第6章 エデン追放

(1)クーデター

1

 昔、カトリシアは父親であるプロシュテットに人間はどういう存在なのかを問うたことがあった。その時、プロシュテットはこう答えた。

『神の造りし存在。それが人間だと、聖書には書かれている。人間は神様を模して作ったものだとね。だから、人間が一番偉いとされているんだ。だけどね、みんながみんな神様が作ったわけじゃない。神様が人間に許したやり方で作っているんだ。それが自然のやり方なんだ。それに逆らうことは人間でも許されない。人間を人間の手によって作っちゃいけない。人間は欲深い生き物だ。そして禁断のやり方に手を染めた人間は地に落ちるだろうね。アダムとイブが楽園を追放されたように。カトリシアは、そういう人間になっちゃダメなんだよ。』

 この父の話には少し間違いがあるとカトリシアは思っている。アダムとイブが楽園を追放されたのはあくまで神が食べてはならぬと言っていた知恵の実を食べたからである。つまり、神が定めたおきてを守らなかったからである。禁断のやり方に手を染めて楽園を追放されたわけではない。

 だけど、この逸話の通り人間は欲深い生き物である。人間の欲望は計り知れない。性欲、食欲などの種族・生命維持に必要な欲のみならず、征服欲、独占欲などなど。挙げればきりがない。

 エフィカは、人間を自ら作り出す技術を手に入れた。そして、マラカノはその技術を盗んでわがものにし、人間の大量生産を行おうとしているのだった。

 それを食い止めるために、カフスランはフランクと秘密裏に手を組んだ。カフスランの歴史において諸外国と手を組んだことは数えるほどしかない。それだけ、今カフスランにおいては前代未聞の出来事が起きているのであった。


 エフィカのサルノ村への、カトリシアたちの立ち入り許可が下りたのはフランクと秘密裏に手を組んだ2日後のことであった。ICPOの権限を借り、バスティーニが外務省を通じてマラカノに許可を得てきたのである。

 衛星写真から研究所と思われる建物の場所を推定し、その場所に向かった。

 サラヴァンがマラカノ政府からの許可証を提示し研究所への立ち入りを求めた。

「インターポールがここに何の用ですか?何を調べているのですか?」

 入口にいる軍人がカトリシアたちを通そうとしない。

「それを告げる必要がないだろ?こうして君たちの政府が許可証を発行したのだ。ICPOは今捜査の拠点を置いているカフスラン外務省を通じてマラカノ政府に許可を得た。なぜここで理由を話さなければならない?」

「ここはエフィカ共和国だ。エフィカの許可証を持ってきたまえ」

「我々がエフィカ政府に確認したところここを管理しているのはマラカノだと聞いたが?」

「あんたたちね、マラカノ政府って言ってるけど、その政府っていつの政府?」

「いつの政府って、どういうことかしら?」

 カトリシアは軍人に問うた。

「まだ知らないの?マラカノじゃついさっきクーデターが成功して軍事政権が誕生したよ。多分その許可証を発行した政府は今、跡形もないと思うよ。俺たちは旧政府が発行したあらゆる許可証は無効にしろと言われているんだ。だから君たちを通すわけにはいかないな。」

「それは本当なの?」

「本当だ。嘘だと思うなら戻ってニュースでも見てみたら」

 カトリシアはいったんカフスランに引上げることを決めた。


 カフスランに戻ったカトリシアは、検問所で待っていたカリウスからマラカノでのクーデターの話を聞いたのだった。

「本当なの、それは?」

「ああ、大統領は銃殺された。副大統領も長官連中も襲われて中には死んだやつもいる。実行したのは軍だ。軍事政権がマラカノを掌握したとよ。」

「なんなのよ、いったい。どうなってんの?」

「軍事政権は現行の政権では国家の発展は見込めない。だから新しい政権の元マラカノをさらに拡大させてるとよ。クーデターの首謀者までは明かされていない。この軍事政権を承認した国は今のところねえ。」

「今各国が軍事政権を批判する声明を発表しているわ。マラカノ国内ではこうした動きの兆しも見えなかったらしいから、世界中が驚いているわ。」

 フロリアも情報を伝える。

「動き出したとたんにこれか・・・。」

 カトリシアは頭を抱えてしまった。事態はますます悪い方向へ向かっている。

 クーデターで政権が変わってしまったとなれば、交渉国が変わったといっても過言ではない。しかも軍事政権となれば出方をうかがう必要がある。

「ICPOに捜査依頼をしたのは前政権。そうなると彼らも容易には動けなくなるわね。最悪の事態だわ。」

「フロリア、軍事政権のトップって誰なのか知ってるか?」

「そこまで情報は来ていないわ。政権樹立の宣言を軍が出しただけで、トップが誰という情報はないわ。」

「事態は振出しに戻ったといっても過言ではないわ。何もかもが、やり直しだわ。」


「マラカノの情勢はどうなっている?」

 パルカンは秘書官を通じて外務省に問い合わせた。

「詳細な発表は届いておりません。少なくとも政情が不安定になっているのは確実ですね。」

「そんなことはわかっておる。その先の情報が知りたいんだ。」

「それは他の国も同じでしょう。詳細な情報をつかんでいる諸外国もありません。」

「他国も知らないのか?」

「ええ。公式な発表をしていませんからね。」

「なぜだ?トップが誰だとか、そんなことは隠す必要もなかろう。」

「そのはずなんですけどね。」

 どの国も、今マラカノで何が起きているのかを知る由もなかった。

「マラカノにあるフランクの大使館からも何の情報も来ないようです。通信が遮断されているか何かで、連絡すらつかないと。」

「情報規制をしているということか。」

 先進国にあるまじき事態である。まるで過激派組織に乗っ取られた国家のようである。

「ルワーブ大使と連絡は取れるか?」

「少々お待ちを」

 秘書官が執務室の電話からフランクの大使館に連絡を取る。

「連絡取れました。1番です。」

 パルカンは机上の受話器を取る。

「カフスラン公国パルカン公爵だ。ルワーブ大使であるか?」

「ええ、ルワーブです。マラカノの件ですか?それならこちらも有力な情報は得ていませんよ。世界中大騒ぎですよ。」

「情報規制が敷かれているような雰囲気なのか?秘書官から貴国の駐マラカノ大使館と連絡がつながらないと聞いたものでな。」

「そうなんです。通信が遮断されているようなのです。マラカノのTV局の国際放送も突然放送が終わってしまって・・・Webサイトにもアクセスできない状態です。」

「全く情報が来ないというわけだな。国家だけでなくマスコミすら情報が集められないという・・・。」

「マラカノともあろう国がこんな状態に陥るなんて考えられない。」

 一体何が起きているのか。状況を把握する手段を考えないといけない。

「何か有力な情報が来れば我が国にも教えていただきたい。わが国も何か情報をつかんだら貴国に伝える。」

「もちろん。敵を倒すにはまずは敵のことを知らなければならないですからね。」

 何か手段はないものだろうか。パルカンは様々な方法を考えるのであった。


「我々もお手上げです。マラカノにいるメンバーに連絡すら取れない。」

 ICPOのメンバーも困惑していた。

「どうしましょう。政府に問い合わせたくてもつながらない。マラカノの状況すら伝わってこない。」

 そこへイクス中佐が現れた。

「カトリシア少佐、ちょっと」

 イクスが手招きをしてカトリシアを呼ぶ。

「どうしたのですか、中佐?」

「今検問所にマラカノ軍の兵士が来ている。今アッサム中佐が対応しているのだが、妙なのだ?」

「妙とは?どういうことです?」

「言っていることが変なのだ」

 カトリシアは検問所に向かった。

「どういうことかね?それでカフスランに何かを尋ねても意味はなかろう。」

「しかし本国から何の連絡もないのはおかしいのですよ」

「アッサム中佐」

「カトリシア少佐か。イクスから話は聞いたか?」

「ええ、彼が例の?」

「そうだ。マラカノ軍のマイケルと名乗っている。」

 カトリシアはマイケルに話しかけた。

「初めまして。カフスラン公国陸軍少佐のエレン=カトリシアです。本国から何の連絡もないと言っておりましたが、どういうことでしょうか?」

「はい、本国からはクーデターに成功したら軍に命令を出すと言われていました。軍主導で行われたクーデターなので、前日には極秘に我々軍人にはクーデターを実行することは伝えられていました。クーデターに成功したら、本国の司令部から全部隊に向けて成功宣言と新たな命令を出すはずだったのですが・・・。」

