第1章
1.
初夏の風が爽やかに吹く昼下がり。
学校のグラウンド――と言っても、普通に思い浮かべられるグラウンドにしては少し、いや、あまりに広すぎるグラウンドに、ホイッスルの音が軽快に鳴り響く。
「よーし、それでは実戦練習始めー!」
教師の合図で、グラウンド中に一斉にひぃん……という音が響く。
「行くぞっ!」
向かい合った生徒のうちの一人、男子生徒が気合の声を上げると、右手を前に翳す。
「『火』『飛』――火よ、飛べ!――」
呪文のような言葉を発したかと思うと、その手の前に朱色の大きな円が現れ、その円の中に「火」の文字が現れる。
更に、そのすぐ横に白色の円が現れ、その中には「飛」の文字が現れる。
直後、「飛」の文字が描かれた円が「火」の文字が描かれた円に重なるように動き、次の瞬間、その印から火が燃え上がり、形を成さぬまま相手の方へ飛んで行く。
火を飛ばされた相手――女子生徒も、黙って見ている訳では無い。
「『水』『壁』――水よ、我が身を護れ――」
女子生徒がその細い腕を前に掲げると、先程の男子生徒と同様に、掲げられた腕の前にそれぞれ「水」「壁」と言う字が中心に書かれた円が出現し、「壁」と書かれた円が「水」と書かれた円に重なると、女子生徒の前に水で出来た壁が現れる。
ぼじゅぅぅぅぅ……っ、と。
火が水の壁に衝突したことにより、大量の水蒸気が舞う。
この2人と同様のやりとりが、グラウンド内のあちこちで行われている。
「『剣』――行くぞ!――」
「剣」と書かれた円の中から剣の形を成した物体を取り出し、相手に斬りかかる生徒。
「『風』『荒』――風よ、荒れろ――」
風を吹かせて、それを瞬間的に暴風の如く吹かせて相手を攻撃する生徒。
「『氷』『昇』『降』――氷よ、降り注げ――」
目の前に出現させた氷を空高くに上げ、それを雹のごとく降らせる生徒。
どの生徒も、自分に合った技を探して身に付け、それを操って戦闘を行っている。
――この学校、私立霧ヶ峰付属第一高等学校では、特殊な「魔法印」を使った訓練を行っている。
この魔法印は日本人が使っている漢字の数だけ存在していて、簡単に言えば「自然現象をプログラミングする」ことが出来るものだ。
先の例で言えば、「火」と「飛」という印を併用することで「火を飛ばす」というプログラミングを行う。
ここで例えば、「火」だけの印を使っても、目の前に火が燃え盛って終わりなのである。ちなみに火の大きさや燃やすことが出来る時間は使用者の熟練度に応じて変わる。センスに依る面もあるが、純粋な努力でも限りなく磨くことが出来る要素だ。
また、火という字を重ねて使う等の高等技術がある。
兎に角、どうであれ「火」や「氷」、「風」などの印単体ではあまり意味を成さないものを、「飛」などの具体的な動作を意味する印と重ねることで、具体的な攻撃や防御に利用することが出来るのである。
今現在、この体育の授業を行っているのは1年生であるため、組み合わせや強度などは拙い。
しかし、そんな中でも。
2人だけ、異彩を放つものがいた。
1人は飛び抜けた、という意味で。
そしてもう一人は、文字通り他の生徒と異なる、という意味で。
「じゃあ、行くわよ」
艶のある長い黒髪をなびかせて、1人の少女が両手を翳す。
まだ技術が拙い同学年の生徒たちは、まだ同時に扱える印が少ない分、片手しか使う必要がない、むしろ、片手しか使えない。
しかし、この少女は違う。
少女の戦力を表すかのように、少女が手を翳した先に居る男子生徒の表情は強張っており、近くに居る体育教師も万が一の事態に備えて印を発動する準備をしている。
「取り敢えず、軽めに行くわね――」
少女が言うと、翳した両手を囲むように、いくつもの印が出現する。
「『火』『火』『球』『火』『火』『球』『踊』『飛』――対なす豪火球よ、踊り狂え――」
冷たい声音で少女が言うと、「火」「火」「球」の印が合わさり、恐ろしく大きく、密度の高い火の球が2つ生成され、それらがまるで互いにダンスを楽しんでいるかのように自由に動き回り、相手の男子生徒の下へ飛んで行く。
「うわっ、わっ、み、『水』――」
――駄目だ、防御は間に合わん――!
