キリノR
九里須 大
序章
昼間のように明るい繁華街。
人も街も、時間など関係ないように活動を続けている。
今年もあと少し。
例年より早く寒波が来たせいなのか、今夜は珍しく雪がちらついていた。
光があれば闇がある。
ビルとビルの隙間。人など通らない細い路地。街の賑わいも光も届かない場所。聞こえるのは、室外機が稼働する音。
突然、コンクリートの壁が妖しく光る。
それは、ある法則に従って広がり、何かの形に変化した。
光が消えて、音もなく、壁に両開きの扉が現れた。何かの模様が描かれているが、暗くて分からない。分かるのは、質感からして、扉が金属製であること。
扉がゆっくりと開く。金属特有のきしみ音。
暗闇に少し慣れ、そこに目をこらす。
扉の中から三つの影が現れる。
別の世界からやって来たような姿。全身を甲冑で覆い、手には武器らしき物を持っている。彼らは白い息を吐きながら、辺りを見回している。
背が高く体格の良い男。細身で小柄な男。二人の中間くらいの背丈で、ほとんど裸に近い、胸と腰の部分だけを武装した女。
それぞれが別々の方向を向きながら、ビルの壁と小さな夜空を繰り返し見ていた。
「ネック、戻ってこい」
巨体の男が言った。
すると、壁の扉が形を失い、ドアノブだけが残った。質感が変化して、細長い生き物が壁からポトリと地面に落ちる。二股に分かれた舌を時々出しながら、体を器用にくねらせて進む。
巨体の男がしゃがんで手をのばす。その生き物は彼の手を登った。太く筋肉質な腕を越えて、首に巻き付く。すると、また質感が変わり、細長い生き物はネックレスになった。
「ここで間違いないのか?」
細身の小柄な男が言った。
聞かれた巨体の男は答えない。顔には出さないが、あまり自信がないようだ。
女が片手を顔の前あたりにかざす。
空中に小さなモニター画面のような物が現れる。何か文字のようなものが書かれているが、読める文字ではない。
女は画面を指でなぞり、その度に画像が変化した。
「間違いない。指示された世界だ」
女が言った。
しかし、と彼女は言葉を続ける。
「なんて魔力の弱い世界なの」
「当たり前だ。この世界では、魔法はおろか、魔法使い自体がいない」
巨体の男が言った。
指示された場所だと分かり、自信を取り戻したようだ。声に張りがある。
「ならば、例の女を見つけるのは容易だな」
細身の男がつぶやく。
続けて、
「ドアの封鎖はどれくらいだ?」
と、女に問う。
女は画面を見ながら、
「せいぜい三日、ってとこかしら」
と答えた。
「三日もあれば十分だな」
女の反応は、細身の男が期待したものではなかった。
巨体の男は、空を見上げ、ちらつく雪を珍しそうに見ていた。
「何か問題でもあるのか、レイラ?」
細身の男が女、レイラに問う。
「この世界では、昼と夜で私たちの魔力量が違うみたい。夜は問題ないけど昼間はダメね。半分以下だわ」
言い終えて手を下ろす。
同時に画面が消える。
「おい、ロイズ。どうする?」
細身の男が、巨体の男、ロイズに問いかける。
口調が少しきつくなったのは、彼がさっきから雪にばかり気を取られているから。
それに、上からの命令とはいえ、自分でなく、ロイズが今回の仕事のリーダーなのが不満なせいもある。何故彼のような、戦うことしか考えていない奴を選んだのか。自分なら綿密な計画を立てて、素早く仕事をこなせる自信がある。
全く。組織の者は見る目が無いな。
ロイズに反応がない。
細身の男は嘆息し、もう一度名を呼ぶ。
ロイズは大きく息を吐いた。
「レイラ。夜明けまであとどれくらいだ?」
ロイズが問う。
「そうねえ。四時間くらいかしら」
ようやく二人の方を向くロイズ。
