三日目


「おはようございます、お嬢様方」


 朝の挨拶をしただけだというのに、なんということでしょう……。

 我がご学友たち――否、お嬢様方は即座に私から距離を取りました。なんということでしょう。不思議、不思議。

 私は椅子の後方に立ち、指示を待ちます。


「可憐? どうしたの?」

「なんなりと、お嬢様方」

「可憐!?」


 何を驚いているのでしょう? 私はメイドとして至って普通にしているのですが――


「あんた、大丈夫? おかしいよ?」

「大丈夫です。メイドの業務に支障はありません」

「可憐!? ちょ、目がイっちゃってるよ!? 目を覚ませ!」

「そうだ! お前はメイドじゃない! 数学のできない高校生だ!」

「金の切れ目が縁の切れ目で付き合ってる我が友だ!」

「写真見て「あー、こりゃ私の勝ちだわ」とか言ってるのを後で痛々しく後悔するような後先考えない奴だ!」

「カッターついた怪獣が好きな奴だ!」


 あら、勘違いされていますわ。


「私が好きなのはそのカッターついた奴とコンビで戦ったドリルです」

「金星の子好きだったよね?」


 いや、だから勘違いされていますわ。


「いいえ、好きなのは土星の子です」

「ナビゲーションキャラの攻略ルートが実装されていないと知った時どうだった?」

「もう慣れたわー」


 ――ハッ!?

 私、何をしていたんだろう?


 * * *


 ピ、ピ、ピ。

 何故か使用を強要された体温計が音を立てて計測終了を告げる。見てみる。平熱だった。

 友人一同は体温計を取り上げ、難しい顔でジッと数値を眺めている。平熱だって。ただ、メイドやってたら妙なノリになっただけだって。


「分かった。一人暮らしの弊害だね。友達を呼んだり、友達のためのコーナーを作ったりすると朝のような異常はなくなるでしょう。医者の言うことは素直に聞くもんだよ、キミぃ」

「医師免許とか提示してくれる? ヤブだったら医療系の委員会に訴えてやるから」


 二つの意味で、こいつらを今の家にいれるわけにはいかない。今朝、私がどうなっていたかを聞けば、その思いはますます強くなる。あの人形が何もせず、おとなしく普通の人形のフリだけをしてくれるわけがない。可能性としては、気づかれずに私をいじり倒して笑いものにするか、恐怖体験をこいつらに提供するか。後者についてはちょっと面白そうではあるけど……ここは善意の友情を取ろう。


「でっかい屋敷なんでしょー? いいじゃんかー」

「そーだそーだー」


 机を囲んでプレッシャーをかける数名。既に今朝の様子がおかしい私については話題にすらならない。


「いいや、来ちゃダメ。やっとの一人暮らしだもん。もう少し満喫させて。というか、まだ片付いてないから、それ終わってからにして」


 本当はだいぶ片付いたけどね。片付けさせられたけどね!


「なんでさー、ケチー」

「お前には人情がないのか? 赤い血が流れていないのか?」


 理由の一つ目では納得させられると思っていない。かといって、二つ目については言うことすら――


「うるさい。こうすることによって、私はみんなを守っているんだ! 私は選ばれた戦士だ!」

「何言ってるの?」


 わりと事実だ。来たらメイドにされてしまう可能性がある屋敷とか嫌すぎるでしょ。


 * * *


 帰り道が変わったので、正直なところ、まだ違和感がある。新しい家、というよりは一時的に泊まらせてもらっているといった感じだ。早く慣れるといいんだけど。歩く速度に合わせて代わる代わるの街並みもこれじゃあ旅行か散歩気分で新鮮味ばかり。それだけでは物珍しいだけだ。


「ただいまー」


 テンションは高くもなく低くもなく、私はドアを開け――


 ――ヒュン


 飛んできた落花生による額への衝突で怯んだ。


「痛っ」

「た・だ・い・ま・も・ど・り・ま・し・た・! でしょう! ここは仕事場ですのよ!」人形お嬢様はティーテーブルの上で腰に手を当て、変わらない表情で怒っていた。

「違わい! 家だよ! ホームグラウンドだよ!」

「せめてマイホームって言いなさいな!」

「それ和製英語だろ、この元イギリス人形!」

「日本暮らしが長すぎるのよ!」


 エリザベスに詰め寄りながら怒号を浴びせると、同程度のそれが返ってくる。初日から今日に至るまで、こんな場面が何度もあった。おかげでもう慣れてきた。


「とにかく、着替えなさい」

「うっ……分かってるっつーの」

「言葉遣い」

「やだ」

「しもべたち! この愚か者に身の程を――」


 やばい。


「分かりました! すぐに着替えますのでしばしお待ちくださいお嬢様!」

「よくってよ。ズズー」


 紅茶をすするフリまでつけてお嬢様気分の人形(アニメキャラクターのフィギュア)。ちくしょう。こいつのしもべは厄介なんだよなぁ。物は飛ばすし明かりはつけたり消したり。私の耳元で百人一首を延々つぶやき続けたり(ご主人であるエリザベスに似たのか、声真似がやたらうまく、好きな声優の真似をされた……)。正直、エリザベスより厄介かもしれない。奴らをけしかけられると、これはもう降参するしかない。


