ミチル
「さすがキョウコ。また予言が当たったよ」
私は、カラオケ店のトイレでキョウコに言った。
洗面台の前で、鏡ごしに朝の出来事を話す。例のおばあさんの件だ。
キョウコは、私の話をあまり関心なさそうに聞いていた。あれ、おかしいな。いつもなら当たって喜ぶはずなのに。
昨日、キョウコに言われたこと。
『三』という数字が、災いを呼ぶ。
今日の朝、三人のチンピラにからまれた。最近のキョウコの未来視は、より明確になっていたから、ああこれかぁ、って思ったんだけど、私の話を聞いている様子から、どうもこれじゃないみたい。
「そんなの、日常茶飯事じゃん」
キョウコが言った。
まあ、確かに。
道を歩けば、大抵トラブルが寄ってくる。呼んでるつもりはないんだけど、腕自慢の男たちが、ハエのように集まって来る。
キョウコには、私がフェロモンを出し過ぎているからだと怒られるんだけど、そんなつもりは無いし、出してないと思うんだけど。
「今回のは、ちょっとヤバいよ」
鏡の中のキョウコは、真剣な顔で私に言った。
「『三』の災いはまだこれから。それに、もっと大きい」
そうなんだ。
じゃあ、魔法使いが三人いるのかも。これは災いというより、楽しみなんだけど。
急にキョウコの表情が変わる。
泣きそうな顔で、私を直接見ている。
そんな顔で見られたら、まともに見れないよ。
「あかねを守るために、家に泊まらせるんでしょ?」
ズバリ言われた。
キョウコはどこまで分かっているのだろう。
「ミチルしかあかねを守れないから仕方ないけど、あまり無茶しないでよ。こう見えて心配性だし、夜眠れないんだからね」
語尾を強調して言われた。
「はいはい。分かってるって」
返事してキョウコを見ると、乙女の顔になっていた。
その何かを求めるような顔を、私に向けないで。友情以上のものはあげられない。
だって、私にはダーリンがいるから。
私はキョウコの背中に腕をまわし抱き寄せる。
軽くキスをする。もちろん口だよ。これが私の精一杯。
キョウコは満足してくれたらしく、部屋に戻ってからはご機嫌だった。三曲くらい連続で歌っている時に、あかねが私の袖を引っ張った。
この状況を理解できていないようだ。
そりゃそうか。
魔法使いをおびき出すつもりで街に出て、カラオケ店にいるからね。あかねの緊張をほぐすために来たつもりだったけど、あまり効果は無かったか。
真面目過ぎるんだよ、お前は。
もうちょっと楽しく行こうぜ、って言いたい。
ひとりを除いて、カラオケを十分楽しんだ私たち。
キョウコと別れて二人で帰る。
あかねは気づいていないようだけど、いや~な感じがする。魔法使いが釣れたな。気配を感じたわけじゃないけど、私の本能が知らせている。
買いたいものがある、とか適当に言って道順を変える。どこで襲って来るか分からないから、なるべく視界の開けた大通りを歩く。
この時間、外はかなり冷え込んできた。また雪が降るかもしれないな。
あかねはかなり寒そうだ。
「あんたさあ、氷の魔法使いなのに、寒いの?」
聞いてみた。
「寒いです。冬は手足がしもやけになるので嫌いです」
「そうなんだ。私の中では、氷の魔法使い=雪女=寒さに強い、だと思っていたんだけど」
「何ですか、雪女って。関係ないじゃないですか!」
真面目な顔で答えるあかね。
なんてイジメがいのある子なんだろう。
あかねには言ってないけど、ホントは妹みたいに思っていて、可愛くて仕方がないんだ。あの、あれだよ。好きな子に意地悪する。それと同じヤツ。
私には年の離れた兄と姉しかいなくて、ずっと妹が欲しかった。だから、あかねと出会って、こうして一緒にいられるのが、結構楽しいんだ。
おっと。
ちょと気を抜き過ぎたな。
すぐ近くまで来ているようだ。相手の出方も力量も分からない。ひとりじゃないかもしれないし、ここはあかねに囮になってもらおう。
「ここで買う」
そう言ってコンビニに入る。
あかねは自動ドアの前で立ち止まった。
気づいたようだ。
私は知らないフリをして、まっすぐレジへ向かう。学生っぽい男の店員があいさつ。表情を作って、彼の顔を見る。