「まずはこの世界の情報収集だ。例の女を探すのは明日の夜から始める」
「それが妥当だね」
細身の男は、一瞬不満顔になったが、レイラがすぐ同意したので、何も言わなかった。
「ワボック」
ロイズが細身の男、ワボックを呼んだ。
「何故今頃になって、俺たちが派遣されたと思う?」
予期せぬ問いかけだった。
「半年前なら分かる。覚醒はしたものの、魔法を全く知らないただの餓鬼だ。採取は容易だ。何故今なんだ?半年もあれば、それなりに知識も技術も身につく。間をあけた理由は何だ?」
ロイズはまっすぐワボックを見た。
見下ろされると、それなりに威圧感がある。反り返りそうになる体を何とか制し、平常心を装うワボック。
「知るわけないだろ。俺たちはとにかく、命令を遂行するだけだ」
ワボックの言葉を聞いても、しばらく動かなかった。
気まずい雰囲気と沈黙。
気温は低いが、ワボックの額に汗がにじむ。
「そうだな」
そう言って目線を外すロイズ。
ようやく開放されて白い息を吐くワボック。
息を止めていたようだ。
「魔法世界とつなぐドアは封鎖した」
ロイズが言った。
「俺たちの脅威となる男、『霧野せつな』はいない。組織の命令に従い、この世界の情報を収集した後、『あかね』という女から、『魔眼』を採取する」
うなずく二人。
「まずは腹ごしらえと暖かい服だ」
そう言って歩き出すロイズ。
ワボックとレイラは、顔を見合わせ苦笑した。
三人の魔法使いが、現実世界に着く少し前。
ここはアンナの街。
山の斜面に沿って、白を基調とした家が立ち並んでいる。そのさらに上には、草原があって、小さな家がポツンと一軒建っている。
アンナの家だ。
赤く染まった空と雲。
アンナは、玄関先のデッキの上で、いつものように空と海を眺めながら、自家製のお茶を楽しんでいた。
空は未来を映し、海は彼女の心を映す。
風がとても心地よく、目を閉じると眠ってしまいそうだ。
『魔眼』の騒動から約半年。平和な日々が続いていた。
あれほどの襲撃があったのに、この半年、嘘のように何も無い。せつなが頻繁にここへ訪れていたせいかもしれないが、それにしても全く影すら見せないとは、一体どういうことなのか。
何か意図されたものを感じつつ、アンナはあかねの修行に専念した。
彼女の『魔眼』が二度と暴走しないように、一日でも早く一人前の魔法使いにしてやりたい。その強い思いと焦りを抑えながら、根気よく、あかねが理解できるまで付き合ってやってきた。
ロヴェールとタージにも協力してもらった。
五年分の修行を半年の中に詰め込んだ。
あかねは修行が厳しくて何度も泣いた。こんなに泣いた弟子は初めてだった。彼女は不器用で覚えも悪かったが、ある時期を過ぎると、別人のように修行をこなし始めた。どうやら彼女なりのコツを掴んだらしく、今では手製のメモ帳が無くても、ある程度の魔法が詠唱できるようになった。
あとは、魔力量の調節が上手くできればいいのだが。
これがなかなか難しい。
魔法使いとしては素人同然なのに、魔力量が尋常でない。コントロールはアンナでも容易ではないだろう。半年経った今でも、あの手袋が無いと駄目な状況だ。
正直、そこはあまり気にしていない。いずれ時間が解決するだろう。アンナはそう考えていた。
風のせい?と、一瞬思うほど、ゆっくり玄関のドアが閉まった。
そこだけ時間の流れが変わったように、ドアだけが風化して、新たな色と模様が浮かび上がった。
「おや。これはまた珍しい客だね」
アンナがつぶやく。
彼女は二つの世界をつなぐドアの微量な魔力で、訪問者が誰なのかを確認したようだ。
ドアはゆっくりと開いたが、出てきた訪問者は慌ただしく現れた。
キャリーバッグを引きずりながら、片手で帽子を押さえて登場。機嫌が悪いらしく、呪文のように小声で汚い言葉を吐きながら、早速アンナを睨みつける。
