第31話 遠く離れた地で。

「おら! 早く歩け!」


 背後から鞭で打ちすえられ、びりびりと痺れるような不快な感覚が沙綾さあやの背中を走った。幅を減らす自分のHPバーを見ながら、精一杯の憎しみを込めて舌打ちをする。


「分かってるから、それやめてくんない!? マジウザいんだけど!」

 すると鞭を持った男が怒りを露わに眉根を寄せる。

「あ? テメー、何なめた口きいてんだ。こいつがどうなっても良いのかァ?」


 そういって反対の手に握る鎖を、無理矢理引っ張った。それが繋がれているのは、沙綾さあやの親友――利里りり千尋ちひろの首元に取り付けられた鉄製の拘束具。きゃぅ……と小さく悲鳴を漏らして、つんのめるように前に出てきた親友を目にし、沙綾ははらわたが煮えくり返るような怒りを覚えた。


「あんたら……ッ!」

「分かったらさっさと歩け! 今日もテメーにはダンジョンでたっぷり稼いでもらうんだからよォ。いいか? 何度も言うが、日没までに魔石の重量がノルマに達しなかったときは、お友達の安全は保証出来ねェからな。テメーらを売らねェでやってるのは、こっちの方が稼ぎになるからだ。それを忘れんじゃねェぞ!」


 言葉を刻み付けるように、再び鞭で沙綾の背中を打った。幸い痛みは感じず怪我もしないものの、やはり腹が立つ。喉元まで出かかっていた罵詈雑言の数々をぐっと飲み込むと、沙綾はまたダンジョンの入り口へ向かって歩を進め始めた。




 佐瀬させ沙綾さあや利里りり千尋ちひろの二人も、およそ半年前に神によってアナザーワールドへ送り込まれた。しかし二人が降り立った町は一人の奴隷商人によって支配されており、訳も分からず右往左往しているうちに、たちまち捕らえられてしまったのだ。

 監禁されている間、共に幽閉されていた他の奴隷からアナザーワールドについての話を様々に聞くことが出来たのは運が良かっただろう。ゆえに彼女らが、『自分たちは特別な存在である』と気付くまでそう長くは掛からなかった。

 そして売り飛ばされそうになったところを、交渉の末、現在に至る。




 沙綾と千尋、そして二人の監視のために同行している三人の男たちは、ダンジョンへ向かって歩いていった。彼らも用心は怠らないようで、沙綾が逃げ出す事のないよう常に千尋を人質に取っている。

 そしてそれを良いことに、事あるごとに難癖をつけては沙綾をいたぶり、沙綾が逆らうたびに千尋を盾に下卑た笑いを晒していた。――……まさに今も。

 バシィン! と沙綾の背中を鞭で打ちすえて、瞬く間に消えていく傷痕を眺めながら、男はさも愉快そうに口の端を吊り上げた。


「しっかし、テメーらの体はいったいどうなってんのかねェ。幾ら傷付けても、すぐに治っちまいやがる……。他の奴隷より長く楽しめるから、俺ァ全然構わねェけどな」

「だがよ、長く楽しめるっつーのはそうなんだが、如何せんこいつら反応が鈍いんだよな。痛みを感じてねェんじゃねーのかっつーぐらい」


 話していた男の一人がそう言って、不意に千尋の髪を鷲掴みにした。彼女の嫌がる声も無視して、そのまま右へ左へ彼女を揺さぶる。


「やめてよ! 髪の毛抜けちゃう!」

「抜けてもどうせ生えてくんだろ」


 その言い草に流石に我慢の限界に達した沙綾は足を止め、男に掴みかかろうと振り返った。が、千尋と同様に拘束具で自由を奪われているため、手が届く寸前で繋がれた鎖が伸びきってしまう。

「ちょっと! 言うこと聞けば酷いことしないんじゃなかったの!?」

 すると男たちは一瞬顔を見合わせた後、心底可笑しそうに、バカを見るような眼差しを沙綾へ向けた。


「テメーこの程度で何言ってんだ? 他の奴隷が毎日何をされてんのか知らねェのかよ?」

「何って……」


 一緒に牢に収容されている奴隷たちは、沙綾や千尋と同年代かその前後の年頃の少女が多かったことを思い出す。しかし彼女らが毎日何をされているかなど知る由も……。と、そこまで思考したところで、言いようのない悪寒が沙綾の背筋を這い上った。


「まさか……?」

「ったく、今更何を驚いてんだか。むしろ女の奴隷にそれ以外にどんな使い道があるんだっつー話だよ」


 呆れ半分で溜め息を吐く男に、沙綾は自分の血液が沸騰しているかの如く全身が熱くなるのを感じた。ぎりっと音がするほどきつく歯を食い縛り、両の拳を握る。


「あんたら……もしリリチに手を出したら、絶対殺してやるから!」

「おお怖い怖い。そんな睨んでると、折角の可愛い顔が台無しだぜお嬢ちゃん」


 男は完全に馬鹿にしたように鼻で笑い、ひらひらと手の平を振ってみせる。すると沙綾の鎖を手にした別の男が、ぐいと彼女を引き戻し前方へ突き飛ばした。よろめき転んだ沙綾を見下ろし、更に腹を蹴りつける。


