番外3
別に専門外なんかじゃないですっ!・その1
「三澄彩矢ってさぁ……可愛いよな」
隣を歩いていた友人――暁千歳が頬を赤らめながら突如発したそんな言葉に、佐倉直生は思わず足を止め、目をぱちくりとさせた。
「……はい?」
◆◆◆
「暁くんが、そんなことを?」
放課後、人もまばらになった教室内。
自分の席に座ったわたしが思わず幾度も瞬きをくり返しながら問いますと、その隣の席に座った直生くんは「そうなんだよなぁ」とどこか重々しげに頷きました。
「昨日の帰り道に、突然言ったんだ。いきなりのことだったからさ、俺もうまく答えられなくて」
「そうだったんですか……」
なるほど、と呟きながら、わたしは直生くんからお聞きしたお話を咀嚼するようにこくこくと首を動かしました。
直生くんが今おっしゃったことを、一言で簡潔に要約するとするならば――……。
「つまり暁くんは、三澄さんに懸想されている様子だと」
「ケソウ?」
「……あっ、ごめんなさい」
きょとんとする直生くんに、しまった、とわたしは口を両手で覆いました。
古い時代が舞台のボーイズラブなどを愛読することもあるわたしですから、もちろんそういったことに関しても少々人より詳しい自信があります。それゆえでしょうか、わたしはそのような言い回しを時たま好んで使用することがありました。
古語などは通じにくいことも多いので、できるだけ避けなければと思っていたのですが……つい出てしまうのは、もはや悪い癖ですね。
「お前ってたまに、そういう分かりにくい言葉を使うよな」
「あぅぅ……今のは忘れてください、直生くん」
「いや」
あわあわするわたしに、直生くんはふんわりと微笑みます。ポン、と頭に軽い衝撃があって、反射的に目を瞑ってしまいました。
わたしの髪の毛をわしゃわしゃとかき混ぜながら、直生くんは思いがけずポロっと口に出したみたいな言い方で、小さく呟きました。
「可愛い」
かぁっ、と顔が熱くなるのが分かりました。自分の心臓が耳元まで近づいてきたみたいに、ドクドクと音を立てるのがはっきり聞こえます。
何を言い返すこともできず、あうあう、と言葉にならない言葉を口にしていると、直生くんはさらに目を細めて笑いました。
その表情に、わたしはまたドキドキしてしまって……。
「――いい雰囲気のところ、悪いんだけど」
その時、いきなり近くで聞こえた声に、わたしは思わず飛び上がりそうになってしまいました。おずおずとそちらへ振り返り、同じく動揺しているらしい直生くんと順番に声を上げます。
「ちぃっ!?」
「あ、暁くん!」
そこに斜に構えて立っていたのは、ちょっと前までわたしたちが話題にしていた人物――暁くんでした。「相変わらず、場所を選ばずいちゃつきやがって」と、毒づくように呟いたのに、ことさら顔が熱くなってしまいます(もちろんこれは、不可抗力です)。
「まぁいつものことだし、別に気にしないけどな」
「分かってんなら邪魔すんじゃねぇよ、ちぃの馬鹿」
「そう固いこと言うなって」
直生くんの機嫌悪そうな声掛けにも、ヘラリと笑って対応する暁くん。
そんな彼は、隣同士で座っていたわたしたちの間を陣取るように、近くの空席から持って来た椅子を置くと、まるで当然とでもいうようにそこへ腰を下ろしました。
「なぁ。ちょうど今お前らさぁ、俺の話してたろ?」
「え、えぇ。はい。そうですが……」
「お前まさか、俺らの会話聞いてたのか?」
「聞こえたの」
驚くわたしと呆れる直生くんには気にした様子もなく、暁くんは飄々と笑ったかと思うと、不意に真剣身を帯びた表情になりました。それから何かを気にするように、きょろきょろと辺りを見渡します。
教室には既にわたしたち三人しかいませんでしたが、やはり暁くんは警戒するように声を潜めました。
「俺さ、今片想いしてんだよね」
「お相手は」
直生くんから伝え聞いていたお話で薄々気づいてはいましたが、一応問うてみます。
暁くんはますます声を潜め……恥じらうように、本当に小さな声で、こっそりと言いました。
「このクラスの、三澄彩矢なんだ」
暁くんご本人の告白に、やっぱり、と思うと同時に、直生くんからお聞きした時よりも現実味が増したような気がして、わたしは思わず息を呑んでしまいました。
「ちょ、ちょっと待って。お前、俺にそれを打ち明けてきた時はまだ三澄のこと『可愛い』とかそれくらいしか言ってなかったのに……結局、恋になっちゃったのか?」
直生くんがおずおずと、ほんの少し焦ったように尋ねます。
暁くんはほんのりと頬を染めながら、「あぁ」とうなずきました。
「昨日、ナオに打ち明けて……あれから一晩考えてたら、気付いた。あ、これ恋だわって」
「なるほど。ちなみに、三澄さんのどのようなところがお好きなんですか」
今度はわたしが尋ねると、暁くんは照れたように語ってくれました。
「なんつーか、さ。三澄って、そんなに背でかくないじゃん」
ご本人が耳にすれば、怒られてしまいそうですね。三澄さんは身長のことをとても気にしていらっしゃいますから。
