ワボック
俺は、眼下の街並みを、複雑な気持ちで眺めていた。これでは、久しぶりの家族との再会も、嬉しさが半減だ。
また、ため息が出てしまった。
俺はそんなに器用じゃない。
長期の任務を終えて、ギル・ド本部に帰ってきてすぐ、最高役からの呼び出し。俺はてっきり、任務の功績を讃えてくれるのだと、とても上機嫌で部屋のドアを開けた。
だが、そこに待っていた光景を見て、俺の顔は曇った。
最高役の前にいる二人。
強行派のロイズと保守派のレイラ。俺の嫌いな魔法使い、上位の二人だ。
三つの派閥の代表が、最高役の前に集められる。鈍感な俺でも、なんとなく予想がついた。
これまでの争いを一旦白紙に戻し、公平に進めてはどうか
その第一歩として、それぞれの代表者が協力して捕獲する。君たちなら、確実に捕獲できるのでは?
だとさ。
冗談じゃない。今更仲良くできるわけがない。二つ目の『魔眼』が確認されてから、どれだけ汚い争いがあったと思っているんだ。
そして、半年くらい前のアマクサの事件。あれが更に状況を悪化させた。
『魔眼』は、覚醒すると宿主から取り出すことができない。その常識を、あいつは覆しやがった。
覚醒した『魔眼』は、キリノ家の血だけに反応して魔力を発生させる。それを利用した方法を考えやがった。どこかで入手したキリノ家の血液を、取り出した『魔眼』のまわりに魔力でコーティングして、自身に取り込む。特殊な技術と知識がいるが、不可能な事じゃない。
おかげで、『魔眼』争奪戦が加速した。
その矢先の召集だ。
「了解した。一時休戦として、我々が協力して『魔眼』を確保しよう」
俺は耳を疑った。
真っ先に反対すると思っていたロイズが賛同するとは。
「・・・但し、確保するまでは協力するが、その後『魔眼』はどう処理するつもりだ?」
当然の疑問だ。
協力して確保して、どこかが独占するなら、また争いが起こる。
一旦ギル・ドが管理して、詳しく検査する。可能ならば、量産する。駄目なら永久保存する。
また大胆な事を考えたものだ。
同じ時代に『魔眼』が二つ現れて、何か災いが起きるのではないか。なんて世間で言われているのに、ギル・ドは量産を考えているのか。レイラが何も言わないのは、キリノ家と話が出来ているからだろうな。
よくナギ(レイラの夫)が了承したものだ。
結局、俺は大した発言もせず、この提案は成立。いくつかの約束を決めて終わった。
出発は二日後。
休暇は無くなってしまった。
部屋に戻る途中、共有スペースのリラックスルームの前に、俺の直属の上司が立っていた。偶然出会った感じではない。無言だったが、ついて来いと目が訴えていた。
ここは、革命派たちが主に利用している部屋。その一角にある上司専用の小部屋。
秘書も護衛の二人もいない。
何の密談だ?
「お前は、『魔眼』についての知識は、どの程度あるか?」
上司に問われた。
詳しくはないが、世間並みくらいの事は答えた。
上司は鼻で笑う。
「まあ、その程度だろうな」
風格のある椅子に腰掛け、俺を見た。
「『魔眼』の中にいる魔法使いは、肉体が無く、意思と魔力だけが封印されている。その状態が、四百年以上変わっていない。これがどういう意味か分かるか?」
「過去の技術は素晴らしいと・・・?」
何か引っかかることがあった。
深く考えた事が無かったが、意思と魔力だけを、長期間変わらず保存する技術とは、実はとんでもない事ではないだろうか。
何故今まで気づかなかったのだろう。
「ロイズとは話がつけてある。こちらと世界が繋がらない三日のうちに、『魔眼』を確保して、レイラを殺せ」
耳を疑った。
レイラを、殺す?
「あっちは『魔眼』の中身。こちらは『魔眼』の本体。お互い、欲しいものが違うので、スムーズに話し合いができたよ。期待してるぞ、ワボック」
「・・・ちょっと待って下さい」
上司が怪訝な顔をする。
「レイラを殺してギル・ドを出し抜き、『魔眼』を手に入れるのは、まあ理解出来ます。ですが、中身と入れ物で山分けというのは・・・」
途中で手を出し、言葉を止められた。
「確かに、封印された魔法使いには魅力がある。だが、私は入れ物の可能性に賭けてみたいと思っている」
「可能性?」
「『魔眼』を研究している学者たちが言うには、封印された魔法使いが維持されているのは、入れ物が時間を制御しているのではないかと」
時間を・・・制御?
