第2章 エフィカの人たち

(1)サルビア騎士団のメンバー


1


 覚悟を決めてから、メンバーたちの行動は早かった。準備を済ませ、公学校を出たのはプロシュテットとの会談が終わってから3時間後だった。

 エフィカでの生活で必要となるものは軍務省がすべて予算で揃えてくれた。なので、各自荷物をまとめるとすぐに出発であった。

「軍務省の役人が私たちの自宅から連絡した必要なものを持ってきました・・・ってことは、私の部屋に入ったってこと!?」

 フロリアは最初、勝手に部屋に入られたと驚きの声を上げていた。

「役人が入ったのではなく、家族の方にお願いして玄関先に持ってきていただいた。」

 パレンシュタインは慌てて答える。しかし・・・

「家族が入った・・・ってことはお母さんが部屋に入ったってこと・・・」

「家族に見られちゃまずい物でもあるの、フロリア?」

 カトリシアが尋ねる。

「い、いや!そうじゃないけどさ・・・。」

「そういえば、公学校のクラスで噂話程度で耳にしたのだが」パルカンはそう前置きをして言った。

「お主はBLなどに興味があると・・・」

「ちょっとー!何を言ってるの!」とフロリアが声を上げる。

「へぇー、フロリアにはそういう趣味があるのかー。」

 カリウスが言う。

「まぁまぁ、趣味は人それぞれですから。」

 バスティーニが少し的外れなフォローを入れる。

「ちゃんと隠していなかったの?そんなまずいものなら普通は隠すでしょ?」

「普段はね・・・だけど、今日朝慌てていえを出たから、机の上に昨日買って読んでいた新刊を置きっぱなしになっていて・・・。」

「なるほどな、それは運が悪いとしか言いようがないな。」

「ご愁傷様でした。」

「うわーん、もうどうしたらいいの。」

「心配ないわ、フロリア。あなたは公国でも名誉なことに関わるのよ。ご両親もそんなことでとやかくは言わないわ。」

「カトリシア、悪いけど、あんましフォローになってないよ。」

「え!?どこが!?」

「名誉な騎士がBL好きとなっちゃーなー」

「今それ一番言ってほしくないこと!!」

「あ、そういうことだったのね・・・。ところで、BLって何かしら?」

「私も知りたいな。」カトリシアとパルカンはさっきから抱いていた疑問を口にした。

「パルカン嬢、公爵のお嬢様がBLに関する知識をお持ちになる必要はないかと・・・」

「何をいう。何事も知ることが大切だ。もし私が将来結婚することになり、その相手がBLだとかが好きだった場合、どう対処すべきなのかがわからんではないか。」

「いや、男性がBLを好むとは思いませんが・・・。」

 そんな他愛のない会話をしながら、準備を進めたのであった。


 エフィカに向かう馬車の中で、騎士団メンバー同士の親睦を深めるために、各自恥ずかしい趣味の話をすることになった。

「パルカン嬢は、恥ずかしいエピソードなどなさそうに思いますが・・・。」

 バスティーニが発言する。

「そんなことはないぞ。恥ずかしいことはたくさんある。あとその呼び方はやめないか。私は今、騎士団『サルビア』の一員であり、皆と同じ立場の人間だ。普通にパルカンと呼べばよい。妙な距離を感じるぞ。」

「そ、そうですか。では仰せの通りに・・・。」

「その言葉遣いもだ。対等に話そうではないか。私だけ妙な壁があるのを感じるぞ・・・皆の中に溶け込めないではないか・・・楽しみにしておったのに・・・。」

 悲しそうな表情をするパルカンにバスティーニは慌てる。

「は、はい!パルカンさん!で、では対等な立場として・・・。」

「パルカンの恥ずかしそうなエピソードか。例えばあれか、『パンがないならケーキがあるじゃない』とか言っちゃったとか?」

 フロリアが軽くからかい気味に言う。

「でもそれに近いかもな。」

「え?言っちゃったの?」

「そうではない。ある時、屋敷に訪問に来ていた文化省の役人が、お昼にカップラーメンというのを食べておってな。私はてっきりあれは電子レンジで温めるものだと思っておってレンジで爆発させたことがあるぞ。」

「水入れて、レンジかけちゃったの?」

「そういうことだな。あの時はそうとう母に笑われたな。私自身はかなりへこんでいたが、母は関係なく笑っておったな。」

「ペスカート叔母さんはすぐ笑うから。そういうお方ですわ。」

 カトリシアのこの発言に一同が驚く。

「カトリシアって公爵夫人と知り合いなの!?」フロリアがその驚きを言葉にする。

「フロリアには言っていなかったかしら?そうよ。ペスカート叔母さまは私の母のお姉さまなの。小さいころはよく遊んでもらってたわ!」

「だから、私とカトリシアは従妹同士となるのだ。」パルカンが答える。

「ということは、カトリシアと結婚すれば・・・俺は・・・」カリウスがそんなことをつぶやくとすかさずカトリシアが

「あ、大丈夫大丈夫。私の旦那様はきっとお父様が紹介してくださるから!だから、カリウスと結ばれることはほぼないと思うわ!」

と笑顔で恋する青年の夢を全力で破壊する。

「カトリシア・・・あなた本当に鈍感ね。」フロリアは呆れ顔でつぶやく

「へぇ?何が?」

「そうだな。ほぼほぼ告白、いやプロポーズと言ってもいい。そんな言葉を聞いても気づかないとは、そなたに恋をした男どもは本当に可愛そうだな。」

パルカンも呆れ顔でつぶやく。そんな中、絶望に暮れるカリウスをバスティーニが慰めていた。

「そういえば、カトリシアは恥ずかしい趣味とかエピソードとかないの?」

 フロリアが尋ねる。

「このくだりも十分恥ずかしいエピソードだとは思うがな。」パルカンが茶化す。

「そうかしら?私はあくまで事実を述べたまでよ。なぜそれにカリウスが悲嘆するのか、むしろ聞きたいぐらいだわ。」

追い打ちをかけるような発言をするカトリシアをフロリアが「まぁまぁ、とにかく私の質問に答えて」と遮る。

「そうね、恥ずかしいエピソード・・・。男装するのって恥ずかしいことなのかしら?」

「え!男装するのが趣味なの!?」

「家ではよくするわよ。あの軍服が好きで、よく着てたわ。写真に撮って、お父様に見せるの。喜んでくれるのよ、お父様が。それに、男性の服の方が動きやすいじゃない。ドレスだとかスカートだと、いろんなことに気を使わないといけないじゃない。煩わしいのよね、女性ものの服を着る時って。そうは思わないかしら?」

「いや、私は思ったこともないけど・・・」

「私は同感だな。とにかくめんどくさい。化粧もしなければならない、この色のドレスならこのアクセサリーとか・・・自分の好きにできないからな。」

「パルカン!あなたはわかるのね、私の気持ちが!」

「婦人物が面倒という点はな。男装する気持ちには同意できんぞ。」

「カトリシアの男装・・・。」

 青年2人が、夢の世界でカトリシアの男装姿を妄想する。

「よだれでてるぞ。」パスカルが呆れ顔でいう。

「2人とも、もしかしてお腹がすいたのかしら?」

「―――。」

 フロリアは、もはやつっこむ気力もなくした。


 そんなくだらない会話をしているうちに、エフィカとの国境地帯に入った。向こうには国境警備隊の兵舎が見える。

「いよいよ、エフィカに入るのね。」

 国境に着くと、国境警備隊の兵士がこちらにくる。

「騎士団『サルビア』だな?団長は誰だ?」

「私ですわ。エレン=カトリシアです。はい、こちらが設立証ですわ。」

「は。軍務省から通達が来ておりました。ご苦労様です。」

 兵士が敬礼する。立場上は、騎士団のメンバーの方が上になる。

「軍務省から、私たちに対する伝言はないかしら?」

「は。こちらがその伝言になります。」

 そう言って兵士は透かしの入った封書をカトリシアに渡す。

「ありがとう。確かに受け取ったと、軍務省に伝えておいてちょうだい。」

「仰せの通りに。」

 そうしているうちに荷物検査が終わり、通行の許可が下りた。

「では、お気をつけて。」

 彼らの乗った馬車はエフィカ共和国へと向かった。


 封書には、エフィカ領内に用意された、騎士団が生活をするための宿舎にある、通信機器の操作方法と、軍務省へと報告の手順が書かれていた。ちなみに、報告に使う通信機器はモールス信号機に近いものである。

「エフィカの通信技術は最先端なだけに、こんなローカルなものでやって大丈夫なのか?」カリウスが聞く。

「大臣の話だと、最先端すぎて、逆に国民はそのシステムの原理を知らない。原理を知らなくても機械の方が性能がいいから知る必要がないらしいわ。だから、大丈夫だろうっておっしゃってたわ。」

「機械負けしてるってことか。でも、壊れたら修理できないじゃねえか。」

「機械が安いから、修理するより買い直す方がいいらしいわよ。」

「えー。もったいないわね。私の家にある電話機は50年以上使っているから愛着がわいてて。あの電話が壊れて買い換えようなんて思わないけど・・・。」フロリアが言った。

「そうね。でも、修理にかかる費用、その時間を考えたら効率が悪いって思うんじゃないかしら。それに、機械の原理を習得するより、操作方法を習得さえすれば使えるでしょ。余計なことを一切しない国民が、そんなことはしないでしょうね。」

「ドライですね。まるで機械に対する感情がないようにさえ、私には思いますね」バスティーニが寂しそうに言う。

 本当に価値観の違う国に来たのだな、と一同は思った。


 公学校を出発して7時間ほどたった午後9時に、宿舎に着いた。宿舎は、エフィカの首都ダレスカトの新市街のやや中心地から外れたところにある

「おー、俺の家より立派じゃねえか」

「そんなことないでしょうよ。」

 彼らが使うのは、昔カフスランの駐在大使が使用していた屋敷である。

「今まで無人であった駐在大使の館に我々が住み始めたら、近所の方は違和感を感じたりしないのでしょうか?」

「ないと中佐は仰っていたわ。特にこの新市街の住民たちは隣近所のことは関心を持たないらしいわ。」

「へぇー。カフスランじゃありえないことね。」

 そういいながら馬車から荷物を下ろし、屋敷へと搬入していく。屋敷の中は手入れが整っており、きれいな状態だった。

 入口は二つあり、両開きになる扉が正面口、片開きの扉が勝手口だった。居住者は勝手口から出入りしていたようである。

 居住者用のスペースと来客に応じるスペースはきっちりと分けられている。カトリシアたちは基本的に居住者用スペースのみを使うことにした。

「部屋は何部屋あるんだ、カトリシア?」

「2階に4部屋あるわ。ただ、そのうちの1つは執務室だから、使えるのは3部屋ね。3部屋とも、同じ広さよ。」

「なるほど・・・それではどのように部屋は使いますか?」

「男女でいいんじゃねえか?」このカリウスの提案に

「でも、パルカンはお嬢様よ!私たちと一緒だなんて・・・」とフロリアが反論する。しかし

「私はかまわんぞ。というか、むしろ1人だと寂しいではないか・・・。」とパルカンが頬を赤くしながら答える。

「へぇー、パルカンにもそういう可愛いところ、あるんだな!」

「私をなんだと思っているんだ、カリウスは!」

「まぁまぁ。では、一番手前の部屋を我々男性が、奥の部屋を女性が使う形にしましょうか。一番奥の部屋は空き部屋ということにして。」

「えぇ、そうしましょう。では、各自私物を部屋に入れて。荷物の整理が終わったら、全員1階の食堂に集まって。」

 こうして、騎士団の共同生活が始まった。


2


 この館には食堂が2つある。来客者を招いての夕食会などに使う食堂と、居住者が使う食堂の2つである。メンバーが集まったのは居住者用の食堂である。

「しかし食堂が2つもあるなんて・・・さすが大使の館ですね。」

 バスティーニは驚きの声を上げた。

「大使がいたころはエフィカの人々とよく夕食会を開いて、交流を深めていたみたいね。」

「へぇー。いつから他人に無関心な国民になったんだ?」

「そうね、軍務省の話だと6年ほど前からみたい。戦争が始まる1年前ね。」

「6年前に何かあったということ・・・。」フロリアは6年前というキーワードを頭の片隅に入れた。

「さて」騎士団長カトリシアが、全員の前に立ち、話を始めた。

「我々の今回の任務はエフィカの内情を調べ、カフスランに報告すること。相手の国民の感情を逆なですることなく、理性的に調査することが求められる。そのことを忘れずに任務にあたっていただきたい。ただし、万が一の場合には自身の身を守らねばならない。その時は適切に反撃し、対処すること。」

