くっ!」


 間に合わない。

 完全にきょをつかれた。


 魔方陣は、止まらない。

 悪魔の展開した障壁は、解除できない。


 もはや物理的な手段で、この数瞬後に起こるであろう悲劇は、止められない。


 だったら、やることは、は、一つだけ……!


「――契さん!」



 そして、閃光が瞬いた。



「お見事です、統斗様」

「どうも……、お褒めにあずかり、光栄です……」


 あ、危なかった……! 

 だけど、なんとかなった……!


 先ほどの閃光は、俺が魔素への介入に成功し、契さんが展開した魔方陣を解除できたことの証だ。


 ギリギリまで……、本当にギリギリまで追い込まれたことで、頭の中が真っ白になった俺は、ようやく自らの力で、魔術を使うことに成功したのだった。


 どうやら、極限まで逃げ道をふさがれたことで、ようやく心のかせが外れたらしい。


「でも、あんまり無茶しないでくださいよ、契さん……」


 いや本当に、勘弁していただきたい。


 色々な意味で心臓に悪すぎたし、悪魔のはずのリリーでさえ、こちらに向けて申し訳なさそうに頭を下げている様子を見ると、心が痛くなってしまいます……。


「ご安心下さい。こんな組織の危機的状況で、自らの命を絶つほど、私は無責任ではありません。先ほどの魔術は、見た目こそ派手でしたが、直撃しても大事ないように調整をしていましたし」


 つい一瞬前まで、危険な状況のど真ん中にいたというのに、契さんは特に息を乱すでもなく、綺麗に背筋を伸ばしながら、こちらに歩み寄る。


 調整をしていたと言われても、あの魔方陣をどう読み解いても、少なくとも重傷を負うのは確実で、下手したら後遺症が残るレベルの怪我も、十分以上にありえたはずなのである。


 いや、だからこそ、俺は必死になれたのかもしれないけれども……。


「それに……、信じていましたから」

「えっ?」


 だがしかし、契さんはそんなこちらの内心を知ってか知らずか、どこかうっとりとした笑顔を浮かべながら、俺を抱きしめ、とろけるような声色で、ささやいた。


「私と統斗様の、愛の繋がりを……」

「なっ!」

「ちょっと!」


 突然の熱烈なハグに、驚きの声を上げたのは俺ではなく、事態の急展開に置いてきぼりをくらい、その隙を付かれて契さんに割り込まれ、俺から離れる形になった桃花と樹里先輩だった。


「ああ、統斗様……、申し訳ありませんが、悪魔の力を借りた代償を支払うために、お手伝いいただけますか……?」


 口を開けて驚いている二人を無視して、契さんは俺の頬に手をやり、優しく撫でながら、熱い吐息を漏らす……、ってまずいって! 本気の目だ!


 悪魔に力を借りる見返りとして、契約者は常に、代償を支払わなければならない。これは絶対の掟であり、この約束を反故ほごにしようものなら、その無法者は地獄の苦しみを味わうことになる。


 淫魔であるリリーが求める貢物みつぎものは、当然ながら、それ関係……、オブラートに包んで言えば、精気と呼ばれるモノのたぐいであり、これまで幾度となく、俺は契さんのために色々と捧げてきたし、それ自体には文句はないというか、むしろこちらも望むところなんだけど……。


 今は、状況がまずいって!


「それでは、失礼します……」

「ちょ、ちょっと、契さん! ふ、二人がいるから、こんな場所で……、んむ!」


 しかし、慌ててしまった俺より、迷いのない契さんの方が早かった。抵抗らしい抵抗もできないまま、二人の唇は重なり、互いのぬくもりを分け合い、まるで気持ちを繋げるように、過度の密着を繰り広げ……。


 まあ、ありていに言ってしまうと、俺と契さんは、キスをした。


 それも、とびっきり濃厚なやつを。


「あーっ!」

「あーっ!」


 すぐ側にいる桃花と樹里先輩から、悲鳴にも似た叫びが聞こえた気がするが、正直よく聞こえない。契さんが色々と激しすぎて、俺の脳内では、淫らな水音が、これでもかと響きまくっているからだ。


 というか、こんな状況で、舌とか使わないでくださいよ!


「――ふう、ご馳走さまでした」

「……お粗末様でした」


 いや、なにを言ってるんだ、俺は。


「ちょっと! いきなりなにしてるんですか!」

「ふ、ふふふふふ……! どうやら死にたいみたいね……!」


 濃密すぎる唾液交換を繰り返し、ようやく満足したのか、契さんが俺から離れた時にはもうすでに、傍観者におとしめられた二人は、爆発寸前だった。


「あら、羨ましいのですか? こんなこと、私と統斗様は毎日しているというのに」


 しかし、契さんはそんな二人に睨まれても、余裕の表情で煽ってしまう。そこには単純に、目の前の二人よりも自分の方が圧倒的に強いという事実以外に、女としての自信というか、優越感のようなものが混じっている……、ような気がする。多分。


「ですが、それでいいのです。今回あなたたちを呼んだのは、新参者のくせに、最近よく統斗様に引っ付いて、調子に乗っているようでしたので、釘を刺すためなのですから、さあ、もっと存分に、羨ましがってください」 


 契さんから飛び出た驚愕の真実に、俺は開いた口が塞がらない。


 今回この二人を呼んだ理由って、それなのかよ! 都合が良いとか言ってたのは、特訓で俺の目くらましにするだけじゃなくて、これを見せつけたかったからかよ!


「さあ、統斗様……、無様ぶざまな敗北者に見せつけるためにも、もう一度口付けを……、なんでしたら、もっと過激なものでも……」


 なんだか、目の前がクラクラしてしまって、俺は再び契さんに抱きつかれながら、抵抗することすらできない。なんだかなぁ……、どっと疲れたよ……。


「ちょっと、わたしたちの目の前で、そんなことさせないよ! 統斗くんも、されるがままにしてないで!」

「この女……、許せない許せない許せない許せない許せない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない!」


 べったりとくっ付いた俺と契さんを引き剥がそうと、桃花は大騒ぎしてるし、樹里先輩はうつろな目で、なにやらぶつぶつと呟いている。危険な兆候だ。これは危ない。


 危なすぎて、涙が出そうだ!


「みんな、落ち着け! 落ち着いてくれー!」


 俺の悲しい叫び声が、ボロボロになった瓦礫の集積場に響き渡る。


 とにもかくにも、一つの問題を解決することには、辛くも成功したのだが、どうやらまた別の問題が、ドロドロと噴出してしまったようだった。


「統斗様!」

「統斗くん!」

「統斗君!」


 この問題の解決は、残念なことに、魔術が使えるようになることよりも、よっぽど骨が折れたのだった……。


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