4.妬かせてみましょう
「おはよう、瑞希」
「あ、おはようございます。佐倉く……いえ、直生くん」
朝、学校に来るやいなやわたしに挨拶をしてくださる佐倉くん……もとい直生くんに、笑みと共に挨拶を返しますと、何故か教室内が一気にざわついたような気がしました。
「お、おい。村瀬と佐倉って、こないだ同じ図書委員になってからやたら仲良くないか……?」
「しかもなんか、いつの間にか下の名前で呼び合ってんだけど」
「こんな短時間で二人、そんな関係になったっていうのか!?」
「佐倉の奴、一体どんな手を……」
主に、男の子のそういった声が目立って聞こえてきます。
ですがこれにはちゃんとした理由があるのです……と自分に幾度も言い聞かせながら、羞恥のあまり今にも叫びだしそうになるのをどうにか理性で押しとどめているわたしです。
「だ、大丈夫か? お前今、身体ガッチガチだぞ」
「うぅ……だ、大丈夫、なはずです。早速こんなにも注目されると、少々いたたまれない感がアレなだけで」
「早速日本語になってないぞ、瑞希」
「えぇ!? みんなの前でなくても、そう呼ぶんですか!?」
「じゃなきゃ呼び慣れないし、お前だって呼ばれ慣れないだろう?」
「確かにまぁ、そうですけど!」
基本、父様と結鶴ちゃん以外にわたしを名前で呼び捨てる人がいないため、慣れないといいますか……しかも相手が男の方だけに、変に緊張してしまうといいますか。
「……えぇい、このようなことではいけませんよ村瀬瑞希! 今耐えれば、きっとこの先多大なる萌えを……二人の幸せを目にすることができるのですから。臥薪嘗胆とも申しますし、今は我慢の子なのですよ!」
「瑞希、声がでかい。みんな見てるよ」
「っ……」
教室中の視線がこちらに集まっているかと思えば、クスクスと可笑しそうに笑う声が続々聞こえてきます。顔に熱が一気に集まっていくのが分かって、なおさらいたたまれない気持ちに……。
「ごめんな。俺のせいで、嫌な気分にさせちゃって」
どこか優しい目つきで、直生くんがわたしの頭をよしよしと撫でてくれます。いつかの逆のようなシチュエーションに、不覚にもちょっとだけドキッとしてしまいました。
「そ、そんな。別に、嫌な気分というわけでは全然ないんですよ! ただちょっと、注目されることにはあまり慣れていないというだけで……ほらわたし、いつもクラスだと地味な方じゃないですか」
「そうかな?」
不思議そうに首を傾げる直生くん。……あれ、わたしって自分が思っているよりも目立つ性質だったりするんですか? どうも、今のはそんな言い方に聞こえるのですけれど。
「だって、村瀬瑞希っていったら……」
直生くんが何やら言いかけたところで、後ろから突進するような形で暁くんがやってきました。前に押され、危うくこちらへと倒れこみかけた直生くんの身体を、寸でのところで支えて差し上げます。
「だ、大丈夫ですか?」
「ありがと……」
そんな会話をするわたしたちの後ろで、暁くんがいつもみたいに笑いながらお話に参加してきます。
「相変わらずいちゃついてんなぁ、お二人さん」
「そんなんじゃねぇよ。っていうか、ちぃには関係ないだろ」
「冷たいぜ、ナオ……最近、やっとデレてくれるようになったと思ったのに」
わざと鬱陶しそうに手を払う直生くんに、むぅ、と不満げな様子で唇を尖らせる暁くん。……お? これはもしや、ちょっとした焼きもちだったりするのではありませんか?
