第7話:手合せ・後編

 超速の斬撃を放つグラシアに押されているのか、麗は後方へと転がっていく。よく見れば、その服はズタズタに引き裂かれており、その切れ目からは流血の痕ときざしが見て取れた。

 鋭い斬撃を躱して距離を置いた麗に、グラシアは空を切った愛刀を横手で縦に振るいながら目を細める。


「どうした。逃げてばかりだが、このままストリップされるのを御所望ごしょもうか?」

「舐めるな!」


 挑発めいたグラシアの言葉に、麗は目をらんと輝かせながらダガーをくわえる。そして、空になった弾倉を引く抜きながら新しい弾丸を再装填リロード、それをコンマ数秒で済ませるや、銃口をグラシアに向ける。間髪入れずに射撃の体勢を整えると、すぐさま彼女は銃弾を発射した。

 迫る弾丸に、グラシアは躱すことはせずに刀を振るう。不可視の速度でひた走る銃弾だったが、グラシアが振るった刃はその軌道を次々となぞり、奔ってきた銃弾を切断して撃墜させる。銃弾を刀で斬り落とすという離れ業に、麗はダガーを咥えたまま思わず瞠目、驚愕を露わにした。


 神業に愕然とする麗だったが、その時彼女らの耳に悲鳴が届く。

 そちらを向くと、そこでは静が吹き飛ばされていた。複数の机の上を渡る様に跳ね飛んだ彼女は、席に置いてあった料理や飲料で服を汚しながら横転、やがて床へ叩きつけられる。

 彼女が飛んできた方向に目をやると、そこではアンガーが、空になったジョッキを横に放り投げつつ、拳を鳴らすところであった。


「なんだぁ、こんなもんか?」


 少なからずつまらなそうに彼が言う中、彼の投げた空のジョッキが床に激突し、小気味よく割れる音が響く。


「もっと楽しませろよ。俺を殺す気ならなぁ」


 そう言うと、彼は身を起こそうとする静へ向けて走りだした。

 その動きに、静の危機を感じ取った麗は救援に向かおうとする。が、それを隙と見たのか、すぐさまグラシアが斬り込んできた。

 気づいて目を向ける麗に、グラシアは刃を叩きこむ。縦に振り下ろされる斬撃に、麗は咥えていたダガーを離してそれを受けていなす。金属音が鳴り響く中、斬撃を受け流されたグラシアはさらに踏み込み、刃を反転させる。そして、先とは逆の軌道で刃を振り上げてきた。かち上げるように振り抜かれる斬撃に、麗はダガーでそれを再び受け止めようとする。だが、斬撃の重さは先ほどより増しており、ダガーはその重みをもろに受けた。その重圧に耐えきれず、ダガーは麗の手から引き剥がされて宙を舞う。得物を手放された麗は、舌打ちと共に後方へ跳躍、グラシアとの距離を置こうとする。だが、それを相手は許さない。グラシアは持ち上げた刀を引くと、上体を捻りつつ、麗に向けて踏み込んだ。


 刺突が、弾丸の如き勢いで突き出される。


 飛び出した切っ先は、麗の左肩に突き刺さり、その半ばまで侵入した。腕を伸びきらせた時点で貫通とまではいかないものの、敵の肩を半ばまで刺し貫いたグラシアは、そこから刃を捻って傷口をえぐる。侵入した刃に傷口を広げられ、その激痛から麗は絶叫を上げた。彼女は早く刃を肩から引き抜くために斜め後方へ跳び、切っ先から逃れる。その瞬間、彼女の傷口からは血潮が噴き出し、麗は後退しながら思わずその傷口を掌で押さえつけた。

 左肩を負傷した麗を見て、グラシアはそこで満足することなく、更にダメージを与えるべく進もうとした。そんな彼に気づき、麗は無事な右手で近くの机に手を伸ばし、料理の乗った皿を放り投げる。空中で散乱しながら迫る皿を、グラシアは鬱陶うっとうしげに刀で斬り落とす。彼がそうして足止めされているうちに、麗は更に後方へ跳んで距離を置いた。


 遠ざかった彼女に目を向けると、ちょうどその時、麗の背後に静が転がって来た。床に叩きつけられた彼女は、麗がすぐ背中の場所まで退いてきたのを見ると、背中を合わせるように立ち上がった。その様子をよく見ると、静は右腕を押えている。彼女の右腕は、いびつな方向へ曲がっており、おそらく折れているのだろうという推測がついた。

