あかね
とっても良いトコだったのに、耳障りなベルの音が、ステキな夢を中断した。
目を開けた途端、さっきまで見ていた物語は、何処かへ消えてしまった。代わりに、現実世界が私を包む。
ベッドから起き上がろうとして、すぐやめた。
「寒い・・・・」
私は部屋の冷気に身を震わせた。
十二月の後半。
少し強めの寒波襲来で、街はすっかり冬へ突入した。何年ぶりかの積雪で、交通機関はパニクって、学校の始業時間に間に合わない日もあった。道路にうっすらと雪が積もっただけでこうだ。積雪の多い街はどうしているのかな。別の生き物みたいな除雪車が、朝早くから走り回っているんだろうな。
人の背より高く積まれた雪なんて、テレビでしか見たことないし。
あれ?・・・・学校?
私は今日の日付を思い出す。
そうだ。今日から冬休みだった。いつも通りに目覚ましをセットしたけど、こんなに早く起きなくてよかったんだ。
とはいえ、激しく鳴るベルを止めなくてはならない。
そして、暖房のスイッチを入れて、部屋を暖かくしなくては。
どちらもベッドから起きなくてはできない作業だ。私は布団から顔と片手だけを出して、目的のモノを探す。
寝る前に枕元に置いといて良かった。
「マー君、お願い」
そう言って、私は枕元のキーホルダーに手を差し出す。
猫の形をしたキーホルダーが私の指をかじる。一瞬、針で刺されたような痛みがして、私の魔力が注がれる。
キーホルダーの大きさと質感が変化する。
枕元に黒猫のマー君が登場した。ニャ~、とひと声鳴いてあかねを見る。
「マー君、目覚まし時計を止めて、エアコンのリモコン取ってきて」
私は命令する。
猫は気まぐれで、自由な生き物だけど、マー君は私の魔力が生命源。命令には絶対服従だ。
本当はそうなんだけど。
マー君は座ったまま前足をペロペロ舐めて、顔を洗い始めた。
目覚まし時計のベルは次の段階へ進み、音が大きくなった。
「ええ~っと、マー君?」
呼びかけて、意思の確認を試みる。
尻尾だけが反応した。マー君は顔洗いナウ、だ。
あのさ、とマー君の声が私の頭の中に響く。
『ボクは世界をつなぐためのドアノブ。使い方間違ってるよ』
核心をつかれた。
それを言われると弁解の余地はない。
『それに、君は氷の魔法使いでしょ。これくらいで寒がってどうするんだよ』
おっしゃる通りです。
寒さじゃなく、恥ずかしさで布団から出られません。
文句は言うけど、気は優しいマー君。
ベッドから降りて、机の上に置いた目覚まし時計を止めて、リモコンを咥えて帰ってきた。
「ありがとうございます」
敬語で礼を言う私。
「ふむ」
と、満足そうに目を細めるマー君。
エアコンをつけて、部屋が暖かくなるまで待つ。
マー君は器用にカーテンを開けて、窓辺に座った。朝日が差し込んでも部屋の温度は変わらない。
冬は寒くて苦手だ。
マスター(アンナのこと)の街なら、年中過ごしやすい気候なのに。冬の間だけ、あっちに住めないかなあ。それか、魔法で冬を夏に変えられないかなあ。
なんて、半分本気で考えながら、ふと窓辺のマー君を見る。
外を眺めながら、しきりに首を傾げている。
「どうかしたの?」
様子が変なので聞いてみた。
マー君は、尻尾をクネクネ動かしながら、
「微量だけど、魔力を感じる」
と、外に視線を向けたまま、声に出して答えた。
思念での会話を忘れるほど気になるらしい。
マー君は、(魔法使いが持ってるドアノブ全般なんだけど)世界と世界がつながりやすいポイントを探す能力と、主以外の魔法使いの魔力を感知する能力が備わっているんだって。それは、別の世界へ移動中、ほかの魔法使いの襲撃をうけないため、とマスターから教えてもらった。
それじゃまるで、魔法使い同志が敵対するのが前提じゃないか。て思ったけど、私の『魔眼』を狙って、ハンマやヘイマ、リュウマ、そして天草 了が襲ってきた直後だったし、そういう事もあるんだ、と納得していた。
せつなさんやマスター、私が感知したことのある魔力なら、名指しで言うはず。
それ以外の魔法使い、ってことだよね。
部屋が暖かくなってきたので、ようやく私はベッドから起き上がる。
私の『魔眼』を狙って、新たな魔法使いがやって来たのだろうか。
今年の春頃と違って、少しは魔法を使えるようになったけど、実戦経験は無い。不安しか感じない。天草了みたいな魔法使いだったら、ひとりじゃ手に負えない。
マスターに連絡しといたほうがよさそうだ。
日中の魔力は、夜に比べて弱いけど、メールくらいなら送れる。
私は簡単な術式を唱えて手を顔の前にかざす。目の前に小型テレビくらいのモニター画面が現れる。
宙に浮いた画面を指でなぞり、マスターに伝えたい事を魔力に変換する。
私の魔力は電波となって魔法世界へ飛んで、音声付きでマスターに届く。
はずなんだけど・・・・
「あれ?」
私は、画面に出た魔法文字に首を傾げる。
メールが拒否されました?
