溺れる

 その日から僕は絵をかくのをやめた。僕は子供の時から絵をかくのが好きで将来は絵描きになりたかった。「母親の肖像」が初めて書いたものでまるで抽象的なもので「絵」とおよそ呼べるものではなかったが、祖父がこれをいたく気に入り小学校入学から近くの絵画教室で絵の描き方を教わった。

「スポンジが水を吸い取るように」技術は上がっていった。

中学生の時は絵画コンクールの入賞者の常連になっていた。

しかし、近くの大きな美術専門の高校に落ちたのである。

「合格して当然」だと思っていたから「落ち込み」は大きかった。

幸い、近くの進学校に入学できたが、「絵描き」の夢は「ふつーのサラリーマン」に変わっていった。そして大好きだった絵を描くことをやめた。


そんなある日。通学の途中、前日の雨で増水した川の方から声が聞こえた。

「子供」の声だった。

急いで川に向かうと母親が呆然と立っている。

「タケル」声をかけたのは同級生の進藤淳

目を合わせて意思を確認する。

服を脱ぐとゆっくりと子供の方に体を進める。その手を淳が強く持っている。

「子供の体をとらえた」

淳の目を見て子供がゆっくりと川辺に近づいてゆく。

子供は淳の手を経て陸上に上がった。

これを確認すると自身の体も陸上に向かった

「あっ」何かに足がつかまれた感触が伝わる。

そして「なにかは」一気に体を飲み込んだ。

意識が、、、次第に遠のいて行く。。。



「でぇじょうぶか?」と頬をたたかれて目が覚めた。

目を開けると「ちょんまげ」をした中年男性の顔がそこにあった。

「お。目を開けたな」

「旦那、そんな行き倒れなんてほっておいて、早く行きましょうよ」

連れの若い男がそういった。

「おい、春郎(しゅんろう)、すまねぇが町籠(まちかご)拾ってきてくんな。」連れは「春郎」というらしい。

「本気ですかい?笑われますぜ」


「ばかやろう。この「蔦重(つたじゅう)」が行き倒れをほっておいたなんて聞かれでもしろ。明日からおまんまの食い上げだ」

中年男性は怒鳴った。

へえ。と春郎は駕籠を探しに行くと少しして「えいっほ」と駕籠が来る。

「さあ、乗りねぇ」中年男性の大きな手に導かれ駕籠に乗る。初めてなので周囲を見回す。

「この紐をもってなせぇ」中年男性はそういうと「出しておくれ」といって2人と自分はゆっくりと進んだ。

日が落ちるのは早かった。それからどのくらいたっただろう。急に周囲が明るくなった。三味線や笑い声が聞こえる。

そこは吉原の大門だった。

駕籠のまま進もうとすると若い衆が待ったをかける。

「駕籠から降りてくだぜぇ」そう言いかけるのを前に中年男性が声をかける。

すると中年男性が前に出る。「こりゃあ。蔦重の旦那。」若い衆が頭を下げる。

「ちと、病人でね。まあ。病人っていったって熱があるわけじゃねぇんだが。ちと行き倒れを拾っちまってね。そのままにしてちゃ、江戸っ子の名折れだから連れてきたんだ。まあこいつで一杯やってくんな」と蔦重なる人物は若い衆に金を渡す。

「なぁに。三浦屋の前だ。そんなに奥までいかねぇよ」

「いつもすいません。ほらお通ししろ」といって駕籠は中に入っていく。

「三浦屋」まではあっという間だった。そこで駕籠がおろされた。

「ごめんよ」と蔦重が暖簾をくぐると女将が座っていた。

「旦那、ずいぶんのごぶさたで。。。」

「ああ、仕事が忙しくてさ。なにそれも片付いて今日は春郎と寄せてもらったんだが、途中で「濡れ鼠」(ぬれねずみ)拾ってさ。」

「まあ」女将は驚いた。

裸にパンツだけの自分がいたからだ。

「とりあえず。風呂へぇらせて、着物でも着せてくんな。遊ぶのはそのあとだ」

「はい」女将がそういうと女性たちが若い自分に集まった。

「お前たち。蔦重の旦那の大事な「お客様」だよ。ご無礼があってはいけませんよ」

「はい」女将の一言に女たちは顔色を変えた。

お風呂に入らせてもらい、「やっと落ち着いてくる」

それから着物を貸してもらったが、着るのに四苦八苦して店の若い衆に着つけてもらう。

一通り終わると女将に案内されて「ある部屋」に入った。

「失礼いたします」

「おう。へぇりねえ」と蔦重の声がする。

女将が障子を開けると先ほどの中年男性「蔦重」が座っていた。

どうぞ、といって自分を入らせると

「それではお酒のご用意をさせます」といって女将は部屋を出た。

「まぁ。そこに座りねぇ」

目の前に分厚い座布団があった。

そこに座ると、蔦重はキセルに火をつけて煙草を一服した。

「おめぇさん、名前は?」

「。。。。。」思い浮かばない。頭の中を総動員してもそれは無かった。

考えていると蔦重は

「生まれた国はどこだい?」

それも思い浮かばない。これは夢なんだろうか?

