6.それは戦闘か、蹂躙か

 「ッ!来るぞッ!」


 巨獣から見て右側からイギーが巨獣の目の前に躍り出て気を引こうとした瞬間、巨獣はその巨大な重い左足を素早く動かし、自分たちを踏みつぶそうとする。

 今更回避行動で速度を緩めれば、それこそ一瞬で決着がついてしまうだろう。それほどまでに巨体が動かす足の速度はその大きさに似合わないほどの速さだった。


 ここでシーアが動く。木の陰から出ていったイギーとは別に巨獣の右前脚に素早く走る。その距離は数メートルあるにもかかわらず、シーアは一瞬で駆け寄り、その分厚い巨獣の皮膚を切り裂こうとする。その鋭い爪はギギくらいなら真っ二つにできるほどの鋭利さだ。



 しかし、その爪で巨獣の皮膚にできたのはちょっとしたかすり傷だけだった。



 「なっ…」


 自分でつけることのできた傷痕にシーアが驚く。彼女の経験上、爪は必ず刺さり身を裂く、それが当たり前だったのにできたのは爪でひっかいた程度だ。彼女が本気でやってできた結果がそれだけだったのだ。

 しかし、これによって巨獣の集中力が幾分かそがれ、わずかに狙いが鈍る。そして、イギーは方向を巨獣側に速度を落とさず変えて、その足から逃れる。しかし踏みつぶされないように澄んだとしてもその余波はすさまじく、地面は再び揺れ砂煙が一帯にあがる。

 呆然としていたシーアもその揺れでハッとし、すぐに巨獣の足に連続で攻撃を再開する。たとえ削るだけだったとしても、何回も攻撃すればいつかは裂けると考え、同じ個所をできる限り狙うように両手で全力でひっかきまわす。


 シーアが全力で右足を攻撃している中、イギーは砂煙の中巨獣の左足に爪をひっかけるようにして巨獣の足を登っていく。もちろん、あくまでソータたちが逃げる時間稼ぎではあるので、ここまでする必要はない。だが、彼が思っていたことにはもう一つあり、


 (こんなところでひきつけるだけで死ぬより、文字通り、爪痕を残してやるさ!)


 ということだ。そして、爪痕を残す場合一番目立つのはもちろん顔だ。ならば、と考えた方法がこれだ。

 巨獣の体はその全体が見渡せないほど大きい。なので、足もその分太く、強く、そして長い。結果として、彼らの驚異的な身体能力でも、一気に飛んでその体に飛びつくことはできなかった。

 ここでイギーが考えたのは木から一気に飛んで乗り込む方法と、今やっている足を駆け上がる方法だ。しかし、前者の方法を選ぶと空中では身動きができないため、何かが来たらそれを回避することはできない、という理由で後者を選んだ。


 もちろん、巨獣も上っていくイギーは当然として、右足を攻撃し続けるシーアも見逃すわけはなかった。


 (うっとおしい…!!!)


 巨獣にとっての右足へのダメージは大したものではないにしても、子供が大人を殴ってくるのと同じレベルで気にかかる。多少痛みはあるが無視できなくもない、しかし、放っておくのも…というレベルだ。左足を登るのも気にかかってはいるがまず先に、と巨獣は再びアクションを起こし始める。

 巨獣は右足を動かし始め、今度はシーアを仕留めようと浮かせる。

 シーアも徐々に浮いていく巨獣の脚に気づき、近くにあった木のもとへと急いで走っていく。そうすることによって巨獣の目から離れ、攻撃から逃れようとしたのだ。イギーが全速力で走っても回避難しいのだ、この判断は間違ってなかったといえよう。

 この選択は結果的に功を成し、森林の近くまで一瞬で引いたシーアは巨獣の攻撃が多少ぶれたことにより、ぎりぎりでよけることに成功する。

 しかし、それで無事で済むわけではなく、


 「カハッ!」

 

 巨獣の脚のふりおろしによって起こった風によって何とか踏ん張ろうとしたシーアの体が吹き飛び、木の幹に垂直にたたきつけられる。直撃を免れてもその余波でのダメージがこれだ。直撃すれば死は確実だろう。


 イギーは巨獣の左足を駆けあがりながら、片時も油断できない状況の中、そんなシーアのダメージを横目に確認する。

 最近では、それこそあまり狩りをしていないために多少鈍っていたシーアの体では今のダメージはとてもきついものだろう。イギーもそんな彼女に駆け寄って体の心配をしてやりたい。だが、巨獣はそれを許してはくれない。


 巨獣はシーアが森の中に入ってしまったので攻撃を仕掛けにくい、それは単純にえさとなる木を踏みつぶしてしまうにはもったいないという、戦闘中でもなくなることのないただの食欲のせいであった。その圧倒的な力ゆえの慢心によってシーアはいかされている。