「それがまだ来ていないと。」

「はい、それどころか本国の司令部に連絡すら取れないんです。」

「言われていたことと現実が違うってことですね。」

「本国の司令部に連絡がつかないのはかなり妙です。こんなことはこれまでないと上官も言っていました。」

 どうもマラカノ軍にも異変が起きているようだ。

「どうする?」

 アッサムがカトリシアに尋ねる。

「どうすると言われましても・・・カフスラン政府も情報をつかめていない状況です。他国政府も同じような状況で・・・。」

「メディアは何か報じていないのか?」

「それがメディアすら放送を行っていないのです。」

「なんだそれは?どうなっているんだ?」

「わかりません。普通はメディアを利用してクーデター成功を大々的にアピールするはずなんですが・・・。」

「どうするんだ!」

 そこへカリウスがやってきた。

「どうしたの?」

「マラカノの隣国メラノ連邦空軍がスクランブルをしたそうだ。マラカノ領空へ侵入し偵察を行うと発表した。理由は自国防衛のためと。」

「その結果は公開するの?」

「その予定らしい。まずはその連絡を待とうじゃないか。それから、パルカンから俺たちは公爵邸に来いとのことだ。」


2

 公爵邸にはパルカン、内閣の長であるワルド=メリワン首相、プロシュテット軍務省長官、ハーデ=マリドレド外務大臣が集まって協議していた。

「余があれこれと言える状況ではない。フランクとの機密協定の内容を伝える以外はな。」

「しかし我々にも内密でそんな協定を・・・。」

「この国を守るためにしたことだ。伝えなかった無礼は許してほしい。」

「いいえ、それはいいのですが。逆によくフランクが我が国に協力をしてくれたなと思いましてね。」

 メリワン首相は驚きを隠せなかった。

 カフスランでは公爵が絶対的権力を握る政治体制を取っている。公爵は絶対的君主であり、首相はその補佐的役割の実を担うとされている。ただ、実際は首相の助言を得て公爵は政治を行っている。そのため、公爵が自ら、独断で政治行為を行うことは稀なことであった。今回のフランクとの秘密協定締結はパルカンの独断で行ったことであったため、メリワンは驚いたのであった。しかし、その理由や条件を聞いて逆に今フランクの協力が得られる状況にあることに安堵した。

「この状況において頼りになる外国があるのはラッキーです。特にマラカノと我が国は特別なつながりがあるわけではありませんしね。」

 マリドレド外相がいう。

「そなたは知っておったのではないのか、このことは?」

「知っていました。ただ、内容は機密事項でしたので首相には報告しておりませんでした。」

「まあいいではないか。国を良い方向に持って行こうと思ってされたことだ。」

 プロシュテットが公爵を擁護する。

「驚いただけですよ、私は。首相である私が交渉しても厳しかったかもしれない。公爵だったからこそ向こうも協力してくれたのかもしれない。」

「それよりもこれからどうするかだ。そのために集まったのであろう?」

「まずはメラノ連邦の発表を待ちましょう。メラノ大使館の方から本国の発表がされ次第各国政府に報告書を送るとしていますし。」

「その間にエフィカから攻撃を受けるようなことはないのでしょうか?」

 マリドレドがプロシュテットに問う。

「少し前から国境沿いは警戒態勢を敷いています。何かあればすぐ対応できる状態にはなっていますので。ただ、国境警備にあたっている部隊からは今までのところ特に目立った動きはないと報告を受けていますが。」

「そうですか。」

 そこへ、執務室のドアをノックする音が聞こえた。

「パルカン公爵、騎士団の皆さんがお揃いです。」

「わかった。通せ。」

 メンバーが執務室に入る。そして、首相と外相がいることに驚く。

「会談中・・・なの?」

「君たちを待っていたんだよ。」

 メリワンが言う。

「私たちを、ですか?」

「ああ、そうだ。特にバスティーニ君の報告が聞きたくてね。」

「バスティーニの報告?」

 確かにバスティーニは分厚い報告書を持っていた。

「検問所で保護した“かれ”に関する情報ですよ。いろいろ調べたんです、病院に移送して。」

「そうだったの?どうりで最近見ないな~と思った。」

 フロリアが言う。

「どうだったんだ、結果は?」

 プロシュテットが報告を促す。

「はい。まず数値的な結果から報告します。精神年齢はおおよそ6歳前後、身体年齢は21歳前後と思われます。成長ホルモンによって肉体的成長がかなり促されています。しかし、知能の成長に関してはやはり早めることは困難であったと思われます。正確な生年月日は不明ですが、人間でいうところの誕生年は今から5年前と思われます。遺伝的両親が誰なのかまではわかっておりません。」

「それを解明するのは難しいでしょうね。遺伝子のサンプルがない限り。」

 カトリシアが意見を述べる。

「ええ、はっきり言って無理です。フリメラ元村長の話から推測するに多くの遺伝子を集め、それらを材料に実験を行っていたと思いますので。明確な記録が残っていればいいのですが、研究所にも入れませんからね。」

「で、供述内容から研究所のことはわかったのか?」

 カリウスが先を促す。

「はい、彼は絵をかくのが上手でしてね、言葉では上手に表現できていませんでしたが、彼の描く絵から概要をつかむことができました。マラカノに占領される以前までは、移動範囲は限られていたものの、それなりに人間らしい生活は保障されていたようです。部屋はきちんと与えられ、就寝時間以外は鍵はかけられていませんでした。部屋にはおそらく観察を目的としたカメラが設置されていました。また机、いす、TV、ベッドが置かれており、拘束などはされていなかったようです。食事は研究所の食堂で取っていたようで、研究所の職員との交流もあったようです。食事の中身も我々の食事と大差ありません。お代わりなども自由にできたようです。ただ、食事の後に必ず薬を飲まされていたようで、薬の服用は担当の研究員が持ってきてその場で飲むよう指示されていたようです。本人によると、薬を強制的に飲まされたことはないそうですが、毎日の習慣の一つとして認識していたようで、食事の後に薬を飲まされないことが逆に違和感に感じるほど自然のことだったようですね。日常生活では研究所内のジム施設での体力トレーニングや語学学習などが行われていたようです。血液検査を頻繁に受けていたようですね。あとは我々でいうところの身体測定も週1回のペースで受けていたようです。」

「ゆるい拘束を受けていたってことか。でも研究所内では割と自由だったんだな。」

 カリウスが研究所内での生活スタイルに驚いていた。

「そのようですね。外出だけは認められなかったようですが。」

「研究所の設備なんかは分かったのか?」

「詳細にはわかりませんが、かなり広かったと思われます。様々な設備が整えられていたようですしね。」

「でもマラカノが来てから状況が変わったってこと?」

 フロリアが尋ねる。

「ええ、マラカノが来てからはまさに刑務所の囚人並みの扱いです。彼はトイレに行きたいと思って拘束場所から出たときに、研究所の中が変わってしまったことに気づき、怖いと思って脱走したようです。脱走過程についてはあまり記憶がないようで、詳細はわかりません。ただ、その時研究所内を大量のクローンが歩いていたと思われます。」

「どうしてそう思うのだ?」

「彼の話によると言葉を話せない小学生くらいの子供が大量にいたらしいのです。そのうちの何人かは自分についてきたと話していました。」

「それが、国境沿いで見つかった遺体なのかしら?」

「でしょうね。その可能性が高いと思います。」

「大量生産の実験をエフィカでやっていたということか?」

「そこまでは・・・。実際に研究所の内部を調べてみないと何とも言えません。」

「しかし」

 カトリシアが口を開いた。

「そんな幼い精神性を持ったクローンをマラカノは本気で軍事利用する気なのかしら?武器をもって戦うっていうの?」

「僕は無理だと思います。訓練だってままならない。」

「幼稚園児に軍事訓練だなんて無理だろ?」

「でももしそれを可能にしていたらどうする?」

「まさか!」

「興味本位で機関銃を撃たれたらたまったもんじゃないわ。」

 思わず寒気が走ったメンバー。

「恐ろしい大人に育ちそうだな・・・。武器その物じゃねえか。」

「人間が武器ですか。ぞっとしますね。」

「ひとまず、報告は以上ってことでよいかな?」

 メリワン首相がバスティーニに問う。

「はい、以上ですね。」

「ならばこうして顔を突き合わせ続けても仕方ないだろう。いったん散会にしてメラノからの報告を待とうじゃないか。」


「これから、どうなってしまうのでしょうか?」

「それは父さんにもわからん。前代未聞の事態だ。人クローンが隣国で生産され、その隣国を乗っ取った世界の大国が人クローンを大量生産し、そのクローンの一部は脱走。隣国を乗っ取った国の本土ではクーデターが発生し未だクーデターの首謀者もわからずじまい。こんなことがこれまで世界で起きたと思うか?」