初めての状況に戸惑う。もう一度送ってみたけど同じだった。
「マー君、どうして?」
窓枠に座っているマー君しか拠り所(よりどころ)がない。
彼は、私の血と魔力で生まれた使い魔みたいなものだけど、私よりしっかりしてるし、知識も豊富だ。
『世界の繋ぎ目がふさがっているようだね』
今度は思念で送ってきた。
『そのせいでメールが届かないんだよ』
「そんな事ができるの?」
『ギルドの力なら、できるかも』
ギルドとは、魔法世界の巨大な組織。正式には『ギル・ド』らしいんだけど、元々は魔法が苦手だけど、武器を使った戦闘なら得意だよって人たちが集まって、戦場へと派遣される組織だったようだけど、今は魔法使いもいるみたい。
ロヴェール、タージ、アンナの三人が組織の最高幹部で、その下に数十、数百のグループがある。
とてつもない人数だし、全てのグループを把握してる人なんかいない。
せつなさんが言っていた。
全てのグループが良い魔法使いの集団とは限らない。
とも言っていた。
いや~な予感がするけど、何か楽しい事考えてごまかそう。
現実逃避を試みる私。
『魔法世界と繋がらないということは、せつなやアンナは頼れないよ』
もう!
マー君、何でそれ言っちゃうかなぁ。考えないようにしてたのに!
『三日。せいぜい三日だね、繋がらない期間は。それまでは君とミチルで頑張るしかない・・・・』
「おっと。ママさんが来たようだ」
そう言って消えるマー君。
窓枠に黒猫のキーホルダーが、音を立てて転がる。
部屋のドアをノックする音。
返事をするとママが顔を覗かせた。
「おはよう、ママ」
私は、起きたばかりだよ顔を演出して言った。
おはよう、と返すママ。
不思議そうな顔で、私の部屋を見回す。
「ママ、どうかした?」
「さっき、あかねじゃない声が聞こえたんだけど、誰かと話してなかった?」
「え? そんな事あるわけないじゃん。気のせいだよ」
「そうだよねぇ・・・・」
疑いつつも、誰も部屋にいないので納得するしかない様子のママ。
ママもそれ以上は追求しなかった。
服を着替えて朝食。
私はいつも通りに振る舞っているつもりだけど、ママは気づいているみたい。様子が変だって。意識すると、余計おかしくなる。
私ってすぐ顔や態度に出るみたい。
ゴメンね、ママ。相談できる事じゃないんだ。
いつか、話せる時が来ると思う。
それまでは・・・・
テーブルの上で、携帯電話が振動する。
こんな時間に誰だろう。
手にとってすぐ、ひとりの顔が浮かんだ。
予想通りの人からのメールだった。
何だか血が騒ぐ。嵐の予感
おいおい。この人の感知能力は、魔法使い並みですか。
同じ学校の先輩。見た目はアイドルみたいに可愛くて、年中不良学生さんや格闘家たちに、挑戦状を叩きつけられ、全戦全勝の女子高生。
有坂ミチル。
生きた殺人兵器。
魔法使いとも、素手で戦っちゃうスゴイひと。
