3話 異邦人

 遅めの朝食を終えたのは、それから三十分ほど後のことだった。

 日本の一般的な朝食を前に、少女は最初のうちこそ怪訝な様子を見せていたが、一口含むとそれからはすごい勢いで飯をかき込み、あっという間に完食してしまった。

 お口に合ったようでなにより。母も喜ぶことだろう。

 空いた食器を片付け、クーラーの効いた居間で俺は腰を据える。その対面に座るは少女。

 漂う真面目な雰囲気が、少しこそばゆい。


「じゃあ、自己紹介でも……俺は堅持和彦です。よろしく」

「わ、私は、カルーナと申します。よろしくお願いします!」


 互いに言い争い、同じ釜の飯を食った後の、今更すぎる自己紹介を交わす。

 カルーナ、それが少女の名前のようだ。やはりというか、日本人名ではない。昨日の聞いたことのない言語を話すことからも分かる通り、彼女が国外の者であるということは疑いの余地もなかった。

 名前を知ったところで、俺はカルーナにある疑問を投げかける。


「色々と聞きたいことはあるけど……まずは魔法について教えてもらおうかな」

「魔法ですか?」

「そう魔法。手始めに、昨日俺に使ったやつの説明をお願いしたい」


 昨日、カルーナは俺に魔法を使っている。それは、触れるだけで未知の言語を理解できるようになるという、夢のようなものだった。

 現代の技術では、こんな芸当は不可能だろう。一体どんなカラクリがあるのか、気になっていた。

 そして、魔法について詳しく聞けば、もう一つの疑問……。なぜ湯舟から突然現れたのか。その答えも自ずとわかってくるはずだ。多分。

 

「あれは、知の魔法の一種ですね。私の知識の一部を、あなたの魔力に流し込んだんです」

「ちのまほう……? 知識の一部を魔力に……? ちょ、ちょっと待って」

「はい? なんでしょうか?」

「えーっと……知の魔法はなんとなく語感でわかるな。……魔力ってなに?」


 いきなり聞き慣れない単語が飛び出したので、カルーナにストップをかけた。

 魔法自体よくわかっていないのに、さらに新しい言葉を出されては、いよいよもって付いていけなくなってしまう。


「魔力ですか……あの、失礼ですが、本当にわからないんですか?」

「あぁ……。ごめん、本当にわからない」


 カルーナは『魔力』とやらを知らないことに、心底驚いているようだ。

 逆に俺は、魔力という謎の存在をここまで信じ込んでいるカルーナの方に驚きを隠せない。

 魔法や魔力がどういったものなのか。それはわかっていないが、常識では考えられないものである、という予想は容易にできる。

 そんなものの存在を、当たり前であるかのように話す……それはつまり、彼女にとって魔法や魔力は、極めて身近な存在だということを示していた。

 ここまで考えて、俺の中に彼女の正体について、一つの仮説が浮かぶ。

 魔法……魔力……謎の言語……。これは、まるで……。


「……そういえば、あの二人には……」

 

 そんなカルーナは、小声でぶつぶつ言いながら、なにやら考え込んでいた。時折「ありえない」と首を振り、その顔は困惑に染まっていく。

 このままだと魔力の説明どころではなくなってしまうかもしれない。俺は声を掛けて、カルーナを現実に引き戻す。


「ど、どうした?」

「あ……いえ、すみません。魔力の説明をしますね」


 カルーナはなおも心ここにあらずといった様子だ。大丈夫か? お体に触りますよ……。


「魔力とは、魔法を使うために必要となる力のことです」


 ほうほう、つまりはマジックポイント、MPというわけか。

 やはりというかなんというか、現代社会においてはゲームやWeb小説といった、娯楽作品の中でしか聞かないような設定だ。


「魔法を使うための力ねぇ……。その、魔力は誰にでもあるものなのか?」


 魔力は魔法を使うために必要。ならば、魔法など存在しないはずの世界の人間に、はたして備わっているのだろうか。


「はい……そうです。……そのはずなんです」


 そのはず? カルーナはなにやら歯切れが悪い。


「なにかおかしなことでも?」

「……魔力は、この世界において非常に強大な存在です。それゆえ、人間に限らず動物や魚……果ては菌類まで、この世の全ての生物に備わっているものなんです」


 それはなんとも……思ったよりも壮大な話だった。

 人間にのみ魔力が備わる、というのはわかる。しかし、それ以外の生き物にまで魔力が備わっているとは……。身近とかそういうレベルではない。血や酸素と同列に扱っていいほどじゃないか?