 父は娘に問うた。娘は首を横に振る。

「父さんだけじゃない。世界中のだれも経験したことのない事態だ。どうしたらいいのか、どうなってしまうのか、みんな誰もわからんよ。」

「先進国とはいったいなんなのですかね。」

「さあ。やつらが勝手に先進国とか言っているだけだ。」

「そうですね。」

「カトリシア、父さんは一回軍務省に戻るからな。カトリシアは、自分のやるべきことに集中しろ。今回の件は、前例なんてものは通用しない。型破りなことでも、それが最善だと思うのならそれをした方がいい。」

「はい。」


「バスティーニはクローンと話したのか?」

「ええ、話しましたよ。」

「どうなんだ?やっぱ俺たちとは違うのか?」

 カリウスが問う。

「見かけに反し話し方が非常に幼いですからその違和感はなかなかなれません。だけど、感情表現はしますし見た目は本当に人間そのものですからね。大きな違和感を感じることはありませんよ。」

「へぇー、感情があるんだ。」

「生み出された方法が科学的でも人間とかなり類似したものであることには違いありません。ロボットでもありませんしね。」

「そっか。」

「遺伝子的には人間ですからね。だから本当に不思議です。命って何だろう、って本気で思いましたよ。」

「なあ、クローンが俺たちを恨むことってあると思うか?」

「といいますと?」

「クローンが人間そのものなんだったらさ、なんで自分たちは俺たちの様な人間とは違う扱いを受けるのだろうって疑問に思うんじゃないかって思ってさ。その疑問を突き詰めた結果、人間がクローンを道具扱いしていたことを知ったら、彼らはどう思うんだろうなって思って。ちゃんとお母さんから生まれた人間と、人工的に生み出された人間の違いって何だろうなって思ってさ。同じ命じゃねえか。」

「そういう問題があるから、世界は人クローンの研究を禁じたんですよ。だけど、マラカノはそれを破ってしまったのです。」

 2人は黙ってしまった。

 カリウスが再びバスティーニに問う。

「なあ、クローンは殺されるのか?」

「わかりません。ただ、そうなる可能性も大いにありますね。」

「存在しちゃいけない存在は、消すってことか?」

「わかりません。」

「わかんねえよな。」

 カリウスは、きっと今回のことはどう転んでも悲劇にしかならないんだろうなと思った。


3

 夕方、メラノ連邦から偵察の報告書が届いた。

 その内容に、世界中が驚いた。

 報告書を、マリドレド外相が読み上げた。

「えー、まずマラカノ大統領府は炎上、議事堂も炎上しているようです。軍の総司令部である国防総省も爆発炎上しているようです。」

「なんだそれは。クーデターというよりは国家転覆じゃないのか?」

 パルカンが驚きの声を上げる。

「生存者の有無や現地の詳細な状況はまだわからないようですが、警察などが動いている様子は見かけられなかったようです。」

「警察機能が動いていないってこと?」

「TV局とかはどうなってるんだ?」

「首都では大規模な火災が発生しているようで、道路を戦車が通行しているのが確認されたようです。ただ操縦がかなり荒いらしく、建物にぶつかりながら走行しているようです。当然通行人もひいているため死者も多数出ているのではないかということです。」

「なんなんだ、それは」

 プロシュテットも驚きの声を上げる。

「ということは現状、マラカノは無政府状態になっている可能性が高いということですな。」

 メリワンがまとめる。

「そういうことになりますね。」

「だけど、軍部が暴走しただけでそうなるかしら?」

「カトリシア君の意見に私も同意だ。まっとうな人間ならそこまでしないだろう。」

「外相もそう思いますか。」

「クーデターを起こすだけならここまでしなくても十分ではないですか?大統領はすでに銃殺されていると聞いている。政府の中枢を担う人物の多くは殺されたのであろう?ならそれで十分だと思いますが。」

「なら、軍の暴走でなければ、民衆の暴走か?」

「マラカノでは民衆が暴動を起こす要因となるような出来事があったのですか?」

 カリウスがマリドレド外相に問う。

「そのような動きは確認されていない。」

「まさかとは思うのですが・・・。」

 バスティーニが、恐る恐る発言する。

「どうしたバスティーニ?」

「あくまでふっと思いついただけなので、何か確証があって言うわけではないのですが・・・。」

「構わないから言ってみなさい。」

 メリワンが促す。

「・・・クローンが・・・暴走したとか」

 その言葉を聞いた瞬間、場の雰囲気が凍り付いた。

 考えられなくもない。マラカノ本土の国立研究所でクローンが大量生産されている疑いはあった。もし彼らがクローンのコントロールに失敗したとすれば、このような事態が起きたとしても不思議ではない。

「・・・ありえなくもないな。」

 プロシュテットがぼそっという。

「国連軍への出動要請を出しますか?」

「国連はマラカノにある。報告書によると、国連本部も甚大な被害を受けているようだ。」

「国連は機能していないということか。」

 するとカトリシアが立ち上がった。

「有志連合を組みましょう。カフスランやフランクだけで対処できるレヴェルは超えているわ。こうなったら、各国総がかりでやらないと、世界が崩壊するわ。」

「そのためにも、サルノ村の研究施設を調査して実態をつかまないといけませんね。」

「それも同時進行的にやらなければならないことだけど、その前にやらなければならないことがあるわ。」

「やらなければならないこと?それは何?」

 フロリアの問いに直接答えることなく、カトリシアはメリワン首相、そしてパルカンに向かってこう言った。

「クローンの事実を、公表しましょう。」

「公表?カトリシア、そなたは今何を言っているのかわかっているのか?」

「ええ、十分にわかっているわ。その上で言っているのよ。」

「どういうつもりなんだ?まだクローンの暴走の結果と分かったわけじゃないぞ。余は別にそれで世界から非難されることは覚悟している。しかしながら、それ以上に、この事実を公表すれば世界は大混乱に陥る。」

「わかってる。だけど、どう説明するの?どのようにして各国の協力を仰ぐの?ただの民衆の暴動なら近隣諸国が対処すればいい。だけど、この事実を公表すれば世界が動く。今、身を切ってでも世界の協力を得ないと、この世界が崩壊する。」

「あまりにも危険な賭けすぎる。余は反対だ。」

「なら、フランクとカフスランだけで対処できるの?どうやるつもり?」

 この問いに答えられるものは、誰もいなかった。

「人類が、全員で知恵を出し合って、解決しなければならないの。たった2か国でどうにかなる問題じゃない。」

 誰も、カトリシアに応えられるものはいなかった。父親であるプロシュテットですら、応えられなかった。

「いつかは明らかになること。それが後になるのか、今になるのかの違いだけ。こうなった以上、事態を闇に葬ることはできないのは、ここにいる人間ならわかるでしょ?」

 沈黙のまま、時が流れた。カトリシアも、かなり覚悟を決めていった言葉だった。

 この事実を公にするのは、まさに崖から飛び降りるようなことだった。この地球上に存在するはずのない、存在してはならない存在がいるということ。そして、その存在が自分たち人間の制御下から外れて、暴走している可能性があるということ。人間にとって、大きな脅威となっているということ。こうなってしまった以上、その存在を認めて、自分たちが対処しなければならない。

「わかった、カトリシア。わがカフスランが、エフィカからクローンに関する情報を得て、対応していたことを公にしよう。メリワン首相、そなたはどう考える?」

「正直、公表しない方向で行けるのならそうしたい。しかし、もしクローンの暴走によってマラカノが現状に陥っているのだとすれば、カトリシア少佐の意見に従うのが、一番の最善策と考えます。それ以外の最善策が、見つかりません。」

「ならばそうしよう。マリドレド外相、フランク大使館に連絡を。フランクとは秘密協定を結んでいる以上、我が国単独でこうした行為に出るのは心証が悪いだろう。向こうと議論する時間くらいはあるだろう。」

「それがいいでしょう。すぐに連絡を取らせます。」

 その場にいたメンバーは、覚悟を決めてこの事態に立ち向かうことを決心したのであった。


(2)記者会見

4

 メラノ連邦からの報告があった翌日。

カフスラン公爵府は、18時から公爵自らによる重大事項に関する声明発表を行うと、国内外のメディアに通知した。

フランク政府も今回の事案の公表を検討していたようで、相手側の承諾をスムーズに得ることができた。会見の場にはフランク共和国大統領オリアンも同席する予定になっており、大統領が政府専用機でカフスランに向かっている所であった。

「緊張するな。まさか初めての記者会見がこんなことの発表になるなんて考えてもいなかった。」

「それはみんな一緒よ。でも就任の会見もパルカンはしていないからね。」

 騎士団メンバーも会見に同席することになっており、皆緊張していた。

「公国民の人はみんな驚いているみたいですよ。公爵の会見なんて、滅多にありませんからね。」

「そういえばそうね。就任と崩御の時くらいだもんね、最近は。」

 100年前に議会が成立し、政治行為の多くを議会や内閣が行うようになってから公爵自ら何かを発表するということは激減した。公爵の就任・崩御以外の内容で会見をするのは、75年ぶりのことであった。

