2話 こんにちは非日常

「さぁ、早く行ってください!」

「で、でも! あなたは!?」

「私のことは心配いりません、すぐに続きます。さぁ早く! カルーナ様……」


 分厚い鎧を着こんだ男に押された。

 そのまま、体が水に沈む。

 手を伸ばし、何かに掴まろうとするも、周りには何もない。ただただ沈んでいく……。

 息が苦しい……意識が遠のいていくのがわかる。

 完全に意識を失う寸前、どこかから光が見えた。

 光に向かって進む。そして……。





「う、うーん……?」


 ここはどこだ? 俺の眼前に広がる天井は……見たことがある。知ってる天井だ……。

 知ってるんかい。

 セルフつっこみをしたところで、起き上がり周りを見る。俺の部屋のようだ。

 窓からは日の光が差し込んでいる。時計を見ると、短針は九を指していた。


「朝か……」


 せっかくの夏休みだと言うのに、朝に起きてしまった。なんと勤勉なことか。

 じゃあ、二度寝しようね。俺は再度ベッドに身を委ねる。

 しかし、起きたばかりのせいか、中々寝つけない。どうしたものか……。

 そこでふと、昨日起こったことを思い出す。湯舟から突然少女が現れて、なんか魔法使ったとかなんとか……。

 思い出してしみじみ感じる。あれはあまりに現実離れしていた。

 いや、きっとあれは現実ではなかったのだろう。中途半端なところで意識を失ったし……。

 つまり、これから導き出される結論は……。


「そうか! 夢だったのか!」


 そう、夢オチってやつである。

 夜、『親不孝』をガッツリ読んでいたせいか、そんな夢を見てしまったのだ。いやぁ恥ずかしい。

 でも……夢とは言え、ひと時の非日常を味わえた。

 正直に言ってしまうと、かなり心躍った。今までの人生で一番刺激的だったまである。

 ありがとうライトノベル。感謝するぜ、お前と出会えた、これまでの全てに!!!


「駄目だ、寝れねぇ」


 考え事に耽ることで、少しは睡魔が襲ってきてくれるだろうと期待していたが、目が冴えていて全く効果がなかった。この状態じゃ眠るのは無理だろう。

 仕方がない。起きるとするか。

 俺は昨日、寝る前に読んでいた『親不孝』を探して枕元を探る。


「あ、あれ……?」


 見つからない。

 夢に見るほどだ。てっきり読んでいる最中に寝落ちでもしたかと思っていたのだが……。

 ベッドの下も見てみる。こちらにも何もなし。


「おかしいな……」


 買ったばかりなので、失くしたとなると涙を禁じ得ない。高校生にとって、六百円は馬鹿にできない金額なのだ。

 と、そこで俺の体が空腹を訴え始めた。

 腹が減っては探し物もできぬ。しょうがない、まずは腹ごしらえするとしよう。

 この時間だと、両親はすでに働きに出ている。トーストでも焼いて、優雅に過ごそうではないか。

 飲み物は……コーヒー? あんなの飾りです。偉い人にはそれがわからんのです。男は黙って、その日その日飲みたいと思ったものを好きに飲めばいいのだ。というわけで、今日はコーヒーを飲もうと思います。

 そして朝食を採ったら、探し物の続きと。

 こういう計画はすぐに立てられるのに、なぜ効率のいい課題の片付け方は思い浮かばないのか、甚だ疑問に感じる俺であった。

 部屋から出て、一階に降りる。

 居間へ向かう途中、風呂場を横切った。夢では、ここで俺は初めてのチュウを少女に捧げたわけだ。

 妙にリアルだった夢を思い出しながら、居間の扉を開ける。


「……あ?」


 そこには、白髪の少女が居た。

 俺の名前が書かれたジャージを着て、ちょこんとソファに座っている。その手には文庫本が一冊。

 俺の存在に気づくと、少女は本を閉じ、自身の太ももに置いた。


「お、おはようございます」


 あの、ほぼ全裸と言って差し支えない、うっすい衣服をまとった美少女が描かれた、外では読めないような表紙の本……どっかで見たことあるような……。今まさに、俺が探している本にとっても似ている気がする。

 というか、そのものだった。


「…………」


 俺は無言で本を見つめる。


「な、なんですか……?え、えと、何か変でしょうか?」


 俺に見つめられた少女は、自分に違和感があるととったのか、あたふたと忙しなく体を見始めた。

 あれだけ動きながらも、太ももに乗った本はびくともしないところを見ると、中々のバランス感覚を有しているように思える。

 なんて冷静に言ってる場合か。状況がよく飲み込めず、本に集中するという謎の現実逃避をしてしまった。

 違うだろ。今集中すべきは、目の前にいる少女だ。

 彼女は、夢に出てきた少女とよく似ている。しかし、別人とは考えられなかった。着ている服こそ違うものの、その美しい外見は二つとあるものではない。

 つまり、夢に現れた少女が、現実にも現れたということになる。俺の頭はハッピーセットかよ。

 

「えーと、えーと……。あっ、そうか。これも夢か」

「え!? ゆ、夢じゃないですよ」


 少女につっこまれてしまった。

 さて、少女の発言から察するに、今自分が置かれているこの状況は、どうやら夢ではないらしい。

 その言葉を信じて、俺は頬をつねった。痛い。


「確かに夢じゃない……はて、では昨日のあれも……?」

「昨日……そ、そうです! あの、昨日はありがとうございます。おかげで命拾いしました」


 少女は、深々と頭を下げて礼を言った。

 それはすなわち、昨日の出来事は夢ではなく、現実であると決定付けるものだった。

 あんな非現実的な出来事が夢ではなかっただと……。頭がフットーしそうだよぉっっ。


「はぁ……それは……どういたしまして……」


 俺は弱弱しく返答した。

 その言葉を聞いた少女は頭を上げ、本を脇に置くと、俺の方へと近づいてくる。


「これ、あなたのお母さん? から受け取ったものです」


 少女は一枚の紙切れを差し出してきた。

 お母さん? と、疑問形なのが少し引っかかったが、いちいち気にしていたら話が進まないので、さっさと紙切れを確認する。

 そこにはこう書かれていた。


「その女の子、あんたの知り合い? 脱衣所で倒れてるあんた見て泣いてたよ。言葉が通じないところをみると、外国の子なのかな? まぁ悪い子って感じはしないし、可愛いし(←ここ大事!)、少しぐらいならうちで面倒見てあげても大丈夫だよ。お父さんのことは心配しないでね。私と同じ意見みたいだから。あっ、冷蔵庫に昨日の残りの野菜炒めあるから、一緒に食べれば? (笑)」


 (笑)じゃねぇよ(怒)

 というか受け入れたのか、母よ。こんな、素性もわからない謎の少女を。

 可愛いとはいえ、いくらなんでも限度ってものがあるだろう。そもそも、なぜうちで預かるという発想になるのだ。警察を始めたとした、然るべき機関に連れていくのが普通ではないのか? この家族には問題がある!

 しかし、他ならぬ母が決めたこと。かかあ天下な我が家では、母の発言力はかなり高い。こうだと言ったらこうなのだ。

 まぁ長々と文句を言わせてもらったわけだが、正直なところ、俺も母の提案に賛成の意志が強い。

 湯舟から突然現れ、未知の言語を話し、魔法という謎の奇術まで扱える……この少女が普通でないことは瞭然だ。

 警察に連れていくのは、彼女の正体がわかってからでも遅くはないだろう。

 俺は紙を丸めると、ゴミ箱へ投げる。紙は見事にゴミ箱から外れて、床に落ちた。


「あの……なんて書いてあったんですか?」


 少女が聞いてくる。


「しばらくこの家に居ていいってさ」

「…………? しばらく居ていいとは、どういう……?」

「いや、そのまんま。俺たち家族が、君に衣食住を提供するよって意味だけど」

「……え、ええええ!? そ、そんな、何言ってるんですか!?」


 訳が分からないと、目をぐるぐるさせて困惑する少女。その反応は当然と言える。昨日今日会ったばかりの人間から、こんなにも厚意を向けられたら、誰だってそーなる。おれもそーなる。

 ならば俺がすべきことは、少女の内にある不安を取り除くこと。

 俺はこほんと咳払いをして、ウィットに富んだ会話を少女に仕掛ける。


「大丈夫だって、この家で一番おっかない人が決めたことなんだからさ。難しく考えず、おおらかに構えていれば、なぁにじき慣れる」

「……慣れちゃ駄目ですよね」


 うんうん、実に小粋な会話だ。少女もつっこみを入れてくれるし、少しは緊張がほぐれたと考えよう。


「というわけで、ようこそ我が家へ」

「いや、あの……ううん、やっぱり駄目です! 巻き込むわけにはいかないし、服が乾いたらすぐに出ていきます!」


 しかし、少女は中々首を縦に振らない。なんだ? 一体何が足りないんだ……!

 先ほどの会話を思い出して、自分に有利になるような言葉を探す。

 ……ん? 「巻き込むわけにはいかない」か……。その言葉、斬らせてもらう!


「それは違うぞ! こうして君と接点を持ってしまった時点で、俺たち家族はすでに巻き込まれている!」

「……!」

「それに、本当に出ていく気があるなら、昨日倒れてる俺なんてほっといて、さっさと出ていけば良かったんだ!」

「そ、それは……」


 俺の華麗な論破に、少女は口ごもる。でも、最後のはちょっと意地悪が過ぎたかもしれない。気絶している人間を放っておけるわけがないじゃないか。難癖もいいところだ。猛省……!

 そして、少女が懸念している「巻き込む」とはどういうことなのか。少女の口ぶりから、良くないことだとはわかる。

 恐らく、彼女はその小さな体には似合わない、大きな、大きな運命を背負っているのだ。そのせいで悪党共に追われている……俺の想像はこんなところだ。

 だが、この想像は間違っていないと思う。

 「巻き込むわけにはいかない」……この発言は、なんらかの事件にすでに巻き込まれている人間がするものだ。

 少女は、本当に危険に晒されているのかもしれない……。そして、自分がここに身を置くことで、その魔の手が俺たちに向く可能性があると危惧しているのではないだろうか。

 まぁ、その時はその時だ。大丈夫、案外なんとかなるもんさ。時には先のことを考えない大胆さも必要だ。


「そもそも、ここから出て行ったところで、どうするつもりなんだ? なにかアテはあるのか?」

「……ないです」

「じゃあさ、何か目途が立つまでは、ここに居てもいいんじゃないかな」


 なにも、家族になろうよと言っているわけではない。あくまで、しばらく居てもらうだけだ。そこを強調してみる。

 はたして少女は、首を縦に振ってくれた。


「よろしく……お願いします」

「おう、よろしく」


 ようやく勧誘が終わった。緊張が解ける。

 そういえば、なんで俺一階に降りてきたんだっけ? まぁ、忘れるってことはそれほど大事なことではないだろうから、気にしないのが一番か。


「じゃあ、今後の方針が決まったところで、自己紹介でも……」


 ぐぅ。


「あ……」


 なにやら可愛らしい音が聞こえた。

 音のした方、少女を見ると、顔を伏せて震えている。伏せた顔は、耳まで真っ赤になっていた。

 そして俺の腹も鳴る。思い……出した!


「……まずは腹ごしらえしようね」


 少女は静かにうなずいた。

 あぁ、そうだ。飯食いに来たんだ。忘れててすまんなぁ俺の腹。今、食い物をやるからな。

 居間から移動する。その後ろを、少女がとてとてと着いてきた。

 冷蔵庫を開き、野菜炒めを取り出す。レンジに入れて、時間を指定。

 俺がテキパキと準備をこなす一方で、後ろにくっついている少女は、冷蔵庫や電子レンジを物珍しそうに見ていた。家電に疎い系女子。流行れ。まぁ流行らないだろうな。

 野菜炒めが温まるまでの間に、二人分のごはんとみそ汁をよそい、居間の机に並べる。

 レンジからチンと音が聞こえた。ようやく、うるさい腹の虫を黙らすことができそうだ。


「この二本の棒は、どうやって使うんでしょう……?」

「……」


 フォーク、どうぞ。

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