「ストーカーに追われてるの。裏口から逃がして」
か弱い女の子を演じて言ってみた。
一瞬間が空いて、男の店員は慌てて私を誘導した。
警察を呼ぶとか、面倒な事を言わないうちに、適当にごまかして、裏口から店を飛び出す。
若い店員のキョトン顔に見送られながら、急いで元の大通りへ戻る。さっきまで歩いていた人も、走っていた車も、なぜかいない。言葉や動作に『間』があるみたいに、今この空間に『間』(この場合は『魔』かも)が訪れていた。
建物の隙間から様子をうかがう。
あかねを中心に、ひとりふたりと魔法使いが現れる。あかねの正面には、デカくてゴツい体格の、熊みたいな男。頭は悪そうだけど、力が強そう。
もうひとり。あかねの後ろに現れた女。革ジャンに革のズボン。とてもスタイルがよく、背中まで伸びた髪をひと括りにしていた。
後ろ姿しか見てないけど、雰囲気がダーリン、せつなに似ている気がする。
どちらの魔法使いも手強そうだ。
そしてもうひとり。
あかねは気づいていないけど、五階建てのビルの屋上、電飾の看板の影に、もうひとりの魔法使いがいた。遠くてよくわからないけど、細身の男だと思う。
三人の魔法使い。
キョウコが予言した三つの災い。
ハンマやヘイマと違って、とても強そうだ。
嬉しくて胸が高まる。はやる気持ちを抑えて、ここはあかねのサポートに徹しよう。あの屋上のヤツが厄介だな。多分遠距離から標的を狙える魔法使い。不意打ちを食らうかもしれない。アイツを何とかしよう。
私は深呼吸して、姿勢を正した。
両手をお腹のあたりでつなぐ。有坂家伝承の印を結ぶ。七つの印を組み合わせることで、私の潜在能力を極限まで引き出す事ができる。
五感が鋭くなり、全身に力がみなぎる。
私の戦闘体勢は万全だ。
タイミングを見計らって、歩道に飛び出す。そのまま車道を渡る。
ヤバ。せつな似の女がこっちを向いた。気配をなるべく消したのに気づかれた。
だけど、街灯の柱にもたれたまま、何もする様子がない。チラリと見ただけで、またあかねのほうを向いた。
見逃してくれるようだ。
うーん。
あのデカい男より強そうだ。
戦ってみたい。
だけどここは我慢。屋上のガリ男(勝手に命名)に期待しよう。
春先の頃と違って、あかねも多少は魔法使いらしくなってきた。でも、あの二人相手では、そう長くもたないだろうな。さっさと終わらせて応援に行こう。つか、早くあの女と戦ってみたい。
非常階段を駆け上がりながら、楽しくて笑みがこぼれてしまう。
久々の本気の戦闘。不良学生やチンピラ相手とはワケが違う。手加減無しで戦えるなんて。しかも今回、せつなの手助けはない。ちょっと手を抜いて、せつなに助けてもらう、か弱い女を演じなくていい。
初めから飛ばしていくからね。
全く呼吸を乱さないまま、屋上に到着。ガリ男は電飾看板の上、鉄骨の一番上に座っていた。
まだ私には気づいてないようだ。
猛ダッシュ。
サルみたいに素早く鉄骨を登る。
「それっ!」
勢い余って宙を舞う。
ガリ男の頭上。空中から、振り返って驚き顔のガリ男に回し蹴り。ガードした腕を蹴り抜く。
私は十センチくらいの幅しかない鉄骨の上に着地。ガリ男は落下。頭からじゃなく、足から着地したのはさすが魔法使い。
私は数メートル上から飛び降りる。
ガリ男は後退。私と距離をとった。
「なな、なんだ、お前は!」
不意をつかれ、慌てているガリ男。
私は立ち上がって、腰に手をあてる。
「見ての通り、かなりカワイイ女子高生よ」
目元でピースサインも忘れない。
期待した反応が無かったので、早速気持ちを戦闘モードに切り替える。
「コソコソ隠れて狙うなんて、ちょっと卑怯なんじゃない?」
無視された。
私を探るような目で見ている。すぐ何かに納得して、気持ち悪い笑顔をみせる。
「なんだ。ただの人間じゃないか」
そう言って、左手を体の前に伸ばす。
右手は肩口から背中へ、何かを掴むような仕草。
ガリ男の体全体が一瞬ボヤけて、左手に弓、振り上げた右手に矢が現れた。
なるほど。この武器なら遠くから狙えるわな。