「つまり、使い方によっては、過去や未来の時代に行けるかもしれん、と言う事だ」
突飛な見解だと思った。
だが、そう考えると納得できる部分もある。
『魔眼』はキリノ家の者だけに宿り、突然発生する。宿主が死亡すれば、またどこかへ消えてしまう。
『魔眼』はどこから現れ、どこに消えるのか。
時代を自由に行き来できるなら、魔力で感知できないのもうなずける。
しかし・・・
俺には、あまりに無謀な賭けだと映った。
「相手は魔法を学んだことのない、普通の学生だ。アンナたちが教えているそうだが、たった半年では『魔眼』を制御するのは無理だ。あの『せつな』でも、まる二年かかったそうだからな」
お前とロイズなら、三日もあれば十分だ。
・・・俺はそんなに器用じゃない。
上司に渡された『魔眼』保存用の容器を見ながら、またひとつため息をつく。
こんなに気の重い任務は初めてかもしれない。
ロイズと二人がかりなら、レイラを殺すことはできるだろう。『魔眼』の確保も、素人同然の学生なら容易い。
ただ、俺には可能性だけで行動しようとする上の連中の気持ちが分からない。
そこまでして、『魔眼』を欲しがる理由が分からない。
・・・・半年にしては、よく学んでいると思った。
しかし、魔力が安定していない。あれでは『魔眼』を制御するのは無理だな。
俺は、ビルの屋上でロイズたちの戦いを傍観していた。人を寄せ付けない『魔空間』の維持と援護が俺の役目だ。
レイラも傍観しているようだ。まあ、宿主があの程度だし、ロイズならひとりでも十分だろう。
俺はどのタイミングでレイラを殺るか、思案していた。
だからと言って、気を抜いていたわけではない。
「それっ!」
いきなり背後で声がした。
振り返ると、見知らぬ女が頭上にいた。
とっさに頭をかばって腕を出したが、体ごと吹き飛ばされた。鉄骨の上から落下しながら、襲撃者を見る。
・・・・女?
空中で体勢を整え、足から着地する。女はあの高さから飛び降りてきた。念のため、距離をおく。
後退しながらも、女を観察する。
魔力的なものを感じるが、俺たちとは少し違うような気がした。
「なな、なんだ、お前は!」
気持ちは冷静だったが、声がうわずってしまった。
立ち上がった女は、『魔眼』の宿主と同年くらいの少女だった。
「見ての通り、かなりカワイイ女子高生よ」
そう言って、何やら決めポーズをしている。
違和感はあるが、やはり魔法使いではないようだ。
『魔眼』の宿主の仲間か。どうやって俺を見つけたか知らないが、面倒な事になる前に、さっさと片付けてしまおう。
「コソコソ隠れて狙うなんて、ちょっと卑怯なんじゃない?」
完全に無視する。
これは俺の戦闘スタイルだ。
「なんだ。ただの人間じゃないか」
素早く背後にまわって、ナイフで喉を裂くのが確実だが、あの身のこなしは要注意だな。俺は両手に魔力を注いだ。
連射に適した弓を選択する。
「邪魔だ。消えろ」
小細工無しで一射。
鉄骨に張り付いている看板の電飾で、屋上は明るいが、俺の矢を捉えることはできないだろう。
急所を射抜く。そう確信したが、女は俺の矢をかわした。
「なに?!」
信じられん。
準備していた第二射は、細工を加える。
視界の端に、階下の光景が映った。
目の前の女は、俺の放った矢を手刀で折った。
「なっ!」
『魔空間』が弱くなってきている。宿主を狙うなら今だな。
準備した矢に魔力を注いで、階下を狙う。
「あ、コラ!」
女は無視する。
放った矢は、超光速で宿主を狙った。
これで任務は終了だ。あとはレイラだけだな・・・・!!
