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自分で自分の傷をぐりぐり抉るのは、それ相応の痛みが伴う。
なにも掴めない三年間だった。なにかを手にした実感もない三年間だった。
切りつけられるような痛みとともに鮮明に覚えているのは、中学最後の陸上競技大会が終わったその日、もしかしたら出番があるかもと淡い期待を抱いてスポーツバッグの中に忍ばせていたスパイクシューズを学校の焼却炉に放り込んだことだ。 事前に引導を渡されていたのにバカだと泣きながら見上げた空の、やけに目に染みるような青だった。
それから康平は、なにがあっても絶対に走らないと決めた。なにかに打ち込み、立ち直れないほどの挫折を味わうくらいなら、もうなににも本気にはならないと決めたのだ。
ふっと自嘲的な笑みをこぼし、康平は続ける。
「それでも一年のうちは、まだよかったさ。ライバルは同級生だけだからな。でも学年が上がれば、後輩たちに目に見える形で追い抜かれていく。最後には人目を避けるように顧問に呼ばれて、腫れ物に触るみたいな扱いを受けながら引導だ。そんな三年間をまたおれに繰り返せって言うのか? ふざけないでくれよ。どうせお前は今度は『長距離界のエース』なんて呼ばれるようになるんだろ? それでおれは給水係がいいところだ。もうごめんなんだよ、そんな惨めな気持ちを味わうのは。給水係になるために走り続けるなんて、とてもじゃないけどおれにはできない。おれはきっと、見る夢を間違えたんだ。いくらお前が、いい土と水で花を咲かそうとしたって、おれからはなにも咲かないんだよ」
「康平……気持ちはわからなくはないけど――」
「ッ。うるせーな! 種が腐ってるって言ってんだ! もう放っといてくれよ!」
つい感情が先走り、語気が強まる。
ここまで言わなければならないのかと思うと、察しの悪さの神髄を見たような気分だった。種が腐っている――つまりは、自分はもう短距離だろうが長距離だろが、競技を続ける意思はないと言っているのと同じことなのに。いくら言ってもそれをわかってもらえないもどかしさや苛立ちが、なんとか押さえ込んできた康平の気持ちに拍車をかける。
「でも、やってみないとわかんないでしょ」
「でもじゃねえ! やんないって言ってんだから諦めろよ! 察しろよそれくらい!」
「わかんないよ。察せたら、ここまで邪険にされて食い下がるわけない」
けれど翔琉は康平の剣幕に気圧されつつも諦める気はなさそうだった。格好悪いところを見せれば呆れて諦めてくれるかと思ったが、どうやら一筋縄ではいかないらしい。
「バッカじゃねえの」
もう埒が明かないと吐き捨てるように言いながら、これだからエリートは嫌なんだと康平は恨みさえこもった気持ちで思う。エリートという生き物は、エリートの物差しでほかのやつの実力を測ろうとする。自分ができることはきっとほかのやつもできると思い込んでいる。同じだけの練習をすれば実力がつくと疑ってもいない。
それがどんなに出来ないやつの劣等感を煽っているか、追い打ちをかけているか、少しも気づきはしないのだ。だからこうしてズケズケと無遠慮に誘える。人の気持ちが汲めない。「やってみないとわからない」なんていう、ぬるいことが平気で言える。
「……もういい。帰る」
短いため息を吐き出すと、康平は踵を返す。
こんなやつに付き合っていたら、ますます自分が惨めになるだけだ。これ以上話していてもこっちがイライラさせられるだけだし、いい加減、腹も減った。一年の階に残っていたわずかな生徒も、康平が出した大きな声に先生を呼びに行こうか迷いながら様子をうかがっている空気が感じられる。このタイミングを逃せば、面倒なことになりかねない。
「あっ、康平!」
「呼び捨てにすんな」
呼び止める声に一声吠えて、リノリウムの廊下をずんずん進む。新品の内履きがそのたびにキュッキュとか細い悲鳴を上げて康平の後ろをついてきた。
繰り返すが、あの日の表彰台のてっぺんの芝生色が、こんなにも話の通じないやつだとは思ってもみなかった。制服の上からでもわかるくらい、まるっきり短距離走者の体つきをしているくせに、なにが「長距離に転向することにしたんだよ」だ。
「ふざっけんな」
まだ慣れない自分の下駄箱からスニーカーを取り出し、勢いよくコンクリートの地面に叩きつける。と同時に、てんでバラバラに転がったそれらと、去年、部室の壁に叩きつけたスパイクシューズの陰が重なり、康平の胸に心臓を絞られるような鋭い痛みが走る。
「チッ」
腹が立つのは、少し揺さぶられたくらいで面白いくらいに動揺している自分だ。それを乱暴に放ったせいで履くのにかえって手間がかかったことに対しての苛立ちにすり替え、康平は、まだ蕾止まりの桜の木が立つ校門前を足早に通り抜けた。
冬になれば白鳥の飛来で毎年ローカルニュース番組に取り上げられる高松の池を前方に臨みながら、足早に駅へと向かう。NHK盛岡放送局の近くを通って、昼前の閑散とした通りを盛岡駅より一つ先の
振り返ると、あれほどしつこかった翔琉の姿はなかった。けれど、打っても響かないあの様子だと、二~三日もすれば、すっかり元の調子を取り戻すかもしれない。
歩くとそれなりに距離がある駅までの道のりを黙々と歩きながら、康平はうんざりした気持ちで道端に強めに吐いたため息をぶつけた。けして悪いやつではないのだろう。悪気があるわけでもない。それくらいは康平にだってわかる。でも、だからこそ余計にわからないのだ。なぜ駅伝部を作る片腕に選んだのが、よりにもよって落ちこぼれ続けた自分なのか。一体、康平のなにが翔琉をそこまで頑なに燃え上がらせるのか。
でもどうせ――。
「……おれからはなにも咲かないんだって」
落とした独白は、自分で自分の首を絞めているように康平の喉元をきつく締め上げた。
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