 15時半、フランク大統領オリアンがカフスランに到着した。

「パルカン公爵、大統領がご到着です。」

「応接室にお通しして」

 応接室では、騎士団メンバーに、メリワン首相、パルカンがオリアン大統領を迎えた。

「ようこそ、カフスランへ。こういう形でなく、もう少し晴れやかな形でお迎えしたかったが。」

「歓迎ありがとう。事態が事態です。仕方ありません。公爵自ら丁重にお出迎えしていただき、感謝しております。」

 その後、大統領を交えて会見の打ち合わせを行った。

「しかし、勇気あるご決断をされたものです。まだお若いのに。」

「逆ですよ、大統領。若いから、こうした無謀なことができるのです。」

「なるほどね。」

 いろいろ後先のことを考えすぎて前に進めなくなっている自分のことを思い、それは年を取ってしまったゆえなのかと思うオリアンだった。


 18時。記者会見の時間になった。

 記者会見は儀式に似た形で厳粛に行われる。カフスラン公国の代表TV局以外のカメラでの撮影は禁止される。ただし、その場で各メディアに対し代表TV局が撮影した映像が配布される形になる。形式的な発表が終わった後で、記者による質疑応答が行われる流れとなっている。

 まずカフスラン公国国歌が1番だけ流された後、進行を務める騎士団長のカトリシアが、形式に沿った言葉を述べる。

「わが親愛なる公国民、そして公国が所属する世界に向けて、カフスラン公国公爵カフスラン=パルカンから重大なお知らせを行う。なお、会見後見人である私、カフスラン公爵直属騎士団『サルビア』団長であり、カフスラン公国軍務省作戦参謀であるエレン=カトリシア少佐は、今回の公爵の発表がうそ偽りのないことであることをここに誓わせていただきます。それでは、公爵からの発表です。」

 カメラがパルカンを写す。

「カフスラン公国民、並びに全世界の国民に対し、カフスラン公爵カフスラン=パルカンからある事実の公表を行います。この事実は、とても現実として受け入れられないことも含まれているかと思いますが、先ほど騎士団長が宣誓した通り、嘘偽りはありません。発表の内容を、素直に受け入れていただきたく思います。先日、マラカノ共和国においてクーデターが起きたと思われることは既にご存知かと思います。メラノ連邦からの発表の通り、現在マラカノは非常に大きな危機に直面しております。今回カフスランが公表する内容は、このマラカノの動乱に関わってくる可能性の高い事実であります。」

 一呼吸置き、パルカンは続きを読んだ。

「カフスラン公国では、前公爵の行った行為の詳細を調べるためエフィカ共和国に調査団を派遣、調査を行いました。その結果、エフィカにおいて人クローンの作成が行われていたことが発覚いたしました。エフィカに残されていたスーパーコンピューターから、人クローン作成の詳細に関するデータが発見され、一部は実際に作成されたと考えられています。さらに先日、カフスランがエフィカ国境沿いにおいて保護した国籍不明・身元不明の人物がその作成された人クローンである可能性が極めて濃厚であると考えられています。その根拠につきましては別途文章で各メディアに配信しておりますのでそちらをご覧ください。以上です。」

 その場に居合わせたメディアの記者たちは驚愕した。作られるはずのない人クローンが作られていた事実に。

 カトリシアが記者会見を続ける。

「この事実に関する質疑応答は後ほど、受け付ける。続いて、本国に滞在し捜査を行っているICPOの捜査チームリーダー、アラン=サラヴァンから発表を行っていただきます。」

 この場において、ICPOがマラカノから受けていた捜査依頼の詳細を発表することにもなっていた。

「えー、ICPO臨時捜査チームリーダーのアラン=サラヴァンです。この場を借りて、ICPOから発表を行います。今回カフスランが公表されたクローンに関係する事項なのですが、クーデターが起きる前のマラカノ政府から、私たちICPOは、ある人物の動向に関する捜査を依頼されていました。その人物とは、カフヴァノ=イケノスです。イケノスには、人身売買ビジネスを世界的に展開していた容疑がかけられています。イケノスはエフィカ事件発覚の前日に今回の事件における国連の担当者に任命されています。そして、先ほどパルカン公爵が公表された事実が記載された資料を国連の捜査において閲覧していた可能性があります。その後ICPOの捜査において、国連によるエフィカ捜査終了後の1週間後に、以下の様な内容の人身売買が行われていたことが判明しております。」

 サラヴァンは人身売買の商品説明について書かれた紙をスクリーンに映した。

「ここには、取引対象人物がもっている遺伝子、遺伝子の両親の性格・特徴、性別などが記載されており、値段が設定されています。ここから、この取引の対象となっているのが、エフィカが確立した人クローン生産技術を流用して生産した人クローンである疑いがあります。」

 サラヴァンは別の資料をスクリーンに映す。

「さらに、こちらの資料には、マラカノ国防総省からICPOに密告された、軍用人間の取引記録が載っています。ここには明確に、ここに書かれている会社が、軍用に開発した人間を契約書に書かれた値段で国家に売却する旨が書かれています。戦闘用に優れた能力を持つ遺伝子を組み込んだ人間の設計図もこの資料には添付されています。この会社は、イケノスが代表を務める会社であることがわかっています。この事実から、国家が人身売買ビジネスに関与していた疑いがあります。」

 会見場は騒然となった。

「現在、ICPOはイケノスへの取り調べを行うことを検討しております。こちらからは以上です。」

「発表は以上。ここから、質疑応答を受け付ける。」

 カトリシアのこの発言を皮切りに、記者が一斉に手を挙げる。

「はい、そちらの記者の方。」

「作られていたクローンの数は判明しているのでしょうか?判明しているのであれば、何体作られていたのでしょうか?」

 この質問にはパルカンが答えた。

「カフスランがエフィカら押収した資料では少なくとも2体は作られていたとしています。マラカノでの作成数は確認できておりません。」

 別の記者が手を上げ、質問をする。

「マラカノで起きたクーデターは、クローンによるものと考えているということでよろしいでしょうか?」

 この質問にも、パルカンが答えた。

「明確に確認したわけではありません。しかしながら、カフスランではここ数日クローンと思われる遺体が発見されています。また、メラノ連邦からの報告書にもあるように、クーデターとしては必要以上の破壊行為が行われていることを考えると、軍部が単独で起こしたクーデターとは考えにくいため、このような形でクローンによる可能性があることを発表しました。」

 ここでICPOのサラヴァンが手を上げ、補足説明をした。

「えー、事態が事態のため、国連の了承が得られ次第、クローン問題の捜査を行っているカフスランとマラカノの隣国メラノの2国によるマラカノの現状調査を行う予定です。国連の機能は現在マラカノでの動乱の影響で本部が大きな被害を受けているため、ブリテンの首都ロマンドに本部機能を移転するとの連絡を受けております。」

 その後もクローンの詳細に関する質問が相次いだ。カフスランで保護している生きているクローン個体への接触を求める記者もいたが、その要求を却下したり、クローンの元となった人は判明したのかなど。会見は1時間半にも及んだ。

 この事実は速報として世界中を駆け巡り、衝撃を与えた。


5

 翌日、国連からの正式依頼を受けて、カフスランはマラカノで起きた事案についての捜査を行うことになった。

 カフスランではICPOのメンバーを含む捜査チームが結成された。そのチームには騎士団メンバーも入っている。

「これから俺たちはどうすりゃいいんだ?」

「まずはマラカノに行くことね。現地に行って状況を把握する。状況を把握するだけでも大変だとは思うけど。」

「マラカノは入国できるような状態なの?」

「メラノからの報告によれば、壊滅的な被害を受けているのは首都部だけで、それ以外の地域は大丈夫らしい。だけど首都機能が生きていないから、国全体としては非常に不安定だけどね。」