「了解。」全員が声を揃えて言う。

「では、早速作戦実行と行きましょう。まずは、どうやって内情を探るかね・・・。軍務省から提示された方法で問題はないと思うのだけど・・・。」

「カトリシアは何を懸念しているのだ?」パルカンが団長に問う。

「まず、全員が、軍務省からの提示通りエフィカの国民に混じって労働に就くべきかってことね。全員が労働に就いてしまうと、この館を守る人間がいない時間帯ができてしまうわ。もしここが急襲された場合、お手上げになってしまう。」

「館を警備する者がいませんからね。本拠地が攻められては意味がないということですね。」

「バスティーニの言うとおりだわ。だから、労働に就いて内情を探る者、ここを守る者に分けたほうがいいと思うのよね。」

「俺もその意見に賛成だな。5人いるんだ。全員が外に出る必要はねぇしな。」

「そしたら、誰が労働役?」フロリアが発言する。

「あのよフロリア、“労働役”という呼び方はやめねぇか?なんか奴隷みてぇでやだな。」

「あ、ごめん、そういう意味じゃなかったんだけど・・・。」

「そうね・・・」少し考えてからカトリシアは言った。

「実践能力の高い人が外に出たほうがいいかしれないわね。いざという時、自分で対処しなければならないわけだし・・・そうなると、フロリア・バスティーニ・カリウスが外に出て、私とパルカンが館に残るってのはどうかしら?」

「なるほど、作戦立案に優れたカトリシア嬢が館に残り、状況に応じて指示出しをしてくださるってことですね!」

「いいんじゃないか、力仕事なら任せろ!」

「私も労働にいそしむのー?」

「女性しか入れない仕事もあるでしょ、フロリア。それに、女性は噂話の類が好きでしょ。その噂話が私たちにとっては非常に大事な材料となるのだから。」

「確かにフロリアはそういった噂話が好きだしな。」

「なるほどカトリシア、女社会の情報網はなかなかのものだからな。」パルカンが感心する。

「噂話レベルなのかどうかを見極める判断力が大事になってくるけれどね。」

「ところでカトリシア、余はここで何をしたらいいのだ?」自分に仕事が何も割り当てられていないことにパルカンは気づき、問う。

「パルカンは私のお手伝いをして。あなたは推察力に優れていると中佐から聞いたわ。私たちが集めた情報から、推論を立てて欲しいの。」

「なるほど。わかった。」

「求人情報は、ここから少し離れた旧市街にある求人センターにあるらしいわ。エフィカは能力さえあれば誰でも職に就くことができる。そもそも学校がないから学歴という概念もない。だから、各自自分の能力が発揮できると思った仕事についてもらいたい。いいかしら?」

「オッケー。じゃあ早速明日から職探しだな!」

「そうですね。」「がんばるしかないっか!」

 外に出る係の3人が気合を入れる。

「毎日夜はここで一日の状況報告、翌日の作戦を会議するから、よろしく頼むわよ。では今日はここまでにして早速寝ましょう。」

 こうして初回の作戦会議は終了したのであった。


3


 寝室に戻ったカトリシアは、不安で不安でいっぱいだった。

 公国特別騎士団の団長として、自分が皆をきっちりとまとめなければならないという、強い使命感に支えられてなんとか気丈にふるまっているが、内心はすごくびくびくしていた。

 確かに自分は作戦立案能力には自信がある。でも、それはこれまでの演習やテストでその部分の成績が良かったから、というだけである。実戦で作戦を練ったことはないし、ましてやこんな作戦がすべてといってもいい偵察活動なんてやったことがない。本当に自分の立てた作戦で大丈夫なのか、自分の考え方は間違っていないのだろうか。それは常に不安である。

「大丈夫、カトリシア?」

「ええ、大丈夫よ、心配しないでフロリア。」

「そう・・・」

 フロリアは察しがいい。きっと、カトリシアが不安に思っていることをすぐに察知したのだろう。心配そうな目でカトリシアの隣に座った。

「大丈夫よ、みんなカトリシアのことを信じてる。間違ってたら間違ってるっていうから。もしうまくいかないことが起きたとしても、誰もカトリシアのせいにしたりはしないわ。」

「ええ、皆はね。でも、軍務省の役人たちは許さないわ、きっと。特別騎士団の団長がミスをするなんて、許されることではない。もし私がミスをすれば、お父様のメンツは丸つぶれ。せっかくお父様が命を懸けて築いてきたキャリヤを、私がすべてダメにしてしまう。あの長官の娘なのにって、言われちゃう・・・。」

 フロリアはカトリシアの言葉を聞き、カトリシアが感じているプレッシャーがどれだけ大きくて重いものなのかを感じた。とても、15歳の少女が抱えきれるものではない。そんなとてつもないプレッシャーを、この小さな体で受け止めているのだと思うと、可哀想にも思えてきた。

「カトリシア」涙目になったカトリシアに、パルカンが話しかける。

「己自身が自分を信じなくて誰がお主を信じるのだ?カトリシアの父上も、カトリシアのことを信じて騎士団のメンバーにしたはずだ。それに、今回のメンバーならそなたが団長をやる可能性が高いことはわかっておっただろう。これまで数々の功績をこのしてきた父上が、そなたに務まると思ったから騎士団のメンバーにしたはずだ。そのことに誇りを持ち、自分自身に自信を持て。自分に自信のないリーダーに、だれもついてきてはくれんぞ。よく、余の父上が言っていった。『自分のしてきたことが正しいかどうかは、その時を生きている人ではなく、歴史が決めるのだ』と。そういう気持ちでいないと、これから先務まらなくなるぞ。」

「そうよカトリシア。始まったばかりじゃない。自信もって!私たちにできることは最大限やるから!ね!公国の人みんながカトリシアのことをせめても、私たちはずっとカトリシアの味方だから!」

「ありがとう、2人とも・・・」カトリシアはその2人の励ましに思わず泣きだしてしまう。

「もう、カトリシアったら。」

 そんなカトリシアをフロリアは優しく抱きしめる。

―――絶対に、成功させる。家族のために、メンバーのために、公国のために!

 カトリシアは、そう心の中で決意するのだった。


(2)揺れる価値観


4


 翌日。エフィカの内情調査初日である。

「じゃあ行ってくるな!留守番頼んだ!」

 まずはエフィカでの職を探すためにカリウス以下3名が旧市街にある求人紹介所へと出かけて行った。

「いってらっしゃい!」

 カトリシアはパルカンと共に3人を見送った。そして、自分の胸に手を当て、神に彼らの無事を祈った。


「どんな仕事があんのかな?」

「どうでしょうか。カフスランと比べるとかなりIT化が進んでいますからねエフィカは。IT関連のお仕事が多そうですね・・・ただ資格持っていないからな・・・」

「えーじゃあ私何がいいのかな?」

 そんな会話をしながら3人は求人紹介所に到着した。赤レンガの建物で、思った以上に小さい。中に入る。

「受付は・・・あれ?受付どこ?」フロアを見渡したが、受付係の人がいない。

「ありませんか、フロリアさん?」

「見当たらない。コンピューターしかないじゃない、ここ。掲示板みたいなのもないし。」

 フロアにはコンピューターがずらっと並んでいるだけ。人っ子一人いない。非常に殺風景だった。

「このパソコンをいじったらなんかわかるんじゃねぇか?」カリウスが一番手前のコンピューターの前に座り、操作する。それをのぞき込む2人。

 画面には<採用形態><業界><勤務地><勤務時間帯>などの項目が用意されており、それぞれの希望を入力できるようになっていた。

「<採用形態>は・・・アルバイトが無難かな。」

「そうね、まずはバイトの方がいいかも。」

「<業界>・・・お、これは選ぶんだな・・・。ん?」

「どうしました?」

「<共和国関係>って業界はどういう業界なんだ?」

「試しに入れてみたら。」

「そうしてみるか・・・あとは<勤務地>か・・・」

 一通り入力したところで<検索>ボタンをクリックする。すると表示されたのが・・・

≪共和国関係の業界を志望される方は、今ここで国家試験を受けていただきます。国家試験の所要時間は6時間です。受験する方は「次へ」を、受験されない方は「戻る」を押してください≫

「6時間の試験って・・・しかも今すぐかい。」

「すごいね。全部パソコンで済ませちゃうんだ。」

「おそらく、紙で問題を印刷して、試験監督を付けて・・・なんていうのが非効率だと考えているのでしょう。それに見てください、パソコンの画面の上。小型カメラがあります。試験中は不正をしていないか、これで監視しているのでしょう。」

「ひぇー、カフスランじゃ考えられねぇな。」

 そんなエフィカの公務員採用の仕方に一同が驚く。

「別にどんな人格の持ち主であろうと、能力さえ高ければそれでいいっていう考え方なのね、この国は。」

 あまりの価値観の違いに驚愕する。

 その後、各自コンピューターを使い求人情報を検索する。

「俺はこれにしようかな。」

「何にしたの?」

「配送の仕事。力仕事には自信あるし、宅配の時にそれぞれの家を訪問するだろ?この国の暮らしが見えるかなと思ってね。」

「なるほど、いい仕事ですね。フロリア殿はどの仕事にしたのですか?」

「私は薬局の販売のお仕事にした。スーパーとかの販売のお仕事はないのに、薬局だけはなぜかあるのよね。」

「バスティーニはどうすんだよ?」

「コンピューター管理のお仕事にしようかと。」

「お、お前まさか・・・6時間耐久の国家試験を・・・。」

 エフィカにおいて、コンピューター管理関係の仕事はすべて公務員の仕事とされていた。

「受けますよ。どうせなら、国家の内部に入ってみようかと。それに僕は数学が得意ですから。おそらくは問題ないかと。」

「確かにバスティーニの数学力はすごいからね・・・。頑張ってね。」

「そういやさ、俺とフロリアの仕事は国家試験ないじゃんか?面接とか受けに行くのか?」

「いや、私たちも適性検査、受けないといけないみたいよ。」

 各仕事の求人票の表示画面の下には、<採用選考受験>というボタンがある。これを押すと≪只今から、あなたがこの仕事をしてもいい人か判断するためのテストを行います。この場で受けてください。≫というメッセージが表示される。<次へ>を押すと、試験が始まる仕組みになっているようだ。

「なるほどな。では受けるとしますか!」

 3人は画面の指示通りに<採用選考>を受ける。バスティーニは集中したいからと少し離れた席に座って受験した。

 そして、3人が共通して思ったことがあった。それは

―――いくらアルバイトとはいえ、パソコン画面で受験する選考試験だけで採用の可否を決めるのか?