ちょうど会いたいと思っていたので、今日会えるかと返信してみる。
大丈夫そうだ。
「今日、ミチルさんと出かけてくる」
そう言うと、ママの表情が明るくなった。
ミチルさんは、家に二度来たことがあるので、ママも知っている。少ししか話してないけど、とっても気に入ったみたいで、ミチルさんの話をすると、ママは嬉しそうにする。学校でもそうだけど、ミチルさんのファンは女性が多い。
みんな、ミチルさんの素顔を知らないからね。
もちろん、ママには不良学生のボス、ってことは話してない。
話しても、きっとママは嬉しそうにするだろうな。
待ち合わせの場所に近づいてすぐ、私はため息をついた。
ミチルさんを囲む三人の男。
彼らの風貌を見て、通行人は思いっきり距離を開けて歩いている。いわゆる、チンピラと呼ばれる方々だ。
どちらが先か知らないけど、男の人がすごい怒っている。
ミチルさんの隣におばあさんがいる。
状況からして、チンピラさんたちが、おばあさんに何かやらかしたようだ。
どうしてあなたは、いつもトラブルの中心にいるのですか?
うかつに近づくと巻き込まれる。
立ち止まった途端、ミチルさんと目が合った。
「あ。おはよう、あかね」
笑顔で手を振るミチルさん。
三人の男が一斉に私を見る。
何で手を振るかなあ、ミチルさん!
私の周りからも人が離れていく。
「悪いんだけどさ、ちょっとおばあさん見ててくれる?私はちょっとこの人達と話つけてくるから」
勝手に決めて、ミチルさんは三人の男と細い路地に消える。
知らないふりもできず、私はおばあさんに近づく。意識もはっきりしているようだし、怪我をしている様子もない。
近くのお店の前のある、お客さん用の椅子に座らせる。
お店の人、勝手に座ってゴメンナサイ。
店員さんと目が合うと、思いっきり迷惑そうな顔をされた。
私はもっと迷惑なんです!
顔を見られないように、マフラーで半分隠す。
目線を上げると、同じ服装の二人組が、こちらに向かっている。誰かが警察に通報したようだ。
悪い事はしてないけど、目の前に来られると、つい謝りそうになる。
ひとりはおばあさんに、ひとりは路地に。
奥へ進もうとして、同じお巡りさんに止められた。
「彼女には、あまり関わらないほうがいい」
その一言で納得したらしく、若いお巡りさんは奥へ行かなかった。
て、おいおい。それでいいの、日本の警察!
ミチルさんこそ取り締まるべきです。絶対ケンカ売りながら歩いてますから。
「で、私に何の相談?」
嬉しそうに尋ねてくるミチルさん。
急に話題が変わって、とっさに言葉が出ない。
ここは、待ち合わせ場所から歩いて五分のカフェ。
デッキの上の、寒そうなテーブルたちを眺めながら、暖かいカフェオレを飲んでいる、私とミチルさん。
え?
さっきのおばあさんとチンピラさんたち。どうなったかって?
全てお巡りさんにお任せしてきました。
路地から出てきたミチルさんに、お巡りさん何て言ったと思う?
