第05話 特別な存在。

「それじゃあ……合計で1万8千イリスだな」


 提示された金額を支払うため、俺と朝妃は宙に指を走らせて既に慣れた手つきでメインメニューを展開させた。右の角に表示されている所持金表示をタップすると、【オブジェクト化する金額を入力して下さい】という文言と共にテンキーが表示された。

 そこに【9000】と打ち込み決定ボタンを押す。同時に、どこからともなく現れた巾着袋がカウンターの上に落下して、ドチャッとくぐもった金属音を立てた。

 見よう見まねで俺と同様の操作をした朝妃の前にも、巾着袋が出現する。


「これで1万8千イリスあると思うんすけど……」


 金額を入力する瞬間を見ていただろう事を承知の上で、一応店主のオヤジにも確認するよう促した。

 しかし彼がそのお金に手を伸ばす様子は無く、カウンターに手を突いたまま何やら凍り付いたように固まっている。

 怪訝に思った俺が見上げて彼の顔を覗き込むと、口をあんぐり開け、度肝を抜かれたような表情をしていた。その厚めの唇がゆっくりと動き、震えた声で一つの単語を口にする。


「…………窓……」


 咄嗟に、それが俺と朝妃の《メインメニュー》の事を示しているのだと直感した。

 ――だが何故そこまで驚く? ウィンドウなら他の人間だって開いて……。

 いや、違う。


 周囲を見回しながら頭を巡らせて、その考えが誤りであることを悟った。そう――……すぐ隣の道具屋でも、販売者と消費者による同様のやり取りが行われているが、客が代金を支払う際、硬貨を取り出したのは財布からだ。


 ウィンドウ――すなわち《窓》を開くことが出来るのは、俺たちだけ。


 その事実に気付くのが少しばかり遅かった。

 どう言い訳をすべきか、そのたった二、三秒の一瞬で幾つもの案を思い浮かべては、己で否定するという思考を繰り返す。

 だがその時、ギルド本部の、ここから然程遠くない入り口の方が突然騒がしくなった。


「いました! あそこです! 今まさに《窓》を開いてます!」


 目を向けた先で、一人の見知らぬ男がこちらを指差しながら、大声で外にいる何者かを呼び寄せている。

 そこにいたほぼ全ての人間の視線が彼に集中する中、続いてガチャガチャと金属音を鳴り響かせながら、数人の男がギルド本部に駆け込んできた。

 その全員が帯剣し、銀に輝く美しい鎖帷子くさりかたびらを纏っていた。


「……っ!!」


 街中で堂々と武装し、しかも集団で行動している。

 そんな役柄はきっとどの世界にも一つしかないだろう。騎士団か衛兵団か、名称は様々に思い付くが、いずれにしろ彼らが警察的組織の人間である事は明白だった。


「朝妃、行くぞ!」

「え!? ちょ、待っ――」


 即座に体の向きを変えて、朝妃の手を取り駆け出した。もう片方の手に買ったばかりの武器を携えて――。

 背後から制止の声が響いてくる。

 だが知ったことか。この状況下で、待てと言われて待つほどのポジティブシンキングは、生憎持ち合わせちゃいない。


 もともと距離が開いていたことと、相手が鎧を身に着けているのに対してこちらが身軽なことが幸いしてか、追い付かれるようなことはなかった。このまま別の出口から外に出られれば、撒ける。

 という結論の下、エントランスホールから左右に延びる幅広の回廊へ足を向けた。


 きっと、その時点で考え得る最良の選択を俺はしていたはずだ。

 しかし運命の女神は俺たちの味方をしてはくれなかった。

 廊下を駆けて行った先にあったのは、窓も見当たらない石壁の行き止まりと、巨大な南京錠によって封じられた両開きの大扉が一つ。


 けれどどう考えても、それは出口ではなかった。何故なら折れ曲がった廊下のに設けられたものだったから。どうにかして扉を開けたとしても、十中八九ただの部屋だ。

 俺はその時、思わずその場に立ち尽くしてしまった。


「くそ……っ」

 という、俺が吐き捨てた悪態に重なるように、再び後方から追手の叫び声が反響しながら届く。

「いたぞっ! あそこだ!」

「君だち! 逃げないでくれ!」


 こういう時、中途半端に知恵が回るというのも困りものだ。どう考えても俺たちが取り得る選択肢は一つしかないのに、わざわざ瞬時に幾つかの可能性を思い浮かべてしまう。そしてそれらを同じく即座に、論破、排除して。

 果たして、頭の中に残された道はやはりたった一本だけだった。


「朝妃、ちょっとこれ持って離れてろ!」


 抜き放った剣を右手に。中身の無くなった鞘を朝妃へ放り投げる。

 剣の柄を両手で握り、腰だめに構えた。生まれてこの方、真剣を手にしたことなど一度たりとも無いのに、何故だか出来る気がした。まるで自分自身と剣が融合し、一本の刃と化したかのような感覚が体中を満たす。


 全身がかぁっと熱くなる。まるで己の内で火炎が燃え盛っているよう――。

 それを意識するか否か、我知らず俺は床を蹴っていた。

 ほんの一瞬、一秒にも満たないごく短い時間だけだったが、刀身が白く閃いた。それは反射光ではなく、剣自身による発光。


 次の瞬間――扉を封じていた錠前に、剣の切っ先が突き刺さった。


 ここがリアルワールドだったなら、剣はそこで止まっていただろう。不快な反動に襲われ、俺は痺れた腕を抱え込んでうずくまっていたかもしれない。だがそんなイメージなど、俺の脳内には一欠片すらも存在していなかった。

 剣尖がその速度を減することなく、更に深く鍵穴へと食い込む。パキィィン!! という快音を鳴り渡らせて、錠前を真っ二つに断ち割った。


「冬馬っ!」


 俺を呼ぶ声がする。服の背中の辺りを掴まれた感覚があったが、しかし扉を開け放った事により勢い余って、前方へつんのめってしまう。

 扉の向こう側がどうなっていたかははっきり覚えていない。

 ただ、扉をくぐった瞬間、床全体が強い輝きを放ったことだけは確かだ。


 そののち、視界が黒く染まった。

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