レイラが俺の矢を鞭で叩き落とした。
「ちっ。レイラめ、寝返ったか」
直感で身の危険を感じたが、女の動きが異常に早かった。
すぐ目の前で射った矢をかわされ、女の蹴りを食らってしまった。細身だとはいえ、大人の俺を吹き飛ばすほどの脚力。こいつ、肉体強化をしているのか?
こういうタイプも接近戦も、俺は得意ではない。
こんな奴は放っておいて、場所を移動するのが賢明だと思った。
矢を連射して、屋上から飛び降りる。
両足に魔力を注いで壁を蹴る。
飛行するまではいかないが、これでかなり移動できる。二、三度別のビルの壁を蹴っただけで、俺たちの根城(ねじろ)近くまで戻った。
逃げたわけではない。
予想外の敵が現れたので、策を練り直す必要があると判断したのだ。
ロイズやレイラのように、俺には絶対的な力がない。卑怯だと言われようと、俺は相手のスキをついて戦うスタイルなんだ。
だからこそ、今まで生き残ってこられた。
だからこそ、今回の任務に選ばれた。
俺はそう思っている。
「レイラ、何故あの子を庇った?」
俺は強めの口調で聞いた。
黙っていたら、先に逃げたことを責められそうだった。
レイラは苦笑した。
「庇ったわけじゃないさ。話の途中だったんで、邪魔されたくなかったんだよ」
「何だよ、それ。『魔眼』の確保が最優先の任務なんだぞ。肉親だからって、情けをかけることは・・・」
後ろで大きなモノが動いた。
ロイズが立ち上がったようだ。俺は言葉を切って振り返る。
「まあいい。どのみち『魔空間』が消えかかっていたんだ。伏兵がいるのも誤算だった。策を練り直そう」
そう言って、窓の外を眺めるロイズ。
ここは、あるビルの上階。街全体が一望できる好条件の場所だ。何かの企業が入っていたようだが、今は物置きのようになっている。埃っぽくないのは、つい最近まで人が働いていたのだろう。
「静の子だからって、情けはかけないよ。気に入らないなら、次は二人で『魔眼』を採っておくれ。あたしはもうひとりの子の面倒を見るからさ」
大げさな手振りで話すレイラ。
「是非そうしてくれ。その方が仕事がやりやすい」
レイラが鼻で笑った。
窓際に立っているロイズが動いた。
左腕の手首あたりを眺めている。どこで仕入れたのか、そこには腕時計がはめられていた。
「・・・時間だ」
ロイズは足早に机に向かう。
そこには三つのカップ麺が置かれていた。ひとつを手に取りフタをはがす。箸を歯と手で割り、中身を食べ始めた。
どうやら、カップ麺のできる時間を計るためだけに、腕時計をつけているようだ。
昨日もカップ麺。ロイズのお気に入りだ。
「お前たちも食べろ。麺が伸びてしまうぞ」
俺はため息をもらした。
ビルの屋上。
夜が明ける空を眺めながら、ただ白い息を吐き出す。
『魔眼』保管する容器を手の上で転がす。
この世界へ来るまでの上役とのやり取りを思い出して、ついため息が出てしまう。
今まで様々な任務をこなしてきた。もちろん、汚い事もした。必要なら、同僚でも手にかけた。今回もその任務のひとつだ。
だが、このやり切れない気持ちは何だろう。
相手が少女だからか。
仲間を殺るからか。
いや、違う。『魔眼』が関わっているからだ。量産するとか、中身と入れ物を山分けするとか、簡単に言っているが、俺には上役の考えが理解できない。
あれは多分、みんなが思っているより、かなり危険な物だ。昔から特異な術式魔法を持つキリノ家だからこそ、管理・維持されているのだと思う。
触れてはいけない。
うかつに『魔眼』に関わってはいけない。
と、俺は思う。
今一番会いたくない気配が近づいてきた。
「ちょっといいかい?」
レイラだ。
目線だけ送る。
彼女は腕を組んで、俺のすぐ横で立ち止まった。その若々しい姿を見ていると、時々年齢差を錯覚する。
三大魔法使いのアンナの次に『魔女』の称号が似合う女だ。
手の上の容器は、形を変えて、ブレスレットとして手首に収まっている。
「どうした?・・・ロイズのいびきがうるさいのか?」
軽く、口元だけ笑った。
「あんたもロイズもさ、色々と都合があるだろうから、止めはしないよ・・・」
目を合わさずに、声だけ聞く。
そうしないと、俺はレイラの鋭い視線に耐えられない。
「・・・組織からの命令だし、直属の上司からの密令もあるだろうしね」
痛いところを突いてくる。
『魔眼』に関わる争いは、今に始まった事ではない。滅多にないチャンスを、俺やロイズの派閥が放っておくわけがない。少し考えれば分かることだ。
「何が言いたい?」
気持ちで負けているが、言葉だけは強めに問う。
すぐに返事がなかったので、彼女に目をやる。男の性(さが)か、強調された胸元につい目が向いてしまう。
「・・・あんた、静に会った事あるかい?」
せつなの兄か。
俺は首を横に振った。
「あいつは魔法使いになる事も、キリノ家を継ぐことも拒否して、この世界に逃亡した。そして、交通事故であっさり死にやがった・・・」
遠くを見つめている。
ため息が白い。
「あいつの魔法知識は半端なかった。実際、『魔眼』の暴走を術式で止めたようだしね。魔力の弱いせつなが『魔眼』を扱えるのは、静の力さ・・・」
沈黙。
レイラ。あんたは何を言おうとしている?