 ということだった。一般的には、アルバイトであっても面接試験というのは存在する。実際に自分が採用する人間がどういう人間なのかを知るために、直接その人物に会う。そして、そのときの感触や態度を見る。いくら能力があるものでも、職場の価値観や雰囲気に合わない性格の人間を採用し受け入れた場合、その職場の環境が悪化する可能性がある。それを避けるためにもその人の人となりは非常に重要なはずだ。しかし、ここエフィカではそういうことは一切しないようだった。公務員も、能力さえあればそれで構わないということなんだろうか。

 あまりの価値観の違いに驚きながらも、3人は淡々とした採用試験を受けた。

 6時間耐久レースに挑んでいるバスティーニ以外の2人の採用試験は1時間足らずで終了した。結果はどちらも<合格>であった。

 必要なオンライン手続きを行うので1時間ほどこの部屋で待て、という指示がパソコンから出されたため、その指示通り求人紹介所のラウンジで待機していた。

「どうだったよ、フロリア?」

「まずは言語理解度を測る試験を受け、その後は接客シミュレーションのようなものを受けさせられて、こういうお客さんが来た時はどう答えるべきかとかこういうトラブルが起きた時はどう対処すべきか、てのを答えたよ。そっちは?」

「言語理解度は一緒だな。シミュレーションはなくて、どれが割れ物かとかどれはどう扱うべきものか、とかを答える試験を受けたな。こんなんで本当に合否出るんだな。」

「完全能力しか見てないよね・・・。私たちの国じゃあ考えられない。学歴・性格、いろんなこと見られるってのに・・・。」


 3人が採用試験を受けている頃、留守番をしていたカトリシアとパルカンは家事の役割分担を決めていた。

「お互い従妹同士なのに、ずいぶんと身分には差があるわね。」

「確かに余は公爵の娘ではあるが、そなたもずいぶんと立派な家の娘ではないか。」

「でも、パルカンは将来国家元首なるじゃない。あなたが背負う物は非常に重たい物だと思うわよ。」

「そうか?確かに国民の頂点に立つわけだから担う責任は重いと思っているが、そなたは何百年と続く一家の伝統を担うわけだぞ。担う物が違うだけで、その重たさは変わらないだろう。」

「そうかしら?」

 そんな会話をしながら家事分担を決めていった。その結果、カトリシアが家事全般、パルカンがその手伝いという、果たして役割分担といえるのか疑問が残る割振りとなった。

 というのも・・・

「パルカンはご飯作ったことってあるのかしら?」

「料理か・・・パンを焼くとかか?」

「小麦粉をこねるところからやっていたの!?」

「小麦粉・・・?というと?」

「・・・温めただけなのね。じゃあ掃除はどうかしら?」

「掃除は・・・したことないな。」

 という具合で、カトリシアがこれじゃあ家事を任せられないと判断したためである。ただ、少し考えればパルカンは公爵の娘なのでやったこともないのは不思議ではないのだが、ここまでとは思っていなかった。

「申し訳ないな・・・。余も早くできるよう精進せねばならないな。」

「この騎士団に参加しなければその必要はなかったとは思うのだけどね・・・。」

「いやいや、よく考えれば今の余の状態では、何かあって使用人がいなくなったとき生きていけん。最低限の生活力は身に付けないとな。逆に、余にとってはたいへん貴重な機会だと思っている。」

「そう思ってくれると嬉しいわ!」

 そういいつつ、カトリシアは

―――確かに、いくらなんでもこのままでは生きていけないわね。

と心の中では思っていた。

「さて、とりあえず何をすればいいのだ?」

パルカンが、手伝いをせがむ幼稚園児の様に目を輝かせてカトリシアに尋ねる。

「そうね、まずは買い物に行きましょう。今、ここに何も食材とかないから。この屋敷を空けるわけにいかないから、パルカンはしばらく待ってほしいのだけど、いいかしら?」

「あっ、そ、そうだな。待っておる待っておる」

 いきなり待てと言われ戸惑うパルカン。しかし、はっと我に返り、自分が先走っていたことに気づく。

「では、留守番を頼みます。何かあれば、実力行使に出て構わないわ。」

「わかった、団長。そなたも気を付けて。」

 そう言って、カトリシアは買い物に出た。


 街中を歩きながら、カトリシアは妙な違和感を覚えていた。

 誰かに付けられているとか、見られているとか、そういうのではなく、何かが物足りない、何か淡白な気がしていた。カフスランと何か違うのだろうと考えていた。

 カトリシアは今、旧市街にある商店街に来ている。調理器具や掃除用具は既にあるため、食材を主に買おうと食品関係の商店街に来ていた。流通している通貨やエフィカの言語はカフスランと変わりないため、そういう面では何ら苦労はない。

 しばらく歩いて、カトリシアは何が足りないのかに気づいた。

―――この商店街、声がしないわね。妙に静かだわ。何故かしら?

 そう、八百屋や魚屋などのあらゆる商店から「いらっしゃい!」だとか「今日はこれが安いよ!」などといった声が聞こえないのだ。どのお店も、店先に商品が並べられているのみであり、客は自分の買うべき目的物にまっすぐ向かい、必要なものだけを買って帰るのだ。しかも、レジはセルフレジになっており、店員がいないのだ。

―――ここでは、お店には店員がいないのが当たり前なのね。さすがエフィカだわ。

 価値観の違いを、ありありと見せつけられたような気がした。


 夕方になった。求人紹介所で6時間耐久レースを耐えバスティーニは公務員の仕事に就くことが決まった。

「おめでとう!さすがだな!」

「ありがとうございます、みなさん。」

「じゃあ屋敷に戻ろうか。」

 3人は紹介所を出て、昨日から暮らし始めた屋敷へ帰り始めた。

「それにしてもさ」カリウスが口を開く。

「こんな<合格証>を渡せばそれでいいのか?」

「そう書いてあるんだからそうなんでしょ?」

「おそらくはこのバーコードに全ての情報が書かれているのではないですか?」

 バスティーニが言っているのは<合格証>の右上に印刷されているバーコードのことである。

「全ての情報って?」

「我々の氏名や誕生日・住所、そしてここで受けた試験の結果とかですよ。」

「なんか、うれしくないな。数字だけで判断されるって。」

「そうだね・・・。」

 3人の心の中には、何か物足りないような、何とも言い難い“歯がゆさ”が残った。


5


 夜の定例会議の時間になり、一同が食堂に集まった。

「では、今日の報告を。まずは求人紹介所に行った3人からいいかしら?」

 カトリシアが報告を求めるとバスティーニがそれに応えた。

「はい。私バスティーニ・カリウス・フロリアの3名は旧市街にある求人紹介所に行ってエフィカでの仕事を探しました。結果から申しますと、私は公務員としてコンピューター関連の仕事に、カリウスは配送のアルバイトに、フロリアは薬局の薬販売のアルバイトにそれぞれ合格し、就業することとなりました。」

「あら、おめでとう。・・・って、今日1日で採用が決まったのかしら。」

「その通りだ。俺たちは求人紹介所のパソコンで・・・」

 カリウスが、求人紹介所で受けた採用試験が具体的にどうだったのか、またそれに対して自分たちがどう思ったのかを報告した。

 一通りの報告を受けたカトリシアはそれを受け、3人が思いもがけない感想を述べた。

「なるほどね、“完全な平等主義”ってわけね。」

「おい!平等じゃねえだろ!例えば俺みたいな数学のできないやつがコンピューター関連の仕事をしたくても、試験だけで判断されるなら絶対受からないじゃねえか!」

「そんなことないわ。むしろ私たちが当たり前だと思っている採用方法の方がよっぽど不平等よ。」

「そんなことは・・・」

「よく考えてカリウス。人の性格は容易には変わらないわ。どんなに必死に努力しても変わらないもの。それに、面接を行うのも人よ。大きな組織の中の、ごく一部の人間が、完全に自己の主観を排することなくその人が仕事に向いているのか否かを判断するのよ。誰が面接官をやるのかによって結果は大きく左右される。“運”の一言で片づけてしまえば簡単な話だけど、実は一番不平等な選考方法なのよ。その点、試験だけで判断すれば完全な客観性が保たれるうえに、勉学に励めば結果を変えることができる。貴族であっても、平民であっても、条件は全く同じ。判断基準も同じ。非常に平等な方法だとは思わない?」

「でもよ、人柄も重要なファクターじゃねえか!」

「人柄がいいかどうかなんて、その相手がどう思うか否かで変わってくるでしょ?」

「どう変わるんだよ!」

「そうね、例えば非常に控えめな人がいたとしましょう。控えめな人の長所は何だと思う、カリウス?」

「長所か・・・そうだな、自分の欲を強引に通そうとしないから、協調性のある所か?」

「バスティーニはどうかしら?」

「私は指示通りに動いてくれるところでしょうか?」

「フロリアはどう思う?」

「えっと・・・暴力を振るわない?」

「パルカンはどう?」

「そうだな、落ち着きのある所だな。」

「では、それを踏まえた上で。もし自分が騎士団の団長で、自分が率いている団にその控えめな人が入団を希望したとしましょう。入団の可否はあなた個人で判断していいとした場合、カリウスはどうする?」

「俺はいやだな。士気が下がる気がする。確かに協調性はあるかもしれないが、戦場では積極的に相手に攻撃を仕掛けることが多い。そういうところで控えめにされちゃあ困るしな!」

「バスティーニは?」

「私ならメンバーに加えますね。確かにカリウスの言う通り積極性も重要です。しかし、控えるべき時もあります。冷静にいまどうすべきか、戦場では指揮官の指示に従えばいいだけではありません。自分の命を守るために引き下がるべき場面もありますから、控えめな考え方を持ったメンバーがいることは悪いことだとは思いません。」

「フロリアはどう?」

「私はバスティーニの意見に賛成!冷静に物事を見てくれる感じがする!」

「パルカンはどうかしら?」

「余は、今は控えめにすべきなのか、その逆にすべきなのか、その使い分けの判断ができるか否かで考えるな。控えめな性格が悪いとは思わない。」

「そう、4人それぞれの考えは違うでしょ。もし、その控えめな人がこの騎士団『サルビア』に入団したいと志願して、面接官がカリウスだったら不合格になり、バスティーニやフロリア、パルカンなら合格と結果が変わってきてしまうでしょ。控えめな性格はその人が育ってきた環境や遺伝によって形成されたもの。その人がどんなに努力をしたって、根本にあるその性格を変えることはできないし、その環境や遺伝子を選ぶこともできない。その変えることのできないもの、そして個々人で善し悪しが変わってきてしまうものを判断の基準にしてしまうのは、非常に不平等だとは思わない?」

「一理あるな。確かにそう考えれば不平等だ。それに身分というフィルターがかかると余計に不平等さが増すな。」

「そう。対して試験というのは結果が数字として、誰にでも同じ形ではっきり示される。80点の答案は誰が見たって80点よ。特に今回あなたたちが受けた試験はカフスランでいうマーク式試験に近かったはず。答えが複数あるものではなかったはずよ。そこには性格も身分も関係ない。努力をすれば誰だって合格点に到達できる。非常に平等だとは思わない?」

