6.変と恋って確かに似ていますけど!

 翌日は土曜日で、学校はお休みでした。が……。

「瑞希ちゃーん? どうしたの、早く支度しないと間に合わないわよ」

「姉さまー、いつもは三十分前には支度ばっちり整えているのに、今日はどうして部屋から出てきすらしないのー?」

 朝っぱらから、お部屋のドア越しに母様と柚希の声がくぐもって聞こえてきます。……何故くぐもっているのかといいますと、ドア越しでありかつわたしがベッドの上で布団を頭から被っている状態だからです。

 そして、お休みにもかかわらず朝っぱらからこうやってしつこく呼ばれているのは……。

「瑞希ちゃーん、行かないの?」

「姉さまぁ」

「ごめんなさい母様、柚希。熱が出てしまったようで、体調が思わしくないのです。今日の同人誌アンドDVD即売会は、二人で行ってきてくださいませんか」

 お部屋の外に向け、ようやく顔だけ出してそう呼びかければ、あら、という拍子抜けしたような母様の声と、えぇ~、という不満げな柚希の声が聞こえました。……本当にごめんなさい、前から約束していたのに。けれど昨日の今日では、さすがに外へ出る気にはなれないのです。

「熱があるのなら、仕方ないわねぇ。お手伝いさんに後は頼んでおくから、今日は安静にしてなさい」

「うー……残念だけど、姉さまの分も楽しんでくるね。お土産買ってくるから、楽しみにしてて」

「お心遣い感謝します。……では、行ってらっしゃい」

「「行ってきま~す」」

 バタバタ……という二人の騒がしい足音が遠ざかると、わたしはもう一度布団を被り直し、はぁ、と大きく溜息を吐きました。

 熱がある、というのはおそらく嘘だと思いますが、正直言って体調が思わしくないのは事実なのです。いつもなら意気揚々と参戦するはずの即売会にすら、行く気になれないのですから。

 それもこれも、全部昨日直生くん――いえ、佐倉くんと交わしたやりとりのせいでして……。

『お前は俺とちぃのために、仕方なく俺と関わってたの?』

 どこか寂しそうな声色で告げられた、その言葉が頭から離れなくて。

「……どうしてですか」

 直生くんは、暁くんのことが好きなはずでしょう? 最初にご自分で、そうおっしゃったじゃないですか。わたしのことは、ただのアドバイザー程度にしか思っていない……そうでしょう?

 それなのに、どうしてあんな思わせぶりなこと……。

「ううううう」

 モヤモヤとしたこの気持ちを、どこにどうやって吐きだしてよいものやら、皆目見当がつきません。いっそ結鶴ちゃんを呼び出して、ヤケ食いでもしに行こうかと一瞬思いましたが、家族やお手伝いさんたちに『熱があるっぽい』と言ってしまっているだけに、勝手に抜け出すのはよくないだろうとすぐに考え直しました。

「はぁ……」

 とりあえず、眠ってしまいましょうか。意識を閉ざせば、少しは楽になることができるかもしれません。……まぁ、変な夢を見てしまいそうな気がしなくもないですけれど。

 布団を被り直し、目を閉じ眠りの世界へ精神を預けようとした、ちょうどその時……。

「――っ!!」

 いきなり枕元で鳴った携帯電話の着信音に、思わずびっくりして跳ね起きてしまいました。普段は電話でなく、ほとんどメールで連絡を済ます現代っ子なわたしの携帯電話は、めったに着信音が鳴ることがありません(メールの着信音は、いちいち鳴るのが鬱陶しいので無音にしているのです)。

 いったい何事かと思い携帯電話を手に取れば、表示されていたのは知らない電話番号。……でもこれって、携帯電話の番号ですよね? もしかしたら、うっかり登録し忘れている方のものかもしれませんし、思い切って出てみましょうか。