「国土が広いだけに、中央が機能しないと大変なことになりますね。」

「そうね。大統領も殺害されたし、軍は機能していないし。いつ国が崩壊してもおかしくない状況ね。」

「しかし、そなたらだけで大丈夫か?」

 パルカンが心配そうにカトリシアたちを見る。

「おい公爵様よ、忘れたのか?俺たちこれでも戦う能力はそれなりに高いんだぜ?」

「そうだが相手はこれまで誰も相手をしたことがないんだぞ。大丈夫なのか?」

「大丈夫だって。心配すんな。カフスランから行くメンバーは少数だが、メラノ連邦軍が同行してくれる。丸腰で行くわけじゃあるまいし。」

「確かにそうだが・・・。」

「パルカンは自分がいけないのが嫌なんでしょ?」

 カトリシアがパルカンの本当のところの心情を見抜いて指摘する。

「いや・・・まあ、そうだが。」

「あなたは公爵なの。この国に残って、守らなきゃ。ね?」

「わかっておる。」

「しかしまあ」

 カリウスが背伸びをしながら話す。

「イケノスはこの緊急事態に何やってんだ?」

「そうのこのこと姿を現わしたりはしないでしょう。どこまでも逃げるつもりだと思いますよ。この混乱に乗じて国外逃亡することも容易です。」

「ったく!悪人ってどうして頭がいいやつばっかりなんだ?」

「頭がいいから、悪人になるのでは?」

 バスティーニが冷静にツッコミを入れる。

「準備が整いました、カトリシア少佐。」

 今回メラノまでの飛行を担当する空軍のパイロットがカトリシアを呼びに来た。

「ありがとう。では行きましょう。パルカン、私たちが留守の間、よろしくね。」

「無事に帰ってこい。成功を祈っている。」


 カトリシアたちは、政府専用機でメラノに向かっていた。

「しっかしすげーな、この飛行機は。」

「公爵や首相が外遊などに使う飛行機ですからね。」

「だけど、機内に執務室があるなんて、びっくりしたぜ。」

「国でいつ、何が起こるのかはわかりませんしね。外遊中に有事が発生する可能性だってあるんですから。」

「確かにな。公爵っていうのも大変だ。」

 その執務室ではカトリシアが仕事をしていた。今回の調査団のカフスラン側の代表はカトリシアだった。

「どうするの、向こうついたら?」

「どうするも何も考えていないわよ。まず向こうがどうなっているかもわからないのに。」

「そうだけど・・・じゃあ現地で臨機応変に対応するってこと?」

「それしかないでしょう。どうしようもないわよ、今は。」

 せっせと書類処理をするカトリシアを見ながらフロリアはソファに座って、マラカノで自分たちが何をするのかが決まっていない不安を感じていた。

「お茶入ったよ。」

「ありがとう、フロリア。そんな秘書みたいな仕事しなくたっていいのに。」

「カトリシアの秘書なら喜んで引き受けるよ。」

 フロリアとは中学からの友人である。

「もう5年くらいになるのかしら?私たちが会ってから。」

 書類処理の手を休めてカトリシアはお茶を飲んだ。

「そうね、まさかこんなことを2人ですることになるなんて思いもしなかったわ。」

「それは私もよ。私はまだ16よ。もう少ししたら17になるけど。」

「人クローンってさ、そんなに簡単にできるものなの?」

「私はその分野の専門家じゃないからわからないけど、ヒツジといった哺乳類のクローンには成功していることを考えると、難しいことではないと思うわよ。人でやるのには技術的問題以上に、倫理的問題のほうがあるから。」

「今回みたいなこと?」

「それもある。軍事利用の問題や奴隷になる問題もね。」

「それ以外の問題って?」

「クローンを作るのにはクローンの親、つまり遺伝的親の細胞が必要なの。逆に言うと細胞さえあれば、死んだ人のクローンを生み出すことができるのよ。だから、歴史上の偉人のクローンを作ることだって可能なのよ。」

「死者がよみがえるってこと?」

「よみがえる、に似たようなことかしら。遺伝的には同一人物だけど、死んだその人自身がよみがえるわけじゃない。あくまでコピーだから。」

「そっか。でも、死んだ人間を再生できるなんて、神の力じゃない。」

「神が存在するかどうかは別として、人間が神に並ぶ存在になることはないわ。権力者が権力を手に入れたら豹変してしまうように、人間が神にも等しい力を手に入れたらむちゃくちゃになるわ。その力を適切に扱えるようになるとは、私は到底思えないけどね。」

「そんな人徳のある人なんているのかしら?」

 カトリシアはお茶を飲んだ。

「ねえフロリア、創世記において神は自分に似せて人間を作ったとされているじゃない。でもさ、その人間は知恵の実を食べるまでは知恵がなかった。自分が裸でいることを恥じる知識すらなかった。神が作ったエデンの園で、神の完全なる保護・・・いいえ、支配を受けていた存在。神の思うままに行動する、そんな存在だった。だけど、知恵の実を食べてしまったがばっかりに、知識を身に着けてしまった。目が開いて自分たちの姿を見てしまった。神はそんな存在を追放し、苦難を与えた。私はね、神様って結構ひどいことをする存在なんじゃないかって思うんだけど、どう思う?」

「どう思うって言われても・・・神様をひどい存在としてとらえたことがないから。」

「神は世界の序列において最高位に立つもの。国でもそうだけど、最高権力をもった存在って、ひどい存在なのかな。」

 このカトリシアの問いに、フロリアは答えることができなかった。

「神様を信じられないのよ、私は。助けてくれる存在と思ったことがない。信じられるものは、自分しかないんじゃないかって思うんだよね。」

 自分に言い聞かせるようにカトリシアはそうつぶやいた。その姿を見てフロリアは、カトリシアが今回の任務にあたって、何か自己暗示をかけているような、そんな少し怖くなるような気配を感じたのだった。

 飛行機は、メラノ連邦の領空に侵入した。目指す目的地まで、残り1時間を切っていた。


(3)覚悟

6

 カトリシアたち調査チームを乗せた飛行機は、メラノ連邦の首都バロンにほど近い空軍基地に到着した。

 現地では、メラノの大統領がメンバーを出迎えた。

「わざわざお越しくださりありがとうございます。」

「いいえ、貴国も、我が国も今共通の脅威にさらされています。同じ危機にある国同士、助け合う時です。」

 大統領の出迎えの言葉にカトリシアが答える。

「こちらが協力できることがあれば、全力にて協力させていただきます。何なりと。」

「ありがとうございます。ぜひ、そうさせていただきます。」


 基地を出て、カトリシアたちはメラノが用意した専用のホテルに移動した。

「そういえば、今フランクは何してんだ?」

「フランクはエフィカの調査をしているわ。国連に掛け合って、例の研究所を調査するって言ってたわ。パルカン曰く、エフィカとマラカノを同時におさえられるようにフランクが対応してくれるそうよ。」

「同時におさえるって、支配下に置くってことか?」

「いったんね。そして、その支配権を自分たちから国連なりの機関に移譲できるようにするってこと。ひとまず、何らかの形でコントロールできるようにしないと、よくないでしょ?」

「確かにな。国が暴走したら、えらいことになるからな。」

「ええ、それだけは防がないといけない。」

「えっと、ここが私たちの部屋っと・・・って広い!!」

「ロイヤルスウィートらしいよ、この2部屋は。」

 部屋のドアを開けた瞬間、その広さにフロリアは驚きの声を上げた。

「あんまり、ゆっくりする時間はないだろうけどね。」

 カトリシアは驚きもせず、淡々と荷物を置いてつぶやく。

「私はこれから偵察をしてきた空軍幹部と会談してくるわ。バスティーニも一緒に来てね。フロリアとカリウスは捜査会議の準備をして。ICPOと必要な情報の共有化をしておいて。」

 メンバーに指示を出したカトリシアは準備をして部屋を出て行ったのであった。


7

 それぞれの今日の業務が終わった後、騎士団メンバーは部屋に集まり、情報の共有化を行った。

「みんな、どうだった?」

「ICPOのメンバーとはこれまでに得た情報の確認を行った。まあ、ICPOは俺たちと同じカフスランにいたから、新しい情報ってのはなかったし、同じ状況を把握していたよ。」

「フランクや本庁から新しい情報が来たとかはなかった感じ?」

「なかったな。何せエフィカがあんな状況だからな。」

「そう。」

「カトリシアのほうが新しい情報持ってるんじゃないの?」

「そうね。バスティーニ、お願いしてもいい?」

「はい。マラカノの首都アステノは上空から見るだけでも、壊滅的被害を受けているのが確認できたようです。民間人の生存が確認できる見込みは低いようです。」

「皆殺しにされたってこと?」

「意図的に皆殺しにしたかどうかはわかりませんね。わかりやすく言えば、軍隊が好き放題に武器を使っているといったほうがいいでしょうか。戦車からは意味もなく無差別に砲弾が発射されていますし、機関銃を持った人物が機関銃を乱射していますし。」