「村瀬……何でちょっとニヤついてるの?」
「……はっ。す、すみません。お二人がお話している間に、ちょっといろいろ妄想……いえ、考え事をしておりまして」
「何か物騒な言葉が聞こえた気がしたんだけど」
「気のせいですよ」
眉根を寄せる暁くんに向けて、曖昧に笑ってみせます。ごまかしの笑み(ごまかせているかどうかは甚だ疑問ですが)も、この数日ですっかり板についてきました。直生くんと関わるようになってから、もう何度そんな笑みを浮かべていることでしょう。
そこでふと視線をずらせば、なんだか面白くなさそうな表情の直生くん。思わず反射的に手を伸ばし直生くんの腕を掴むと、ぐいっとこちらへ引き寄せます。直生くん本人も、隣にいた暁くんも目を丸くしていますが、気にする余裕はありません。何としても、一言言って差し上げなければ。
「……わわっ!」
「ちょっとさく……じゃなくて直生くん! 今この状況で、あなたが嫉妬してどうするというのですか!!」
直生くんのような可愛らしい系男子が焼きもちを焼くというシチュは、見ている方からしたら非常に美味しいモノではありますけど! 今の目的はそっちじゃないはずです。
「いや、お気持ちはわかりますよ。ですけど……嫉妬してもらうべきなのは、暁くんの方でしょう?」
「た、確かにそうだ。……ごめん」
認識を改めて頂けたのはありがたいことですが、申し訳なさそうにしょんぼりされてしまうと、なんだかいじめているみたいで心地が悪いです。
「……すみません、少々言いすぎました。これからは、どうかお気をつけくださいね」
「わかった」
「……ホント、仲いいな。そんなに密着しちゃって」
暁くんの呟きに二人してハッと我に返れば、確かにかなりの至近距離でお話をしていたようで。
「あ、あわわ。申し訳ありません、直生くんっ!」
「こっちこそごめんっ!」
慌てて掴んでいた腕を離し、距離を取るわたしたち。ふと見ると、暁くんが笑いを堪えている様子が目に入りました。
……むむ。何だか最近、暁くんと関わるたびに怪我をしている(比喩的表現)ような気がするのですが、どうしてなのでしょうか。
◆◆◆
「なるほどね。それで今日は朝から、佐倉とあんなに仲良さげに話してたってわけだ」
「簡単に言えば、そういうことです。……まさか朝から、あんなに大怪我を負わされることになるとは思いもよりませんでしたが」
その日の昼休み。
本日も御友人方(もちろん、その中には暁くんも入っています)と一緒に昼食を食べている直生くんを尻目に、溜息を吐きながら昼食――今日は、お手伝いさんに作っていただいたお弁当です――を口にするわたしを、どこか面白半分な表情で見守る結鶴ちゃん。むむ、所詮他人事だと思って。
まぁまぁ落ち着いて、と言いながら、結鶴ちゃんは今日もわたしに白河家特製卵焼きを食べさせてくださいました。
「んぐんぐ……結鶴ちゃん。わたしにこれを与えれば機嫌が直るとか、そんな至極単純なことを考えているでしょう」
「だって、その通りでしょう?」
「まぁ、否定はしませんが……」
前にも申しましたが、白河家特製のだし巻き卵がわたしは本当に大好きなのです。それこそ、これほどまでに絶品な料理を他に知らないと言っても過言ではないくらい。
「それにしても、瑞希って思ってたより結構大胆なことするのね。いくら暁を嫉妬させるためとはいえ、自ら誤解されるようなことを提案して、しかも実行するだなんて」
誤解されるようなこと――というのは、無論今朝のことです。
「ですが、単純かつ効果的な作戦ではあるでしょう?」
首を傾げてそう答えれば、「まぁ、確かにねぇ……」と肯定しながらも結鶴ちゃんはどこか苦い表情。何か、おかしいことでもあったでしょうか。わたしとしましては、そこそこいい感じの作戦を立てられたと思っているのですが。
……まぁ、それはいいとして。
ところで、今朝の出来事が起こるまでにいったいどのようなことがあったのかと申しますと――……。
『それにしても、仲良くするってどういう風にすればいいんだ?』
直生くんは恋愛に関して完全に初心者なのか、あの後眉根を寄せながらわたしにそんなことを尋ねてきました。
『そうですねぇ……』と呟き、限られたキャパシティの範囲内でしばし考えた後、わたしはこう答えました。
『これまで、わたしたちはほとんど接点なかったじゃないですか? 今だって委員会以外でそんなにお話することもありませんし』
『そうだな』
『だから……少々急すぎるような気がしなくもありませんが、手っ取り早くクラスでもお話するようにすればいいんじゃないでしょうかね。それも、できるだけ仲良さそうな雰囲気を出しながら』
『明日から?』
『えぇ、明日の朝から』
こともなげに頷けば、ふぅん……と考え込むような直生くんの表情。あれ、わたし何かまずいことを言ったでしょうか?