 しばしの逡巡の後、わたしはその場にぴょこりと起き上がりました。意を決して通話ボタンを押し、恐る恐るそれを耳に当てます。

「……はい、もしもし」

『――瑞希か?』

 聞こえてきた声に、一瞬今すぐ通話を切ってしまいたい衝動に駆られました。それなのに……何故か、声を聞いてほっと安心してしまっている自分もいて。

 わたしはいつしか、こわごわと答えていました。

「はい、わたしは村瀬瑞希です。あの、もしかして直生くん……いえ、佐倉くんですか」

 すると、小さく笑う吐息のような声が聞こえました。声だけだと、なんだかいつもよりぐっと近くでお話をしているような気になって、些細な息遣いにさえもドキリとさせられてしまうのが不思議です。

『直生でいいよ。……前は、佐倉くんっていう方が呼びやすかったみたいだったけど、今じゃすっかり逆だな』

「……毎日呼んでいたんですから、図らずもそうなりますよ」

『だよな』

「ところで、直生くん。……いったい、どなたにこの番号をお聞きになられたのですか?」

 先ほどから抱いていた二つの疑問のうち、一つを口にしてみます。すると、答えはあっさり返ってきました。

『白河からだけど』

「……」

 いつの間に結鶴ちゃんは、直生くんにわたしの番号を教えていたというのでしょう。最初に彼へわたしの性癖をバラしたことといい、結鶴ちゃんはいちいちおかしなところで関わってきているようなので非常に怖いです。

『……悪かったか?』

「いえ、大丈夫ですよ。結鶴ちゃんが口が軽いのはいつものことですし。……それから、もう一つお聞きしたいことが」

『何だ?』

 二つ目の疑問――これこそが、きっと一番お聞きしたかったことであり、わたしにとっての一番の謎だと思います。

「いったい、どのような御用でわたしにお電話を?」

『……』

 急に黙り込んでしまった直生くん。どうしたのでしょう。いつもより、何やら歯切れが悪いような気がします。何か、わたしに対して言い出しにくいことでもあるのでしょうか……。

「直生くん?」

『……あのさ、瑞希』

 不意に真剣味を帯びた声で呼ばれて、わたしの身体は無意識に緊張したのか、自然に背筋がピンと伸びていました。再び訪れるしばしの沈黙に、耳を傾けながらじっと辛抱強く言葉を待ちます。

 やがて直生くんは、意を決したように口を開きました。

『話したいことがあるんだ。月曜日……放課後の図書当番が終わったあと、一緒に帰らないか』

「一緒に、ですか」

『あぁ、一緒に』

 帰る道すがら、お話をしたいということでしょう。それなら今電話越しでもいいような気がしますが、きっと直接会ってお話したいくらいの大事なことなのでしょうし、わたし自身も心の準備ができていません。

 月曜日……明後日、ですよね。それまでになら、恐らく心の準備はできるのではないかと思います。

「わかりました、月曜日ですね」

『あぁ、よろしく頼む。……じゃあ、また月曜日に』

「はい、それでは。失礼いたします」

 そうやって電話が切れた後も、わたしはしばらく携帯電話をじっと見つめたままぼんやりしていました。

 お話したいこととは、いったい何なのでしょう。暁くんと付き合えたという、ご報告でしょうか。

 ――聞きたく、ないなぁ。

「……へ?」

 今一瞬、おかしなことを考えてしまったような気がしました。変ですね。わたしは直生くんと暁くんの恋を応援する立場だったのですから、それはとても喜ばしいことだといいますのに。

 なのにどうしてわたしは今、こんなにもモヤモヤとしてしまっているのでしょうか?

 目を閉じて、直生くんと暁くんが一緒に笑い合っているところを想像すると……ひどく、胸がキリキリと痛むような気がするのです。

「――なんて。おかしいですね、わたしは」

 通話も終了したことですし、今度こそ眠りましょう。

 そのままぱたりとベッドに倒れこんだところで、タイミングよく部屋をノックする音。内心苛立ちつつ「はい」と答えると、ガチャリとドアが開き、間もなくお手伝いさんらしき人が入ってきたようでした。布団にもぐりこむわたしに、若い女の方の声が遠慮がちに小さく掛けられます。

「瑞希お嬢さん。お食事テーブルに置いておきますので、食欲が湧いたらお食べください」

 正直、食欲なんてありません。きっと、残しても彼女はお怒りにならないと思います。ですが……せっかくのお心遣いですから、残すわけには参りませんよね。無論、これは常識です。エチケットというやつです。

