第27話 目覚めた場所は。

 ひやりと冷たい空気が頬を撫でた気がした。それと同時に鼻の奥がむずっとして――。


「ぶえーっくしょい!」


 と、パワフルに炸裂させた自分のくしゃみで、俺は目を覚ました。最初に光が目を貫いた。やべぇな、くしゃみのしかたが親父に似てきてるぞ……などと密かにショックを受けながら身を起こし、眩しさに目を細めながら周りを見回す。

 そこは、若干の既視感を覚える不思議な場所だった。一辺が5メートルほどの綺麗な正方形の部屋。天井と床を含めた六方向すべてを、傷一つ無い滑らかな純白の壁に囲まれている。どこにも光源は見当たらないのに、部屋内は昼間の如く明るかった。

 更には俺と反対側の角に、何者かが膝を抱えてうずくまっていた。俯いているため顔は見えないが、俺よりも小柄な少年のように見える。


 …………うん。

 あの子に声をかける前に、まずは状況を整理しよう。えーと、俺はミミックと戦っていて……相手の魔法が避け切れなくて足が吹っ飛んで、そんで――……あ、食われたんだっけ。


「とすると、俺ってばやっぱ死んだ感じか……」


 でも、本当に死んだのだとしたら一体ここはどこだ。そしてあれは誰だ。たぶん呼び掛けても応答しないだろうなー、などと思いながら、元からここにいただろう彼に声をかけた。


「おーい、そこの君……」

「ん、なに?」


 少年は予想を遥かに超えてパッと素早く顔を上げた。うおっ、びっくりした。さてはコイツ、ってものを知らねぇな? エンターテイナーじゃねぇな? いや俺も違うけどね。

 少年の印象は《ザ・もやしっ子》といった感じだった。生まれてこの方日光など浴びたことが無いように肌は白く、それに劣らず頭髪も真っ白。体中の色素が抜け落ちているとさえ思うほどだった。唯一、瞳だけが炎のような紅蓮を湛えている。


「……ここがどこか知ってるか?」

「ここ? うーんそうだなぁ、知ってるとも言えるし、知らないとも言える」


 なぁにそれ、なぞなぞなの? そういやいたよな、『パンはパンでも食べられないパンは?』って訊くと『腐ったパン!』って答えるやつ。違います、腐ったパンなら一応食べられます。

 とは言え、少年はきっとなぞなぞ勝負がしたい訳ではなかろう。言葉の意味を俺が視線だけで問うと、少年は引き続き言葉を紡ぐ。


「ここはワープミミックの口の中。厳密には、ワープミミックの口内と繋がった別次元の空間、ってところかな。だから、ここが何処かは知ってるけどワープミミックが外の次元のどこにいるかってのは知らない」

「じゃあ俺、まだ死んでないのか」

「運良く丸飲みにされたみたいだね」


 確かに言われてみれば、HP表示とかもまだあるしな……。ともあれ素直に喜べる状況でない事は否めない。それに、次の質問の回答によっては死んだも同然ということになるだろう。


「……ここから出ることは?」

「可能であり、尚且つ不可能でもある」

「あーうん、出来ればもうちょっと真っ直ぐな言い回しで頼むわ」

「ここから出ることは物理的には可能だけど、今までそれを出来た者はいないってことさ。つまり、実質的な不可能」


 最初からそう言ってくんないかなぁ。こいつの話し方、敵の黒幕かよってくらい回りくどいんだけど。もしかして悪役なのかしら。

 など思考を巡らせていると、今度は少年の方から口を開いた。


「きっと君が次にする質問は、『お前は何者なのか』だと思うから先に答えておくよ。僕に名前は無い。でも僕という存在を定義付けるとしたら、《番人》という表現が正しいかもしれないね。この部屋の」

「なら……お前を殺せばここから出られるってことか」

「あまりお勧めはしないな。僕を殺せば確かにこの空間は消滅するかもしれないけど、そのとき勿論、君も同時に消滅する。君の目的がワープミミックを滅ぼすことだとしても、この空間がそのままワープミミックの内部という訳じゃないから、繋がりが消えて単なる《ミミック》に戻るだけだよ」


 なら殺しても意味ねぇな……。まぁ仮に殺せば戻れるとしても、こんな子供の姿をした相手を殺そうと思う訳ねぇんだけど。人を斬るのは死んでも嫌です。


「んだよ……詰んでんじゃん」

「そうとも限らないさ。さっき言っただろう、出る方法はあるって。そこの壁の真ん中らへんを押してみなよ」


 言って少年が俺の背後の壁を指差した。立ち上がった俺は言われた通り、壁の中間辺りまで歩いて行く。

 すると、壁にうっすらと境目のようなものが認められた。全てが白いので近くまで寄らねば分からなかったが、どうやら扉があったらしい。手を置きぐっと力を加えると、その境目は徐々に広がり扉が開け放たれた。


「これは……」


 無限に続く回廊。

 文字通りどこまでも、埃をかぶった石の廊下が続いている。幅は10メートル足らずと言ったところだろう。ダンジョンのように壁に取り付けられた篝火が照らしてくれているが、それでも尚、その先を望むことは出来ない。見上げても、上へ行くにつれて光が薄れ、天井の代わりに頭上に広がっているのは深い闇だった。


「その先が出口だよ」


 少年に背後から掛けられた声に振り向いた。


「途中に脇道があったりするけど絶対に曲がっちゃだめだ。ずっと真っ直ぐ、ひたすら真っ直ぐ進めば、出口はある。それは間違いない」

「……何故それが信じられると?」

「根拠なんかないよ。証明する方法だってない。でも君は、それでも僕の言葉を信じるしかない。違う?」


 違わない。今頼りにできるのはあの少年の言葉だけであり、それを疑ってしまうなら、手掛かりなどどこにもなくなってしまうからだ。だから俺は、彼の言葉を信じるしかない。


「けど、何でそんなに教えてくれるんだ?」

「僕が君に教えるのに理由が必要なの? この世のすべての事物に理由があるわけじゃないだろう? 僕の存在も然り、この空間の存在も然りさ。うーん。でも強いて言うなら、君が何かを変えてくれそうな気がするから……かな。ここは外の次元の二〇倍の速さで時間が進むからね、君が想像している以上にずっとずっと長い間、僕はここにいるんだ。今まで君みたいにワープミミックに食われてここに飛ばされてきた人は沢山いる。でも君のように万全な状態の人間は一人もいなかったんだよ。……いや厳密には君も足を失くしていたけど、寝てる間に再生しちゃったんだ。不思議な身体だね」


 そこで一旦言葉を切ると、少年はにっこりと、しかしそこはかとなく力無げな笑みを浮かべてみせた。




「僕はいい加減疲れてしまったんだよ……。だから君には、とても期待しているのさ」


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