第5章 諸刃の剣

(1)暗闇の道

1

 軍務省情報課が回収したスーパーコンピューター『ベルテシャツァル』のメモリー解析は、多くの時間を要していた。解析から1週間たった時点で、解析ができたのは全体の10%に満たなかった。

「相当な情報量ね。」

「ありとあらゆる情報をこのコンピューターに記憶させていたようですね。エフィカの国の成り立ち、これまでの大統領に関する記録、議会の議事録といったあらゆる情報が入っています。」

「まって。エフィカには議会があったの?」

「そのようですね。共和国議会というのが存在しています。ただ、先代の大統領が大統領令を用いて解散させていますが。」

「ということは、私たちがいたときには機能していなかったってことかしら?」

「そうなりますね。」

 その後のデータ解析で、このコンピューターが実権を握る前のエフィカの国政に関する情報が明らかになった。

 エフィカは三権分立のシステムで国政が運営されていた。議会・大統領・裁判所の3者による三権分立である。立法権を握る議会は一院制で、国民による直接選挙で議員が選出されていた。議員定数は150名。半年に一回通常議会が開催され、会期はおよそ2・3か月。法案は2/3の賛成によって可決される。行政権をつかさどる大統領は原則4年一期で、こちらも国民による直接選挙で選出される。大統領は議会を通さずに発することのできる大統領令で国民を統制することができる。ただし、この大統領令を発令できるのは大統領が必要と判断した時にしか発することができない。また発令後の議会でその役割を担う法案が可決した場合、もしくは違法な命令と判断された場合には無効となる。

 エルスタリア氏が発令した大統領令は、議会の機能停止と次期大統領の指名権を現職大統領に与えるという内容であった。理由は隣国との紛争状態にある中で政権移行や国政運営を抜かりなく行うため、であった。議会はこれを承認し解散してしまったため、この大統領令の執行を止めることができなくなってしまったのである。

「巧妙に権限をすべて大統領に集中させたってことね。」

「法の抜け穴を見事についたやり方ですね。独裁政権が成立する国においてはよく見られることですが。」

「ところで、研究データは見つかった?」

「今はまだ見つかっておりません。ただ、いくつかのチームに分けて解析を進めていますので、どこかのチームがそのデータにたどり着けば解析は進むと思います。」

「わかったわ。わかったらすぐに教えて。」

「もちろん」


 自室に戻ったカトリシアはマラカノに関する調査を始めた。マラカノの産業構造からここ最近の政治の動向などを調べた。

 マラカノの産業はIT産業が進んでいることが特徴であった。最先端の技術を保有し、後進国への技術提供も積極的に行っているという。カフスランと大きく違うのは、消費量に対する自国での資源産出量である。石油・天然ガスといった資源の産出量は、その消費量を大きく下回っている。これらの資源は他国からの輸入に頼っているのが現状のようだ。カフスランとの取引はない。

 ここ最近マラカノが侵略している国々に共通することは、資源が豊かなことである。化石燃料だけでなく、鉄鉱石やダイヤモンドといった鉱物まで、あらゆる資源を自国のものとしようとしているようにみえる。

―――彼らがエフィカに見出している魅力は資源なのかしら?

 確かに彼らから見ればエフィカは魅力的な場所だろう。発見された石炭の鉱脈はかなりの埋蔵量だといわれている。マラカノの軍事力を持って戦えば、隣国など大した相手ではないだろう。

 そして、エフィカではレアアースが産出される。これも大きな魅力かもしれない。

 レアアースの産出量はエフィカよりもカフスランのほうが多い。レアアースはIT産業には欠かせない資源である。これを狙っているとすれば、その狙いがカフスランに向く可能性も高い。

―――マラカノがエフィカに侵攻することは私たちにとっても大きな脅威ね。

 マラカノは積極的に海外侵略を進めている。この時代に植民地でもほしいのであろうか?

―――自国の領地のおよそ3倍の海外領土か。国家規模に見合わない膨張とも取れるわね。


 パルカンは、母であるぺスカート元公爵夫人に呼ばれ、話をしていた。

「この封筒は・・・。」

「この前カトリシアが持ってきたやつよ。」

「中を見てもいいのか?」

 そういって封筒の中身を見た。そして、その内容に驚愕した。

 封筒の中身はエフィカで進められていたクローン人間の開発に関する報告、そして人工知能の研究に関する報告であった。

「クローン人間の開発・・・。まさかエフィカは。」

「これによると、政治にたけた遺伝子を集め、クローン人間を作ろうとしていたみたいね。人工知能の開発の目的もおそらくそれかと。」

「どちらが実用性があるのか、それを試そうとしていたのか?」

「恐らくそうでしょう。そのために国民の遺伝子のゲノム情報を集めた。それを研究所で解析した。誰も踏み込んだことのない聖域にエフィカは踏み込もうとしたのよ。」

「なぜこんなことを・・・。」

「エフィカでは汚職が絶えなかったってことはあなたも知っているでしょ。人間に政治をやらせる以上、汚職が途絶えることはない。なら、完全な人間を作って、その人間に政治をやらせれば汚職のない政治が実現する。そう考えたのよ。」

 人造人間に政治をやらせる。そうすることで、汚職がなくなるだけじゃない。判断ミスもなくなる。そう考えたのだろう。

―――恐ろしい。

 父はこの技術を盗もうとしてこの国を操ろうとしたのか。だとしたら、父も同じようなことを考えていたのか?

「このことを安易に公表したら世界がパニックになるわ。絶対に口外しないでね。」

「わかっています。」


 軍務省情報課は大騒ぎとなっていた。

「これは・・・ゲノム情報ですよ!人間の!そしてこれは、クローン人間の設計図です。」

「エフィカはクローン人間を作ろうとしていたという事か?」

「そうお思われても仕方がないでしょう。もし、この情報がマラカノに渡ってしまったとしたら・・・。」

 クローン人間の開発は国際的にもタブーとされている。エフィカが、踏み込んではいけない世界に踏み込んでしまっていたということが明らかになれば、大事となる。

「このまま解析を続けますか?どうしますか?」

 ヴァレリアーノは悩んだ。こんなこと、自分だけで判断していいものなのか?

「少し待て。ことがことだ。上層部に相談する。」

「わかりました。では、別の情報の解析を進めます。」

「ああ、そうしてくれ。方針が決まったらすぐに伝える。」


2

「うまいなーこの唐揚げ。何の唐揚げなんだ?」

「カエルだ。」

「え・・・カエル?」

「ああ、うまいだろ?余の大好物だ。」

 公爵邸でカリウスとフロリアはパルカンとともに夕ご飯を食べていた。

「どうなんだ、そなたの部隊は?」

「ああ、最近は国境警備の訓練ばっかりだ。ま、エフィカの支配権をマラカノが握っている以上、そうなるのはわかるけどさ。」

「わたしの部隊もそう。でも正直マラカノ軍が来たら太刀打ちできないよね?」

「向こうの軍事力は世界最強だ。太刀打ちできるわけがねえよ。」

「侵略されるか否かは、余の判断次第ってことか?」

「そうなっちまうな。国家元首ってのも大変だな。」

「余の一言で全国民の命が危険にさらされるかもしれない。そう考えるとつらい。」

「その命を守るのも俺らの仕事なんだけどな。」

「そういえば、カトリシアたち遅いわね。」

 今日はサルビアのメンバーが公爵邸にそろうはずだった。しかし、2人の姿がまだない。

「何かあったのかな?」

「そういえば情報課がえらい騒ぎになっているってきいたぞ。」

 パルカンはまさかと思った。この前母親が見せたあの情報に関するデータが見つかったのだろうか?

―――どうしてこのタイミングで余が公爵になってしまったのか。父は、いったい何のために・・・。

「2人はそのうち来るさ。もう少し待とうではないか。明日は日曜日だ。」

「そうだな。」


 軍務省情報課応接室には、バスティーニとヴァレリアーノ、軍務省長官エレン=プロシュテット、そしてカトリシア作戦参謀がいた。

 カトリシアは今回の事態を受けて、エフィカ問題の対応を担当することとなった。これが作戦参謀としての初めての任務となった。

「この情報を公表するのはかなり難しいですね。国際的にも、タブーとされている人クローンに関する情報ですからね。」

「ああそうだな。我が国が国際的非難を浴びる可能性もある。」

「前公爵はこのことをご存じだったのかしら?」

「このコンピューターを直接操作していたことを考えると、この情報にアクセスしていた可能性は否定できませんね。特にこの情報へのアクセスにパスワードがかかっていたわけではありませんから。」

「パスワードはかかっていなかったのか?」

 ヴァレリアーノが驚きの声を上げる。

「ええ、かかっていませんでした。もしハッキングなどがされていれば。この情報が外部に流出していたかもしれません。」

「ハッキングされていたかどうかを調べる方法はないのか?それをチェックする方法とか。」

「あります。調べますか?」

「ヴァレリアーノ課長のいう通りだな。調べたほうがよかろう。できるか?」

「できます。では、そのチェックをします。」

「カトリシアは私とともに公爵邸に行くぞ。いいな?」

「はい。」

「あ、公爵邸に行くのだったら、パルカンに私は今日の晩さん会には行けないと、伝えておいてもらってもいいですか?」

「わかったわ。」


「お父様、あの封筒の中身は・・・。」

 公爵邸に向かう車中で、カトリシアはプロシュテットに尋ねた。

「そうだ。これに関する情報が書かれている。前公爵が逮捕される前に、私に渡したのだ。これだけは、国連に渡してはならぬとね。」

「やはり、知っておられたのですか。」

「ああ。エフィカが何をしようとしていたのかまでは知らなかったようだがな。」

「知らなかった?」

「これは父さんの考える予想なのだがな、おそらくこれを使って何かをしようとしていたわけではないと思うのだ。きっと、前公爵がこの情報を守っていたのには何か別の理由がある気がしてならないのだ。」

「別の理由、ですか。」

「これを使って何かをしようと考えているのだったら、もっと何か物証が出てくると思う。これだけの研究を進めるのであれば、それ相応の設備が必要だ。だけど、カフスランにはそれと思われるものがないだろ?」

「ええ確かに。」

「前公爵がいったい何を考えていたのか、それを知りたいのだがな。もう本人と話すこともできないし、どうすればいいものか。」

 もしかしたら、それが、エフィカをあのような形で自分のコントロール下に置くことの目的につながるのではないだろうか?カトリシアはそう考えるのであった。


 公爵執務室で、カトリシアとパルカン、プロシュテットは会談を行った。

「情報課で現在わかっているのは以上よ。」

 カトリシアは情報課で解析が終わった人クローンと人工知能に関する研究報告書の内容をパルカンに伝えた。

「ところでだ、先日カトリシアがパルカン殿に渡した書類は見たか?」

「ああ、母と一緒にみた。情報課でこうしたことが判明した以上、お主らに隠しておく必要はなさそうだな。」

「そうだな。ただ、現在この事実を把握しているのは情報課の担当メンバー、情報課長のヴァレリアーノ、バスティーニ、そして我々とぺスカートだけだ。」

「この事実は最高機密に指定した。現時点で把握している人物以外に漏らした場合、軍務省による制裁の対象となるわ。」

「さて、どうしたらいいものだろうか。とても余が対応し切れる問題ではない。」

 パルカンは、この事態に対応できる状態ではなかった。次々と明らかになる事実を受け入れきれていなかった。

「国際的にも、こうした分野の研究を進めていたケースはない。はっきりいって、これから何が起こるのかは全く予想ができない。」

「でも、ただ起きたことに対処していくだけでは不十分。次の手を考え、適切に対応していかなくてはならないわ。」

「カトリシア、お主はこれに関する何か懸念は思いつくか?」

「一番の懸念はこの情報にマラカノが接していることね。彼らにとって、この情報にたどり着くことはあの国の技術力を考えれば容易なこと。そして、マラカノ本土には、これらの研究を進めるだけの施設や技術がある。もし、彼らがこの情報を盗み取って研究を進めれば、世界は脅威にさらされるわ。」

「軍事目的などに使われたとしたら、われわれの想像を絶することになるかもしれんな。」

「どうしたらいいのかしら・・・。」

「まずはマラカノの出方をうかがうしかないな。その間に、われわれも今軍務省にあるデータの解析を進める。それしかできないだろう。」

 プロシュテットがいう。カトリシアにも、パルカンにもこれを超える良策は思いつかない。

「そうだな。余にマラカノから何か接触があれば、その結果はお主らに報告するようにする。」

「頼むわパルカン。」

「不安だらけでつらいかもしれないが、私もカトリシアも、軍務省のメンバーも万全を期して対応する。ぜひ、よろしく頼む。」

「こちらこそだ。」

 ここから、先の読めない、未知の戦いが始まるのだなとカトリシアは覚悟を決めるのであった。


(2)静かなる戦い

3

 人工知能。英語でArtificial Intelligence。その頭文字をとってAIとも呼ばれる。人間の脳の思考回路を、コンピューター等の技術を駆使し再現するというもの。現在先進国を中心に各国で研究開発が進められており、一部では実用化もされている。家庭用ゲーム機や携帯端末に搭載されているという。

