第20話 壁は高く。
「エイル!! 逃げろッ!!」
予め通路付近まで後退していたエイルへ向かって、咄嗟に叫んでいた。
ばつんっ、という鈍い切断音とともに俺の左腕が消えたのは、その一瞬後のことだ。同時に、HPバーが驚異的な勢いでその幅を減らし、瞬く間に七割を切る。
視界の端にまだエイルの姿を認めた俺は舌を打つが、もはや彼女を気にかけている余裕などどこにもない。
掌に血が滲むのではとすら思うほど剣を強く握ると、刀身が眩く光り輝いた。今となってはその発動タイミングも、感覚として体に染みつきつつある。体内を流れるエネルギーを剣を介して放出するように、渾身の刺突を前方へ撃ち出した。
「う――……らあッ!!」
剣尖がミミックに突き刺さった刹那――ガ、ガァァンッ! と立て続けに衝撃音が轟き、空中に同心円の波紋が広がった。
無属性魔剣技《インパクト・アンド・アウェイ》。
対象を貫きダメージを与える事よりも、強烈なノックバック効果を発生させ、それによって対象との距離を広げることを目的とした単発重攻撃。そしてそれは俺の狙い通り、ミミックを向こうの壁まで突き飛ばし、同様に俺の体も逆方向へと滑動させた。
丁度エイルの目の前で停止した俺は、視線を敵から逸らすことなく迅速に指示を出す。
「俺が相手してる間に逃げろ! そんでシェーラと朝妃を呼んで来い! 出来れば他の強いのも!」
返事は無かったが、代わりに俺の体を緑や青といった冷色系の煌めくライトエフェクトが包み込む。同時に俺のHPが全快し、その脇に《上矢印が添えられた盾》のマークが点滅した。
驚くべきことに、俺がHPを失った時点で既に魔法の詠唱を開始していたのだ。その流石の判断の速さと詠唱速度には敬意を表したいところだが、生憎そんな暇はない。
「耐えて!!」
エイルが叫び地を蹴ったのと、ミミックが体勢を立て直し飛び出したのはほとんど同拍のことだった。HP回復とともに再生した左腕を剣の柄に添え、俺も跳躍した。
前ではなく、上に。
どういう原理か、ミミックの移動速度は想像を遥かに超えていた。10メートル以上の距離をたった一秒少々で詰めてきたのだ。もし跳ぶのがコンマ一秒でも遅れていれば、足を持っていかれていたに違いない。
その事実に底冷えするような恐怖を覚えながら、剣を素早く逆手に持ち替える。
己の顎が
剣の刀身を這うように電流が弾ける。バチチッという乾いた放電音が、俺の獣の如き咆哮と重なった。
「おおおおおお!!」
超速度で閃いた剣の切っ先がミミックの脳天に炸裂。眩いライトエフェクトが視界を黄色く染める。バァァンッ!! と爆音にも似た雷撃音を轟かせ、天罰の如き一撃が落雷となってミミックを縦に貫いた。
雷属性魔剣技《サンダーボルト・ダムネーション》。
発動に『滞空中のみ』という条件が付与され使用局面が限られているだけあって、その威力はやはり絶大だ。ダメージの抜けた感覚を手の中に感じながら、俺は宙でくるっと一回転して着地。そのままミミックの頭上に目をやって――。
息を呑んだ。
手応えはあった。確かに俺の技は命中したし、属性的にも減殺されるような組み合わせではない。にも拘らず、ミミックのHPは九割以上を保ったままだった。
――……甘かった。あわよくば倒そうなどと考えていた自分の愚かしさを、今になってようやく思い知った。30もレベルが上の、しかも《
そんな思考をしている間に、ミミックがこちらへ向き直――……らなかった。俺にはヤツの姿が一瞬で消え失せたようにも見えた。が、実際は違う。
俺に背を向けたまま、バネに弾かれたように跳んだのだ。
宙返りをする要領で緩く後方へ回転しながら――。
すべてがスローモーションのようだった。気が付いたとき、既に頭の真上にいる敵。がぱっと開いた口は冥府への門か……。正直、その攻撃を回避出来たのはまさに奇跡だった。
