第11話 偶然の重なり。

 俺に続いて水中から浮かび上がってきた朝妃がゲホゲホと激しく咳き込んだ。俺も、鼻から水が入ってヤバい。喉の奥がめっちゃ気持ち悪い。取り敢えず水から上がりたい……。

 と、その嫌な状況から逃れたい一心で、水を掻いて近くの陸に這い上がった。

 ぱたっと大の字で仰向けに寝転がって、ゼェゼェと息をする。それからひときわ大きく空気を吸うと、情けない泣き言と共に一気に吐き出した。


「だぁ~~死ぬかと思った……」


 実際、死ぬ寸前ではある。視界端の俺のHPバーは既に九割を失い、残った僅かな幅は瀕死を示す赤に染まっている。

 だがまぁ、それも幸運といえば幸運だろう。

 リアルワールドなら、いくら水と言えどあの速度で落ちれば死に至るのが普通だが、アナザーワールドでは挫傷裂傷が存在しない。つまり、純粋に着水時の衝撃によるダメージがHP残量を下回れば、死ぬことはないのだ。


 遅れて水から上がってきた朝妃も、俺の隣に同様に寝転がると、それまで抑えていたものを解き放つように驚嘆の声を上げた。

「びっっっくりしたぁ~~~~!!」

「お前は何もしないで落ちただけだけどな……」


 本当、こいつの所為で落とし穴に引っ掛かったのに、俺が大変な思いをするっておかしくないですかね? ……ちょっとこれは、一度ガツンと言ってやらんといけませんねぇ。と、散々文句をぶつけてやろうと意気込んで朝妃の方へ顔を向ける。

 がしかしそれよりも先に、彼女がそっと言葉を述べた。


「うん……。だから、すっごいありがと」


 言ってからこちらを向いて、ふっと可愛らしい笑みを零した。

 気恥ずかしさの欠片も見せず、真っ直ぐに向けられた感謝の一言。予期していなかった事態に、俺は開きかけた口を閉じるのも忘れて一瞬固まってしまった。そして朝妃の怪訝そうな眼差しを受けて我に返る。


「……あー、まぁ、うむ」


 照れ臭くなって顔を逸らしながら、応答した。くっそ、すっかり毒気を抜かれちゃったよ……。まただ。何故かは分からないが、昔から決まってこうなるんだよなぁ。

 何かある度に怒ろうとするのだが、毎回この素直さに負けてしまうのだ。うーん、もしかして俺ってば結構あまちゃん……? この分だと、そのうち潮騒のメモリーズとか歌い出すかもしれん。

 と、俺は冗談で面映ゆさを隠しつつ、濡れて一段と重くなった体を持ち上げた。一度大きく伸びをしてから、ぐるりと周囲を見回した。


 ほんのりと青く発光する不思議な壁と、その光を反射して薄青に彩られた綺麗な水。ドーム状の天井には点々と穴が開いており、内一つから俺たちは落ちてきたのだろう事が窺える。

 そのまま視線を頭上から背後へと流し――そして俺は、はっと息を呑んだ。


 円形陸地の真ん中に、直径5メートルほどの穴が口を開いていた。だが俺が驚愕したのはそれに対してではない。

 穴を挟んだ丁度反対側あたりに、人間が横たわっていたのだ。

 うつ伏せに倒れていて顔を確認することは出来ないが、何より美しいブロンドの長髪が目を引いた。すると朝妃も気付いたらしく、驚声を上げる。


「人が倒れてるっ!? ……女のひと?」

「かどうかは分からんぞ。ファンタジー世界じゃ、金髪ロン毛の超イケメンってのもよくある話だ」

「別に何でもいいし。ってか、早く助けないと!」


 朝妃はちょっと怒ったように言い放ち、何の迷いもなくの者へと近づいて行った。

 ……こういうところだよ。驚くほどに真っ直ぐで、率直で、素直で。そりゃあ勿論、倒れている人がいたら助けるってのは人として正しい行いだ。けど俺は、もう少し慎重に、警戒心を持って行動を起こすべきだとも思う。いつか、この性格が仇になる日が来ないと良いが……。


 小さな溜め息を漏らしてから、何があっても即座に対応できるよう軽く身構えつつ、俺もゆっくりと朝妃を追った。

 結果を言えば杞憂に終わったのだが……。それより、そっと頭に手を添えながら朝妃が仰向けに直したの素顔を目にして、俺はしばし息を止めることとなった。


 めっちゃ可愛かった。

 そんな陳腐ちんぷな言葉で終わらせてしまうのが、申し訳ないほど。容姿端麗という四字熟語は、この少女のためにあるのではとすら思ってしまうほど。

 歳は俺と同じか或いは少し上――18歳程度だろうか。小さいが決して低くはない鼻と、艶めく桜色の唇。薄くかかった前髪の下で閉じられた瞳は、それでも十分に大きく感じる。かと言ってその顔立ちは日本人寄りのもので、強いて言うなら肌の色も、白というより健康的なペールオレンジに近い。


「死ぬほど可愛いですやん……」


 と、我知らず俺が零した呟きに、朝妃がなにやらギョギョッと反応した。さかなクンかよ。


「そ……そお? そんな言うほど可愛くも、なくない?」

「はぁ? お前それ本気で言ってんならいっぺん眼科行った方が良いぞ。こんな美少女がうちの学校に転校して来たら、初日に告られるわ。つーか俺が告るわ」

「冬馬が告るんだっ!? ……えっ……てことは、この人が起きたら……え、どうしよ……」


 一体何にショックを受けているのか、朝妃が微妙に顔面蒼白になってぶつぶつと呟き始めた。

 その内容を聞き取ることは出来ないが、うーん、まぁどうでも良いや。

 そんなことより、倒れている人が超絶イケメンだったら放っておこうか、とも思っていたのだが、超絶美少女だったら話は別だ。何とかして助けないとっ! 学校でやり方を教わった心肺蘇生法がこんな所で役立つとは思わなかったぜ! 下手すると、人工呼吸と称してキスもワンチャンある!