 ただ、軍事利用としての研究を進んでいる現実もある。AIを搭載した戦闘機やミサイルの開発が進んでおり、実用化も近いとされている。ある国では、実際の人間が操縦する戦闘機と、AIの操縦する戦闘機が模擬戦を行い、AIの一方的な攻撃により人間側が負けたという。AIは人間とは違い、感情を持ち合わせない。命じられたことを、その通り忠実に遂行する。このような技術が戦争に使われれば、恐ろしい戦いが繰り広げあれるであろう。それを想像しただけでも背筋が凍る思いである。

 人工知能の研究開発に関する明確なルールは今存在していない。商業用、軍事用問わず活発に開発が行われているのが現状だ。

 もちろん、この人工知能のおかげで恩恵を受けている分野もある。地雷除去や災害地域では人間が直接操作せずとも、自分で判断し危険を避け、任務を遂行することができる。生身の人間が危険を冒すことせずに済むようになった分野において、人工知能が果たした役割は大きい。

 非常に便利な技術であるが、使い方を間違えれば人間を危険にさらす技術である。これを扱う人間が、適切に使いこなせるかが問われる。

 カトリシアはいつも思っていた。なぜ人間は、こうも危険と恩恵が一体となった技術を開発してしまうのか。いや、それ以上に恩恵のはずの技術を、危険に変えてしまっているのだろうか。

―――これを開発した人は、いったいどういう気持ちでいるのかしら。

 人工知能についてリサーチをしたカトリシアは、そう思った。

 マラカノは、エフィカが進めた人口知能の開発を、いったいどうするつもりなのか。私たちは、いったいどうすればいいのだろうか。


 データ解析を進むにつれて明らかになるエフィカが行った人工知能の開発内容。

 この研究を進めることで、エフィカは最終的に、人工知能を搭載した人クローンを作り、そのクローンに政治をやらせようとしていたようだ。

「そんなことが可能なのでしょうか。」

「どうだろうな。誰もやったことのないことだ、わからない。とても人間が考えた発想だとは思えないがな。」

 確かにそうだ。いや、この研究を進めたのは間違いなく人間である。しかし、人間が、人間を超越する存在を作り、その存在に自分たちの支配を任せようとしていたのだ。

―――何を考えているのでしょうか。人間は、自分たちを自分たちで律することができなくなってしまったのでしょうか。

 悲しいことである。自らが、機械に支配されることを目指していたのである。機械は、人間が扱う道具のはずなのに。

―――一体どんなデータが出てくるのでしょうか。

「研究はどの段階まで進んでいたんだ?」

「わかりません。設計図が出てきたという報告は受けておりますが、実際に作っていたかどうかまではわかりません。」

「仮に人クローンを作っていたとした場合、彼らは今どこにいるんだ?殺されてしまったのか?」

「どうでしょうか・・・。しかし、人クローンを殺害したとした場合、それは罪に問われるのでしょうか?」

「殺人だろ、どう考えても。」

「そうとは言い切れません。人クローンは、存在してはならない存在なんです。当然、彼らは国籍を持っていない。法律的には、保護の対象とはならないんです。」

「そんなことあるのか?」

「普通に生きている人間にはあり得ませんからね。難民の人々はこれに近い状況にありますが、国連が保護を行っておりますので。」

 この世界に存在してはならない存在。いるはずのない存在なのである。

 そんな存在を、エフィカは本当に作ろうとしていたのであろうか。

「バスティーニ殿!」

 情報課の調査チームのメンバーが、バスティーニを呼んだ。

「どうしましたか?」

「これを見てください。」

 示されたデータには、実験的に作られた人クローンに関する情報が書かれていた。なんと、エフィカは実際に作っていたのだ。

 生きた人の細胞を用いて2人のクローンが作られていた。データには、細胞提供者の氏名と年齢・性別・性格などの詳細なデータが記されていた。

 作られていたクローンには番号が振られていた。あてられた番号は0122と0136である。

「最初に作られたのに、0122と0136なのか?」

「こうした深い理由まではわかりませんが、考えられることとしては、ここまでのクローンはすべて失敗したために欠番にしたという可能性も考えられますね。」

 100体以上のクローンを作ることを試みたというのであろうか。とんでもないことである。なぜ、ここまでして作ろうとしているのか。

 しかし、問題はさらに深刻となった。エフィカがクローンを作ることに成功していたのだとすれば、この情報を得たマラカノは、容易に人クローンを作り出せるのだ。エフィカよりもマラカノのほうが技術は高い。これまでに発見されたデータの中で人クローンの作り方を記したデータも見つかっている。

「まずいですよ。これは。」

 データが明らかになるにつれ、この問題の深刻さも増していた。


4

 イケノスは、国立研究所にデータを送った。

 正直、こうしたことを行うのは気が進まない。誰もやったことのない、人クローンの大量生産。失敗すれば、国際社会から厳しい批判にさらされることは必須である。

 しかし、大統領がやれというのだ。それに逆らうわけにはいかない。

 イケノスは、国連にエフィカに関する一件から降りることを通告した。その立場でこのプロジェクトを進めることはできないと判断したからだ。

 カフスランの公爵がエフィカを自分のコントロール下に置いた理由が、今のイケノスにはよくわかる。あそこまで強引な手段を用いてでも、この国を自分のコントロール下に置こうとすべきと、自分が国家元首でもそう考えるだろう。

 今、自分はその公爵が自らの命を懸けてやったことに逆らうことをしている。この立場に置かれた以上、大統領に逆らうことは許されない。

―――自分が悪いんじゃない。大統領が悪いんだ。自分は、言われた通りのことをしているだけだ!

 そう自分に言い聞かせて、ここまでやってきた。

 執務室の電話が鳴る。

「イケノスか?国立研究所だ。」

「ああ。連絡を待っていたよ。どうなんだ?いけるか?」

「正直驚いた。あの国がここまで進めていたとはな。ここまでそろっていれば、少し改良を重ねればいけるぞ!」

―――やっぱりな。

「すごいじゃないか!大統領の夢をかなえるまで、あと一歩の所まで来たぞ!」

「そうか。ならよかった。あとはよろしく頼むよ。」

―――このままでいいのだろうか?

 これまで、誰もやってこなかった世界。研究者がやってはならないと禁じた世界。人類が、おそらく今の人類が絶対に踏み込んではならない世界。その世界に、マラカノは足を入れてしまった。

 大統領は言った。学者が禁じていることなんて、たかが紳士協定だと。自分の国の法律で禁じていなければ、やってしまってかまわないと。

 イケノスは、自分の中で、何かストッパーが外れるような、そんな気がしたのだった。


 公爵邸に、外務省から緊急の連絡がきた。

 昨日、省庁を超えたエフィカ問題に関して対応にあたるチームが結成された。軍務省長官プロシュテット、軍務省作戦参謀カトリシア、情報課のヴァレリアーノ、バスティーニ、外務省のホルシュタインが幹部メンバーである。そのホルシュタインからの緊急の連絡だった。

 連絡の内容は、諜報局からの情報で、マラカノが人クローンの生産に着手した模様だというのである。

 根拠として提示されたのは、マラカノ国内において、国立研究所への細胞提供者の募集の張り紙が出されたことである。

「何人の細胞を得ようとしているのだ?」

「そこまではわかりません。しかし、少なくとも1人や2人ではないと思います。全州で募集をかけていますから。」

 まずい。これは深刻な事態である。

 連絡を受けたパルカンは、カトリシアを公爵邸に呼んだ。

―――恐れていたことが、やはり現実になってしまった。

 正直、自国だけで解決できることとは思えなかった。しかし、国連は信用できない。マラカノが国連の実権を握っているのだとしたら、この事実を握りつぶされる可能性もある。

 外務省には、国連を、もっといえばマラカノを通さない外交ルートを探すよう指示を出した。しかし、中立を重視してきたカフスランには、特別関係の深い国があるわけではない。

 母も、この事態にどう対応すればいいのか、頭を抱えている。

「公爵様、カトリシア少佐がご到着されました。」

「わかった。公爵執務室に通せ。」

 

「マラカノが、手を出したのね。」

 パルカンは外務省から来た一連の報告を伝えた。

「そういうことだ。」

「狙いは?人クローンを大量に作って、彼らは何を始めるの?」

「わからない。」

「まだ情報が足りないわ。彼らの真意を、早くつかまないと。だけどどうすれば・・・。」

「彼らは時代の最先端を行っている。文化的にも、そして軍事的にもな。彼らから見れば、我々は後進国だ。後進国が考えるようなことは、彼らはとっくに実現している。」

「確かにそうね。だけど、最悪の事態を考える必要もあるわ。」

「最悪の事態?」

「ええ、失敗したときのことよ。」

「失敗?人クローンを作ることに失敗したときってことか?」

「だれもやったことがないのよ。失敗する可能性のほうが高い。」

「あまり考えたくはないが、失敗作はすべて処分してしまうのではないか?大量虐殺の技術なら、すでに確立されているといっていいだろう。」

「非人道的よ!そんなことをする国が先進国ですって?何が先進国よ!」

「落ち着け、感情的になっても何も解決せぬ。」

 だけど、カトリシアがそういう気持ちはよくわかる。

「そうね・・・。そういえば、外務省にお願いした外交ルートの件は、何か進展あった?」

「今のところ、何の連絡もないな。国連が数少ない外交ルートだった。その国連が頼れないとなると・・・。」

「私たちは、外交ルートを作るところから始めなければならないのね。」


 第2師団と第5師団は、現在エフィカとの国境地帯に部隊を展開していた。

 すると、部隊から連絡が来た。

「エフィカ側が、こちらに向けて撃つ武器を用意しております。機関銃の様なものに見えますが・・・。」

「私が確認してきます。」

 カリウスが双眼鏡を持ち見張り台へ向かう。

 確かに、相手はこちらに機関銃を向けている。ざっと5・6丁だろうか。

―――これは、挑発か?

 カフスラン側には、何も向こうから攻撃を受ける様なことはしていない。だとしたら、向こうが挑発をしてくる可能性が考えられる。

―――目的はなんだ?

 しかし、妙だったのは機関銃を撃つための要員がいないことだ。弾はセットしてあるが、撃ち手がいない。カリウスは一つの仮説を立て、それを司令部に報告することとした。

「こちらカリウス。司令部、聞こえますか?」

「こちら司令部。どうしましたか?」

「機関銃を撃つための要員がいません。これはおそらくですが、自動操縦で撃ってくるのではないでしょうか?」

「どういうことだ?挑発ということか?」

 そう無線で答えたのはアッサム中佐だった。

「おそらくはそうでしょう。しかし、挑発をされるようなことをこちらはしたのでしょうか?」

「さあ。大国が考えることはよくわからない。ならば、こちらから攻撃を加えれば向うの思うつぼだ。防衛体制を敷いて、相手からの攻撃が来ればすぐに反撃だ。」

「はい。」

 カリウスは見張り台から降り、自分の隊に指示を出した。

「全員、相手からの攻撃があればすぐに反撃。」


 司令部では、自動操縦の機関銃が展開されたことを受け、相手側が何を意図しているのかを探っていた。

「こんなことをして何がしたいんだ。」

「これで我々が攻撃を加えたことで、防衛と称して反撃をするつもりなのでしょう。弱いものはそういった懸念材料を予め排除しようとします。その心理を利用しようとしているのでしょう。」