男子生徒が慌てて何も出来ない所を見た体育教師が手を翳す。
「『風』『風』『風』『逃』! 風よ、彼を助けろ!」
教師が唱えると、3つの「風」の印が合わさり、続いてそれが一気に男子生徒の下へ吹き込み、
「うわっ! わっ、わっ――?」
そのまま、抱きかかえるように数十m先へと運び去った。
その直後。
ついぞさっきまで男子生徒が居た場所に、2つの豪火球が同時に着弾する。
禍々しい轟音と共に大地が抉られ、その音でグラウンド中の生徒が何事かと振り返る。
――いや、正確には、「こんな音が出せるのなんて、彼女くらいだろう」と全員が思いながら振り返っていた。
「……ふう。手加減はしたのだけど、先生がいないとおちおち模擬戦も出来ないわね――」
けろりとした顔で少女は呟き、長い髪をはらりと掻き上げた。
この、一人だけ異質な実力を持った少女――
通常の1年生ならば扱える印の数がせいぜい10個程度で、同時に扱える印は2~3個程度である。即ち一度の行動で使えるプログラムは1パターン程度しか無いのに対し、彼女は入学時点の何も訓練を受けていない状態で、同級生どころかほとんどの上級生が扱えないレベル――およそ50個程の印を扱うことができ、同時に扱うことが出来る印の数も15個に達していた。訓練を受けて卒業する頃には、大抵の場合10個程度の印を同時に扱うことが出来るようになるというのが相場なので、ここからの伸びも考えると恐ろしい数字である。
複数の印を扱うということは複雑なプログラムを状況に応じて組み立てる必要がある。
そのための授業、「魔法印プログラミング」などの授業でも、彼女の成績はずば抜けていた。
多種多様な印を、自由自在に使いこなす。
正に彼女は、正統派の実力者と言える。
――対して。
「だあぁぁぁぁ! あぶね、あぶね、これはマジであぶなっ……うおぉぉぉぉ!」
千尋がいる場所から数十メートル離れた場所で、クラスメイトのなんてことはない火の攻撃に対して、何の印も使わず、純粋に脚力だけで逃げている男子生徒が居た。
他の生徒ならば、ほとんど、いや全員が、何かしらの防御又は攻撃で応戦するのに、大して、彼――
しかし、それでも。
彼は、浩介は。
脚力――純粋なる肉体の力だけで、印の力から逃げ続けていた。
「うおぉぉっ、あっぶね……そろそろ身体一つで逃げるのは限界か……」
気付けば、浩介はグラウンドの端、戦闘可能エリアの南端まで来てしまっていた。
しかし、「逃げるのは限界」と言う言い方は、まるで、逃げることによる肉体と反射神経の鍛錬を目的としていたかのように聞こえる。
浩介を追っていた男子生徒がようやく追いつくと、翳した手の周りに再び印を発生させる。
「はぁ、はぁ、ったく、手間取らせやがって……。神草、ここまでだ。――『火』『球』『投』! 火球よ、我が意のままに飛べ!」
男子生徒の頭上に発生した火が球状に圧縮され、彼の腕の動きに沿って浩介の下へと飛んで行く。
この「投」というプログラムは、他の生徒が扱う「飛」のプログラムよりも速度や狙いの任意性が強い。
ちなみに彼は中学時代野球部に所属していた。その為、腕の速さやコントロールの良さがこの「投」のプログラムを上手く扱える要因になると考えた。
実際、彼の読みは大当たりだったと言って良く、千尋の攻撃程ではないにしろ、一点突破の攻撃と言う意味での彼の印の攻撃力は、クラスでもトップクラスのものだった。
――このまま直撃してしまえば大怪我をしてしまう――。
しかし、この状況でも、体育教師はつい先程のような、生徒を助ける行動に移る気は無かった。
何故ならば。
彼が、神草浩介が。
この程度の攻撃を避けられない訳が無いと、知っているからだ。
迫りくる火球を見て、浩介はこきりと首を鳴らす。
「はぁ……良いなぁ。俺もああいう、火とか水とか風とか……出してみてえなぁ……っと、いけねえいけねえ、このままじゃ丸焦げになっちまう」
呑気な独り言を呟いた直後、彼は手を翳した。
――千尋同様、両手を。