「民間人が乱射しているの?」

「武器を持っているのは軍服を着ています。しかしながら、メラノの方曰く、正規のマラカノ軍の軍服とは違ったようです。」

「ってことは、正規軍じゃないってことか?」

「その可能性が極めて高いと。」

「おいおい、国家転覆じゃねえか、そりゃ。」

「でもさ、大統領を殺害した、って発表したのは軍部なんでしょ?」

「そこなんです。そこがいまだにわからないのですよ。」

「うーん、これはもう現地に入ってみるしかないか。」

「だけど、容易に入れないでしょ、それじゃ。」

「ええ、いつどこから攻撃を受けるのかはわかりませんからね。」

「メラノの方はね、この銃を乱射しているのは傭兵とは考えにくいって言ってたのよ。」

「どういうことだ?」

「傭兵ならば、その傭兵を動かす司令官がいて、その指示通りに動くものじゃない?だけど、マラカノにいる非正規の軍服を着た軍人は、とても命令を受けて動いているとは思えない動きなんだって。」

「じゃあ、文字通りの暴走ってことか?」

「そうなるわね。」

 メンバーに身震いが走った。

「そうなったら、武器を持っているその兵士を拘束、もしくは殺害することになるってことか?」

「ええ。」

 短く、カトリシアはそう答えた。

「現地に入る場合、メラノ軍が私たちを護衛してくれるようです。ただ、相手側が必ずしも我々が考えているような動きを取るとは考えにくいので、守り切れる自信はないと、おっしゃっていました。」

「俺たちも武装して対応するしかないな。」

「現地に入るとしたらいつ頃になるの?」

「そこはメラノの方と相談ね。こちらの独断ではできないわ。」

「一筋縄じゃいかなそうだな。」

「それは確実ね。」

 とそこへ、内線電話が鳴った。

「はいこちらカフスラン捜査チームです・・・」

 カトリシアが出て、電話の相手と会話を交わす。

「了解しました。伝えておきます。」

 そう告げて電話を切った。

「どうした?だれからだ?」

「メラノの方から。メラノ軍が、先行して入るって。その時に現地の状態を映像にして撮影するって。」

「大丈夫なのか?」

「今回、国連がマラカノにいる不審人物の殺害許可をメラノ軍に出したそうよ。超法規的措置ね。国連が自ら他国の軍に殺害許可を出すのは異例ね。」

「それだけ非常事態だってことですね。」

「ええ。クローンとはいえ、彼らも食事をとらないといけない。もしかしたら、かなり体力的に消耗していて、活動が少し穏やかになっているかもしれない。そのすきをついて、ってことかもしれないわね。私たちとの話し合いの時も、そのようなことをメラノの人たちが言っていたから。」

「なるほどね。」

 わずかな可能性にかけて、メラノ軍はマラカノを目指した。


8

 翌日。早速メラノ軍が撮影したマラカノの首都アステノの現地映像が届いた。

「はや!もう届いたの?」

「メラノ軍の通信技術は世界トップよ。それに、輸送機でアステノ近くの空港に着陸したから。」

「皆様、こちらご覧ください。」

 メラノ軍の人がスクリーンに現地映像を映し出す。

「これは・・・。」

 映像を見た人はみな、言葉を失った。

 破壊された商店。焼失したビル。道路は戦車が何台も通ったからだろうか、アスファルトにひびが入っていた。信号も破壊され、倒れている電柱もある。一部では水道管も破裂し、辺り一面水浸しとなっていた。

 そして、街中には機関銃などで銃殺されたと思われる一般市民の遺体が散乱していた。

 映像を見た人は軍の関係者が多かった。メラノ軍の関係者は現役の軍人であり、様々な戦場に赴いた経験のある者も多かった。しかし、彼らも、遺体が散乱している光景を見て中には目を覆っている者もいた。そのくらい、凄惨な光景であった。

「なくなっている民間人は、銃殺されたと考えられます。中には、例の軍服を着た人間もいたようです。おそらく、流れ弾が当たって死亡したと思われます。」

「無差別に乱射したって可能性が高いってことですか?」

「おそらくは。重傷を負った軍服姿の人間もいたようですが、我々に向け銃を発射してきたものが多かったため、一部は殺害したという報告も受けております。中心街付近には、生存者はいないものと思われます。」

「これはひどすぎる・・・。」

「クーデターというレベルをはるかに超える状態ね。」

「大統領邸などは確認したのですか?」

「そちらは現在確認中です。国防総省も同様に確認を行っております。」

「そうですか。」

「だれかが生存していればいいのですが・・・。」

「クローンが大量に生産されていたと思われる施設などは見つかりましたか?」

「そちらも今偵察機を使って探している所ですが、見つかるかどうか・・・。」

「そうですか。偵察の結果はいつ頃?」

「今日の夕方には、とりあえずの報告はできるかと。」

「わかりました。私たちは、この映像の分析をしましょう。」


 別室に移り、カトリシアたちはメラノ軍が撮影した映像を分析した。

「おそらくいくつかのグループに分かれて襲撃したのでしょうね。抵抗する間もなく、という感じで」

「そうだろうな。そうなると、最初の方は指揮している人間がいたってことだな?」

「それが途中からいなくなっちゃった、ってこと?」

「あるいはいうことを聞かなくなった、つまりは暴走状態に陥ってしまったという可能性があります。それで、指揮が通らなくなってしまい、制御不能となってしまった。」

「指揮をしていたのは誰なんだろう?」

「それは今後の報告から考えるしかないわね。ここからそれを推察するのは困難よ。」

「しかしひでえな。これじゃ首都としての機能を取り戻すには相当な時間がかかるぞ。」

「数年はかかるでしょうね。」

 市街地は壊滅的な状態だった。まるで紛争地域の都市である。

「世界の中心と言われた都市が、こうもあっさりと壊滅状態になるのね。たかが人間が築いたものなんて、そんなものかしら。」

「生存者がいればまだなんとか情報の集めようがあるんだけど、この状態じゃあな。残されているものからいろいろ推測するしかないよな。」

「カトリシア、国防総省や大統領府に生存者がいたらどうする?」

「まずは人命救護を優先。そのうえで、彼らの状況を見て取り調べを行うかどうかを検討ね。メラノ軍にも、そのように伝えてあるわ。」

「生存者、いるといいな。」


 人が使うはずだったものに、人が支配されてしまう。なんで人は同じ過ちを繰り返し続けるのか。

 エフィカの人たちもそうだった。便利にするために、あのスマートフォンと呼ばれる機会を開発したのに、結局その機械に支配されてしまった。自ら考える意志を失い、機械の言われるがままに行動する。その指示を、人ではなくコンピューターが出しているとも知らずに。

 文明の利器は、正しく使ってこそ利器である。使い方を間違えれば、使う人のモラルがなければ、その利器は利器ではなくなってしまう。

「カトリシア、どうするつもり?」

 フロリアが険しい顔つきをしていたカトリシアに声をかける。

「どうするも何も、私たちはこうして待っているしかないわ。」

 カトリシアはそれ以上、何も言わなかった。

 カトリシアはメラノ軍が撮影した映像を何度も見ていた。そして、一つの違和感に気付いた。

「ねえフロリア、これ妙じゃない?」

「どれが?」

「破壊されたビル、攻撃を加えているところがみんな同じよ。」

 映像を見ると、偽のメラノ軍によって破壊されたと思われるビルは、どこも地下部分が徹底的に破壊されていた。

「地下ばかりを狙ったような気がするわ。」

「確かに。地下を攻撃するように訓練させていたんじゃないの?ほら、パブロフの犬みたく。」

「市民がみんな地下に隠れるからかしら?」

 となると、狙いは一般市民なのか?カトリシアはそう考えた。

「っていうことは・・・!」

 カトリシアは、ある推測を伝えに部屋を飛び出した。


「なるほど、つまり首謀者は空から逃亡を?」

「その可能性は十分に考えられます。多くのパターンを教え込むのは、彼らの精神年齢を考えると困難だと思われます。」

「たしかに、一階部分と地下が徹底的に破壊されれば、下手をすれば建物は倒壊する。」

 国防総省の建物は、地下が破壊されても倒壊しないつくりになっていることを確認したうえで、カトリシアは、今回の事件の首謀者たちが国防総省や大統領府の上の階にいるのではないかという推測をメラノ軍に伝えた。

