第19話 魔王城撤退作戦 合流編

 フレイヤは叫ぶ。マルコシアスが敗れたことは、魔王軍に動揺を与える。それゆえ、敢えて戦場に響き渡るように声を張り上げる必要があった。

「マルコシアスの首、勇者が貰い受けた!」

 そしてそれは、同時に仲間(特にベレト)への合図でもある。陽動作戦もあって混乱していた戦場が、一時的に仇討ちなどの感情に支配される恐れがある。

 それにマルコシアスが敗れたことで、かえってフレイヤを包囲しやすい状況になっている。包囲されて倒されるかはともかく、今はまだこれ以上消耗したくはない。実は作戦はまだ終わっていないのだ。

 撤退を始めているスケるんたちへ、出来ればこの中で何人かが合流する予定となっている。なにせ、他の幹部が皆情報戦や連携を軽視する傾向が強い。僅かな例外はマルコシアス位だったし、マルコシアスとて機動力を活かして他の軍勢の弱点を補うなどがせいぜいだった。

 結果として、情報戦や他の軍勢の支援などはベリアルの軍勢の負担が大きかったため、結果として戦闘力を重視した者をそれほど多くは編成出来ていなかったのだ。それが今になって裏目に出ている。

 それ以前の問題として、ベレトの限界が近い。リンドヴルムでなければ三人が同時に高速移動出来ない以上、どのみちベレトの魔力が尽きる前に撤退しなければ、脱出の手段が無くなる。

「ベレト、ベリアル! 撤退するよ!」

 そういうと、フレイヤは一気呵成に指揮官の仇討ちをしようとするマルコシアスの部下たちを、霊気刃エーテルブレイドで血飛沫をぶちまける肉塊へと変貌させながら、リンドヴルムの背中へ跳躍した。




 ベリアルは、実に残念そうに溜め息をついた。マルコシアスを逃がすことなく討伐する必要があったフレイヤとは違い、オリアスの相手をしていたベリアルは、別に無理をしてオリアスを倒す必要はなかった。それに、実はオリアスにとって、ベリアルはあまり相性がいい相手ではない。ベリアルの方がごくわずかながら素早い上に、碧水晶の大剣は堅牢かつリーチにも優れており、オリアスでは破壊も防御も出来る代物ではない。

 だからこそ、戦い方も含めれば溜め息をつくだけの余裕が十分にある。

 ベリアルが溜め息をついた理由は、二つある。

 一つは、マルコシアスの死だ。敵となった以上手加減するつもりなど毛頭なかったが、マルコは他の幹部よりは遥かに協調性があり、堅実だが無難な指揮によって他の軍の弱点や隙を補うなど、地味だが有効な働きをしてくれていた。他の幹部よりは、遥かに愛着があったのだ。

 もっとも、その働きが今後人間相手に発揮されていれば、人間が迎撃態勢を整えられない速度で接近し、包囲網が完成する前に離脱する、単純だが極端に効果的な電撃戦などを展開されていただろう。フレイヤはそれを警戒していたのだろうし、ベリアルもそれを認めていた。ゆえに叩かねばならなかった。しかし、思想を同じく出来る要素があれば……と感傷に浸ってしまう。

 もう一つは、オリアスを八つ裂きに出来なかったことである。オリアスはマルコとは正反対で、自軍に被害が出ようと相手を先に殲滅させればいい、というような思考回路であり、味方の軍を積極的に援護出来る軍でありながら、それをする気が一切ない。しかも、自身が問題行動をよく起こす。

 オリアスは猪突猛進が過ぎて、ベリアルの軍が何度も援護やカバーに回ったか分からない。ところが、それに感謝するどころか気付いていない節すらある。最低のバカ野郎だ。

「お前を殺せないのが、本当に残念でならんが……」

 ベリアルがドスのきいた、凄みのある声を出す。いっそのこと、怒りに任せてそのまま戦ってしまえたら良かったのだが、残念ながらベリアルはそこまで感情まかせで戦えるほどには、指揮官としての責務を軽んじられない。