 カトリシアの理論的な話には誰も反論できなかった。

「そしたら、お前はこのエフィカのシステムをよいと思うのか?」

 カリウスが尋ねる。

「そうね、非常に合理的だと思うわ。」

「それはどうして?」

 フロリアが首をかしげる。

「例えば・・・ちょっとパルカンを例に使って構わないかしら?」

「構わんぞ」

「ありがとう。例えばよ、例えばパルカンが将来公爵としてカフスランを支配するのに足らない人間だとした場合を考えてみて。今のカフスランのやり方だと、パルカンはカフスラン家に生まれた以上、公爵の地位を受け継がなければならない。公爵に向かない性格を持ち合わせたまま。そして、パルカン以外に公爵になるチャンスは与えられないわ。でももし公爵を公選や試験で選ぶとしたら?家柄や身分に関係なく全員に、平等にそのチャンスが与えられる。平等にチャンスが与えられるうえにふさわしい素質を持った人間が支配者となる。非常に合理的だと思うわ。」

「なるほど、そなたが言いたいことはよくわかる。それに、その家に生まれたがために、いやいやその地位を受け継ぐ者もおるしな。自分でもふさわしくないことはわかっていて、その地位にあることを良しとしていない者が。」

 パルカンが同意する。

「ええ、このシステムなら、そういう不幸を背負う人は減ると思うわ。」

「それって冷たくない?薄情な気もするけど・・・。」

 メンバーはあくまでエフィカの価値観を“悪”と捉える―もっといえば“悪”と思い込もうとしているようにカトリシアには見えた。

「みんな勘違いしているかもしれないけど、私はあくまでエフィカのこのやり方が“合理的”といっただけよ。よいとは言っていないわ。」

 パルカン以外のメンバーの顔がきょとんとする。

「私はあくまで、エフィカの人々がなぜこの価値観の下で動いているのかを説明したまで。その価値観が非常に合理的であることを言ったまでだわ。この価値観がいいのか悪いのかは個々人で変わってくると思う。この国の人たちはこの価値観を良しとした。だから、みんなこの国で暮らしているわけじゃない。」

「じゃあ結局カトリシアはどう思うんだよ?このエフィカの価値観を良しとするのか?」

「カリウス、私たちはこの価値観の善し悪しを判断しに来たわけじゃないでしょ?私たちの目的はエフィカの内情を探ること。エフィカの国が今どうなっていて、どういう国民がいて、どういう国家元首がいるのか、どういうシステムで動いているのかを探りに来たのよ。目的を忘れてはいけないわ。」

「でもよ、間違っていると思わないのか?点数だけで人を判断するのは間違っているとはお前は思わないのか!?お前は心の冷たい人間なのか!?」

 “心の冷たい人間”という言葉に、カトリシアの体がビクッと反応する。でもすぐにカトリシアはこういった。

「もう一度言うわ。私たちはあくまでエフィカの現状を知りに来た。エフィカの考えが間違っているか否かを判断する立場にないのよ。そこは絶対に忘れないで。」

「でも・・・でも・・・」

「別に私たちはエフィカに正義の味方をしに来たわけじゃない。エフィカの価値観を知りに来たの。ただそれだけよ。」

「―――」

 沈黙が、食堂を支配した。

 しばらく間をおいて、カトリシアは言った。

「3人ともご苦労様。報告ありがとう。エフィカの人々の価値観を労働の面から知ることができたわ。明日からは、各自就業先で任務に励んでほしい。エフィカの人々にじかに触れて、そこからわかったことをまた報告してちょうだい。念のためもう一度言うけど、私たちは正義の味方をしに来たわけじゃない。あくまで内情を知りに来ただけ。その内情を知るための手段として就労するわけ。そこは絶対に忘れないで。いいわね?」

「わかりました。心得ます。」

「私も気を付ける。」

 バスティーニとフロリアが返事をする。カリウスは黙ってうなずいただけだった。

「ありがとう。ではまた明日よろしく。今日はもう寝ましょうか。」

こうして、初回の会議は少し重い空気に包まれて終ったのだった。


 会議の後、カトリシアは一人トイレに入り、さっきカリウスに言われた言葉を思い出し、苦しんでいた。

―――でもよ、間違っていると思わないのか?点数だけで人を判断するのは間違っているとはお前は思わないのか!?お前は心の冷たい人間なのか!?

 ぐさっときた。任務だから、私はスパイとして入っているわけなのだから。感情を入れずに、ただ単にエフィカの現状を探る。エフィカの状況を知る。それが自分に与えられた任務なのだから。それ以上のことは考えてはいけない。

 でも、エフィカの行き過ぎた合理性に恐怖を覚えたのも事実である。買い物に出かけたときに感じた大きな違和感。人々が会話もせず、わき目もふらず目的の商品に直行する。一寸の無駄もない動き。一寸の無駄のない店内。必要最低限の行動、必要最低限の道具・サービスのみを提供する。まさに徹底的に合理化された社会であった。今、私の隣を歩いているこの人には果たして感情があるのだろうかと思ってしまうほど無表情に、無駄のない動きをする。

 息が詰まりそうなくらいの、完璧な合理的社会であった。

―――私だっていやよ!だけど、任務だもの。任務を遂行するためには、エフィカの人々になれないといけない。この人たちの価値観・考えを一つでも多く知って、母国に報告しなければならない。私にはその善し悪しを判断する必要もないし義務もない。ただ淡々と、その事実を知り、報告すればいいだけなのよ!

 そう割り切って、到底受け入れがたい考えを受け入れ、また考えを知るためにエフィカの人々の暮らしを感じなければならないと思っていた。

 その価値観で動いている人に対して、可哀想だとか思う必要はない。自分はただ・・・

―――こうして割り切って行動ができる私は、カリウスが言う通り冷たい人間なのかしら・・・もしかしてお父様は、私が冷徹な人間であることを私に突きつけるためにエフィカに・・・

 悲しかった。自分が冷静な人間であるとは思っていたが、冷たい人間であるとは思っていなかった。

 カトリシアは、割り切れることは軍人にとっては絶対に必要なことだと思っていた。目の前の敵を殺さなければならない。戦場はそういうところである。目の前の人が可哀想だからと、殺すのを躊躇していたら自分が殺されてしまう。だから、軍人は割り切って行動できなければならないと思っていた。

 でも今の自分はどうだろう?割り切って行動している自分と、そうでない自分が混在している。エフィカの徹底した合理主義を受け入れようとしている自分と、それをすごく拒否している自分の両方が混在、いやせめぎ合っているのだ。葛藤である。つらい。どっちの自分も本物だ。

 カトリシアは、自分が引き裂かれるような思いがした。真っ二つに自分が分裂している。しかも、皆の前で見せなければならない自分を「冷たい人間」と称されてしまった。どうしたらいいのか。

―――こんな程度のことで苦しんでいるようじゃ、私もまだまだ軍人としての鍛錬が足りないわね・・・。でも初日でこれじゃ、私これから耐えられるのだろうか・・・指揮官として、私はこの名誉ある騎士団を指揮できるのかしら・・・お父様はいったい何を考えて私をこの立場に立たせたのですか・・・?

 カトリシアは1時間以上トイレで考え込んでいた。

 トイレの外では、フロリアがずっと部屋に戻ってこないカトリシアを心配して「カトリシア!大丈夫?」と声をかけていたのだが、そのフロリアの声は、考え込んでしまったカトリシアには届いていなかった。


 こうして、騎士団『サルビア』の活動初日は終わったのだった。


(3)エフィカの目論見


6


 翌日の朝。


 昨日のカトリシアに言われたことを、カリウスは重く受け止めていた。

―――完全な平等主義か・・・。よく考えれば俺たちは特殊な身分の人間であることを忘れていたな。

 騎士団のメンバーは皆、それぞれ一流の技術を持つ軍人たちであった。その時点で、普通に暮らす一般市民とは立場が違う。なるべき職業が決まっている身分だ。

「おはようございます、カリウス殿。その顔色だと、昨晩はあまりよく眠れなかったようですね。」

 起き上がったバスティーニが、考え事をしていたカリウスに声をかける。

「おはよう。ああ、昨日カトリシアに言われたことをずっと考えててな・・・。俺たちはある種の特権階級だ。その特権階級にある時点で俺たちは普通の人より優位に立っているんだな・・・。そのことを忘れてたよ。」

「ええ、私たちは非常に恵まれた環境にいるんですよ。そのような大変ありがたい環境にあるにも関わらずそのことを忘れてしまう。だから、我々の様な身分の人間は頻繁に批判されるのです。」

「そうだな・・・。昨日のカトリシアの言葉にはグサッと来たよ。」

「さ、今日も任務が待ってますよ。前を向いて、頑張りましょう!」

「おう!」


 朝食を済ませた後、カリウスはカトリシアに声をかけた。

「昨日は・・・悪かった。俺もついカーッとしてしまって。」

「いいわ、大丈夫よ。お互い率直にお話しできてよかったわ。」

「そうか。」

「ええ。それに、私には私の考えが、カリウスにはカリウスの考え方があるわ。それぞれ違う人間だし、立場も違う。そういう違う人間同士が、全く同じ考えを共有することなんてできないわ。意見の相違が生じるのは当然のこと。今は騎士団として一つの考えにまとめる必要な局面でもない。お互いの考え方を認めるのが大切な時だわ。私もカリウスの意見にむきになっていたわ。そこはごめんなさい。」

 この言葉は昨日、トイレから戻り、部屋でフロリアに言われた「今は無理に一つの意見に集約しなくていいんじゃない?」という言葉に励まされ、カトリシアなりに自分の考えを整理して出てきたものだった。

「お前が謝るなよ。お前は団長として、指揮官として間違ってねーと思うし。」

「そう、ありがとう。そういえば今日からあなたたちはアルバイトを始めるのよね。頑張ってね。」

「おう!きっちりと成果を残して情報を持って帰ってくるよ!」


「カトリシア」

 3人がアルバイトへと出かけた後、パルカンがカトリシアを呼び止めた。

「あらパルカン。どうなさったの?」

「少し出かけたいのだが良いか?」

「出かけるのはかまわないけれど、どこに行きたいの?」

「図書館だ。というのもな、エフィカのことについて情報が知りたいのだ。」

「この国に関する情報は軍務省からもらった資料に書かれているけれど、それだけじゃ足りないってこと?」

「そういう意味ではない。その情報というのはあくまでカフスランが握っている情報だろ?余が知りたいのはエフィカの国民が知っているエフィカの情報だ。現在までにどういう歴史を刻んできたのか、エフィカの国民自身はこの国のことをどうとらえているのか、そしてエフィカの人間がカフスランのことを本当はどう思っているのか、とかな。カフスランサイドでは知りえないエフィカの情報を知りたいと思ってな。」

「なるほど、いい考えね!わかったわ。気を付けて行ってらっしゃい。」

「留守番を頼む。あと、図書館がどこにあるか知っているか?」

「えーと、そこに地図があるわ。」

 そう言ってカトリシアは食堂のテーブルの上を指さす。

「なになに・・・ここが今いるところで・・・あー、新市街の外れにあるのだな。よし、では行ってくる。」

 パルカンは必要なものを入れた鞄を持ち、屋敷を出た。


7


 夕食の時間の後、昨日から始まった定例会議が開かれた。

「では、各自今日の報告を。まずはアルバイトに行ったメンバーから」

「じゃあ俺からいいかな?」

「どうぞ、カリウス。」

「俺は昨日報告したとおり、配送のアルバイトに就いた。まず仕事内容なんだが、カフスランのそれと大きく変わりはない。ただ、なんて言うのか、人とのつながりがないって言うか、妙に淡泊というか・・・。アルバイト同士のつながりがないんだよね。」