「ぐっ……」

「無駄口叩いてる暇があったらさっさと歩けっつってんだろ。おら、早く立て」

「こん……っの……!」


 ――駄目だ。素直に従うのは不本意だが、しかしここで逆らってダンジョンへ潜るのが遅れれば、ノルマ達成が難しくなってしまう。

 沙綾はなんとか理屈で怒りを抑え、唇を噛みしめる。せめてもの反抗に振り向きざま肩越しにがんを飛ばしてから、再度ダンジョンへ向け歩き出した。

 商人の支配によって荒れた街を通り抜け、街の外に広がる針葉樹林を更に進む。落ち葉の積もった林道に沿って歩き、そしてようやく、森の中にポッカリと開けた草原に出た。その中心には、苔生した石造りのほこらがそっと立つ。


「おら、武器だ」


 ダンジョンの入り口を認めると、男の一人がふんっと鼻を鳴らして、沙綾に愛用の弓と矢筒を放り渡す。それから首の拘束具を外しにかかった。


「俺たちはここで待ってる。いいか? 歯向かおうなんて考えるんじゃねェぞ。俺たちに武器を向けた瞬間、こっちのガキを殺すからな」


 もう一人の男が、言いながら懐からナイフを取り出し、それを千尋の胸に突き付ける。本来なら首元に添えるものだが、失血死そのものが有り得ない二人にとってその脅しが無意味であることを理解している辺り、馬鹿ではないらしい。

 頭部や心臓に攻撃を受けると、特にダメージが大きいのは事実だ。そして、まだレベルが1である千尋は、たった一刺しでも耐えられるかどうか……。


 ――やっぱり、今のウチじゃどうしようもない……。


 息の詰まるような無力感が、沙綾の中で渦巻き膨れ上がっては行き場を失い、胸の奥で蟠る。もっと強くならないと。友達を助けられるようにならないと。その思いに突き動かされるように千尋と見張りの男達に背を向け、悔しさを吞み込んで足を踏み出した。

 だが、その時――――。

 何の前ぶれもなく、体の底に響く地鳴りがどこからか轟いた。真下を電車が通過したような、或いは上空を軍用機が飛び去ったような重低音。


 それとともに、前方に構えていた祠が薄青い光のベールに包み込まれる。見る間にその範囲を拡大し、祠を中心に円状に展開された光の膜は沙綾のすぐ眼前まで迫ってきた。数ヶ月間毎日ダンジョンへ通い詰めていた沙綾も初めて見る光景。

 そしてそれは、見張りの男どもも例外ではないようで――。


「おい、何だこりゃ!? テメー何しやがった!!」

 物凄い剣幕で胸倉を掴まれ、沙綾は身を硬くする。

「し、知る訳ないでしょ! ウチじゃないし!」


 とそんな言い合いをする間にも、光は更に広がっていく。その場にいた五人を取り込んでも尚、止まることはない。状況を理解しきれず五人とも茫然と、光の境界線と祠とを見比べていた。

 次第に、周囲を満たす光がその強さを増し、世界を青白く染め上げる。次の瞬間――ばしゅっ! というボールが破裂したようなサウンドを伴って視界がホワイトアウトした。




 僅かに飛んだ意識だったが、沙綾は即座に我に返る。しかし再び視界が戻った時、眼前に待ち受けていた景色に目を見張った。

 つい先程まで五人が立っていた草原が――。

 

 まったくの文字通り、存在していなかったのだ。あるのは大地が陥没してできた、地肌が剥き出しの巨大なくぼみだけ。そしてどういう訳か、五人はいつの間にか森の際まで移動させられていた。


「クソッ、何が起きた!」


 声を荒げて立ち上がる男。そして付近に沙綾と千尋がまだいることを確認し、乱暴に千尋の鎖を掴み上げた。

 すると窪みの中を覗いていた別の男が、慌てた様子で声を上げる。


「おい、あそこに人がいるぞ!」

「ああ? 人だとォ?」


 そのやり取りに釣られるように、沙綾も窪みの縁から身を乗り出してその中心に目を凝らした。長い黒衣を風にたなびかせる人影が、確かにあった。少なくとも50メートルは離れているので顔は視認出来ないが――。

 それでも、彼が何者であるかはすぐに分かった。

 何故なら、彼の頭上にHPバーが表示されていたから。そしてその上部に、こんな文字列が添えられていたからだ。




【Lv:427 夏風なつかぜ冬馬とうま】。



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