「同じ時代に『魔眼』が二つ現れたのは、偶然じゃないとあたしは思っている。おそらくは静の仕業。魔法世界を去ったのにも意味があると睨んでいる。だから、『魔眼』にはあまり深く関わらない方がいい」
魔法使いが一人とか二人とか、死ぬレベルじゃない。
魔法世界自体がヤバいかもしれない。
俺の不安を、レイラが代弁したかのようだった。
魔力の弱まる日中は、三人とも別行動をとった。
ロイズはこの世界の食べ物が気になるらしく、食料品が集まっている場所へ。
レイラは、まあ一応女らしく、最近流行りの服を物色するため、繁華街へ。
俺は・・・
特に何もなく、根城の屋上で街の様子を眺めていた。
この世界の人間は、特に治安の良い日本だからかもしれないが、ほとんどの連中が武器を持たず、無防備で街を歩いている。大した争い事もない。
魔法を使う者などは皆無だ。
彼らは何を目標として生きているのだろう。
感情や自由を無理に拘束して、世間の枠からはみ出さないように、フラフラと危ない橋を渡っているようだ。
俺には理解できない。
最も、俺が勝手にそう思っているだけかもしれないが。
指を顔の前にかざす。
画面を立ち上げて、深夜の戦闘を再生する。これは宿主に一番近かったロイズからの映像だ。宿主の魔法発動や行動パターンを注意深く観察する。『魔眼』の力を使っていないので何とも言えないが、隙だらけの素人の戦い方だ。
ルーン魔法は魔力が強く怖いが、結局は術者自身の力量だ。
覚えたての魔法をとにかく全部やってみました。みたいな戦い方では、宿主がルーンの使い手でも脅威ではない。
だからと言って甘く見るつもりはない。
相手は『魔眼』が選んだ宿主だ。せつなの例もあるし、何かに特化した能力を秘めているかも知れない。
あくまで俺は、俺のスタイルを貫く。
冬の日暮れは早い。
辺りが少し暗くなってきた頃、ロイズが大量の食料品を抱えて帰ってきた。
無表情で机の上に品を山積みする姿は、俺には異様だった。
ロイズが味比べを始めてしばらく、レイラが帰ってきた。山積みの食料品に、怪訝な顔を見せながら、どこか落ち着きがないような感じ。窓に近づいて、外をやたら気にしている。
「・・・イヤな感じだ」
俺が問いかける前に、レイラが言った。
表情が固い。何かに緊張している。
魔法使いは、魔力と魔法で不安要素を払拭する。俺たちギルは、洞察力と直感で命をつなぎ止める。レイラは本来魔法使いなので、危険を察知する能力に長けている。
そのレイラが言うのなら、何か予期せぬ事が起きるかもしれない。
俺とロイズが命を狙っているのは知っている。レイラの予知が確かなら、別の要素が待っているのか。
「何も感じないが・・・?」
ロイズ、お前は気にしてないだろ。
まあ、俺も感じないが。
レイラはそれ以上何も言わなかった。まだ確信めいたものがないのかもしれない。
はっきりしないまま、魔法使いの時間が訪れた。
魔力感知のため、ロイズがネック(蛇型のドアノブ)を使用すると、宿主以外の魔力を感知した。念のため、俺のササ(鳥型)とレイラのレト(フィレット型)で試してみたが、結果は同じだった。
どうやら我々と同じ頃に、こちらの世界に来た者がいるようだ。
『せつな』か。
もしあいつなら、かなり厄介な事になる。
レイラはあっさり否定した。親子だからと鵜呑みにはできないが、今は彼女の感知能力を信用するしかない。
じゃあ誰なのか。
この、『魔眼』捕獲の任務は極秘で行っている。
ギル・ドの者でなく、偶然このタイミングで、こちらの世界へ来たのなら、申し訳ないが魔法世界に帰すわけにはいかない。
もうひとつ厄介な事が。
宿主の位置が、魔力で感知できない。
一瞬、宿主の仕業かと考えたが、あの素人魔法使いには無理だ。断言できる。そうなると、考えられるのは、新たな協力者がいるということだ。