「ミチルちゃん、ほどほどにね」
だよ。
それだけなんだよ。
チンピラさんたち、正当防衛では済まされないくらいボコボコなのに。確かに彼らが悪いけど、ミチルさんの過剰暴力は罪にならないのだろうか。
ミチルさんの勢力が、警察にまで及んでいる。
そうとしか考えられない。
道端でおばあさんとぶつかり、怒鳴りつけたチンピラさんたち。通りがかった相手が悪かった。不運としか言い様がない。
転んで怪我しそうなところを、抱きかかえて助けた所は、素晴らしいと思う。でもそれ以上はやり過ぎだ。
ねえねえ、と返事を催促するミチルさん。
ついさっきまで、せつなさんの事を話してたのに、いきなり本題に入るんだもん。
そんなに顔を近づけないで下さい。
ちょっとドキドキしちゃいますから。
私はカップを置いて、今朝の話をする。
世界をつなぐドアが開かないこと。マスターと連絡が取れないこと。そして、魔法使いがこの街に来ていること。
『魔眼』を狙って来た可能性があること。
今の状況と疑惑を説明した。
すると、ミチルさんは予想通り、さらに嬉しそうにしていた。
「そいつら、強いのかなぁ」
なんて言う始末。
「せつなさんくらい強かったら、どうするんですか?」
言ってすぐ、後悔した。
うっかり火に油を注いでしまった。
ミチルさんは、益々嬉しそうだ。
この危険人物の取り扱いは、非常に難しい。
「私はまだ魔法使いとして未熟ですし、頼れるのはミチルさんだけなんです。万が一の時は、よろしくお願いします」
「分かった。私は、万が一に期待したいけどね」
そう言って、カフェオレを飲むミチルさん。
悔しいけど、たったそれだけの動作が絵になってしまう。
アイドル並に可愛いだけじゃなく、ミチルさん全体から溢れるオーラみたいなものが、多くの視線を集める。
良い人も悪い人も寄ってくる。
それがきっとトラブルの原因なんだろうな。
見とれていると、ミチルさんと目が合った。
「ねえ。離れていたらサポートできないから、二、三日家に泊まんなよ」
それは、思わぬ提案だった。
その日の夕方。
私はミチルさんの家に向かっていた。ママにはそのままミチルさんの家に泊まると言って出かけた。
ミチルさんのことをとても気に入っているせいか、色々考えた嘘の理由は、使う必要が無かった。名前が許可書になった。
そこはまあ、ミチルさんに感謝。
ちょっとした旅行気分でバッグを転がしながら、小さな商店街を進む。
肉屋のおじさん、惣菜屋さんのおばさん、そして花屋の若社長。みんな私に気軽に声をかけてくれる。今日で二度目だけど、ちゃんと覚えていてくれた。
ちょっと嬉しい。
肉屋のおじさんに勧められた鳥の唐揚げを食べていると、洋服屋のおじさんに見つかってしまった。
ミチルさんに、要注意人物だから捕まらないように、と言われていた人だ。
昔話が長くてなかなか逃げられない、だそうだ。
ミチルさんが小さい頃、オムツを替えた事がある話。銭湯に行って一緒にお風呂に入った話。
おじさんの話を聞いて、羨ましがる花屋の若社長さん。
この前もそうだったけど、ここにいると気持ちが温かくなる。
ただ、少し話が長い。
タイミングを見つけられないまま、勧められたコロッケを食べていると、ミチルさんが迎えにきてくれた。
手を振ってくれる商店街の皆さんに会釈しながら、ミチルさんに手を引っ張られる。
子供の頃の話をされて、恥ずかしそうにしている顔が、また可愛くて、同性なのにキュンとなっちゃう。
商店街を抜けてすぐ、純和風の日本家屋が見える。
そこがミチルさんの家。
とても厳しそうなお父さん。言葉使いや仕草に品のあるお母さん。
ミチルさんの性格は、誰に似たのだろう。
色々相談して・・・・ていうか、ほとんどミチルさんの提案なんだけど、魔法使いをおびき出す事になった。
夜は冷え込むので、抜かりなく防寒対策してミチルさんの家を出る。
なるべく人通りの少ない、魔法が使える場所。
どこかないかと考えながら街を歩いていると、キョウコさんと合流して、三人で何度か来たカラオケ店へ。
三曲目あたりで、ようやく気づく。
何で?
ミチルさんの服を引っ張ると、
「あかねとばかり一緒にいると、後でキョウコに怒られるからさあ。ここは、公平にしとかないと」
と言われ、隣のキョウコさんには、
「ミチルの家に泊まるんだって?おとなしそうに見えて、なかなか積極的じゃない。まあ、あかねなら許してあげるわ。上手くやりなさいよ」
と意味深な笑顔で言われ。
何もかもが間違っています!
