第32話 太陽の下で。
俺は今から三日ほど前にワープミミックに吐き出されていた。
がしかし、その場所は当然ながらダンジョン内部で、しかも出現モンスターのレベルが81という、かなりの深層だった。まぁ今の俺にとっては、レベル81もレベル1も大して変わんねぇんだけど。
そういうわけで、階段を探して上へ向おうとする俺だったが、なんと階層を隔てる分厚い石扉が開いていなかった。
恐らく、実際に攻略されているのはもっと上層までなのに、いきな下の階層に現れたゆえに、それまでの扉が未開放という事態に陥ったのだろう。因みにどういう訳か、扉に魔剣技をぶつけても傷一つ付かないので、破壊という選択肢は無い。
なら残る方法は一つ。ダンジョンの《完全攻略》のみ。
そう考えた俺はダンジョンを潜るだけ潜ってしまおうと、八十五層まで攻略し、ヌシモンスターをちゃちゃっと倒したという次第である。で、次のフロアに行こうと思ったらなんと扉が無くて、実は八十五層が最下層で――。
かくして俺は、ダンジョンの外へ自動的に排出されたという訳だ。
…………いやしっかし、何だこれ。
すっげー久し振りにお天道様を拝めたと思ったら、いきなりボロ服着た同級生が鎖に繋がれてるわ、怖そうな大柄なオッサンと一緒にいるわ、あと日光がクソ眩しいわで、何が何だかって感じ。ボロ服着てんのは俺もか……。
うーんでも、別に
相手は三人。恰幅は良いが、恐らく戦闘には不慣れ。見たところ武器は腰のサーベルだけか……。んじゃまずは、利里を人質に取ってる奴からだな。
***
「あいつ、こっちを見てやがる……。何するつもりだ?」
不審そうに呟いた隣の男を一瞥し、沙綾は再び冬馬へ視線を移す。昔から目の良さには自信があるのだ。じっと様子を観察していると、なんと彼はおもむろにウィンドウを展開した。次いで、彼の手の中に何かがオブジェクト化する。
――――あれは……ナイフ……?
いやしかし、あんな物で一体何をしようというのか。と不本意にも男たちと同じ疑問を浮かべてしまった。そんな中、冬馬はナイフを持ったままゆっくりと半身に構える。
次の瞬間――目にも留まらぬ速さで彼の右腕が振り抜かれた。
投擲されたナイフは、初め一直線に斜め前方へ向かって上昇したのち、今度は滑らかな放物線を宙に描きながらこちらへと落下してくる。ゆるゆると回転しつつ男の頭上を通り過ぎ、そして虚しく背後の地表に突き刺さる。
その場にいた全員がそれを目で追い、行く先を見届けた。沙綾と千尋は落胆の吐息を零し、三人の男たちはプッと吹き出したかと思えば腹を抱えて嘲笑う。そして五人全員が仄かに発光するナイフから目を離し、再度冬馬を見やったとき――――。
ふわっ。
とまるで空気に溶けるかの如く、彼の姿が一瞬で消え失せた。瞬きをするよりも短い時間の出来事だった。
「え、消え……?」
「こっちだ」
息を呑む間もなく、バキィン! という甲高い金属音が鳴り渡る。発生源は左後方。
直後、隣の男が『うおっ!?』と短い悲鳴を上げ、千切れた鎖を握り締めたまま坂を転げ落ちていく。しかし沙綾は彼の行方を見届けるより先、咄嗟に左を見やり、そして驚愕した。
そこに、冬馬がいた。
断ち切った鎖の端を手にし、もう片手にはただならぬ威圧感を放つ黒剣が握られている。男を蹴落とした姿勢のまま、転落して気を失った男を冷ややかに見つめていた。スッと静かに持ち上げた剣先を、残った二人に突き付ける。
「あんたら、逃げるなら今のうちだぞ」
無感情に放たれた言葉はどうにも気だるげだったが、しかし殺気すら感じさせるような鋭く冷たい声だった。
