明烏(あけがらす)
いろいろなことがあった一日が終わってからすが鳴く声で目が覚めた。
昨日の彼女の姿はそこにはなかった。「あれは夢だったのか?」とも思ったが部屋は昨日のままだった。
しばらくして「ぬし、起きなされたか?」と声がする。
「は、はい」
すーと障子が開いて化粧直しをした彼女が入ってくる。
やはり夢ではないみたいだった。
花魁というものはお客に寝顔を見せなかったといわれている。
「仮に一晩でも夫婦のちぎり」を結んだからというのが理由だ。
化粧直しをした彼女は部屋に入ってきて、そのあとに朝食が運ばれた。
彼女の細い腕がしゃもじを持ってお椀にご飯をよそう。
「あ、あの。。。昨夜は伺っていませんでしたがあなたのお名前はなんとおっしゃるんですか?」
「吉野でありんす」頬が赤い
「よしのさん、ですか。いいお名前ですね。で下のお名前は?」
「ほほほ」吉野は笑った。彼女は当時吉原ナンバーワン花魁「吉野太夫」である。今でいうと「風俗嬢」というよりも「アイドル」に近い。彼女の持っているものは女たちがこぞって求めた。
「ぬし、たべなんし」そう言って茶碗を差し出した。
「いただきまーす」と言って食べ始める姿を吉野はじっと見ていた。
お腹いっぱいになって少し横になっていると玄関から「斉藤さんって人いるかい?」と威勢の良い声が聞こえた。
昨日の「春郎」である。
番頭が部屋の前で「斉藤さま、お客様がお見えです」といった。
「わかりました」といって部屋を出ていこうとすると
「まつでありんす」と吉野は言った
奥からハマグリの貝殻を渡される。
貝殻の中に平安時代の装束をきた男女が書かれている。おそらくは源氏物語だろうと思うが、それを半分自分に渡した。
「この貝はぬしがもっていてくれなんし。片方はうちが持っておりなんす」
「貝合わせ」という遊びが昔あった。貝は二つに分けてももともと一緒だった貝とだけしか合わない。つまりは夫婦のちぎりを意味していた。
「何気なく」それを頂くと「ありがとうございます」と頭を下げる。そして部屋をでていく。
「ほんとうに罪な人でありんす」と吉野はこぼした。
「おう、斉藤さん、蔦重の旦那が呼んでるぜ。おいらについてきな。」
「はい」そういって春郎の後に続いた。
大門を出て日本橋にある「蔦屋」に向かう。
途中、歩いている人々や景色に「驚愕し、心を奪われる。」
「描きたい」という衝動の方が「元の時代に戻りたい」きもちより勝っていた。
蔦屋の暖簾をくぐるとそこには様々な本や浮世絵などが売られている。
現在なら数億円でも買えないものばかりだった。
「おう、旦那はいるかい?」
「はい。」といって番頭らしい人物が奥に案内する。
長い廊下の先に蔦重の部屋があった。
「春郎さまと斉藤さまがお越しです」
「わかったよ。お通ししてください」
そういって番頭は障子を開け二人は入っている。
部屋には蔦重ともう一人中年の男性がいた。
二人は中に入ると敷いてある座布団の上に座った。
「これは歌麿先生」と春郎は頭を下げた。
「斉藤さんははじめてだったね。というかほとんどがはじめてなんだよね。
こちらの方は喜多川歌麿先生でね。」
「知ってます」大きな声で答えた。
「へ~。さすが先生。斉藤さんまで知ってるとは。。」
蔦重は驚いた。
お茶と茶菓子が女中によって届けられた。
「ところで、昨日描いてもらった、おまえさんの絵、この絵の描き方誰に教わったんだい?」
「それが覚えてないんです。どうやってここに来たのかも」
「ここに来た?面白いことを言う」
「さっきから先生と話してはいたんだが、これほどの絵を描けるものはそういまい。どうだい、斉藤さん。うちの浮世絵師になってみないかい?」
「え」と春郎がさけんだ。
「どこの馬の骨だかわからねぇ奴をいきなり蔦屋の浮世絵師ってそんなのねぇですよ」春郎は続ける
「それに昨夜は吉野太夫を付けさせて。。。」
「おまえさんだってどこの馬の骨かわからねぇじゃないか。絵が上手きゃ、吉野をつかせるし、金だって払う。それが蔦重のやり方さ」
「へぇ」すっかり意気消沈する春郎。
「さてどうだろうか?」蔦重は笑顔に戻っている。
「私はほかに行くところもありませんし、絵しかかけませんから。。」
「じゃ、いいんだね」蔦重は微笑んだ
「ここを自分の家だと思って暮らしておくれ。なんにも遠慮はいらないからね。用事があるときは手をたたけばだれか来る。それとお前さんの部屋はこっちだ。」
といって自分の部屋に案内された。
蔦重の部屋よりは少しだけ小さいが、家具や調度品は一流のものだと感じた。
一通り店の案内を終えて蔦重の部屋に戻る。
喜多川歌麿はもういなかった。
「ところで。。。。」
「昨日の吉野はどうだった?」
「吉野さんですか?すごく美しかったので彼女の絵を描いてあげたんです。そしたら「まぶ」がどうとか言ってましたね」
「間夫~~」春郎が大きな声を出す。
「春を売る」商売でもお客に恋することはある。人間なのだから仕方ない。
現在でも変わっていないと思うが。。。
「花魁が本気で好きな人」これが間夫だ。
「ほうほう」
蔦重は面白げに聞いてる。
「それから帰りがけにこれを。」
と吉野太夫からもらった、貝を見せた。
「ちくしょ~」春郎は怒っていた。
「こいつぁおもしろい御仁だね。斉藤さんって人は。。。」
花魁という職業はほかの女郎とは違い、いやな客を断ることが出来る。
たとえそれが大名であってもである。その「間夫」である、今でいうとアイドルと結婚したような幸せだ。
「まあ、しばらくはのんびりしてな。」そう言うと蔦重は財布をそのまま渡してきた。
「はぁ」
なぜか、気のない返事をした。
隣では春郎が泣いていた。
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