第28話 阻む敵は。
『ここでは肉体的疲労は無い。空腹も、新陳代謝もない。だから安心して行くといいよ』
少年からそんな言葉を受け取って、俺は部屋の外へ足を踏み出したのだった。
ただ遠いだけならどうとでもなるだろう。全力疾走しても疲れないとかマジ神じゃん。これだったら案外早めに戻れそうだな……。と、思っていた。
――――
「ウゴアアアアアアアア!!」
眼前に屹立するモンスターが、唾液を飛ばしながら身の毛もよだつ咆哮を轟かせた。壁や地面が震動し、床に転がる砂礫がパチパチと跳ねる。
レベル72モンスター《サイクロプス》。身長5メートルを超える見上げるような巨躯。全身ごつごつと膨れ上がった筋肉に包まれ、更に外側を薄青い皮膚が覆う。顔面積の半分を大きな単眼が占め、高みから俺を
「おいおい、脇道からモンスター出てきて通せんぼとか聞いてないんだけど……」
なんだよ、めっちゃ楽に行けるかと思ってたのに、とんだハードモードじゃねぇか。ワープミミックと相対した際のような絶望感は無いものの、レベル72ともなると勝てるかどうか微妙な線だ。
言わずもがな、これだけ敵が鈍重なら、シカトして先へ進むのも可能だろう。しかし俺たち窓の使徒の目的はあくまで『レベル上げ』であり、敵から逃げていたら意味が無い。
当然、ぶっ倒す。
「さて、一戦交えますか……」
俺は溜め息とともに剣を抜き、体の正面に構えた。
単純な力比べに持ち込まれると分が悪い。恐らくこちらが唯一優っているだろうスピードで翻弄しつつ、地道に弱攻撃をヒットさせていくのが有効な作戦か。何にしろ、一撃でもまともに食らったらアウトだな。
そんなことを考えている間に、敵が先に動く。
得物の柄を両手で掴むと、そのままゆっくりと剣身を浮かせ頭上高くまで掲げる。ぱらぱらと砂埃が舞い落ちるさまを見ながら、俺は内心首を傾げていた。俺とヤツの距離は約15メートルもあり、明らかに剣の間合いの外だったからだ。
「投げるつもりか……?」
だが戦闘の序盤に、唯一の得物を自ら手放すなど悪手もいいところ。人型モンスターは押し並べて知能が高い傾向にあるため警戒していたが、こいつは存外バカなのかもしれん。
俺はつい鼻で嘲笑した。その数瞬後、己の考えがいかに甘かったかを悟る事になるとも知らず……。
突然、巨人の剣が眩く光り輝いた。
「……ッ!?」
そこでようやく、俺はヤツの狙いに気が付いた。
――魔剣技を放とうとしている。
モンスターも魔剣技を使用するのだろうかと、今まで考えた事が無かったと言えば嘘になる。しかし魔剣技など使わずとも、モンスターの攻撃はその一つ一つが脅威であり、実際に使用しているモンスターも見たことがなかった。だから無意識に可能性を排除していたのだ。いや、もしかすると、ただそう思いたいだけだったのかもしれない。
巨人が地面に剣を叩き下ろし、やや遅れて俺は横へ身を投げ出した。
天地が砕けたかと錯覚するほどの爆音が轟き、回廊全体が激しく震動する。サイクロプス周囲の地面がまるで水面のように大きく波打つ。太刀筋の延長線上に光の壁が迸った。いや、壁ではなくあれは――。
巨大すぎる斬撃だ。
そのことを認識した途端、背中をぞくぞくするものが疾った。俺はこの技を知っている。しかし俺の記憶とは規模も威力も桁違いだった。斬撃そのものは完全に回避したにも拘らず、それの通過と同時、俺は凄まじい衝撃波に襲われた。
「かは……ッ!!」
落葉の如く軽々吹き飛ばされ、壁に叩き付けられる。再度の轟音。衝撃。
壁の下に倒れ込んだまま、しばらく動けなかった。舞い上げられた大量の砂煙のおかげで敵が追撃を仕掛けてこなかったのは、不幸中の幸いだろう。数秒の後、壁を支えに咳き込みながら立ち上がった俺は、そして眼前の光景に言葉を失った。絶句とはまさにこういうことを言うのだろうと、人生で初めて体感した瞬間だった。
