第五話 花火大会へ

 午後六時。

 ヨダレを垂らして爆睡していた福の神様を優しく揺り起こして、俺は夏祭りの会場である李福神社の近くまで足を運んでいた。

 数々の露店がずらりと軒を連ねている。昼間よりも断然に人が多く賑やかさも増しているそこに立ち、俺はぐっと拳に力を入れた。

「よし!」

「お? 気合い充分じゃな」

「帰るか!」

「なぜじゃ!?」

 バッと踵を返した俺のシャツを小槌が全力で掴んだ。伸びるからやめてほしい。ほらそこビヨーンってなってるからビヨーンって!

「嫌だこんな人間の日本海流になんて呑まれたくない!?」

「ヘタレか!? とんでもなくヘタレかおんしは!?」

「俺の不幸が誰かに伝染ったらどうするんだよ!? 明日から寝覚めが悪くなるだろ!?」

「寧ろ伝染してしまえと言うておろう!? 不幸を撒き散らすがよい!!」

「福の神の言葉じゃねえ!?」

「妾は疫病神でもあるからのう!」

 神は俺に〝不幸の大感染アンハピネス・パンデミック〟を起こせと申すか。それはさぞメシうまでしょうな!

「安心せい。妾が補佐すると言うたであろう。おんしの不幸のせいでせっかくの祭りを台無しにはさせんよ」

 むふん、と平べったい胸を張る〝福天〟小槌さん。果てしなく心配ではあるが、その自信満々な姿を見るとなんとなく頼りになりそうに見えなくもなかった。

「頼みますよ、小槌様」

「うむ。苦しゅうない。じゃが神の力も無償ではない故、対価をもらうぞ。具体的にはそこのわたあめとたこ焼きと焼きそばと唐揚げとふらいどぽてとにそれから……あーもう美味そうなもの片っ端から制覇じゃ!! ……うへへ……うぇへへじゅるり……」

「こいつ貧乏神だ!?」

 さ、財布の中身大丈夫かな? まあ、裕福な家からの仕送りがほとんど使残っているから金銭面においてはそこまで心配いらないんだよな。

 じゃあなんで貧乏学生を名乗っているのかって?

 俺の住んでるアパート見たらわかるでしょ? お金持ってても生活が貧乏なんだよ。贅沢なんて俺の体質がさせてくれるわけないじゃないですか先輩。

「にしても……夏祭り、か」

 いつ以来だろう? 小学校高学年の頃にはもう行かなくなってたっけ。その頃には既に行ってもつまらんってことが身に染みてたからなぁ。輪投げや射的なんかは絶対当たらないし、金魚すくいは水につけただけで紙が破れるし、食べ物ですら俺が買おうとしたらどこも売り切れ御免な状態で……………………なにそれ世界の意志が俺イジメですか?

 なので俺は露店には近づかない。小槌にお金を渡して遠くからとてとてと危なげに走り回る彼女を見守るだけでいいんだ。さらば諭吉。俺は泣かないぞ。

「おんしよ見るがよい、わたあめじゃぞ!」

「そうだね、わたあめだね」

「見るがよい、焼きそばじゃ!」

「そうだね、焼きそばだね」

「見よ見よ、焼きとうもろこし屋が一個おまけしてくれたのじゃ!」

「そうだね、よかったね。あとできれば食べ物は俺の分も買って来てほしかったね」

 たたたっ。

 とたたたっ。

 黒いお目目をキラッキラさせて無邪気にはしゃぎ回る小槌は、もうどこにでもいるごく普通の幼女にしか見えなかった。神様の威厳とか皆無。最初からないけど。

「……ま、まあ、考えようによっちゃアレだな。美少女と夏祭りに来てるんだよげふっ!?」

 タライが降ってきた。

 幸せの脳内変換すら許さないとか世界ってマジ鬼畜だと思いました、まる。


        ❀❀❀


 本当に世界は鬼畜だ。

 俺の不幸なんて鼻で笑われるレベルに、残酷だ。

 ガチの不幸ってのは笑い話じゃ済まされない。ギャグになんてできるわけがない。

 いくら時間が経っても古傷ってもんは残る。時間の経過は癒しには決してならない。ただ思い出さないように封印されるだけだ。

 大震災の経験者に当時の様子を笑いながら訊けるか?

 俺には無理だ。たとえ十年や二十年が過ぎても当時の恐怖はフラッシュバックする。それをわかっていて笑えるほどの無神経さを俺は持ち合わせちゃいない。

 大震災に比べちゃたいしたことはないが、俺にもそういう経験はあるんだ。

 今思えばあの時から自分の不幸体質を自覚した気がする。

 あれは六年くらい前の夏……いやよそう。関係ない回想に入って自分のトラウマ抉れるほど俺はマゾじゃないんでね。

 まあつまり、俺がなにを言いたいかというと。

 起こっちまったんだ。

 今年の夏祭りで、そんな悲劇ってやつがな。

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