しっかり日付が変わるまで熱唱して、キョウコさんと別れる。
別れ際に、私に近寄って意味深な笑み。それだけ残して去っていったキョウコさん。
誤解は解けないまま。
本人のミチルさんは素知らぬ顔。今更何を言っても弁解になってしまうし、もうどうにでもなれ、って気分。
帰り道。
繁華街はまだ明るい。人も車も、このまま朝を迎えそうな勢い。
カラオケ店で暖まった体が、一気に冷たくなる。
外は寒いし。あー、早く暖かい布団で寝たい。
また雪が降るんじゃないか思うくらい冷え込んでいる。
息を吸い込むと、体の中が氷のように冷たくなる。マフラーを巻き直して、顔を半分隠す。
ミチルさんが突然、買いたいものがある、と言って道順を変えてコンビニに寄った。私も入ろうとして、ふと立ち止まった。
振り返る。
何の変哲もない歩道と車道。
なんだろう、この感じ。胸がザワザワする。
マスターから聞いた話を思い出す。
魔法使いは時々、異質な空間を呼び寄せる事があるらしい。体から溢れた微量な魔力が、場所や時間に影響を与えるんだって。
私のいるこの場所。
さっきまで人や車が行き来してたのに、今は誰も何も無い。
ビルと街灯と冷気だけ。
街の音さえ消えてしまったような静けさ。
誰かいる
私はそう確信した。
他人の魔力を感知することはできない。だけど、『魔眼』の左目が少し熱を帯びてきたから、これは多分、危険が迫っているサイン。
道路。ビルの上。一瞬でも早く見つけようと意識を集中させる。
小さな声で、ひとつ魔法を唱える。
絶対なんてない。万が一に備える。
車道の真ん中を、男性がひとり歩いていた。すぐ近くに来るまで気がつかなかった。
冬なのに、Tシャツとズボン姿。それだけで十分怪しい。
筋肉質の熊みたいな男の人。
私をじっと見つめて近づいてくる。
コンビニに入ったミチルさんを呼びたいけど、うかつに動くのは危険な気がした。
熊みたいな男の人は、すぐ近くの、街灯の下で立ち止まった。
クセのある栗色の髪。ゴツい顔にヒゲ。私の知り合いにこんな人はいない。大体、日本人じゃないし。
睨んでるよ。
どうしたらいいんだろう。
Tシャツ一枚で寒くないのかなあ。
見ているだけで寒気がする。
大きく白い息を吐き、マスターの教えを頭の中で反復する。
どんな状況でも冷静であること
焦りや緊張は、魔力供給を不安定にさせる。
特に私は。
ただでさえ自分の魔力を上手く引き出せないのに、ここでパニクったら終わりだ。
落ち着け、私。
笑顔でいられるくらいの余裕を持て。
「こんばんは~」
私はなるべく明るい声で言った。
笑顔が引きつっているのが自分でも分かる。
「まだ子供じゃないか」
男の人が私を見て言った。
ちょっとムッとする。確かに中途半端な年齢だけど、子供扱いされるのは嫌な年頃なんだよ、ヒゲのおじさん。
「見た目で判断しちゃ駄目だよ。そんな子供でも、『魔眼』の魔力を使えば上級魔法使いさ」
すぐ後ろで声がした。女の人。
全然気付かなかった。
分かっている、とヒゲのおじさん。
私の魔法はルーン魔法。空中にルーン文字を描いて、それが鍵となって魔力を解放する。だから、こうした近接した場面には不利な魔法。
この人たちはどんな魔法使いだろう。
せつなさんみたいな『ギルの魔法使い』だったら最悪だ。武器を使った肉弾戦とは、とても相性が悪い。
ここで戦闘になったら、コンビニの建物がヤバい。
私はゆっくり横歩きをして、歩道から車道へ移動した。ヒゲのおじさんの視線に対抗するには、正面を向いたままじゃないと負けそうな気がしたから。
後ろの女の人は見ないように。
二人分の殺気は抱えきれない。
防寒具代わりに魔法発動用の手袋をしておいて良かった。
「俺はロイズ」
ヒゲのおじさんが言った。