 とか思いながら首筋に指を当てると、普通に脈があった。息もしていた。

 返事はないけどしかばねじゃねぇな。


「……ただ気を失ってるだけみたいだし、暫くしたら目ぇ覚ますんじゃね」

「何で若干ガッカリしてるし」


 そこはかとなく不満げに、朝妃がツッコミを入れてきた。

 別にガッカリはしていない。流石の俺も、人が無事だったことで気落ちするほど不謹慎ではない。いや、キスとか言ってる時点で不謹慎かな? 不謹慎だね。

 と、俺が己の人格的な不甲斐無さに落ち込んでいると、ひょいっと朝妃が顔を覗き込んできた。


「……どうする?」

「どうするってお前……、この女子が起きるまでしばらく待つしかないだろ。二人ともHPほぼ無いし、ここに放置したまま俺たちだけで下に降りる訳にもいかんでしょ。それに装備が結構豪華っぽいし、それなりの有名人ならもしかしたら助けが来るかもしれん」

「それは……そっか」


 一見納得したようにも見えるが、その表情はどこか浮かない。お前こそ何でガッカリしてんだよ……。なに、もしかしてもっと冒険したかったの? 少年漫画の主人公なの?


「ふあぁ~~」


 不意に、朝妃が片手で口元を抑えたかと思うと、一つ大きな欠伸をかましてみせた。

 結構な危機的状況にあるというのに随分と正直な身体だ。とは言え、修学旅行中の朝は結構早いもので、今朝だって6時に起こされた上、事故に遭ったあと今までほぼ休憩なく動き続けているのだから、疲れるのも無理はなかろう。

 だから、夜は恋バナなんぞせずにさっさと寝ろとあれほど……。かく言う俺も、消灯後に布団の中で狩猟に勤しんでましたけどね。


「眠いなら寝て良いぞ。この後何があるか分からんし、寝れるうちに寝とけ」

「うん……ごめ、ちょっと限界かも……」


 既に、とろんと半分ほど瞼を下ろした朝妃が力無げに応答して、地面にこてっと体を横たえた。しばらく様子を見ていると、1分もしない内にすうすうと静かに寝息を立て始める。

 ――うわぁ……。

 これヤバいです! 美少女二人が並んで寝てるとか、ちょっとした世界遺産ですよ! どれくらいヤバいかっていうと、だいたい八倍くらい! ヤバい!


 そんな益体もないことを考えていたからというわけでもなかろうが、今更にして、気を失っている少女の向こう側に剣が落ちていることに気が付いた。柄や鍔に装飾が施された細身の剣が。

 そこで、幾つか疑問に思っていた点が、俺の中で一本の線に繋がった。


 一つ――俺のレベルは何故上がったのか。

 解:落ちてきた際に剣を突き立てたあの青いのが、モンスターだったから。


 二つ――だとすると、超高レベルだっただろうそのモンスターを、何故俺が倒すことが出来たのか。

 解:先に交戦していたこの少女がHPを減らしておいてくれたから。


 三つ――この少女は何故倒れていたのか。

 解:恐らく、その戦闘で力尽きてしまったから。


 とは言えこれらも推測に過ぎず、真相はこの子が目を覚ましてから聞けば分かることだ。俺はいっぺん立ち上がって彼女の向こう側に回り込むと、何気なく剣の柄に手を伸ばした。俺のものではないが、どうしてか、中身だけ放置というのも落ち着かなかったのだ。

 で、ビビった。

 何にって、その重さに。華奢きゃしゃな剣身から明らかに片手用と見受けられるのに、両手で握った上に地面と垂直にしないと持ち上がらない。体感的に、金属バットを五本ぐらいまとめて持ってるような気分だった。


「こんなん振れるかよ……」


 しかし少女が特別筋肉質という訳でもない。つーか流石にこれは、体重移動云々でどうにかなるもんでもあるまい。

 レベル55のモンスターが出没するような場所に一人でいるのだから、この少女はかなりの手練なはず。だから所持武器もそれなりのレア物だろうし、だとすれば剣が重く感じるのも単純に俺のレベル不足ゆえだろう。

 俺がその剣を主人の鞘にそっと滑り込ませてやると、剣は、チンッと満足そうに音を立てて納まった。


「んじゃま、俺もちょっと休ませて頂こうかしらっと……」


 誰にともなく独りごちた呟きが、青い壁に反響しながら虚しく消える。

 なんかドキドキしちゃうので、女子二人から少々距離を取ってから腰を下ろすと、俺はそのまま自分の腕を枕にぐでーっと寝転がった。それまで張り詰めていた反動か、横になった途端、急速に意識が遠退いていくのを感じる。

 そして、魔物が一匹、魔物が二匹と数える間もなく、俺は夢の世界へと旅立って行った。






 それからどれほど経ったかは分からない。

 ふと目を覚ました時、俺が眠りについた折とは打って変わって、女子二人の何やら楽しげな話し声が洞窟内に響いていた。

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