第6話 子孫補完計画

 フレイヤ=アイピーエースはベレトの腹に触れて、研究の過程を調べている最中だった。

「うーむ……卵子まで到達している数が、想定より遥かに少ない。細胞の生命力強化が課題かな。これだと当分、妊娠はしないと思うよ」

「……お前……私にとっては初夜だったというのに、朝まで寝かせなかった上での感想がそれか? 大体お前、なんか色々手際が良すぎじゃないか?」

 ベレトは息も絶え絶えといった風情でツッコミを入れてくる。正直朝まであえいでいたわりには元気だと、フレイヤは思わなくはない。というか、フレイヤとしてはむしろベレトが元気だったせいで、彼女との行為が終わったあと研究データの採取をするつもりだったのに、明け方になってしまったのだが。

「寝友達が結構いたから、経験は豊富……いた!」

「嫁の前で、浮気を告白するんじゃない!」

「はっは、いやだなぁ。寝友達との蜜月はベレトとの結婚前だから、浮気じゃ……痛いんだけど!」

「……なんかムカつく……」

 案外嫉妬深いな、とフレイヤは思う。結婚前は結構文句を言っていたが、夜戦(意味深)での反応と言い、実はベレトの方も結構まんざらではないのかもしれない。

(私は、今はベレト一筋なんだけどなぁ)

「いいさ。どうせ一晩で成果が出るとは思っちゃいなかった。人体の神秘は、なかなかどうして奥深いものだからね。それを簡単に再現できちゃ、むしろ面白くないね。もう服着てもいいよ」

 それだけ言うと、フレイヤは自分たち用のダブルベッドから、デスクワーク用の机に向かっていく。研究の内容が内容なだけに、彼女は寝室と論文をまとめる場所を、あえて別室にする必要を感じていなかった。

 ちなみにベレトと違い、彼女はとっくに服を着替えていた。ベレトの方は今まで服を着るような余裕がなかったようだが。

「しかし、論文を書くのは嫌いじゃないが、当分魔導師協会へ提出出来ないと思うと、なんだか筆が乗らないな……」

「……なあ」

「なんだい、愛しのベレトちゃん」

「まじで殴りたいから、こっちにこい! ……お前にとって、私はただの実験の道具か?」

「なんだい急に……いつになく真剣な表情で何をいうかと思いきや」

 フレイヤはベレトの方へ向き直る。ベレトの口調が真剣だったので、事態を軽くみたわけではないのだが、昨日からあれだけ愛してあげてまだ伝わらないのだろうか。

「いや、まあ抱くだけなら別に愛がなくても出来るし、私には寝友達がたくさんいるけどさ……」

「お前、殴るんじゃなくて刺すぞ」

 ベレトの怒気がさらにましたが、なぜ怒気が増したのかフレイヤには分からなかった。彼女にデリカシーというものは、あまり存在しないのである。

「私の研究、魔法細胞自体の原理は完成していて、試作品も出来ていたのに、どうして使わなかったか分かるかい?」

「なんでって……協力してくれる人間がいなかったからだろう?」

「見合うだけの金さえ払えば、別に妊娠したって構わないって人間、いくらでも居るよ。日々の生活にさえ困窮している民もいる現実というものを、少しはかんがみるべきだと思うね。」

 フレイヤはつい、少し説教臭い口調になってしまった。自分が弁解すべき立場だとは思っていたが、やはり王家の者たちには民の現実というものを、もう少し推し量って貰うべきだろう。比較的民に近いはずのベレトでさえ、こういう認識なのだから。

「……話が少しそれたかな。まあ、そういった人間も探せば見つかったと思うよ。だが、それはあえてしなかった」

「……どうして?」

「子供が生まれた時にさ、子供になんて声かけるの? 自分の研究のためだけに、人の親になる資格が誰にあるのさ?」

 そうして、フレイヤは自分の研究が中断していた本当の理由を、ベレトに語りだした。これはきっと、いつかは言わなければならないことだったのかもしれない。

「だから、本当に子供を一緒に育てたいと思った人間が出来るまで、研究はお預けにするつもりだった。そのせいで研究がお蔵入りしても、それはしょうがないことだろう。私と人間の尊厳にかけて、それは絶対守るつもりだった」

「……」

 ベレトは沈黙する。フレイヤは普段はおちゃらけているが、ちゃんと人間の尊厳なども考えている人間だった。なぜだか、その事実にほっとしている。

「そんなときに君に出会った。なんでだろうね。君となら、子作りしてもいいと思った……肉体カラダとか、夜乱れたら意外と淫乱そうで好みだったからかな?」

「いい話だと思ったところで、そういうことを言うんじゃない!」

「……まあ、君に一目惚れしたってことだね。君以外と子作りするつもりはないよ……今ん所は」

「最期の言葉が余計!」

 不用意な言葉でベレトの怒りをかったものの、どうやらこちらの気持ちは伝わったらしい。ベレトは以前よりは安心した様子で、こちらを見つめてきた。

「ああ、そういえば……論文の提出が出来ないって、どういうことだ?」

「あ……引っ越しの話するの忘れてた、ごめん。明後日には新居に引っ越しするから」

「なるほ……はぁ!?」




 ベレトは、今の今まで研究資材がやけに大量に運ばれてくるな、くらいに考えていたらしい。フレイヤはフレイヤで、新居に移転を決めたのはベレトが正式に嫁になった後だったので、そのときは結婚祝いでの移転も兼ねていたのだ。

 それがとある事情で、急いで移転を行う羽目になった。フレイヤは暇さえあれば新居の方を構築しに移動していたが、間取りなどを煮詰める時間が無くなったため、ベレトへの連絡をすっかり忘れていたのだった。頭脳に優れたフレイヤにしては、実に珍しい失態だった。

「まあ、研究資材も確かに補充してたから、建築資材の方に気づかないのも無理はないか。ごめん、思ったより急ぐ必要が出てね。思っていたより、精神的な余裕が無くなっていたようだ」

「そもそも、結婚祝いで新居に移転するのも珍しい気がするけど。急ぐ必要が出来たってなに? 寝友達が私の存在に怒って、襲撃に来そうだとか?」

「まあ、それもあるけど」

「あるのかよ!」

 実のところフレイヤは決してフザケて発言したわけではない。理由としては大した割合ではないが、そういった危険も考慮したのは事実だった。

「ただ、それだけで急ぐ必要はあまりないかな。人間だし知り合いだから手加減しないといけないのが面倒なだけで、昔のガールフレンドたちが来た所でそこまで危険というわけじゃない。死ぬほど面倒なだけで」

「面倒なのが嫌なだけなのか……」

 ベレトは呆れたが、それより遥かに重要なことがあるらしい。フレイヤはフザケた口調で重大なことを語ったりするから、あまりツッコミ過ぎてそれを聞き逃すわけにはいかないと、ベレトは悟りを開いていた。

「だがまあ、魔王軍にのは、大変まずい。いや、実のところ本来の引っ越し予定日はまだ先だったけど。なにせ、ここが特定される危険は考えないといけなかったからね」

?」

 フレイヤの発言は、大体が言葉のあやではなくて、しっかりと言葉を選んでいる。。ベレトは全く気付いていなかったが、もうこの居場所は向こうに知られている、ということだろうか?

「うん。向こうにも、人間に紛れることが可能なモノは少数だが居る。この前のサタナスがいい例だ。だから、地道に調査されてここが特定されることは考えていた。ただ……」

「ちょっと待って。サタナスって誰?」

「うん……? 君ひょっとして、サタナスとベリアルが同一の存在って知らなかったのかい? この前ベリアルと名乗っていた悪魔、たしかにベリアルではあるけれど、あの容姿はサタナスの頃のものだ。どうやら容姿を使い分け出来るようだね、彼女」

「サタナスについては、私は全然知らないんだけど」

「……ルシフェルと同じ、堕天した後に悪魔となった者だよ。美しい容姿が特徴の天使だ……ベットの上でのこと以外も、このさいだから色々と教えてあげるべきかな、ベレト」

「だから、どうして卑猥ひわいな言葉を入れないと気が済まないんだ、お前は!」 

 そうやって、顔を真赤にして怒る君が可愛いからだよ、とはフレイヤは口には出さなかった。ずれていた話を元に戻す。

「向こうにも優秀なのが居るらしい。ベリアルの指示かもしれないけど。彼女も相当切れ者だからね。ただまあ、まさかじっくり造ろうとしていた家の資材や、研究資材の流通ルートから、ここを割り出されるとは思わなかったな」

「そんなことが出来るの?」

遠見とおみの魔術だよ。それなら、人間に見つからない距離から街を観察出来る。それに、魔術の研究資材は特殊だから、遠見に反応しやすい物もある。建築資材はまだしもね。とはいえ、こちらが魔導師だと知られているとはいえ、まさか研究資材と建築資材が多く集まる場所を丹念に探らせて、ここを特定するとはね……ちなみに今も監視されているから、君は外には出ないように」

「……そうか、それは確かに一大事……ちょっと待て、監視っていつぐらいからだ?」

「本格的にここが監視されたのは、昨日の朝ぐらいかな。とはいえ、明後日にはもう引っ越し出来るから、特に問題は……」

「私たちの初夜も、見られてたんじゃないのか!」

「いや、向こうもこちらの肉眼で見えない距離での監視だし、第一ベッドは別に外からは見えないよ。君のあられもない姿とか、淫靡な喘ぎ声とかは別に聞こえてやしない……」

「刺す!」

 ついに、刺すぞという脅しではなく、断定型に変わったようだが、フレイヤは特に脅威を感じていなかった。というか、そこを気にするなら早く服を着るべきなのだが。眼福だから、もちろんそんな忠告はしない。

「まあ、今なら連中はおそらく仕掛けてこないよ。仕掛ける準備が整うには、ちょっと発見が遅かった。遠見していた連中がいたのは見えていたからね。念のために準備を早めて正解だった。向こうが戦力を整える頃には、もう新居に移れる。もっとも、向こうもそれは承知しているようだけどね」

 そこまで説明して、フレイヤは黙考した。魔王軍にも切れ者がいる。これからはベレトを守るために、細心の注意を払う必要があるだろう。

 子作りで忙しいのに、人の恋路と蜜月の邪魔をしおって。フレイヤは、そういうことに若干の怒りを感じていた。



 向こうからすれば『いや、そうじゃない』。そこは命の危機とか、魔王軍との戦いの行方とか、そういうものを気にするところじゃないのか、と言いたくなるような、そんなことを考えていた勇者であった。

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