第215話 東京都千代田区外神田の麻辣刀削麺

 水上バスの上で、生ビールを手にビッグサイトに乾杯する。また、明日だ。


「今日は、比較的穏やかだった」


 宗教的な自由でめがねっ娘教団でお布施をしてバーチャル宣教師の缶バッヂを入手する以外のミッションはなく、気ままに全館をフラフラ歩けばそれで終わり。


 サクッと帰るべく、丁度いい時間に発進する水上バスに乗り込んだのである。


 ビッグサイトから行き着く先は日の出桟橋。電車の最寄り駅はJR浜松町になる。好天の下、約20分の船旅をビール片手に満喫するのは、夏の楽しみの一つだ。


 水属性の自分にとって、海上はとても心地良い。乗り物は苦手なのだが、船だけは平気なのだ。


 海上から眺める都会の風景を楽しみながらビールも飲み干した頃、日の出桟橋に到着する。


「もう、陸か……」


 正直、物足りないが、仕方ない。発進すれば到着するのだ。


 日の出桟橋からは、発着場を出て右手に少し行ったところで左に折れる信号を渡り、後は道なりに歩けばJR浜松町駅だ。


 その頃には、腹の虫が騒ぎ出すが。


「どうせなら、秋葉原で喰おう」


 ということで、JR京浜東北線に揺られることしばし。秋葉原へと降り立った。


「ここの空気は、安心感があるなぁ」


 長年通っているのもあるが、この街の在り方がいいのだ。


「さて、どこで喰ったものか?」


 とりあえず、中央大通り方面へ向かうが、ピンとこない。


 神田明神通りを西へ向かって一つ目の角を北上し、アキバオーなどがある界隈を歩く。


 幾つも気になる店はあるが、並んでいて、今はそんなに気長に待つ心境ではない。腹の虫の都合だ。


 しばらく末広町方面に向かって歩いていると、


「お、そういや、ここは行ったことなかったな……」


 何年も前から気になっていたが、何かと行く機会に恵まれなかった刀削麺の店だ。


 並んでいないし、これはいいチャンスじゃないか?


 腹の虫の我慢もそろそろ限界だ。


 ならば、行こう。


「基本は、四川か」


 店頭の食券機には、麻辣刀削麺と、坦々刀削麺、それぞれの汁無し。その他にも色々あるようだが。


「ここは麻辣だな」


 麻辣刀削麺の食券を購入して店内に入る。


 厨房を正方形に区切った手前と左側をL字に囲むカウンター席のみの、こじんまりした店の様子だが、入った途端、花椒の香りがするのが、いい。


 空いていた席に座り食券を出せば、後は待つばかり。『ゴシックは魔法乙女~さっさと契約しなさい!~』を起動する。現在はセーラーイベントだけれども五乙女なので粛々とこなすのみ。五悪魔ならリリーだ。奇しくも、リリーも水属性。これは偶然ではないだろう。


 そんなことを考えながら、出撃する暇はなさそうなのでおでかけだけ仕込んで調理の様子を見る。


「なるほど、刀で削る、か」


 厨房の奥で、俎板に貼り付けた麺の種を、シャッシャシャッシャと包丁で削っているのだ。なんだか、こういうのは職人の技を間近で見れて楽しいな。


 そうして、ほどなく、注文の品がやってくる。


「熱いので、下を持ってください

 こういった気づかい、とても嬉しい。


 言われた通りに底を持ってカウンターに置いて、改めて中身を確認する。


 一番上にバサッと乗った香草は、匂いからしてパクチーか。後は、もやし、挽肉。そして、乾燥唐辛子が浮いている。辣だ。


 スープは褐色だが、これは麻メインだから赤みが強くないのだろう。スープの中には、平たくぶっとい麺が見える。刀削麺だ。


「いただきます」


 何も考えず、手近な麺を食べる。


「なるほど、すいとんのような感じか」


 モチモチした食感は、麺というかそういう印象だった。


 あと。


「そして、すげぇパクチー……」


 強烈だ。舌に痺れを感じるので麻味は確かにあるのだが、鼻に抜けるのはパクチーだ。四川というか、もっと西側のアジアンテイストを彷彿とさせるな。


 とはいえ、スープは麻辣味ではある。後から追い掛けてくるパクチーが全力で追い抜いていくので目立ちすぎるのだ。


「これ、パクチー苦手な人は要注意だな」


 日本人はブームに乗せられてパクチーを入れすぎると現地の人にまで言われていると聞いたことがある。私は平気だからいいものの、これ、ちょっと多くね?


 などと思いつつも、ベースの味はとても好みだ。刀削麺にスープと絡めたところにモヤシの食感や、挽肉の旨味が絡んで来るのがいい。


 そうしてしばし楽しんだところで。


「これ、ずっと気になってたんだよなぁ……」


 備え付けの調味料の中でも一際目を惹く黒い液体の入った瓶。


 醤油か何かと思ったのだが、


「鎮江香醋……酢、か」


 どうやら、酢の一種のようだが、こうしてあるからには、使っていいのだろう。


「とりあえず、レンゲに入れて味見だ」


 こういうとき、悲観主義の私はいきなり入れるという愚は犯さない。見たことない調味料は必ず味見なのだ。


 そうして、黒い液体を注いで舐めて見れば。


「紹興酒???」


 なんだか、そんな味だった。


 これは、いい。


 紹興酒は癖が強くて好みが分かれるが、私は好きだ。ザラメなんていれず、オンザロックや燗でいただくのだ。


 この味なら、大丈夫。


 レンゲの中身をスープに入れ、再び食せば。


「おお、正解だ」


 酸味だけでなく、香が加わったことで、パクチー一色になっていたところに新たな華が咲いた感じだ。


 旨い。


 当たり前だが、このスープに抜群に合うな。


 味変に成功して、喜びの中、食を進めていく。


 腹の虫もすっかり大人しくなって従順に胃の腑に落ちてくる食物への喜びを穏やかに楽しんでいる。


 そんな中。


「痺れる……しっかり、麻だ」


 舌先は、心地良く痺れて花山椒の存在を感じられる。この感覚がいいんだ。


 食が、どんどん進めば、当然、残り少なくなってくる。


「これは最後までいきたいが、ならば……」


 もう一度、鎮江香醋を回し入れ、更に香と酸味をプラス。


「うんうん、〆のスープにぴったりだ」


 ということ。


 酸味は、他の強い味を中和してくれる。鎮江香醋を増やしたことで、これまでとは趣の異なる味に倒れて、新たな味が楽しめる。


 癖は強いが、好きな人は大好きな味だな、これ。


 レンゲで残った具材をさらえながら啜り、最後には、丼を傾けて飲み干す。


「ふぅ」


 舌先の痺れと、額の汗。麻味と辣味の効果。


 夏に心地良い代謝の予感。


 しばし、余韻に浸り。


 最後に、水を一杯飲んで気持ちを切り替え。


「ごちそうさん」


 食器を付け台に乗せて店を後にした。


「さて、少し買い物していくか」


 秋葉原の裏道へ、歩み入る。

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