魔女とカラス
吐き気とめまい、脱力感に襲われてクロウはベッドに倒れこんだ。ヒュドラーの毒ごときにここまで弱るとは自分でも予想外な事だった。チェシャがもう少し遅かったら意外とヤバかったかもしれない。
今はカラスだからな。
熱が出てきたのか冷や汗が出る。
キルケのいない初日からこれかよと情けなさに苦笑いが浮かんだ。
そもそも指輪ってなんだ?
もう少し真面目にキルケの話を聞いていたら分かったのだろうか?
知っていたとしても、あんな奴に素直に渡す何て御免だが。
仰向けに寝転がり、ぐるぐると回りだした天井を見まいと目を閉じた。少し休めばよくなるはずだ。キルケにはそれから連絡を寄越せば良い。
***
少し休むつもりが、窓の外は暗くなっていた。
どれ程眠っていたのか。気配に横を向くとキルケが隣に横になってこちらを見ていた。体のだるさと熱は未だ引かないようだ。
「私の話を聞かないからよ」
クロウの頭を両手で抱えるように引き寄せて、キルケは深い口づけを与えた。怠さが吸いとられるようにして消えていく。首もとの薬を塗った布を剥がすと、呪文を呟いて腫れ上がった擦り傷に唇を寄せる。青黒く変色した傷が正常な肌色に戻っていった。
「後でも良いかなと思ってね」
「もう少しレルネーにおいたさせた方がお仕置きになったかしら?」
「まさかとは思うが」
お前の仕業だったのかと言う問いかけに、キルケは魅惑的な笑みを浮かべて首を横に振った。絹糸のような波打つプラチラブロンドが窓辺から微かに射す月光に艶めく。
「少し痛い目を見たら私の話を真面目に聞くようになるのかしらとは思ったけれど。あの子がここまで貴方にお熱になるとはね」
ボウやクラヴァットの必要性。
今日は感じたんじゃないかしら?
首を絞めるようなものは好まないと、キルケが勧めても断ってきたスカーフやタイの事を言われ、クロウは困ったように笑んだ。
キルケはクロウの首に残った傷痕を指でなぞって消した。
「俺が
キルケはクロウの胸元にすり寄ると、獲物を狙う豹のように慈悲も容赦もない瞳で見下ろした。赤い瞳の闇が深くなる。
「許さないわ。レルネーを殺す」
淡々と口にした言葉。
口の端に微笑みを称えながらもその目は微塵も笑っていなかった。当たり前であり、そう出来ると言う確信をもった口調だった。
「俺も殺す?」
まるで明日の予定を聞くような調子でクロウが尋ねる。
「殺さない。貴方にとってはその方が楽だもの。
キルケはクロウの胸の上に当てていた手の指に力を込めた。白い指はズブリと肌に沈み込み、金色の指輪を掴み出した。自分の体のなかを指で探られる感触にクロウは鳥肌をたてた。
「あの子が欲しがっていた指輪よ」
「何でそんなところに」
「貴方に預けようとしたのに、酔っ払っていて話にならなかったじゃない」
だからって人の体に埋め込むのか?
たくさんの事に文句を言いたかったが、そんな事に聞く耳を持つキルケではない。
「何の指輪だ?」
「侯爵の地位を約束される指輪よ。魔王から預かってるの」
くれるって言ってたけど要らないのよね。
向こうの貴族ならこぞって欲しがる指輪を処遇に困って指先で転がしている主に溜め息がでる。
ゴツゴツとグロテスクなデザインの指輪はクロウが覗き込むと、たった一つの目を開いた。生々しいその目はギョロリと動いてこちらを睨む。その気色悪さに顔をしかめた。
「着けていても置いていても面倒な指輪よね。デザインも可愛くないし」
「返したら良いだろう?」
「1度あげた物だからって、受け取らないのよ」
手のひらでポンポンと転がしてから、クロウの胸のうちに再び沈めた。思いもよらない行動にクロウはつい声をあげた。その呻くような声が気に入ったらしく、キルケはやたらゆっくりと沈めた指を引き抜いた。
「病み上がりだ少しは遠慮してくれ! 大体そんな気色悪いものを人の体に埋めるな!」
「どうするかなんて私が決めるわ。それに嫌なら取り出しても良いのよ。出来るならだけど」
たぶん、なにか封印を施したに違いない。
「私が帰るまでお利口さんにね。精々レルネーに遊んでもらいなさいな」
キルケはベッドから滑り降りると、壁に埋め込まれた鏡の中の回廊へ入っていった。1度振り返り、声の無い呟きを残して。
『手放す気はないけどね』
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