招かれざる客
いつのまにか、再びソファーで寝入っていたらしい。こわばった体を伸ばして立ち上がる。もう一度コーヒーを飲もうとキッチンへ移動したとき、不穏な気配を感じ取った。
ドアの外に何かいる。
それは徐々に強くなるようで、身を隠すべくクロウは自分の気配を遮断した。
ドアをノックする音が響く。
相手は自分の気配を隠そうともしていない。
その人物をクロウは知っていた。
さらさらした金髪に、氷のような色の薄い青い瞳。男性の服を着ていなければ少女と見間違ったかもしれない。
それほどの美人ではある。
しかし、クロウはこの人物がはっきり言って嫌いだった。
いつぞやかキルケに連れていかれた魔界のパーティーで、クロウにダンスを申し込んできたアホだ。男のクロウをダンスに誘って、おちょくっているのかと思えばそうではないらしい。
少年だと思ってこちらは手加減していると言うのに、なかなか諦めようとしない。まぁ、姿は少年でも魔界の連中の歳は見かけ通りではないからな。そろそろ一発食らわせようかと拳を握った頃。扇の内で散々笑っていたキルケが助けてくれた。
だが、もしあの時クロウの主人がキルケで無かったら、連れていかれたかもしれない。後で知ったことだが、その坊っちゃんは伯爵だったそうな。
悔しいが、腕力はともかく一介の使い魔ごときが--権力で--敵う相手ではない。何だかんだ理由をつけて連れていかれたかもしれないと思うと今でもゾッとする。
その、クロウとしては嫌~な相手が、何の用なのか今この家のドアをノックしているのである。
生憎今はクロウ1人。
留守だ。留守って事ににしよう。
とにかく奴とは顔を会わせたくない。
キッチンへ続くドアの影に背中を預けてやり過ごそうとする。ノックが止み、ホッとしたのも束の間、声がかけられた。
「なんだ、居るじゃないですか」
勝手に入って来やがった。
「これはギュスターヴさま気付かずに失礼」
「アイエテスの姉妹に預けた物を返してもらいに来たのですよ」
「悪いんですが、今主は留守にしてまして。日を改めてもらえません?」
あくまでにこやかな対応をするも、内心舌打ちしていた。
アポイント入ってねぇぞ小僧が!
「えぇ。ですが、預けた物を取りに来るだけでしたから。わざわざお時間を無駄にさせる必要はないかと思いまして」
「すみませんねお気遣いいただいて。でも、肝心の預かりものが何処に有るのか俺には分からないんですよ」
「そうですか。どなたもいらっしゃらない……」
誰も居ないと言うところを嬉しそうに強調されて、クロウの愛想笑いがわずかにひきつる。『分かったらとっとと帰れってんだクソガキが!』と、喉まで出かかった。
「でも、クロウ。クロウとお呼びしても?」
「これは、これは。主に叱られてしまう。ご容赦を」
「ご心配なく、叱られるときは私が叱られましょう。ねぇ、クロウ」
『嫌だって言ってるが分からねぇのか』と、腹の煮える思いだが仕方ない。もめるだけ時間の無駄だ。とにかく早く帰ってもらおう。そう強く思っていると、突然ギュスターヴが向かいのソファーから立ち上がりクロウの隣へ移動してきた。ぴったりと密着するように座られて、クロウは少し逃げるように離れる。
「やはり貴方が預かっているのでは?」
「残念ながらギュスターヴさま」
「《レルネー》と、呼んでください」
何でいちいちお前をファーストネームで呼ばなきゃなんないんだ?