矢をセットして、弓が大きくしなる。
「邪魔だ。消えろ」
ヒュッという風を切る音と共に、矢が放たれる。
まだ本気じゃないよね。
ギリギリまで見極めて身をかわす。
「なに?!」
と言いつつ、第二矢を放つ。
魔力を加えたらしく、変な軌道で飛んでくる。
どんな方向から来ようと、私の陣地に入れば問題ない。
心と矢を折ってやる。
「えい!」
と、掛け声と共に、手刀で矢を折ってやった。
「なっ!」
さすがに驚いたようだ。それでも、しっかり次の矢を用意している。
呪文を唱え始めた。
ガリ男は大したことなさそうだ。一気にヤッちゃうか?いやいや、もうちょっと我慢するか。
何の前触れもなく、階下を狙った。その先にはあかねがいる。
「あ、コラ!」
ここからじゃ止められない。
「あかね!危ない!」
思いっきり叫んだ。
気づくまであかねを呼んだ。
ガリ男が矢を放つ。魔力の力を借りて、信じられない速度で飛んでいく。ダメだ、間に合わない。
このタイミングじゃよけられない。
当たる!
その瞬間、せつな似女の手から何かが伸びた。生き物のようにうねった鞭は、寸前で矢を弾いた。
「ちっ。レイラめ、寝返ったか」
ガリ男が言った。
仲間割れか何か知らないが助かった。
卑怯者には遠慮しない。私は猛ダッシュでガリ男に迫った。あと一メートルくらいの距離で矢を放ちやがった。
いくら魔力で速度を上げようと、予備動作が必要だ。
弓から矢が離れた時、私はそこにいない。十分に体重を乗せた蹴りが、ガリ男の胸元にヒットした。
変なうめき声を出しながら、気持ち良いくらい吹っ飛んだ。
一撃必殺。
連打なんて、死闘の中では滅多にない。
骨を砕くつもりで蹴ったけど、そこはさすがギルの魔法使い。平気な顔で、無理な体勢からでも矢を放ってきた。
続けて五本。魔力を帯びて、四方八方から飛んでくる。
ここまでか。
これ以上ガリ男の引き出しは無さそうだ。
どんな方向、どんな速度で飛んで来ようと、矢は私を貫こうとする。私の研ぎ澄まされた五感に、敵は無い。
右斜め方向に二歩分。
矢が私を貫く寸前に素早く動く。それだけで回避できた。
どうだ、ガリ男。
「あれ?、いない」
看板裏の、鉄骨あたりに転がっていたガリ男が消えていた。
気配を探ったけど、屋上にはいないようだ。全く、どこまでも卑怯なヤツ。
非常階段を、ほとんど飛び降りるように下る。
あかねは持ちこたえているだろうか。
大通りに出る。
熊男は氷の戦士と今だ戦闘中。いい勝負してる。あかねは、レイラって女とにらめっこ。私は急いであかねに近づく。
「おや、さっき屋上で叫んでいた女(こ)かい。ワボックのやつ、消えやがったか」
女が言った。
私は、あかねの前に立つ。あかねが何か文句を言っているが無視する。つか、聞こえていない。目の前の、革の上下を着た女に、私は釘付けだった。
この女、かなり強い。しかも、顔がせつなに似ている。
闘争本能が爆発寸前だ。
「あかね!」
思わず大声で叫んでしまった。
驚き過ぎて、言葉にならない奇声を出すあかね。
「あいつと戦う。守りの魔法ちょうだい」
「で、でも、あの人は・・・・」
あかねを睨みつけた。
言葉が途切れて、分かりました、と一言。あかねの指が、私の背中に触れる。
Z(エオロー) アルファベットのYの縦棒が上に突き出たルーン文字。
魔法と打撃を防御する魔法。かける相手に直接ルーン文字を書くことで、より強く、より長時間効果がある。
私の体術との組み合わせはバッチリだ。何度か実験済み。
「体術を使うか。面白いじゃないか」
レイラ、と呼ばれていた女が言った。
二十代か三十代くらいの、モデルみたいなスタイルの女。自慢げに巨乳を半分さらけ出している。
髪型が同じせいか、やっぱりせつなに顔が似ている。
余裕の笑みを浮かべながら、右手の剣を背中に収める。手を離すと柄が消えた。
「体術は得意じゃないが、付き合ってやるよ」
そう言って、両手をダラリと下げる。
自然体の構え。
あの時の記憶が蘇る。せつなと初めて出会った運命の夜。顔も似ているが、言ったセリフまで同じとは。
何なんだ、この女は!
