第2話

『オフ会やろーぜ! ヽ( ‛ω`)ノ』

 

 時間限定の討伐クエを終えて俺たちはギルドに戻ってきていた。

 クエストの報酬はいつも通りしょぼいものばかりで、ギルドメンバーたちが恒例の愚痴大会を繰り広げていた。

 

 そんな中、ギルドマスターの突然の提案だった。


『来週三連休じゃん? そんときの土曜にでもさ。学生も夏休みに入るし、ちょうど良い機会じゃん?』


 マスターの提案にギルドメンバー達が色めきたって反応を返す。


『やりたーい!』とか『オフ会あるなら連休くっそ忙しくなるけど仕事休むわw』とか。


 オフ会かあ……。

 俺も少しは興味があった。ゲーム内で仲の良いメンバーたちと会って色んなことを話したり、カラオケとかボーリングとか行って遊ぶのだろうか。

 それに、ゲーム内で女キャラを使ってる人たちが現実ではどんな人たちなのかにも興味がある。

 

 まさか女キャラを使ってるヤツがリアルでも実際に女なんて、今時そんなことを想像しているわけではない。

 でも、だからこそゲーム内で猫耳を生やして尻尾をふりふりさせてるロリキャラを使って『ぶっ殺してやるにゃ~ん』とか言ってるようなヤツが実際にはどんな人なのだろう、という興味というか怖いもの見たさみたいな好奇心があった。

 

 俺の所属するギルドはスカイプを使って通話しながらゲームをしたり、Twitterを使ってゲーム外でも連絡を取り合ったりしている。

 きっとゲーム外で実際に会うということへの心理的ハードルはあまり高くなかったのだろう、続々とマスターのオフ会提案に対する賛成の声があがった。


『アランはどうするの?』


 とパルマが訊いてきた。アランは俺のネットゲームでのキャラ名だった。

 行ってみたいという気持ちは正直あった。だがその日は補習が入っていた。

 生徒思いの最高の村上先生は、今週の土曜日だけでなく、なんと夏休みにまで補習を開いてくださると仰るのだ。流石に、この点数で補習をサボることは憚られた。


『行きたいけど、その日補習入ってるんだよね……』


『なんだよー。補習とオフ会どっち大事なんだよー』


 すかさずマスターの突っ込みが入る。いや、さすがに補習かな……。

 

 それに、と俺は思う。

 

 ゲーム内でこうして対等な関係を築けている仲間たちと、実際に会ったとき、その後も同じ関係を保てているのか、と。

 オフ会に行ってみんなと楽しく遊びたいというのと同じくらい、俺は怖かった。

 今のこの自分を見て、他の人がどう思うのかが。オフ会をきっかけにこの関係が崩れてしまうかもしれないということが。怖かった。


『そっかー、アランが行かないなら俺も今回はパスかなー』

『なんだよーパルマも来ないのー? マスター泣くぞ』


 そういえば、と思う。ゲーム内で知り合い、俺がギルドに引き入れたパルマに関してはリアルの素性を知らなかった。

 他にも当然リアルを明かさない人はいた。だけどIN率が高く、メンバーと特に親しい位置にある人で、リアルついてまったく知らないのはパルマくらいのものだった。

 まあパルマにも知られたくない現実というのがあるのかもしれない。いや、パルマに限らず、人間には誰にも知られたくない秘密や過去があるものだ。

 

 ネットの中でも、現実においても。

 

 ゲームの中では、俺とパルマを尻目にオフ会についての話題で盛り上がりをみせていた。


 俺は時々思うことがある。


 現実での俺、太田裕貴はネットゲームの中でのアランやTwitterでの自分のアカウントをひた隠しにして生きている。

 それはもちろん現実での知り合いや親には絶対に知られたくない俺の名前であり、俺の一面だ。

 

 そしてネットの中の俺、アランでも、現実での太田裕貴をひた隠しにして生きている。

 それは、たとえどんなに親しいギルドの仲間たちであっても知られたくない俺の名前であり、俺の一面だ。

 

 現実ではネットの中の自分を隠し、ネットの中では現実の自分を隠す。そのどちらも本当の自分であるのには変わりない。


 だけど……本当の俺とはいったいどこにある? 本当の俺の名前はどっちなんだ?

 

 そういった疑問が俺の中にしばしば浮かび上がっては消えていくことがあった。

 

 みゃーんという鳴き声にふと振り向くと、部屋の入り口から飼い猫のスケロクが入り込んでいた。

 スケロク、お前はどっちなんだ。

 飼い猫としてのお前と、外で野良猫たちなんかに会っているときのお前。

 どっちが本当のお前だと思う?

 

 スケロクは、そんな俺の疑問なんてお構いなしにぴょんと俺の膝の上に身軽に飛び乗ると、ぐてっと横になってみせた。

 いつものように喉の下を撫でろと甘えてるようにみえて可愛いらしい。けど、いまゲームしてるからあっちいけっての。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 数学の補習を受けることになった生徒は学年で十数人といったところだった。

 

 同じクラスのやつも他に何人かいて、やっぱり赤点だったやつ俺だけじゃねぇんじゃんと、村上に対する怒りが再びふつふつと沸き上がってきた。

 なんで俺だけあんな辱めを受けなければいけないんだ。

 

 土曜日ということもあり、ただでさえやる気の起きない数学の授業は、より一層身に入らなかった。

 それは他の生徒も同様のようで、当の村上本人でさえもやる気のないような、隠しきれない苛立ちを滲ませたような態度だった。

 そんなんならわざわざ土曜日に補習なんて開くじゃねぇよと思いながらも、俺は表面上は真面目に補習を受けている風を装いながら、退屈な時間をやり過ごした。

 

 また村上に標的にされて、バカ共の笑い物にされるのは屈辱だからな。

 

 そうして授業内容の理解を放棄しながらも機械的に板書をノートに書き写していると、不意に村上と目が合った。

 村上は「おっ」というように軽く眉を上げると感心したように言った。


「なんだ太田、珍しくずいぶんと真面目に授業を受けているじゃないか」

「えっ、ま、まあ……」


 真面目な風を装っていただけだった俺は、内心ひやひやしつつ応えた。

 そして脳裏を過る嫌な予感。


「そりゃあ、あんな点数取ればなあ。じゃあ、この問題解いてみろ、今の話ちゃんと聞いてたら解るだろ?」

 

 嫌な予感は的中する。

 なんなんだよ、なんでこう裏目に出るんだよ。村上死ね。

 

 俺は冷や汗を浮かべつつ必死にノートに目を走らせる。

 だけどそんなことをしても無駄だった。答えなんてもちろん書いてあるはずもないし、授業内容は完全に聞き流していた。わかるはずがない。

 俺は顔を俯けて、消え入るような声で言った。


「……わかりません」

「なんだお前、ちゃんと聞いてたのか? こんなんじゃお前進級させられねえぞ、あ? 太田ァ」


 大げさに呆れてみせるような、村上のデカい声が耳を打つ。

 なんで俺ばっかこんな目に遭うんだ? 歯を食いしばり羞恥に耐えるが、赤く染まる顔を自分ではどうすることもできなかった。


「……すいません」

 消え入るような声は、俺を嗤う周りの声にほとんど掻き消されていた。


「ったく」

 イラだつように、呆れたように言って村上は授業を再開していた。

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