細身で背の高い女性。
少し大人びているが、十代後半。あかねと同じくらいの年頃。
アンナのすぐ横で立ち止まり、二、三度足で床を蹴る。彼女の様子から、どうやら怒りの矛先はアンナのようだ。
「ごきげんよう、アンナお姉様」
彼女が言った。
アンナはカップのお茶を飲む。そこに誰もいないかのように。
「しばらく来ないうちに、季節が変わったようですが、お元気そうですね?」
穏やかな口調だが、言葉には強い念がこもっていた。
「やあ、リサ。お前も元気そうだね」
アンナが言った。
声が少し震えているのは、怒りの原因に心当たりがあるから。
リサは振り返り、登場したドアに手をかざす。
「パイちゃん。戻りなさい」
彼女の言葉を合図に、ドアが閉まり、色と模様が変化する。
配管のバルブを締める、ハンドルのような形のドアノブ。みるみる質感が変わって、床に落ちる。
丸い体に長い足が八本。
草木などに糸を張って罠を仕掛ける、あの動物だ。器用にリサの体を這い上がり、胸元で止まる。小さくなり、外観が無機質なものに変化して、ブローチとなった。
「弟子をおとりになったそうですね?」
リサが言った。
「せつなさんを最後に、もう弟子はとらない。と、仰ってらしたのに。しかも、また『魔眼』を持った弟子だとか。どうしてそう、魔法界から睨まれることばかりされるのですか? 姉様の『後継者』としては、ひと声かけて欲しかったですけど」
語尾を強めに言うリサ。
彼女に睨まれて、アンナの小さな身体がさらに縮んだ気がする。
「ところでリサ。その荷物は何だい? 魔法書庫の仕事を放って、旅行でも行くのかい?」
話題を変えようと画策したようだが、裏目に出た。
リサはテーブルをドン!と両手で叩きつけた。
「公にはなってませんが、天草 了と下等魔法使いの襲撃があったのでしょ?その時どうして私を呼んでくれなかったのですか!姉様だって、いつまでも若くないんですから。この街を維持するだけでも、相当量の魔力が必要なのに、戦闘までされるなんて・・・・」
怒りばかりが先行して、言葉が続かなかった。
やけに詳しいな。と思いつつ、下手なことを言わまいとお茶を飲むアンナ。その様子を察したのか、リサがため息をついた。
「せつなさんに会ったので、詳しく聞かせてもらいました」
あのバカせつな!
心の中で叫ぶアンナ。
彼もまた、アンナ同様リサが苦手だった。
少し気持ちが落ち着いたのか、リサはテーブルの上のティーセットに気づき、椅子に座ってカップに注いだ。
十分香りを楽しんでから一口飲む。
眉間のシワが消えて、自然と笑顔になる。
「相変わらず、姉様のお茶は美味しい」
彼女もまた、アンナのお茶と料理に魅せられたひとりだった。
一杯を飲み終えるまで。
ティーカップを置くと、リサは再びアンナを睨んだ。気持ちは落ち着いているので、声は荒げない。
「魔法書庫の仕事は、早急なものを済ませて部下に任せてきました。ひと月くらいは滞在できると思います」
アンナの頭上に?マーク。
彼女はここに滞在する気なのだろうか。
何のために?
「『魔眼』の所有者なのに、魔法の素人なのでしょ?」
しかも、せつなの兄、霧野 静の子供。
嫌な予感・・・・
アンナはカップを置いた。
「私が彼女の世界に滞在して、魔法とは何たるかを、みっちり指導します」
宣言するリサ。
厄介事を持ち込むのは、日本人ばかりではなかった。
まさか身内が。
アンナの孫にあたるリサだとは。
彼女の、意欲満々の輝く瞳を見て、アンナは大きなため息をついた。
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