男達も、おそらく沙綾と同質のものを冬馬から感じ取ったのだろう。『ひぃっ……』という、滑稽なほど酷くか細い悲鳴を残して踵を返す。あまりの慌て具合に時折躓きながら、街の方向へ林道を駆けて行った。
その背を見送って。
「ふぅ」
と、冬馬は短く溜め息を吐いてから、剣を背中の鞘へと納める。
そんな彼の様子を、沙綾と千尋はただ茫然と見つめる外なかった。頭の中では訊きたいことが幾つも渦巻いているのに、どう声を掛けて良いやら分からない。すると、冬馬がくるりと振り向いて口を開いた。
「あーえっと……その、なんだ。…………ご無沙汰」
「え? ああうん、おひさ」
まさかの普通すぎる挨拶に、思わず沙綾もごく自然に返事をしてしまった。しかし、直後にはっと我に返る。
「っていやいや、何で夏風がこんな所にいるわけ? 他にも訊きたいことは山ほどあるけど、それがまず意味分かんないんだけど」
すると、冬馬は若干渋るように小さくかぶりを振る。
「あー……教えること自体は問題ないんだけどよ、取り敢えず最寄りの町に戻らねぇか? 俺も幾つか質問があんだよ。あと久し振りに飯も食いたい」
「飯が食いたいって……。でも、さっき逃げてった男たち、町長の部下だからたぶん食事どころじゃないわよ」
「え、そうなの? 何だよ、そういうの早く言ってくんない? 知ってたらちゃんと気絶でもさせといたのによ」
心底面倒くさそうに顔をしかめる冬馬に、沙綾は呆れ交じりの吐息をこぼす。同様に苦笑を滲ませた千尋が口を挿む。
「夏風くんのパートナーは? 一緒じゃないの?」
「今から話す」
言って、よっこらせ、とジジくさい掛け声と共に地面に腰を下ろすと、『適当にかいつまむぞ』と一言前置いてからやや早口に語りだしたのだった。
***
俺が説明を終えて一息吐くと、
「へーえ……なるほど。道理でそんなにレベルが高いわけね。427ってあれじゃない、ラスボスの二倍もあるじゃない? 何だかウチが頑張ってたのが無駄になった気分だわ……」
「そんなことねぇだろ。レベルが上がればそれだけHP上限とかだって上がる訳だし、単純に死ににくくなる。だから
急に話を振られた利里が、ぴくっと肩を震わせてこくこくと何度か頷いた。しかし実を言うと、俺の話の中には俺自身ですら納得していない点が一つある。もし二人がゲームをよくやる人間だったなら気付くはずなのだが……まぁいいか。
俺は質問が重ねられる前に、それまでより少し身を乗り出した。
「次は俺から質問な。ここどこ?」
「ノーザリア帝国リーベンゴッツ領タームの町北の森」
お、どっかで聞いたことがある国名だと思ったら、確かアトラールの北にある国じゃん。同じ大陸なら御の字とか思ってたけど、思った以上に近かったな……。
「まぁいずれにせよ、出来るだけ広範囲の地図が欲しいな。ああ……でもそのタームの町ってのは、町長さんが激おこぷんぷん丸かもしれんのだっけ」
「でも夏風、あんたそんなに強いんだったら皆やっつけちゃえば良いじゃない。そうしてくれるとウチらもありがたいし」
確かにそういう意味ではまったく問題ないのだが、俺としても、出来るだけ人間とは戦いたくないという思いがある。
「……んー、別にあいつらに直接何かされた訳じゃないからなぁ。お前らと違って俺には戦う理由が無ぇんだよ。やっぱ他の適当な町に行って探すわ」
「でも、タームの町以外だったら30キロは離れてるわよ? 直接行った事は無いから聞いた話だけどね」
言いながら西の空を指差す佐瀬を見つつ、俺は顎に手を添えて軽く計算をしてみる。30キロ。リアルワールドで例えるなら大体、東京駅から幕張といったところだろう。だが今の俺にとってはその程度、学校の通学路と大して変わらない。