 フロリアはイクス中佐とアッサム中佐にそう言った。

「まったく、子供の作戦か。おい、このことは軍務省には伝えたか?」

「いいえ、まだ。報告しますか?」

「頼む。」

 通信手にアッサム中佐が指示した。

「しかしまあ、どうしたもんかな」


 国境地帯での異変が軍務省に伝わった時、カトリシアは軍務省の自分の執務室にいた。パルカンとの会談を終え、これからどうしようか考えていたところだった。

 紅茶を入れ、カトリシアの大好きなバターサンドクッキーを食べていたところに、父がやってきたのだ。

 バターサンドクッキーを口にくわえたタイミングで父がやってきたため、カトリシアはマヌケ面を父親に見られて一瞬恥ずかしい思いをした。

「お父様・・・ごめんなさい。」

「あ、わ、悪かったな。別に構わないが。食べてからで構わないぞ。菓子の食う時間をどうこうするほどの緊急事態ではない。」

 バターサンドを食べ終わると、父が国境地帯で起きている異変をカトリシアに伝えた。

 カトリシアは父に紅茶を入れながらその話を聞いていた。

 机の前の椅子に座ったカトリシアは、父からの報告を受け、まずはこういった。

「挑発ですね、マラカノからの。」

「ああ、たぶんな。そして、自動操縦ということは・・・。」

「AI、人工知能を搭載した機関銃ということかしら。私たちを実験台にでもするつもりなのでしょうか。」

「質が悪い。」

 珍しく父がイライラしていた。

「侮辱にも感じますね。後進国は、実験台なんでしょうか。」

「あんな非道な国に後進国呼ばわりはされたくないな。」

「でも、こちらがカッカしてしまっては向こうの思うつぼです。まずは落ち着いて、対処する必要がありますわね。」

「そうだな。」

 父はカトリシアの入れた紅茶を一口飲むと、大きく息を吐いてそういったのであった。


(3)騎士団招集

5

 エフィカとの国境地帯は、高い緊張感に包まれていた。

 いつ向こうから攻撃が来るかわからない。これほど気が抜けない戦いもないだろう。

「始まったら始まったで別のつらさがあるが、始まるかどうかもわからない戦いはもっと嫌だな。」

「そうね。いったいマラカノは何がしたいのかしら。全く理解できないわ。」

 事態の進展がない中、フロリアとカリウスは司令部の近くで話をしていた。

「司令部も、何もできない状態か。」

「もちろん。向こうから攻撃があるわけじゃないし、かといってこちらから攻撃を加えれば相手の思うつぼよ。こうする以外どうすればいいのよ。」

「だよな。もうこれが3日だぜ。部隊も緊張感でみんな疲れてるよ。」

 そこへアッサム中佐がやってきた。2人は敬礼で応じる。

「カリウス1等陸尉にフロリア1等陸尉、だな。」

「はい。」

「公爵から、騎士団招集の命が降りたぞ。」

 そういって、アッサム中佐は紋章の透かしが入った手紙を渡した。

 懐かしい、この透かしの入った手紙。エフィカに行った時も、この手紙で招集されたところからスタートしたのである。

「しっかり、公爵にお仕えするのだ。よいな。」


 帝国騎士団『サルビア』。エフィカの事件以降は公爵直属の騎士団となり、公爵の命があればすべての任務より優先されて召集される。

 エフィカの事件から1か月。8月であった。

 メンバーは公爵邸に集まっていた。再びこのメンバーで活動できることを喜びつつも、新たな任務がどのような任務になるのか、緊張の面持ちでいた。カトリシアとパルカン以外は。

「みな、懐かしい手紙を渡されたのではないか?」

 パルカンが口を開いた。

「あの公学校での出来事を思い出すよ。」

「でも、今回はあの時とは違って、召集の理由を知ってるんだよな、カトリシア?」

「ええ、私から説明するわ。みんな、これからこれまでの事実関係の整理を含めて話すわよ。」

「お願いします。」

「私たちが関わったあのエフィカの事件以降、事実関係を確認するため国連が捜査を行った。それを指揮していたのはあのイケノス氏よ。彼がマラカノの出身で、10年前にマラカノが引き起こした宗教戦争の当事者だってことももうみんな知っているわよね。エフィカでの国連の捜査は1週間ほどかかった。その間、我々カフスランを含め他国の関係者はエフィカの大統領府への立ち入りは禁じられた。まだ捜査の資料も公開されていないから、国連が、具体的にどこの何の資料を調べたのか、どこまでの事実を把握しているのかまではわからない。ただ、一つ言えるのはここで得た情報をマラカノが把握しているってことね。そして、国連の捜査終了後、私たちカフスランの関係者による捜査が許可された。軍務省情報課がその捜査を担当したわ。情報課に所属するバスティーニはもちろん、私とパルカンもその捜査には同行した。そこでわかったことがある。エフィカで内偵活動をしていた時、黙示録関係の調べ事をしていた際に、図書館への放火事件があったことを覚えているかしら?あの図書館放火事件について新しい事実が判明した。それはあの図書館の敷地内に研究施設が併設されていた可能性があるってことなの。」

「ただの図書館じゃなかったんだな?」

「そう。大統領府にはいくつかその研究所で行われたと思われる研究の報告書があった。そこで、この情報がスーパーコンピューターに記憶させられている可能性があると考え、コンピューターのメモリー部分をカフスランに持ち帰って、データを解析することになった。今バスティーニの指揮のもとその解析作業が進んでいるのだけど、そのデータの中にとんでもないものがあったの。それが、人クローンと人工知能に関するデータだったの。」

「人クローン?まさかエフィカはその研究を行っていたのか?」

「そのまさかだったの。エフィカではすでに人クローンが作られていたの。コンピューターのデータには、クローンの元となった国民の個人情報と遺伝子情報が記されていた。作られていたクローンは2体。番号が振られていて、その番号は0122と0136だった。名前などが与えられた形跡はなかった。今、このクローンがどこにいるのかは誰もわかっていないわ。」

「わからないって・・・。顔かたちもわからなかったら、クローンってことも明らかにされないままってことか?」

「そういうことになるな。」

「クローン制作時に細胞を提供した人のデータも残っているから、そこから割り出すことは可能かもしれないけど、探し出すのが大変ね。どこで何をしているのかもわからないから。」

「そうするんだよ?」

 ここから、パルカンが説明を始める。

「そのクローンを探すことも重要だが、それ以上に大きな懸念がある。それはマラカノが今回の捜査で得た情報をもとに人クローンの制作に着手した可能性がある。」

 カトリシアが、外務省諜報局からの報告書を見せる。

「マラカノ全州で国立研究所の実験のために細胞の提供を呼び掛ける張り紙が出された。これだけで人クローンを作っているとは言い切れないが、エフィカの捜査をした直後に、その捜査を行ったマラカノがやっているという状況を踏まえるとその可能性は極めて高い。エフィカが制作することができたのだ。その情報を持っていてなおかつ技術力の高いマラカノなら、人クローンを作ることは容易であると考えられるだろう。」

「その人クローンを使って戦争をする気なの?」

「そこまでの情報は入っていない。だけど、今回国境地帯での動きを考えた場合、やりかねないと思ってな。」

「おい、俺たちのみた自動操縦の機関銃って・・・。」

「あれは人工知能を搭載した新兵器の可能性が高い。」

「マラカノはそこまでして何がしたいんだ?」

「おそらく、これだと思う。」

 カトリシアの父、プロシュテットがある書類を配る。

「これって・・・レアアースの鉱脈?」

「カフスランにはレアアースの鉱脈がある。その産出量はかなり多いわ。マラカノはこれを欲しいのだと思うわ。」

「これは、燃料か何かになるの?」

 バスティーニが説明する。

「いいえ、これはコンピューターや携帯電話の基盤に使われるものです。元素番号21・39・57から71にあたる15元素の総称をこういいます。蓄電池や蛍光灯など、現代の社会を支えている様々な製品に使われている物質で、かなり高い値で取引されることが多いんです。これを自国で賄うことができ、さらに他国に売ることができれば、一大産業になるでしょう。」

「カフスランにこれがあるってこれまでわからなかったのか?」

「我が国で発見されたのはつい最近のことよ。自然保護政策が厳しすぎたから、なかなかこうした調査を行うことができなかった。しかも、これだけの鉱脈があるにもかかわらず、発見されるまではカフスランも輸入に頼っていたのよ。それに、我が国はそこまでIT産業が盛んじゃない。」

「つまり、この鉱脈があることを知ったマラカノが、カフスランを支配することでレアアースを独占しようっていうのか?」

「おそらくそうでしょうね。このタイミングでエフィカのことが発覚した。だから、カフスランは強気に出られない。弱体化している所に付け込んで、という算段なのでしょうね。」

「何なんだよ、それは!」

「余はそんなことをさせる気は一切ない。」

 パルカンは立ち上がり、メンバーの前に立った。

「カフスランには500年の歴史がある。今の領地になってからは300年だ。私は、先祖が代々公爵として守り抜いてきたこの国を、たかだか150年の歴史しかない“後進国”の好き勝手にはさせん。500年の、先祖代々からの努力が重なって、今のカフスランがある。時には国内で内戦が起きたこともあった。時には宗教対立もあった。時には外国から攻められたこともあった。だが、この領地が変わったこともない。国の名前が変わったこともない。そして、わがカフスラン家以外の者が国家元首に就いたこともない!エフィカは、今は別の国だ。しかし、300年前に公爵家内部の対立で分離独立した国なのであれば、わが親戚の国となる。余は、カフスランを守るだけでない。エフィカを、あるべき統治者に戻したい。今ここで、そんな石ころを得たいがために支配などされてたまるか。軍事力でかなわぬなら、別のところで超えればいい。そうは思わぬか?」

 パルカンの、公爵としての演説をメンバーは黙って聞いていた。

「お主らは軍人だから、軍事力以外で、と言われると素直に従いたくないかもしれぬ。だが、現実をきちんと受け入れぬと、勝てる試合も勝てぬ。この戦いは負けるわけにはいかぬのだ。ならば、今は勝てる方法を見つけ出し、その方法を用いることが最善なのだということを分かってはくれぬか」

「ええ、わかるわよ。」

 カトリシアが口を開いた。

「別に、軍事力でどうこうしようなんて俺たちは思ってねえよ。あの機関銃を見せられただけでびくびくしている軍の副隊長だぞ、俺は。マラカノに軍事力でかなうなんて思っちゃいねーよ。」

 カリウスも口を開く。

「お主ら・・・。」

「カフスランらしいやり方でやればいい。そんなことは私たちもよくわかっているわよ。」

「力でかなわないのなら、頭で勝負しましょう。カフスランは商業の盛んな国です。交渉術は、高いはずです。」

「ありがとう・・・。」

 若い公爵に、メンバーが寄り添う。それを見ていたプロシュテットは、うっすらと涙を浮かべていたのであった。


6

「で、今回俺たちは何をすればいいんだ?公爵を励まし続けるのか?」

「それもやってほしいがな、余は」

 パルカンが子供らしい一面を見せる。

「作戦立案遂行よ。」

 バシッと任務を言い切ったのはカトリシアだ。

「は?」

「作戦立案遂行。意味わかるかしら?」

「わかんねえから、はって言ったんだよ。」

「みんなはなんでそれぞれがその部署に配属になったのか意図はわかっているのかしら?」

「カトリシアはそれを最初から知っていたの?」

「最初はわからなかった。だけど、途中で気付いたわ。」

「僕が情報課に配属になったのはやっぱり・・・。」

「バスティーニは途中で気付いたようね。そうよ、情報課に配属になり、その情報をスムーズに流してもらうためよ。」

「でも軍務省内部にはその報告体制が築かれているのでは?」

 説明役がプロシュテットに変わる。

「軍務省は非常に縦割り社会だ。軍隊という組織はそういうものだから仕方がないのだが、こういう時にはその構造が邪魔になる。そこで、この公爵直属の公国騎士団というある意味では超法規的な組織を利用することにしたんだ。この組織に所属する人間を特別扱いし、各部署に散らばせることで情報がダイレクトに流れる場所を作り、事態にすぐ対応できるようにしたのさ。」

「もしかして、俺たちの師団が国境地帯に派遣されたのも、その算段の一つってことですか?」

「もちろんそうだ。」

「私が作戦参謀になったのもそう。自由に動けてなおかつある程度の権限を行使できる。軍務省内では一番自由に部隊を横断できる役職。しかも私はエレン家の人間。作戦参謀になるのは不自然じゃないでしょ?」

「僕が情報課にいるのもそうですね。陸軍の情報課は軍の中で一番情報が集まってくる。だから、ここに僕がいることで情報を集めることができる。」

「なるほどな。」

「なら、カトリシアが作戦立案し、私たちがそれを遂行するってこと?」

「そうね。ただ、私には現場の状況がわからない。だから、現場にいるカリウスやフロリアの意見も必要なのよ。」

「つまりだ、ここが“第2の”司令部となる。そういうことだ。」

「しかし、一つ質問がある。」

 カリウスが、プロシュテットに問うた。

「俺は騎士団の判断に従うべきか、それとも上官の指示に従うべきか、どちらなのかをはっきりと明示していただきたい。上官はこの事情を知らないはずだ。」

「軍法第252条を知っているか?」

「第252条って・・・たしか特別条項でしたよね?」

「そうだ。これを見なさい。」

 プロシュテットは、公爵執務室にあった法典を取り出し、メンバーに示す。そして、カフスラン軍法第252条を指さす。

≪第252条 公爵直属の騎士団は、その任務中においては、騎士団所属の紋章を提示した上で、軍の最高指揮権を得ることができる。ただし、公爵が認可した任務でない時にこの権利を行使した場合には、公爵が開く弾劾裁判において、その行為に関し処罰される。≫

