エリザベスと新田可憐

伊達隼雄

初日


 それは、少し古臭く、長い年月を感じさせて不気味ではあるけれど、立派で、大きな洋館だった。校舎一つ分はあるんじゃないかとさえ思える。

 ここが、今日から私の家になるのか――


 一人暮らしをすることになった理由については、長くなるので省略しよう。要は、一人悠々と過ごせる空間と、通学の苦にならない位置と、その他諸々を解消できる術を、父が受け継いでいたというだけのことだ。

 父の曽祖父という人は、この家を決して手放そうとはせず、長きにわたり父の実家で管理されていた。

 私は、掃除などの雑務を引き受けることを条件に、このお屋敷に済むことを許された。軽いノリで了承された。

 預けられた鍵は、これまたゴシックなデザインで、綺麗に磨かれていた。


 すうっ、と大きく息を吸い込む。屋敷が生きた時がそのまま流れ込んでくるかのように、独特の臭いが私の中に入った。それを不安や緊張と共に吐き出し、頬を叩いて気合を入れる。まずは掃除だ。これはやりがいがあるぞ。頑張れ新田可憐にったかれん。お前はやれば、できる子だ。

 厳かなドアの鍵穴に銀を差し込み、久しく鳴るであろう小さな仕掛け音を起こす。最後の掃除が三ヶ月前と言っていたから、それ以来か。


「お邪魔しまーす」


 よく管理されていたらしく、さすがというか、ドアを開ける時にありがちなキイイ……という音は怖い様子ではなかった。適度にくたびれている。

 明かり取りはあるけれど、薄暗かった。


「あら、いらっしゃい」

「あっ、どーも、お邪魔します――」


 思わず応じてしまったが、はて、おかしい。

 誰か来ていたのだろうか? 父の実家の方だろうか? 掃除の方だろうか? 確か、引継ぎに一人来るって……。

 いやいや、声の調子は幼い女の子だった。どういうわけだろう?

 私は声の主を確かめるべく、玄関から先を見回した。特に誰もいない。


「あの、新田可憐です。今日からここに住むことになりましたー。誰かいるんですかー?」

「ここよ、ここ」


 どこだよ。

 声の方を探ると、向こうに椅子二つに挟まれたティーテーブルが見つかった。花瓶が乗っていて、おしゃれだ。ちょっとわくわくする。しかし、肝心の声の主が見つからない。


「あの、新田ですが……新田新平の娘ですが……」

「しんぺい? 知らないわね。それより、こちらに来て座ったらいかが? おいしいお茶がありますわよ」


 いや、だからどこから話しかけているんだよ。

 まぁ……お茶をくれるっていうなら、いいけどさ。


 私は片方の椅子を引き、疲れもあったのでそのまま腰かけ――


「ちょっ、お待ちになって!」

「え?」


 なんだろ――


「ぎゃ」

「ひゃっ!?」


 尻に何か当たったよ!?

 思わず飛び跳ねた私は、椅子の上の先客に気づいた。



 人形だった。

 アニメのキャラクターのフィギュア。我が家にもおられるよ。



「……えっと……すみません」


 ぎゃ、が気になるけど、私は姿の見えない声の主に対して謝った。どこにいるんだろう。


「どこに向かって謝っているの? ここよ、ここ!」


 声は、下から聞こえた。

 古い洋館。誰かの声。人形。

 やだなぁ。声の方を向きたくないなぁ。これ絶対怖いやつだよ。足ガックガクだよ。冷や汗ダラダラ。帰りたい。一人暮らしやめたい。


「ちょっと! 謝るなら当人の方を向いて謝りなさいよ! こ・こ・よ! ここ!」


 声の勢いが強くなると同時にかかるプレッシャーと寒気も増す。私はとうとうそれに耐えきれなくなり、声の方を向いた。


「そうよ、こっちを向いて謝りなさいな」


 喋ってた。動いてた。

 桃色の髪をなびかせ、派手な衣装に身を包んだ、愛らしいキャラクターフィギュアが、動いていた。


「どえええええええ!?」


 ほとんど反射的に、私は椅子を蹴飛ばした。「ぎゃ」という声と共にフィギュアが宙を舞う。椅子は転がった。この隙にダッシュ! 逃げよう、逃げ帰ろう!