「ある方の依頼を受けて、お前の『魔眼』を頂きに来た。抵抗しなければ、簡単な手術で取り出すことができる。こちらには、義眼の用意もある。今まで通りの生活を保障する。我々に従え」
穏やかな口調だけど、抵抗すれば容赦しない、そういう意思を感じた。
さて、どう切り出すか。
返答次第では、即戦闘の可能性もある。
ここは、慎重に言葉を選ばないといけない。
後ろの女の人が、フンと鼻で笑った。
「『魔眼』はさあ、ひとつの時代に二つ存在したら駄目なんだよ。いずれ世界のバランスが崩れて大変な事になる。そうなる前に、私たちが回収しようって言ってるんだ。素直に渡しな」
その話は、せつなさんやマスターから聞いた。
『魔眼』に秘められた力は、まだ解明されていない部分が多くて、何故霧野家の者だけに宿るのか、『魔眼』が何処から来るのか、未だに分かっていない。
歴史の中で、二つの『魔眼』が同じ時代に存在した例が無く、どこかの誰かが勝手に騒いで、災いが起きると言っているらしい。
だから、女の人が言ったように、大変な事が起きるかどうかなんて、確信があるわけじゃない。
最近になって、『魔眼』を取り出して、霧野家以外の者でも使用できる方法が見つかったらしい。公表はされていない。魔法世界の、ごく一部の人しか知らない、とせつなさんから聞いた。
だから私が狙われた。
ただの女子高生だったから。
でも、今は違う。まだまだだけど、これでも魔法使いだし、ちゃんとした目標もある。渡す理由なんて無い。
何を言われても、私の答えは決まっているけどね。
私は、顔を半分覆ったマフラーを下ろし、
「嫌です」
と、はっきり答えた。
ヒゲ男さんは(勝手に命名)私の答えを分かっていたようだ。何も言わず、片手を持ち上げた。
空気が振動するような音がした。
何も持っていない手に、巨大な武器が現れた。
柄がヒゲ男さんの背より高い、両刃の斧。動物の角みたいな曲線を描いた、変な形の刃。
あんな武器、空想の世界でしか見たことないよ。
突かれたり、切られたりしたら、絶対痛い。
「もう一度聞く」
ヒゲ男さんが言った。
「抵抗しなければ手荒な事はしない。『魔眼』を渡せ」
完全に命令口調だ。
しかも武器片手に。
やる気満々じゃん。
「嫌です。欲しければ、力ずくでどうぞ」
言ってしまった。
ついムキになって、言葉を選ばなかった。
ヒゲ男さん、斧を振り回してるよ。その気にさせちゃったみたい。あれで突かれたり、切られたりしたら、痛いだろうな。
そんなレベルじゃないか。
「レイラ。お前は手を出すな」
ヒゲ男さんが、私の後ろの女性に言った。
「やれやれ。こんな子供に乗せられちゃって」
好きにしな。
後ろの気配が離れていった。
私にとっては、ありがたい展開だ。
ヒゲ男さんが魔法詠唱を始める。意味は分からないけど、様子から武器と自分に魔法をかけているみたい。
私は足を肩幅くらい広げて立ち、深呼吸した。
さっき自分にかけた魔法、『U(ウル)』のおかげで、魔力が全身に満ちて、寒さが気にならなくなった。
気持ちも落ち着いている。
魔法使いとの実戦は初めてだけど、マスターやせつなさん、ロヴェールさんやタージさんと何度も模擬戦をした。
「少しは楽しませろよ」
ヒゲ男さんが言った。
彼は全身に力がみなぎっている感じ。
ギルの魔法使いは、武器を使った戦闘に特化した魔法使い。
対抗策はひとつしかない。
私は片手をかざした。
H(ハガル) Hに似た形の文字
空中にルーン文字を描く。
ヒゲ男さんの上、前後左右に氷の粒、豆粒サイズのヒョウが現れる。
上手く飛んでね。
私の指先がヒゲ男さんに向いた途端、ヒョウは加速した。
たかが氷の粒だけど、ある程度の硬さと速度があれば凶器になる。
