第1話 天才の娘はお弁当を届ける

「あの現代のレオナルド・ダヴィンチこと羽箒博士がまた新発見をした件で、初のモーブル賞を――」


事実だけを伝えるウェブニュース、とのキャッチコピーで売り出している「速報Q州通信」のアプリが伝える情報をみた彼女は、そろそろ新着の通知切ろうかと思案していた。事実を告げるだけとはいえ、視聴者を増やすためには、やはりキャッチーなニュースは何度も繰り返されるのだ。三回目位で見飽きてくるのは目に見えていた。


携帯の操作を思い出しながらなんとか通知を切った彼女はそのニュースの当事者である。しかし身近な話だとはいえ詳しい内容は……あまりよく分からない。当事者だが、羽箒博士とは彼女の母のことだからだ。


その研究内容は物理学の深淵を覗くような内容だということしか分からず守備範囲外だ。またモーブル賞の賞金を研究に使い込むのか、そう呆れながら歩く。もっと家族にサービス……服くらい買ってくれてもいいのに……と。歩きながら諦めの極地に達した彼女はチラ見していたスマートフォンから目を離して、街の大画面テレビを見た。


「ミツマツ重工がついに発電効率70%の火力発電プラントを開発。これにより――」


何処を見ても真面目なニュースばかりだ。

実際にもそうなのだが、若さを謳歌する女子高生を自称する彼女も、そろそろむつかしい話にうんざりしてきた。街頭投影テレビはいつもはただうるさく飲み物とか化粧品の広告を流していて頭が要らないものだと思っていたが、こんなときに限って流しているのはニュースである。ああ、またニュースか。こんな時に限って、面白いCM流してよ、ニュースはうんざりだ、とため息を吐きながら見ていた画面の中で、突如色黒なキャスターが一瞬顔を青ざめさせて慌て始めた。


「何かあったのかな……?」


「……続きまして、緊急ニュースです。神奈川県でモンスターの発生が――」


どうやら彼女が今立っているこの神奈川県での警報だったようだ。


「ちょっと近いかな・・・ま、こっちには来ないでしょ」


 聞けば、発生地点がキャスターの家に近いのだそうだ。大事なバイクがあるのだとか。


「いや、そんなのどうでもいいし。真面目にやれ」


テレビでは勇者の専門家が急に登場し、ウンチクを垂れ始めた。

モンスターがいくら脅威だとは言えども〈STAR〉と〈勇者たち〉によって案外余裕で倒されるので、確かにふざけていても怒る気はしない。しかしそれでも緊急ニュースだ。不真面目だと数少ないモンスターの被害者に怒られるだろう。


まあ、どうでもいいことだと考えながら、彼女は母親の研究室へ歩を進めるのだった。勇者のお陰でモンスターとは関係のない生活だ。





こと「ママ」は、一般人からは羽箒博士と呼ばれている。


彼女は天才だ。料理以外。スポーツは何でもそこそこできる。そして成績は優秀……どころではない。娘の彼女にはよく分かっていないが、何かの最先端研究をしている。まさしく才女という評価がふさわしい人である。ただし料理以外。研究者の誉れであるというモーブル賞を30代で受賞した、エントロピーに関する理論の進展など、その経歴は輝かしいの一言。


 そう、「ママ」は世間一般から見れば確実に天才である。しかしこの「娘」から見るとどうだろうか。


人の話は聞かない、ドジ、料理は全部夫にさせていると欠点は目立つが、優しく、スポーツ万能(ただしよく転ぶ)、周りからは美人だと言われ、そして彼女の最大の理解者。

彼女は「ママ」が大好きだ。


だから……という訳でもないが、最近料理のを始めた。今、その成果をお弁当として、毎週土曜日、一週間が一日遅く終わる「ママ」に届けに行っているのであった。


今この一瞬では、ロックな鼻歌を歌いながら研究室を目指しているのである。


「今日は良い出来〜んんっ〜ヤッホゥ~」


地下鉄の研究所最寄駅を出て左に曲がり暫く直進。、唐揚げ屋を右、次の交差点を左、丁字路を右、自転車屋を真っ直ぐという経路で進み、門を入って右と進めば研究所に到着だ。


今日のお弁当はミニオムライスおにぎりにベーコン巻き炙り、あとは海藻サラダなどというバランスメニューで、結構自信がある出来映えだった。


スキップしながら研究所に到着し、ここ何週間かですっかり顔見知りになった警備員と世間話をしてから中に入った。


「最近よく来るな~。いっづもお弁当なんで、ご苦労様だべ〜」


彼女は彼の事を訛りがひどいが優しい人だと理解している。たまにレモンの飴ちゃんを彼女にくれたり、料理のレシピを教えてくれるのだ。試しに作ってみるととても美味しく、警備員という職業ながら彼女の中では数少ない、気を抜かずに礼節を大事にしながら話すべきだと思った相手のうち一人だった。