「そうなれば、空から建物内部に侵入したほうがいいかもしれないな。やってみるか。」

「私たちも同行してもよろしいでしょうか?」

「どういうところに行くのか、それはわかっているのだな。」

「ええもちろん。国は違えど私も軍人ですから。」

「わかった。」


「本気で行くのか?」

「ええ、直接問いただすわ。今回のこと。」

 カトリシアはメンバーたちにメラノ空軍とともに国防総省に乗り込むことを伝えた。

「なら俺も行く。カトリシア一人じゃ心配だから。」

「私も!」

「みんなはここにいて!」

 カトリシアは同行しようとするメンバーたちを制止した。

「国防総省に行ったところで、この国の崩壊を止めることはできないわ。真実を知ることができても、救うことはできない。みんなは、ここでマラカノを救うことをして。」

「カトリシア・・・。」

「私にはみんなのように優秀な武術があるわけじゃない。私が現地に行ったところで、指示を出すことしかできない。だったら、私はもっと違う形でこの事件に貢献したい。」

 カトリシアは、自分の思いをメンバーに伝えた。

「でも・・・。」

「大丈夫。自分の身を守ることくらいはできるわよ。」

 目を潤ませているフロリアの手を取って、カトリシアはそういった。

「お前がそう思うならそうすればいい。絶対、生きて帰って来いよ。」

 カリウスは、そういってカトリシアの背中を軽くたたいた。

「ええ、もちろん。」

 この30分後、カトリシアを含めた5人は、国防総省へ直接乗り込むため、ヘリコプターでマラカノへ向かったのだった。


(4)国防総省

9

「まだ事前の調査は済んでいませんが、大丈夫ですか?現地の報告を待ってからでもいいのではありませんか?」

 ヘリコプターのパイロットはカトリシアに尋ねた。

「大丈夫です。それを待っていたら、状況はどんどん悪くなるばかりです。」

「一刻の猶予もないと、お考えなわけですね。」

「ええ。」

 カトリシアは腰のホルダーに拳銃を入れ、短くそう答えた。

「我々はどうすればいいでしょうか?」

 同行しているメラノ空軍の兵士たちがカトリシアの指示を待つ。

「私は潜伏していると思われる国防総省大臣執務室に向かいます。4名の皆さんは、それ以外の場所を調べてください。そのうちの一人は、資料室に向かってください。執務室と同じ階にあります。」

「わかりました。資料室ですね。」

 兵士は、国防総省建物の見取り図をみて、その位置を確認した。

「パイロットの方は、私たちを下ろしたらすぐに離れてください。わかっているとは思いますが、攻撃を受ける可能性は極めて高いですので。」

「わかりました。」

 ヘリコプターの窓からは、破壊されつくした街並みが見える。

―――まるで廃墟ね。なんでこんなことに・・・。

「まもなく降下地点です!」

「みなさん、打ち合わせ通りに。無事を祈っております。」

「カトリシア少佐も。お気をつけて。」

 彼らと短い会話を交わした後、ヘリコプターから降り国防総省建物へと侵入した。


10

屋上の入り口には、だれもいなかった。

―――見取り図通りなら、この先に執務室があるはず。

 明りのない建物の中を、慎重に進んでいった。拳銃を構えながら、ゆっくりと進む。

 人気がしない。

―――空振り?ここじゃない?

 廊下を進み、執務室の直前まで進んだ。誰もいない。

―――ここね。

 ドアがある。カトリシアは慎重に開ける。

 すると、執務室の椅子に、一人の男が座っていた。イケノスだった。

「やあ。カフスランの子かい?」

 イケノスは軽く手を上げてカトリシアにそう話しかけた。

「よくわかりましたね、私のことが。」

「私は一度会った人間をそう簡単に忘れたりはしないさ。」

「ここで何をしているのですか?」

 イケノスは椅子から立った。カトリシアが銃を構える。

「銃を構えないでくれ。私は丸腰だ。何もしない。」

 カトリシアはそういわれても銃を下ろさなかった。

「まあ仕方ないか。私が何をしているのかを聞きたいのかい?」

「ええ、そうです。」

「君は私が何をしたと思う?」

「あなたには旧マラカノ政府から、人身売買を行った疑いがあると聞いています。ICPOはその件であなたを探していました。」

「それで?」

「まずはその件についてお答えいただきたい。」

「後で答えるさ。君が聞きたいのはそんなことじゃないだろう?」

 イケノスはカトリシアからすべてを聞き出そうとしていた。

―――どういうつもり?

「話さないのかい?君は何をしにマラカノに来たんだい?そんなくだらないことのために来たのかい?」

「人身売買がくだらないこと?本気で言っているのですか?」

「私がしたことの中ではくだらないことさ。ただビジネスをしただけのことじゃないか。」

―――この男は何を考えているの!

 カトリシアは怒りがこみ上げてきた。しかし、今は我慢しなければならないと思い、その気持ちをぐっとこらえた。

「エフィカからクローン人間のデータを盗み出しましたね。そして、それを利用し、クローン人間を作った。違いますか?」

「さっきもいったけど、後で答えると私は言った。そのほかには?」

「今回のマラカノでのこの騒動を起こしたのは、あなたが大量生産し、国家や軍に売ったクローン人間なのではありませんか?」

「それだけ?」

「私たちがつかんでいるのはそれだけですが。」

「そう。」

 イケノスは窓際に立ち、淡々と語り始めた。

「私がしたかったのはね、この世界で最強の人間に、権力者になることだった。私は世界最大の国家に生まれた。その国家の、中枢にかかわれるくらいにまで上り詰めた。私はこの国を大きく変えられると思った。この国が変われば世界が変わる。世界中に影響を与えられるんだ。だから、我が国は世界最強でなければならないし、世界で最も最先端な国家であるべきなんだ。なのに、大統領はそれを許さなかった。だから、私は実力行使に出たのさ。そんな役立たずな大統領は要らない。そんなことにお金を払ってくれない国家は要らない。だからつぶしたんだよ。」

 目の前の人間が、到底同じ人間とは思えなかった。

「エフィカはクローン人間の技術を確立させていた。それだけじゃない。何体か作っていた。最初はエフィカに残っていたクローン生産設備を使って何体か作った。逃げられたけどね。そこでの結果を生かして、今度はマラカノでクローンの生産に取り掛かった。」

「そうして作ったクローン人間を、国に売ったんですか?」

「ああ、そうさ。マラカノの軍隊は志願制だ。志願者が減れば軍隊は機能しなくなる。だから私は大統領に提案した。クローン人間なら、いくらでも作れるし、死んだって悲しむ人間はいない。そして、なにより遺伝を操作すれば、戦闘に特化した人間さえ作成可能だ。この提案をしたら、やつは簡単に乗っかった。ちょろいもんだよ、人間は。前許さなかったことでも、言い方さえ変えてしまったらコロッと騙されて許すんだ。面白かったよ。」

「一体いくら得たのですか?」

「それはそれは莫大なお金さ。何せ、これまで誰も作ったこともなければ、販売したことのないものだ。値段設定なんて、こっちの好きなようにできるからね。非常に魅力的な商品だったよ。」

「しかし、その商品が、こういう結果を起こした。」

「初めて作ったんだよ?君はこれが失敗だと思うのかい?私は思わないね。彼らは戦闘用に作った人間だ。大変素晴らしい結果を残してくれたじゃないか。この世界最強と言われたマラカノをあっというまに倒した。ほかの国の軍隊が、同じような結果を得られると思うかい?やつらだからできたことじゃないか。私は今回の実験は成功だと思っているよ。」

「実験?これがですか?」

「そうだよ。」

「これだけたくさんの一般市民を殺し、国をめちゃくちゃにした。そのことに関して、罪悪感を感じないのですか?」

「別に。弱肉強食の世界だよ、この世界は。私が生み出した作品は、今の人間を超えた存在だった。だから、人間は作品に負けた。ただそれだけじゃないか。」

「本気で言っているのですか!?」

「もちろん。私が何か間違ったことを言っているかい?」

「非人道的だとは思わないのですか?反倫理的だとは思わないのですか?」

「非人道的?じゃあ逆に聞くけど、人道的なことって何?ライオンがシマウマの首にかみついてシマウマを殺し、食らうことは非人道的なのかい?私はそうは思わない。彼らは生きていくためにそうしている。彼らにとってはそれが食事なんだ。君は鶏肉ができる過程を知っているのかい?鳥の首を、機械で一斉に切り落とし、そのまま羽をむしり血を抜いて、水で洗う。その肉を、私たちは食べている。じゃあそこで毎日何十羽という鳥の首を切り落としている業者は非人道的なのかい?もしそうならそれを食べている我々も非人道的な存在となりうるではないか。」

 屁理屈だ。カトリシアはそう思ったが、有効な反論が思いつかなかった。イケノスは言葉を続ける。

「昔使われていた処刑道具にギロチンがあるのを知っているだろう。あれを今の人は非人道的な処刑道具だという。だけど、あれが開発された当時、ギロチンで処刑されるのは名誉なことだと言われていたのだ。ある国では、ギロチンでの斬首刑は貴族にしか適用されなかった。あの当時は、ギロチンで処刑することは人道的だと言われていたのだ。そういう価値観ってやつはね、時代が変われば大きく変わるんだ。だけど、その価値観を変えた人物というのは、生きている時はいろいろと言われてしまう。つらいね、先駆けを行くって。」