「なんでもいいんだ。なんかお祭りとかあったりするだろ?」

「あ、、」

「阿波踊り」

この言葉だけが思い浮かんだ。

「阿波のお人かい」

蔦重は笑顔になる。

「年はいくつだい?」

「16になります」はっきりと答えた。記憶の残片が残っているところとないところがあるらしい。

「そうかい。」

蔦重は腕を組んで考えた

しばらくして、

「おめぇさん、今日からは「斉藤十六兵衛(さいとう じゅうろべえ)」と名乗んなさいな。斉藤はおいらが好きな「斉藤別当実盛」から、十六だから「十六兵衛」

あわの さいとう じゅうろべえって節つけりゃ役者見てえだ」

「まあ、名前は決まった。」

「ところでおめぇさん、なんかできるかい?」

「なにかといいますと」

「唄とか三味線とか義太夫とか。あとは絵が描けるとか」

「絵は描けます」

それを聞いた蔦重の目は鋭くなった。

「なんか描いてくんねぇか?」

「は、はい」

ポンポンと手をたたくと女中がやってきて酒を運んできた。

「あと、紙と硯を」

「はい」

蔦重は徳利(とっくり)から盃に酒を入れ、ゆっくりと呑み始める。

「おめぇさん。いや十六兵衛さんはやらねえのかい?」

「酒だよ」

「未成年なので、結構です」

「あはははは」

蔦重の大きな声が響いた。

すると、紙と硯が届いた。

「なんでもいいから書いてくれねぇかい?」

そういって紙と硯を差し出した。

とりあえず、書いてみることにした。

一年前受験の時に提出した作品を思い出しながらなれない筆で描いてゆく。

「できました」と一枚の絵を差し出した。

「蔦重」の目が鋭くなる。

そして「とりあえず、こいつぁ預かっとくぜ。それから俺の名前は「蔦屋重三郎。版元をやってる。今夜は楽しみな。」

といって絵を懐に入れた。

「ここは俺持ちだから、金の心配はしなくていいぜ。」

蔦重は笑顔で部屋を出ていった。


「あーあー。つかれたなー」といっても誰もいない。

つまらないので寝ようと隣の部屋に入ると大きな布団が引いてある。

そこに横になると自然と瞼(まぶた)が重くなり、うとうとと舟をこぐ。


しばらくして人の視線を感じ目を開けると、美しい女性の顔が見えた。

「ぬし、おきんなさったか?」

「は?」

「おきんなさったか?」

「は、はい(たぶん、起きたんだろう)と推測した」

そして彼女の姿を眺める。

美しい女性だ。これまでにこんな綺麗な女性を見たことがあるだろうか。

今まで封印してきた「絵を描きたい」という衝動が走った。

「おねがいします」と土下座をする。

「なんでありんす?」

「貴女の姿を描かせてください」

「ほほほ」と彼女は笑った。

「ここは遊郭でありんすよ。。」


しばらく沈黙が続く。


「ぬしの願いでありんしたら」と顔を赤くした。

パンパンと手をたたくと禿(かむろ)という少女がやってきて先ほどのように紙と硯が運ばれる。

「動かないでくださいよ」

「わかったでありんす」

筆を持つと彼女の姿をじっと見つめ。突如書き始める。

軽く線を描き、その姿を固定させる。

「動いてもいいですよ」そういわれて彼女は絵を見に行った。

黒と朱色しかないので仕方がないが次第に彼女の姿が紙の上で再現される。

そして完成した。

「どうですか?」

恐る恐る彼女に差し出した。


「これがうちでありんすか?」

また顔を赤くする。

「うれしいでありんす」

そういうと体を布団に引きずり込んだ。

「今日からぬしはうちの「間夫(まぶ)」でありんす」

そういって唇を重ねる。

次第に周囲は暗くなっていった。




そのころ蔦重と春郎はほかの部屋にいた。

春郎は女たちと呑んでは遊んでいる。

蔦重は先ほどの絵をじっとみていた。

「旦那。どうしたんですかい?顔が怖いですよ」

「こいつを見てみろ。」先ほど描いた絵を春郎に渡す。

「こいつぁ。。。。」

春郎も言葉を失う。

描かれていたのは現代人なら見ても普通の西洋絵画だが、当時の日本の絵師にとっては貴重な技術だった。

「すらすらすらーと、あの濡れ鼠が書きやがった」

「へえ」

「ちょっといいですかい」といって春郎が絵をまじまじと眺める。

「こいつぁ、異国の絵師の技ですぜ。以前長崎帰りの絵師から聞いたことがあります。」

「それをすらすらと、ね~」

蔦重は盃を一気に飲み干した。

「おもしれぇもんひろったな」

そういうと女たちに紛れて踊り出す。

こうして夜は更けてゆく。

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