ヒョウはヒゲ男さんに命中して砕けた。そこだけ集中豪雨が降っているような音と振動が、体全身に伝わる。
こんなの、普通に人にやったら、即死だと思う。
砕けた氷が辺りに散らばり、白煙が立ち込める。ヒゲ男さんは同じ場所に立ったまま。
そうだよね。この程度じゃ終わらないよね。
集中力を保ちつつ、次の魔法の準備。
Tシャツにズボン姿だったヒゲ男さんが、全身鎧姿になっていた。日本の武士が着てたモノと違って、もっと動きやすそうな、機能的なデザインの鎧。
西洋の鎧みたい。
何事も無かった、みたいな顔で立っている。
「ルーン魔法を使うのか。珍しいな」
ヒゲ男さんが言った。
N(ニイド) ×に近い形。返事は魔法で返した。
ヒゲ男さんの表情が変わった。
この魔法は、相手の五感を狂わせる魔法。ヒゲ男さんは今、私が何処にいるのか、地面が下なのか上なのかさえ分からない。
さらに集中力を高める。
広い範囲は無理でも、一点集中ならできるはず。
I(イス)
本当は広範囲を氷結させる魔法。私にはまだ無理なので、ヒゲ男さんの持つ武器だけに魔法を集中させた。
五感は狂っているはずなのに、ヒゲ男さんはとっさに斧を放り投げた。
斧はみるみる白くなり、刃に亀裂が入った。
そのまま武器を持っていたら、ヒゲ男さんの体も凍っていたのに。
野生の勘、てやつかな。
とにかく、目的は達成した。ギルの魔法使いへの対抗策。
攻撃の要である武器を奪うこと。
これで少しは私の方が有利になった。
「やるじゃないか、ルーン使い」
後ろで声がした。
初めて振り返る。
反対車線の街灯の下。腕を組んで柱にもたれている。ヒゲ男さんがレイラって呼んでいた女の人。
革のジャンパーに革のズボン。黒一色なのに異様な存在感がある。足が長くてスタイルがいい。目つきは鋭く、笑みを浮かべる真っ赤な唇が印象的。
直感だけど、この人ヒゲ男さんより強そう。
「よそ見してると怪我するよ」
レイラさんが言った。
ヒゲ男さんを見る。
ちょうど両手を広げているところだった。
動作に疑問を感じる前に、ヒゲ男さんの両手に斧が現れた。柄も刃も短くて、お手頃サイズの武器。
「着目点は良かったが、武器がひとつとは限らんぞ」
ヒゲ男さんは、しっかり私を見て言った。
私がかけた魔法は解けているようだ。
ここで攻め込まれたら終わりだ。
出し惜しみなんかせず、私が使える魔法を全部つぎ込む。
ヒゲ男さんが、まだ私をナメているうちに。
Th(ソーン) Pに似た形。空中にルーン文字を描く。
私のとっておきの魔法。ただし、成功率は五十パーセント。
ルーン魔法のなかで、唯一の召喚魔法。
私の足元が白くなり、氷の結晶に似た魔法陣が浮かびあがる。そこから、白い塊が現れて、整形されていく。
見上げるほど背の高い、氷の巨人。
主の私が名前をつけることで、魔力を共有して、意思を持った戦士になる。
「アイちゃん」
名前を呼んだ。
氷だからアイス。アイちゃんて、ちょっとベタかもしれないけど、私は結構気に入っている。
アイちゃんは登場するなり、指を動かしたり体を確かめたりしていた。
なんせ、成功率五十パーセントだから。
二回に一回は失敗する。
「アイちゃん、どうかな?」
状態を聞いてみた。
アイちゃんが振り返る。
顔はモアイ像に似ている。
体はクリスタルみたいに多面性でキラキラ光っている。
「上出来だ。成功したようだ」
重低音の低い声。
その言葉を聞いて安心した。
「あそこの、斧を持った人をお願いします」
命令口調は苦手だし、私より年上っぽいので敬語で指令を出す。
「心得た。果報は寝て待て」
そう言って前進するアイちゃん。
時々ことわざを使うんだけど、使いどころがちょっとハズれてるんだよね。そんなにゆっくり待っていられない。
「ほほう。これは面白い」