また、せつなの顔が浮かぶ。
ビルの屋上。
三人それぞれの方向で、宿主の位置を模索する。
日付がもう少しで変わる頃、すぐ近くで動きがあった。街の境界にある川。そこに渡された橋の上。肉眼でも確認できる距離だ。
そこに突然『魔空間』が現れた。
自然発生ではなく、強制的だ。しかも、そこに人影が。
「行くぞ」
最初にロイズが屋上から飛び降りた。
次に俺。
飛び降りる直前に、レイラのため息が聞こえたが、振り返らず降下する。これくらいの距離なら、魔力で飛行できる。
人や動物は、無意識にその場所へ行かないし、見えない壁が遮っている。だが、俺たち魔法使いは別だ。
それが『魔空間』。
重力を無視して、ゆっくりと着地。三人揃ったところで前進する。
白く濁った橋の上。
俺たちは再び『魔眼』の宿主と対峙した。
隣には、例の肉体強化できる女。
そして・・・
「参ったね。せつなより厄介な子がいるよ」
レイラが嘆く。
街灯の上に立つ女魔法使い。こんな場所で会うとは思わなかったので、すぐには分からなかったが、レイラの言う通り、せつなより厄介な子だ。
魔法書庫を管理する者の中で、館長の次に知識と経験が要求される役職。魔法世界で異例の、十代での抜擢。
魔法書庫館長補佐のリサ。
三大魔法使い、アンナの孫でもある。
我々三人を見て、慌てている宿主に対し、笑顔で落ち着いた様子だ。
「ごきげんよう、レイラお姉さま」
西洋風のあいさつ。
彼女の魔法属性は何だろう。館長のナギが指名したくらいだ。魔法の実力は並ではないはず。
二百年前の『魔眼事件』以降、書庫の職員には戦闘能力も必要とされている。リサは若いが、あなどれない。
いつも俺とロイズの後ろにいるレイラが、珍しく前に出た。
「どうしてお前がここにいるんだい?」
見上げて問う。
リサの口元が少し笑ったように見えた。
「『魔眼』を宿したキリノ家の者がいるとお聞きしまして、この地へ検閲に参りましたところ、偶然この騒動に巡り合ってしまいました」
何というタイミング。
リサの言葉が真実なら、必然のような偶然だ。
ですが、ご安心下さい・・・
リサの言葉が続いていた。
「私は戦闘に参加致しません。もちろん、お姉様方の計画も公表しません。あくまで傍観者としてここにいるだけですから」
この二人に、多少の助言はしますが・・・
「本当だね?」
レイラが尋ねる。
リサは頷き、片手を肩の高さまで上げて、誓いのポーズをとった。
「それを聞いて安心したよ」
そう言って振り返るレイラ。
俺とロイズに目配せする。すぐ横を通って、最後尾を陣取る。
「リサが参加しないなら、勝率は高いよ。さっさと終わらせな」
レイラが言った。
約束通り宿主との戦闘はしないらしい。
すぐ横で魔力風。
ロイズが武器と防具を装備して、戦闘態勢に入った。
俺も同様に。
レイラの位置まで後退する。
「館長補佐の実力は、相当なのか?」
気になったので聞いてみた。
「風と雷を得意としてる。実力は、まあ、アンナと同等か、それ以上だね」
アンナの実力は知っている。
レイラが気にする理由が分かった。
俺は、さらに後退して、街灯の上に飛び乗る。同じ高さのリサが、肉眼で微かに見える位置。霧は思いのほか濃い。
ここなら、リサを警戒しつつ宿主を狙える。
瀕死の状態まで追い込んだら、リサだって黙っていないかもしれない。念のための用心だ。
Z(エオロー) ルーン文字はYの縦棒が上に突き出た形
宿主がルーンを発動した。守りの魔法か。
続いて、少し種類の違う魔力。あの肉体強化の女だ。俺と対戦した時より、強い魔力を感じる。まだ本気じゃ無かったってことか。
「お母様。その大きな胸をお借りしますっ!」
ロイズの前をスルーして、あの女がレイラに詰め寄った。
・・・何故レイラをお母様と呼ぶ?