 私の部屋は屋敷の二階。これまた流石、広くてちょっと困るレベルだったけど、自分で望んだことだ。それに、どうあれやっぱり嬉しい。

 部屋にはトルソーにかけられた漆黒と純白のエプロンドレス……。


「またかけられてる……」

「見栄えがいいもの」

「うわっ!?」


 いつの間にか、エリザベスが私の通学鞄に張りついていた。


「お屋敷に年頃の女の子、お部屋には常にメイドさんのためのドレス。働く姿にはディアンドルもいいけれど、やっぱりこれよね」

「そんなこと言いながら、私が着たら笑うじゃん」

「面白いもの」

「クローゼットにしまったのに」

「ダメよ! 折角の美が損なわれるわ!」


 表情が変わらないのに怒るからちょっと面白かったり不気味だったりする。こういうところ、変な奴だなぁ、と思う。心の底から。

 鞄をベッド(デカい!)に放って、私は早速着替えに取り掛かった。数分ほどで終わり、鏡の前に立つ。うう、似合わねぇ。


「プフゥ!」

「もう三日目なのにまだ笑うか」


 軽いデコピンで、肩に乗っていたエリザベスを攻撃する。笑いは止まらなかった。


「さぁ、可憐」

「分かってる。掃除からね」

「その通り。自分の家は綺麗にしなければいけないわ。あと、言葉遣い」

「かしこまりました、お嬢様」


 正直なところ、満更でもないかなぁと思えてきている。

 メイドさんになるなんて、考えられなかったけど、ちょっと憧れはあったし。仕える相手がフィギュアだっていうのがなんというか、アレだけど。


 メイドの仕事は、なんというか、地味だ。そして大変だ。

 大きなところでは、やっぱり掃除。

 掃除用具を何種類も使って、毎日大掃除と言っても過言ではない規模で屋敷を磨く。ただでさえデカいので、何日かに分けないと屋敷全体は無理だ。背負った数種類のはたき、ワゴンのバケツから何から全部使うという事実も重なり、大変の度合いは私の心に直接圧し掛かってくる。

 しかし、定期的に管理されていただけあって、深刻と言えるようなところはないし、いかにもメイドやっているという感じはあるので、昨日の途中から段々楽しくなってきた。


「可憐、今日は何か歌いながらやりましょう」

「やりましょうって、お嬢様は見てるだけじゃない」

「私は非力な人形だもの」

「しもべたちにやらせてたんだっけ?」

「そうよ。あーあ、1/1でいい身体があればいいのに」

「持ってても、やらせる側にいるつもりでしょう?」

「そうね、きっとそう。だから、せめて一緒に歌ってあげるわ。何がいい? UKロック? ブルース?」

「アニソン。お嬢様、声真似上手だし」

「古いアニメ分からないわよ」

「アニメより年食ってそうなのに!?」


 絞った雑巾から出た水がバケツに突撃する音が鳴り響くと、それを合図にしたのだろう、エリザベスは歌いだした。中々うまい。ちくしょうめ。

 歌には自信がないので、私は鼻歌でごまかすことにした。


「可憐、ちゃんと歌いなさい」

「鼻歌も歌ですよーだ」天井隅をはたきで攻撃したのち、掃除機を使用。歌も掻き消される。

「ダメよ、歌って」


 おっと、しつこい。チラリと見れば、ワゴンに乗って足をぶらぶらさせながら――まっ、固定表情だよね。だけど分かる。スッゴイ不満そうだ。

 ……分かっちゃうの、やだなぁ。


「歌は得意じゃないから嫌だよ」

「うまい下手は関係ないわ。楽しく掃除するためよ」

「歌って掃除するのは楽しいっていうの?」

「私はとても楽しいわ。フフ」


 そりゃあ、うまい人は楽しいでしょうね。

 ちょっと乱暴気味にワゴンを引いても、エリザベスは歌をやめない。これはいいかも。聞いている分には楽しい。


「フン、フーン」


 鼻歌は続行。今日の屋敷内のノルマはもうじき終わる。

 エリザベスは歌い続ける。流行りのアニソンから何から。お気に入りはどれだろう。

 固定表情の人形は機械的ではなく、感情を乗せながら歌う。私がワゴンを引けば、その先に歌が満ちていく。大きすぎるこの屋敷に、埃の代わりに明るさと精気が舞うようだ。リズムが世界で踊り、発声は至る所に反射する。

 気づけば、まるで屋敷が楽器――楽隊になったみたい。

 私は、とうとうそれに釣られて歌いだした。

 エリザベスとは比べ物にならないほど、下手な歌。


 だけど、お嬢様は、ご機嫌になって歌い続けた。身体がフラフラ揺れる。私も揺れながら掃除をする。

 ステップを踏んだり、くるりと無駄に回ってみたり。これが楽しい。ドレスのふわっとした部分が活きる気がする。


 屋敷内のノルマが終わった瞬間、エリザベスは私の肩に飛び乗った。


「次は外よ。歌いながらいきましょう」

「はいはい、お嬢様」


 外用の道具を持ち、私は人形お嬢様と歌いながら、少し落ちてきた陽を浴びた。

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