 そんな彼女へ、アンガーが近づいていく。彼は拳を鳴らしながら、笑みを消した真顔であった。そこからは、何故か苛立ちの気配が感じ取れた。


 アンガーの様子を見ながら、グラシアも二人へ向かって歩き出す。彼は刀の切っ先についた血糊ちのりを横へ払うと、刃を床に垂らしながら前進していった。


「どうした、もう終わりか?」


 そう姉妹に訊ねたのはアンガーだ。その言葉には、落胆と失望が滲んでいる。彼の性格を熟知しているグラシアは、その声から、アンガーはもっと強い相手を望んでいたのだろうということを察する。姉妹の腕前はなかなかだが、しかしアンガーやグラシアを追い詰めるには程遠い。

 そのことにがっかりとしている相方の様子に呆れつつ、グラシアは冷たい瞳で暗殺者の姉妹を観察する。その視線の先では、姉妹が背中を合わせながら、互いの敵を緊張と共に注視していた。

 ダガーを構えながら、二人は互いの傷をかばっている。


「――わよ、静」

「でも――さん」

「このままじゃ――よ。一旦体勢を整える」


 敵が迫る中で、姉妹二人は小声で何か言葉を交わしていた。そのやりとりは彼女ら以外にははっきりとは聞こえず、グラシアは胡乱気に眉根を寄せ、アンガーは大きく一歩踏み出す。


「何こそこそ喋ってやがる! 来るなら、来い!」


 憤った様子でアンガーが怒号を放つと、それに対して麗と静は顔をしかめる。挑みかかってくるように指示する彼の言葉を受け、彼女たちは目を合わせることなく顎を引く。

 そして、同時に床を蹴る。向かう先はそれぞれの敵であるアンガーやグラシアの許、ではなかった。


 彼女らは横方向へ跳んでいく。そちらにはちょうど、酒場の出入口があった。先ほどまで中にいた客が大慌てで逃げたため、開きっぱなしになっていた扉の方へ彼女らは駆け、そしてその向こうへと跳び出していった。

 その行動を、グラシアは無言で見送り、アンガーは瞠目する。店内から消えていったその影を見て、彼らは事態を悟る。


「っておいいい! 逃げる気かよ!」


 怒りの咆哮をあげ、アンガーは駆け出す。向かう先は姉妹が消えていった扉の向こう側で、彼も一気に外へ出ていく。その後を、グラシアも一歩遅れて追う。


 店内から出ると、そこでは一定距離をおいて店を囲む、通行人や野次馬の人だかりができていた。店内の騒ぎから逃れた者や、それに気づいて様子を窺がおうとする者たちが、店前の通りで店を半円状に取り囲んでいたのである。

 彼らはアンガーが飛び出してきたのに肩を震わすが、それをアンガーは気にも留めず、周りを見渡す。逃げ出した姉妹を見つけるためだ。

 しかし彼の眼には、どこにも姉妹が逃げ出していった痕跡こんせきがない。


「うおおい、グラシア! あの女たちどこにもいないぞ!」

「放っておけ。逃がしたところで問題ない。あの程度の腕ならな」


 姉妹を見失ったことで叫ぶアンガーの背後から、遅れてグラシアも顔を出す。彼はアンガーと違い落ち着いた様子で、周囲の人だかりに目を巡らせた。


「それより、俺らもここを離れるぞ。直に警察が来る。捕まったら厄介だ」

「はぁ? さっき正当防衛がなんたらって言ってなかったか、お前」

「返り討ちにしてもいいという事に関しての話だ。警察に身柄を押さえられることは想定していない」

「なるほど……。じゃあ、逃げるぜえええええ!」


 グラシアの指示に納得がいったのか、アンガーはそう言うと人混みの一角に向けて走りだした。

 彼が突進すると、それに気づいた者たち、つまり店を囲んでいた群衆たちは、慌てて道を開けて距離を取る。所詮騒ぎを見物しているだけの野次馬だ、渦中の人物が近づいてきたのを見て、巻き込まれたくはないという恐怖が募ったのだろう。


 アンガーに対して道が開けると、それ見たグラシアは彼の後に続く。理由は勿論この場から離れるためだ。その口で説明した通り、ここに留まっていればやがて警察が駆けつけてくる。彼らに捕まって尋問をされるのは御免だった。

 逃げ出していく彼らを、誰も追ったりはしない。ただただ茫然と、その消えていく姿を眺めているだけだ。


 その現場に警察が駆けつけたのはそれから十分以上後のことである。駆けつけた警官たちは、すぐに事件の内容と詳細を調べるための動きを見せたが、二人がその動きによって捕まることはなかった。

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