「そのくせ、すごい気ぃ強いじゃん。強がりとか、すごい言うじゃん。そういうところがさ……なんていうか、守ってやりたいなって」
庇護欲をくすぐる、と言ったところでしょうか。
「あと、たまにちょっと天然なところあるし。そこも可愛いんだよなぁ」
そういえば前に直生くんが、暁くんの好きなタイプについて『普段はしっかりしているけれど、時折天然だったりするような可愛い一面を持った子』とおっしゃっていましたね。
なるほど……と思いつつ、わたしはこれから暁くんに言われるであろうこと――おそらく、協力とかそのようなことです――に対し、一抹の不安を覚えていました。
わたしは近頃彼女と仲良くなったのでよく分かるのですが、三澄さんは本当に気がお強い方です。どちらかというと、守られることを良しとしないタイプといいますか。弱みを見せたがらないと言いますか。
しかも近頃はほとんどその話をしませんが、彼女は以前直生くんに想いを寄せていたと言いますし……タフな方ですから既に吹っ切れていらっしゃるとは思うのですが、新しい恋なんて考えられないなどと思っていらっしゃるとしたら、危ないですね。
前に直生くんから打ち明けられた男同士の恋愛(まぁ、結局あれは嘘だったんですが)よりも、これはかなり難易度が高そうです。
「それで、ナオに――……あとそれから村瀬にも、ぜひ協力してほしいなって、思ってさ」
わたしが思った通りの言葉を口にした暁くんに、いつもならば『お任せくださいっ』と大見得切ってうなずいてみせるのですが……今日は、ほんの少し躊躇ってしまいました。
「瑞希?」
わたしがいつものように安請け合いすると思っていたらしい直生くんは、わたしの複雑な感情が現れた表情を見てか、気遣うようにこちらの顔を覗いてきました。
「何か、心配事でもあるのか?」
「もしかして、」
直生くんが心配そうに尋ねてくるのとほぼ同時に、暁くんが呟きました。え? とそちらを見れば、暁くんは神妙な表情をして一言、
「ノーマルラブは、専門外か?」
「なっ、そんなことないですっ!!」
わたしは思わずガタリ、と椅子から勢いよく立ちあがってしまいました。暁くん、そして直生くんが驚いたようにわたしを見上げますが、この際気にしてなどいられません。
そりゃあわたしは確かにボーイズラブが好きですし、一番詳しいのは何かと聞かれたらそのあたりの知識ですが……だからといってそれ以外は全く知らないから役立たないだなんて、そう思われるのだけはどうしても悔しくてなりません。
まったく、心外です。ぷんぷん。
「わかりました。ご協力いたしますっ」
熱を込めて、わたしは言い切りました。
「わたしが責任を持って、暁くんと三澄さんの間を取り持って差し上げますともっ!」
◆◆◆
「――で、引き受けてしまったと」
「はい……あぅぅ」
翌日。
後悔に苛まれながら、どんよりとした気分で学校までの道のりを歩くわたしに、隣を歩く幼馴染の結鶴ちゃんは「馬鹿ねぇ」と呆れたように溜息を吐きました。
「どうしましょう。わたし……あぁは言いましたが、ホントはノーマルラブの方はほとんどわからないんですよぉぉぉぉ」
「まぁ、分かってたら佐倉とももう少しうまく付き合えているでしょうからね」
「うっ」
慰めるどころか図星を平気でグッサリと突いてくる結鶴ちゃんに、わたしはさらに落ち込んでしまいました。
こういうことに詳しい妹の柚希に相談しようにも、近頃はコミックマーケットの締め切りが近いとかで、ほとんどお部屋に閉じこもったままですし……まったく、困りました。
「あうぅ。もう駄目かもしれないです、わたし……」
「あぁもう……道の真ん中で座りこまないでちょうだい。ほら、みんなの注目の的になっているわよ」
「知りませんよそんなこと……」
「まったく」
「……ふわっ!?」
しゃがみこんだわたしの両脇に手を差し入れた結鶴ちゃんは、そのまま軽々とわたしを持ち上げ、颯爽と歩を進めます。華奢な見た目――まぁ、女の子ですからそれは当然のことなのですが――とは違い、案外結鶴ちゃんは力持ちなのです。
「ちょっと、下ろしてくださいよぅ!」
「だーめ」
焦りながら宙に浮いた足をじたばたと動かすわたしとは対照的に、結鶴ちゃんは至極楽しそうです。
「はーい、幼稚園行きましゅよ~瑞希ちゃん」
「わたしは高校生ですっ!!」
結局そのままニコニコ顔の結鶴ちゃんに運ばれ、周りの注目を一身に浴びながら登校する羽目になったわたし。これは、直生くんとのことをからかわれるよりずっと恥ずかしいです……っ。
「おはよ……って、え? 何事?」
「お前ら……朝からどういう状況?」
教室へ向かうところの廊下で出会った直生くんと、その隣に並んでいた暁くんも、さすがにポカンとした顔になっています。
抵抗の意味を込めながら、なおも浮いた足をばたつかせるわたしを華麗にスルーして、結鶴ちゃんは歌うように、上機嫌な様子で答えました。
「愉快な見世物の、幕開けよ」
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