 ガチャガチャ。ドアが開かない。鍵。動かない。


「ホラーだこれ! ホラーだぁぁぁぁぁ! 嫌だぁぁぁぁぁ!」

「ちょっと待たんかい! なんで蹴飛ばすの!? そういう流れだった!?」

「呪われるぅぅぅ! 動く人形は呪ってくるぅぅぅ!」

「お望みなら呪うけど私だって呪う相手は選ぶわ! ちょっと落ち着け!」

「殺さないでぇぇぇ!」

「あんたのお家じゃお茶飲みは殺害予告か! いいから来い!」


 * * *


 人形は力づくで私を押さえつけようとしたが、力そのものは人形らしく弱々しかった。しかし、しつこい。私は遂に観念して、彼女の言う事を聞くことにした。


「落ち着いた?」


 人形に正座させられて落ち着くわけがない。そわそわだ。

 昔見た映画では、動く人形は表情も変わっていたけれど、このフィギュアは作られたままの顔だ。

 関節はちゃんと動いているし、自立もできている。嫌だなぁ、怖いなぁ。


「あなた、お人形とお話しするのは初めて?」

「会話は初めてですっ!」


 一人で話しかけたことは何度もあるけどさぁ! 今でもやってるよ! 子供の頃は市松人形が一緒だったっつーの!


「そう。私はエリザベス。かつてこの屋敷に住んでいた少女が持っていた――」

「ストップ! ありえないよ! 君、最近のアニメのフィギュアじゃん! 私も最近買ったばっかりだよ!」


 突然の自己紹介はあまりにもおかしなものだった。かつてって、どれだけ昔だ。最近のアニメキャラクターのフィギュアが言うかつてって一ヶ月か?


「これは何代目かの身体よ! 本体はもっと精神生命体的なもので――」

「怖いよ!」

「ちなみに通販で買ったわ」

「知らないよ!」

「元はイギリス製の人形よ」

「聞いてないよ!」


 いりもしない情報を次々と披露してくれるエリザベスさんは、私が姿勢を崩そうとするとすぐに元の正座を要求した。あんたが変なこと言うからなんだけどなぁ。

 そんなこんなで、一時間も一方的に話されて私が分かったことは彼女が何代も身体(人形)を乗り換えて生きている……立派なおばけということだけだった。うん。知ってた。一発で分かったわー。


「さて、あなたには何か罰を与えなければね」

「この正座は罰じゃないんですか? 蹴飛ばしただけなのに」

「私に1/1スケールの身体があったらあなたを蹴飛ばして差し上げたのにね! 残念だわ! ああ、なんて残念! 残念だから、あなたメイドになりなさいな」

「意味分かんねーよ!」

「手伝いが欲しかったのよね。しもべたちに命じて人のフリをしたり偽物を作ることはできるけど、やっぱり不便だもの。ああ、ようやく人間が来てくれたわ」


 エリザベス(もう敬称はいらん!)はない表情でも声の調子とアクションでうっとり、陶酔を示した。

 それにしても……こいつ、力はないんだ。ドアを閉めたりはできるみたいだけど、案外力で押せばどうにか――いや、さっきしもべって言ったな。だけど、聞いている限り、やっぱり私でもどうにかできそうな。


「これを用意した甲斐があったわ!」


 薄暗い中に光が一本立った。どうやった。

 照らされたのはトルソーに着せられた、漆黒と純白の――


「エプロンドレス――!」

「あなた結構似合いそうよ。着ましょうそうしましょう。それに、私はこれでもこの家をこっそり守ってきたのよ? そんな私に何の断りもなく住もうだなんてひどいわ。働くぐらいいいじゃないの」


 ――ハッ! いかん、のせられてはいけない。そりゃ確かに憧れますよエプロンドレス。鏡ないかなー、鏡。これでもケッコー自信あるんだよなー。って、いかん。ダメだって。こんな餌に私が……。


「可愛いメイドさんがいるととても楽しいわ」


 まぁ、私は可愛いからね。仕方ないね。って、なんだそりゃ。いかん、いかん。

 くっそー、この人形め。なまじ私の好きなキャラクターの姿をしているからくすぐったい。


 ――次の瞬間、そいつは、あ、いや、そのお方は声色を変えてきた。


「ねぇ、メイドになってくださらない」


 声真似上手――!