「懲りない子だね。悪いけど、今日は手加減しないよ」
レイラは早速剣を取り出した。
魔力のほとんどを、肉体の維持に使いつつ、残りは剣に全て注ぐ。そんな半端な状態でも、彼女の剣術に対峙できる者は少ない。
「私のために、本気で向かって下さるのですね」
勉強させていただきます!
意味不明の言葉を連呼して、女が突進してきた。
素手でレイラと戦うとは、馬鹿を通り越して呆れてしまう。こっちはすぐに決着がつきそうだ。
ロイズはどうだ?
まだ宿主とにらみ合ったままだ。
リサが何やら話しているようだが、はっきり聞こえない。
ロイズの耐魔力は並みではない。多少魔力が強くても、彼を止めることは難しい。
さて、どうする宿主?
・・・?
何だ?
何故ロイズが動かない?
「あかねさん、後の事は考えなくて構いません。『魔眼』を解放しなさい」
リサの言葉がはっきりと聞こえた。
本気なのか、あの女。
あんな魔力が不安定な状態で解放したら、結果は見えている。『魔眼』の力を制御できず暴走だ。そうなると『魔眼』の捕獲がやりにくくなる。
冗談じゃない。面倒くさい事は嫌いだ。
俺は弓を構えた。
悪いが、仕事なんでな・・・
魔力を加えた矢を射つ。矢は闇に溶けて視界から消える。対象に当たるまで、その姿は見えない。
続けて二射。
角度も速度も変えて射った。
女だからと言って、俺は容赦しない。
宿主を射るまで見えない矢が、すぐ手前で何かに遮られた。
矢は、触れた瞬間凍りつき、落下した。
防御魔法か。ルーンは文字詠唱をしないと発動しないはずだが・・・いつの間に発動していたんだ?
直感で、身の危険を感じた。
俺は横に飛んだ。
反対車線の街灯にたどり着くまでに、さっきまでいた街灯は、氷の雨が降っていた。魔力を帯びた氷の粒は、街灯の鉄塔をも破壊した。
「落ち着け、ワボック。奴はお前の後ろだ」
ロイズが言った。
振り返ると、宿主が中央分離帯の上に立っていた。
俺は舌打ちする。
まんまと騙された。背後から光を受けて、霧に影を映す。自然現象を応用した幻影に、俺は弓を射ったらしい。
宿主は目を閉じて深呼吸していた。
弓を構えた時、背筋に悪寒が走った。
何だ、この感覚は?