 しかし、代わりに巨獣はもう一つの存在を標的にした。自分の左足を上るこの存在は先ほどの自分の攻撃をよけ、さらには逃げることもなく今こうして左足を登ろうとしている。それが巨獣にとっては何よりも腹立たしかった。


 (許さぬぞ…)


 巨獣は生まれたときから周りの生物におそれられ、大半は逃げていた。一部の危険を察知できない野生のものかその場を動くことのできない生物くらいしか、彼は見たことがないのだ。そういった生物は基本的に自分に食われるか、踏みつぶされるかの二択であると決まっているのだ。

 だからこそ、初めて自分にあらがおうとするこの2匹が新鮮であり憎らしいと感じた。本人にはそれがわかってはいないが、それはある種のライバルを認めるような気持ちと同種であった。


 そういった思考をしている間にもイギーは全速力で巨獣の左足を登っていく。この戦いにおいてイギー達にとっては1秒たりとも余裕がない。少しでも何かの要素が欠けた瞬間に死んでしまうだろう、といった焦燥感がイギーに疲労を無視させひたすら走らせる。

 それによってイギーは長い左足を駆けあがり、巨獣の甲羅の縁に右手の爪をかける。かけた爪を軸として、腕の力で無理やり前宙がえりをして甲羅の上に着地する。この位置までくれば巨獣の足での攻撃は当たらないだろう。


 (なん…とか……なるか……?)


 体内の酸素不足で思考が鈍くなったイギーはつかの間の休息をとる。巨獣の皮膚を傷つけるシーアを見る限り、自分でも大したダメージは与えられないだろう。だが、仮にも生物であるならば目などの鍛えられない急所なら、とイギーは狙いをつける。



 しかし、巨獣はイギーたちに少しの猶予も与えなかった。



 甲羅の上まで上ったことを確認した巨獣は4つの足を同じ方向に斜めにすると、勢いよく反対側に回しながら頭と足をひっこめる。その動作によって巨獣の体全体はまるで独楽のように一気に回転し始める。

 もちろん、回っているのは地面の上であるためそれによる摩擦で長くは回れない。勢いも出ない。その代りにその巨体によってこれでもかという風が発生し、竜巻ができる。

 この中にいるイギーは踏ん張るために、巨獣の背中にある木につかまろうとするが、届かずに空中に飛ばされてしまう。地面にいるシーアは近くの木にしがみつくことで何とかそれに対応した。




 巨獣による回転は普通のサイズであれば1秒と掛からずとまるはずだが、その巨体さと自分で起こした風によるアシストで数分間続く。そして、止まったころにはイギーは遠くのほうに落ちていった。シーアも満身創痍で座り込んでいる。

 一矢報いることすらできずにイギーたちは敗北を突き付けられた。イギーの落ちていったのを遠くに確認したシーアは絶望的状況にうなだれるが、同時に自分たちの目的を果たせたことに安堵する。


 (時間にすれば少しかもしれないけど、これで子供たちは何とか…)


 死ぬのはもちろん嫌だったが、本来やろうとしていたことは何とかなっている。イギーの生存はわからないが、自分の体もたかが一撃でノックアウトだ。おそらく自分と同じように戦える状況か怪しい。




 シーアの予想通りイギーもとてつもない高所から落下し、死ぬ可能性もあったが、落ちた先の木にによって少しけがは軽い。それでも、体がズタボロになってしまい、足が動かないことに気づく。どうやら骨を折ったようであった。


 「だー、くっそ…ここで終わりかぁ…」


 攻撃すらできてないイギーは自分の無力さを嘆く。木々の間から除く巨獣の体は回転が終わってからまだ顔を出さない。もし、体が動いていたならシーアを連れて逃げられただろうが、そうもいかないようだ。

 そんな中でイギーは思う。自分の家族が逃げていてくれることを。この状況で自分たちを見捨ててくれることを。死ぬのは怖い。だが、それ以上に怖いことがあっただけだ。だからこそ、戦闘としてはふがいない結果でありながら、イギーはやりきった笑顔を浮かべている。




 巨獣も敵対する2匹が動かないことを悟り、ひっこめていた足と顔を出す。


 (…ふむ…あっけないものだ…)


 自分はなぜこんなにもこの2匹を殺そうとしたのか。自分の胸の内に疑問を抱きながら、巨獣は再び近くにある物を食べようと顔を地面の近くまでおろす。







 しかし、ここにきて巨獣は知る。自分が何を恐れていたのかを。


 イギーとシーアは知る。家族とはどんなにあたたかいものなのか、と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る