地面が割れていた。真っ直ぐな回廊に沿うように、深い溝がどこまでも刻まれていた。
まず最初に口から漏れたのは、溜め息交じりの苦笑だった。
「いや……普通に無理でしょ……」
***
「や、帰ってきたね」
ふらふらと覚束ない足取りで白い部屋へ戻ると、変わらず定位置に蹲ったままの少年が笑顔で迎えてくれた。それを俺は睨み付けるように一瞥し、部屋の中心にぐてーっと大の字に寝転がる。
「お前……わざと黙ってたろ」
「そうとも言えるし、そうでないとも言える」
「……面倒くせぇから、その心はもう訊かないでおく」
すると少年はクスクスと忍び笑いをこぼして、嘲るような口調でこう述べる。
「それにしても、サイクロプスを相手に逃げ帰ってくるようじゃ、先が思いやられるね。君が無事に帰れるのか、それとも途中で力尽きるのか、僕は楽しみで仕方が無いけど」
「いや、確かにアイツが魔剣技を使うのは予想外だったけど、ちゃんと戦略を立ててから挑めば倒せない敵じゃなかったし、俺がここを脱出すんのはそう遠い未来でもねぇよ」
少年の物言いにちょーっとだけカチンときた俺は、思わずそんな反論をしてしまった。しかし次の彼の一言で、俺は己の発言がどれだけ楽観的だったかを知る。
「何を勘違いしているのか知らないけど、行く手を阻むのは何もサイクロプスだけじゃないよ。この先も山ほど脇道があるし、その度にモンスターも現れる。それこそ気が遠くなるほどにね。進んだ距離に比例して敵も強くなるから、そう簡単には帰れない」
「マジか……」
「だから言ったじゃないか。脱出は可能だけど、実際にそれを成し遂げた人間はいないって。今までの最高到達記録は12000イードってところかな。いやー彼は強かったなぁ。それはもう、今の君なんか相手にならないぐらい。まぁワープミミックに食べられたときに片腕を失くしてたから、最後はそれが原因で負けちゃったんだけどね」
心なしか誇らしそうに語る少年に、俺はつい舌を打った。12000イードというと、10キロ以上か。俺がさっきサイクロプスに遭遇したのがここから大体500メートルほど先だったので、少なくともその二十倍は進んでいる事になる。
「それで、全体のどれぐらいの割合なんだ?」
「そうだね……今ここで答えを言ってしまうのもつまらないから、『ほんの少し』とだけ言っておこうかな」
「はー、そりゃ長いわ」
俺が驚き交じりに肩を竦めてみせると、少年は幾らか意外そうに首を傾げた。
「あれ、あまり落ち込まないね? もっと絶望してくれるかと思ったのに」
「俺にとっちゃ、別に悪い知らせってわけでもないしな」
普通の人間なら、一刻も早くこの空間から脱出したいと考えるのかもしれない。が、俺の場合、結局最後には神様によって強制召集が為されるため、ぶっちゃけどこにいようと同じ事なのだ。むしろ20分の1の時間で修行できる分、ここに飛ばされたのは幸運だったとすら言えよう。
まぁそうは言いつつ、15年近くもこんな場所で過ごすのも嫌だから、全力で脱出を目指すつもりだけど。
それに、一人だと心配なやつも置いてきちゃったしなぁ……。
「要するに、立ちはだかるモンスターを一体残らず狩り尽くせば良いんだろ?」
「簡単に言うけど、君にそれが出来るとは思えないなぁ」
少年の言葉通り、きっと今の俺じゃ夢のまた夢。さっき言っていた最高記録に到達するかどうかも微妙なところだろう。
ならば、俺が強くなれば良いだけの話だ。どれだけ掛かるかは分からない。しかし、ここでの3週間が外での1日というのが真実なら時間は腐るほどある。だから俺は、己を叱咤する意味も込めてこう答えた。
「……やってみなきゃ分からんでしょ」
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