「30キロなら、5分ちょっとってとこか」
「は? 何が?」
「何がって……所要時間だけど」
っていうか、その女子高生特有の『は?』って地味に傷付くんだよね。他人と会話するのがそもそも久しぶりだから尚の事……。まったくよー、『え?』とか『ん?』とかもっと可愛く言えないの? それにしても最後にニッコリ顔文字がくっ付いてたときの怖さは異常。
そして今まさに、
「信じらんねぇならそれでも構わねぇよ。取り敢えず俺は別の街に行く。そんでどっかの店で地図を買って、アトラールに帰る」
「帰るって、夏風あんたね……。最初に神様も言ってたでしょ、最低でも2000キロは離れてるって。運良くそれぐらいだったとしても何ヶ月かかるか分かったもんじゃ――」
肩を竦めて呆れ半分に首を横に振る佐瀬の言葉を遮るように、俺は立ち上がってコートを翻した。
「あー……もう、説明すんの面倒くせぇわ。とにかく俺はもう行くぜ。まぁ佐瀬は結構戦えるみたいだし、利里さえ人質に取られてなけりゃ俺が居なくても何とかなるだろ。あと、あそこに山積みになってる宝箱の中身、全部お前らにやるよ」
俺が言いながら、クレーターの真ん中に積まれた宝箱の山を指差した。俺とともにダンジョンから排出された『未発見宝箱』である。
しかし予想に反して佐瀬はあからさまに不機嫌そうに首を捻った。
「いや意味わかんないんだけど……」
えー……何だよこいつ。もっと喜べよ。さては、あれだけの魔石があれば国すらも買えてしまうレベルのお金が手に入るってのを分かってねぇな? それにしてもあの量、いったい何イリスになるのやら。俺はもう十分持ってるからなー。主に魔物からドロップした分が。
「可能ならお前らも連れて行きたいとこだけど、流石にそれはきついからここでお別れだ。じゃあな、死ぬなよ」
「は? いや、ちょっ――!?」
捨て台詞のように言うだけ言うと、俺は二人に有無を言わさず地面を蹴った。
クレーター状のダンジョン跡地を猛スピードで駆け下りて行く。だがそのフォームは多分、傍から見ればかなり可笑しげなものだろう。なんせ両腕を後方にピンと伸ばし、同様に手の平も後ろへ向けているのだから。
腕の中を先端へかけて熱い何かが伝わっていき、手の平からシャボン玉のような半透明の球体――魔力球が射出される。
それが手の平から離れるかどうかというところで――。
魔力球が破裂した。
その直後、新たな魔力球を生成。爆発。間髪容れず、更なる魔力球を生み出し――。そうして止めどなく背を押す爆風によって、俺の体はいとも容易く宙に浮いた。
魔力球を連続バーストさせることによって空を飛ぶ。これが俺が二年かけて体得した技だ。細かい方向転換は困難なものの、真っ直ぐに飛ぶだけなら時速200キロは軽く出せる。
勿論誰にでも簡単に出来ることじゃない。前提として膨大な魔力と、魔力コントロールの技術、そして己を襲い続ける爆発の衝撃に耐え得るだけの、莫大なHPが無くてはならない。だからきっと、この世界で空を飛べるのは俺だけ……。
青い空と白い雲、彼方に聳える山脈に、眼下に広がる広大な森林。頬を撫でる爽やかな風が心地良い。あの空間では味わう事の出来なかった爽快感が爪先から脳天まで突き抜ける。同級生二人が瞬く間に小さくなっていく。
――ようやく……ようやく帰って来た。あの、ただひたすら一直線に進むだけの岩壁に挟まれた世界から。
魔力の揺らぎを一直線に引きながら、西の彼方へと飛翔して行った。
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