「こんなルールがあったとは・・・。公爵が認めた任務中であれば、俺たちが軍を指揮できるってことか?」

「そうだ。しかも所属師団などは関係ない。カフスラン軍すべてを指揮できる。もちろん、この権利を行使されれば、この私も君たちの指示に従わなければならない。君たちが紋章を提示した上での指揮に従わない者がいれば、それは命令違反として軍法会議にかけられる。」

「私たちってそんな存在なの・・・。」

「法的根拠っていうか、どういう理論に基づいてこれは正当化されているのですか?」

 このバスティーニの問いにはカトリシアが答える。

「これはね、私たち騎士団が公爵の持つ軍の最高指揮権を受け持つって発想なの。同じ法律の250条を見て。ここにはこう書かれている。『公爵直属の騎士団は、任務中は公爵の持つ最高指揮権を受け持つ。』そして、249条。『公爵は、自身の持つ軍の最高指揮権を、カフスラン軍に所属する軍人を構成員とする公爵直属の騎士団に委託することができる。』つまり、私たち騎士団はいわば公爵の代わりとして軍を指揮することができるの。だから、どこの支配下にも置かれない、公爵が直接指揮できる存在として、公爵直属となっているのよ。」

「そうなんだ。知らなかった~。」

「じゃあ、任務中はその紋章ってやつをパルカンから受け取れるんだな?」

「そういうこと。」

 カリウスたちは、自分たちが国においてどういう立ち位置にあるのかを知り、身震いがした。

「この歳で、こんな立場になっちまうのって・・・。」

「物語でこういう立場に憧れて~とかあるけど、実際になると怖いわね。」

「ええ、怖いです。」

「とにかく、私たちはこれから任務に就くわよ。マラカノからこの国を守る。それが私たちの任務。あらゆる情報をもとに判断し、先手を打つことが大事。相手は、必ずしも生身の人間とは限らないわ。学校で習ってきた戦法だとかは、通用しない可能性があると考えてね。」

「では、余だと思って、これを受け取ってほしい。」

「おいおい、死に際の年寄りみたいなこと言ってんじゃねえよ。」

 そういいながら、パルカンから紋章を受け取った。

「余はこの騎士団を信用している。余もメンバーの一人として、できることは何でも協力する。」

「公爵からの任務、責任をもって全うします。」

 カトリシアが、騎士団の団長として、最敬礼でパルカンからの命を受ける。

 他のメンバーも、カトリシアに習い、最敬礼で答える。

「頼んだぞ。」

 パルカンは短く、そういった。


(4)国境地帯―1

7

 カリウスとフロリアは国境地帯へと戻った。

「アッサム中佐、ここしばらくの間、動きは?」

「ないよ。君たちがいない間も、あのままだ。一体何がしたいのかがわからない。」

「そうですか。」

「お、その紋章をつけているということは、公爵から任務を賜ったのだな?」

「ええ、まさに、今は任務中です。」

「そうか。ということは、我々も公爵直々の任務を手助けしているってことか。」

「そういうことになりますね。」

「こんな辺境の、とか思っていたけど、それは違っていたようだな。」

 軍人にとって公爵直々の任務に関われることは非常に名誉なことである。

「あ、アッサム中佐、それにイクス中佐。一つお伝えしたいことが。」

「どうした?フロリア1等陸尉?」

「こちらが・・・」

「今日から、こちらの師団の作戦参謀となります、エレン=カトリシア少佐です。何卒、よろしくお願いいたします。」

「君が、例の騎士団の団長ってことだな?しかも、作戦参謀としてここに来るってことは、実質司令部を掌握するってことか?エレン家の人間だからと言ってな。」

 アッサム中佐が嫌な顔をする。

「わがエレン家に、何か恨みでもございますのでしょうか?それに、私は作戦参謀です。あなた方の師団を動かす権限は持っていませんわ。」

「だが、騎士団なんだろ?その紋章を示されて命じられたら、従わなきゃならない。お前のような小娘に指示される覚えはない!」

「私が司令部を掌握できるとでも思っているのですか?中佐の立場になられて、軍法もきちんと理解されていないのはいかがかと思いますが?」

「だまれ!詐欺師のエレン家の小娘が!」

「どういうことなんですか?イクス中佐?」

 カリウスが尋ねる。

「アッサム中佐はケルベルト家のご出身。ケルベルト家とエレン家は代々仲が悪いんだ。アッサム中佐と現長官のプロシュテット大佐も仲が悪い。だけど、大佐の立場があるからああいう態度はとらないけどな。」

「なるほど。名家のプライドってやつですか。」

「しかし、カトリシア少佐はああいっているが、司令部を掌握するのは簡単なのではないか?騎士団の権限をかざせば一発だろ?」

「そうなりますね。でも、カトリシアがそういうことをするでしょうか?」

 フロリアはそのイクス中佐の意見には賛同できなかった。カトリシアが、そういった強引な手段を用いた場面を見たことがない。

 確かに、カトリシアはこれまで模擬戦を行っていた時も、ああいう風に隊を動かす立場にいた。だけど、必ずチームで議論をし、皆が納得するように丁寧に段階を踏んだうえで指示を出していた。自分の考えに無理やりみんなを従わせるようなやり方を取っているのを今までに見たことがない。

「カリウス、フロリア。あとで私の部屋に来てもらってもいいかしら?」

 カトリシアはそう2人に声をかけると、アッサム中佐を睨み付けながら隊舎へと向かった。

「何なんだ、あの小娘は!お前ら2人は、あの小娘にいじめられていないか?エレン家の家名を振りかざして命令をしたりとか・・・。」

「いや、見たことないですね。結構穏やかですが・・・。」

 雷にびびっていたカトリシアを知っているカリウスには、到底カトリシアがそんな風にふるまう姿が想像できなかった。

―――だけど、いちいち蹴りいれてくるあたりは、そうなのか・・・?ま、あれは冗談半分のおふざけだからな。真剣な時のカトリシアがそんなことをするとは思えねえ。

「すいません、カトリシアに呼ばれているので一度ここを離れてもよろしいでしょうか?」

 上官2人に許可を求める。

「かまわないよ。」

 黙っているアッサム中佐に代わり、イクス中佐が許可を下した。

「ありがとうございます、では後ほど。」


「まさかアッサム中佐と犬猿の仲だとは思わなかったよ。」

 カリウスが率直な感想を述べた。

「エレン家はね、ああいう風に言われやすいのよ。みんなとは違って、戦場で武器を持って戦うことをする家系じゃないから。」

「その作戦立案だって、大変なことなのにね。」

「ありがとうフロリア。でもああなることはわかってきてるから、大丈夫。気にしないで。」

「ところでよ、バターサンドクッキー好きなのは知ってるけどよ、持ってきすぎじゃねえか?」

「いいじゃない、最近ハマっているんだから。」

「すぐ飽きるくせに・・・。」

「何か言った?」

「いや、なんでもないっすよ~。」

「で、カトリシア、私たちに話って何?」

「ああ、そうね。実はね、一回撤退することを考えているの。」

「撤退?どういうことだ?国境警備を放棄するのか?」

「そうじゃないわ。引いて、様子を見るのよ。」

「どういうこと?」

「今は、いわばにらみ合いの状態なわけでしょ。相手も自動操縦と思われる機関銃をこちらに向けている。こちらは、その機関銃からの攻撃に備え構えている。お互いにお互いがにらみ合いをしている状態。この戦いは、根負けして攻め入った方が負けって状態。だったら、こちらが手を引いたときにどう出るのかを見るのよ。」

「つまり、事が起きたらすぐに対応できる状態にして待機するってことか?」

「そういうこと。さっきイクス中佐と少し隊を見たのだけれど、皆の士気が少し下がっているわ。無理もない、ずっとこの緊張状態が続くのは精神的にもかなりの負担。少し引いたほうが、隊員のためでもあるわ。」

「それも一つ作戦としてありかもしれないな。ところで、相手の機関銃の調査は進んでいるのか?」

「遠望レンズでとらえた画像を軍務省の情報課に送って、今解析してもらっているわ。」

「バスティーニがやってくれているのか?」

「ええ、彼が担当しているはず。」

「その解析情報も早くほしいところだな。」

「ええそうね。ただ、最大の問題は・・・。」


「そんなことができるか!それが、作戦と言えるのか!」

 アッサム中佐はこのカトリシアの提案には断固反対の姿勢を貫いた。

「ならば中佐、これを超える作戦を提案してください。」

「こちらから攻め込む。それしかないだろう。」

「相手はどのように攻撃してくるのかわからないのですよ。」

「自動操縦なのだろ?ならば、機関銃ごと破壊してしまえば問題ない。」

「できますか?」

「やってみなければわからんだろ、どんな軍事行動も!」

「そうやってカフスラン側から攻めれば、ただの国境侵犯です。向こうから攻撃を受けたわけでもない。ただ銃を向けられただけで攻め入れば、立派な攻撃です。相手に負ければ、その報復として本土に進行されかねない。今のエフィカには、マラカノという強大な敵がいます。今のカフスランの軍事力では、勝算はありません。それでも、こちら側から攻め入りますか?」

「お前の作戦は、相手の脅しに屈服して報復したってことになるだろう?」

「なりませんよ。」

「なぜだ?」

「脅されたのですか、エフィカに?これまでに、攻撃を受けましたか?それとも何か、こちらの司令部に向こうから書簡が届いたのですか?」

 アッサム中佐は黙り込んだ。

 イクス中佐が口を開いた。

「カトリシア作戦参謀の意見に従ってみよう。このままにらみ合いを続けていても意味はない。精神的にも消耗するだけだ。」


 国境にいる隊員は、みなそれぞれ待機場所で待機することとなった。

 国境沿いには、数百mごとに兵士が待機できる待機宿舎と呼ばれる建物がある。現在、ここで兵士がいつでも出撃できる状態で待機している。

 カトリシアはカリウスと共にこの待機宿舎を巡回していた。建物に入ると、トランプをして待機している者や、横になっている者もいた。

「軍服は脱げねえし、すぐ近くに自分の武器を置いていたら、なかなか緊張は解けねえだろうが、今までよりは少しは楽だろうな。」

「そうね。」

 2人が待機宿舎を巡回している目的は、待機宿舎の屋上から隣国の様子を観察するためであった。

「どう、何か変わった様子はある?」

「いやないな。相変らず機関銃の銃口がこちらを向いているよ。」

「そう。」

「銃弾は飛ばねえけど、実質戦っているようなもんだな、こりゃ。」

「ええ、先に折れた方が負け。忍耐力が必要な戦いね。私が予想するに、たぶんこちらから何かしない限り向こうから銃弾が飛んでくる可能性は低いわ。こうすることでしばらく様子を見て、次の手を打ってくるでしょうね。」

「次の手ってなんだよ?」

「今はわからないわ。だけど、何らかの形でアクションは絶対取ってくるはずよ。どんな手段を取られても、相手の思うようにならないこと。でないと、こちらに勝ち目はないわ。」


8

 翌日朝8時のことだった。

 カトリシアは着替えを済ませ、紅茶を入れてバスティーニから来た、例の機関銃に関する解析結果の報告書を読み始めようとしていたところだった。

「カトリシア!起きてるか!」

 ドアを乱暴にたたきながら、カリウスが叫んだ。

 ドアを開けるカトリシア。

「朝からすまない。異変が起きた。」

「何があったの?」

「国籍不明、氏名不明の遺体が1体、見つかった。」

「遺体?どこで?」

「ここから北に1km離れた国境沿いだ。巡回中の隊員が見つけた。」

「わかった、すぐに現場に行きましょう。」


 現場は、国境沿いに高電圧の鉄条網が設置されている所だった。

 先に現場に駆け付けた軍の医療チームが検死を行っていた。

「カトリシア少佐。ご苦労。」

 そこにいたのはイクス中佐だった。

「イクス中佐、詳細を伺っても?」

「遺体発見は今日の朝6時半だ。巡回中の隊員が、この遺体を発見した。付近にある待機宿舎にいた隊員によれば、特に銃声や悲鳴といったものは聞こえなかったそうだ。それだけに、この遺体には驚いたようだ。検死は今行われているが、死因は感電死の可能性が高いようだ。おそらく、この鉄条網を越えて越境しようとした者であろう。」

「しかし、カリウスから聞いたのですが、遺体の国籍・氏名がわからないというのは?」

「ああ、まず遺体が身分を示すものを一切持っていないんだ。お金も持っていない。どうも着の身着のままっていう状況だ。」

「お金すらですか?」

「携帯電話も、家の鍵の様なものも何も持っていないんだ。少し妙だと思わないか?」

 エフィカとカフスランの通貨は同じである。エフィカで流通している通貨は、そのままカフスランでも使える。そのため、通常の越境者はお金をもっていることが多い。しかし、今回の場合は一銭も持っていなかったようだ。

「これは・・・。」

「どうした?」

 検死を行っていた軍医が声を上げる。

「ここ見てください。番号が書かれています。」

 脇腹に、焼き印がされていたのだ。その焼き印には、「2589」と書かれていた。

 カトリシアに戦慄が走った。

―――まさか・・・!

