第10話 大阪市浪速区難波中の濃厚どろ醤油らー麺

 お盆休みである。


 幸いなことに、夏の祭典が終わっても、まだ一週間も休みが残っていた。休み前は相当バタバタしていたので、映画でも観に行ってゆったりと過ごしたいものだ。


 思ったなら実行あるのみ。映画を観るために難波に出ることにする。ついでに、早めにでて昼も済ませるとする。


 休みで時間があるのだ。せっかくだから、行ったことのない店に行ってみよう。気になっていたけれど立地的に足を運ばないでいたラーメン屋がある。そこにしよう。


 と思ったのが間違いだった。


「溶ける」


 アイスもないしラムネもない。もう、ダメだ……


 難波で四つ橋筋沿いの出口から地上に出て数歩歩いたところで、『艦隊これくしょん~艦これ~』で秘書官にしている望月の気分がよく解った。いや、大阪は東京よりもずっと暑い。この日射し、殺しに来ている。


 因みに、望月改のレベルは当然155である。ここまで育てれば、望月だって対潜先制爆雷攻撃が可能なのである。


 また、疲れたときに休もうと行ってくれる望月は、癒しなのである。無理に働こうとしない夜戦の射線さえ適当なそのゆるい姿勢は、無理無茶無謀によるタダ働きを美徳としがちな現代の日本人が見習うべきものだと思うのである。


 そう、望月は今の日本に必要な存在なので、もっとみんなで愛でてくれれば夏の限定グラフィックスが実装されると信じている。いつもの姿の望月に絶望するのは今年で終わりにしたい。


 などと、望月にはどういう水着か考察し始めたところで我に帰る。


「そうだ、今はラーメンを喰いにいく途上だ」


 ここで妄想に耽っていたら、下手すれば不審者として通報されかねない。


 気を取り直し、歩き出そうとするが、


「あかん……」


 この暑さ、強い。


 ここは『ゴシックは魔法乙女~さっさと契約しなさい!~』の氷の悪魔リリーに出ばってきてもらって冷やしてもらいたいところである。


 残念ながら、まだ二次元を三次元に引っ張り出す技術は開発されていない。無いものねだりはしないでおこう。


「店は、きっと、冷房、効いてる、はず」


 そう自分に言い聞かせ、店に辿り着くモチベーションを無理矢理上げていく。


 今度こそ気を取り直し、重い足取りながら歩き出す。


 四つ橋筋沿いには余り来る用事がないので、新鮮な気持ちで歩く。この辺りは斜め交差が多く、また、四つ橋筋沿いに南下すると徒歩では渡れない場所などもあって回り道が必要になったりと少々ややこしい。


 とはいえ、『余り来る用事がない』だけで、見知らぬわけでもない。店に行くのは初めてでも大凡の位置が解る程度の土地勘のお陰で、迷わず目的の店へ辿り着くことができた。


 ドア越しに覗いてみれば、厨房に向かい合う形のカウンターと、少数のテーブル席のこじんまりした店舗。それほど混んではおらず、すぐ入れそうだ。


 早速ドアをくぐる。


「ああ、生き返る」


 涼しい店内に入ったことで、命の危険は去った。


 さぁ、飯だ。


 というわけで、食券機の前に立つ。見れば、ラーメン、つけ麺、まぜそばと一通りのラインナップが揃っているようだ。


「濃厚な鶏白湯の特製らー麺がメインのようだけど……ここは、これだ!」


 私が選んだのは、濃厚どろ醤油らー麺。レギュラーも濃厚を売りにしているのに、わざわざ『濃厚』が付いている。なんだか、インパクトがありそうだ。


 ランチは100円でセットにできるようなのでそれも購入し、ここまでの暑さを払拭するために生ビールも追加する。


 セットは幾つか種類があるようなので、焼豚おにぎりのセットにし、生ビールは食事と一緒に出して貰うことにする。


「お、そういやキムチが食い放題か」


 座席に備え付けの容器から、同じく備え付けの取り皿に取って待っている間に少し食べてみる。


「うん、くどくなくて、いいな」


 コンビニなどで買うと食べやすさ重視のためか旨みが過剰に付けられてキムチ本来の辛味や酸味が感じられないものがあるが、これはそうではない。新大久保直送らしいが、なるほど。鶴橋のものとは微妙に風味が違うのも面白い。


 などと考えていると、焼豚おにぎりが登場する。


「これは中々面白い見た目だな」

 