「アルバイト同士のつながりがないって・・・例えば挨拶しないとか?」

「そうなんだよ。まず挨拶がねえ。従業員登録も、求人センターで発行された合格証の上にあるバーコードを機械に読ませてそれで完了。その日の業務内容の指示なんかも全部機械がやるんだ。個人個人に発行されている従業員カードを機械に読ませると、機械の画面にその日回るべき家や荷物なんかが表示される。後はその指示内容に従ってやるだけ。なんか上司が機械みたいな感じだったな。」

「住民とのコンタクトは取れそうなの?」

「それも難しそうでさ、荷物は配達ボックスを通じてのやりとりなんだ。住民と会話する場面なんてねえんだ。目論見失敗といったところかな。」

「まだカリウスの選択が失敗だったかどうかは決まらないわ。引き続き調査をよろしく頼むわ。」

「了解っす。」

「ではフロリアはどうだった?」

「私は薬局のアルバイトに就いたけど、基本的にはカリウスと一緒かな?対面で応対するカウンターはガラス張りなんだけど、私たちの顔の部分までカーテンが降りていて、お客さんと私たちお互いの顔が見えないようになっているし、アルバイト同士も基本的に会話しないから・・・。」

「そう、フロリアのところもそうだったのね・・・。徹底的に人間関係がない国なのね。」

 カトリシアは驚いた。カトリシア自身も人とは話をするのが好きだし、多くの人と積極的に関わりたいと思っていた。父親からも人との縁は大事であり、大切にしなければならない、何か自分が困った時、助けられるか否かは自分が人との縁を大切にしてきたか否かによって決まると言われたくらいだ。父親は政治家であり、軍務省の高官でもあるので、余計にそのことを身にしみて感じているのだろう。

「バスティーニは公務員のお仕事に就いたのよね?どうだった?」

「はい、私も業務を開始するところまでは先ほどの2人と同じです。ただ、私の場合は今日すぐに仕事に就けるわけではないので、研修を受けておりました。もちろん、研修してくれるのは“機械”ですけど。」

「公務員も機械が相手すんのか!徹底的に人とのつながりがねえな!」

「そうですね。非常に淡泊な職場でした。業務中も、誰ひとりとしてしゃべる者がおらず、終業のチャイムが鳴れば無言で帰宅していましたからね・・・。怖ささえ感じました。」

「何でここまでして徹底的に人との関わりを持たないようにしているのかしら・・・。」

 カトリシアが疑問を口にする。

「そういえばパルカンは今日何してたんだ?」

「余は図書館に行っておった。」

「図書館?何か調べ物をしていたってことか?」

「ああ。エフィカに関する情報は軍務省からもらっているが、その情報は所詮カフスランで把握できる程度の情報だ。図書館などのエフィカサイドで入手できる情報とは違うかもしれないと思ってな。幸いエフィカの言葉とカフスランの言葉は同じだしな。」

「なるほどな。で、収穫はあったか?」

「そうだな・・・。なんと言うべきか・・・その・・・な。」

 急にパルカンがもごもごし始める。

「どうしたの?何かあったの?」

 カトリシアが問い詰める。

「皆、落ち着いて聞いてほしい。ちょっと衝撃的でな。余は最初このことを見た時、動揺してしまった。」

「おう。わかった。」

「・・・図書館がなかったんだ。」

「え?図書館がないのですか?でもさっき図書館に行ったといいましたよね?」

「ああ。」

 皆、パルカンの言ったことが上手く把握できなかった。

「もっと正確に言うと、図書館が閉鎖されていたのだ。数日前、放火されて消失したそうだ。」

「消失・・・。放火したのは誰なの?」

「それがわからないのだ。何のために放火したのか、何のために図書館を焼いたのか。近くに住んでいる人に聞きたくても、皆わかるように話をする国民ではないからな。聞くこともできなかった。」

 図書館というのは公共の建物である。

「もしかして、誰か政府に恨みのある人間がやったんじゃねえか?」

 メンバー全員が思ったことをカリウスが口にする。

「そうね、その可能性はあるわね。でも、政府に恨みがあるのであったら、旧市街の北側にある大統領府を狙うのが自然じゃないかしら?図書館を狙うのはあまり意味がない気がするわ。」

 カトリシアが反論する。

「確かにな・・・。では何のために放火したのだろう?」

「あの・・・」

 バスティーニが手を挙げた。

「どうしたの、バスティーニ?」

「はい、皆さんはアレクサンドリアの図書館の話ってご存じですか?」

「おう、知ってるぜ。いろんな謎を解く鍵となる書物がたくさんあったのにも関わらず、図書館が焼かれてしまったためにその謎が迷宮入りしたって話だろ?」

「漠然とした知識ね・・・。まあおおかたそんな話だけれど。ヘレニズム時代の世界中の学術書が集まった、世界最古にして最大の図書館、だったよね?」

「そう。カリウスが言ったとおり、アレクサンドリアの図書館が焼失したことによって謎が深まった。つまり、図書館にはそれだけの資料があったってことだよね?図書館一つがなくなったことによってそれらの情報が分からなくなってしまった・・・。」

「バスティーニが言いたいのは、図書館を焼くことによって情報を隠蔽しようとしたってことかい?おいおいまさか・・・」

「その可能性はあるな。エフィカにおいて、図書館は一つしかない。その図書館に多くの情報が集まっていたとしたら、図書館一つを焼くことで多くの情報を隠蔽することは可能だ。」

「だけどよ、図書館にある情報なんてたかがしれてるだろ?」

「そんなことはないわ。今は確かに電子情報なんかもあるけれど、それができる前の昔の情報はすべて紙媒体。写本を誰かが持っていない限り、その情報を復元することは困難に近いわ。情報を隠蔽するには有効な手段だわ。」

「つまり、私が言いたいのはもし仮に国家に関する情報が図書館にあったとしたら、それを隠蔽するために国自らが図書館を焼き、情報を隠した可能性があるってことなんです。」

「国家にとって都合の悪い情報があったってこと・・・。わかったわ、軍務省の方に報告しておくわ。」

 国家による情報操作が行われた可能性がある。なぜそれを行ったのか、国が隠したかった情報とは一体何なのか。今後の騎士団の活動の中でも、図書館焼失の真相を探ることは重要なことになりそうだ。

「あと、報告することがある人はいるかしら?」

「他にはないかな。」

「俺もない。」

「私もありません。」

「余もないぞ。」

「ありがとう。じゃあ今日はここまでとしましょう。明日も引き続き各々の任務に当たるように。パルカンと私は明日以降図書館焼失の真相究明をしましょう。」

 こうして、2回目の会議は終了したのであった。


8


―――人との関わりを忌み嫌うエフィカの人々。なぜ、そんな国になってしまったのか。

 エフィカ共和国は、もともとはカフスラン公国の領土だった。それがおよそ300年前、公爵家本家であるカフスラン家と分家のエフィカ家の対立により、エフィカ家側が治めていた現在のエフィカ共和国領土がカフスランから分離独立し、エフィカ家側の人間を国家元首とするエフィカ公国となった。しかし、3代後のカフスラン家側の人間により、エフィカ家との和解が成立、国家統合はせず、互いに友好関係を築くこととなった。エフィカ公国が共和国となったのはその220年後のことである。当時の国家元首エフィカ=ナデル公爵が恐怖政治を行ったことに国民が反発、ナデル公爵は国民による反乱軍に捕らえられ、後に処刑された。ナデル公爵以外の公爵家はカフスランに亡命した。この動乱以降、エフィカ共和国となり、国民から選ばれた大統領が国を治めることとなったのである。カフスランとの不可侵条約が結ばれたのはこの時だった。

 カトリシアは、そんなエフィカの歴史がかかれた軍務省の資料を読みながら、前述したことを考えていた。

「カトリシア」

 部屋に戻ってきたパルカンがカトリシアに声をかけた。

「パルカン。下で何を調べていたの?」

「ああ、余はパソコンを使ってエフィカの図書館について調べてみた。もし図書館に関する情報があればとダメ元で調べてみたのだが、結果は吉と出た。」

「何が分かったの?」

「図書館には、今の大統領に関する情報があったようだ。4年前に何があったのか、それを記した者の書物があったようだ。」

「今の大統領に関する情報・・・。ますます国家による情報隠蔽の可能性が高まってきたわね。その書物の内容はなかったの?」

「残念ながらそれはなかった。」

「そう。もしそれがあったら、何か分かったかもしれないわね。」

「ああ。しかし、焼かれてしまったとなっては辿りようがないな。残念だ。」

「どこかに写本とかないかしら?あるいはその内容を知っている人がいたりしないかしら?」

「どうだろうか。内容を知っている人は最悪の場合、殺害されている可能性もありそうだな。」

「そうね。徹底的に隠蔽するためにはそこまで・・・」

 最後の言葉を言いかけたところで、カトリシアの口が止まる。

「どうした?何か思いついたのか?」

「待って。国民が人と話をしたがらないのってもしかして・・・」

「なるほど。いつどこで国に関係する人間が聞いているか分からないから・・・」

「もしそうなのだとしたら、まるで第2次世界大戦の時のドイツみたいな状況にあるってこと?」

「だとしたら、国民がそういう行動に出るのも納得だな。」

 カトリシアは、エフィカが今とんでもない状況にあるのではないか、と考えたのだった。


 翌朝、アルバイトに出かけるメンバーに、カトリシアは昨晩思いついたことを話した。

「なるほど、そうなると今この国には秘密警察のような人間がいる可能性があるってことですね?」

「そうなの。あくまでも推測だから正しいとは限らないけど、今私たちが知っている情報から考えるに、その可能性は十分にあり得ると思うわ。」

「だとしたら、そうそう簡単には話してくれなさそうだな。かなり手強いぞ。」

「私たちが国の関係者じゃないって分かればいいんじゃない?」

「簡単そうに言うけどさフロリア、それをどうやって示すんだ?カフスランの人間だって名乗るのか?そんなことしたら、俺たちがスパイやっていることだってばれちまうぞ。」

「そっか・・・。」

「みんな、これはあくまで可能性。その可能性があるって話だから、そのことを頭に入れた上で行動してねってことだからね。慎重に頼むわよ。」

「わかった。じゃあ俺たちは行ってくるな。」


 3人が出かけた後、カトリシアは今現在、自分たちが明らかにしなければならない謎を整理した。

 まず、なぜここまで徹底的に効率主義なのか。手間になることや無駄になることは絶対にしないこの考えはいつから始まったのか、そして何がきっかけで始まったのかを明らかにしたい。

 そして、図書館が焼かれた謎。4年前に就任した現在の大統領に関する情報が書かれた本が所蔵されていたから、その情報隠蔽のために国自らが図書館を焼いたと推測しているが、果たして本当にそれが正しいのか。まずはそこを確認する必要がある。また、国民が人間関係を積極的に築こうとしない点も大きな謎だ。人と話をするのを忌み嫌うようになったのは何故なのか、どうしてそうなってしまったのか。

「もう少し情報を集める必要がありそうだな。」

 パルカンが、考え事をしていたカトリシアに声をかけた。

「そうね・・・。でもあまり時間的猶予はないんじゃないかしら?」

「図書館の件か?」

「ええ」

「ここはあえて腰を据えて、落ち着いて事態を見守るのも手なんじゃないか?」

「どういうこと?」

「よく考えてみよ、別に今騎士団のメンバーに差し迫った危機が訪れてはおらんだろ?今エフィカの国民といざこざが起きているわけでもない。急ぐ理由は特にないと余は思うぞ。」