「せつなさんのお母さん、と本人は言っています」
後ろであかねが言った。
理解するまで少し時間がかかった。
「えーーー!!!」
私は腰が抜けそうになる、という状態を初めて経験した。
あっ、とあかねが声を上げる。聞かなくても分かる。熊男と氷の戦士の戦いに、決着がついたようだ。
「無念。石の上にも三年」
と、最後の言葉を残して消える氷の戦士。
相変わらず微妙なことわざを残して。
これはヤバいぞ。
熊男が参戦となると、一気にこっちが不利だ。私は目の前の、お母様(レイラのこと)のお相手をするだけで精一杯だ。あかねひとりで熊男と対峙できるか。いや、無理だろうな。あれくらいの魔法じゃビクともしないタフさを備えている。すぐに詰め寄られてしまうだろうな。
あかねの魔法がもう少し強ければ。
背中に伝わるあかねの『気』が変わった。
もしかして、『魔眼』の力を使うつもり?大丈夫なの。前に使った時は暴走したって聞いたけど。
目の前の、お母様の表情が曇った。空を見上げて舌打ち。
何だろう。
私は特に変化を感じないけど。
「ロイズ、時間切れだ。『魔』がもたない」
私たちの背後から近寄っている熊男に言ったようだ。
「仕方ない。引き上げだ」
デカい体格に似合った野太い声。
後ろの殺気が消えた。
お母様と目が合う。
「残念だけど、続きはまた今度」
そう言って、素敵な笑顔を残して振り返る。
歩き出してすぐ、体の輪郭がボヤけて、溶けるように消えた。
「二人共消えちゃいました」
あかねが言った。
「どうなってんの?」
私たちの疑問はすぐに解決した。
今まで聞こえなかった音が、一気に耳に入り込む。
街の雑踏。クルマの排気音。
まわりの景色は何も変わらないまま、元の街の姿になっていた。人もクルマも、当たり前のようにそこに存在する。
私たちは車道の真ん中に立っている。
すぐそこまでクルマが迫っていた。
風が吹いた。
足が地面から離れるくらい。
あかねは悲鳴を上げて尻もちをついていた。道行く人の視線が集まる。
私はさっき入ったコンビニの前に立っていた。あと一歩踏み出せば、自動ドアが開くくらいの位置。
確認のため振り返る。
恥ずかしそうに立ち上がるあかね。二人とも歩道にいる。車道じゃない。イテテテとお尻をさするあかねが魔法を使って?いやいや、そんな様子じゃないな。訴えるような目で私を見てるし。
何が起こったの?
