5.何故か呼び出されました

 それから、特に変わらない調子で一週間ほどか過ぎて……。

『今日の放課後、教室に残っていてください。二人きりで、お話したいことがあります』

 ある日の朝。

 学校に着き、下駄箱を開けるや否やそのような文章が書かれた便箋が出てきて、わたしは目を丸くしました。

「……何でしょうか、これは。果たし状?」

 一緒に登校してきた結鶴ちゃんに見せてみると、何とも呆れたような表情が返ってきました。……どうしてですか。わたし、何かおかしなことを言ったでしょうか。

「普通、ラブレターとか思わない? 何で一番に思いつく選択肢が、果たし状なわけ?」

「いや、だって。見てくださいよ。明らかに女の子の字ではありませんか」

 ずい、と見せつけるようにして結鶴ちゃんの前にそれを差し出してみます。まじまじと見た結鶴ちゃんは、僅かに眉根を寄せました。

「確かにそうね……まさか、同性愛者なわけではないと思うし」

「わたしは男の子同士の恋愛には萌えますが、そちらの方の趣味は残念ながらありませんよ……?」

「分かってるって。ちょっとした冗談ってところよ」

「結鶴ちゃんが言うと、冗談には聞こえないのですよ……」

 呟きながら、とりあえず便箋を鞄にしまいます。それが耳に届いたのか、気付けば結鶴ちゃんがジト目でわたしを睨んでいました。……あら、もしかしてこの展開は。

「ちょっとそれどういう意味」

「いえ、何でもありませんっ!」

 結鶴ちゃんがこちらへ殴りかかる真似をしてくるのを、キャー、などと叫びながら避ける真似をする……という、何とも子供っぽい戯れが始まりました。まぁ、戯れという名の通り、どちらも本気ではないのですけれどね。たまにやる、ちょっとしたお遊びというやつです。

 その状態のままで廊下を進んでいますと、ちょうど直生くんと暁くんが一緒に歩いているところに遭遇しました。

「あ、瑞希と白河」

「朝から元気だなぁ」

「おはようございま……すっ、と」

「おはよ、二人と……も!」

 連日の嫉妬作戦が功を奏したのか、最近さらに仲が良くなったらしく、一緒にいるところを見ることが多くなった直生くんと暁くん。

 そんな二人に挨拶をしながらも、やはり手を止めてくれようとしない結鶴ちゃんに、わたしも軽く意地になりながらバトル……という名の戯れを続けます。暁くんの苦笑と、直生くんのどこか微笑ましそうな表情が視界の端に映っている気がしますが、もうこの際どうでもいいですよ。最近わたしは、どうやら自分は二つ以上のことを同時に考えることができないらしいということをようやく悟ったのです。

 一つのことで常に精いっぱい。基本八割ほどが萌えで埋め尽くされているキャパシティの残りは非常に少なく、一つのことが入ってくるとすぐに埋まってしまう。それがわたし、村瀬瑞希の脳内なのです。

 それゆえに、この時にはもうすっかり忘れきってしまっていたのです。わざわざ放課後という時間帯を指定してわたしと話したいと言ってきた、誰かさんの存在など。


    ◆◆◆


「ちょっと、村瀬さん」

 放課後。

 この日は図書委員会の集まりがあったので、荷物をまとめたわたしはその足で図書室に向かうため、教室を出ようとしていました。そんな折に、突然呼び止められたのです。

「はい。……どうしましたか? 三澄みすみさん」

 振り返った先にいた、わたしより身長の低い小柄な女の子――三澄彩矢あやさんは、なんだかすこぶる機嫌が悪そうでした。いつも不機嫌そうなお顔をしてはいらっしゃいますが、今日はそれ以上です。

「どうしましたか、じゃないわよ! 下駄箱に入れといた手紙のこと、忘れたわけじゃないでしょうねっ」

「手紙……あっ」

 そうでした。今朝、下駄箱に『話したいことがあるから、放課後教室に残ってほしい』との内容が書かれた手紙が入っていたのでした。今の今まで、すっかりはるか彼方へと飛んでしまっていました……不覚。

