第4話 朝露の人
「遅かったね。時ちゃん。」
男性が穏やかに少女いや、時神様に話しかける。時神様がスルリと両手を私の頬から離しカウンターの奥へと歩いていく。
「別に。仕事を済ましてただけさ。上の奴らは人使いが荒いのなんのお構い無しだよ。ったくさー。」
シュルシュルと音をたて水色のワンピースの上に白い無地のエプロンを着て、黒く艶やかな髪を慣れた手つきでひとつに括る。
「さて、2日前に戻りたい理由は分かった。
ただしあんたは2日前に戻って祖父が亡くなったっていう未練を断ち切れるのかい?」
ティーカップにホットミルクを注ぎながら時神様は尋ねてくる。
「・・・未練を断ち切る・・ですか?」
自称神様を目の前にして半ば混乱気味の私を尻目に彼女は優雅にミルクを飲みながら小さく頷く。
「そう。私は未練ある者に未練を断ち切らせるために未練ある時間、つまり過去に依頼者を戻すことは可能だ。
だけど過去に戻った者・依頼者は死後の未練となりうるものを自らの手で断ち切らなくちゃならない。それが条件さ。」
まっすぐな瞳が力強く光。
「死後の未練って・・・。」
ぶるり。濡れた服が体温を奪ってくる。
死後?それって私が死ぬってこと?
「ーーっ!」
そんなのって!!
ポンっ。
肩に優しく暖かさが広がる。
上を向くと男性が肩に励ますように手をのせてくれていた。
「時ちゃんがさっき言ったのは何も今すぐって訳じゃない。人はいつかは必ず死ぬ。
その死んだあとに死んでも死にきれないなんて未練があるとこの世にとどまってしまうんだ。とどまった霊魂は基本的に悪霊になりやすい。
だからこそ悪霊にしないため、霊魂をとどめないためにも未練をなくさなくちゃいけないんだよ。」
男性は優しくそれでいて何処か悲しそうに微笑む。
「未練を断ち切る覚悟があるなら私はお前に手を貸すまでさ。」
カウンターで頬杖をつきながら時神様はつまらなそうに呟いた。
「私の未練っておじいちゃんに酷いことを言ってしまったことですよね・・・・。」
弱々しく訊ねる。
頬杖をといてティーカップのスプーンでミルクをかき混ぜながらさもつまらなそうにこちらを半眼で見つめる。
「違う。」
「えっ?」
「そんなちっぽけなことが未練になるならお前はさぞ気楽な人生なんだろうな。」
ピンッと指先でスプーンを弾き飛ばす。
カウンターの女の人がちらりとこちらを見て何事も無かったかのようにティーカップ棚の整理を再開する。
「時ちゃん、いくらなんでも言い過ぎだ。」
男性が時神様を軽く睨む。
だが、それを全く気にするそぶりもなく口にミルクを流し込む時神様はなぜだか酷く怒っているように思われた。
はぁ〜。
盛大なため息とともに阿呆らしいと言った瞳でこちらを見つめる。
「自分の未練がわからん奴を遠回しに馬鹿と言って何が悪い。
お前の未練は祖父に自分の本当の気持ちを伝えられず挙句自分の一言が祖父の命を止めてしまったのではないかと考えている事だ。」
冷たい言葉が自分の心に刺さってくるのが分かる。・・分からない言い方をするほどこの神様は優しくなんてない。
頭の芯がカッーと熱くなる。
たぶん恥ずかしさとか情けなさとかそういう感情がごちゃ混ぜになってる。
「まぁそんなことはどうでもいい。」
スパンッとたった一言で自分の感謝が全否定されたように感じてしまう。目尻が熱くなる。
「時ちゃん!!言い過ぎだって言ってるだろう!」
男性が声を大きくして注意するが、それを「お前は黙ってろ。」の一言で制してしまう。
「で、どうするの?」
時神様はなおも半眼で私を見つめる。
私は・・・私は・・おじいちゃんに謝りたい。自分のせいで亡くなったなんて思いたくない。
だから探したんだ。この土砂降りの中を駆けずり回ってここを探したんだ。
諦める?何を?諦めるなんて嫌。それなら・・・・・
「私を」
俯いた視線の先を時神様にまっすぐ向ける。
「私を2日前のあの時間帯に戻してください!」
時神様が面白そうに唇を釣り上げる。
「なら、代償が必要だね。」
「だ・・いしょう?」
パチパチと瞬きを繰り返しながら聞返す。
時神様は子供らしくニッコリと微笑みながら頷く。
あっ。ダメだ。頭が追いつかない。
「えっと、さっき覚悟があるなら手を貸すって言いましたよね?」
「ああ、言ったな。」
「じゃぁ代償って・・・」
「覚悟がない奴を時戻りさせても結果として未練が断ち切られない。
つまりそれは時戻りの意味がない。
だからこそ覚悟があるのは大前提で未練を無くしてもらわなくちゃ困るんだよ。」
すっと微笑みを消し真顔でまっすぐな瞳が向けられる。