やがて顔を上げた直生くんは、何やら心の整理がついたのか『わかった』と納得したような笑みを向けてくれました。
『じゃあさ……もう少し、それっぽく振る舞ってみてもいいか?』
『それっぽく、とは?』
意図が分からず首を傾げるわたしに、直生くんは笑みを深めて――どことなく意地悪な雰囲気が漂った気がしたのは、わたしの気のせいだと思いたいのですが――こう言ったのでした。
『互いに、下の名前で呼び合ってみるとか』
『えぇっ!?』
そんな、そこまで本格的な提案をされてしまうとは、予想外でした。
あわあわと落ち着かない気持ちになるわたしとは対照的に、直生くんは早くも暁くんの嫉妬を想像したのか、なんだか楽しそう……というか嬉しそうな顔をしています。
『確か、お前の下の名前は瑞希っていうんだったよね』
『え、えぇ……そうですけど』
自分はクラスでは地味な方であり、ちゃんと憶えられていないだろうと思っていたので、彼の口からわたしの下の名前がすっと自然と出てきたのは意外でした。
『じゃあ、これからお前のこと瑞希って呼ぶから。俺のことも、直生って下の名前で呼んでくれよ』
『えぇっ。そんな、急に……』
『ちぃを嫉妬させるためだよ。協力してくれるんだろう?』
『そ、それはもちろん』
こくこくと何度もうなずいたところで、ちょうど頭上で完全下校を知らせるチャイムが鳴りました。……はっ、そろそろ図書室を閉めなければ。
『と、とにかく出ましょうか』
『あぁ、そうだね。早く下校しなくちゃ』
慌てて荷物をまとめると、電気を消し、二人で図書室を後にします。
わたしが事前に持っていた鍵で施錠をし、向かい合ったところ……直生くんが不意にぽふり、とわたしの頭に手を置き、悪戯っぽく笑いました。
『じゃあ、そういうことだから。また明日な、瑞希』
早速そう呼ばれたことに、心臓が急に大きく高鳴るのを感じました。……って、いや、何故ですか。おかしいでしょう。同性愛について直生くんにレクチャーする立場であるはずのわたしが、どうしてこのように圧されなければならないのですか。もう少し落ち着きなさい、自分。
『は、はい……さようなら。佐倉くん』
『直生、って呼んで』
『えっ……あ、その。さようなら、直生くん』
『うん。じゃあね』
機嫌よさげに鼻歌を歌いながら廊下を歩き去っていく直生くんの後姿を、この時のわたしはただ茫然と見送ることしかできなかったのでした。
「……」
「瑞希さーん?」
「……あ、すみません。昨日のことを思い出していたら、つい」
ふと我に返ると、不審そうな表情の結鶴ちゃんと目が合いました。わたしが戻ってきたのを確認した結鶴ちゃんは、どこかホッとしたように苦笑を浮かべます。
「まぁ、ほどほどにしときなよ。いくらあんた本人が萌え補給だけで行動してるつもりでも、他の人から見たらそうじゃないかもしれないんだからね」
何やら意味ありげな結鶴ちゃんの言葉を話半分に聞きながら、気付けばわたしは相変わらず楽しそうに――幸せそうにはしゃいでいる直生くんたちの方を、妙にモヤモヤとした気持ちで見つめていたのでした。
――そんなわたしの方を、何か言いたげな表情をしながら凝視している子がいるとも知らないで。
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