街は元に戻ったけど、私たちは取り残された気分だった。
帰り道。
結局家に着くまで、お母様と二人の魔法使いは襲ってこなかった。
風に乗って歩道まで飛ばされた事について、色々考えたけど、答えは出なかった。
家に着くと、体力的にも精神的にも疲労が一気にやってきて、部屋に入った途端、私はベッドに倒れ込んだ。
このまま目を閉じたら眠ってしまいそうだ。
あかねを見る。
暖房をつけたばかりで、部屋の温度は外とあまり変わらない。
首をすくめて震えているのは、寒いだけじゃない。
分からない事だらけで、だけど私と話したって何も解決しない。お母様たちは『魔眼』を狙って、また襲ってくるだろう。
せつなやアンナは頼れない。
私以上に不安だろうな。
「『魔眼』の力ってさあ、コントロールできるの?」
念のため聞いてみた。
「何度か試した事はあります。でもその時はせつなさんやマスターが近くにいましたし、正直ひとりでは不安です」
詳しくは知らないけど、『魔眼』が暴走すると、人格が変わって宿主を食いつぶすらしい。もし暴走しても、私には止める術がない。
だけど、お母様たちと戦うには、今のままでは力が足りない。
「ある人と約束したんです。それまでは『魔眼』を渡すわけにはいきません。いざとなったら・・・・」
表情が変わった。
さっきまで震えていたあかねは、何処かへ行ったようだ。
ちょっと頼もしく見えた。
少し気持ちが落ち着いたところで、二人でお風呂に入った。あかねが服を脱ぐのを恥ずかしそうにしていたので、私のイタズラ心に火が付いた。
嫌がるあかねを楽しみながら、強引に服を脱がして、カラダを洗ってやった。詳しくは言わないけど、隅々まで洗ってあげた。
部屋に戻って、あかね用に布団を用意してたけど、二人で寝たほうが暖かい、とか言って、私のベッドで一緒に寝た。
「襲わないでくださいよ」
その言葉にムラムラっときた。
背中を向けて寝るあかねに抱きつく。暴れて逃げないようにしっかり拘束しながら、女としてどれくらい成長しているか、直に触れて確認した。
同じ石鹸、同じシャンプーを使っているのに、あかねからとてもいい匂いがした。
ああ、ダメだ。
キョウコのせいで、違う道へ進もうとしているかもしれない。
あかねが半泣き状態だったので、拘束を解いてやる。
「私がお嫁に行けなかったら、責任とって下さいよ」
なんて言うもんだから、思わずキュンとなってしまった。
「わかったわかった。その時は私の嫁にしてやるから」
そう言って頭を撫でてやる。
あかねには悪いけど、私はこれで気持ちが落ち着いて、朝までぐっすり眠れた。
私なりに、あかねに元気になってもらう方法はないか考えた。
結果、ここが一番だと思った。
「ミチル姉さん、あかね姉さん、お疲れ様っす!!」
十人近い男たちの合唱に迎えられて店に入る。ここはバイト先のバーガーショップ。味も値段も良いので、学生たちには人気だ。ただちょっと客層が偏っているけどね。
今日も満員御礼。
七割は学生。お前ら、学校休みでも制服着てんのか。
「これが俺たちのポリシーっす」
最近加わった新人。
意味を分かって英語を使っているのか疑問だ。
笑うと前歯が二本無い。この間私が折った。手加減が少し足りなかったと反省している。本人は、これは俺の勲章っす、とか言ってる。
あかねは?
ここに来ると真っ先に向かう場所がある。
店長の子供、生後五ヶ月の加恋(かれん)ちゃんのところ。可愛くて仕方ないらしい。まさに猫可愛がり。デレデレだ。加恋ちゃんも最近は表情豊かで、あかねが近づくと、嬉しそうに手足をバタつかせて笑っている。
そんなあかねの様子を見て、男たちがまたデレデレしている。当然、私の美しさにも注目が集まっている。
あれ程毎日のようにやって来た、私への挑戦者は、冬になると殆ど来なくなった。大したヤツは来ないけど、こうなると結構寂しいものだ。男たちも楽しそうに会話しているが、どこか物足りなさそう。
格闘好きな店の奥さんは、誰も来ないならミチルとあかねが対戦したら?、とか言っている。実は何度か模擬戦をやってるけど、残念ながらまだまだだ。短期間でよく学んでいるとは思うけど、私の速さには全然ついてこれない。
魔法も拳も、当たらなければ意味がない。
あの魔法使いたちも、次は本気で来るだろうな。
今日はバイトの日じゃなかったけど、忙しそうだし、結局手伝うハメに。午後からはキョウコもバイトにやって来た。
キョウコはあかねにくっついて、何やら密談をしている。私と一晩過ごした事が気になるらしい。正直に私にイタズラされた、って言えばいいのに、変に隠すものだから、なかなかキョウコが離れない。
「私には、あかねの初夜の出来事を聞く権利がある」
とか言ってるし。
あかねは益々挙動不審になる。
「ごめんください」
この店には、結構色々な客が来るけど、あいさつして入ってくる客は初めてだ。
しかも、声が聞こえるまで、私が気づかないなんて。
何者?