「検死データ、至急軍務省に送ってください。私は司令部に戻って今回の件について協議します。イクス中佐、現場指揮をお願いします。」

「わかった。」

 カトリシアはすぐに軍用車に乗り込み、司令部に戻った。


「本当なのかカトリシア?」

「ええ、その可能性が極めて高いわ。」

 カトリシアの部屋で、カリウス、フロリアの3人は話し合いをしていた。

「普通の人間に、番号の焼き印を入れる?奴隷の人身売買なら話は別だけど。」

「脱走したってことなの?」

「それもわからないわ。どういう経緯でそこに来たのか、エフィカ国内で今何が起きているのかもわからない。生きていれば話が聞けるけど、亡くなっているとなるとどうしようもないわ。」

「軍務省からなんて?」

「特にまだ連絡はないわ。」

「どうやってこの真相をつかむんだよ?」

「これから考えるのよ、その方法を。」

 事態は、新たな局面を迎えたのであった。


9

「クローンを作っていたのはマラカノ本土なのではなかったのか?」

 パルカンが驚きの声を上げる。

「ええ、そのはずなのですが・・・。現地からの報告によると、エフィカとの国境でそのような身元不明の遺体が見つかったと。」

「エフィカで今何が起きているのかわかっている者はおるのか?」

「今はいません。」

 もし、エフィカでクローンを作っているのだとしたら、これは大きな脅威である。他人事というわけにはいかないだろう。

「そういえば、スーパーコンピューターの方の解析は進んでいるのか?」

「今進めています。」

「何か有力な情報は出てきたか?」

「ええ、クローンの実験結果の詳細が書かれた報告書のデータが見つかりました。やはり、何度もクローンの制作を行っていたようで、あの2体のクローン以外にも数十体制作をしていたようなのですが、うまく成長しなかったり、受精に失敗したりなどしているようですね。本来なら母体で育てるべきものを、人工的に再現した施設の中でやろうって話ですから、その時点でかなり無理があるのですけどね。」

「そうか。今回の遺体についていた印の番号に関する情報は?」

「まだ見つかっていません。ただ、クローンの番号は179で終わっていますから・・・2000番台までいっているとは到底思えません。」


 遺体は国境付近にある病院に運ばれ、そこで司法解剖が行われていた。

「死因は感電によるショック死ですね。間違いありません。」

「それ以外に妙な点とかありませんか?」

「今の段階ではありませんね。ただ今後皮膚などを採取して詳細に調べれば何か出てくるかもしれませんが。」

「なるほど。」

「しかし、なぜカトリシアさんはこの遺体について?」

 法医に聞かれ、答えに窮するカトリシア。

「確かに、この数字の焼き印は気になりますね。ですが、そんな細胞の調査だとか、遺伝子の検査などをするほどのものとは思えませんが」

 口が割けても隣国から来た人クローンの可能性が高いから、とはいえない。

―――仕方がない、奥の手を使うしかないわね。

 カトリシアは紋章をかざし、こう伝えた。

「私は公爵直属の騎士団に所属するものです。あなたは軍の関係者ではありませんし、この紋章は軍人に対しては強制力がありますが、文民であるあなたにはその強制力はありません。しかし、私の立場上、あなたに伝えられることとそうでないことがあるんです。今回のこの依頼に関しては、そういうことが含まれていることを分かっていただきたいのです。」

「なるほど。機密事項に関する何かをこの遺体が持っているかもしれぬと、そういうことですね。しかも、公爵様が直々に乗り出すほどの。」

 公爵直属の騎士団の存在は、軍人でなくても公国民であれば知っている。そして、それがどういう存在なのかも知っている。

「わかりました。やりましょう。ただし、すぐに結果は出ませんので、そこにつきましては予めご了承願いますね。」

「ご協力、感謝いたします。」

 解剖室から出たカトリシアは、ロビーで待っているカリウスとフロリアのところに向かった。

「どうだった?何かわかったの?」

「司法解剖じゃあわからないわよ。死因くらいよ、はっきりわかったのは。感電によるショック死。今のところ、殺されたとかそういうことはなさそうね。」

「普通なら事故死で処理されるべき案件、ってことだな。」

「ええ。でも法医の先生には詳細な遺体調査をお願いしたわ。報告書は私宛にするようにとお願いをした。先生も理解を示してくれたから、よかったわ。」

「でも結果がわかるまでには時間がかかるでしょ?」

「もちろん。だから、その間にエフィカの内情を探れるだけ探る必要がありそうね。国連の報告書を読み直して、外務省からの情報を集めて。あらゆる情報を整理しないとね。手伝ってくれる?」

「おう。」


 隊舎に戻ると、3人は情報収集と整理を急いだ。

 3人が現時点で把握しているエフィカの情報は次の通りだった。

 国連による調査の後、エフィカ大統領府副秘書官であるセーボルト氏がエフィカの大統領を務めている。しかし、エフィカの実権はマラカノが『国家再建を支援するため』という名目で握っており、それを担当しているのがイケノス氏であった。外交や国内の法体系の再構築などはすべてマラカノの指示の元行われているため、セーボルト氏は名目上のエフィカの国家元首であり、マラカノに支配されているのも同然の状態であった。マラカノはカフスランからの影響をエフィカが受けないよう、様々なことをしてきた。その一つが、マラカノ軍の駐留であった。強大なマラカノ軍の軍事力でカフスランが簡単に攻めてこないようにしようとすることが狙いであると考えられている。

「レアアースとかいういしっころごときのためだけに、ここまですっか、普通。」

「レアアースはかなり高価な鉱物よ。それを自国で賄えるとなれば、かなり大きいわよ。」

「逆に、カフスランがマラカノ相手に売れば、大きな利益を上げられるってことね。」

「エフィカをこういった形で支配したのも、そのためか?」

「これをきっかけにカフスランに乗り込める。そう踏んだんでしょ。それに、エフィカを支配することで苦労せず人クローンの情報を得ることができるとあらかじめわかっていたんだったら、なおさらね。」

「大国の力ってやつか、これが。」

 正義という言葉を振りかざして自分たちの利権をしっかりと確保する。汚いやり方だとカトリシアは思った。

「外務省の諜報員からは何か連絡なかったのか?」

「今のところはないみたいね。ただ、近々通貨の変更が行われるそうよ。マラカノの通貨が適用されるようになるって。」

「確実に、エフィカを支配するつもりね。」

「おいおい」

 大国の影が、すぐ近くに迫っていることに危機感を覚えるメンバーだった。


(5)国境地帯―2

10

「司法解剖の結果は?」

「感電死だそうです。」

「それだけか。」

 バスティーニとパルカンは公爵執務室で面談をしていた。

「その様子だと、しばらくろくなご飯を食べていないのだろ?」

「ま、まあ。解析作業を急ピッチで進めていますからね・・・。」

「ならば、余と話している間に、ちゃんとしたご飯を食べろ。あと少ししたらここに夕飯を持ってくるように手配した。遠慮なく食べよ。」

「そんな!」

「これは騎士団のメンバーとしてした行為だ。友人が困っているのを助けない友人はいないだろ?」

「あ、ありがとうございます。」

 ドアをノックする音が聞こえた。

「入れ。」

 パルカンがそういうと、食事を持ってきた職員がバスティーニの前に食事を並べる。

「いつも思うけど、公爵邸のご飯は豪華だね。」

「ま、一応公爵だからな。」

 職員が退出すると、パルカンはバスティーニの前に座った。

「食事をしながら、現状を報告してくれないか・・・ってもう食べ始めていたか。まあよい、いいタイミングで話し始めてくれ。」

 早速ご飯を口に入れていたバスティーニは急いで噛んで飲み込むと報告を始めた。

「現状、持って帰ってきたデータの半分は解析が終わりました。その中で、研究所でどのようなことを行っていたかの詳細が明らかになりました。」

「同じ内容は国境警備にあたっているカトリシアたちには伝えたのか?」

「ええ、もちろん。先ほど渡した報告書と同じものを送りました。」

「で、その内容はどのようなものだったのだ?」

「人クローンと人工知能に関する研究が大半でした。人クローンに関しては、すでに判明しているように実用化もできる段階まで研究が進んでおり、実際に人クローンを生み出していたこともわかっています。人工知能に関しては、人工知能を搭載した新型武器、政府職員ロボットの開発といったことがメインですね。人体実験も行っていたようですが、遺伝子の採取や医薬品の臨床実験といったことでしたね。ただ、遺伝子を採取しゲノム情報を持っていたようですから、かなりコアな個人情報ですがね。」

「政府職員ロボットとはいったいどういうものなのだ?」

「行政の窓口や書類業務を行うためのロボットです。機械が行えばミスはかなり減らせますし、人工知能を搭載していればある程度自己判断もしてくれますし。」

「そうなのか。」

「別の国ではレストランの給仕を人工知能を搭載したロボットが行っているという話も聞きます。」

「人工知能を搭載した新型武器とはどういうものなのだ?」

「大陸弾道ミサイルや対航空機ミサイルとかですね。自分で目標物を検知し、そこにめがけて攻撃をかけるというものです。こういった武器の開発はエフィカに限らず、世界で複数の国が行っており、実用化もされています。」

「カフスランはしておらんだろ?」

「そうですね。」

「人クローンはいったい何のためにやっていたのだ?」

「その点についての記述は今のところ確認されていません。ただ、別の職員の日報を見てみると、軍隊に志願する国民が少なかったゆえに、人クローンを大量に生産し、兵士として養成することを考えていたようです。加えてその人クローンを売買し、奴隷として使用しようと考える者もいたようです。」

「人クローンに人権はないのか?」

「それは世界中で議論されていることです。こういった存在を、自然に生まれてくる人間と区別せず、同じものとして扱っていいのか、意見が割れています。しかし、世界各国で人クローンを作ることは犯罪とされており、法律で禁じられています。エフィカにはそういった法律が存在しませんので、エフィカ国内に限っていえば犯罪行為とはなりませんが、国際的にはタブーとされていることですし、明らかになれば激しい批判を受けると思います。」

「マラカノには禁じる法律はないのか?」

「あります。作れば、15年以下の懲役、もしくはそれ相当の罰金が科せられます。」

「もしマラカノ政府の命で人クローンを作ったとなれば、国家が自ら犯罪行為をしていることになるのか。」

「そうなりますね。」

 恐ろしいことだとパルカンは思った。自らが行っている行為がどのような行為になるのかの自覚がないのか。そこまでの膨張をする必要が果たしてあるのか。国家が暴走することほど、怖いものはない。

「マラカノが本当にクローンを作っているのだとすれば、それは憂慮すべき事態だな。」

 そんな国家が隣国を支配している。カフスランを含め周辺国家にとって大きな脅威である。


「本当なのか?」

 国境警備にあたっている師団の司令本部にはカリウス、フロリア、カトリシアの3人がいた。軍務省から届いた報告書を見て、3人は驚愕した。

「人工子宮まで作っていたみたいじゃないか。クローンが生まれたのは・・・今から4年前か。」

「ということは、クローンは4歳ってこと?」

「普通に考えればね。だけどこれみて。クローンに大量の成長ホルモンを打っている。成長を促進させて、無理な成長をさせていた可能性が高いわ。」

「完全に実験台にされていたってことだな。ひどい話だ。」

 コンピューターに保存されていた研究所のレポートの内容は、恐ろしい内容だった。クローンを使った人体実験が隣国で行われていたということである。

「この技術を使ってマラカノも同じことをやりかねないな。」

 そこに、さらなるレポートが届いた。

「カトリシア少佐、病院からの中間報告書が届きました。」

「ありがとう。」

 カトリシアは受け取るとその報告書を見た。

「クローンだってわかったの?」

 フロリアが尋ねる。

「ちょっとまってね・・・。」

 報告書には遺体の詳細な、そして驚きの分析結果が出ていた。

 まず、遺体の推定年齢は5歳と書かれていた。外見上は20歳を超えている成人に見えたが、どうもそうではないようである。そして、皮膚の細胞年齢を検査した結果、細胞は一般的な人であれば55歳の人が持っている細胞の状態だったと書かれていた。担当医のコメントには「明らかにちぐはぐなパーツで組み立てた機械のような状態である」と書かれていた。そして「正常な状態で生まれた人とは言えないほど、異常な状態である」と書かれていた。

