第22話 彼の死を。

 コッチ……コッチ……という、大きな振り子時計が一定のリズムで時を刻む音だけが、静まり返った城の一室に響いていた。ホテルのスイートルームもかくやという豪華なその部屋は、《窓の使徒》のために用意されたものである。

 そして部屋の外、ドアの前には二人の少女が並んで立っていた。普段は下ろしている長い亜麻色の髪を、戦闘の邪魔とならぬよう後ろで纏めたシェーラと、空色の髪を頭の上でお団子にした獣人族のエイルだ。


 エイルは先ほどダンジョンで、シェーラとアサヒにトーマの死を伝えた。最初、二人とも冗談だと受け取ったらしかったが、エイルの沈鬱な表情を見ているうちにそれが嘘などではない事を悟ったようだった。途端に、トーマを探しに行こうと駆け出したアサヒを、エイルは引き止めた。アサヒは必死に振り解こうともがいたけれど、どうしても行かせる訳にはいかなかった。


 結果、今はこうして部屋に閉じこもってしまっている。


 とにかく、場所が深すぎるのだ。もっと上層なら、王都の衛兵など掻き集めてトーマの生存に賭けて捜索させることも可能だったろう。が、五〇層ともなると、それなりの実力を持つ攻略者や騎士でなければモンスターに太刀打ち出来ないのだ。エイルがトーマを探すこともせずに二人の元へ向かったのも、あくまで治癒及び補助が役目の彼女一人ではモンスターに勝てないからだった。


 しかも運の悪いことに、実力のある者たちは丁度今朝方から、国内の別のダンジョンへ遠征に行ってしまっており、今の王都には五〇層まで潜れる人間が圧倒的に足りていなかった。

 エイルは意を決したように小さく深呼吸をして、手の甲で優しく扉を叩いた。


「アサヒちゃん……」


 返事はない。だが木製のドアが隔たった向こう側に確かに、アサヒの気配を感じた。少々の間を置いて言葉を継ぐ。


「ごめんなさい……。トーマくんを、守れなくて……」


 扉の向こうにいるアサヒからは見えないという事が分かっていても尚、エイルは頭を下げずにはいられなかった。そのとき、隣にいたシェーラもエイルと同様に深く腰を折った。


「アサヒ、私からも謝罪致します。たとえトーマが望んだ事であるにせよ、やはり二人だけで深くまで行かせてしまったのは私の判断ミスでした。本当に申し訳ないと思っています」


 シェーラは、当事者であったエイルから、ワープミミックに遭遇したという話を聞いていた。

 無論、ワープミミックが超高度な転移魔法を操り世界中のダンジョン間を自由に移動可能という、まさに神出鬼没なモンスターである事は知識として頭に入っていた。遭遇してしまったが最後、必ず命を落とすとさえ伝えられており、隣国で名を馳せていた超手練の攻略者も腕一本を残して食われてしまったという話もある。

 しかしアトラール王国で被害が確認されたのは、今回が初めての事だった。

 エイルが顔を上げてからもう一度、謝罪の言葉を口にしようとした。


「アサヒちゃん……本当にごめん――」

「だったら!」


 エイルの言葉を遮るように、部屋の中からくぐもった声が投げられた。間髪容れずバンッ! と激しく音立てて扉が勢い良く開け放たれる。今にも泣きそうにくしゃっと表情を歪めたアサヒの姿があった。

 ズキンッ、と刃物で抉られたような激しい痛みがエイルの胸の奥を貫いた。途轍もない自責の念が津波の如く押し寄せてきて、今にも圧し潰されそうだった。だが実際にそうなる訳にはいかない。

 何故なら、一番辛く最も悲しんでいるのはエイルではなく、アサヒなのだから。

 彼女は部屋を出るなりエイルの胸元に掴み掛かり、手前へ強く寄せた。


「謝るぐらいだったらッ! 何で逃げたりなんかしたの!? 何で一緒に戦ってあげなかったの!!」


 悲痛な叫び声が城の廊下に幾度も反響した。彼女の訴えかけるようなその問いに、エイルは答えることが出来なかった。『助けを呼びに行こうと思った』と、そう答えれば良いはずなのに、エイルの口からその言葉が発せられる事は無かった。

 そんなものは、己の行いを正当化するための言い訳に過ぎない事を理解していたから。あくまで事実であって、真実ではないからだ。


 それに、エイルが犯した明らかな過ちは……もっと別。トーマを信じる事が出来なかったこと、言い換えるならトーマの忠告を無視したことなのだ。

 本当はそれを伝えなくちゃいけないのに。

 言葉が出てこない。

 だから――。


「…………ごめんなさい」


 ただ、謝ることしか出来なかった。




 ***




 二人に責任がないのは分かっていた。


『お前と一緒に修行してたんじゃ間に合わない』


 そう言って、別れてレベル上げをすることを提案したのは冬馬自身。シェーラちゃんもエイルちゃんも反対したのに、それを押し切って冬馬は五〇層へ向かったのだ。

 いつからだろう、あんなに切羽詰まったように冬馬が戦いに明け暮れるようになったのは……。たぶん、アナザーワールドに来てから一ヵ月が経とうとした頃、神様から、


 『ボス戦の敵のレベルは200』


 という事を知らされて以来かもしれない。

 その日以降、冬馬の目が変わってしまったのだ。どことなく危うさは感じていたけれど、あたしも止めることが出来なかった。だからあたしには、エイルちゃんとシェーラちゃんを責める資格なんてない。


 ――なら、誰の所為?


 どれだけ考えたところで答えが出るはずもないそんな問いを、頭の中で何度も何度も繰り返す。そのうち、抑えられなくなった声が喉の奥から洩れてきて、目の淵から熱い液体が零れ始めた。


「うっ……うぐっ……」


 止めよう、止めよう、と思うほどに次々と溢れ出す涙が、頬を伝って床を濡らした。あたしはエイルちゃんの服を握り締めたまま彼女の胸に顔を埋め、泣いた。

 泣いて、泣いて。

 体中の水分が抜けてしまうかと思うぐらい泣き続けた。

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