ヒゲ男さんがアイちゃんを目の前にして笑った。
アイちゃんの右フックが炸裂。と思いきや、腕でガードされる。
斧を振り下ろす。
アイちゃんの胸元に命中するけど、ヒビすら入らない。
「少しは楽しめそうだ」
そう言って、ヒゲ男さんはまた笑った。
そっちはお任せ。
私は後ろを振り返る。
柱にもたれて立っていたレイラさんが不思議そうな顔をした。
まさか傍観者の自分に、敵意が向けられるとは思っていなかったらしい。
「あたしかい?」
と聞かれたぐらいだから。
接近戦の可能性もありと見て、自分の戦闘力が上がる魔法をかけておく。
レイラさんはまだ動かない。
最後に、
P(バース) 直感、六感が冴える魔法。
これで準備万端だ。すべて永続魔法ではないので、時間が勝敗を左右する。
ようやくレイラさんが動き出す。
よく見ると、裸に革ジャンを着ているようだ。
この人たちは、寒さに鈍感なのか。
半分下ろされたジッパーの間から、巨乳が飛び出しそうになっている。
なんて羨ましい!
「魔法の素人だって聞いていたけど、よく学んでいるじゃないか。半年くらいの間に、よくそれだけ覚えたね。大したもんだ」
笑みを浮かべるレイラさん。
「だけど、あたしと殺り合うには足らないね。待っててやるから、『魔眼』を覚醒させな。ある程度はコントロールできるんだろ?」
そう言って、レイラさんは車道の真ん中で仁王立ちした。
何だこの人は?
もしかして、私が思っている以上に手強い人なんじゃないか。
レイラさんは右手を、肩口から背中にまわす。ゆっくり引き上げた手には、両刃の剣が握られていた。
刃を腰のあたりにで横に向けて、左手の指を添える。
根元から剣先に向けて刃をなぞる。
刃に魔法文字が浮かんで、魔力が注がれる。
これって・・・・
ギルの魔法使いって、みんな魔力を武器に注ぐのだろうか。それにしてもよく似ている気がする。仕草といい、顔といい、せつなさんにそっくりだ。
顔?・・・・
「おっと。自己紹介がまだだったね」
そう言って、剣を下ろすレイラさん。
「あたしの名はレイラ。霧野 礼羅(レイラ)だ」
その名を聞いて、私は耳を疑った。
霧野?今、確かに霧野って言ったよね。
何で霧野家の人が、私の『魔眼』を狙っているの?
驚き過ぎて声が出せず、レイラさんを指差したまま、口をパクパク動かしていた。
レイラさんは、私の様子を見て苦笑するだけ。予想してた反応だったのだろう。言葉を続ける。
「静が面倒起こして逝ってしまったから、あたしが出るしかなくてね。あ、多分勘違いしているだろうから言っとくけど、静たちとは姉弟とかじゃないよ。これでも一応、母親だからね。あんたから見れば、まあ、あたしの嫌いな言葉を使えば、祖母ってことになるね」
今度は息が止まった。
どう見ても二十代か三十代。お父さんの年齢から考えて、レイラさんの言った事を信じるなら、彼女の年齢は六十才前後。そうじゃないと、十才未満で生んだことになる。それが魔法世界で常識なら話は別だけど。
「本来あたしは魔法使いなんだけどさ、このカラダを維持するのに、ほとんどの魔力を使っているから、今はギル扱いになっている」
若い肉体を保つために、魔力を使っている。
まさに魔女だ!
苦しくなって、息を止めたままだったことに気づく。深い息を何度かして、止まっていた思考が動き出す。
私の疑問をレイラさんに投げかけようとした時、何かが遮った。
振り返る。
何も無い。
上から私を呼ぶ声がする。見上げるとビルの屋上、大きな電飾の看板がある屋上で、ミチルさんが私の名前を呼んでいた。
その時すでに、一本の矢が、私の目の前まで迫っていた。
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