「そうね・・・。もう少し、情報が集まってくるのを待つのも選択肢の一つかもしれないわね。ただ、私たちが把握していない危機が迫っていたとしたら・・・。」

「それはどんな危機だ?具体的に」

「それはわかんないけど・・・」

「なら変にそわそわしないほうがいい。そうすることによって落ち着きがなくなり、冷静でいれば対処できたことに対処できなくなるぞ。そうなるのが一番まずい。」

「そうね。わかったわ。ありがとう、パルカン。とりあえず今は情報を集め、整理することに専念しましょう。」


9


 バスティーニのついている職業は、国内ネットワークを管理する仕事である。エフィカの法律が禁ずる内容を含むサイトがないかを、インターネットを巡回して監視したり、各地域に整備されたネットワークに問題が起きていないかどうか、ケーブルの中継所で問題が発生していないかなど、ネットワークに関する様々なことを管理している。

エフィカにおいて、インターネットは非常に重要な意味を持つ。エフィカの国民には全員に必ず1台、携帯電話が支給される。その携帯電話はカフスランでよく使われている2つ折りの携帯電話ではなく、タッチパネル形式の端末であり、同様の機械が普及している地域では「スマートフォン」と呼ばれているものだった。もちろん、周りから疑われないように騎士団メンバーも全員持っているのだが、なんせ使い方がわからないからいじりもせず、ただ所持しているだけなので、このスマートフォンというやつがどれだけの物なのかはバスティーニ含めメンバーは誰も把握していない。しかし、バスティーニは自分のついた仕事の研修を通じて、この四角い端末がどれだけ優秀なものなのかを知ったのだった。

まず、しゃべりかけるとスマートフォンが勝手にいろんなことをしてくれるのだ。例えば、「近くのスーパーは?」といえば、近くのスーパーの名称・最寄り駅・主要品目の値段・駐車場の有無など、ありとあらゆる情報を利用者に提供してくれるのだ。しかも、地図で道案内までしてくれるらしく、利用者側が何も考えなくても、ただスマートフォンの指示にさえ従っていれば目的地まで誘導してくれるというのだ。この技術にバスティーニは驚愕した。また、複数のユーザーが同時に電話することのできるソフトがあったり、全世界に向けてメッセージを発信できるソフトがあったりと、この一台の小さな端末で実に様々なことができることを知った。

カフスランにもインターネットはあるし、各家庭にパソコンは存在する。しかし、そのインターネットはあくまでカフスラン国内に限られたネットワークであり、海外のネットワークに接続はされていない。海外のニュースはTVや新聞から見聞きするのが当たり前であり、インターネットは、例えば読みたい本を注文したり、何かわからない単語があった時にそれを調べるためなどに使うものと考えている。誰かと話がしたいと思ったら直接その個人の携帯電話にかけるなり、街中の喫茶店で会って話をしたりするのが常識であった。

そして、この四角い端末が、国民を監視するためのツールであることも知った。各端末にはその位置の情報を知らせるGPSと呼ばれるものがついており、各端末が個別に持つ番号を入力すればその端末の持ち主が今どこにいるのかを知ることができるというのだ。つまり、端末番号と個人情報をリンクすれば、政府はいつ何時でもその個人がどこにいるのかを知ることができる。また遠隔操作も可能で、その遠隔操作を通じて個人が携帯端末を通じて行った通信の履歴を見ることができるのだ。

―――これはまるで、国民一人一人に監視員が付きまとっているのとほぼ同じってわけですね。自由なようで、全く自由がない。見えない牢獄にこのひとたちは入れられているわけなんですね。

 政府はインターネットを通じて国民を監視する。だから、インターネットに関わる仕事は公務員の仕事になるのだ。エフィカ政府にとって、インターネットというのは国民を支配するのには欠かせないツールなのである。

 最先端の技術が、国民から自由を奪うためのツールになっていることにバスティーニはむなしさを感じた。この技術を開発した人は、決してそんなつもりでしたわけではなかろうに、それを利用する、もしくは提供する者がそのようなツールへと変えてしまったのである。人々を便利に、楽しくさせるものが、人々を支配し、監視するものへと変わってしまう。同じような出来事は歴史上何度も起きているのに、同じ過ちをまた犯そうとしている。なんて人間はむなしい生き物なんだと、バスティーニは思ったのだった。


 午前中の研修が終わり、お昼休憩になった時だった。

 皆無言で席を立ち、カフェテリアに向かおうとしたその瞬間、ある者のスマートフォンが、けたたましい音を立てたのだ。

 この音に全員が敏感に反応し、スマートフォンを出す。そして、1人が青ざめた顔をして立っているのをバスティーニは見た。

―――なぜ、あの男性はあんな顔を・・・?

 2分後、オフィスに警察がやってきて、青ざめた顔をした男性は連行されていった。

 それは、あっという間の出来事だった。

―――まさか、今朝カトリシア嬢が言っていた・・・

 事態がつかめず、呆然としていたバスティーニに、隣のデスクに座っている男性が話しかけてきた。

「おい新入り、あんなのは初めて見たのか?」

「ええ、驚きました。まさか公務員も対象になるなんて。」

「容赦ねえからな、この国の警察はよ。ま、それだけ大統領様は自分の正体が知られることを怖れてるってことだな。その正体って何なのかはわからねえけど。」

「はあ。正体が明らかになるのがそんなにいやなことなんでしょうか?」

「どうだかね。ただ、一度も姿かたちを見たことのない大統領に国の政治をゆだねているのはあまりいい気分はしねえけどな。・・・おっと、これ以上話していると目つけられるかもしれねえからここまでだ。お前も気をつけろよ。」

「親切にありがとうございます。」

―――やはり、カトリシア嬢の話していた推測は正しいのでしょうか?


 午後、カトリシアはパルカンと共にお昼ご飯を食べに旧市街へと出かけた。屋敷を空にするのははばかられるとパルカンは言ったのだが、2時間くらいなら大丈夫だろうとカトリシアが無理やり連れだしたのだ。

「本当に大丈夫か?何が起こるかわからんぞ。」

「大丈夫よ。内戦がおこっているわけじゃなし、軍務省の資料には、カフスランより治安がいいって書いてあったわ。カフスランよりいいなんてよく堂々と書くわね、軍務省も。思わず笑っちゃったわ!」

「そうか・・・。まあ、団長はそなたなわけだし、何かあったら責任取ってもらうからな。余は一応止めたからな。」

「わかってるわかってる!それより、図書館の一件を調べていた時に、おいしそうなお店があるのを見つけたのよ!早くいきましょ!」

 パルカンはカトリシアにも女子らしい一面があるのだなと思いながら同行した。

 旧市街に入ってすぐのところにそのお店があったのだが、パルカンはそのお店を見てびっくりした。

「おいしそうでしょ!」

「ああ、そうだが・・・ここは女子が来るようなところなのか?」

「そうよ、私これをたまに入れないと生きていけないわ!」

 そう、そこは居酒屋であった。ちなみに、エフィカ・カフスラン共に12歳を超えれば飲酒することができる。

 女子なら、おしゃれなバーとかに行きそうなものだが、カトリシアが連れてきたその店は、読者にわかりやすい表現でいえば「新橋にある、水曜日の帰りに疲れたサラリーマンが煙草ふかしながら1杯ビールをひっかけて帰るような雰囲気」の居酒屋であった。

「いらっしゃいませ。何名様で?」

「2名です。禁煙席とかってありますか?」

「奥にあります。お好きな席へどうぞ。」

 席に座ると、パルカンがそっと耳打ちした。

「居酒屋は接客するのだな。」

「ええ、私も少し意外だったわ。」

 そんな会話をしている所へ店員がやってくる。

「ご注文は?」

「生ビール中ジョッキで2つ、あと枝豆とから揚げちょうだい。あと、イカの軟骨も。」

―――完全おやじが選ぶようなものじゃないか!これを見たら恋する青年2人はさぞ気落ちするだろうな・・・。

 そんなことを考えていたパルカンをよそに、カトリシアがパルカンに話しかける。

「ねえ、居酒屋に来るとみんな話しするのね。」

「そうだな、あれだけ寡黙な国民なのに、ここはすごく賑やかだな。」

「世界どこでも、お酒を飲むと陽気になるのは一緒なのかしら?」

「それだけなのか?何か別の理由があるのじゃないか?」

 そんなことを話していると、店員がカトリシアの頼んだ「中年オヤジのビール飲み」セットがやってきた。

「じゃ、かんぱ~い!」

 カトリシアがごくごくとビールを飲む。さすが、酒豪の父親を持つことだけあってその飲みっぷりは見事だ。

「っぷはー!うまいわ!」

―――完全おやじだな、こりゃ。

 パルカンもビールを飲みながら、あのお嬢様口調の美少女が、ごくごくとジョッキ片手にビールを飲み、あのセリフをいう異様な光景を眺めていた。

 しかし同時に、ビールを飲むためだけにここに来たわけではなさそうな感じを、なんとなく感じていたパルカンは、彼女が一体ここで何をしようとしているのかを考えた。

―――もしや、カトリシアは居酒屋では人々がにぎやかにしていることを知っていたのか?たしかこの店の前の通りはいつも買い物で通っていた道じゃなかったか?

 そんなことを考えているうちに、カトリシアが店員を呼んでいる。彼女がもっているジョッキはすでに空だ。

「はい、ご注文ですか。」

「ええ、同じものを頼むわ。2つね。」

―――おいおい、まだ昼間だぞ。

 若干パルカンは呆れた。と、その時だった。

「お嬢ちゃん、いい飲みっぷりだね~。エフィカの女はそのくらい飲むもんだよな~!」

「あら、おじさまもよくお飲みになるんじゃない?まだ昼間じゃない。」

―――いやそれこっちのセリフだよ!

「俺は今日仕事休みなんだよ。居酒屋じゃなければ騒げねーからな!今日はここで騒ぐって決めたんだ!」

「あら、家で騒げばいいじゃない?家族しかいないんだし。」

「ばかやろう!お嬢ちゃんみたいな寛容な女ばかりじゃあねえぞ!俺の相方なんてアル中男みたいにけなしてくるんだから!いつ家族に通報されるかもわからねえしよ!」

「通報って?警察に?まさか!」

「いつどこで見られてるかわからねえからな!」

「家族まで疑っているの?寂しいわね。」

 すると、急にその男はカトリシアの隣の席に座り、静かにこういったのだ。

「寂しくなったよ、この国は。」

「以前はこうじゃなかったの?」

「今の大統領になる前は人付き合いの盛んな国だった。それが、4年前に大統領が就任してから寂しい国になったんだよ。」

「そうなの。」

「ああ、今じゃお互い疑いあう関係よ。この前なんて俺の隣の家のご主人が警察に捕まった。例の『黙示録』がらみのことで家族に通報されてよ。法律が厳しくなって、家族がかばったらその家族も一緒に逮捕されるようになったからな。図書館さえ焼かれなければこんなことにならなかったのに。」

「図書館ね・・・。」

「あれを焼いたのは誰なんだろうな?あれを焼けば『黙示録』は全部集められているから、これ以上取り締まりが厳しくならないって思ったやつがやったんだろうけどさ、リストを精査したらまだあと1冊回収していなかったなんて・・・。安易なことをしてくれたやつのおかげでこっちはいい迷惑だよ。・・・おい、店員さんよ!ビール!ジョッキ2つね!」