「見る?」

 カトリシアは報告書を2人に渡した。

 これまでに、この世界において人クローンを作ったことがあるのはおそらくエフィカだけである。人クローンとはっきりとわかっている個体がない以上、比較するためのデータも存在しないし、ましてや断定することも不可能だ。「異常な状態の人間」としてだけ、処理するしかない。

「なんだよこれ。」

「事情を知らなければ病院のデータが間違えているんじゃないかって思うね。」

「ええ。知れば知るほど、恐ろしいわ。」

「でもよ、遺体の番号を考えると、報告書には記載されていないクローンがいるかもしれないってことだろ?もしあの遺体が人クローンだとわかれば。」

「人クローンとわかることはあり得ないわ。これまで、私たちは人クローンと会ったこともないし、見たこともない。分析したこともない。生み出した人はどこにいるのかもわからない。何も言えないわよ。」

「確かにそうだな・・・。」

「まるで宇宙人だね。あったこともない人だなんて。」

 もうどうすればいいのかわからない。どんな脅威が生まれるのか、どんなことをするのか、何もかもが未知の世界である。そんなのを相手に、これから私たちは戦わなければならないのか。

 あまりに先が見通せない状況に、カトリシアは震えが止まらなかった。


11

 5日後。国境の検問所が騒がしかった。

「カトリシア少佐はいるか?」

 隊舎にアッサム中佐がカトリシアを呼びに来た。ちなみに、遺体発見の騒動後、アッサム中佐は自分の知らないところで何かが動いていることを感じ取り、カトリシアに従うと決め穏やかな態度をとっていた。

 部屋から顔を出したカトリシアがアッサム中佐の手招きに応じる。

「何かありましたか、アッサム中佐。」

「ああ。検問所を通してくれと国連の職員が来てね。なんでも公爵に会いたいとか言っているらしくて、公爵府に問い合わせたら国連の職員には公爵は絶対に会わないと言っているらしくてね。その辺の事情、君の方がよくわかってるだろ?悪いが対応にあたってくれんか?」

「わかりました。すぐ行きます。」


 検問所には国連の職員と名乗る人が5人いた。

「失礼、カフスランに来た目的を尋ねたいのだけど。」

「何度も言っているが、こちらは貴国の公爵に会いたいのだ。国連の職員がなぜ通されないんだ?通さない理由を言ってもらおうか!」

「国連のどの部署に所属するものか、名乗っていただきたい。」

「そこまで言わないといけないのか!どういう国なんだここは!」

 最初からこの職員の対応を行っていたカリウスがカトリシアに耳打ちする。

「こいつら、国連職員が持っているはずの身分証を提示しないんだ。だから、信用できねえ。」

 カトリシアはそれを聞くと、カリウスに別室を用意させ、国連職員を名乗る5人をその部屋に入れさせた。

「この部屋には、私とカリウス、フロリア以外は絶対に入れさせないでいただけるかしら?」

 入口で見張り役を頼んだ兵士にカトリシアはそう指示した。

 部屋に入ると、カトリシアは5人にこういった。

「単刀直入に言うわ。あなたたち、国連職員じゃないわね?」

「なんでだ!」

「国連職員ならその身分を示す身分証を持っているんじゃない?それを提示すればいいだけの話。なのにあなたたちはそれを提示しようとしない。」

「それだけか?それだけで疑っているのか?」

「もう一つ。今カフスランと国連があまりいい関係にないってことは知っているわよね?イケノス氏のことがあってから公爵は国連に懐疑的態度をとっているわ。そんな公爵に国連職員が、このタイミングで会いに来るかしら?」

「・・・これは通せそうにないですよ。」

 別のメンバーが、いままで答えていたメンバーに言う。

「しかしだな!」

「わかりました。我々の本当の身分をきちんと提示します。」

 別のメンバーが、立ち上がり身分証を提示した。それはインターポールの身分証だった。

「ICPOが、一体なぜ?」

「イケノスにある容疑がかけられています。人身売買です。」

「人身売買?」

「ええ、イケノスが直接手を下していたかはわかりませんが、イケノスがリーダーを務めるある組織が、組織ぐるみで人身販売ビジネスを行っており、彼はそれを知っているにもかかわらず何もしていない。それどころか人身売買で得たお金でマラカノで汚職をやっている可能性があるのです。マラカノのほうから捜査依頼がこちらに来ましてね。その関連でカフスランに来たんです。彼はカフスランとエフィカの問題の担当でした。その中で何か捜査の役に立つものがあればと思い。」

「人身売買って、その売買する人たちはどうやって手に入れているのですか?」

「彼が宗教紛争に関わっていることはご存知ですよね?そういった紛争地域で子供や女性を誘拐し、それを売買していたのです。」

「戦争のどさくさに紛れて、そんなことを」

「ええ、マラカノでは人身売買は違法行為で、立派な犯罪です。我々がマラカノ警察の捜査権が及ばない諸外国での捜査を行い、マラカノに報告しております。」

 そんな人物が、いけしゃあしゃあと平和のためにとこの国に来ていたのかと思うと、ぞっとしてしまった。

「なるほど、そういうことでしたか。わかりました。その旨こちらから公爵府にお伝えいたします。こちらで、少々お待ちいただいてもよろしいでしょうか?」

「ご厚意、感謝いたします。」

 カトリシアは、これは何かのチャンスにはならないかと、考えを巡らせながら公爵府とやりとりをするのであった。


(6)亡命の理由

12

 公爵執務室には、騎士団メンバー5人と、ICPOの捜査チーム5人がいた。

「ご協力感謝いたします。私は今回の捜査チームのリーダー、サラヴァンと申します。」

 彼はフランク共和国出身のアラン=サラヴァンだった。ICPOに入る前はフランク共和国の警察組織エリ警視庁で刑事をしていた。ICPOの本部はフランク共和国にある。

「この捜査を行うに至る経緯を、もう一度ご説明します。マラカノが介入した宗教戦争が起きたイラムでは、戦争中多くの誘拐事件が起きていました。7年前の誘拐事件の発生数は、戦争が始まる前の12年前のそれのおよそ3倍と言われています。この誘拐事件の多くは、過激派組織によるものが大半です。ただし、実行犯が過激派組織であり、裏でこの誘拐事件を起こしていたのが別にいました。結論から言えば、その裏のリーダーがイケノス氏だったのです。イケノス氏は、誘拐してきた人物の年齢や性別、容姿に応じて過激派組織に報酬を与え、自身の傘下にある人身売買企業に人質を引き取らせます。この人身売買企業もイラムに作られていました。企業の社長は過激派のメンバーが務めているのですが、設立にイケノス氏が深くかかわっていることが、社長を取り調べたときに明らかになりました。イケノス氏はこの人身売買を通じて多額の収益を上げていると考えられていて、その収益金を使ってマラカノで有力政治家にわいろを贈ったり、自身の考えた法案を通すために、有力企業にお金を渡すなどといった行為を繰り返していた疑いがあります。」

「化けの皮を被った政治家ってわけか?」

「ええ、実に悪質といえるでしょう。」

「で、ICPOの面々が余に聞きたいことというのは何なのかね?」

「最近、国籍不明の胎児が、取引されています。しかも、まだ誕生していない胎児です。」

「誕生していない胎児?どういうことだ?」

「生まれてくるであろう子供を、オークション方式で販売しているのです。持っている遺伝子の特性、性別などの要素を材料に判断しているようです。」

「なんだそれは。」

 カトリシアは、イケノス氏が自分のビジネスのために、あのスーパーコンピューターのデータを悪用したのではないかと思った。国連の捜査という隠れ蓑を使って、データを悪用しているのかもしれない。

―――今、我々には頼れる諸外国がない。ICPOは国連とは関係のない組織であり、なおかつ警察組織である。カフスランはあくまでデータ解析しかしていないわけなのだし、クローンを作ったわけではない。ここで、ICPOを頼るのも、一つ手かもしれない。

 そう思ったカトリシアは

「あの、ちょっとお話があるのですが。」

 と、ICPOのメンバーに話しかけた。

「その売買の対象となっている胎児は、クローンの可能性があります。エフィカでは、秘密裏に人クローン実用化に向けた研究が行われていました。そのデータが、国連の捜査を通じてイケノス氏に渡った可能性があるのです。」

「クローンというのは、人クローンのことですか?」

「ええ、エフィカでは実際に数体が作られていた可能性もあるんです。これは、カフスランがエフィカに独自に調査に入った結果判明したことなんです。」

「確かに、イケノス氏は国連の委員として、エフィカ大統領府にあるスーパーコンピューターのデータを調べていたことがわかっています。その中に、クローンに関する情報が記録されていたのですね?」

「そういうことです。マラカノの技術力をもってすれば、今すぐにでも人クローンの生産に着手するに足る情報があったと考えられます。」

「前代未聞の事態だ。クローンを作り、それを売買の対象とするなんて。」

「だが、現在の法律ではそれを人身売買とは言えないのではないか?そのようにして作られた人に人権は認められるのか?人間が、生物としての自然なやり方で生み出した人ではない。人工的に、そして遺伝子などを恣意的に組み合わせて生み出した人は、人なのか?おそらくイケノス氏はその法の抜け穴を使ってこのビジネスは問題ないというと思うぞ。」

「しかし国際的に人クローンの実用化はタブーとされているのでは?」

「明確に法律で禁じている国もある。しかし、国際的にはあくまで紳士協定。それを守る必要はない。マラカノの法律で禁じていないのであれば、違法行為とは言い切れない。」

「確かにそうだが・・・。」

 ICPOのメンバーは、あまりの事態に驚愕していた。

「でも、外務省の情報の裏付けがこれでとれたね。まさか本当に作っていたなんて。」

「しかも、誕生前の胎児をオークションで値段をつけて商売の道具にしていたとは・・・。信じられません。」

「これはまだわからないのだが、フランクの外務省の情報によれば、イケノス氏は胎児の多くを軍隊専用の胎児として国から多額のお金をもらっている可能性があると・・・。」

「国家が、人クローンを買ったというの!?」

 もしそれが本当なら、とても許容されることではない。

「なぜそこまでして」

「マラカノは今膨張を続けています。多くの地域を支配するためには軍人が必要です。しかし、自国民だけではとても賄えきれない。だからでしょう。人クローンであれば無限に作れますし、家族もいないから戦死しても悲しむ人もいない。人口が減ることもない。自国民を無理やり徴兵するより、やりやすいということでしょう。」

「信じられない!クローン人間は、ロボットと同じなのかよ!」

「だから国際的にも大きな議論となっているのですよ、人クローンは!」

 悲しいことかな、人類の技術の進歩は軍事技術の発展がきっかけとなって起こるのだ。原子力の技術や飛行機の技術なども、軍事利用するための研究がきっかけで発展してきた。殺し合いのための知恵が、人類の技術の発展を促してきたのだ。

「一体、我々はどうしたらいいのですか?」

 カトリシアはICPOのメンバーに問うた。

「私たちが聞きたいくらいです。この場合、まずこのような事態になっているということを、マラカノ政府に報告していいのかどうかも悩んでしまいます。政府もグルになってイケノス氏とビジネスをしているとなれば、マラカノ政府にも国際的な問題が発生します。」

 人クローンを量産しているなんて、前代未聞の事態である。こんな事態に即対応できる人や組織はこの世界には存在しないであろう。

 そんな時だった。公爵執務室をノックする音が聞こえた。

「入れ。」

 パルカンがそう声をかけると、軍務省関係者が入ってきた。

「カトリシア少佐、それにパルカン公爵様にお話が。国境地帯で異変があったと報告が。」

「ならばここで皆に伝えてくれないか。いちいち手間であろう。」

「構わないのですか?」

「余が構わないと言っているのだ、早く報告せい。」

「では。国境地帯で身元不明、国籍不明の遺体が5体発見されました。アッサム中佐からの報告によると、遺体にはそれぞれ番号が記されておりました。また、検問所ではある不審人物1名を拘束しております。その人物の身体検査を行った結果、身体に番号が記されていました。」