私とタメくらいの、性格がキツそうな顔の女。目線が、迷わずあかねに向けられている。
まさか、あいつらの仲間?
キャリーバッグを転がしながら、店の中に入って来た。男子たちが雰囲気を察して、女を睨みつける。
睨み返した。
キャンキャンキャン・・・・
おいおい。女のひと睨みで、負け犬みたいに尻尾巻いちゃったよ。
「霧野あかねさん」
女はあかねのすぐ後ろで言った。
一瞬間があったのは、苗字のせいかな。はっ、と気づいて振り返った感じ。
あかねの表情からして、知り合いではなさそうだ。
勉強ができる優等生で生徒会長。そんな雰囲気に押されて、今にも泣きそうだ。
「あなたにお話があります。ちょっとお時間作って頂けませんか?」
「え?・・・あ、え~っと・・・」
困り顔で店長を見てる。
どうぞどうぞと手振りで答えてる。店長も苦手なタイプらしい。
次は私。
仕方ないなぁ・・・・
「どちら様ですか?」
私は女のすぐ横まで行って尋ねる。
「どこか静かな場所で・・・」
無視された。
「ねえ、ちょっとあんた・・・っ!」
女の指先が私に向いた途端、声が出なくなった。
何か呪文を唱えている。
その指が店内を一周した。店長も不良学生も、何も変わらない。キョウコは普通に仕事している。
まるで、私とあかねがここにいないみたいに。
こいつ、魔法使いか。
「近くに、雰囲気の良いカフェがあります。そこでお話をしましょう」
うなずくあかね。
目の焦点が定まっていない。完全に魔法で操られている。
止めなくちゃ。
意識ははっきりしているのに、体が自由に動かない。
くそう!
キャリーバッグを転がして、歩き出す女。その後ろを、ゾンビのようについて行くあかね。何もできない私。
出入口付近で女の足が止まった。
「あ、そうだ。ついでにあなたもいらしてくださいな」
その言葉で、私の呪縛が解けた。
だけど、操り人形のように女の後ろについて行くだけ。何も出来ない。
店を出て、大きな通りへ。商店街を少し歩いて、また細い路地へ入る。そこに、やけに古めかしい店が一軒。つか、看板が無いので、お店だと気づかないかもしれない。
私とあかねは、女に連れられるまま、その店の中へ入った。
こんな所に、こんなお店、あったっけ?
観葉植物がジャングルのようにたくさん置かれている。店内はアンティーク。うす暗い照明のなかで、手入れの行き届いたテーブルがツヤっている。
女は窓際の席についた。
「あなたたちも、どうぞおかけになって」
言われるまま、女の対面に座る私とあかね。
「紅茶を三つ下さいな」
店員どころか、人の気配が無いんだけど、誰に注文してんだ、この女は?
片手を私の前に出して、指をパチンと鳴らす。
気圧の変化で、おかしくなった耳の中が、すっきり通ったような感覚。
呪縛が解けたようだ。
「ほえ?」
となりで変な声を上げるあかね。
何で?を連発しながら、あたりをキョロキョロ見ている。
「あんた、誰?」
ちょと強めの口調で聞く。
すぐ横に、ティーセットが乗ったワゴンとウェイターがいた。
「なっ!」
思わず、体が仰け反りそうになる。
い、いつの間に来てたの?