 それに、ベレトを撤退させるのにはベリアルが必要だ。リンドブルムに素早くベレトが搭乗するには、ベリアルの飛行能力による補佐が必要であり、更に次の作戦もある。作戦上は、オリアスなどには固執していられない状況なのは、即座に理解出来てしまうのだ。

「待て、ベリアル! 貴様、絶対に許さ……!」

天と魔の融合せし審判の碧き斬撃サタナスラッシュ!」

 オリアスの言葉は完全に無視した。今のベリアルの背中には、悪魔の翼一対と、天使の翼一対が存在している。この状態を維持できるのはごく短時間だが、その分発揮できる力は絶大だ。

(余力も残さんといかん以上、オリアスは倒せんだろうな……)

 実に残念だが。とはいえ、とても無傷では済むまい。現状はそれで満足しておくことにしよう。

 ベリアルが正眼へ構えた碧水晶の大剣から、碧き破壊の奔流が放たれる。それと同時に、ベリアル自身が反動で吹き飛ばされないよう、翼から後方へ向けて不可視の力場が発生する。

 本来なら、その反動を相殺するための力場で地面が崩壊することも有るのだが、今回は余力を残すために威力を下げているので、そのようなことは起こらなかった。碧い輝きの奔流は、絶え間なく飲み込んだ者を斬り裂くが、巻き込んだはずのオリアスに対して手応えを感じない。

(やはり死なないか……丈夫な奴め)

 半ば諦めていたので、あまり落胆はしなかったが。他の魔族たちは、その圧巻と言える光景に畏怖し、動けないでいる。なにせ、ベリアルはほとんどこの技を見せたことがない。今になって、ベリアルの切り札を始めて見たものの方が大半なのだ。

「撤退するわよ、ベレトちゃん!」

 大剣から放たれる輝きが消失するのと同時に、ベリアルはそう叫んだ。ベレトは既にベリアルを待つ態勢が整っていたので、両者ともに手間どりはしない。


 そして、リンドヴルムは翼を広げ悠々と天へ昇っていく。もはや魔王軍の中で、それを止めることが出来るものはこの場にいなかった。


 しかし、作戦は万事順調だったかというと、そうとも言えない状況だった。

「予想より時間がかかってしまった。これでは、全員で撤退戦の支援に向かうのは無理だね」

 特に消耗が激しいのは、ベレトだ。しかし、いくら幹部クラスの力量同士の戦闘に割って入るのが難しいとはいえ、配下の動きを牽制するためにリンドヴルムを全開で戦わせていたのだから、元々ベレトに負担が大きかった作戦である。むしろ当然の結果だった。

「そう上手く行くとは想定してなかったけど。やっぱりプラン通り、フレイヤたんだけをしんがりに加えるしかなさそうね」

「ベレトは既に限界に近いし、君以外は飛行出来ない上に、念話で作戦の経過報告を聞けもしない。君が運べるのは一度に一人となれば、私が行くのが順当だろう。幸い、オーバードライブを使わなければまだ戦える余力はあるよ。幹部級がいないことを祈っておくか」

「このまま全員で、一旦撤退目標地点へ向かうっていうのは?」

「私も出来れば楽をしたいけれど、おそらくベレトが持たないだろうし、撤退中に追撃を受けずに終わるというのも、虫が良すぎる話だと思うね」

 その言葉に、ベリアルはベレトを見つめる。ベレトはさっきから会話に参加していない。本当にリンドヴルムの制御で手一杯なのだ。これでは、長時間飛行させるのはどのみち厳しい。

 さらに、フレイヤがスケるんに渡したという、例の魔術トラップの件もある。ベリアルにはアレを習得する適性がなかったため、スケるんがしんがりでアレを使っているとなると、フレイヤでなければかえって連携が出来ないかもしれなかった。

「じゃあ、骨野郎は任せるわね。ああ見えて、良いやつだから」

「彼、結構興味深いよね。了解したよ」

 その会話を聞いていたベレトは、最後の力を振り絞ってリンドヴルムをベリアルが案内する通りに飛行させる。


 まだ戦いは、終わっていない。勇者には、撤退戦の支援が待っている。

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