「うおおおおお! うおおおおおお! 今の、今のもう一回! 今の声でもう一回!」

「何度でも言ってあげますわ。メイドになってくださらない?」

「ひゃああああ! その姿でその声はダメだってばぁぁぁ!」

「あのドレスはあなたに似合うと思うのだけれど」

「着る着る超着る! エプロンドレス大好き!」


 人形が表情も自在だったら、きっと満面の笑みだっただろう。


 * * *


「はめられた……」


 すっかり明るくなった屋敷内で、私は椅子に座って膝を抱えていた。

 結論から言えば、ドレス、めっちゃ似合わねぇ。ええ、そうですよ。どうせ大して可愛くない平々凡々たる高校生ですよ。可愛らしいメイドさんなんて夢のまた夢。あれは十三歳がやるもんだ。


「似合ってる似合ってる。プフゥ!」

「笑うなっ! この呪い人形め!」

「あらぁ? 私、呪いなんてできませんことよ? オーホホホ!」

「ぐっ、騙しやがったな……!」

「怖がりなところも可愛いくってよ。プフゥ!」

「こんのヤロウ!」


 はしたなくスカート翻しながら、私はエリザベスに向かって飛び蹴りを放った。マイファーザーも悶絶するキックを受けてみよ!

 躍動する肉体を縛りつけるメイド服に若干筋肉の軋みを感じながらも、私の蹴りは見事にエリザベスを捉え――なかった。


 ズルリ。

 転んだ。用意された、慣れない靴のせいだ。


「痛っ」

「何やってるの? 私を踏みつけるつもりだったら、こちらよ」


 テーブルの上で手招きしているエリザベスをキッと睨みつける。どこ吹く風だった。ちくしょう。


「さっ、メイドはメイドのお仕事をなさいな、新田可憐」

「……なんでやらなきゃいけないの? 一応、ここは私が住む家になるんだけど?」


 冷静に考えよう。私がメイドをやる必要なんてない。そもそも、勝手に住んでるこいつを追い出すぐらいはいいんじゃないか? ――けど、守ってきたって、言ってはいるんだよなぁ。


「だって、楽しいわ。あなた、学生でしょう? 部活は?」

「何も」

「暇でしょう?」

「暇でもない」

「どうせ家のことは自分でやらなきゃいけないんでしょう? メイドやるのも同じよ。せめて、この家に感謝を込めて綺麗にしたりなさい」


 エリザベスの口ぶりに、私は少しだけだが違和感を覚えた。まさか……。


「エリザベス、あんた、私が来るの分かっててやってなかった?」

「お嬢様と呼びなさい」

「はぁ!? なんでさ! あんた、ここの何なのさ!」

「ここでの生活は私の方が長いわ。それに、メイドは傅いてこそよ。今日から私はお嬢様、あなたはメイド」

「ぐっ……」


 ふざけるなと言ってやりたいけど……。


「言わなきゃ、ドア開けてあげなーい」

「はいはい! 何なりと命じてくださいお嬢様!」

「命じなきゃ何もできないなんて使えないメイドね」


 ぶっ壊してぇ。しかも、よく考えたらはぐらかされた。


「まっ、いいわ。開けてあげる」

「ありがとうございます、お嬢様」


 語調は怒りを抑えられなかった。

 外に出たら即行、こういうことの専門家を探し当ててこの人形追い払ってやる!

 ああ、きっと明かりさす外の世界は希望が――



「あまり長く出ないでね。ずっとそうだったとしても、寂しいものは寂しいんだから」



 ――まっ、しばらくはいっか。考えてみれば面白そうじゃん。

 人形のお嬢様にメイドとしてお仕え。うっへぇ、頭悪ぃ。

 だけど……うん。いいじゃん。


「ちゃんと帰りますよ。私の家だぞ、お嬢様」

「そうね」


 何はともあれ、私はドアを開けた。

 外の明かりが入り込む――



「あらぁ? 可憐さん、その格好はどうしたの?」


 外にいた、親戚のおばさん――引き継ぎに来た――に、メイド服の説明をどうしようと、私は困惑した。

 きっと、エリザベスお嬢様は後ろで笑っている。

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