「何で?」
あかねの矛先が、私に向いた。
「とりあえず黙ってて」
軽く睨んであかねを落ち着かせ、女を見る。自分で言うのも何だが、私は喧嘩っ早いところがある。だけど、時と場所はわきまえる。
あと五秒だけ待ってやる。
女のすました顔をじっと見る。
「私はリサ。アンナの孫よ」
怒りがフェードアウトしていった。
紅茶の入れられた上品なカップが、テーブルに置かれた。
順番がおかしい。
色々な説明が抜けている。
いきなり昨夜の戦いのダメ出しから始まった。やれ油断しすぎだの、やれ魔力にムラがあるだの、一方的にあかねを責め続ける。
「・・・それにあなた、ルーンを乱発しすぎ。あれだけ目の前で出したら、次から警戒されてしまうでしょ。ただでさえ詠唱に時間がかかるのですから・・・」
終わりの見えないダメ出し。
横にいるあかねがどんどん小さくなっている気がする。
「ちょ、待った」
私は手を挙げて言った。
「はい、どうぞ」
無視はされなかった。
「この状況の説明をして欲しいんですけど」
女、名前はリサだっけ。リサにじっと見つめられた。すごい威圧感。体が仰け反りそうになる。
「そうね。そこからお話しましょうか」
納得してくれたようだ。
リサは紅茶をひと口飲んで話し始めた。
リサは、アンナの十人の子の(多い!)六番目の娘の子で、次期後継者であること。アンナの体を心配して、あかねの修行を手伝いに来たこと。魔法世界で待ちきれずに、こちらへやって来たが、いきなり世界をつなぐドアが封じられて、これは何か良くないことが起こると思って、色々調査していたら、街のど真ん中で戦闘が始まって、様子を見ていた。(見ていたんだったら、助けろよ!)で、決着つかず終わって、私とあかねがクルマに轢かれそうになったので助けたと・・・
・・・?
えぇーー!
あの時の風は、この人だったのか。
リサは空になったカップを置いた。
気配を全く感じないウェイターが、ティーポットから紅茶を注ぐ。て、ずっと横に立ってたの?
あ、イケメンじゃん。
違う違う。こんな話、聞かれてもいいのか?
「リサさん、あのう・・・」
目配せする。
ああ、と何でもなさそうな表情をするリサ。
「心配いりません。ここは、こちら側の関係者が経営なさっているお店です」
「そう・・・なんですか・・・」
店に入ってから感じていた違和感は、そういう事だからか。
「これで、理解していただけましたか?」
「つまり、こっちの世界に来て、閉じ込められたということですね」
嫌味っぽく言ってやったが、動じない。
「この、世界が繋がらない状況は、魔法使いひとりの力ではどうにもなりません。組織的な、おそらくギルドが関わっていると思われます」
さらりと言われた。
「『魔眼』は、キリノ家が約二百年間独占していて、同じ魔法使いからも賛否両論が繰り広げられてきました。あの三人の顔ぶれから予想すると、派閥同士で何か決め事があったのではないかと推測されます」
「派閥?」
リサが言うには、『魔眼』の扱いについて三つの派閥があるそうだ。
『魔眼』はこの世界において、危険な存在なので処分しようと考える強行派。
『魔眼』の力を利用して、魔法世界や他の世界を管理しようと考える革命派。
『魔眼』は今のまま、キリノ家が管理して秩序を保とうと考える保守派。
あの三人は、それぞれの派閥の代表格らしい。お母様(レイラ)は保守派だろうな。後の二人は、まあどっちでもいいや。とにかく、魔法界の中でも精鋭たちがやって来ていると、そういう事だな。
「単純に、あかねが『魔眼』を渡せば全て解決、ってわけじゃないんだね」
「そういう事です」
色々納得した。
「『魔眼』は渡しません」
あかねが言った。
普段は頼りないが、そこだけは信念を持っている。
「アマクサさんと約束したんです。決着をつける、って」
「だったら、もっと魔法を学ぶべきです」
リサに強めの口調で言われた。それだけであかねは動揺している。さっきのダメ出しが効いているようだ。
「アンナは、女魔法使い最高位の『魔女』の称号を持った偉大な方です。ただ師として学ぶには、少し難があります。自分が無茶苦茶な事ばかりするせいか、弟子には『力』のコントロールを教えたがる・・・」
・・・それでいいんじゃない?
