第150話 東京都中央区日本橋人形町のフュージョン(ヤサイニンニクショウガ)

「台風、大丈夫か……」


 夏を目前として、首都圏に台風が迫っている。


 朝から霧雨が舞い、強風が傘をひっくり返していた。


 そんな中、朝から秋葉原の街を散策し Hey に吸い込まれて『ゴシックは魔法乙女~さっさと契約しなさい!~』の世界観の『デススマイルズ メガブラックレーベル』をフォレットでクリアしてお風呂エンドを鑑賞した後。


「そろそろ、腹の虫の準備もできたか……なら、いくか」


 ずっと気になっていた麺を出す店が比較的近い人形町に最近できたと知って、狙っていたのだ。


 秋葉原から十分徒歩圏内ではあるが、雨の中を歩くのを嫌い電気街から観てJRの駅の裏手へ回り、日比谷線で人形町へと向かった。


「えっと、こっち、か……」


 土地勘がないため地図を片手に少し彷徨うことになったが、開店から十分と経たない時間に店へと辿り着くことができた。


「一杯、か」


 その彷徨った時間の差か、小さな厨房をL字に囲む七席のカウンターは全て埋まり、目の前で入った人から待ちになった。


 ギリギリ二人並べる狭い入り口に入り食券を確保する。


「当然、これだな」


 狙っていたメニューを選び、待つ。


 どうにか雨風は凌げているが、狭いスペースだけに荷物を持っているとそれ以上の余裕がない。残念ながらゴ魔乙はできないが、初めての店だ。店内を観察して待つことにしよう。


 入ってすぐ左手に食券機。その下には、紙エプロンやマスクがある。また、食券機場にはボックスティッシュ。席に持参して帰りに戻すシステムのようだ。


 食券機のある短い通路の奥は手前と左側がL字のカウンター。右側は壁。その中に囲まれた厨房。


 席の調味料は、唐辛子、胡椒、かえし、か。あと、まぜそば用かマヨネーズもあるようだ。


 更に、できあがりに尋ねられるトッピングの作法も先客からラーニング。ニンニクとヤサイの他に、ショウガもあるようだ。


 そうこうしている間に先客が食べ終わり、出て行こうとするとつっかえるので一旦店の外に出て導線を確保したりしていると、もう一人の客が食べ終わる。


 その客が出て行くのを見送れば、自分の番だ。


 いい感じに右奥のカウンター席を確保し、一息。十五分ほどとはいえ、荷物を抱えて待っているのは少々体力を消耗した。


 座れただけで人心地ではあるが、よく考えれば水はセルフだ。


 入って左手、L字の角のところにある給水器から水を確保して、今度こそひと段落。


 できあがりまで『ゴシックは魔法乙女~さっさと契約しなさい!~』をプレイして待とうと思えば、すぐに声が掛かる。


「ニンニクどうしますか?」


 どうやら、先に麺をゆで始めてくれていたようだ。有り難い。


「ヤサイニンニクショウガで」


 見よう見まねでコールを通す。


 すぐに盛り付けが始まったので、出撃する時間はなさそうだ。


 居住まいを正して待てば、注文の品がやってきた。


「これが、フュージョン」


 関西に店舗はないが、某コンビニ限定のカップ麺が非常に完成度が高い激辛系の麺と、豚骨醤油にニンニクヤサイアブラな麺。


 この二つを融合フュージョンさせたというのが、この丼の中身だ。


 山となったもやしとキャベツ。そのままトンテキにできそうな分厚く大ぶりな豚。麓に並んで添えられた、たっぷりの刻みニンニクと生姜。


 そして、山の裾野にかかる麻婆豆腐。


 そこには、夢があった。


 混ぜればきっと美味しい。


 誰もが描いた夢が、丼の中で具現化されているのだ。


 感動的な映像ではあるが、見ているだけでは満たされない。


「いただきます」


 箸とレンゲを手に、まずは麻婆豆腐の掛かったヤサイを口へと。


「いいぞ、これは」


 シャキシャキのもやしを絡め取る辛味麻婆。激辛というほどではない旨辛との組み合わせは、新鮮で楽しい。


「こうなったら、まぜないとな」


 まぜ合わせて、初めてフュージョンが完成する。一口でそう感じさせられる味わいだった。


 幸い、ヤサイはそこまで多くはない。箸とレンゲで比較的容易に天地は返せる。


 そのまま、豚を沈めニンニクとショウガも豪快にスープに溶かし。


 麻婆が麺とヤサイにしっかり絡んだところで、思い切って口へ運ぶ。


「……これは、新たな味だ」 


 味は決して足し算ではない。


 好きなモノと好きなモノを合わせたからといって美味しいかというと難しい。


 だがこれは、間違いなく美味しい。


 それも、足し算の元になったものとは別の、新たな味として、旨い。


 辛味噌ラーメン的な方向性だが、食べ応えのある太麺とごつい豚、ニンニクの刺激はもう一方の専売特許。そこにどちらにも含まれないショウガが加わることで、旨く味の整合が取れているように感じる。


 このフュージョン、成功している。


 新たな旨みとの出会いの興奮に身体が熱を帯び、全身から汗が噴き出してきた。


 いや、思ったよりもカプサイシンが頑張っているだけかもしれないが。


 腹の虫の導きに盲目的に従い、箸とレンゲを動かすマシーンと化して、麺とヤサイを喰らう。豚に齧り付く……ん?


 満を持して食した豚は、特に味付けされていないからか、存在感ある偉容に比して意外に淡泊だった。


 勿論、辛味噌味はあるが、それでも、まだまだ素朴さが残っている。


「ならば……」


 備え付けのゴリゴリ回すタイプの胡椒をふりかけ、かえしを少々ぶっかけ。


 更にスープに潜らせて改めて齧り付けば。


「豚が目覚めた……」


 胡椒とかえして豚の風味が引き出され、先ほどとは比べるべくもない味の存在感を示す。


 もう、大丈夫だ。


 後は、一心不乱に食すのみ。


 だが。


「ヤサイで薄まったか……」


 段々と、刺激が低下してきていた。


 でも、大丈夫。


「ええい、こうしてやる!」


 一味を全体にふりかけ、更にかえしを回し入れ、かき混ぜる。


 改めて味見にレンゲでスープを飲めば。


「ぶふぅ……っと、いけないいけない」


 辛味を吸い込んでむせたのはご愛嬌。


 ともあれ、刺激が回復したのは間違いない。


 期待通り、麺もヤサイも豚も、調子を取り戻していた。


 ただただ旨みの奔流に身を任せ、脳に叩きつけられる多幸感にトリップしていれば、無情にも丼の中身は減っていく。


「そうか、もう、終わりか」


 赤いスープだけを残す丼に、寂しさを覚える。


 もっと一緒にいたかった。戯れたかった。


 だが、何事も終わるからこそ美しく尊いのだ。


 席を立ち、水を補充する。


 レンゲで、一口、二口……三口。


 別れを味わい。


 一気にコップを空け。


 付け台に食器を戻し。


「ごちそうさん」


 名残を振り切り店を後にした。


「とてもいい食の体験だった」


 しとしとと雨降る人形町の街。


 せっかくだから、徒歩で秋葉原に戻るのも一興か。


 と思ったところで、傘が反転する。


「大人しく、地下鉄に乗ろう」


 日比谷線人形町へと、進路を変更する。

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