「きみ、具体的な番号を教えてくれないか?」

 バスティーニが問う

「はい、遺体の番号は2156、2258、2745、2958、2955です。また拘束した不明人物の番号は0122です。」

 バスティーニが、突然立ち上がった。

「きみ、いま0122って言ったね?生存者なんだよね?」

「はい。資料ご覧になりますか?」

 相手がそう言い終わる前にバスティーニは資料を相手から奪い取っていた。

「0122・・・この番号を、忘れるわけがない!スーパーコンピューターにあった番号・・・エフィカが作り出したクローンの1体!」

「まさか、見つかったっていうのか!」

「そのものは今どこにいる?」

「検問所で拘束しています。特に暴れるとか逃げ出すといったそぶりを見せなかったので、見張り付きの宿泊部屋に拘束しております・・・。」

「みんな、検問所に行くよ!真相を聞き出さないといけないよ!」


13

 今まで、誰も生み出してこなかった人クローン。今回、自分はそんな未知の存在に会いに行くのか、と思いながらカトリシアは検問所に向かっていた。

「緊張するな。一体どんなことを言われるんだ、俺たちは。」

 カリウスも震えながらそう言葉を発する。

「そんなのはこの中の誰もわからないわよ。ICPOの人たちだってびくびくしていたのよ。」

 世界中の犯罪と立ち向かっている彼らがびくびくしている。そりゃそうだ、これまで、誰も作ってこなかった、未知の存在なのである。

「どうするんだ?」

「とにかく会ってみないと何とも言えないわ。相手は、そんな誰も見たことも生み出したこともない存在なのよ。」

 何を知っているのか、また感情表現はするのか、何もかもが未知である。


 不安を抱えたまま、一行はクローンが待っている検問所に到着した。

「カトリシア少佐。お待ちしておりました。こちらです。」

「相手の様子はどう?」

「おとなしくしていますよ。ただ、なんていうのか、見た目に不相応な反応といいますか・・・」

「見た目に不相応?」

「はい、見た目は成人しているようにみえるのですが、話し方が幼いといいますか・・・。」

「話し方が幼い?」

「ええ、まるで小学生とかと話しているような感じなんです。」

―――たしかバスティーニがくれた情報には、むりやり成長ホルモンで成長させたとか言っていたけど、もしかして・・・。

 ふと思いついた可能性を頭の片隅に置いたまま、カトリシアはクローンと思われる人物がいる部屋に入った。

「失礼します。」

 相手がこちらを見る。見ただけではいたって普通の人間である。

「私はカフスラン公国陸軍作戦参謀のエレン=カトリシアといいます。こちらのメンバーは私とともに事件の捜査などを行っているチームのメンバーです。」

 相手は何も言葉を発しない。

「あなたにいくつか聞きたいことがあるんだけど、いいかしら?」

 相手は黙って首を縦に振った。

「まず、あなたはどこから来たの?」

 少し間をおいて、相手はこう答えた。

「隣の国から来たよ。建物の壁を壊してきたよ。」

「どんな建物?」

「液体に入った人たちがいっぱいいる建物。僕たちはそこで暮らしてたよ」

「液体に入った人?」

「そうだよ」

「その建物の名前とかはわかるかしら?」

「わかんない。」

―――なるほど、こういうことね。

 身体年齢に対して、精神年齢が見合っていない。言語習得まで早めることはできなかったようだ。

「あなたの身の回りの世話をしていた人は?」

「途中からいなくなって、この前新しい人たちが来たよ。でも、その人たちは僕たちのことは大事に扱ってくれなかった。僕はお腹がすいたから建物の外に出ることにしたんだ。そしたら、あのお兄さんたちに呼び止められたんだ。」

「建物の中から自由に出たり入ったりできないの?」

「できない。係りの人たちが一緒じゃないと出ることができないんだ。だけど、新しい人たちが来る前はご飯とかもくれてたから、別に出る必要もなかったんだ。」

「新しい人たちはご飯もくれなかったの?」

「くれなかった」

「建物の外に出たのはあなた一人だけ?」

「そうだよ。」

 妙な気分だった。目の前の人は、見た目は明らかに20歳は超えているだろう。しかし、話し方はまるで小学生のようだった。

「何か持ち物はないの?」

「ううん。何も持っていない。」

「建物の外に出たとき、何かあった?家とか、お店とか」

「家はちょっとあったよ。だけど、お店はなかった。ずっと畑だったよ。」

「どのくらい歩いたかわかる?」

「朝に建物を出たよ」

―――ということは、国境沿いの近くってことね。

「ありがとう、ちょっと待っててね」

 カトリシアはバスティーニに聞いた。

「国境沿いに研究所らしき建物はあった?」

「まだ調べていませんが、今のところは確認していません。調べてみますか?」

「できるなら。」

「わかりました。やってみます。」

 バスティーニは部屋を出た。


「姉さん、それは本当なのか?」

「ええ、思い出すだけでもぞっとするわ。」

「だから・・・」

 プロシュテットは驚いた。というのも、フリメラが話した内容がとても現実に起こったこととは思えなかったからである。

 彼は今、自邸にいた。5月にカフスランに亡命し、それ以降ずっと口を閉ざしていたフリメラが、話があるとプロシュテットを呼んだのである。彼女曰く、サルノ村では、エフィカ占領以降、村民のDNAが採取されていたのだ。村民が自主的にDNAを国に提供していたのではなく、強制的に採取されていたのだ。採取を拒否すれば役人によって嫌がらせを受けていた。採取の目的などは何も告げられなかったという。

 村には突如政府によって建物が建設された。その建物が何なのかは、村長であったフリメラにも告げられなかったという。ただ、その建物ができてからは、変死体が見つかることが増えたという。手足のない遺体、妙に足の長い遺体など。故意に切断されたのではなく、もともとなかったような感じであったという。思い出すだけども恐ろしい光景だったという。

 カトリシアたちの調査によって明らかになったエフィカの人クローン研究。その研究を行った施設は、サルノ村に建設されていた可能性が高くなった。

―――サルノにあったとすれば、ここ最近見つかっている数字の焼き印入りの遺体の話もつじつまが合うな。

「みんなそれが怖くなって、カフスランに命からがら逃げてきたのよ。」

「ほかに知っていることはないか?」

「ほかにね・・・。あまり思い出せないわ。」

「ショックで記憶が抜けているのか?」

「かもしれない。普通の光景じゃなかったから。」

 その光景を思い出して話せというほうが無理かもしれない。自分だったら、きっと二度と思い出したくもない光景だろう。

「ありがとう、カトリシアたちにも伝えておくよ。」

 プロシュテットはそういって軍務省に向かった。


(7)パルカンの決断

14

「カトリシア!」

 バスティーニが、国境警備隊の隊舎のカトリシアの部屋に飛び込んできた。

「ちょっと!ノックぐらいしなさいよ!私が着替えてたらどうするの!?」

 バターサンドクッキーを口にくわえたままカトリシアが怒った。

「あー、ごめんなさい・・・。」

―――ってまたバターサンドクッキー食べてるんですね・・・。いいな~そんなに食べても太らないんだから。

 バスティーニはカトリシアの間食の量が増えていることを少し気にしつつも、今はそれどころじゃないと封筒をカトリシアに渡した。

「これが、どうしたの?」

 そう言いながらカトリシアは封筒の中身を見た。そこには空軍の偵察機が撮影したサルノ村の空撮写真が数枚入っていたのだ。そして、その中の一枚に、赤の丸で囲まれた写真があった。

「プロシュテット長官からの報告を受けて、空軍に協力を要請して無人偵察機でサルノ村を撮影したんです。で、その写真なんですが、畑だらけの敷地に、ポツンとそれだけコンクリートでできた建物があって・・・。妙ですよね?」

「つまり、これが噂の研究所ってわけ?」

「その可能性が高いと思われます。」

「この中に人がいる様子はあった?」

「今のところ確認はしていません。」

「なんとか現地に行けないものかしら?」

「ICPOのメンバーの付き添いとして、という形なら。例えばサルノ村は5年前までは我が国の領土でしたから、それを口実に・・・。」

「なるほどね。あるいは私のフリメラ叔母さんにお願いするのも方法の一つね。だけど、その思い出したくない光景がフラッシュバックしてきたら、と思うと厳しいかしら。」

「外務省とも相談しながらいろいろ方法を練ってみましょう。まだ考える余地はあると思いますよ。」

「そうね、そこのところ、お願いしてもいいかしら?」

「構いません。分析作業はチームのみんながやってくれています。課長も僕の直属騎士団のメンバーという立場を考慮してくれているのですごく助かっています。」

「恵まれた環境下にあるってことね。」

「ええ、感謝していますよ。」

 バスティーニはカトリシアの部屋を出ていった。


―――さて、どうしようか。

 パルカンは執務室で考えていた。

 事態は動き始めた。動き始めはとても大切である。ここでの判断ミスが、後に尾を引く。慎重に、だけれど迅速に対応しなければならない。

 カフスランは中立を維持してきた。永世中立を宣言したことはないが、国の基本方針として、原則カフスランは自国の防衛、国民の保護以外では常に中立を維持するとしている。これまでの世界大戦においても、どちらかに加担したことはなく、自国の領土を侵犯してきた軍に対してのみ攻撃を加えただけで、軍は戦地には赴いていない。

 しかし、今カフスランは危機に瀕していた。これまでにない危機だ。自国の力だけでなんとかなる状態ではない。どこかの国の力を借りたい。だけど、世界の大国と言われているマラカノとは手を組みたくない。マラカノと手を組んだら、一体どうなってしまうのか。

 カフスランはヨーロッパにある。

―――マラカノの様な大国に対抗できる国が、わが地域にあるだろうか。

 小国がひしめき合っているのがヨーロッパである。大陸の半分ほどの大きさを持つ国に対抗できる国はない。

―――しかし、この国はこの状況を理解したうえで名乗りを上げた。

 パルカンの手元には、ある国からの文章が届いていた。文章の送り主は、フランク共和国政府だった。

 フランク共和国は今回の事件の詳細を、ICPOの捜査を通じて知ったようである。手紙にはこう書かれていた。

『カフスラン公国公爵 パルカン=カフスラン殿

 (中略)

 貴国の置かれている状況について、わが国に本部を置くICPOの捜査資料を拝見し把握いたしました。そしてまた、貴国が今大きな脅威にさらされていることも知りました。

 今回のことで判明した事実がもし本当なのであれば、マラカノは国際倫理に違反したことになります。そのことを断じて許すわけにはいきません。しかし、マラカノに貴国単独で立ち向かうのはかなり難しいと考えます。貴殿にお会いしたICPOのメンバーの話を聞く限り、かなり厳しい状況におかれているのではないかと思います。

 なぜ、我が国がここまで今回の件に関わろうとしているのか疑問に思われるかもしれません。

 その理由は、ICPOが今回捜査しているイケノスの人身売買ビジネスに我が国の国民も巻き込まれているからなのです。正確に言うと、マラカノが引き起こした宗教紛争により発生した移民を不法に連行し、売買していることが判明したのです。難民として保護した以上、国民と等しく保護しなければならない。それが、マラカノの行為によってできていないのです。

 貴国はこれまで、中立を貫き他国と軍事同盟を組んだこともなく、頼りになる諸外国も少ないかと思います。今回、少し事情が違えどマラカノに対する危機感を覚えている国同士、手を取り合って立ち向かいませんか?