超速エレベーターで上がって二十五階の八号室が「ママ」の研究室こと『羽箒研究室』だ。

今日も彼女は何かを作っている。ここ数週間で作っているものは見た目がおぼろげな直線で、見えるような見えないような、そんな不思議な棒だ。「ママ」本人は見えないようだが。


 その棒は「娘」から見ると作り始めの頃は細かったので、「この細ーい糸みたいなの、なに?」と聞いていたのだが、「秘密よ〜? 完成するまでは実体がなくて見えないからちゃんと出来上がっているか不安だけど、出来たら使わせてあげるから、楽しみに待っててね!」

と毎回返ってきた。最初はそれが見えることにどうやら驚かれていたらしく、皆の反応に不思議がっていた彼女だったが、原因は簡単で『「ママ」を含め他の人には造っている研究成果が見えない』ということだった。


娘から見た時に限っては研究成果がからとはいえ、熱中すれば研究成果が事は気にならないのだろうか。


 バカにしか見えない物でも作ってるのか? あいつ狂ってるぜ! ということはやはり自販機の前やコーヒーサーバーの前で囁かれているのだが、それを聞いてもなお娘は「見えなくても作り上げようとするママってやっぱり天才!」と思っているあたり、この親にしてこの娘在りと言いたかった人が大多数を占めていた。


「失礼しまーす」


 ノックをして入ると、透明な棒づくりに集中していた「ママ」が振り返って出迎えた。


「火姫! ちょうど良かった! お弁当は後にしてこっち見て! やっっっと、完成したのよ!」


「えっ、でもママ達にはまだ見えないんじゃ――」


 その棒は完成したら見えるようになるものだと前に聞いていたのだが、「娘」から見てもまだもやもやの半透明に見えている。始めて見るときよりも大分大きくなっているのは確かだが、見えるのか見えないのか、自分自身でもはっきりしなかった。


頭に疑問符を浮かべ困惑する「娘」こと火姫ほきを他所に、「ママ」は手を引っ張った。


(こうなるとママってお昼ご飯なんか無視して続けちゃうんだよぉ)

流石にここから実験となるとお昼御飯はお預けどころの話ではなくなる。

 そうだ、助手の南川助教授に止めてもらお――


「zzzzz」


「寝てるっ!?」


うと思っていた火姫だったが寝息に阻まれた。こっちの天才はマシな方だとはいえ、やはりマイペースだった。


 天才の娘とは大変な人種だ、と彼女は考えている。天才とは周りを振り回す人のことで、真っ先に振り回されるのは恐らく一番距離が近い夫か娘か息子だ。そして天才は天才同士でつるむ。一人いるだけで少なくとも二人分は振り回されるので大変だ。


そして今や天才の中でも割かし常識人だと有名な「天才の首輪」とも呼ばれる者が寝ている。

「ところでそろそろお腹減ったよね――」


 これではどうしようもない。それなら、と最早力業で黙らせようと弁当を取り出そうとした「娘」を、「ママ」は制した。


「ささ、火姫、これに触ってみて? うまく行っていれば見えるようになるはずだから」

 当然力業で止められた。ここまで必死になるとは……実は熱くてリアクション芸人みたいなことさせられないよね?


 さてここまでのニュース、研究室の表札、会話から察することが出来るが、「娘」の名前は羽箒火姫はぼうほきという。天才研究者羽箒亜美あみの娘で「棒」を見ることが出来る存在だ。

 よって「ママ」とは亜美である。火姫は亜美とは違い学力は芳しくな……普通だが、スポーツは万能で手先は器用。音楽をはじめとした芸術のスキルもポテンシャルは高く、また家事全般、特に料理では才能の片鱗を見せびらかし、趣味人である南川准教授(31歳・男性)に羨ましがられている。


また、母親とは違って何もないところでは絶対に躓かないというのが彼女のちょっとした自慢だった。


「はあ……仕方ないなぁ」

そんな天性のギフトを持った彼女が「棒」を手に取ろうとしたとき、大きな邪魔が入った。


ポロロンピロリン!