「『黙示録』・・・。」

「おー、早いね、美人さんがいると店の対応が早くて助かるわ!じゃあお嬢ちゃんよ、俺あっちのテーブルに行ってくるから、また後でな!」

「ええ、ありがとう。」

 そういって男は席を離れた。

「パルカン。」

「ああ、しっかり聞いていた。そなたがここに来た目的は・・・。」

「ええ、もちろんビールを飲むためよ。今日のビールは各段においしいわ。想定以上の味だったわ。」

その後、カトリシアはビールを7杯飲んだ。しかし、ケロッとした顔をして店を出た。

「そなたはお酒に強いな。」

「私の父を知っているでしょ?ワインをボトル1本1人で飲んだってケロッとしている人よ。その娘をなめないでちょうだい。」

「それにしても、まさかこういう手段があったとは。さすがだ。」

「ええ、この国では、居酒屋は治外法権が適用されるの。その理由はわからないけど、お酒の席のことはその場かぎり、ってことなのかしらね。だから、情報が集まるんじゃないかと思ったのよ。そうしたら、案の定よ。」


 2人は屋敷に戻った。屋敷の扉を閉め、食堂に座って、改めて居酒屋で得た情報を整理した。

「大統領に関する書籍っていうのは、『黙示録』と呼ばれるものだったのね。」

「物騒なタイトルだな。」

「ええ、穏やかではないわね。少なくとも、大統領に対して好意的な内容とは考えにくいわね。そして、その本の回収を図書館が請け負っていた。しかし、図書館が消失したことにより、取り締まりが厳しくなった。」

「もしかして図書館はそういった圧政の象徴とみられていたのかもしれんな。その圧政に対抗するために焼いたとか。」

「果たしてそうかしら?政府が国民への圧力を高めるための口実を自作自演した可能性もあるわ。」

「その大統領就任により、取り締まりが厳しくなったことも言っていたな。」

「不可侵条約が破棄されたのもその頃ね。今の大統領就任が、全てのきっかけだったってことね。」

「大統領について、『黙示録』について、今後調査する必要がありそうだな。」


10


 夜。定例会議が開かれた。

 カトリシアが居酒屋で得た情報、そしてバスティーニが職場で逮捕された者がいたことが報告された。

「目の前で逮捕されたのを見たときには驚きました。」

「そりゃそうだろ。かなり厳しく取り締まられているようだな。」

「『黙示録』ね。タイトルだけでも物騒な雰囲気のする書物ね。」

「つまりねみんな、一連の出来事の発端は4年前、現在の“姿かたちも知られていない”大統領が就任したことなの。カフスランとの不可侵条約が破棄されたのもほぼ同じタイミング。今後は、大統領について調査をしていくわよ。」

「でもよ、自国民すら知らない大統領の正体をどうやって暴くんだ?俺たちの中で政府に一番近いところにいるのはバスティーニってことになるけど・・・。」

「私の今の立場だと、そんなコアな情報に関わることはありませんね。」

「一度、軍務省に相談してみてはどうだ?現在の状況を報告し、今後どうすればいいのか相談した方がいい気がするぞ。」

「私たちだけでは判断しかねるところにある気がする。私も、一度指示を仰いだ方がいい気がするわ。」

「そうね。そうしましょう。」

「しかしさ」

カリウスがスマートフォンを取り出した。

「こんなちっぽけな機械にそんな驚く機能があったとはびっくりだぜ。科学の進歩もこんな方向に使われちゃあな。」

「寂しいですね。しかも間接的に自由を奪うなんて。なかなか卑怯なやり方だと思います。」

「この機械を、きっとそういう方向で使っていないところもあるんだろうな。便利なツールの一つとして、有効活用しているところが。」

「果たしてそうかしら。人間って愚かな動物だから、結局こういったツールもきちんと使いこなすことなく、メーカーの販売戦略に踊らされて、ろくでもない使い方をしているかもしれないわよ。自分からツールに縛られている気がするわ。」

「相変わらずカトリシアは夢のない考え方するのね。」

「夢を見るより、現実を見ることの方が大切だと思うわよ、フロリア。」

「とりあえず、今後のことは軍務省からの返信待ちってことでいいのでしょうか?」

「そうね。これ以上私たちで話していてもどうにもできないし、今日はもうお開きにしましょうか。」

 こうして、方向性が定められた3日目が終わったのであった。


(4)エフィカの“見えざる”大統領


11


 エフィカに来て4日目。初めての週末を迎えた。今日は土曜日である。

 エフィカでは土曜日・日曜日が休みとなる。そのため、全員が屋敷にいた。

 昨晩、軍務省に報告を行い、軍務省からの返信を待っている状況であった。

「見えない大統領に国をゆだねるか・・・。なかなかすごいことだよな。自分たちの国の国家元首の姿を見たことがないっていうのも。」

「直接会ったことはないにしても、間接的にその姿を見たことがないっていうのはかなり珍しいのではないでしょうか?」

「世の中にはよ、よくそのルックスでカメラに映るな、と言いたくなる国家元首もいるってのに、この国の大統領はよっぽど顔が悪いのか?」

「ちょっとカリウス、そういう言い方するのはやめなさいよ!でも、もし自分の国の元首が一切姿かたちを見せないような人だと思うと、ちょっといやだよね。」

「そういえば、エフィカは数年前国連を離脱したんじゃなかったか?」

「そうなのか!?」

「ああ、たしかカフスランと反対側の国と石炭の採掘権で争いになってな。エフィカが強引にその採掘権を獲得しようと強硬手段に出たんだ。ちょうど国境地帯だったうえに、当該地域の支配権が明確にされていなかったことが災いして紛争になってしまった。その時に、国連がエフィカを批判する声明を発表したことに反発して離脱してしまったんだ。」

「はぁー。そんなことがあったのか。」

「当時はまだカフスランとは友好関係にあったから、国連から経済制裁を加えるように言われた時には父は大変悩んでいた。」

「難しい判断を迫られたのね・・・。」

「友好関係を選ぶか、国際社会から求められている態度を選ぶのかは本当に大変だった。ただ、父は我が国に現在エフィカは何ら危害を及ぼしていないし、制裁を加える必要のあることもしていないのに、国連から言われたからと言って経済制裁を加えるべきでないといって友好関係を築くことを選んだ。恨みを晴らすような行為をすることを父は良しとしなかった。カフスランは中立の立場を守るべきなんだとよく言っていたよ。」

「でも、その中立を守るのは大変なことよね。どこか強い国の同盟国になれば、その国の強大な力を背景につけることができるけど、中立になった場合それができなくなる。中立の立場に立てるのは、ある意味ではとても強い者でなければならないのかもしれないわね。」

「強い者か。ま、学校とかでも誰か発言力の強いやつが大勢を率いて立場の弱いやつをいじめるのと同じだな。そういう場面で中立を貫くのは、確かに強い人間でないとできないことかもな。」

「そこまで強くないと中立が保てないってのもどうかと思うけどね。」

「中立が必ずしも正しいとは限らないわ。場合によっては中立という立場に逃げてるともいえる。どっちにも加担しないことでその事態から目を背け、受け入れようとしていないとみられる可能性もある。」

「逃げか。そう考えると、場合によってはずるい立場だな。どちらにも加担せずっていうのは。」

「ええ。そうやって逃げるべき時ももちろんあるのだけれどね。」

 そんな話をしている時だった。誰かが屋敷の呼び鈴を鳴らした。

「訪問者か?珍しいな」

「だれ?まさか・・・ばれた?」

 一瞬で緊張感が走る。

「私が行くわ。」

 そう言ってカトリシアが玄関口まで向かった。

 門のところに行くと、1人の女性が立っていた。

「どちら様かしら?」

「私は・・・昔サルノ村の村民だったものです・・・村長の知り合いがこの屋敷にいると聞いて・・・」

「何か、村民であったことを証明できるものはあるかしら?」

 女性はサルノ村が発行した身分証明書を示した。顔写真を見て、偽造品でないことを確認してから

「事情は中で聴くわ。とりあえず、入ってもらっていいかしら」

 と、女性を屋敷の応接間に通した。


12


 突然の訪問客にメンバーは内心驚いていたが、その驚きを表情に出さないようにしていた。女性はサルノ村の村民であり、かつて副村長を務めていた人物だったからだ。

 彼女はカテリ=マリシアと名乗った。

「私たちがここにいるってことは誰から聞いたのかしら?」

「村長からです」

 フリメラのことだった。

「フリメラ叔母さんから聞いたのね・・・どういったルートで?」

「村長から電話があったんです。私の携帯電話に。私が住んでいる地域はぎりぎりカフスランからの電波が届くところで、カフスラン時代に買った携帯電話にかかってきたんです。昨日、村長から電話があって、カトリシア様がここに滞在していることを知りました。」

「フリメラ叔母さんは何か言っていた?」

「カトリシア様の力になってほしいとおっしゃっておりました。私が知っているエフィカに関する情報を騎士団に伝えよと、そうおっしゃっておりました。」

「我々が軍務省に送った報告書を受けて、そなたの父上がそう命じたのではないか?」

 パルカンがカトリシアに耳打ちする。

「かもしれないわね。お父様ならそうお考えになるかもしれない。」

 カトリシアは改めて女性の方を向き、問いかけた。

「経緯はわかったわ。では、あなたが知っているエフィカの情報を教えていただいてもいいかしら?」

「はい。私が知っているのは・・・この本のことです。」

 そういって女性が包みから取り出したのは、『黙示録』だった。

「これは・・・今問題になっているあの本じゃねえか!?」

「ええ、そうです。エフィカ国民がおびえている元凶となっている本です。たまたま、ゴミ置き場にあったものを拾いまして・・・そう、2日前のことだったと思います。この本は今発禁となっていて、手に入れることはできませんし、この本の内容を政府は知られないようにしています。私も『黙示録』の存在は知っていたのですが、国がここまでして隠そうとしていることが何なのか、知りたくなって読んだんです。そうしたら、衝撃的なことが書かれていて・・・。もし、この本に書かれていることが本当のことなら、もうこの国はどうなるのか・・・。」

 カトリシアは『黙示録』の前書きを読んだ。前書きには、次のように書かれていた。

<この書物に書かれていることは事実であり、真実である。私はエフィカの高官を数十年務めたが、この国が、こんなものに頼るような国になるとは思ってもいなかった。私は、機械に人間が支配されるような世界は望まない。人を支配すべきは感情を持った人であるべきである。私は命を懸けてこの事実を告発する。おそらく、この本が広く出回ることを政府は許さないだろう。しかし、この事実を1人でも多くの国民に知ってもらい、今この国が何をしようとしているのか、そしてそのことが正しいことなのか否かを考えて欲しいと思う。>

