第19話 誤った判断。
「あれ、朝妃とシェーラは何層で狩ってんだっけ?」
それぞれ後衛と前衛になるよう分けた結果、このようなペアとなった。そもそも俺と朝妃は、この世界では習得困難とされる魔法や魔剣技の会得が武器を装備するだけで可能なため、特別な修練を必要としない。
それゆえ学ぶべきは、技よりも戦い方そのものという訳である。
「あー……うーんと、確か24層だったかな? 今日は《マッシュルーマン》が相手って言ってたから」
「そりゃまた随分と上ですこと。朝妃やる気あんのかあいつ……」
「だからー、トーマくんが下すぎるんだってば」
五十一層へ下りた俺たちは、そんな緊張感の無さげな会話をしながら迷宮を彷徨っていた。
とは言え、決して油断をしている訳ではない。獣人族のケモ耳にはモンスターを感知するという特殊能力が備わっており、つまりエイルのキツネ耳が反応していない内は近くにモンスターがいないという事なのだ。
「そういや、まだここの敵が何なのか聞いてなかったな」
「そうだったっけ? 五十一層は、えーと……たぶん《リトルエント》だと思う」
「ほーん、なら主に火属性技を使えばいい訳か」
《エント》というのが歩く大木みたいな外見のモンスターなので、《リトルエント》はその若木バージョンといったところか。……まぁどっちにしろ、実際に見たことは無いんだけど。
と、丁度そんな話をしていたとき、エイルのキツネ耳がぴこーん、と妖怪アンテナよろしくモンスターを察知した。
「魔物……55イード(約50メートル)は離れてるけど」
「おけ」
背中の鞘から剣を抜き放ち、いつでも戦闘態勢へ移行可能なように準備をする。50メートルというと、だいたい次の次の角を曲がった辺りで視認出来るだろうか。
不意打ちができれば簡単で良いな、などというお気楽なことを考えていたからという訳でもかなろうが、不意に、エイルが俺の進行を制止した。
「……どした?」
「二体いる――……あれ、一体消えた……? あ、待って。二体とも消えた……」
「はぁ? 何だそれ。他にも攻略者がいるってことか?」
「分かんない。それ以外には考えられないけど……でもこんな深層まで潜れる人は限られてるし……」
「あー……まぁ取り敢えず行ってみるしかねぇか」
それまでよりもいっそう慎重に、エイルが魔物の存在を感じたという方向へ歩を進めた。
俺は実を言うと、五〇層から一つ下なだけでこんなにも雰囲気が違うものなのかと、かなり驚愕していた。五〇層とは比較にならないほどの重苦しい空気が充満しているのだ。肌に刺さるような威圧的な空気が。
さっきから軽い調子で喋っているのも、半ばこれを紛らわす為と言っても過言ではない。
それでも俺たちは足を止めなかった。いや――止められなかった。ある種の怖いもの見たさというやつだったのかもしれない。この先に一体何があるのか、単純に知りたかったのだ。
そうして辿り着いた先にあったのは、行き止まり。たが単なるそれではない。
幅15メートル程度のやや広めの矩形の空間と――。
ひっそりと鎮座する、巨大な《宝箱》。
「すごい……」
エイルは感嘆の吐息とともに、そんな言葉を吐き出した。先ほどまで感じていた謎の圧迫感など、もはや意識の外にあるように。
「なぁエイル、あれは止めといた方が良いんじゃねぇか」
「トーマくん何言ってるの! あれだけあれば、王都は数年間は安泰だよ!?」
信じられない! とでも言いたげに、エイルが彼女らしからぬ興奮した様子で捲し立てた。
攻略者の最終目的はダンジョンの攻略ではなく魔石収集なのだから、エイルがはしゃぐのも理解は出来る。
先ほど俺が倒したミノタウロスだが、あの一体からドロップする魔石もせいぜいビー玉程度のものだった。それを思えば、幅150センチ・高さ100センチの大箱いっぱいに入っているだろう魔石は、まさに宝の山。
しかし――。
「この階層はもうエイルたち自身で攻略したんだろ? だったら、こんなにでかい宝箱を見つけ損ねてるはずは――」
「トーマくん、それは考え過ぎだよ……。私たちだって完璧じゃないんだから、きっと見落としぐらいあるってば」
それを言われてしまったら、根拠の無い俺には、もう何も言い返せない。けれど俺などよりよほど敏感であるはずのエイルが、危険をまったく感じていない訳がないのだ。
「……だったら、まずは攻撃してみる。中身を確認するのはそれからで良いだろ」
「それなら……」
と小さく首肯してから、エイルは宝箱から距離を取った。
一方の俺は、エイルと入れ替わるように宝箱の前に立ちはだかると、手にした剣を水平に構え、腰を低く落とす。ごく短い時間だけ俺もエイルも動きを止め、微かな耳鳴りすらするほどの完全なる静寂が訪れる。
どこかで、ぴちょんっと雫が滴り。
その余韻が消えきるか否か。
俺は剣を薙いでいた。僅かに遅れて、ズバァッ! という歯切れのいい斬撃音が響いた。
宝箱の表面に鮮やかな深紅のラインが刻まれ、血液の代わりに火花のような光芒が飛び散った。その向こうで、ぎぎぃと木の軋る音とともに宝箱が口を開ける。
そう。まさしく口だった。比喩ではなく。
開ききった箱の縁にはずらりと鋭い歯が並び、大量の《魔石》――無色透明の水晶が内蔵されていると思い込んでいた箱の中には、吸い込まれそうな闇が、黒が、どこまでも広がっていた。
俺が攻撃したことが引き金となったのか。いや、おそらく普通に開けていても同様の結果となったに違いない。いつの間にか宝箱の上部空中に浮かび上がった文字列を認識した俺は、体中の毛穴と言う毛穴から冷汗が噴き出るのを感じた。
「嘘だろ……」
レベル87モンスター《喰箱(くいばこ)ワープミミック》。
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