 ぜひ、前向きなお返事が頂けることを期待しております。』

 イケノスの人身売買ビジネスは、世界中で行われていたようなのだ。フランク共和国だけでなく、ヨーロッパ各国からこうした事例の通報が相次いでICPOに寄せられているようなのだ。

「どうなさいますか?」

 そう聞いてきたのは在カフスランフランク共和国大使カルロス=ルワーブだった。

「何か、ここで手を組んだら交換条件なんかを提示されるのか?」

「貴国が負うべき条件はありませんよ。」

「どういうことだ?」

「わが国では最近IT産業の発展が急速に進んでおります。その際に必要となるのが、貴国に大量にあるといわれているレアアースなのです。我が国としては、今回貴国と手を組みマラカノからエフィカを奪還し、貴国がエフィカを正式に支配下に置いていただけたなら、レアアースの取引を我が国の企業に優先的に行っていただきたいのですよ。もちろん、貴国の提示する条件をそのまま受け入れることは約束します。それを安価な値段で取引しようとは思っておりません。それに、貴国に我が国の企業の工場を作りたい。そうすることで貴国の国民の雇用を増やします。」

「どういった工場を作るのだ?」

「半導体生産工場ですよ。半導体を作るにはきれいな空気と水が必要だ。貴国にはそれがどちらもそろっている。それを最大限に生かしていきたいのです。それから、半導体を本国に輸送するために航空機を使うのですが、我が国の負担で貴国の空港の滑走路を延長しましょう。そうすれば大型機の離発着も可能となる。観光客を増やすこともできます。」

 聞いただけだとカフスランに圧倒的に有利になる条件ばかりである。そんなおいしい話がそうそうあるものであろうかと、パルカンは警戒心を緩めない。

「そう怖い顔をして私を見ないでください。うそをついているとでもお思いですか?」

「あまりに我が国に利益がありすぎる。貴国にとっては負担ばかりではないのか?」

「今この時点ではそうでしょう。でも我が国の企業がITで成功し利益を上げれば我が国の経済は大きく発展します。それは我が国にとっては大きな利益です。」

「つまり税金を使って投資をして勝負に出ると。マラカノの件で貴国は正義を貫き、弱国である我が国を救ったうえ、経済支援も行った。国際的には好印象を与えることができるな。」

「ええ、そういうことです。」

「では尋ねるが、仮に貴国と第三国が戦闘状態に陥った時、我が国に軍事的支援を要請したりはせぬな?今回の件を条件にし、我が国を脅迫したりはせぬな?」

「しませんよ。あくまで経済的な面でつながりを持ちたいだけです。軍事的つながりとは違います。」

「しかし、今回のマラカノの件については貴国の軍事力を頼ることになる。貴国に経済的利益が後々来るにしても、負うべきリスクが大きすぎはしないか?」

「疑り深い方ですね。慎重になる気持ちもわかるが、少しは素直に聞いてみてはいかがですか?」

「余が疑り深い性格であることは自分で理解しておる。余の判断は公国の判断となる。安易な決断ができないことはそなたにもわかるであろう?」

「書面にも書いてあったかと思いますが、フランクでもイケノスの人身売買ビジネスの犠牲者が出ています。国としてそれを黙って見過ごすわけにはいかない。だからこそ、マラカノと戦う必要がある。・・・そうですね、こういう言い方は良くないと思っていたので控えていたのですが、踏み込んだ言い方をしましょう。少々失礼な言い方になりますがよろしいですか?」

「かまわない。」

「貴国を利用したいのですよ、拠点として。そう、軍事拠点としてね。」

「なるほど。カフスランはまさにいま、エフィカというマラカノの領土と境を接している。マラカノと戦うことを考えると非常に便利な位置取りだ。貴国はマラカノとは海で離れておるからな、本土からとなると航空機の燃料もかかる。カフスランならその心配はいらないだろう。むしろ地上作戦も組みやすいからな。」

「貴国にとっては他国の軍の駐留を許すことは大きなリスクではありませんか?中立の立場を長年にわたり貫いてきた貴国にとっては。」

「ああ、そうだな。下手をすれば我が国がマラカノからの直接攻撃を受けるかもしれない。そうなれば、我が国は甚大な被害を受けるだろうな。」

―――やっぱり、こういったリスクが隠れておるのだ。油断はできない。

 パルカンはしつこく問い詰めたことが正しい判断であったと思った。

「話は分かった。余にも少し考える時間が欲しい。そなた、時間があるか?」

「政府からはカフスランからの承諾を得ることに全力を注げといわれております。」

「そうか。事態が刻一刻と動いていることは余も理解している。なるべく早く結論を出すようにする。」

「そうしていただけると助かります。」

「時間があるなら、わが公爵府の昼食を食べていくか?そなたの分も用意させるが?」

「それはありがたい。」

「昼食を食べ、茶でも飲みながら余の結論を待っていただけるのなら、非常にうれしいのだが。」

「では、お言葉に甘えさせていただきます。」


 公爵邸にきたカトリシアは、大使館の車が停まっているのが気になった。旗を見るとフランク共和国のものである。

―――軍事同盟の打診かしら?

 そんなことを考えながらカトリシアは公爵邸に入り、執務室に向かった。

「来たか、カトリシア」

 パルカンがカトリシアを部屋に招き入れる。

「フランク共和国の関係者が来たの?」

「ああ、来た。なんなら、まだいるぞ。」

「何を言われたの?軍事同盟を組めとか言われたの?」

「それに近いことを言われたな。そこの机の上にあるのが駐在大使が持ってきた書類だ。見てみればわかる。」

 カトリシアは書類を一通りみた。

「我が国を利用して、エフィカに乗り込む気ね。事実をつかみ、マラカノに突き出す。マラカノと直接戦火を交えるより、本土から離れて支配体制も万全でないエフィカに攻め入るほうが簡単だものね。」

「カフスランと実質的な同盟関係になれば攻め入る口実もできる。フランクの本当の理由は根拠がないから今は言えん。」

「ええ、策略的な同盟関係であることはすぐにわかるでしょう。それにこれまで軍事的同盟関係を作ってこなかったカフスランが突然フランクとそういった関係になれば違和感がある。」

「逆にだ、おそらくマラカノは・・・」

「ちょっとまって。」

 カトリシアは突然パルカンに黙るようにジェスチャーを向ける。

「イケノスをこの部屋に通したかしら?」

「ああ」

 すると突然カトリシアは部屋の壁沿いにある、花瓶が載っている棚を動かした。そして、その裏でごそごそと手を動かし、あるものを見つけた。

「それは!」

 盗聴器であった。

「ほかに仕掛けられているかもしれないわ。探しましょう。」

 2人でそれ以外の個所をチェックした。ほかにも3ヶ所あった。

「公爵邸全てを調べさせた方がいいわね。」

「そう命じよう。」

 パルカンは部屋にある内線電話を取り、秘書官に調べるよう命じた。

「これまでの話は全て聞かれていたということだな。誰かに。」

「マラカノの可能性は高いわね。大使との話はここで?」

「ここでした。」

「なら大使にもその事実を伝えて。」

「ところで、なんで気付いた?」

「あの花瓶、お花の中身が大きく変わっていた。ということは掃除をしたはず。公爵邸の皆さんは仕事が丁寧だから物の配置とかがきっちりしているのね。だけど、あの棚の位置だけが、ずれていたのよ。それが気になってね。」

「しかし、ここ最近はマラカノの関係者は来ていないはずだが・・・。」

「え?」

「まあいい。調べればわかることだ。その盗聴器を情報課に回して調べてもらおう。」


 ルワーブは昼食をとっていた。

「ルワーブ大使」

 カトリシアが食事をしているフランク大使に声をかける。

「あなたは?」

「お食事中に失礼します。カフスラン公国陸軍少佐のエレン=カトリシアと申します。公爵直属の騎士団の団員でもあり、公爵勅命の特命任務に就いている者です。」

「初めまして、駐カフスランフランク共和国大使のカルロス=ルワーブです。ところで、どうなさったのですか?」

「先ほどパルカンと執務室でお話をされていたかと思うのですが、その執務室からこんなものが見つかりまして」

 そういってカトリシアは盗聴器を見せる。

「これはいったい?」

「まだ詳細はわかりません。これから調査をしようと思うのですが・・・。」

「ちょっと失礼。」

 そういってルワーブは盗聴器をカトリシアの手から取り、分解し始めた。

「えっと・・・」

「ご心配なく。壊すつもりはありません。私、昔は外務省の諜報局員でね、こういったものの知識は多少身についています。諜報局員の部屋なんてこんなのが仕掛けられていることはよくありましたから。」

 丁寧に盗聴器を分解し、部品をテーブルに並べた。

「特徴的な盗聴器ですね。しかし、マラカノのものではありませんな。」

「そんなことがわかるのですか?」

「ええ、我々にはわかります。調べれば、どこに向けたものかはすぐわかるでしょう。」

「そうですか。」

「ところで、公爵様とお話をされたのでは?」

「しましたが、何か?」

「前向きな様子でしたか、フランクとのことは?」

「盗聴器を途中で見つけたので話はまだ。打ち切ってしまった状態ですかね。」

「そうですか。冷静に、きちんと判断していただければと思います。」

 カトリシアは、なんとなく、この大使からは味方になるような、根拠のない信頼感を感じた。


「この部屋のチェックは終わったようだ。」

 そういってパルカンとカトリシアが向かったのはパルカンの寝室だった。

「いいの、寝室で」

「逆に寝室なら誰も入って来んだろう?」

 カトリシアは朝バスティーニに突然部屋のドアを開けられたことを思い出した。

「さあ、どうかしら。突然人が着替えているかもしれない部屋のドアを開ける男もいるけどね!」

「何かあったのか?」

「べつに!クッキー食べてただけよ!」

「は?」

「クッキー食べてただけ!!」

「何をそんなに怒っているのだ?・・・まあいいや。隊舎で何かあったのだろう。そういえば、そなたは太ったか?」

「へぇっ!?」

「何となくだが、太った気がするが・・・気のせいか?」

―――最近部屋に戻ったら絶対あのクッキー食べてるし・・・あーどうしよう!

「どうした?心当たりがあるのか?まあでも痩せすぎよりは多少ふくよかな方がいいのではないか?そなたは少しやせすぎだしな。今がむしろちょうどいいと思うが。」

―――お酒飲んでないからなーだめだわ~。

「それより、フランクとの話をしようじゃないか。」

「ああ、そうね、そうよ、その話をしないと」

「大使と少し話をしたのだろ?どうだった?」

「悪い印象は受けなかったわね。以前フランクの外務省の諜報局員だったみたいよ。ま、相手に好印象を与える技を使っているのかもしれないけど。」

「そうか。余も悪い印象は受けなかった。だが初対面であるからな、全面信用というわけにはいかぬな。」

「そうね・・・フランクについてはあまり考えていなかったわ。それに、イケノスの人身売買のビジネスが全世界で展開していることも。」

「我々が考えている以上に事態は深刻かもしれぬな。事態が明らかになれば、全世界から批判を受けることは間違いないだろう。」

「私はフランクと手を組むことは賛成よ。カフスランだけで対処することは無理。それに、フランクはマラカノとあきらかな敵対関係にないことも重要ね。」

「どういうことだ?」

「敵対関係にある国と手を組めば攻撃の矛先を容赦なく向けられるわ。だけどそうじゃない国と手を組めば・・・」

「すぐに攻撃を加えられることはないと。」

「そう、相手の出方をうかがうことができるわ。あとは条件実行のためにきちんと書類を交わすこと。そうすればいざ何かあった時にはこちらがそれを突きつければいい。一方的に破棄されればどうしようもないけどね。」

「なるほどな。最初に打つ手としては良い手であると、そう考えるのだな。」

「ええ、うまく使えば大きなチャンスになると思うわ。」

「後は母がなんというかだな。」

「あら、フリメラ叔母さんが大使を見てるの?」

「ああ、あの母だからな。そこの点は厳しくチェックしていると思うぞ。」

「男には厳しいからね・・・。」


「まさか、こんな形で再会するとは思っていなかったよ。」

「それはこっちのセリフ。」

「君に頼まれたら、こっちも動きようがない。嫌な首輪を君にあげてしまったね。」

「でも調べてみたら、ってこともあるのね。」

「政府からの報告を聞いたらびっくりしたよ。わが国でもそんなことがあったとは。だから、何も怪しまれなかった。それどころか目の付け所がいいね、なんて言われてしまったよ。」

 そう話していたのはフリメラ元公爵夫人とルワーブ大使だった。

「また、私に借りができたわね。出世に大きく関わるでしょ?」

「もちろん。評判がすべてだから、僕たちの世界はね。」

「パルカンとした約束は絶対守ってね。」

「それは当然だ。僕と君との関係以上に、国家と国家の約束だ。国家の信用が下がることは絶対にしないよ。それは本国もわかっていることだ。」

「それと、盗聴器のこと、何か教えてくれないの?」

「きちんとはわからないが、少なくとも外国のものじゃない。僕の勘だが、後々パルカン嬢に身の危険があるかもしれない。そこは気を付けたほうがいい。」

「公爵暗殺ってこと?」

「カフスランに駐在していて感じたこと。それは公国民の多くは新公爵に好意的だということ。この国の国民は公爵家が好きだ。それに、お父様のこともきちんと裁かれて、その身のつらさに同情している公国民も多い。だけど、少数ではあるが犯罪者の娘を国のトップに据えることにいやな感情を抱いている公国民もいる。そこは気を付けたほうがいい。彼女はまだ若い。あのカトリシアというお嬢さんは立派な子だし、勘所もいい。優秀な人材だろう。おそらくパルカン嬢をきちんと支えてくれると思うが、君も公爵の母親として、きちんと見てあげないと」

「気を付けるわ。」


「パルカン、入るわよ」

 そういってパルカンの寝室にフリメラがやってきた。

「どうでしょうか、お母様」

「ここはフランクの手を借りましょう。今秘書官に書類を準備させているわ。大使も大使館に戻って書面の準備をしている。準備が整うのは明日の午後だって。」

「そうですか。お母様の目にも、怪しい感じはなかったと。」

「大丈夫。」

 カトリシアは、叔母さんが妙に自信をもって答えていることに違和感を感じたが、きっと彼女がそういうのだから大丈夫なんだろうと、そう思ったのだった。

 翌日午後、カフスランとフランクは合意書を締結した。マラカノに悟られないよう合意を交わしたことは秘密とされ、一部関係者以外には公表されなかった。

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