「何これ?」

「これは……モンスター警報!? こんな時に!」


 火姫が慌てて静電タッチパネル式折り畳み携帯電話を開くと、画面にはモンスターが付近で発生した事を示す表示が映し出されていた。


「目の前じゃない! 起きて南川さん、新種のモンスターだって、逃げますよ!」


火姫は南川を揺する。両肩をもってぐるぐると。だがその姿勢がいけなかった。


「んが、んにゃ……やあ火姫ちゃん。どうしたんだい僕に迫って……」


迫ってなどいない。これでも彼女は学校に片想いの男子がいるのだ。


「違います! モンスターですよ!」


「襲ってるからモンスター? 火姫ちゃん上手いこと言うね~」


「災害の方ですよ! 本物! 速く起きて!」


「え? なに? 本物? ごめん? ふむ、こりぇは大変だ。それなら羽箒教授、今こそ、その『失量減少器試作一号』を使ってモンスターを――」


「これは『シャイニーブルーム』です! そんなオシャレの欠片も無いような名前だと火姫に使わせませんからね!」


(何言ってるのこの天才たちは?)


火姫は話に着いていけなかった。こんな時に実験の話とは、仮にも緊急事態という意識はあるのだろうか。自分は噛んだのを指摘する突っ込むのを我慢しているというのに、天才はなんと呑気なのだろうか。


「それでも貴女の目標だったでしょう! 失量を制御する技術は!」


それでものんびりしている彼らがいつもより早口なのは、やはり緊急事態だからだろうか。


しかし、早口だといえどもこれでは埒が明かない。


「ママ逃げないの!? こんな時に何やってるの! そんなのは置いて早く行くよ!」


 火姫は亜美の左腕を掴んで引っ張ったが、右手で逆に掴み返された。強い力で引かれているはずなのに亜美は動じず、真剣な眼差しで言った。


「火姫、それが見えているなら持って頂戴。そしたらママ安心して逃げられるから」

「……ママ」


 亜美はその棒――『シャイニーブルーム』と呼んでいた――を作るのにたくさんの情熱と時間と、才能を使っていたのだ。手放せないのも無理は無い。それを思い返した火姫は、たかが棒一本だけでママが逃げられるなら単純に自分が持っていけば良いだけの話だと気付いた。家事のときにはゲーム機は持っていかないが財布を持って逃げるようなものだ。


「本当に掴めた……じゃあこれ持って逃げるからね! ほら早く! ……痛っ!?」


火姫が棒を掴んだ時、半透明だったもやもやが一気に色づいて見えるようになった。製作者の亜美から見ても空間に棒が突然現れたように見えていただろう。

しかしそのまま走りだそうとしたとき、脚力が上がったのかそれとも前傾が足りなかったのか、いや、脚力が上がったのだ。

まるで重力が軽くなったかのように足から飛び上がり、バク転を失敗したときのように倒れ込んだ。


「なにこれ!? 信じらんない!」


「これは……」


亜美は走りながら答えた。避難の基本は押さない走らない喋らないではあるが、ゴタゴタで避難開始が遅れたため仕方なかった。


「火姫のために作った羽箒火姫専用失量減少器、その名も『シャイニーブルーム』よ」


「いや……」


唯の棒ですけど。

どうみても箒ではなくただの箒である。呆れたが……触った瞬間色が着いたり、持っていると身体能力が上がったり、テクノロジーの産物であることに間違いは無かった。


箒ではないにしろ、魔法少女のバトンみたいな名前だし、と思ってくるくる回してみたが、周囲には何も起こらなかった。


「この棒、すっごく扱いやすい。すごく馴染む……?」


しかし、そんなふうに気を抜いていられるのはそこまでで、鉄筋コンクリート製の壁があたかも音叉の先端のように共振し、キイイイイ……と鳴り始めた。


「なんだ……?」


南川が驚いて全員の足が止まり、火姫の手元が狂った。バトン……もとい、シャイニーブルームを落とすかと思われたが、幸運にも手に吸い付くようなハンドリングがそれを防いだ。


そして耳に悪い音波が最高潮に達したとき、研究室群に挟まれた廊下の壁がマズルフラッシュのような閃光と、崖崩れの時のような轟音とともに弾けとんだ。

与えられた運動エネルギーは大きいが、鉄筋が含まれていて質量が大きい分、ギリギリ見える速度で飛んでくるコンクリート塊。


その軌道は、明らかに火姫の身体に向かってきていた。


「(嫌だッ!? 来ないで!)」


音なんか真面目に聞かずにすぐ横にある部屋に逃げ込めば良かった、そうは思っても今更どうしようもない事は火を見るよりも明らかである。


火姫は反射的に目を瞑り、手に握った『シャイニーブルーム』を飛来する鉄筋コンクリートの方へ突きだした。

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