 何も言い返せないカトリシア。畳みかけるように、イケノスは続ける。

「倫理だってそうだ。女性は男性よりも劣っている。男尊女卑。この考え方が、一昔前は正しい倫理観だった。だけど、先進国を自称する国ではこの考え方は間違っているのであり、男女は平等であるという。それが正しい倫理観だという。本当なのかね?」

 すこし間をおいて、話を続ける。

「これらの考えについて、私がどう思っているのかを今は言わない。君が聞きたいことじゃないだろうからね。だけどね、クローン人間を作ることは悪だとは思っていないし、私のような使い方が間違っているとは思わない。理由はちゃんとあるさ。少子高齢化。若い人がいなくなり、年寄りが増える。働き手がいなくなり、生産力のない国になる。ある国じゃ高齢者2人を1人の若者で支えているというではないか。だから、若者の比率が多い地域から、若い人を引き抜き、労働者として雇う。私はこの人身売買のビジネスを始めて、一番多く受けた注文がこれだったよ。身寄りもない、親もいない、生きていける力のない貧しい若者を、安い賃金で働かせたいからくれってね。働く先はその国の年寄りがいる施設さ。変な話さ。その国の年寄りを、どうして他国の若者が支えないといけないのだ?きっとそういうところなら、クローン人間がいれば喜ぶだろうね。」

 どうすればいいのかがわからなくなってしまった。

「いつかは必要となるさ。この技術は。それが、いつかという話さ。」

 カトリシアは拳銃を下した。目の前にいる人間の話を聞いているうちに、自分の中にあった考え方に自信がなくなってしまった。

「ついでにこれもいっておこうか。私は悪いことをしたという自覚はないさ。もし君たちが私を捕まえたいのならそうすればいい。私のしたことが非人道的だというのであればそういえばいい。じゃあ逆に聞くけど、今生きているクローンはどうするつもりなんだい?ああ、たしかに彼らは生きているはずのない存在だ。そんな存在を君たちはどうするんだい?殺すのかい?クローンをそう言う形で殺すのは、人道的なことなのかい?軽々しいよね、人道的って。笑っちゃうよ。」

 イケノスの言っていることに対する有効な反論が見つからない。屁理屈であるのは確かだ。だけど、それに対抗できるものがない。

―――でも、黙っているだけだと、私の負けだわ。

 そう思い、カトリシアはイケノスに向かって話し始めた。

「あなたの言いたいことはわかりました。それに、理論が通っていることも確か。でも、あなたに決定的にかけているものがあると思うのです。」

「欠けているもの?何なのかね?教えて欲しいね。」

「人間味ですよ。人間が長く大切にしてきた、感情ですよ!」

 この言葉に、イケノスは反論しなかった。カトリシアは話し続ける。

「人間と動物の決定的な違い、それは感情を持っていること、そしてそれを言葉で伝えることができる。泣いたり笑ったり、怒ったり悲しんだりすることができる。それを表情に表し、言葉にして伝えることができる。今のあなたには、それが大きくかけていると思うわ。この荒廃した街をみて、あなたは何も思わないの?」

 イケノスは何も言わない。

「感情を持っている人間なら、こんなことはできない。そうは思いませんか?」

「そう聞かれてもね。それがないから、私はやったんじゃないかな?」

 カトリシアは愕然とした。イケノスが黙っていたのは、そのことに気が付いて言葉を失ったのではなく、カトリシアの言っていることが理解できなかったからなのだと、知った。

「もし君が言っていることが、一般的な人間において正しいことなんだとしたら、私は自己の目的を完遂するために、人間であることをやめたのかもしれないね。自分の目的を達成するためには、そういった感情を排除する必要があった。動物が進化するとき、必要じゃないあるいは邪魔なものは排除していく。それは君も知っているだろ?例えば、ヒトになるにあたって、しっぽを捨てたようにね。私も一緒だ。この目的を達成するためには、そういった感情を捨てる必要があった。だから、私は捨てたのだろうね。」

 その感情を捨てたことを、まるで誇らしげに語るイケノスをカトリシアは到底受け入れることができなかった。

「私は君たちの進化形だ。私を拘束して、いろいろ研究してみたら面白いんじゃないかな。」

 イケノスはケラケラと笑い出した。カトリシアは、ただただ呆然と立ち尽くしていた。


 国防総省に突入してから1時間後。カトリシアはイケノスを拘束し、国防総省から出た。外には、無線で呼んだメラノ空軍のヘリコプターが待機していた。

「資料室に行っていたメンバーは?」

「全員、別便でメラノに戻っています。」

「そうですか。ありがとう。」

「カトリシア少佐こそ、よくご無事で。」

 イケノスの身柄は、ヘリに乗っていたICPOのメンバーに引き渡された。

「イケノスの様子は?」

「もはや、人間ではなかったわ。」

 それだけいうと、カトリシアは窓の外を見て、何も言わなかった。


(5)悲劇の終幕

11

 イケノス拘束の翌日。

 マラカノ西部の、人気のない村で大量の自殺遺体が見つかった。

 その遺体は、例の正規のマラカノ軍とはちがう軍服を着た遺体だった。イケノスによって大量に生み出されたクローンたちは、自らが持っていた武器で、集団自殺をしたのだった。なぜ彼らが自殺をしたのか、最初は謎だった。しかし、その日の午後、イケノスはICPOによる取り調べにおいて、自分が2日以内に何も指示をしなかったら自ら死ぬようクローンたちに教育していたことが分かった。

 この話を聞いた騎士団メンバーは、言葉を失ったのであった。


「イケノスは権力におぼれたことであんな人間になったのか?」

 カリウスはカトリシアに問うた。

「知ってはいけないことを知ってしまった、からじゃないかしら。神のみぞできることができるようになってしまった。だから、人間として大事なところが狂ってしまったのではないかしら。」

「神のみぞ知る、か。」

「彼は、アダムとイブになりかけたのよ。クローン人間界における、創造主にね。遥か昔、神様が私たちを作ったようにね。だけど、人間は神様じゃない。人間に神様の代わりが務まるわけがないわ。」

「なあ、カフスランで保護しているクローンは、どうなるんだ?」

「それはまだわからないわ。」


 マラカノは今後隣国メラノ連邦の協力を得ながら国家を再建することとなった。前政権のトップ陣はみな今回の騒動で死亡してしまったため、メラノ連邦が臨時政権を立て、正式な政権が成立するまではメラノ連邦が代理統治することとなった。首都再建には相当の年月がかかると言われている。

 世界の経済の中心だったこともあり、世界経済は大きな混乱に陥った。各国の市場では株価が下落し、景気が減退した。ただ、建設業や資源産出国は今回のマラカノ再建計画に参加することで膨大な利益を得ると言われている。ここを商機に活用しようと奔走する国も出てきたくらいだ。


 騎士団メンバーは、イケノス拘束3日後、メラノを出国しカフスランに帰国した。

 空港ではパルカン自らがメンバーを出迎えた。

「おかえりなさい。無事でよかった。」

「パルカンこそ!元気そうで何よりだわ。」

 パルカンは、カトリシアを抱きしめた。

 空港からそのまま公爵邸に移動し、メンバーはメラノでの出来事をパルカンに報告した。

 全てを聞き終えた後、パルカンはこういった。

「人間を辞めたんだな、イケノスは。まあ、わからないでもない。支配者っていうのはそういうものなのかもしれない。確かに、感情を持っていることが人間のいいところであり、素晴らしさである。だけど、人を支配するとき、その感情が邪魔をする。全てのもの事は裏表だ。ある人にとってはプラスであっても、別の人にはマイナスになる。絶対にそうなんだ。だから、支配者はいちいち感情を持っていられなくなるんだ。自分の心が持たなくなってしまう。でも、心を失ってはならない。難しいな、人の上に立つってことは。」

「パルカンは公爵になりたくなかったの?」

「なりたいなりたくないを考えたことはない。この家の人間として生まれた以上、ならなくてはいけないのだ。そこから逃れることはできない。そりゃ、ならなくていいのならなりたくない。でも、人間には役割がある。余は公爵という役割を引き受けなければならない人間として生まれた。だから、その役割を引き受けたまでだ。ただ、それだけなんだ。」

 自分に言い聞かせるようにパルカンは言った。

「大丈夫よ、パルカン」

 カトリシアはパルカンの肩をポンとたたいた。

「パルカンがもし人間を辞めそうになったら、私がパルカンの人間性を取り戻してあげる。それに、私はパルカンが人間を辞めないって信じてるわ。」

「余は頼もしい友人に囲まれて幸せだな。そなたたちに感謝しないといけないな。」

 パルカンは涙を流しながらそう言ったのだった。


 イケノスの取り調べは未だ続いていたが、こうしてのちにマラカノクローン事件と呼ばれる今回の事件は、一先ずの区切りをつけたのであった。

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