「おい、これがもしかして最後の一冊なんじゃないのか?」

「その可能性は高いわね。」

 400ページに及ぶこの本は、この国の真の姿を暴いた本、ということだろうか。政府にとって都合の悪い事実満載といったとこだろうか。

「これを私たちに渡すようにフリメラ叔母さんから言われたのね?」

「はい、その通りです。騎士団がこの本の情報を求めていると。」

「なるほど・・・。つまり、軍務省からの返信は、これを読め、ということね。」

「あの、私はどうすればよろしいでしょうか?」

「この本をここに持ってくること以外に軍務省から指示はあったかしら?」

「いいえ、それ以外には何も。」

「ならば、あなたはまた普段通りに過ごして。ここに私たちがいることは絶対に口外しないってことはいいわよね?」

「もちろんです。村長からもそのように言われています。」

「私たちの活動に協力してくれたことに感謝するわ。ありがとう。」

 カトリシアはそう言って女性を門まで送った。


「なかなかボリュームのある本だな。これを読破するのは骨が折れそうだな。」

「そうですね、2時間くらいはかかりそうですね。」

「2時間で読み終わるの!?」

「バスティーニは速読家だもん。」

 そんな会話をしていたところにカトリシアが戻ってきた。

「カトリシア、これからどうする?」

「どうするも何も、速読家のバスティーニに読んでもらって、この本の内容を把握するのよ。それからどうするかは考えるわ。」

「わかりました、カトリシア嬢。では、今から私はこの本を読みますね。あ、カリウス殿は私に話しかけないでくださいね。」

「おう、わかったわかった」

「執務室をお借りしてもよろしいでしょうか?」

「借りるも何も、今この屋敷は私たちのものよ。自由に使って。」

「ありがとうございます。では。」

 そういってバスティーニは『黙示録』をもって執務室へと向かった。

「それにしても、急展開だな。」

「何か、うまく行き過ぎている気がするね。こんなすぐに情報が集まってくるものかしら・・・。」

 あまりにとんとん拍子で事態が展開することに、メンバーは少しばかり違和感を覚えていた。

「そうね・・・みんなはハメられていると思う?」

「わからねえな。こういった任務に就いたことがねえからな。ただ、誰が俺たちをハメるんだ?」

「わからない。上手く行き過ぎている気もするけれど、少し調べればわかる事実でもあるから、あまり神経質にならなくてもいいと思うのだけれど・・・。」


13


 2時間後、読破したバスティーニが戻ってきた。

「どうだった、バスティーニ?」

「待ってくださいみなさん、順を追って説明しますから。ただ、衝撃的な事実が明らかになっていることだけは予めお断りしておきますね。」

「わかった。では話してちょうだい、バスティーニ。」

 以下に記すのは、バスティーニがメンバーに語った『黙示録』の内容である。

 

 黙示録の内容は、噂通り今のエフィカの大統領に関するものだった。

 エフィカ政府内部では、20年ほど前から、官僚や大臣による賄賂が横行しており、内閣や高官の任命は賄賂の額や縁などによって決められていた。つまり、政府内部に人脈があり、なおかつお金を持っている人間でない限り出世することができないようになっていたという。そして10年前、現在の大統領の2代前の大統領だったカンテラ大統領が、汚職の疑惑をかけられ辞職した。汚職をリークしたのはマスコミであり、この事実を知った国民は健全な状態で政治が行われることを強く望んだのである。

 カンテラ大統領の辞職により実施された大統領選においてテーマとなったのが、政府内部をクリーンにすることだった。各候補が様々な手段での汚職の根絶を訴える中、支持率を伸ばしていったのがIT企業の社長を務めていたエルスタリア氏だった。彼は完全平等な社会の実現を公約に掲げたのである。その内容とは、家柄や所有資産の額に左右されない官僚の任命・貴族などの特権階級の廃止などであった。他の候補が貴族や前大統領とゆかりのある人物であったのに対し、エルスタリア氏は平民出身で過去の大統領や官僚と縁のない人物であったため、国民から熱狂的な支持を集め、選挙で大勝、大統領に就任したのであった。

 エルスタリア氏は、就任した翌年から公務員試験導入を実施した。それまでエフィカには公務員試験というものがなく、公務員になれるのは貴族の人間に限定されていた。その規制を完全に撤廃し、試験で一定の合格点を超えれば誰でも公務員になれるシステムを導入したのである。同様のシステムを他の職業にも導入することを氏は奨励し、1年で浸透させた。また、官僚も試験で選抜、官僚に立候補したいものを募り、試験を受けさせ、一定の合格点を満たすと、2次試験を受けさせ、その試験においてトップの成績を納めたものを官僚に任命したのである。こうして、汚職に手を染めることなく出世できるシステムを整えたのである。

 しかし、大統領に就任してから4年が経った6年前、エルスタリア氏は憲法の改正を強行的に行った。その改正内容は、現大統領が次期の大統領を指名することができ、その指名を議会はおろか国民も否定することは許されないとしたのである。議会は強く反発したものの、エルスタリア氏は軍を用いて強行的にこの改正を実施した。そして、5年前、氏は大統領を辞任し、次期大統領にベルテシャツァル氏を指名した。

 このベルテシャツァル氏は、大統領に指名された時も、また大統領に就任した時も、声明は発表したものの、姿かたちは一切見せなかった。それは国民だけでなく、官僚・諸外国の首相や大統領も含めてであった。ベルテシャツァル氏は新たに「大統領秘書官」という職を作り、秘書官を通じて声明や命令を発表していた。そのため、大統領と直接やりとりをするのはその秘書官だけであり、他の者は大統領と会うことは許されなかったのであった。

 この姿かたちを一切見せない大統領に官僚や国民は疑問を感じ、政府に対し一度でいいからその姿を見せることを求めた。しかし大統領は頑なにそれを拒否し続けた。

 2年前のある日、筆者はたまたま大統領執務室の前を通りかかった時、執務室の扉が開いていることに気が付いた。筆者自身も大統領がどのような人間でどのような姿なのかに興味があったため、その執務室の中をのぞいたという。そんな筆者の目に飛び込んできた光景は、信じられない光景であった。

 執務室の中央には机ではなく、スーパーコンピューターが置かれていた。そして、ディスプレイには大統領に問い合わせたい内容を入力する画面が表示されていたのである。その入力には秘書官による指紋認証とパスワード入力が必要で、他の者がそれを行うことはできないようにされてあった。そう、エフィカはいつの間にか、コンピューターを頂点とする国家へと変貌してしまっていたのである。

 その後筆者は真相を追求するための調査を行った。図書館のあらゆる文献を調査し、このコンピューターが制作された経緯や意図を明らかにした。当時はまだ規制がゆるく、情報にたどり着くことができたのだという。

 筆者の調査によれば、エルスタリア氏は完全な平等社会を実現するため、「人」による政治ではなく、「機械」による政治を実現する必要があると考えた。人には感情があり、また欲がある。とりわけお金に関する欲望を断ち切ることは困難であり、どうしてもその欲に素直になってしまう。だから、汚職を根絶することができないと考えたのだ。そこで、自身の会社でスーパーコンピューターを開発したのだった。これまでのエフィカの歴史、地理、国家関係などエフィカに関するありとあらゆる情報をインプットし、それらの情報を総合的に判断して答えをはじき出すことのできるスーパーコンピューターを開発した。こうして「機械」が為政者となることで汚職を根絶し、完璧にクリーンな政治を実現したというのである。名前のベルテシャツァルは、旧約聖書のダニエル書に登場する、王のアドバイザーとして活躍したダニエルのヘブライ語名が由来となっている。ダニエルの様に、相談すればなんでも答えてくれる万能の為政者になってほしいという願いを込めての命名だった。

 エルスタリア氏は機械による政治を実現するため、憲法を強行的に改正し、何があってもこのスーパーコンピューターが権力を握るように段取りを整えたのである。姿かたちを一切見せないのは、機械が大統領だと知ってしまうと国民や関係国が動揺し、混乱に陥るからだとしている。

エルスタリア氏はある書物の中でこう述べているという。

<国民は政治家に対し、禁欲的に、人間味を捨てて政治に携われという。それができないことが分かっているのにそれを要求する。人権保護団体は「真の平等を実現せよ」という。では国民は、不正の一切ない、本当の意味でのクリーンな政治であり、真の平等が実現された社会を本当に望んでいるのか、私のこの取り組みを通じて考えるべきである。そういう世界がいかに窮屈で、人間味が無くて、耐えられないものなのかを知るべきである。そして、そんな世界が嫌なのなら、今まで自分たちが声高に叫んでいた理想を取り下げ、「ほどよい」クリーンな政治を実現するよう努力すべきである。私はいつか、エフィカの国民がそれに気づき、ベルテシャツァルを破壊する日が来ることを願ってやまない。>

 エルスタリア氏は、大統領の座を降りた半年後に、がんで亡くなっている。

 筆者はこの本の最後に、こう記している。

<今、エフィカの政治を握っているのは、まさに国を滅ぼしかねない存在である。国民は早くこの存在のことを知り、理想はあくまで理想であることに気付くべきである。もし、エルスタリア氏の望みがかなわなければ、この本はエフィカの滅亡を示唆する本になるであろう。>


「内容は以上です。正直、読んでいて震えが止まりませんでした。もし、これが本当なのだとしたら、恐ろしいことです。」

「そのスーパーコンピューターを作った先代の大統領が意図したこととは相反する方向に、今この国は向かっているってことなの?」

「相反する、というより、今のエフィカの国民を見ていると、この現状に甘んじているように見えますね。完全平等な世界。汚職のない世界。たしかに、それができれば文句はありませんが、やはり人間味がない。それに耐えられない人たちが、カフスランに亡命してきているのでしょう。私も、実際これまでエフィカの職場で働いていて、本当に人間味のない世界だと思いました。人を機械か何かの類だと思っている。これはまだ皆さんには話していませんでしたが、私の職場では、職員のことを名前では呼ばないんです。与えられたデスク番号で呼ばれるのです。デスク番号は変わりませんから、新たに機械に名前を登録したりする必要がないんです。機械主体の世界なんですよ。私はこの本を読んでなるほどと思いました。人間は、適用能力がある。今、エフィカの国民はこの世界に甘んじているんです。甘んじて生きていける人が、この国に残っている。そして、官僚は機械任せにしていれば楽ができる。だから、今でもスーパーコンピューターの大統領を否定しないんですよ。おそらくエルスタリア氏はこの状況に耐えられなくなった人が、国を変えて、よりよい国を再構築してくれると思ったのでしょう。そのために自分が悪者になるのをいとわなかった。しかし、現実はその逆になってしまったのです。みんな楽をして、この現状に甘んじてしまったのですよ。」

「もともとエフィカの国民は合理的な国民性があると言われているわ。エルスタリア氏は、国民がこの状況に耐えられなくなると思っていたのかもしれないけれど、合理的思考を良しとするエフィカの国民は、合理的に政治が行われている現状を見て、それを問題としなかったのかもしれないわ。現状に甘んじている、という表現が正しいかどうかはわからないけれど、氏が行ったことが、反ってエフィカの国民性にあってしまった可能性もあるわね。そうなると、この状態を問題と思わないのも納得だわ。」

「でも、余とそなたが居酒屋に飲みに行ったとき話した男は、今の政治体制をあまりいいように思っておらなかったではないか。」

「ええ、もちろん国民全員が良しとしているわけではないわ。しかし、昨日の話じゃないけど、大多数の人間がこれを良しとした場合、どうなる?少数の意見は押しつぶされ、国全体がその雰囲気に飲み込まれることは容易に想像がつくでしょ?」

「なるほど・・・。悲しい現実だな。」

「でもさカトリシア、この本に書かれていることが果たして真実なのかどうかはわからないのでしょ?それが真実であるかどうかを確かめるのにはどうしたらいいの?」

「それは今の私には思いつかないわ。官僚ですら知らない事実を、私たちが確かめるなんて無理があるわ。これから軍務省と相談して・・・」

「あのさ、皆に俺から提案があるんだけどさ」

 カリウスが立ち上がり、カトリシアの発言を遮って言葉を放った。

「どうしたの、カリウス?」

「あのさ・・・俺たちがエフィカの国民の目を覚まさせればいいんじゃないのか?」

「どういうこと?」

 全員が、立ち上がったカリウスを見つめた。そして、大きく息を吸ったカリウスは、覚悟を決めたような表情でこう言ったのだった。

「俺たちが、今のエフィカ政府に対して、反乱を起こすんだよ!」

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