第2話 失量減少器と聖遺物


 ペギュオッ!!


 火姫は直撃を確信した瞬間、反射で目を瞑っていて見ることできなかったが、シャイニーブルームを持つ両手に感じた衝撃と音により、に衝突したコンクリートの破片が砕けたことを認識することは出来ていた。コンクリートが砕ける音を聞いたのは人生で初めてだったが案外判別の付くものである。


 コンクリートは現代文明の基礎、何にでも使える万能の建材でとても固いものだと思っていたが、砕けてみると案外可愛い音がするものだった。

 問題はそこではない。


「痛くない……?」


 暫くして、恐る恐る火姫は目を開けたが、身体のどこにも痛みが襲ってくることは無かった。神経が切れてしまったのかと思って身体を見るといつも通り。


 無事だったのである。

 流し系、とでも言おうか。そんなコーディネイトのお気に入りの服には多少石灰岩がくっついているが、破けている部分は少しも無かった。恐らく打撲痕、裂傷などもないのであろう。コンクリートの破片が高速で飛んできて無事な人間がいるものだろうか。少なくとも火姫の知り合いにはそんな人物は一人も存在しない。


 ならばどうして無傷なのか。鎧を着た訳でもなく、人間をやめた覚えも改造手術を受けた覚えも、喋るフェレットから赤い宝石を貰った覚えもない現在の火姫が他の人と違う点はただ一つ。


 母親特性の「棒」を持っていることだけである。

 従って原因はこの棒、『シャイニーブルーム』であることは間違いないのだが、それは一体――

「どうして……?」


 呟いたのはそんな言葉だった。


 返されたのはこんな言葉だった。


「それは『シャイニーブルーム』が失量減少器だからよッ!」


 ……いまだに意味不明である。思考を諦めた火姫は、やっぱりママは天才、母娘と言えどもIQが違いすぎて会話にならないとはこの事だと改めて実感する。


「失量とは私が勝手に名付けたエントロピーの日本語訳でそのシャイニーブルームは周囲の熱エネルギーとして存在はするけれども「差」が無いから取り出せないもっとも乱雑なエネルギーを火姫の精神力で取り出して運用するというとってもエコな、いえ! 永久機関だと言っても良い! 因みに今のは今までに取り出したエネルギーによる多次元的な力学的干渉場の生成だと思うわ! なんたって火姫のイメージによって色々な現象が発動するんだから当たり前よね! その『シャイニーブルーム』は絶対に折れない! 火姫の気持ちに絶対に答えてくれるわ! ああ、傑作のあなた、私の手を離れて、火姫の元に巣立ってしまうのね……」


「何を言ってるの……!?」


 早口過ぎて分からなかった。一つ一つは理解できるような気がしなくはないが、思考が追い付かない。こんな時にどうして堂々と研究成果について語ることが出来るのか。辛うじて理解できたのはこの棒が情熱の塊であるということ、エコな事、そしてそれに助けられたことだった。


 モンスターが迫る今、何か便利に使えそうなことも察しはついたが……そのほかの言っていることがさっぱり理解できなかった。

(戦うのは諦めよう……初心者が出ても無駄だろうし)


 モンスターと戦えるのは〈聖遺物〉を操る〈勇者たち〉だけだ。それらに銃や爆弾はほぼ通用しない。刀や槍を試した人もいるらしいが、大した傷も与えることが出来ずに膂力で押し負け、数合で腕の骨が折れたらしい。それ故、何としても〈勇者達〉が来るまでモンスターから逃げなければならなかった。

 亜美があれだけ大きな声で喋れば、壁を破った強大なモンスターには既に気づかれているだろうという予測を立てた火姫は急かして言う。

「早く逃げよ――」


 その瞬間、穴から日が射していた廊下に影が射した。腕ほどある裁ち鋏のように長い嘴、両腕にある蝙蝠のような羽根、そして鉤爪。2メートルほどの体躯をもつそれの名前は……


『グゥ……ギョアアアアアアア!』


「ひっ!?」

 突然発された廊下全体が揺れるような轟音とドスッという身体の中から響くような音に気付いて我に返ると、いつの間にか地面にお尻を付いていて、『シャイニーブルーム』が転がっていた。

 恐怖からか、腰が抜けている。

「ああ、落としっ……」

 『シャイニーブルーム』を探して目線を落とす火姫に、影が差した。それは前肢に羽根が着いた、獰猛な影。

「見つけ……あ」

 振り返った火姫の視界は、肉のピンク色と、他者の肉を切り裂く沢山の白い牙で塞がれて、天井で傾いて刺さっている割れた蛍光灯が見えなくなる……蝙蝠の体格に蜥蜴の鱗、長く鋭い嘴を持つ伝説上の生物、ワイバーンの顎であった。

 既に必殺圏内。あとは口を閉じるだけで『シャイニーブルーム』に守られていない小娘一人の頭蓋骨など、簡単に砕け散ってしまう。

 いや、たかが棒一本、人間の頭蓋骨を守るには太さが不足していた。


 しかし手に持つ棒をかざすことも、一音の発声も許されない刹那の間の中、世界がスローと化し、死の直前に流れるというアキレスと亀のような時間が火姫を捉えた。

「火姫ッ!?」

 亜美が駆け出す音が聞こえて、それでもどうにかなる物でもなく……最後に見えたのは顔に当たりそうなまでに近づいてきたのどちん――


「『不落乃矢』ッ!」


 ――こだったが、横合いから放たれていた青白い光と轟音がそれを掻き消した。その眩しさに、火姫は反射的に目をつぶった。


「あ痛っ!?」


目をつぶってもその眩しさに網膜がやられたのか、目を傷めた火姫。床に転がりその予想外の痛みにのたうち回る。


「ぬわああああ、目、めー!?」


 目の裏側の痛みが完全に消え去ったころ、どうやらまだ生きているようだという気付きと共に、火姫の目は怪物がまだいるのではないかと恐る恐る開かれた。

だが、視界に映ったのは最後に見ていたワイバーンののどちんこではなく、水色掛かった銀色の、長いたんぱく質繊維――髪の毛だった。

 髪の毛が語り掛けてくる。


「あなた、大丈夫?」


 髪の毛が振り向くと、そこに立っていたのは優美な弓を手にした格好良いお姉さまだった。

 火姫はほっと一息を吐いた。


「た……」


「た?」


「助かった……どうもありがとうございます! 頑張ってください!」


 へたり込んでいた火姫は少しずついつもの調子を取り戻しながら目の前の凛とした〈勇者〉に感謝を述べた。


「ええ、どういたしまして。……あなた肝が据わっているわね。アレはまだ死んでないか……ら?」


 水色銀髪の少女が火姫の胆力を褒め、ワイバーンはまだ死んでいないから早く逃げるよう警告し終わる前に、火姫は逃走を開始したのであった。「頑張ってください」とはそういう意味だったのである。

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