「『強』『強』『速』『速』――我が肉体よ、猛り狂え――」
浩介が唱えた瞬間。
2つの「強」の印が両腕に、そしてもう2つの「速」の印が両脚に浮き出る。
そして、次の瞬間。
「……え?」
相手の男子生徒は、自分が火球を投げた先に居た筈の浩介の姿を見失った。
いや、それだけではない。
自分が投げた、力の限り投げた筈の火球さえも、見失っていた。
「――な……っ」
彼はほんの一瞬の間に視線を巡らせると、すぐに何が起きたのかに気付いた。
自分が投げた筈の火球が、まるで打ち上げ花火のように、遥か上空へと打ち上げられていたのだ。
そして次の瞬間、耳元で不意に声がした。
「――直接触れると熱いんでな。拳圧で下から弾き飛ばさせてもらったよ――」
声の主は、つい数瞬前まで自分の十数メートル先に居た筈の浩介であった。
「……うお――っ!」
男子生徒が振り返ると、既に浩介の姿はなく。
「おーい、こっちこっち」
更に背後から声がしたため、男子生徒がもう一度振り返ると。
既に浩介は、彼の目の前に居た。
「――勝負、有りだな」
気付けば、男子生徒の顔の目の前――僅か数ミリ手前で、浩介の拳が止められていた。
そしてコンマ数秒遅れて、強い風が浩介の拳の周りで吹き荒れる。
男子生徒は、数歩程よろよろと後ろに下がってへたり込んだ。
――なるほど、あの拳で火球を、直接触れもしないで弾き飛ばすなんて馬鹿げた真似をやってのけたのか――。
男子生徒は目の前で起きた事をまだ呑み込めないかのような、しかしもうすっかり呑み込んでしまったかのような、複雑な表情を浮かべて。
呆れたように、ふっと笑った。
「……降参だ」
潔く両手を上げた男子生徒に、浩介は手を差し出す。
「お疲れ。良いファイトだった」
うるせえよ――と、男子生徒は笑いながら言い、浩介の手を掴んでぐっと立ち上がった。
彼、神草浩介は、正統派の神条千尋とは対極に位置する、所謂「異端児」だった。
彼は、浩介は、他の生徒が当たり前のように使っている「火」「水」「風」「土」等の自然現象を扱う印がまるで扱うことが出来ない。魔法印自体の才能が無い訳では無いため、浩介の特殊な状態は様々な研究の対象になったが、結局原因は分かっていない。
その代わり、他の生徒に比べ身体能力が圧倒的に高い為、先程も使ったような「強」「速」等の、他の生徒からすれば攻撃のちょっとした補助に過ぎない印でも、莫大な効果を発揮するのである。
こう言った補助系の印は、数値で言えばプラスいくつとなるのではなく、1.2倍等のような掛け算で力が増す。
そのため、これらの単純な印も、浩介にとっては生命線たるものに成り得た。
彼はそれに加え、そんな簡単な印限定とは言え、同時に6つまで扱うことが出来ていた。
即ち彼もまた、千尋同様、手加減をしていたと言える。
例えば先程の男子生徒との闘いならば、「強」の印を利き腕の右腕に4つ程集中させて、更にそこに「速」の印を2つ程注ぎこめば、何の捻りも無い右ストレート一発で、一転突破における攻撃力がクラス内トップクラスである男子生徒が放った火球を易々とかき消し、拳圧だけで男子生徒を遥か遠くまで吹き飛ばすことさえ出来たのである。
言うなれば、全方位での攻撃力のトップは千尋が。
そして、限定的な攻撃力のトップは浩介が。
それぞれ、勝ち得ていると言える。
ちなみに今言ったトップと言うのは、クラス内ではなく学年内――1クラス40人で1学年につき20クラスまである超マンモス校の学年内、トップと言うことである。
まあ、そうは言ったものの、浩介の能力はあまりに限定的であるため、やはり浮いていると言わざるを得ない。
今はまだ他を圧倒出来るにせよ、これから周りの生徒はどんどん戦略性を増した戦闘をして行く中で、浩介は恐らくその身一つで戦わねばならない。
――それは、何とも酷な話ではあった。
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