「覚悟がある奴の手助けとして時戻りの許可は出せる。だけど、時戻りってのはお前さんだけを過去に戻すんじゃなくて全ての、時間の流れの中に属しているものを過去に戻すんだ。
戻った流れは同じ時間の流れのようで小さな変化が生じる。」
「小さな変化?」
そこまで言うと時神様は女の人にハーブティーを作るように伝え、またニコニコと笑う。
はぁー。
隣に座る男性が小さなため息とともに眉間の皺を伸ばしながら私を申し訳なさそうに見つめながら語る。
「小さな変化って言うのは君以外の他人の出会いや運命を変えてしまうことなんだ。
例えば、死ぬはずの人が死ななかったり、生まれるはずのものが生まれなかったり、その逆も有りうる。死・生・逢・結・離そういう色んなものが変わってしまう。その変化は極わずかかもしれない。
だけど当人達からすればそれは大きな変化だ。今後の未来がかかっているかもしれない重大なものなんだ。だから・・・。」
「だからこそ、それら小さな変化を生じさせるそれに見合う代償が必要となる。」
ハーブティーに口をつけながらゆったりと説明する時神様。
それを見ながら困った風に眉を潜めながらティーカップに口をつける男性。
いつの間にか両手で包み込むように持っていたティーカップの中で暖かさが逃げてゆく黄色い液体が揺れる。
飲み込んだ唾が生々しく感じられる。
自分のせいで変わってしまう何かがある。
そんなことをしてまで私は未練を断ち切らなくてはいけないんだろうか?
たった14年しか生きてない私には分からない問題だ。あまりにも難しすぎる。
たった2日。48時間程度戻るだけにどのくらいの代償が必要だと言うのだろうか?
「・・・。」
自分のごちゃごちゃな感情じゃどうすればいいのか分からない。
「・・代償って何をしたらいいんですか?」
ピクリと時神様の眉が動く。
「やっぱり、それだけの変化を生じさせるってことは・・・お・・ねですか?」
「はっ?」
ティーカップを乱暴に受け皿に戻しながら冷ややかな目線がぶつかる。
「えっと、あの、やっぱりお金とかなのかなって・・」
ガッシャーン!!!
言い終わるよりも先に耳を塞ぐほどの大きな音が突然響いて体が条件反射でビクリと震える。
さっきまで時神様の手元にあったティーカップがカウンターの出入口戸近くの壁にぶつかって粉々に破れていた。
中のハーブティーが壁から床へ滴りながらピチョンピチョンと落ちてゆく。
時神様の右手は横に払うようにして静止していた。
「・・・。悪いキロク後始末を頼む。」
時神様は目を合わせずに従業員の女性に片付けを頼む。
キロクと呼ばれた女性は「わかりました。」と言って素早く奥に言ってしまった。
ギイっとカウンターの出入口戸を開けエプロンと髪紐を乱雑に解いて近くのテーブルの上にほくりとばす。
「・・・あっ、あの!」
「何?」
ほどいた髪を左手で払いながら冷めた目で・・いや、ふつふつと怒りを顕にした目が向けられる。
「えっとあの、私何か気に触ることを言ってしまいましたか?」
無意識に喉が乾き、声が掠れて出てくる。
時神様は私の前までゆっくり歩くとぐいっと濡れた服の襟首を掴んできて、カウンターの椅子から引きずり下ろされる形となる。
男性が慌てて掴んだ襟首の手に手を伸ばすがその手を意図も簡単に払い除ける。
私より低い身長であるのに、言葉に出来ない威圧感が怖すぎてうまく足に力が入らない。
「がっかりだ。」
!
思いがけない一言だった。
だからこそ私の胸にひどく突き刺さった。
「たかが金で変えられていい時間があってたまるかっつってんだよ!ふざけるのも大概にしやがれ。」
ドンッと押されるようにして襟首から手が離される。その勢いに負けて背中を椅子にぶつけてしまう。
「何でもかんでも教えて貰えるわけじゃないんだ。ましてや自分の未練も分からないような奴に時戻りの資格はない!!
人一人の命がお前のちっぽけな未練のおかげで無くなるかもしれないんだぞ!その代償が金だ!?そんなものが何になる?なんにもならない。これっぽっちにもな。」
ハァハァと息を切らせながら時神様の顔が歪む。奥歯を噛み締めて今にも泣き出しそうな顔。
「気分が悪い。」
私の顔を見ながら毒づくとオレンジ色の傘を手に取って入り口から外に出ていってしまった。
胸がズキズキする。
さっきの時神様の言葉が・・・ううん違う、言い方がまるで最期におじいちゃんと言い合った時と似た感覚がして・・・。
気がつけば入り口の扉に体当たりするようにして外に出る。
だけど、もう時神様の姿はどこにもなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます