第2話 また来年と言う約束

 アチキがそう叫んでから、槍を長刀を構える女性達が歩みを止めると俺はアチキに促されるまま、道の端っこ尻餅をついた。 

 

 それからの事は覚えていない……目が覚めた時、俺は神社の鳥居の所に腰かけていた。


次の日の朝、朝ごはんを食べてすぐに神社へ行った。昨日の事を確認したら帰るつもりだった。だから弁当は持って出なかった。


 神社に行くと、すでにあちきが居た。


「あちきは桃持ってきたのに」


 そう言ったアチキは大きな桃を二つ俺に突き出して見せた…………


 その日も結局、アチキと遊ぶことになって、昼にはおにぎりをつくってもらいに家に帰った。どうしてだろう。昨日はあんなに不気味だった神社がアチキがいるだけで、とても落ち着く場所に感じられる。


 随分と甘く良い香りがする大玉の桃を食べながら、 「また来年だ」とアチキが話し始めた。


 俺は「来年か塾行くから、来れないと思う」とそっけなく言うと、少しの間があってから「あちきが嫌いか?」とアチキが俺の顔を見つめていた。


「俺だって塾なんか行きたくないに決まってるだろ」


俺がそう言うとアチキの鳶色が輝いた。


「じゃあ、行くな。来年もここに来てアチキと遊ぼう」


「母さんがなぁ」 


 本心から言えば、俺もまた来年この田舎に帰りたかった。きっと従姉妹の多くも来年からは帰って来られないと思う。だけど、俺にはアチキが待っていてくれるから……


「桃……」


「桃?」


「桃、もっと沢山持って来てやる。美味しい桃だけ喰わせてやる」


 突然アチキが立ち上がって、大きな声を出したものだから俺は驚いた。


 でも…………

 

 その年の夏が終わって、次の夏休み、俺は塾の夏期講習で教室に缶詰になっていた……次の年も……次の年も……


  ◇


 田舎の土を踏むのは、何年ぶりになるだろうか。車窓からの風景も随分と変わったもものだ。駄菓子屋が潰れてコンビニになり、木造だった病院が鉄筋コンクリートになっていた。


 だが、田舎の家は相も変わらず、便所はくみ取り式で、土間は涼しく、たまに落ちて来る百足も超弩級であった。一つ大きな進歩と言えばエアコンが居間についたことぐらいだろうか。


 変わるから良いものもある。だが、変わらないからこそ良いものの方が断然多い。


 大学生最後の夏休みを迎え、同時に社会人への羽化に藻掻いている時節。私は田舎へ帰ることにした。社会人になればさらに数年はゆっくりと田舎に帰ることは叶うまい。加えて、祖母が入院をしたからでもあった。お見舞いも兼ねて。


 本音を言えば、持病の悪化した祖母は来年を迎えられないらしいのだ。母からそれを聞いた私は、田舎が無くなる前に、せめてもう一度だけでもと、幼少の思い出巡りをしに帰郷したのだった。


 道路は舗装されてあったが、相変わらず、自動車は1台も通ってはいなかった。私は誰の目を気にすることなく道路の真ん中に寝っ転がると、快晴の空を見上げて大きくあくびをしてみた。


 この島だけまるで時間の経過が他とは違うような感覚に陥ったのは、荷ほどきを終えてそのまま、い草の香りを鼻腔に惰眠を貪って縁側にオレンジ色が伸びて来る頃合いだった。そのまま二度寝を敢行して、宵の口過ぎにようやっと晩ご飯の買い出しに行くと、店と言う店が軒並み閉まっていて唖然としてしまった。頼みのコンビニも閉まっていた時には、晩飯は諦めざる得ないと絶望した。


 それが田舎ここなのだ。


 次の日の朝から幼少の頃の記憶を頼りに、ラジオ体操をした公園に行ったり、海水浴をした砂浜へ行ったりした。懐かしい風景を写真に納めて回るうちに、神社のことを思い出した。あんなに思い出深い神社をイの一番に行かずして、私はどこをほっつき歩いていたのだろうか……


「あちき……いるわけないか……」


 選果場はすっかり取り壊されていたが、神社は昔とかわらずそこにあった。鳥居の横に立ててあった立て札も居間では墨が落ちて何が書かれてあったかさえも窺い知れない。『男子禁制』立て札にはそう書かれてあったのだ。中学生の私には漢字は読めたが、それが差示す意味を知らなかった。


 アチキはいなかった。当然と言えば当然だろう。


 最後にここを訪れてから目線が数十センチ伸びた。それだけでも、随分と違って見えるから不思議である。私は賽銭箱に腰を掛けて、あの日の出来事を、アチキと食べたおにぎりと桃を思い出しながらシャッターを何度も何度もきった。


 ひょっとしたら……アチキはここに私が帰らなかった夏もここで私のことを待っていてくれたのかもしれない……根拠こそなかったが、そんな気がした……アチキなら待っていてくれた気がしてならなかった……


 私はそんなことを今の今まで考えたことがない。それはどんなに幸せなことだろうか……『待たせても待つ身になるな』今その意味の真が深が理解できたと思う。


 アチキはいつだって私を待っていてくれた。アチキはどんな気持ちで私のことを待っていてくれたのだろうか……


 見上げる空は青い。


 私は溜息をついた。今更ながらアチキに会いたくなったのかもしれない。哀愁の溜息を私がつくと、つむじ風のように境内に生えた雑草が激しく身を揺さぶった。


 それから毎日、散歩がてら神社の前を通ってみたが、アチキの姿を見ることはない。立て札の意味を知っている私としては、知りながら鳥居をくぐるのがなんとも心苦しく、ゆえに鳥居の外から境内を覗いていたのである。


 田舎に帰ってから、1週間ほどが過ぎた昼間。郵便受けに一枚の葉書が入っていた。


 宛名も住所も書かれておらず、裏には『明日、正午に神社に来られたし 』という一文と桃の絵が書かれてあるだけの葉書が…………


 だが、私はすぐにこれはアチキではなかろうか……と直感できたのである。 

 

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