感じたことの無い恐怖。
これが・・・『魔眼』の力なのか。
俺は一気に弓を引く。
「待て、ワボック」
街灯の真下まで来ていたロイズに止められる。
「何故止める?暴走すると面倒だぞ」
「手間が省ける。自滅を待とう」
「・・・なんだと?」
暴走して、宿主が死亡した場合、『魔眼』が消滅する可能性があるのだぞ。
・・・ロイズ、お前まさか、初めからこれを狙っていたのか。
宿主の少女が目を開けた。
左目が、異質な青い光を放っていた。
「落ち着け、私!・・・出来る子だ、私!!」
宿主は、気持ちだけで制御を試みているようだ。
今ならまだ間に合う。
俺を警戒している様子はない。魔力を帯びた矢を射つ。偶然なのか、同じタイミングで、宿主が俺を見た。
俺は目を疑った。
ルーン魔法を発動したわけではない。
体外に溢れた魔力だけで、俺の矢は凍りついた。失速して、形を失った。超低温で矢の組織を破壊された。
『魔眼』とは、素人同然の魔法使いに、これ程の力を与えるのか。
宿主の足元から、橋の道路が凍り始めた。
I(イス)
ルーン文字を空中に描いて魔法を発動する。
範囲魔法だ。
一気に橋が凍る。魔力で全身を覆っていても、手足の感覚が麻痺する程冷気が伝わってきた。
ロイズが両手の武器を構えた。
ようやくやる気になったらしい。小声で呪文を唱えて、身体能力を高めた。俺の知っているなかで、今の状態は最強だ。手加減無し。宿主本人を殺る気で戦うようだ。
「さあて、お前の実力を見せてみろ」
ロイズが大股で歩き出した。
「や、やりますよ・・・やっちゃいますよ。本気、出しちゃいますよ!」
宿主は、言葉も態度も挙動不審だが、覚醒してから魔力が安定していた。
すぐに自滅すると思っていたのに。
H(ハガル) Nに似た形のルーン文字
宿主は、文字を描いた手をそのまま頭の上に。
同じ魔法でも、『魔眼』が覚醒するとひと味違うようだ。極寒の冷気よりさらに低温の冷気が、宿主の頭上に集まってきた。
冷気が鋭利な先端を持つ矢になった。
振り下ろした手を合図に、氷の矢が加速した。
斧を持ったロイズの両腕が、音を立てて舞った。何十本と飛んでくる氷の矢が、きらめく粒子となって散ってゆく。
宿主を見る。
魔法は継続していた。
振り上げた手の上で、氷の矢が形成される。
加速。
ロイズでも、この数は捌ききれない。一本二本と、氷の矢が腕や脚を貫く。それでも表情ひとつ変えず武器を振るロイズ。さすがとしか言い様がない。
「・・・もっと速く・・・もっと密に・・・」
宿主の言葉が魔法に反映される。
氷の矢が、より鋭く、より流線に変化する。
『魔眼』の輝きが、さらに増したようだ。魔力も上がってきている。これはマズイな。暴走するどころか、安定し始めている。
俺は手持ちの弓を消して、大弓を実体化させた。
一撃必殺。
小手先よりも強力な一矢を。
止める事は無理だが、スキを作るくらいにはなるだろう。俺の最大魔法なんだが、今の宿主ではその程度だ。
弓を引き、魔力を注いで射つ。
氷の矢が壁となって、射角が変わった。命中はしなかったが、宿主の魔法を止めることができた。
ロイズが吠えた。
魔法ではなく気力で、体に刺さった氷の矢を砕いた。
巨体からは想像できない速さで動く。
Y(ユル) Sに似た形のルーン文字
宿主は、とっさに防御魔法を唱えた。
両腕の斧が振り下ろされる。
全身を包んだ氷が、ロイズの攻撃を弾き返した。魔力を帯びた氷は、これ程の強度なのか。
ロイズはその場で一回転。遠心力を加えた第二撃は、宿主ごと吹き飛ばした。
女特有の甲高い悲鳴。
防御の壁が間に合わないと判断して、自分の体に氷の壁を張ったまでは良かった。ロイズの戦闘能力を甘く見過ぎている。
腕力はもちろん、この男の素早さは、ギルのなかでも屈指だ。
俺は振り返る。
さすがにリサが援護するだろうと思ったが、動きが無かった。
街灯の上で、ただ傍観しているだけ。無表情なので感情も分からない。下を見ると、レイラとあの女がまだ格闘戦を続けていた。
レイラが手を抜いているのか?
信じられないが、魔力を注いだあの剣術に、まだ応戦しているようだ。俺と対戦した時こそ、手を抜いていたってことか・・・?