「ありがとうございます。一眠りしたら、後で必ず頂きますので」

 布団から顔だけ出し、そう言って笑みを向ければ、お手伝いの女性はほっとしたように柔らかく笑い返してくれました。

「かしこまりました。……それでは、失礼いたします」

 お手伝いさんが出て行き、静かにドアを閉める音を聴きながら、わたしはそのまま流れ作業のように目を閉じ、無理矢理に夢の世界へと旅立ったのでした。


    ◆◆◆


 さらに翌日、日曜日。

「瑞希ちゃん、大丈夫……?」

「姉さま、まだ熱が下がらないの?」

 隣の方から母様と柚希の心配する声が聞こえますが、今のわたしはそれすらもほぼ聞き流している状態です。リビングでぼへー、としながら、ただ一心に視線だけをテレビの方へと向けています。

 現在リビングのテレビで、昨日柚希がお土産としてくれたボーイズラブのアニメDVDを流しています。……残念ながら、ほとんど内容は頭に入ってきていないのですけれど。

 いつもなら、ボーイズラブの公式提供に興奮して萌え語りをしたりとか、そこから妄想を膨らませてさらに興奮したりとかするはずなのに、なんだか今日は気づいたら直生くんのことばかりが頭を占めています。笑った顔が可愛らしかったとか、時折意地の悪い表情をするのがかっこよかったとか、触れてもらうたびに心地よくてちょっとドキドキしたとか、そんなことばっかり。

 ……あれ? いつの間にかわたし、男の方二人の組み合わせよりも直生くん一人の方に萌えを感じるようになってませんか? 気のせいですか?

「わたし、変ですね……」

「そうよ、瑞希ちゃん変よ。もとから変だけど、今はもっと変だわ」

「姉さま、本当に大丈夫? 病院で頭見てもらった方がいいんじゃない?」

 母様と柚希が何やら失礼なことを言っているような気がしますが、この際気にしない方がいいかもしれません。そうですね、そうしましょう。……というわけで、気にしないことにします。

 なおもまた、先ほど同様にぼへーっとしながらDVDをなんとなく鑑賞していますと……。

『あれ、なんでだろ。俺、変だ……何でよりにもよって、あの人なんかにドキドキしちゃってるんだろ』

 あぁ、受けの方が自らの恋心に気付くところですね。この鈍感さ、なかなか心情の変化に気付かない。そんなじれじれしたところがいいのですよ。たまらないのです……。

 ……でも、どうしてでしょう。ちょっと今、デジャヴを感じているような?

『そういえば、変って恋に字が似てるよな。……っていうことは、自分が変だって自覚したら、その時点で恋だったりするんだろうか』

 変って自覚したら、恋……?

『あの人と接する自分は、明らかに変だ。いつもの自分じゃないみたいで……変。恋。……やっぱり俺、あの人に恋してるのかなぁ』

 ……。

「……いやいやいやいや」

 それはないですよ。変と恋が似てるって、漢字の話じゃないですか。意味的には全然違いますし、自分を変と思ったら恋だなんてそんな、あまりに短絡的すぎやしませんか。ねぇ。

 いや、でも確かに言い得て妙な気がしなくも……って、何考えているんですかわたしはっ!

「あぁ、モヤモヤしますっ」

 気づけば立ち上がり、そう叫んでいました。目を丸くしながらこちらを見上げる母様と柚希にも、構うことはありません。

「母様、柚希。わたしはこれから寝ますから、邪魔しないでくださいね!」

「え、あぁ……わかったわ」

「モヤモヤするからって寝るの、姉さま……?」

「とりあえず寝るしか選択肢がない気がするのですっ」

「……そ、そう。じゃあおやすみなさい、瑞希ちゃん」

「おやすみなさい、姉さま。元気になったらまた、一緒にボーイズラブのDVD見ようね。同人誌も、姉さま好みのものをたくさん買ってきてあるんだよ」

「えぇ、ありがとう柚希。ではおやすみなさい、二人とも!」

 ほぼ言い捨てるような形で、わたしはリビングを後にしました。

 きっとこのまま寝ることは叶わず、昨日のようにただ布団の中で断末魔を上げながら転げ回るだけになるだろうとは思いながら……。

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