 大きな焼き海苔が敷かれた上には俵型に丸められたネギ入りの御飯。色合いから、出汁が染ませてあるようだ。そこに大ぶりな焼き豚が乗せられている。それが、二組。おにぎり自体は小さめに見えるが、全体では結構ボリュームがありそうだ。


 続いて生ビールとラーメンもそれほど時間を置かずに登場する。スピーディーにメニューが揃うのは嬉しい限り。ここのところ太めの茹で時間が掛かる麺が多かったので、これもまた新鮮な感覚だ。


 キンキンに冷えたビールがあるのだ。食そう。


 の前に。


「くはぁ、キンキンに冷えていて旨い」


 生ビールをゴクリといく。景気づけだ。


 喉が潤ったところで、ラーメンと向き合う。


「これはまた、濃厚に偽りないラーメンだな」


 背脂らしきものが浮いた、茶褐色のスープは見るからに濃そうだ。見た目からしてドロドロさが伝わってくる。


 具材は、おにぎりに乗っているのと同じだろう。そこそこ厚みのある大ぶりなチャーシューが2枚。それに、刻みネギとメンマに半分の味玉。比較的オーソドックスなラインナップである。


 まずは、何よりこのラーメンのポイントであろう、濃厚スープをレンゲで掬ってみる。


「あれ? なんだ、これ?」


 豚骨醤油系のガツンとくる味を想像していたのだが、全く想像と違う味がするのだ。見た目ほどくどくない。豚骨だけでなく鶏ガラや魚介も入っているのだろうか? 色々な動物系の出汁の風味が効いたガツンとくるのではなく出汁の旨みをじっくり味わわせるタイプの味だ。


 これは、いい。他では口にすることのない新鮮な味だ。こってりを期待すると肩透かしになるかもしれないが、わたしには嬉しい。


 一口麺を啜ってみる。


「うん、これは初めての旨みだ」 


 中細麺のほどよい食べ応えが加わって、バランスがいい。何より、見た目と味のギャップがやはり楽しい。


「では、こちらも」


 焼豚おにぎりである。海苔が敷いてあるということは、包んで喰え、ということであろう。店からのメッセージをそう解釈し(正しいかはともかく)従うことにする。


 まずは一つ、海苔に包んでがぶりと手づかみでいく。


「これも、いい」


 焼き肉おにぎりは経験があるが、焼豚おにぎりは食べたことがありそうでない。いや、そのままよくあるチャーシュー丼のようなものだと言ってしまえばそれまでだが、豚の味で出汁の染みたネギ混ぜ御飯を海苔と共に喰らうのは、ちょっとした贅沢な味わいだ。100円でこれを味わえるとは、頼んで正解だった。


 ビールをあおり、時折箸休め的にキムチを挟みつつ食べ進めるのだが、ラーメンを半分ぐらい食べたところで、


「この出汁はいい感じだけど、ひと味足りない気がしてきた……」


 インパクトのある味ほど、飽きがくるのは否めない。いや、飽きたというか、欲が出た、が正解か。もう一声、何かが惜しい、そういう欲が。


「何か、ないか……って、これだ、これしかない!」


 よく見れば、座席にはおろしニンニクが備え付けられているじゃないか!


「そうそう、これ。これが欲しかったんだ!」


 喜び勇んで、小さなスプーンで三掬いほどスープへ投入し、混ぜる。


完璧パーフェクト


 読子・リードマンにドニーの形見の眼鏡のように、ぴったりだ。いや、その至高と比べるのは正直言い過ぎかもしれないが、足りなかったものが埋められた満足感がある。


「旨し」


 言葉は、もういらない。


 ガツガツとおにぎりを喰らいつつ、麺を啜る。時に、おにぎりを咀嚼しつつスープを啜って味変を楽しむ。


 生ビールがここまで持っているはずがない。当然すっからかんだ。


 キムチをラーメンに入れる手も考えたが、これはバランスが崩れそうなので単体で楽しむことにする。


 かくして、ドロドロのスープを飲み干すまで幸せな食の体験に身を委ねた。


「ごちそうさん」


 満腹の腹を抱え、店を後にする。


 地元の店で新鮮な味に出会えたことで、まだまだ、地元にも沢山の未知の味があることを実感した。もっと色々な店へ行って、大阪の味を発見していこう。


 この店の各所に『東京中野味』と書いていたのは、見なかったことにして。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る