宿主もあの女も、侮れないな。
Th(ソーン) Pに似た形のルーン文字
宿主が魔法詠唱した。
この魔法は確か、召喚魔法のだったか。
「アイちゃん、お願いしまーす!」
真っ白に凍ったアスファルトの道路から、白い塊が飛び出る。『魔眼』の魔力を借りて、形成は瞬間だった。
荒削りの、小道具で彫ったような姿だった氷の巨人は、より人の姿に近い姿になって登場した。人型の硝子のよう。顔の表情まで分かるくらい精巧だ。
力強く振り抜いたロイズの腕を、簡単に受け止めた。残りの腕で、もうひとつの斧を氷の巨人に叩き込んだ。
鈍く重い音がしたが、氷の体を傷つける事はできなかった。
「上出来だ、主よ。全身に力がみなぎっているぞ」
氷の巨人は、ギルの巨人を殴った。
ロイズの体が大きく反り返った。腕を掴まれているので逃げられない。
もう一発。
まずい、効いているぞ。
俺は大弓を射った。
氷の巨人の腕に命中。当たれば効果が発揮される。召喚獣は(今は氷の巨人だが)術者の魔力と魔法で構成されている。おれの大弓の矢は、魔術構成を破壊する術を施してある。
弓が四散して、氷の巨人の腕が散った。
拘束を失ったロイズが、氷の地面を転がる。
破壊した腕が再構築する前に・・・
視界いっぱいに、何かが広がっていた。
気を失うくらいの衝撃。
意識が戻った時、俺は水の中にいた。浮上して、川に落ちたと分かった。
多分、氷の巨人に殴られたか、体当たりを食らったのだと思う。頭がクラクラして、目の焦点が定まらない。考えるより先に、俺は川原の方へ泳いでいた。
川からあがって、体の状態を確認する。打撲の痛みはあるが、大きな傷は無いようだ。そのまま、濡れた体を引きずりながら、橋へと足を進める。
どれくらい意識を失っていたのか。戦況に変化はあったのか。
俺は橋を見上げる。
溢れた冷気が、橋脚まで凍らせていた。
戦場まで歩いて戻り、ある程度体調が回復した。
レイラの剣舞は、爽快かつ冴えていた。それでもあの女は、まだ持ちこたえていた。素手だけで。大したものだ。
ロイズは?
氷の巨人と今だ交戦中だ。一進一退。力と力の激しい戦い。あの巨体であの身のこなし。俺の入るスキは無い。
少し離れた歩道に、宿主が手で目を押さえながら立っていた。魔法を詠唱する気配はなく、戦況を見守っている感じだ。街灯の上のリサも、俺に気づいていない。狙うなら今だな。
致命傷を与えなくてもいい。宿主の集中力を削ぐだけで戦況は変わる。
俺は小型の弓を構える。連射して、一射でも当たれば儲け物だ。
弓を引いて狙いを定める。
宿主を見て、何かが引っかかった。
何だ?
歩道の手すりに片手を乗せて、少し疲れたような表情。戦況を見守りながら、左目を押さえている。
左目・・・・
「あかねさん、『魔眼』に負けては駄目です。自我を保って」
リサの声が響く。
やはりそうか。制御しきれなくなっている。暴走寸前だ。こっちは『魔眼』さえ手に入ればそれでいい。宿主本人の生死など関係ない。
宿主と目が合った。
俺は弓を連射した。
ゲルマクワルツェ
何かの言葉を発した。すぐに記憶から消える。
手をかざしただけ。俺の射った矢は凍りついて砕け散った。魔法じゃない。体から溢れた魔力だけだ。
外見は変わらないが、別人が立っていた。目つきも仕草も、さっきまでの宿主とは明らかに違う。
これが、『魔眼』に封印されている魔法使いか。
自分の体の状態、今の状況を、ゆるやかな動きで確認している。
お前が我を呼んだのか・・・・稚児のお前が・・・・?
宿主と同じ声で、別の者が語りかける。
頭の中を整理する。
宿主の肉体の支配権は、『魔眼』の魔法使いに移行した。この状態で攻撃して傷を負わせた場合、『魔眼』に影響があるのだろうか。
また、この段階で『魔眼』を取り出す事は可能なのか。
俺はロイズを見る。氷の巨人と激戦中。とてもじゃないが、手が離せない。
レイラは・・・?
「何だこれは?・・・『魔眼』の中身が現れているのかい?」
交戦を中断して、何やらつぶやいている。
キリノ家の人間なら対策を、と思ったが、彼女の様子から察するに期待できそうにない。
さて、あの『魔眼』の魔法使い。どうやって説得するか・・・・
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます