風呂からつながる異世界譚

えんとつじろう

1話 逆らった出会い

「本を読んでいたら、いい時間だったでござる」


 あまりに早すぎる時間の流れに驚き、思わず説明ござる口調になってしまった。

 時計を見ると、時刻はすでに深夜の一時を回っている。

 いつもなら軽く青ざめる時間帯ではあるが、生憎今日から夏休み。どれだけ夜更かししようと平気なのだ。

 そのまま徹夜するつもりで、続きに目を通す。

 が、その前に……。


「風呂入るか」


 本に栞を挟み、俺は一階に降りた。そして、風呂場へ向かう。

 服を脱ぎ、入場。

 

「まずはシャワーから……」


 いくら家の風呂とは言え、いきなり湯舟に浸かるのはよくない。まずはシャワーを浴びて、身体に付着した不純物を取り除くのだ……。こんな風に言うと、なんだかそれっぽい。

 とまぁ、読んでいた本の影響をばりばりに受けている俺であった。

 ちなみに、先ほどまで時間を忘れるほど没頭して読んでいた本の内容は、いつまで続くか今流行りの異世界もの。

 タイトルは、『母さん、俺は異世界で幸せになります。』

 通称『親不孝』

 ひょんなことから死んでしまった主人公は、異世界にて生まれ変わり、神様がとんでない力を授けてくれて、その力を駆使して今度こそ幸せになろうと奮闘するハートフルな物語だ。

 キャラクターの心情描写が非常に緻密で、読者が感情移入しやすく、物語にのめりこみやすいところが特に気に入っている。

 っと、年甲斐もなく熱くなってしまった。

 俺ももう高校生。そういうものは卒業するべき歳なのかもしれない。

 しかし、抗えぬ。そこには夢と希望が詰まっているのだ。空想の世界は心の清涼剤。青少年の心の拠り所と言っていいまである。

 もしも規制なんてされた日には、俺も異世界転生してしまうことだろう。


「憧れるよなぁ……ファンタジーな世界」


 現代日本にファンタジーな要素など微塵もない。

 あるのは科学と言う、人類の手によって生み出され、解明された、いわばタネのわかっているマジックのようなものばかり。ロマンの欠片もありゃしない。どれだけ手を伸ばそうと、届くことはないのだ。

 その寂しさを紛らわすため、俺は風呂に入っているとき、又は布団に入り眠りに就くまでのひと時に、よく妄想の世界に浸る。

 今日は先ほどまで読んでいた本の設定を参考にして……「ぼくがかんがえたさいきょうのしゅじんこう」つまり俺自身が「ふぁんたじーなせかいでびしょうじょにかこまれてうはうは」つまりハーレムを築く。よし、これで行こう。

 出だしはこうだ。目が覚めるとそこには可愛らしい女の子が居まして……。

 そこまで考えて、俺は何気なく湯舟を見た。ぶくぶくと水泡ができては消えてを繰り返している。

 ……ん? 水泡?

 俺はここに来てから一度も湯舟に手をつけていない。波一つなく綺麗に張られた湯に水泡ができるとはどういうことだ?

 もしかしたら誰か入っているのかもしれない。しかし、俺がここに来てすでに五分は経っている。仮に誰かいるのなら、それはもはや人間では……。しかも現在時刻は深夜。

 ま、まさか霊的なアレなのか?

 俺はごくりと唾を飲み、覚悟を決めて湯舟を覗く。

 その瞬間。


「ぷはぁ!」


 何者かが大きく水しぶき、いや湯しぶきを上げて、湯舟から飛び出した。

 そのまま、俺の胸に倒れてくる。


「!!!!!!」


 驚きのあまり、声すら出なかった。

 が、体はしっかりと、倒れてきた人物を捕まえる。

 おかげで、俺の胸に倒れてきた謎の人物がそのまま倒れ続け、風呂場の床に叩きつけられてしまうという惨事は回避できた。

 頭が真っ白だったことを考えると、体を動かしたのは、反射というやつだ。サンキュー神経。

 さて、とっさに受け止めてしまったわけだが、触れるという事実を知った俺は、少しだけ安堵する。

 つまり、実体があるということだ。少なくとも幽霊ではないだろう。

 しかし、完全に不安が取り除かれたわけではない。もっとよく確認する必要があるな……。

 倒れてきた人物を胸から離し、目を細めて注意深く観察する。

 肩が微妙にだが、上下していた。

 湯舟から飛び出し、そのまま倒れてきたもんだから、死んでるんじゃないかと思ったが、どうやら気を失っているだけのようだ。

 身に着けている衣服は、白いローブに、膝丈のスカート、ロングブーツ。

 髪は長く、腰の辺りまで伸びている。

 この身なり……こいつ、女か?


 「……と、とりあえず、上がろう」


 暑くて頭がよく回らない。

 真面目な考え事をするのに、風呂場はいささか不向きな場所だった。

 もっとも、頭が回らない理由はそれだけではない。俺は女を持ち上げると、前かがみになりながら風呂場から出た。

 恋人がいたことのない高校生にとって、素肌に異性を感じる……興奮を覚えるには、それだけで十分であった。





「意外と重かったぞ……」


 さて、脱衣所まで運び出せたのはいいが……どうしたものか。

 ここで俺がとるべき最も賢く、正しい行動はなんだ?


「……通報、かな」


 「会ったことも、見たこともない女が突然湯舟から飛び出してきました!」

 言葉にしてみると、思った以上に馬鹿馬鹿しい。そんな通報、十中八九イタズラととられるのがオチだ。却下。

 じゃあ、親を呼ぶか? しかし今は深夜。夏休みという、いいご身分な俺とは違い、両親は明日も仕事がある。起こすのは申し訳ない。

 となると……俺が対処する他ないのか。

 やっぱり、駄目元で通報してみようか? ……うーむ。

 顎に手を当て考える。いい案が出てこない。俺は、なおも気を失っている女を見やる。

 女は、苦しそうに胸を上下させていた。


「けほっ」


 女の口から、水が溢れ出てくる。

 風呂場に居たときは気が付かなかったが、この状況……かなり危険なのでは?

 放っておいたらあの女、死んでしまうかもしれない。

 突然現れた謎の女。

 彼女が何者なのか、一体何が目的なのか、わかっていることは少ない。

 しかし、だからと言って。


「見殺しには、できねぇよな……」


 俺は意を決して、女の口へと首を伸ばした。初めてなのに……とか女々しいことが一瞬頭に浮かぶも、すぐに振り払う。

 女の口を俺の口で覆い、息を吹き込んだ。女の胸が上がるのが見える。ちゃんと息は届いているようだ。


「……?」


 鉄の味がする。血だろうか? どこか怪我でもしているのか?

 しかし、今はそれどころではない。水を取り除き、正常に呼吸ができる状態に戻さなくては。

 俺は人工呼吸を続けた。

  

「けほっ! けほっ! うえっ」


 女は大きくせき込むと、多量の水を吐き出した。そして、ゆっくりと目を開く。

 良かった、意識を取り戻してくれた……。慣れない人工呼吸だったが、なんとか上手くいったようだ。

 じゃあ、警察行こうか……。と、一瞬考えたが、それはあまりにも無情すぎる気がしたので、却下。

 とりあえず声を掛ける。

 

「大丈夫……ですか?」


 思わず敬語になってしまった。

 それは、目を開き、きょとんと俺を見つめる女の見た目が、あまりにも現実離れしていたからだ。

 歳は若い。おそらく俺と同い年ぐらいだろう。

 湯で濡れたことにより、垂れた白い髪に官能をくすぐられる。

 大きく開かれた瞳は紅く、その瞳を見続けようものなら、どこまでも吸い込まれてしまいそうになる。

 つまり、俺がこんな稚拙なポエムを詠んでしまうほどに、この少女は異常なまでの美しさを持っていたのだ。

 返答を待つ。

 しばらく俺を見つめた後、少女は口を開いた。


「※◆□*◎▽」


 …………。

 えっ、なんだって?

 ごめんよく聞こえなかった。もう一度お願いします。


「は、ハロー」


 今度は英語で攻めてみる。

 そうだよ。この子、髪は白くて目は紅いんだよ? どう考えても日本人ではないよね。いっけね俺ったら失敗失敗。

 少女は考え込むような仕草をし、口を開いた。


「※※□▽●*●◇」


 どうやら世界共通言語の英語様でも通用しないらしい。となると、俺にはもうお手上げだ。誰か助けて。

 いや、弱音を吐いている場合じゃない。

 言葉が通じないのなら、次は体で語る。つまり、行動で意志疎通を図るのだ。

 俺は両手を上げ、「もうわけわからん」と言いたげな表情を作った。弱音じゃねぇか。

 そんな俺を見た少女は、またも考え込むような仕草の後、右手を上げた。


「お? それはどういう意味だ?」


 少女は俺に何を伝えるつもりなのだろう? 胸が高鳴る。ペットに芸を教える飼い主ってこんな気持ちなのかな……。

 などと失礼なことを考えていると、少女は上げた右手を俺の方へ伸ばしてきた。

 そして、俺の額に軽く触れた。


「……ちょっと違うけど、これってE.て……」


 次の瞬間、俺の体を稲妻のような衝撃が走った。

 だが痛みはない。衝撃が、ただ体を巡っただけのようだった。


「な、なんだ今の……?」


 俺は少女を見て、今の行為の説明を求める。しかし言葉が通じない以上、説明などできないわけだが……。


「私の言葉、わ、わかりますか……?」


 目の前の少女の口から、聞き慣れた言語が飛び出した。

 が、情けないことにこの状況を理解するには、少しばかり時間が必要だった。

 そのまま三十秒ほど固まっていた俺は、ようやく少女に返事をする。

 

「わ、わかる」

「……みたい、ですね。良かった」


 少女はほっと胸をなでおろした。

 少女の口から発せられた言葉。それは紛れもなく、俺が普段から使用している言語、つまりは日本語、そのものであった。

 しかし、なぜ急に少女の言葉がわかるようになったのだろう? いや、少女が日本語を話せるようになったのか? 謎である。

 俺は少女に聞く。


「えーっと……とにかく説明してほしいかな……」


 不明な点が多く、何を聞けばいいのか上手いこと思いつかなかったので、かなりふわふわした質問をぶつける。

 「今日のご飯、何がいい?」「なんでもいいよ」並に困るやつだこれ。

 そんな無責任な質問にも、少女は真剣に考えて、答える。


「あの、えと、その……ま、魔法を、使いました」


 そうか、魔法を使ったのか。それなら納得だ。なにいってんだこいつ。

 いや、きっと魔法というのは何かの隠語なのだろう。それなら、今度こそ納得だな。

 では、その魔法とやらの説明をしてもらうこととしよう。


「その魔法っていうのはなに? 翻訳機器かなにか?」

「機器……? い、いえ、そのまま、魔法ですが……?」


 行き過ぎた科学はもはや魔法と変わりないと言われている。

 思えば、少女が俺にしたことと言えば、ただ額を触っただけ。それだけで、俺たちは互いに意思疎通ができるようになったのだ。

 これほどまでに高度な翻訳機器があるのなら、それを魔法だと信じてしまうのも、仕方のないことなのかもしれない。

 しかし、現代科学でそんなこと可能なのだろうか。

 俺は先ほどまで、少女の言うことを何一つ理解することができなかった。

 どの国の言語なのか、特定することさえできなかったのだ。

 そんな状態から、一瞬で理解できるようになる超技術……。

 

「なるほど、君は未来人ってやつなんだな」

「み、未来人……? なんですか、それ?」


 少女はよくわからないと言った風だ。

 未来人ってわけでもないのか。それじゃいよいよもって、この少女の正体が読めない。

 しかも、急に二人になってるし。なんで分裂してんだよ。

 …………。

 いや、分裂ってなんだよ。

 そこで俺は、自分の体に起こっている異変に気付いた。

 視点が定まらない。頭が割れるように痛い。体が焼けるように熱い。

 なんだこれ? たまらず、俺は倒れた。


「だ、大丈夫ですか!?」


 薄れゆく意識の中で、少女の声が聞こえる。

 だ、大丈夫だって……へこたれず……今日も、一日がんばるぞ……い。

 少女に心配かけまいと、軽口を叩いたつもりだったが、どうやらそれは届かなかったようだ。

 泣きそうな顔をしている少女を最後に、俺の意識は途切れた。

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