「人間にだけってならわかるけど、動植物にまであんのか……そんな大層なものを知らないって言われれば、そりゃ驚くわな」

「そう……ですね。でも、わかる気がします」

「わかる? 急にどうした?」

「……昨夜、あなたが倒れた後、ご両親であろう二人の男女に会いました」


 ご両親であろうも何も、この家で会ったんならそりゃ俺の親だろうよ。つっこみを入れたい衝動に駆られたが、ここはカルーナの話に耳を傾けることに集中する。


「その二人からは……まったく魔力を感じませんでした」

「……」


 その言葉を聞いて、俺の中で何かがはまる音が聞こえた。

 先ほど浮かんだ一つの仮説……それが、確信に変わる瞬間だった。

 俺はそれを証明するために、ある質問を投げかける。さっきから質問しかしてねぇな。


「君……住んでいる国はどこ? その国の名前は?」

「え……? 急にどうしたんですか?」

「いいから答えて。……多分だけど、俺が魔力を知らなかったこと、そして俺の両親から魔力を感じなかったこと、その他諸々の疑問の答えが出るかもしれない」

「……! わ、わかりました。私は……『バルトリーゼ』という国の者です」

「バルトリーゼ……」


 そんな国は聞いたことがない。……ビンゴだ。

 俺は居間から飛び出し、自室に戻るとスマホを手に取った。

 …………。よし。

 急いで居間に戻り、カルーナにあるものを見せる。


「これは、この世界の全貌を記した地図だ。君の居たという、バルトリーゼはどこにある?」

「……世界の、地図? これが……?」


 カルーナは、世界地図が表示されたスマホを食い入るように見ている。

 その反応を見て、俺は自身の考えが正しかったと確信した。


「そう、これがこの世界だ。ここに、バルトリーゼはあるか?」

「あり……ません。そもそも、こんな地図初めて見ました……私がこれまで見て、教えられてきたものとは、大きく異なっています……」


 彼女は俺が見せた、小さな島国を中心とした誰もがよく知るはずの世界地図を「初めて見た」と言った。そして、「これまで見てきたものとは大きく異なる」とも。

 このことからカルーナは、「地図を見たことがない」わけではないと言うことがわかる。

 それは俺が知る世界地図と、カルーナが知る世界地図は、全くの別物であることを意味していた。

 世界地図は地域によって形を変える。それを考慮すれば、別物であると断定するのは早計かもしれない。しかし、断定できるだけの情報が俺にはあった。


「大きく異なる……だろうな。単刀直入に言う。この世界に、バルトリーゼなんて国は存在しない」

「……! う、うそ……」


 自室に戻った際、世界地図を表示する前に俺は、「バルトリーゼ」を検索にかけていた。

 結果、得られた情報はゼロ。そんな名前の国は、この世界のどこにも存在しないことが判明した。

 まさかとは思いますが、この「バルトリーゼ」とは、あなたの想像上の存在に過ぎないのではないでしょうか。ってやつである。

 ちょっと誤解を招いてしまいそうなので言い方を変えると、カルーナはこの世界には存在しない、架空の国に住んでいたということになる。


「……どこ? どこなの……?」


 カルーナは必死にスマホの画面を見つめていた。おそらくバルトリーゼとやらを探しているのだ。目にはうっすらと涙が浮かんでいる。

 この様子だと、彼女が嘘を言っているとは考えづらい。彼女の中で、バルトリーゼは確かに存在しており、きっと、楽しい思い出もたくさんあるのだろう。

 俺は、カルーナが少しでも元気になるよう、声をかけた。


「バルトリーゼは確かに存在しない……でも、それはあくまで、この世界での話なんだよ」

「……え?」


 目元を赤くしたカルーナが俺を見る。

 そう、この世界での話なのだ。

 カルーナという少女は、昨夜、湯舟から突然現れた。彼女は聞いたことのない言葉を話し、俺を困惑させた。しかし、魔法を使って意志の疎通を可能とした。その魔法を使うためには、魔力が必要で、それは人間に限らず全ての生物に備わっているという。しかし、俺の両親には無かった。そんなカルーナが住んでいるのは、バルトリーゼという国。しかし、そんな国は存在しなかった。

 ……これらの情報をまとめると、ある一つの結論に行き着く。


「この世界は君にとって、異なる場所……。異世界なんだ」

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