「恐れ多い。遠慮させてもらいます」
初(ウブ)な娘を見るような目で見られ、クロウは顔をしかめたくなった。レルネーがクロウにちょっかいを出す心当たりはある。キルケの使い魔だからだ。前にもキルケに取り入りたい連中が声をかけてきたり、彼女に向けるには少々危険な好奇心を満たすためにクロウへ声をかけてくる輩はいた。物珍しさだけで人を口説こうとするな! と言いたい。
「貴方から、私の大切な指輪の気配がするのですよ」
そう言って、伯爵はクロウとの間を詰めてくる。服の隙間に手を滑り込ませ、上目使いにこちらを見つめた。その瞳の奥に暗い喜びを見つけて鳥肌がたつ。
「申し訳ないですが、預かってませんね。もし仮に預かったとしても主の許可なしにお渡しできません」
お急ぎでしたら、主に遠鏡で伺いをたてて参りますから少々お待ちを。
そう冷たく言い放ち、するりとレルネーのそばから抜け出した。こいつから離れられるなら理由はなんでもよかった。お茶をお持ちしたって良い。
しかし、席を立とうとするクロウを想像していたよりも素早い動きでレルネーは捕らえた。
「まどろっこしい事は止めるよ」
突然腕を引かれてバランスを崩したクロウはソファーに倒れこんだ。そのまま首をつかまれ押さえつけられる。
指や爪が異様に長い。その爪に擦ったのだろう、クロウのクラヴァットのないむき出しの襟元に傷がつき血が滲んだ。鼻先が触れそうなほど顔を近づけられる。
クロウは怒っていたが、冷ややかな目で伯爵を睨むにとどめた。ガキに組敷かれるなんざ趣味じゃない。
数発その綺麗な顔に拳をくれてやりたい気分だが、相手は曲がりなりにもキルケの客だ。実際にそんなことをしたら迷惑がかかるかもしれない。
「おいおい。乱暴は止して下さいよ」
「貴方その余裕な態度を崩したくてね」
「お~怖い。弱いもの虐めはいけませんね」
大袈裟な素振りで両手を降参とばかりに前にかざしてみせる。いい加減に放せと首にかかった手を振りほどこうとした途端。口で口を塞がれた。長い戯れの後、名残惜しそうに離れ、恍惚と輝く瞳でクロウを見下ろした。頬を指で撫でる。
「このまま拐っていこうかな?」
「それにはキルケの許可が必要ですよ。浮気しない主義なんでね。真面目な性格だから」
まだ押さえつけられたままのクロウは、それでも態度を崩さずに軽口を叩き、わざとらしくにこりと笑って見せた。
「それと出来れば女の子の方が好みなんでね。野郎はむさくて」
妙な雰囲気に巻き込まれたら負けとばかりに、とことんおどけて見せる。それをゲームと取ったのか、伯爵は愉しそうに笑みを浮かべた。
クロウの耳に唇を寄せて何事か囁くと耳朶(ジダ)をはんだ。レルネーから見えないのを良いことに、クロウは盛大に顔をしかめる。
キルケの客で無かったらとっくにブッ○ロしてると言った殺意のこもった顔だ。しかし、伯爵が耳元を離れた途端もとの微笑に戻る。
「どう? 返事をもらえない?」
「さぁ~、俺には刺激が強すぎるかな。遠慮させて頂きますよ」
のらりくらりと相手の言葉をかわす。だが、その態度が逆に伯爵の黒い欲望を掻き立ててしまうようだ。首筋にできた傷に舌を這わせる。クロウはその不快さに呻き声をあげた。焼け付くような痛みを感じたのだ。
こいつっ!
興奮しているのかシューッと言う吐息の音をたて、クロウを見つめる瞳がは虫類のそれに変わった。長い舌は二股に別れてチロチロと口を出入りする。蛇と人の入り交じった姿で欲情的に体へ密着され、もう、騒ぎになるのを覚悟でぶん殴って外に放り出そうかと本気で思い始めた頃。ドアが突然開いた。
「あらっ! 失礼致しました!」
チェシャが帰って来たのだ。
『ナーイスッ! チェシャーッ!』クロウは心のなかで喝采を叫んだ。レルネーの力が弛んだ隙に逃げ出して距離をとる。
「お取り込み中だったかしら?」
「いや、伯爵にキルケの不在を告げたところだ。今お帰りになるところだよ」
さぁ、とっとと出ていけ。
刺々しい気配を隠そうともせずにドアを開いて退出を促す。それを見た伯爵はやれやれと肩をすくめて笑った。
「やぁ、マドモアゼル。お邪魔してましたよ。会って直ぐお別れしなければならない非礼をお詫びします」
伯爵はチェシャの手をとり紳士らしく挨拶のキスを落とす。『またお伺いに来ますよ』とクロウに声をかけてドアの外へ消えた。
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