攻撃魔法の一種に、《魔力球》というものがある。これは杖を装備していないと使えない《属性魔法》とは異なり、使用制限の無い唯一の魔法だ。その
ミミックが頭上から襲い掛かってくる寸前、俺はこの魔力球を左手に生み出していた。
魔力球は破裂と同時に小爆発を引き起こす。それ自体の持つ攻撃力は微々たるもので、本来の活用法は、それを陽動に攻撃を仕掛けるというものだが――。
「爆ッ!!」
眼前で破裂した魔力球は容易に俺を吹き飛ばし、その場から離脱させた。俺は激しくもんどり打って地面を転がり、壁にぶつかって停止した。即座に顔を上げ立ち上がる。
そして目を見張った。なんと、つい数瞬前まで俺がいた地表が……見事にかじり取られていたのだ。そこだけが不自然に掘削され、浅い溝になっている。
無意識に膝が笑ってしまっていた。
「……ハハ、マジか」
先ほどエイルは、魔物が二匹いると言った。そしてまず一体が消え、続いてもう一体の反応も無くなった。あの不思議な現象のカラクリが今ようやく解けた。
喰ったのだ。こいつが。《リトルエント》を。
そして、エイルが擬態中のミミックをモンスターであると見破れなかったことも考えると、すべて辻褄が合う。
「俺は木みたいに簡単にはやられねぇよ……」
その言葉に答えるように、ミミックが閉じた口から無数の鋭牙を剥き出して、きしきしきし、と見た目に反してコミカルに笑ってみせた。
俺はそんな敵を睨み付け、剣を体の正中線に構えた。
「……来い」
そのとき、まるで俺が呟くタイミングを狙ったかのように、ミミックが口を大きく開いた。同時に、ヤツの正面に同心円の光の膜が出現――。
それを形成する古代文字の連なりは、魔法発動エフェクト以外の何物でもなかった。
「冗談だろ……」
宙に浮き出た魔法陣は薄青く洞窟を照らし出し、のちに収束する。ギュルッと周囲の空気を巻き込みながら、宙に浮遊する幾数の氷柱へと姿を変えた。
氷柱と言っても、スキー場などで見かけるような簡単にポキポキ折れるそれではない。その一本一本が直径20センチに及び、三本も直撃すれば恐らく俺のHPなど消し飛ぶだろう。あまりの太さゆえ、鋭く尖ったラグビーボールのようにも見える。
魔法による冷気か、それとも恐怖からか、胸の奥をひやりと冷たい手が撫でた。
ミミックが、俺が対抗策を見つけるより先に、ばたんっと口を閉じた。直後、凄まじい速度で撃ち出される氷柱たち。気付いた時には氷の切っ先が鼻先数センチまで迫っていた。
「――ッ!?」
あの数、そしてこのスピード。
受けきることなど到底無理だ。咄嗟にそう判断を下した。俺は足が折れるかと思うほどの力で床を蹴り、右方へ身を投げ出した。
しかしその寸前、迎撃か回避か、この二択に対して生まれた小さな逡巡が、初動を僅かに遅らせてしまった。瞬きすらも命取りとなり得る一瞬――。そんな極限の瞬間において、俺が抱いた迷いはあまりに巨大過ぎた。
ガガガガガッ!! と立て続けに音を立て、氷柱の嵐が壁に着弾した。砕け散った氷の破片が四散し、頬を掠める。
肩から横向きに着地した俺は、すぐさま立ち上がる――つもりだったのに、突然ガクンッと視界が振れ、そのまま地面に突っ伏してしまった。
何故。
訳も分からず自分の足元に目をやり、そうして俺は初めて気が付いたのだった。己の足が無くなっていることに。膝から下が、ものの見事に消え失せていることに。
その時――。
唐突に視界が暗くなった。巨大な影が俺を覆った。
どうする? また魔力球で吹っ飛ぶか。いやダメだ間に合わない。なら他にこの場から離脱する方法は? 魔剣技の衝撃を利用しようか。はは、魔力球の生成が間に合わない時点で、そんな余裕があるわけねぇな。なんて言うんだっけこういうの? ああ、詰みだ。
「はは……死んだわこれ」
意識が、途切れた。
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