「ということは、アレの差出人は三澄さんだったんですね」

「そうよ。っていうか、忘れてたわね」

「……ごめんなさい」

 何せ、忘れっぽいことに定評のあるわたしなのです。期末テストの日付なども、数日前からメモしておかないとうっかりその存在を忘れてしまって、前にも危うく大変な目に遭いかけたことが……って、いけません。また話が逸れそうになってしまいました。

「それで、わたしにお話したいこととは……」

 早速話を切り出してみると、三澄さんは忙しなく視線を彷徨わせます。どうやら、教室に誰もいないことを確認しているようです。

 やがて、わたしたち二人以外の全員が教室からいなくなっていることを確認した三澄さんは、教室の出入り口にいたわたしの腕を引き、中へと連れ戻しました。ちょうどいいくらいの位置まで来ると、わたしの腕から手を離し、改まった様子でわたしへと向き直ります。

 それから、意を決したようにこう口を開きました。

「単刀直入に言うわね。……あなたは、佐倉くんと一体どういう関係なの?」

「直生くんと、ですか? クラスメイトで、同じ図書委員で」

「それ以外には?」

 なんだか、三澄さんの視線が険しくなっています。……どうしましょう、ちょっと怖いです。

「そ、それから……えぇと、最近ちょっとした相談に乗って差し上げているので、よくお話はしますね。でも、それだけですよ?」

「……本当に?」

「えぇ、本当に」

「ファイナルアンサー?」

 どうして某クイズ番組のような尋ね方になっているのかは甚だ疑問ですが、わたしにとっても――きっと直生くんにとっても――答えはもはや一つしかないため、自信満々に答えます。

「ファイナルアンサーです」

「……」

 だから、どうして某クイズ番組のような雰囲気になっているのですか。それはもしかして、あなたにとって最近のマイブームだったりするのですか、三澄さん。

「……うすうすわかってると思うけど、あたし佐倉くんのことが好きなのよ」

 ……あれ、正解とか残念とか言ってくださらないんですか。いきなり普通の感じに、しかもシリアスモードにシフトチェンジしちゃうんですか。それとも、わたしの考えがあまりに楽観的過ぎましたか。

 唖然としつつ、何も言えないままでいるわたしに、三澄さんは少しだけ寂しそうな笑みを向けました。

「嫉妬、してるのかもね。あなたに。……あたしはさ、佐倉くんとあまり話したことないんだよ。あなただって、最近まではそうだったはず。それが、同じ図書委員に決定したとたん、それまで絡みなかったのがウソみたいに仲良くなっちゃって。知らない間に、下の名前で呼び合うような仲にまで」

「そっ、それは……ちょっとした事情がありまして、それで仕方なく」

「仕方なく? どうしてそこまで、頑なに否定しようとするの。傍から見ていたら、すぐに分かることなのに」

「分かるって、何が……ですか」

「決まってるじゃない」

 言いながら、三澄さんは笑みを深めます。それはいっそ残酷なほどに明るく、鮮やかで……見る者の心をとらえて離さない。そんな、同性であるわたしから見ても、ひどく魅力的な笑み。

「あなたたち二人が、本当は――……」

「瑞希!」

 三澄さんの言葉に被さるようにして、突如割り込んできた声。三澄さんとともに、驚きながらそちらに目を向ければ、そこにはよりにもよってこの状況を一番見られたくなかった人の――直生くんの姿が。

「なお、くん……」

「……」

 気まずそうに唇を噛むと、まるで直生くんにその場を譲るかのように一歩下がり、そのまま走って教室を出て行ってしまった三澄さん。その空いたスペースに――つまりわたしの向かい側に、遠慮もなくずかずかと入ってくる直生くん。そんな彼を前に、どうすることもできないままただ茫然と立ち尽くすわたし。

「今日委員会あるって、忘れてたのか。瑞希」

「……ごめんなさい」

 行こうとしていた委員会のことなんて、三澄さんに呼び止められた瞬間からすっかり忘れ去ってしまっていました。物覚えの悪い自分が、ほとほと嫌になってしまいます。

 しょんぼりするわたしが可笑しかったのか、フッ、と直生くんが笑ったのが声で分かりました。それほど怒っていないことにホッとしたものの、それでもなんだかいたたまれない気分になって、もともとうつむき気味だったわたしはさらにうつむいてしまいます。

「別に、怒ってないよ。今日は言うほど重要な用事じゃなかったし、俺一人でも全然よかったんだ。こうやって、早く終わったしな」

「そう、ですか」

「……それより」

 少し低くなった直生くんの声に、びくり、と大げさなほどに身体が跳ねました。何を言われるのか……大体予想がついているだけに、怖くて。聞きたくない、と思ってしまって。

 感情のほとんど籠らない、淡々とした声で、直生くんは言いました。

「三澄と、さっきまで一体何を話していたんだ?」

「……直生くんには、関係のないことです」

 目を逸らしながら言っても、あまり効果がないことはなんとなくわかっているのですが……今はどうしても、直生くんの目を見てお話することができないのです。

 そんなわたしに呆れたのか、直生くんは小さく溜息を吐きました。

「関係ないってことはないだろう?……実はさ、ちょっと前から俺、廊下に立ってお前たちの会話聞いてたんだ。俺の名前が出てたのも、ちゃんとこの耳で確かめた」

「っ……」

 ずるいです。立ち聞きの趣味でもおありなのですか、直生くんには。

「……なぁ、瑞希。お前は俺とちぃのために、仕方なく俺と関わってたの? 楽しそうに話してくれてたのも、自然なように俺を下の名前で呼んでくれるようになったのも、全部仕方なく?」

「それは……」

 だって、これは全部直生くんと暁くんの幸せのためにしていることで……。

 ……いいえ、やっぱり違います。これはただの言い訳、言ってみれば建前にすぎないですね。そりゃあ、二人の幸せのため、なんて言ったら聞こえはいいけれど。

「……結局、これはわたしのエゴなんです」

 自分の声がひどく弱々しくて、思わず笑ってしまいそうになりました。分かっていると思いますが、もちろん自嘲的な意味でですよ。

「直生くんと暁くんがカップルになったら……ましてや、わたしがそれをプロデュースできたら。そしたら、一番近い場所で二人を見て愛でることができるから。萌えを、補給できるから。そんなやましい理由で動いていたというのが、大部分です。もちろん、それが全てというわけではないですけど」

「じゃあ、他に理由があるの?」

「……おそらく」

「おそらくって何だよ」

 おそらくは、おそらくです。……何故『おそらく』なのかといいますと、『他の理由』が何なのかについて、自分でもよく分かっていないからです。

「……もういいでしょう。そろそろ下校時刻も近いですし、早く帰らないと。見回りの先生に見つかったら、怒られてしまいますよ」

「瑞希」

 パシッ、

 こちらに伸ばされた彼の手を、気付けば感情のままに振り払っていました。きっと痛くはないと思うのですが、それでも振り払われた手を庇うようにしながら、直生くんはこちらへ意外そうな表情を向けてきます。

「瑞希……?」

「……ごめんなさい、帰ります。さよなら、佐倉くん・・・・

 久しぶりにそう呼ぶと、直生くん――佐倉くんはびっくりしたように大きく目を見開きました。

 そんな彼から目を背け、わたしは荷物を持つ手に力を込めると、踵を返し走って教室を出て行きます。

「瑞希!」

 わたしを呼ぶ必死そうな声に、何度も止まりそうになってしまうのを堪えながら、わたしはただ一目散に玄関へ向け、彼から逃げるように走っていったのでした。

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