私はそう思ったけどなあ。
「私がサポートします」
リサが言った。
「あの三人と決着がつくまで戦える場所を用意します。ですからあかねさん。あなたは全力で戦いなさい」
魔眼を解放しなさい
「暴走の原因は、主従関係がはっきりしていないからです。その眼の中の魔法使いに、宿主が主だと認めさせればいいのです」
あかねを見る。
自信無いって、顔に出ていた。
「で、でも、私にはそんな事・・・」
「成功率は二十%くらいだと、私は予想しています。ですが、やる価値は十分あると思います。ここで魔法世界の者に脅威を与えておかないと、これから先、『魔眼』を狙う刺客が次々と派遣されるでしょう」
あかねの喉が鳴った。
今にも泣きそうな顔をしている。
そんな事で、アマクサという男と戦えるのだろうか。
「それから、あなた。お名前は?」
不意に聞かれた。
「ええ、っと、有坂ミチルです、けど・・・」
声がうわずってしまった。だって、急に振るんだもん。
リサは、私の名前を聞いて考えていた。顎に手を添えて、じっとしている。そして、何か思いついたらしく、指を顔の前にかざした。
空中にモニター画面のようなものが現れた。
指を上下に動かすと、それに合わせて画面も変化した。私には何が書いてあるのか、さっぱり読めない。反対から見ているせいもあるけど、書かれている文字が日本語じゃないから。
「・・・なるほど。あの『アリサカ』ですか」
納得して、画面を消すリサ。
どの有坂ですか?
「はっきりした時代は分かりませんが、あなたも魔法世界の人間です」
「・・・はあ」
空返事しか出来なかった。
「どういう理由でこちらの世界に移住したのかは分かりませんが、肉体強化の魔法だけが継承されているようですね」
「そう・・・なんだ。私も、魔法使いなんだ・・・」
空とか、飛べたらいいなぁ・・・
「あなたも、全力で戦いなさい」
まっすぐ、正面を向いて言われた。
どこから昨日の戦いを見ていたのか知らないけど、私の事も見抜かれている。
「二人共、後先考えず全力で戦いなさい。私がサポートしますから」
妙な自信と説得力。
私とあかねは顔を見合わせる。
出会ったばかりだし、実力がどの程度なのか知らないけど、リサの言葉と態度には、不安を感じる要素が無かった。
街と街の境界にある大きな川。
そこには、最近新しく架けられた橋がある。
午後十一時五十分。私とあかねは、そこに立っていた。オレンジ色の街灯が、橋を明るく照らしている。
歩道から橋の下を覗いていたあかねが、私に走り寄って来た。
私と同じように、中央分離帯の上へ。
青い顔は寒さだけではないようだ。
「どうしたの?」
私はあかねに問う。
「橋の下の川を見てたら、真っ暗で怖かった」
顔を見ると、鼻の下がテカっている。
私がポケットに手を入れた途端、クシュン、と可愛らしいクシャミをひとつ。見事な鼻水が両方から現れた。
嘆息。
「ったく。子供か、お前は」
ポケットからティッシュを取り出し拭いてやる。
「なんかね、暗黒の世界が広がっているようで、吸い込まれそうでした」
まだ喋るか。
「ほら、チーンして」
しっかり鼻をかませる。
氷の魔法使いは、相変わらず寒さに弱い。
「仲良しごっごはその辺で。来ましたよ」
頭の上から声。
橋の街灯の上に、器用に立っているリサだ。
何故こんな時間に、こんな場所にいるか。
三人の魔法使いを、ここにおびき寄せて、決着をつける。
リサの提案を、強引に遂行されている最中だ。彼女の言葉には、拒否とか、異議は通らない事を、私は学んだ。
仕組みは分からないけど、この橋には誰も近づかないように、結界が張られている。
夜中とはいえ、街をつなぐ橋だ。交通量は多い。クルマも人の気配も無いのは、その結界が効いているのだろう。
私とあかねは、顔を見合わせ気持ちを整える。
道路の先を向き直す。
うっすらと霧が立ち込めた中から、三つの影が現れる。
私は深呼吸して、白い息を吐き出した。
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